始まりました、映画の話したすぎるラジオ第203回になります。この番組は、大阪で映画トークバーイベント、映画の話したすぎるBARを開催している店長メンバーらによる映画トーク番組です。
私、映画の話したすぎるBAR店長の山口です。
マリオンです。
大石です。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
お願いします。
はい、では近況の話から入っていこうと思うんですけども、マリオンさんいかがされてました?
そうですね、今週はヨルゴスランティモスの初期作を映画館でやってるってことだったので、
キネッタっていう長編デビュー作と、あとアルプスっていう作品と、
あとヨルゴスランティモスが制作で、あと出演もしてるアッテンバーグっていう映画の3本見てきたんですけど、今週。
はい。
全然意味がわかんなかったので、したっていうことしか特に喋れませんっていう。
なるほど。
ギリシャの奇妙な波っていうムーブメントがあるらしいんですけど、そこからヨルゴスランティモスとか生まれてるわけなんですけど、
今まで見てきた通り奇妙じゃないですか。
あれがもっと再起走ってるとああなるんだみたいな。初期作の再起走り方とかでもちょっとびっくりしましたけど。
もう話よくわからんし、わからんというか、
ずっと支配と束縛とかの話をずっとしてるっぽいんではあるんですけど、
あまりにも出っていう感じはするというか、話があまりにも進まないしよくわかんないしみたいな奇妙なことになってて、
特にキネッタはちょっとよくわかんないってまま終わっちゃって、
アルプスの方はまだもうちょっとわかりやすい方だったんですけど、にしてもなんじゃこりゃって感じの映画になってたので、
ぜひ機会のある方はぜひ見てみてほしいなっていうか、
なんじゃこりゃってなってほしいっていう感じでしたね。
全然やってるって知りませんでした。
そうですね、なんか多分ミニシアター、今回第7芸術劇場で見てきたんですけど、
ちょっとそういうぽつぽつとやってるみたいな感じですかね。
たぶんジャイホーとかの辺かな。
ストレンジャーとかあとグッチーズフリーズスクールのなんかあれも書いてあったような気がしたけど、間違ってたかもしれないですけど。
ちなみにランティモス以外のギリシャ映画とかも出てるんですか?
例えばリンゴとポラロイドとかも確か奇妙な波を一つに数えられたりすると思うんですけど。
から出てきた監督さんですよね。クリストフニフみたいな人ですね。
その人のは入ってないかな。あくまでランティモスが関わってる3本みたいな感じですかね、今回。
ランティモスの特殊条例ではあるって感じなんですね。
そうですね、ある意味そういう感じですね。
で、最近カゴの中の乙女のリバイバルもやってたじゃないですか。
なのでそれもちょっと合わせてもらえるのかなっていう感じですけど。
カゴの中の乙女も試写の方で見せてもらったんですけど、それを見てなかったんでちょっと見たいなって見たんですけど。
あれもわけわかんない話だったなっていうか、あっちのほうがすごいわかりやすい話だったんですけど。
まあ奇妙で気持ち悪い話をやってっていう感じで素晴らしかったですけど。
ちょっと今回の3本はちょっと難しいよって感じがしたので。
まあまあでも触れてみて全く無駄だったかってそういうわけじゃないんですけど、すごく興味深い作品たちでしたね。
でまあ、先週ちょっといろいろアカデミー賞関連の映画を見てたんですけど、僕はそっちの話をちょっと今回したいなって思ってたんですけど。
コンプリート・アンノーン、名もなきもの、コンプリート・アンノーンなんですけど、ちょっと見てっていう話をしたいなと思ってて。
僕全然ボブ・ディランのこと全然知らないで見に行ったんですけど、
なんかボブ・ディランってめちゃくちゃすげえ人なんやっていうかかっこいい人なんやっていうのを今回の映画で初めて知るみたいな感じでした。
だから結構ボブ・ディラン詳しい人からちょーっと聞いたんですけど、ボブ・ディランってずっと長く活躍されてる人じゃないですか。
なので結構色々曲の変遷というか、どういうことをやってたかの変遷が色々歴史が長い人なので、どこを切り取るかみたいなのが結構難しい人らしいんですよね。
なんか一本の映画で全部の人生まとめるとかはとてもじゃないけど、無理っていう。
ちょっと変わり種でやった映画はあるんですけど、全部のボブ・ディランを複数の役者でやるっていう、アイム・ノット・ゼアっていう映画があったりするらしいんですけど。
今回そのボブ・ディランの中でも特にかっこいい時期みたいならしいんですよね。
それをティモシー・シャラメがやってるっていうので見たんですけど、まずみんなちゃんと歌歌うんですよ。
ボヘミアン・ラプソディーだったら吹き替えてたじゃないですか、完全に。
あれも別に悪いわけではないんですけど、今回ちゃんとみんな歌ってるっていうのの凄みみたいなのが、そこがまずすごいいいなって思いましたね。
ちゃんと生身の人間がそこで歌ってるみたいな。しかもそれがモノマネとかでもなくみたいな。
ちゃんとモノマネっぽくならずに、でもこの人がやるボブ・ディランだからこそ発せられる歌みたいな。
とか、ジョーン・バイズっていう女性のフォークシンガーがいるんですけど、その人もその人らしい声でやるみたいな。
みんな歌が上手くてすごいなっていうのがまずあったのと。
ボブ・ディランって人がある意味でミステリアスであり、ある種のかっこよさがあるっていうか、人から決められたものにとことん抗っちゃうような感じの人なんですよね。
フォークシンガーとしても一躍長くどんどん売れていくわけなんですけど。
で、ある事件がクライマックスに、事件というかある出来事がクライマックスに描かれるんですけど、
そこに至るまでの過程でも完全に自分は自分だからみたいなことを自ら演じ続けてるみたいな人になってて。
時代の妖精とか、ある種のプロテストソングとかも歌い続ける人なんですけど、そこに共鳴しつつも、
ある種の枠とか固定概念みたいなものからは、すごい自分からどんどん避けて反発しようとするみたいな。
そこはちょっと広いくにも見えるなぁみたいな。っていうのがすごくあって、確かにこれはかっこいいっていうのはすごい思いましたね。
女性関係はだいぶだらしねぇなって感じの映画なんかしてましたけどね。完全にすごい人かっていうのはあれですけど。
かなりフィクションも入ってるっぽいっていう感じみたいではあるっぽいので、
いろいろ本当はこの時期にこれはやってないんだけど実際にやってるけどちょっと組み合わせてるみたいなこととかはあったりとかするみたいですけど、
でもなんかそのボブ・ディランっていう人のこの時期のボブ・ディランのすごさとかかっこよさみたいなのはすごいよく出てるみたいな。
映画になっててちょっとね、いや素晴らしいなっていうふうに思いましたね。
僕も詳しくないですけど、やっぱこのフォークを歌ってた時期ってボブ・ディランの一番イメージとして強い部分というか、やっぱライク・ア・ローリング・ストーンとかは一番有名だと思うんですよね。
そこで気を引かれる部分もあるし、同時にその何というか、求められたらそれじゃないことをするみたいなことをやり続けた人っていう情報も聞いてるんで、
じゃあこの映画ってどこに行くんだろうみたいな興味もあって、結構危うく思うというか、自由な人であろうとしついてむしろめっちゃ束縛してる人に見えかねないと思うんですよね、それって描き方によっては。
ものすごい難しい題材だと思うんですよ、ボブ・ディランって。
いや、本当に難しいと思います、本当に。これをなんか、ジェームズ・マンゴールドがこれぞアメリカ映画って感じで描いてるのがやっぱ見事だなというふうにやっぱ思いましたし、
あと僕唯一ボブ・ディランでああって思ってたのが、ウォッチメンのオープニングってわかりますか?
はいはいはい。
あれボブ・ディランじゃないですか、時代を変わる。
そうですそうです。
あれも出てくるんですけど、彼が歌うとすごい熱狂が生まれてくるんですよ、その歌を歌うと。
なんかそれを見て、この曲元から好きだったけどより好きになるというか、いやかっこいいよねみたいな。
っていうのは改めて気づかされたりもしたしっていうのがあって、
本当にボブ・ディラン全然僕みたいに詳しくないですみたいな人がここから触れてくんだろうなって思います、本当に。
でなんかすごい話のネタにもなるというか、たまたま知らないカフェに入って、初めて入るカフェに入ってパンフレット読んでたんですけど、コンプリート&ノンの。
見てたらそこのオーナーの人がボブ・ディランじゃんみたいな、話しかけてもらって、
でちょっと僕もう帰り際だったんですけど、レコードがかかってるお店だったんですけど最後にレコードかけてもらって、
っていう風になって帰るみたいな、そういうちょっとね、微笑ましい時間を過ごしたりとかもしました。
いいですね。
ちゃんとちょっとボブ・ディラン聞いてみたくなったなっていう感じでした。
あとちょっとすいません、2本ほど話したいんですけど、すいませんね。
そういったことも計らずも浮かび上がってもいるしみたいなこともあって、本当に不条理だなこの現状はっていうのをちょっと突きつけられるドキュメンタリーでした。
パンフレットはめちゃくちゃ内容濃くて、これも筆読って感じだったので。
これベルリンの国際映画祭で上映された時に結構ベルリンの市長からクレームが来たりとかいろいろあったりとかしたらしいんですけど、
でドイツがそういうことを言っちゃう理由は何なのかみたいなのとかも詳しく書いてあったりとか、
なるほどなーっていうすごい勉強になりましたね、この辺。
これちょっとぜひ見て欲しいなってドキュメンタリーでしたね。
賞を取って良かったですね、本当にこれは。
そうですね、これはちょっと取って欲しかったなと思ったので、
ちゃんと2人でアメリカの受賞式来てたので、本当に良かったなっていうのは見てて思いましたね、受賞式見ていて。
いやーあれは良いニュースやなって思いながら僕は聞いてました。
しかもなんとなく今年の作品集、ユダヤ系のこと取り扱いが多いって多い感じがしましたしね。
そうなんですよね、そうですよね、ちょっとそれもあって余計にこうなんとも言えん感じにもなりましたけど、
ブルータリストとかあった中でとかっていうのがいろいろ考えとこあるよなーっていうのはちょっと思いましたけどね。
あと最後にちょっとニッケル・ボーイズっていう映画なんですけど、
これAmazonプライムで見れる作品なんですけど、
ピューリッザ賞を受賞してる作品だったのかな。
コルソン・ホワイトヘッドっていう人が書いてる一つが原作で、
でこれある事件をベースに書いてる小説なんですけど、
それがなんかアーサージ・ドジャー少年院事件っていう事件があって、
そこで少年院内で大罰とか暴力とか殺人とかまで起こってるみたいな、
そういった劣悪な環境の少年院があって、
ずっと勧告とかいい加減にしろっていうか直せって言われてるのにもかかわらず、
結局何年も何年もずっと残り続けたみたいな。
っていうレベルの少年院らしくて、
そこ閉鎖になった後に2話調べてみたら人骨がいっぱい出てきたみたいな。
っていうちょっとどうかしてる事件だなっていうのが、
そこをベースに作ってるんですけど、
まだ黒人差別が色濃く残ってる時期というか、
南部での方ですからね。
なので未だにバスの座席が区切られてたりみたいな時期の話で、
そこにニッケル校っていうニッケル学校みたいな名前の学校に入った少年の話なんですけど、
これ描いてるのがすごいのが一人称視点で描いてるんですよ。
そうらしいですよね。
エルウッドっていう少年が主人公なんですけど、
その主人公の一人称視点でずっと続くんですよ。
しかもそこの映像がめちゃくちゃ美しいっていう感じになってて、
本当に撮影集にノミネーションされてないのはちょっとおかしいレベルの見事な撮影でそれを描いていて、
途中からでももう一人主人公が出てくるんですよ。
ちょっと名前をお忘れしちゃったんですけど、もう一人の主人公が出てきて、その二人の話になってくるんですね。
でももう一人の主人公が出てきてもそのもう一人の主人公の視点で語られるので、
視点が切り替わるということで切り替えし、いわゆる撮影の切り替えしというかカメラの切り替えしをやってるっていう感じになってるっていう。
映画になってて。
まずちょっと撮り方がトリッキーなのもあるし映像も美しいしっていうのですごくこう、
うっとりしちゃうとか目が釘付けになっちゃうっていうのもありますし、
やっぱりその視点、一人称の視点だからこそ、
ちゃんとわかんないことはわかんないままなんですけど、
明らかにこれ良くないことが今後起こるだろうなみたいなことを余白だけが残ってるみたいな感じなのもあったりするんですよね。
ある少年の行く末とかどうなっちゃうんだろうなとか思っちゃうあるキャラクターがいたりとかするんですけど、
でもその最後までは描かれないし見てないので彼はっていう。
とかもありますし。
で彼その、エルウッド自身が体験するある出来事みたいなのも大変うわーみたいなことも描かれたりするしっていうので、
ちょっとある種の没入感を持ってその事件というか、おぞましい事件というのを描いてるみたいな話。
でなおかつちょっとこれ、時々変な時系列のものが挟まってくるんですけど、
途中いきなり未来のエルウッドが出てきたりするんですよ。
あれ?ってなるんですけど、見てると何でか分かるんですけど。
ちょっとトリッキーだし、題材のこともあんまり何も知らないで見たらなんだこれ?ってなっちゃう可能性は高いんですけど。
けど多分これ見たら最後めちゃくちゃえー?ってなると思います。
マジか?ってなると思います。
もうこれ以上ちょっとネタバレなしで喋るのが難しいレベルの感じではあるんですけど、
まあでも僕はちょっとえー?って声がちょっと出そうになるレベルのものだったし、
これは映画館で見たかったよっていうレベルの美しさだったので、
これは本当にちょっと、これちょっと早くみんな見てほしいなって思いましたね、これは。
いやいやいやいや。
いやでも聞いてるだけで胃が痛くなってきたんですけど、重いと思って。
重いんですよね、重いんですけど。
重いんですが、映画としては本当にこれすごいなって思いましたね、本当に。
積極的に何か、何でこれがこうなってるのかな?みたいな考えながら見ると、
よりちょっと胃が重くなるような話ではもちろんあるし。
でもあるんですが、いやでもこれはマジですごいですっていう。
いやー見たいなー。
未来のエルウッドくんの視点がなぜそうなってるのかとかいう話とかもね、
するとうーんってなんかいろいろ考えたりするんですけど、
ちょっとこれは見てほしい作品ですね、はい。
なるほど。
すいません、ちょっとしゃべりすぎました。
いやいやいや。
すいません。
では大井さん、いかがされてました?
えっとですね、今週なんですけど、まず、
埼玉県立近代美術館っていうところでやってた、
映画の中の女性イメージ、見る見られる女性っていう、
美術館で映画を上映するっていうイベントに行ってきたんですけど、
で、見た映画っていうのが、燃える女の肖像なんですよ。
もちろん見てます。
なのでサイトの鑑賞にはなるんですけど、
その燃える女の肖像を見てその後に、明治学院大学の教授で、
最近本も出されてたはずだよな、の斎藤綾子先生っていう映画研究者の方が、
燃える女の肖像だったり、あるいは映画全体のカメラっていうのは誰の眼差しかっていうところ、
の講演会をして、それを聞いてきたんですけど、
それがめちゃくちゃ面白かったんですよね。
まずその話しようかなと思うんですけど、
まず燃える女の肖像ってもう2人もちろんご覧になられてるかなと思うんですけど、
この燃える女の肖像がどうして革命だったかっていうところ、
いろんな語り方されるし、いろんな語り方ができる話だし、
まさに見る見られるの映画かなとは思うんですけど、
やっぱり1個大事だっていうふうにおっしゃったのは、
モデルと画家っていうのが対等な関係にあると。
それ以前というか、いわゆる旧来の映画、ハリウッド映画を代表的に描かれるものっていうのは、
基本的にカメラの眼差しは男性の政治的な眼差しっていうところがすごく強くあると。
だから女性が出てくるとき、女性にフォーカスは合うんだけど、
その後ろがよりぼやけるというか、理想化されることが多いんだっていう話をしたんですね。
だから男性が映るシーンと女性が映るシーンっていうのを、
パンで切り返して見せたりするじゃないですか。
それを一個一個切り取って分析をしてみると、
男性側は背景がしっかり映っているのに、女性側は背景がよりぼやけている。
ポートレートっぽくなっている。
それはまさに男性視点で女性の理想化をそこに掲げていることの表れなんだよねっていう話とかをしていて、
ああ、なるほどなっていう。
そういう視点で見たときに、じゃあモエロの肖像って何がすごかったかっていうと、
もちろん女性だけの環境で、まず力関係が対等であるっていう、
2人の関係性を描いているっていうのもありますし、
かつ、見られる側に主体性を持たせたっていうところはやっぱり大事って話をされていて。
これ多分いろんなところにも語られていることだなと思ったんですけど、
エロイードですよね。モデルになる。
が、描き側の画家に対して、私もあなたを見ているっていうふうに言うじゃないですか。
それってまさに、劇場で客体化されている、あるいは消費される側に立っている女性っていうのが、
観客側を見ているというか、
映画鑑賞者側の特権性をあるし、ハグ瞬間なんだと。
だからこそそこに、ひりつきみたいなものがあるんだっていうような話をされていたのがすごい面白かったんですよね。
で、そう考えたときに、アノーラのラストってって思ったんですよ。
アノーラのラストを、先週ちょっと山口さんと丸山さんとだいちゃんさんを含めて4人で話しましたけど、
最後、助手席からアノーラって直接こっちを見るんですよね。直視するんですよね。
それまではどちらかというとアノーラの背景もぼやけてるし、
ある種理想化された女性だし、消費される象徴としてすごく描かれてきてると思うんですよ。
ただアノーラのラストって、すごく真っ直ぐこっちを見つめてくる。
で、それをこっちも眼前に見られるっていう状況になるわけじゃないですか。
そこからラストに向かっていくっていう。
それって確かに意図的に挟まれてるというか、これまで消費されてきた、虐待化されてきた女性であるアノーラが
主体性を持つっていうことに気づかされる瞬間なんだろうなっていうのを見てて思ったりもして。
だからこそ山口さんが確かお話の中で、イゴールが観客なんだってお話をされたと思うんですけど、
そう感じられる演出になってるんだなっていうのを感じて。
なるほどね。
もちろんだから視点はイゴールだから男性ではあるっていうところがまだまたこうねじれてる気もするんですけど。
とはいえ、なるほどその視点というか、カメラというのが誰の眼差しかっていうことを前提に映画を見ていくといろいろなことが見えたりするんだなっていうのを考えた。
すごい面白い講演でした。
すごい興味深いっすね。
面白い。
まず僕確かに昔の映画見てる時、女性ソフトフォーカス多いなっていうのは思うことが多かったのは多かったんですよ。
単純になんか綺麗に撮りたいからなのかなってずっと思ってて、最近も去年ネットワークっていう映画の午前10時の映画祭で見た時に、
フェイダーの映画映る時だけフワッとするんですよね背景が。
なんでこんなことになるんやろうって、フェイダーな上を綺麗に撮りたいからなのかなと思ってたんですけど、
その綺麗に撮りたいっていうのの、もちろんそれがあるんだけど、その下のレイヤーがあるってことですね。
綺麗に撮りたいっていうことはその理想化しているというもうちょっと複雑なレイヤーが下に忍ばされてたってことなんですね。
そうですそうです。まさにそこを分析されている、名前忘れてしまった、論文とかもあったりして、その和訳とかもあったんでちょっと買ってきたりもしたんですけど。
あのアノーラね、今ちょうど編集ほぼ終わったぐらいなんですけど、全然語り足りてねえよって思って。
そうなんですよ。
そうですね。
そうなんですよ。
もうちょっと細部のしょうもないところとか喋りたかったですよ。
タトゥーの曲かかるとこ笑いませんでしたか?とかそういう話したかったんですけど。
あの収録の後ね、僕他にアノーラ見た人と喋って、その人女性だったんですよ。
やっぱラストの捉え方、僕らとも全然違って、希望とも絶望ともどれでもなくて、途中でアノーラがストール受け取って首にかけるじゃないですか、寒いから。
はいはいはいはい。
あれと同じだっていう。寒かったからそうしただけって言ってて。
はー。
あーなるほど。
うわーなるほど。
それ、ほんとその発想なかったから。寒かったからっていうのは精神的な意味ですよ。
そこに対して別にあんまり深い意味はなく、ただ寒かったからそうなったっていう、そこになんか深い意味がないけど、その深い意味がないからこそそっから先って虚無の崖なんですよね。
あー。
だからすごい喰らったって言ってて、すごい面白いなと思ったし、あとその男性の目線っていう切り口からアノーラ見た時に、そのイゴールとイヴァンと、あとイヴァンの親父ってそれぞれが女性の物語を見る立場の三者だと思うんですよね。
そうですね。はいはい。
一方的に消費するだけのイヴァンの親父と、そのフィクションとしてある程度入れ込むけど、がっつり寄り添わないイヴァンっていう、誰それは俺の嫁ってノリじゃないですか。あれって要するに。
確かにそうなんだ。
なるほどね。
あと寄り添うけれども当事者になりきれないし、分かり合えない立場としてのイゴールっていう、多分それは結構僕らに近いと思うんですよね。
フィクションを通じて女性を理解したいと思ってるけど、結局そうなりきれてないですよねっていう。
多分僕ら3人はイゴールに近いと思うんですけど、その3者の立場がそれぞれ女性を見る男性の立場が当てはめられてるし、その女性を描いたフィクションを消費する観客の立場3種類って感じだったなと思って。
なんかこの辺り全然ちゃんと話できてなかったわと思って。
そうですね、確かに。
あと僕ね、アノーラの人の感想を見てて、ここまで人って分かり合えんもんかなと思うんですけど、本当にアノーラを金目的に見えて楽しめなかったみたいな意見を見たとき、マジかと思って。
いやそうよって、ずっとそうやんって。ずっとそうだけど、ただアノーラが求めてることってお金を通じた対等なやり取りじゃないですか。
それが結婚って言い、最も一応この世で対等と言われてるはずのものが簡単に踏みにじられるし、もう一つ、法律っていう対等に平等にあるはずのものも簡単に踏みにじられるっていう、結局持ってる奴が勝つだけのゲームなんですねみたいな、その絶望の話だと思うんですけど、
いやそうよ、だって彼女ビジネスでやってるからねっていう。
仕事ですからね。
そうですよ、最初からそうでしたよみたいな。
始まった瞬間から、もう終わる数分手前までずっと彼女ビジネスしてるから、当たり前よそれって思って。
もうね、なんかね、ちょっとね、先週収録した後、アノーラに対して喋ることどんどんどんどん増えてきて。
分かります分かります。
いやそうですよ、なんかあれも喋ってない、これも喋ってないみたいなことばっかりだったなって思いました、本当に。
僕も勝手にだから見ながら、もういろんなお仕事を見ながらアノーラとちょっと比べてましたからね。
そこはね、やっぱりショーン・ベインカー男性監督だから、そこになんかカメラにどうしても色がついちゃうんですよね、意味が。
そうですね。
今回それ自覚できてるのやっていうのが見えたんで、それは良かったなと思って。
すごい自己癖的な映画だなっていうところがまずありますもんね。
そういうのが面白くて、この話をちょっとしたかったっていうところですね。
時間ないからサラッといきますけど、もう一個ベルギー映画のプレイグラウンド皇帝っていうのも見てきて。
これもめちゃくちゃ重たい映画なんですけど、すげー良かったんで。
すっごいざっくり言うと、サウルの息子って映画がちょっと前にあったと思うんですけど、ご覧になられてます?
見てないですけど、僕見てます。
なんとなくあの撮影手法を持ってもらったらいいんですけど、あれの学校版です。
あれの小学校版で、兄弟が主人公なんですけど、妹の視点が基本的には描かれる。
で、兄貴がいじめられてるんですよ。
そのいじめを妹だから止めに行きたいんだけど、止めに行けば行くほど兄貴のいじめがどんどん悪くなっちゃうんですよ。
で、あるタイミングでいじめはなんとかなるんだけど、その結果兄貴がどうなるかっていう。
地獄みたいな話なんですけど。
ヤバそうだね。
ヤバそうですね。
ヤバいです。
でも、子供の無邪気さというか、子供の無垢ゆえの残酷さ。
多分、ちょっとイノセンスとかでも描かれてたところだと思うんですけど、
よりそれをリアルにして、かつ男女のいじめ方の違いのリアリティとか、
あとはそこに大人が入り込めない状況というか、
なぜ止められないのかっていうところとかがまあ見事にリアルに描かれてるんで、
めちゃくちゃ重たいんですけど超面白かったので、もしご興味があれば是非見てみてください。
でも聞いてるだけで地獄すぎるなと思って。
地獄でした。
いやもうこれ気になってたので見に行こうかなと思ってたんですけど、
つらーつらーって。
でもね、最後ね、救いというか願いというか祈りというか、
ああそうだよね、こうあってくれっていうラストになるんで、
是非それをちょっと信じて見に行ってもらえたらなと思ってます。
1,2章っていうのがめっちゃ合ってますね。題材に対して。
そうなんですよ。この映画だと1,2章というかすごくパンが背景がぼやけてるという感じで、
めちゃくちゃ近くにしかフォーカスが合ってないっていう状況なんですけど。
だからサウルの息子方式っていうことですね。
なんですけど多分そのアプローチって子供の視点ってそうだよねってアプローチでもあるし、
見えてる世界ってこの範囲しか僕らそもそも見えてないですよねっていうところにもなってる。
ほぼ主観と言ってもいいようなところなので。
いやーそうなんですよ。だから端っこの方で見えてるようで見て見ぬふりしてるところがぼやけたりするのがまたあるなっていう感じもあって。
いやーめちゃくちゃ良かったです。
映画とプロとしてもすごかったし、ほぼ体験としての映画っていう感じがあって。
ニケルボーイドも多分すごく気になってるんですけど、それと並ぶ映画だなっていう気がしてます。
最近1,2章の映画多いんですよね。プレゼンス存在も1,2章映画だしなーって思ったりもするんですけどね。
はい、今週こんな感じです。
僕はですね、ちょっと見た映画を2人と毛色違いすぎて。
366日と知らない彼女と、ケナは韓国が嫌いでを見ました。
ケナは韓国が嫌いではちょっとその3本の中では異色だと思うんですけど。
いいじゃないですか。
366日はこれも先週に引き続きエマハラ案件で見たやつなんですけど。
世代的に2003年に出会った男女が2024年の今どうなってるかっていう。
世代が結構僕とエマハラさんに近い主人公たちの話で、
その男女の恋愛の話で2人をつなぐツールとしてMDが出てくるんですよ。
MDってご存知ですか?大石さん。
ギリギリ知ってます。ギリギリ。
僕もわかりますよ。学校の先生はMDを使って教室で音楽を流してくれてました。
僕も音楽教室でお手本としてもらうのがCD、カセットかMDかが選べた時代でしたね。
僕は高校時代にMDどんびしゃだったんですよね。
MDでブルーハーツとハイローズとカモン達夫ばっかり聴いてたんですけど。
時代が変わったね。
面白い。面白い通りにやらせた。
正直僕この話好きなんですよ。この映画好きで。
面白かったんです。とにかく手段を選ばずに面白くしてくるんですよね。
難病者だし、男女のすれ違いからの別れ者だし、未婚の母者なんですよね。
詰めましたね。
しかも難病者で死んだり死にかけたりする人が3人出てくるんですよ。
詰めましたね。
3人!?
多いなと思って。1人じゃないんだって。
なんとなく予告で察してると思うんですけど、愛し合った男女がそれでもすれ違って年付を経てみたいな現代にいたりみたいな話で。
やっぱエモーションはあるし、秒速5センチメートルにも通じるものがあるんですよね。
そこが刺さる部分はあるし楽しめる部分はあるんですけど。
ただ、この映画楽しんだ上で、ネタで半分ガチで今から喋らせてもらうんですけど。
僕ね、否認しない男出てくる映画無理やわってちょっと思って。
はいはいはい、なるほど。
しかも一応、愛に誠実な男として出てきてる人間が否認してないってちょっと僕無理かもしらんなって思ったんですよね、今回。
だからまあ未婚の母者になるっていうことはまあそういうことなんですよ。
別れた者の妊娠してましたってなるんですけど、もうその後何をしてももういやでも否認してなかったしなこいつっていうのがもう全部入ってくるんですよ。
常に。
無理じゃないですか、だってもうそいつが何言ってももう信じられへんなって思って。
常にノイズとして入ってくるんですよね、それが。
犬が死ぬ映画検索するサイトあるじゃないですか。
はいはいはいはい、ありますね。
性暴力がある映画とか事前に調べるサイトあると思うんですけど。
否認しない男が善人として描かれる映画ってちょっと検索かけてもいいかなと思うぐらいちょっとこれ合わんかもしらんなって思って。
なるほど、確かに確かに。
その一つの行動でだいぶ台無しになっちゃう感はすごいですね、本当に。
ただやっぱり本作面白いし、その絵を抜いたらやっぱりみんな誠実で頑張って生きてるんですよね。
やっぱりそこにちょっと感動してるとこはあって、なんかね、みんな頑張って運命に抗って生きようとしてるんですよね。
でもその運命っていうのが何ていうか作り手の都合だと思うんですよ。
それがそこで洗うがおうとしてる運命って。
明らかにそんな奴じゃないのに幕開いて否認してなかったみたいな、それもう作り手の都合じゃないですか。
こいつそんな奴じゃないのに面白くなるから否認させてくれないみたいな感じじゃないですか。
でもなんかめっちゃ頑張ってるんですよみんな。
なんかそれがちょっと面白かったというか、ちゃんと感動はして、なんかあの面白い映画って大変だなと思って。
なんかそれあれですね、カノンイベントに抗うマイルスくんみたいな感じですかそれは。
スパイダーバースですかみたいな。
やっぱりこの話の根底にあるのって、未来ってないなっていう。20代にして未来ってないなって気づいちゃった人の話なんですよね。
それってアノーラであるとか、あるいはナミビアの砂漠とかそういうものにも通じてる話だと思うんですよね。
で、ナミビアの砂漠とアノーラは、じゃあそこじゃないとこに行けるんですかって言って別に行けない人の話だったんですけど、本作は一応は行ける人の話ではあって、
でも別に、じゃあ自分と関わった人とか、そういう人たちが別にそこを抜け出せるわけでもないよねっていう、結構複雑な何かを抱えながら生きていくって話だなって僕は見てたんですよね。
そのバランスすごくいいですね。確かに僕横形見たとき、ちょっとこれ若干行きつかないとこあるか?って若干思っちゃってたので、
それを本当に山口さんがおっしゃってた通りの、ちょっとその感じを、ちょっと懸念。そんなあからさまなことはやらんだろうと思いつつもちょっと似合うなって思ってたんですけど、
実際そうではないんだなって今回聞けて、それはちょっとより見たくなったなっていう感じですね。
マジでギリギリのバランスやと思いますよ。
なんか結構、韓国いるときは本当に自分を出せない、ザ社畜みたいな感じの働き、社畜でもないんだよな、結構ちゃんと上に噛みついてそのまま仕事辞めちゃうみたいな感じ。
ただブラックロードはしてる感じなんですけど、ニュージーランド行ってからはだんだんその欧米的なリベラル感のある人物になってて、
なんかこれギリやぞみたいな感じはあったんですけど。
ただその本当に、そう見えかねないっていうのは分かった上で、すごいいろんな距離感とかバランスを測りながら作った映画なんじゃないかなって僕は思いました。
結構ね、見方、人によって全然違う可能性ある作品だと思うので、もし見る機会があればちょっと皆さんのお二人のご意見も聞いてみたいかなとは思います。
っていう感じです。
あと番組全体にお便りいただいてたので紹介させていただきます。
バリオンさんお願いできますか。
Qさんからいただいてます。
こんにちは、配信200回おめでとうございます。
名古屋でお会いしたラジオネームQさんです。
名古屋開催とても楽しかったです。
ぜひまた名古屋を訪れてください。
それと先日第201回で宇多丸さんを呼ぶのは難しいかもとおっしゃっていましたが、
いきなり番組に出てもらうのは難しいかもしれませんが、
まずは宇多丸さんにMC3人の名前を知ってもらうため、
アトロク映画票をコーナーに繰り返しお便りを書き、
それから放課後ポッドキャストに映画バーというのを大阪でやってまして、
大阪公演などの際にはぜひ訪れてくださいという内容のメールを書き、
あと映画の話ししたすぎるラジオというポッドキャストもやってまして、
宇多丸さんにゲストに出てもらうことを目標にしてますと書けば結構出てくれそうな気がしてます。
最後に力王DVDを買いました。
前田さん復活の力王回楽しみにしています。
あとは実写版秒速5センチメートルの回もやると聞いたので、
一応アニメの秒速も見ました。
ありがとうございます。
名古屋でお会いできたんですよね。
宇多丸さんお呼びするの難しいかもっていうので、
案をいただいたんですけど、
ちょっとさすがにおこがましいかなっていう気持ちがちょっとあって、
あと奥ってもね、
たぶん取り上げたら意味を持ちすぎるから取り上げれないんじゃないかなと思うんですよね。
映画イベントとか映画ポッドキャストを宇多丸さんが取り上げるって、
もう意味の塊みたいな感じになるから、
もうちょっと自分がその立場だったら、
これ読めないなってなりそうだなと思ってそのお便り。
確かになんかここで取り上げられたから、
じゃあすごい語りのポッドキャストなんだなって思われても、
いやちょっとそこまでじゃないですかねみたいなところちょっとやっぱあるじゃないですかやっぱり。
もちろん認知してもらえたらそれは嬉しいですけど。
だからその点ね、大ちゃんさん偉いなって思いましたよ。
そうですよね、ちゃんとね。
天口ゆうすけにちゃんとやってますって言って認知もしてもらってましたね。
だからまぁ確かにね。
でもどうなんだろう。
いやでも、ちょっと勇気をもらえた気がします。
いやちょっとさかしいこと考えすぎかもしれないですね。
お前らのお便り読んだところで意味なんてねえよみたいな。
あードロークのお便りみなさんめちゃくちゃレベル高いからな。
そうですよね。
もう無理よっていう。
こんななんとも一連雑な語りにダメよみたいな感じですけどね僕のやつとか大丈夫かなみたいな。
結構ね、我々半分手ぶらですからねこの場。
そうなんですよね。
お前らそんなんも知らんのかみたいな言われてもしょうがないレベルの話しかしてないような気がするんですけど。
そうなんだよね。
こんな無知な連中とちょっとつながり持つわけにはいかないって思われかねないかなというのもちょっと怖さがあったりとかね。
呼ぶの難しいかも。
割と歌回りさんに対する、あるいはドロークという番組に対する恐怖心もちょっとある。
威負の対象というかね。尊敬と威負の対象です。
ちょっと恐れすぎかもしれないですねそこは。
まあそうですね。
敬っても恐れてはいけないかもしれないですねもしかしたら。
まあ確かに。
いやちょっと検討してみましょう。
あとが前田さんが名古屋のバーに来たっていうのは前もちょっと話したかもしれないんですけど。
あの人その場で力強を布教してるんですよね。
お前番組やめただろ。責任取れないだろうがと思って。
そうなんだよな。
力強会別にやるって決まってましたっけみたいなとこありますけど。
僕その時にあんた責任取りなさいよって言ってたんですよ。
こんだけ広めて自分番組参加せずに力強だけ広めてさって力強会でなよって言ってたんですけど。
そもそも僕ねあの前田さん卒業会1回だけ出てもらって前田さん卒業会取りましょうよって言ったんですよ。
1回だけ前田さんと飲んだ時があってその時にいやもう前田さん卒業会やりましょうって言ったんですけど。
それやったら本当に終わっちゃうからって言ってお前何言ってんねんと思って。
トイストーリー4のことを元カレメンタルって言って散々ボロかすいといてお前さみたいな。
いいですね。
そういうとこいいですよね。さすがやなーって。