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今回のテーマはイニシェリン島の精霊です。それでは前田さん、ちょっと概要の方を読んでいただけますか。
映画ドットコムより、スリービリボードのマーティン・マクドナルド監督が、人の死を予告するというアイルランドの精霊、バンシーをモチーフに描いた人間ドラマ。
1923年、アイルランドの小さなこと、イニシェリン島。住民全員が顔見知りのこの島で暮らすパードリックは、
長年の友人コルムから絶縁を言い渡されてしまう。理由もわからないまま、妹や風変わりな隣人の力を借りて事態を解決しようとするが、コルムは固くなり彼を駆折。
ついにはこれ以上関わろうとするなら、自分の指を切り落とすと宣言する。ヒットマンズ・レクイエムでも、マクドナルド監督と組んだコリーンファレルとブレンダン・グリーソンが、主人公パードリックと友人コルムをそれぞれ演じる。
共演はエターナルズのバリー・コーガン、スリービルボードのケリー・コンドン。
2022年第79回ベネチア国際映画祭のコンペティション部門で、マーティン・マクドナルドが脚本賞を、コリーンファレルがポルピハイ最優秀男優賞をそれぞれ受賞。
第95回アカデミー賞でも、作品監督、主演男優、コリーンファレル、女演男優、ブレンダン・グリーソン&バリー・コーガン、女演女優、ケリー・コンドンほか8部門級ノミネートを果たした。
はい、ありがとうございます。それではここからネタバレガンガンで話していきたいなと思いますので、まだ映画を見ていない方は映画を見てからここからお聞きいただけるとありがたいです。
はい、ではまず最初にちょっとそれぞれ最初の触りの感想みたいなちょっと伺ってみたいなと思うんですけど、前田さんはどうでしたか?
私あのスリービルウォートを見たときに、なんかすごい変な話だなと思った記憶があって、あの時も結構個人的にあんまり共感できない人間関係とか、
なんていうんだろうな、その主人公自体にあんまり共感できない感じだったので、
なんかスリービルウォートの時もあのすごい評価が高い作品だと思うんですけど、変な映画だなと思ってて、で今回それに輪をかけたような変な映画で、
なんかね、あのすごく興味深かったんですけど、本当にこれをどの角度で突っついたらいいのかなっていうふうにすごい悩まされ、
それこのラジオの話なんですけど、そういうすごいちょっと悩んじゃったのが、あの鑑賞後の率直な感じです。
はい、では大石さんはどうでしたか?
そうですね、あの言ってしまえば正直ひどい話じゃないですか。
まあひどい話ですね、うん確かに。
なんですけど、そのストーリー自体はそういう話なのに見終わった後に、なぜか何とも言えないぬくもりが心の中に残るなっていう印象があって、
で、僕は前作のスリービルボードを劇場で見てたんですけど、なんかそれ時も似たぬくもりだったなって感覚があったんですよ。
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だからなんかずっとあの時から、僕はあの映画大好きなんですけど、スリービルボード。
ただ、なんでこの映画こんなに、そもそもスリービルボードもひどい話なのに、そのひどさに違わない温度感というか温かさがあるのかなっていうのをずっとちょっと考えてたので、
なんかそこらへん、今回惚れたらいいなっていうふうに思います。
はい、なるほど。ありがとうございます。
では僕の感想なんですけど、面白いけどこれ何これみたいな変な話だなっていうのは本当に、まえりさんと同じようにちょっと僕も困惑はしてたんですけど。
まあマーティン・マクドナーは、スリービルボードは見てますし、あと1本なんだっけ、セブンサイコパスって映画も見てはいるんですけど、
セブンサイコパスはちょっとよくわかんねえなって感じで、今見たらどうかわかりませんけど、あんま面白くないなって思いがあったんですけど、スリービルボードはめちゃくちゃ面白かった覚えがあって。
ただそれと比べるとちょっと衝撃度はまあ落ちるかなみたいなところはちょっとあるんですけど、
まあでも本当になんか、本当にこのなんか登場するキャラクターが複雑すぎる、そしてなんか突如そして変なバイオレンスが入るみたいな部分はまあ、スリービルボードとやっぱ変わらない部分はやっぱあって、
そこからこういろいろこういろんなキャラクターの、これってこういうことなんかなーみたいなのは考えるのは後から考えてみたりするのがすごく面白かったりしたかなっていう感じですかね。
まあなんかあまりどのキャラクターにもこう、なんか全面的に感情移入できるかっていうとちょっと微妙なんですけど、
まあなんかちょっと一番個人的に愛おしいかなって思ったのは、コリーンファレル演じるパードリックかなというふうには思ってますかね。
まあそんな感じで、まあ皆さんそれぞれ感想は言っていただいたんですけど、じゃあどうやって喋っていこうかなーってちょっと僕も考えてたんですけど、
まあなんかやっぱキャラクターがやっぱ面白い映画だと思うので、なんか各キャラクターについて喋っていったらなんとなくまとまるんじゃねえかと思ってるんですけど、
そうだな、まず誰からちょっと触れていきましょうかね。じゃあコルムからちょっと触れていきましょうか。
あの今回の騒動の発端となる絶縁宣言をする彼ですけど、本当になんかよくあんなやり方しますよねみたいなというか、結構こいつ何してんのみたいなこと結構しますよね、この人。
ちょっとびっくりするというか。
なんか私最初面白かったのが、確かに長年友達付き合いをしてたとしても、前回の窓辺にての時もちょっと同じようなことを思ったんですけど、
人間関係で急に片方がもう相手とこれ以上人間関係を築きたくないなって思うことって正直悪いことじゃないと思うんですよ。
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もう片方の人にとってはひどいというか悲しい気持ちにはしてしまうけど、でももう友達とか恋人でいたくないなって、そんな深い理由がなかったとしても、なんとなくそんな温度じゃなくなったなっていうことになったとしても、それってあり得るし咎められることじゃないと思うんですね。
ただそれを普通ははっきりとは言わずにフェードアウトしていくんだけど、今回舞台となっている島ではその島が狭すぎるし絶対顔合わせちゃうっていう時に、それをはっきり言わざるを得ないというか、それをファードリックも気づいちゃうっていうところでこじれていくんですけど、
なんかそもそもの人間関係を終わらせたいときに逆にどうしたらいいのかなって私ちょっと思っちゃって、コルム側の気持ちになって。
あー確かにずっと。まあありますよね、そういうなんというか、ちょっと距離置きたいなみたいなとか、ちょっと仲悪いからほんとちょっと勘弁してほしいみたいなときって、正直あるじゃないですか誰しも。
あと単純に飽きたなとか。
そうそうそう、ありますあります。
ひどい言い方かもしれないけど、人間としてもう遊ばなくてもいいかなみたいな、こいつとみたいななっているときってまあ誰でも正直あると思うんですね。ここまではっきりと意識することはあんまりないかもしれないけど、
そうですね。
その空気をお互い読み合いながら距離って保ってると思うんですけど、それを片方はいやいやまだめっちゃ好きなんですけどとか、すごい友達と思ってるんですけどみたいなときに、指を切るしかないのかっていう。
本当に断ち切りたいんだなみたいな。
こんなにって思いましたね。
指を切るっていうことじゃないですか。
それはちょっと、なんで指切るねんみたいな話は後に置いとくとして、ちょっと言いたいことがあるというか、なんでってなることがあるんですけど、本当になんか、さっきも言ってましたけど、本当に狭い場所でどうやって距離を置こうかみたいになったときに、
やんわりなんとなく避けるとかやっても、たぶんパワードリックは確かに気づかないよなっていう気がするっていうのはちょっとありますよね。
キャラ的にね。
たぶん境るしゃべりかけてきますよね。
そうそうそうそう。優しいだけが取り柄の男なので、その辺あんまり考えがつかないような気がしてしまうので、あれぐらいはっきり言わないとダメなのかもしれないが、そんな人にはっきりとお前とは縁切るわとか言う?みたいな。言ったこととかないなとか思うわけですよ、やっぱり。
まあ察してくれよっていうところですよね。
そうそうそうそう。察してくれよとかね。直接言うみたいなのもちょっとギョッとするなみたいな感じですけど。
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なんかそれこそ今だったらLINEをブロックしたり別のグループの方で話をしたりとかっていう風に距離を置くみたいなことは、もしかしたら皆さんやってるかもしれないですけど、なかなかあの環境下でってなるとブロックできないしなーってなると指切るしかないのかっていう。
そうですね。
これはなんか嫌いに、パードリックのこと嫌いになったっていう、なんかそこまでの感じでもなくて、途中結構優しさを見せるというか、そんな場面もちょこちょこあったかなと思うんですけど。
そうですね。警官にポポポポにされるパードリックを助けるシーンとか。
そうですね。
なんかあの辺が多分この映画の大石さんの言うなんか変な温かさっていうか、なんかちょっとコルムのなんていうんだろうな、コルムが一方的にひどい人間と思えないゆえんというか、
単に余生を本当に静かに歌を作って犬と踊って過ごしたかっただけなのかなって思わせるような人物の描き方をしているのがまたちょっと面白いなと思って。
そうですね。本当に嫌いでしたらもうあそこ無視しますもんね。本当にね。
だから仲はいいけど、過ごす時間を時間配分変えたいみたいな感じじゃないですか。もうちょっと自分の時間を増やして、お前と喋る時間はちょっと減らしたいっていうだけの話なのになぜこうもこじれるかみたいなぐらいこじれるわけですけど、今回ね。
しかも自分の時間を持ちたいというか、音楽とか試作に時間を使いたいっていう話でしたけど、いわゆるこれって中年の危機だなーって感じじゃないですか。だから僕は山口さんがこれ見たらどう思うのかなと思ったんだけど、
だって死んだら何も残らないじゃないかみたいなこと言うのって、これ中年の危機以外に何者でもないみたいな感じじゃないですか。
引っ張られてますよね。山口さんが落とした爆弾に我々は被弾してますよね。
クライシスをまき散らかされてるんで。
そうそうそう。危機ですよ危機。
中年なのかっていう話はありますけど。
そうですね。中年というか、いくつぐらいの設定なのかなっていうのはちょっとあるんですけど。
そうですね。パードリックとも。
そもそもなんかコルムとパードリックって多分同い年とかじゃ絶対ないですよね。これ多分ね。
多分10ぐらい離れてますよね。あの感じだと。10は行き過ぎかもしれないですけど。
やばいなんか意外と話したいことちょっといろいろ出てきたんですけど。
いいですよ。良かった良かった。
いきなりちょっとキャラの話から飛んじゃうんですけど。
全然。
なんかそのコルムのこととかパードリックのこと考えたら、なんかこの映画ってあんまり夫婦とかっていう形で出てこないじゃないですか人が。
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そうですね。
一応バリー・コーガンのお父さんがいて、お母さん出てこなかったけど家族でいるのかなみたいなのもありましたけど。
なんかコルムもずっとそうなのか分かんないけど一人で、パードリックも妹と暮らしてて、なんか酒場にいる人たちもみんな一人で来てるっていう感じで、
あんまり男女の夫婦とか恋人みたいな気配がこの映画すごいないなって。
あんな島だったらなんかもっとそこがもっと見えそうなのに、その気配をすごい消してるなっていうのもちょっと思ってて。
確かにね。あんな小さい島のちっちゃいパブだったら、あいつとあいつが付き合ってるらしいぜみたいな噂話がめっちゃ飛び交ってそうですよね。
結構基本単体でしか人が出てこない。一人一人でしか。郵便ポストのところにいるパン屋?なんかのおばちゃん?
パン屋兼郵便局も兼ねてるって感じですよね。
噂好きの。
あの人も一人だけキャラがあんまりその人の向こうに、その人と関わってる人があんまり見えないっていうか、
なんかすごいそれもちょっとなんか孤独感感じさせる感じがすごい映画全体に。
あんな狭い島だったらみんなが家族ぐらいでもおかしくないような感じなのが、どっちかったらみんな意味嫌いやってるくない?ぐらいの距離感がちょっとあるのも、
監督のスリービルボードの時もそうだったんですけど、人に対する人が嫌いなのかなみたいな。監督って人が嫌いなのかって思わせるような人間関係の描き方をするなと思って。
なんとなく前作も含めての監督の作風の持論なんですけど、なんか登場人物たちみんな緩べないなって思ってみてて、
なんというか、辛うじてその社会だったりその環境の中に身を置いてる人っていう感じがするんですよ、みんな。
なんかどっぷりその社会の中心の輪っかの中には入ってない感じというか。
たとえばこの作の、それこそバリー交換が一番顕著なキャラクターでしたけど、ドミニク。彼はもう完全に妻弾き者じゃないですか。
パードリックとその兄弟のシボン、妹さんと二人と辛うじて関係があって、なんならお父さんからは若干虐待受けてるのかぐらいの感じ。
いやそうですね、なんか結構な、なんかサラッと言ってましたけど、なんか性的虐待受けてるみたいな。
そういう感じのフレーズありましたよね。
あのサラッと感が逆に怖かったですね。流すの?みたいな。
当たり前の処置の事実みたいな。
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本人もなんていうのかな、そんなにそれに対して感情抜き出しにするような感じもなかったんで。
なんかそういう寄るべない状態の中で辛うじて生きてる人たちみたいなのは、結構監督は、そういう人こそ映画で描きたいのかなってちょっと思ってみてて。
なるほど、いいですね寄るべないっていうフレーズ。
いやいいなーって思いますね。
やっぱり島というだけで閉鎖的ですけど、あそこに恋人同士がいないとか、そういう関係性が断絶してるみたいなのって、どん詰まり感ですよね。
あの島も、ここからこの島が発展することほぼないなみたいな感じって言ったらいいんですかね。
そういうのにもひと役かかってるのかなっていうふうに話聞いてて思いました。
でもそこに本当にいないとたぶん生きていけない人たち。寄るべないってさっき言ってましたけど。
なんかこれすごい山口さんが話したら盛り上がりそうなのかって思ったんですけど、妹さんは出ていくじゃないですか。
そうそう。
こんな島おもんないねって言って。
そう、出てくやんこんなんみたいな。
私もね、それが普通だと思うんですよ。
もちろん簡単なことではないかもしれないけど、それをね、かたくなにこう、出てくる女の人自体が少ないですけど、男の人の方がやっぱり保守的な島にいたいのかなっていうような印象を受けたというか、それこそパードリック。
なんかどんどんどんどん彼は、自分がこの島のみんなにつまらない人間だと思われてるんじゃないかっていう不安にさえまわれていくわけじゃないですか。
それでどんどんおかしくなっていくところはあると思うんですけど、だけど島を離れようっていうふうにはならずに、妹に帰ってきてほしいって最後まで願ってるっていう。
なんかそれがすごい私的には不思議というか、なんで出ていかないのかなって。
それこそ縛られるものがない。ないのに。そこに映画の中で描いてるだけだと、親も親がそこにいて介護しなきゃいけないってわけでもないし、馬とかね、世話してる動物はいるけど、自分を縛るものがそんなにないのに、その苦しい環境から脱しようとしないっていうのは見てて面白かったですね。
それは確かにそうなんですよね。ちょっと雑なあれかもしれませんけど、男性陣はみんな残るだなみたいな感じの描き方でしたよね。本当に。
女性、シボンは外に出ていくっていうのになってますけど、なんでかなって思ってたんですけど、自分なりに。まあもう、なんて言うんでしょうね。めんどくさいんじゃないんですか、やっぱり。新しいことするのが本来は多分。もともとないこと言いますけどすごく。
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変わりたいと思ってるけど、実はそんな変わる気ないよねみたいなというか、ちょいちょいこの人たちよく見えるというか。例えばコルムもですけど、俺は音楽に時間を費やしたいんだって言いますけど、じゃあなんで指切るんだよっていう話じゃないですか。
バイオリン弾きなのに。バイオリン弾きが指切るってどういうことかわかってるみたいなところとか。あとモーツァルトがどうこう言いますけど、間違ってるからねそれみたいな話もあったじゃないですか。ただ本当にダダをこねてるだけというか、本当に近いものがみんなどっかしらあるって。
パードリックも結局なんか、自分こうかもしれないって思うんだけど、だからといって新しく場所に入れたいかっていうと全くそんな気がないみたいなところを含めて。そういうところでも安心して過ごしたいっていう気持ちがあるんだろうし。
なんか二人ともある程度大人なので、もうそういうもんだよねっていうところで、ちょっと落ち着いてる自分もいるんだけど、いやもうこの世界無理みたいな風に思ってる自分もいるみたいなのが折り合いが若干ついてないみたいな感じなのかなっていうのがそののかなって思って。
ただドミニクの場合は、まだ若さがあるがゆえにそういう選択ができずに、たぶん命を落とすことになったのかなーみたいなのはちょっと思ったりはしましたかね。
ドミニクってバリー・コーガン?
バリー・コーガンはなんかちょっと、劇中彼命を落とすじゃないですか。なんかちょっとちょっと急、唐突ではあったのでちょっとあの死が自殺なのか本当になんか事故やったのかがちょっと微妙に僕ちょっとわかりにくかったなーって思ってたんですけど。
あそこで事故でしたっていうのもなんかちょっと話的にたぶん取ってつけた感がちょっとつけちゃうので、たぶん自分で命を絶ったのかなーという風にちょっと今は思ってるんですけど。
なんかその件に関してちょっと映画見ながら考えてたことがあって。
僕のラジオの方の相方の土屋さんって人がいるんですけど、一応今ちょうど自立支援のNPO法人に勤めてるんですよ。
ケアの現場でケアを提供する側の人間なんですね。
彼が言ってて面白いなーって思った言葉で、ケアの現場では利用者さんたちにまずしっかり依存させることが大事だっていう風に言ってたんですよ。
普通の社会で依存って聞くとあんまりいいニュアンスではないイメージの方が多いかなと思うんですよね。
依存症だとか、あるいは共依存もあんまり関係性としては良くないような感じで捉えられやすい言葉だと思うんですけど。
自立支援の現場では割とこれが大事な概念という風に彼は言っていて。
自立支援の利用者さんって本当に頼る場所みたい、頼るものとか人とかあるいは場所みたいなものが本当になくなった時にそこに来るんだっていう風に言ってたんですね。
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その人たちにまずはこの場所、今提供しているケアの場所に依存してもらって、そこからいろんな人たちに関係性を持っていく。
だから依存ってイコール人間関係だ、あるいはその場所との関係だっていう風に彼は言っていて。
そういう風に言葉を使うんだってめちゃくちゃ面白いなと思ったんですけど。
逆に言うと普通の社会で生きている僕だって知らず知らずの間に多分いろんな人とかいろんなものに依存している状態なんですよね。
知ってる。
そうですね。もう依存してますよ、そりゃ。
だから友人とか家族とか、僕らでいうと映画もそうだと思いますけど。
その視点で実はこの映画結構僕見てて。
なるほど。
なんでヨルペナサって多分その依存の少なさだなって思ってたんですね。
なんで彼らをその視点で見るとすごいなんか悲哀みたいなものが見えるなと思って。
例えばさっきドミニクが話の流れ上自死だろうっていう話をされたと思うんですけど、僕も多分彼は自殺だろうなって思ってるのは、
彼の多分依存先って本当にパードリックとシボンしかいなかったと思うんですよ。
急に悲しくなってきた。
だってあの酒場で彼がその飲み屋さんでワーって行った時に本当にみんななんか嫌な顔をするんですよね。
だからドミニクにとって多分島の人間って敵なんですよ。
唯一の味方が多分パードリック、優しいパードリックでありシボンだったと。
でも関係の中でパードリックからも絶縁というか自分から半分、半ば自ら絶縁言っちゃいますけど、
切り離されちゃいますし、シボンからもある意味失恋というかフラれてしまうっていうところで、
家族には彼は元々関係性ないので、そこで完全に寄るべというか依存の先を失ったように見えたんですね。
ってなると彼は行く先はそこしかないよねっていう。
いや、なんかその依存っていう言葉の使い方にすごくしっくりきたんですけど、
なんかそれで言うと最終的にパードリックとコルムってそれこそ共依存というか、
依存しあってて、この物語の始まりとして関係性を切ろうとしてこの物語が始まっているんだけど、
結果としてああいう過剰な応酬を繰り返しているうちに、より依存度が強まっているというか、
結構浜辺で二人が立つシーンとかすごいそれを感じるものがあって、
なんかその感じているものが依存だなっていうことには気づかなかったんですけど、
なんかすごいその言葉しっくりくるなと思って。
なんかその悪い意味でっていう、悪い意味じゃなくてっていうこともしっくりきます。
なるほどな。そういう視点。依存っていうことか。なるほどな。
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確かに最後の浜辺のシーン、本当にやり尽くした後、お互い燃やし尽くしても、
一応この関係を切り離せないなーみたいな気持ちになるみたいなラストだなーと思ったんですけど、
なんかそれを依存っていうワードで使うとすごく納得するなっていうふうには思いますよね。
だからある意味多分男性人はイニシャリントーっていう場所にもきっと依存をしていて、
そうですね。
だから離れられないんだろうなっていうのもちょっと思ったりして。
確かにな。なんだかんだ。
これって自分たちが作り上げてきた風習とか関係性も含めてだと思うんですね。
なんかそれこそパードリックがおかしくなっていくのって、やっぱり自分の人生が否定されたみたいな気持ちになったからと思うんですね。
単につまらないって言われたっていうことじゃなくて、
自分っていう人間の取り柄が、取り柄である優しいっていうところは全く人にとっては魅力じゃないんじゃないかみたいな。
優しさよりもつまらなさの方が勝っちゃってるやんって思った瞬間に彼はどんどんおかしくなってると思うんですけど。
本当にあそこでパードリックおかしくなってきますけど、
一番この映画で共感できたのは僕そこだったかなって個人的に思ってるんですよね。
僕本当に優しいだけのつまらない男ではないのかっていう気持ちがすごくしてるんですよ。
優しいだけで特に何も考えてないというか、優しいだけだなみたいな気持ちに。
あれはグザッと来るよねっていうのはめちゃくちゃと思って。
全くそんなことないですけどね。
ワリオンさんは面白い人間やなと思いますけど。
あれなんですよ、パードリックでも島の外の人間には割ときついこと言うんですよね。
まあね、そうですけどね。
え、どんなとき?
問題性に嘘ついて。
まあまあ。
あれがバリー・コーガンにとってのひどいことみたいな、優しくなくなったみたいなのもちょっとかわいいなと思っちゃったんですけど。
あれもかわいいですけど。
そこ?って思って。
本当にやっぱりドミニクから見てパードリックって本当にいいやつ。
本当にこいつ優しいやつなんだなって思われてたっていうことが現れてるんですけどね。
あれも一種の悪ぶる行為じゃないですか。
悪ぶり方よと思って。
たかっただけみたいなところがあるじゃないですか。
しっかりそのあと罪悪感から抱いてるんですけどね。
本当にいいやつ。
あの嘘ついたときの何でしたっけ、何の車に轢かれたんでしたっけ?パン屋?
パン屋か、あれパン屋の。
お母さんも轢かれたのにみたいな、なんだこの笑いの入れ方みたいな。
そうなんですよね。
独特やなと思って、監督のこのユーモアのセンスというか。
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完全にすごいシュールなコント見せられてるシーンでしたよね、あそこ。
そうなんですよ。
それを引きで見てる我々にとっては全くひどいことをしてるようには見えないんですけど、
それを聞いてバリコンはショックを受けるっていうのも含めて喜劇と思って見てるのに、
そこで彼が死んじゃうっていうのがまたショッキングなんですよね。
あの裏切り方っていうか、観客に対する。
え、あなたがそういうテンションで私たちを転がしてたんじゃないんですか?みたいなところを急にバサッと切って、
いや、現実彼はこうだからみたいなのが、監督こわーって思って。
3Dビーボードでもいきなりある主要キャラクター死ぬとかありますけど、
ネタバレなんて言っていいのかわからないですけど、一応伏せておいておきますけど。
そういうとこ含めてちょっとギョッとするようなことを平気で入れてくる人ですよね、マーティン・マクドナルドという人は。
なんかこっちにその罪悪感を負わせてくるっていうか、
なんやろ、そんなつもりじゃなかったのにみたいな、こっちも。
っていう感じをすごい入れてくるなと思って。
そうですよね。
なんか町山さんがこの映画についてラジオで話されてるの聞いたんですけど、
その時にこの監督がリスペクトしてる監督の一人に北野敬史がいるっていうのをおっしゃってたんですよ。
割とそういう、笑っていいのこれ?みたいなテイストって多分北野映画チックなのかなって勝手に解釈してるんですけど。
なるほど。
確かにね、ちょっとわかる部分あるかも。
ちょっとね、笑っていいのか、困惑するような笑い。
でも人は死んでるしみたいな。
そう、人は死んでるし。
あとこれ英語がちゃんとわかってたらもっと知的な会話実は入れてるっぽそうな感じするというか。
そうなんかな?
なんとなくですよ。
でも頑張ってそれを字幕で多分出してるような気がするというか、
パブでパードリックが他の客からお前ただのいい奴だけやでみたいな遠回しに言われるみたいなシーンとかのやり取りとかって、
頭がいい人じゃないとあんなの考えつかねえような気がするというか、
欧州とかいう感じの含めて。
確かになんかこの島の登場人物はそんなに頭がいい人たちばかりではないような気はするんだけど、
それを作っているマーティン・マクドナルドという人はすごく頭が良さそうっていうのはああいうところから感じた。
なるほど。
あとちょっと思ったのは、さっきのコルムも例えば絶好するぞって言ったのに、なんだかんだパードリックに優しいみたいな。
マーティン・マクドナルド監督の作品って結構一人の人間の中に複数のパーソナリティがあるっていう人間の多面性みたいなものをすごい描いてくれるなって思っていて、
その中の個人の中の葛藤みたいなものもすごく描かれるなって思ってるんですよ。
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なんでスリービルボードで言うとサム・ロックウェルがまさにそれだなって思ってるんですけど。
はい、そうですね、確かに。
最初凶暴でこいつちょっともう最悪の警官だな、悪徳警官だなって思ってたら、最後あれこいつこんなに優しい一面あんの?みたいな。
そういうのを彼の作品って必ず、どのキャラクターにもとは言いませんけど主要キャラクターには少なくとも描いてるなって思ってて、
それって多分対話の可能性みたいなものを示してるんじゃないかなっていつも自分は感じてるんですね。
多分今作それがすごい顕著に現れてるなと思ったんですけど。
対話の可能性。
なので例えばタカモカイみたいに絶好するとかってなって対話が断絶してるような状態って相手が悪魔みたいに見えてくるじゃないですか最悪の場合。
なんかいらん想像をつけちゃいますね自分の中で。
そうそうそうそう。
結局それがまさにこの作品の裏側のテーマであるアイルランドの内戦の話があると思うんですけど、結局それの大きくなったのが戦争じゃないですか。
大石さん。
大石さんが優しい口調でなんか追い詰めてくる感じがする。
いやまあ本当大石さんが多分これから言おうとすることがなんとなく分かるような分からないようなって感じはしてるんですけど。
そうだな。
とにかく内戦と高川おじさんの喧嘩を重ねてるあたり本当に意地悪だなと思っているんですけど。
そうなんですよ。
でもなんかその結局そういう相手が悪魔的に見えてしまうような状態なんだけど、でもある一面をとってみたらそうかもしれないけど、でも彼の中に別の一面もあってその一面だったら対話ができるかもしれないよって。
それが多分きっと戦争とか起こってる間からでも同じように言えるんじゃないのっていうふうなことを感じるから多分僕はこの監督の作品に温もりというか可能性みたいなものをいつも感じるなって思ってるんですよ。
なるほど。
ちょっと角度違いますけど、私も戦争が起こることがなんていうのかな、偉い人が起こしてるんじゃなくて、自分っていう人間が自分っていう人間だから戦争が回り回って起こるんだろうなって思うことがあって、
本当にこのさっき言った話なんですけど、自分の中に人を憎んだりネタんだりする感情があるっていう事実が、戦争が起こるっていう理由の一つの証明であるってすごい思うことがあって。
だから自分が自分である以上、この世の中の不幸が終わらないんじゃないかっていうふうに思ってすごい怖くなることがあるんですけど、すごいその話、自分が思ってたことと今の話が重なるなと思って。
でもそこに対話の可能性もあるっていうのは、自分自身に優しさが存在しているってことは、そこの希望もあるっていうふうにも捉えられるんだなって思うと、最後の最後ちょっとだけ救われた感じにはなります。
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なるほどな。なんかあんまり僕ちょっとこの映画に優しいぬくもりを感じてたかなっていうのを漠然とあんまり感じてなかったような気がしてたんですけど、でも今言われて確かにそういう一面はすごくあるなと思ったし。
あとやっぱりどうしても、前作のスリービルボードと今回のイニシエリン島って結構似てるなって言ってる人、大井さんみたいに言ってる人もいるんですけど、僕あんまり似てなくね?みたいな気持ちにもちょっと思ったりとかもしてたので、似てる人ってどういうふうに見てるのかなって思ってて、あ、そういうことかってすごく僕は納得したんですけど。
でなんか僕今回そのあんまり似てないというか、最初にちょっとあんまり前作の衝撃は超えなかったかなみたいなことを言ったと思うんですけど、そのなんというか、自分の中で何がこれなんかびっくりするなことが起きてるんだなっていうふうに思えてたかなっていう話にちょっと個人的な中で繋がるなって思ったんですよね。
イニシエリン島の場合は元から友達だった人が喧嘩して、けどやっぱり友達、その関係はなんだかんだ続く、ボロボロですけどみたいなのって、まああるかなってちょっと思ったんですよね。で一方のそのスリービルボードって本当になんか仲が悪いというかまた価値観も合わないような人が最後手を取り合って終わるじゃないですか。ある意味。
なんかそこの方が僕はなんかそんなミラクルが起こるんだみたいな驚きみたいなのをすごく僕は感じてたんだなっていうふうにちょっと後で気づいて、だからなんかイニシエリン島にはちょっとあまりその衝撃というのを感じなかったのかなって思ってたんですけど、まあでも結局まあ喧嘩して結局なんだかんだお互いこうまあ団結というか繋がりがあるよっていう点ではまあ確かに一緒だよなっていうのは改めて今回聞いて思いましたね。
ちなみにそのなんていうかさっきも依存に絡めて対話の可能性みたいなものをちょっと自分の中で一個だけ整理したことがあって、そのドミニクは結局それができなかったし、シボンは島を離れるっていう選択をしたんだけど、ホルムとパドリックはじゃあなんで対話まで行けたのかっていうことを考えると多分僕その過程に2人ともそばに動物がいたっていうのは大事なんだろうなって思ってるんですよ。
いや確かになんか今回動物も結構なキーワードというか、カタクナに動物にだけは優しかったですね。
そうですね。
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多分その僕らがさっき言ってた何かに依存するっていうものでペットを飼うみたいなのもある種の依存だと思ってるんですよ。
っていうかケアをする対象を持つことでこっちがそのケアされている感覚になっていくみたいな現象って結構ケアの現場ではよくあるよねっていう風に話されてて。
動物ってまさに僕らはケアしないと生きていけないじゃないですか。特にペットはそうじゃないですか。
なので彼らがそれを常に傍らに持っていて、人間関係が最悪断絶してもそこに最低限支えがあったっていうのが、多分彼らだけが対話家になった一個の理由というかきっかけなんだろうなって思いながらちょっと映画を見てたんですね。
確かにそういう動物を思いやるみたいなのが最後の最後で聞いてきたみたいな話に確かに最後見えますよね。ロバを図らずも死なせてしまったみたいなあたりの。
めっちゃショック受けてましたもんね。
僕やってしまったなーみたいな。ホルムのやってしまった感の表情がすごかったですよ本当に。
ロバ診断みたいになってましたもんね。俺の指のせいで。
そうそうそうそう。まさか。
ロバもアホやなって。肉食ちゃうやろって思いますよね。
ニンジン見えたのかなっていう。
ロバーってなるじゃないですか。誰かが本当に感想か何かで、夫婦喧嘩は犬も食わないってあるけどこれみたいだなみたいな。
喧嘩はロバも指食わねえよみたいなこと言ってる。本当だよなって思ったんですけど。
どうしよう調べてアイルランドにそんな格言があったら。
本当にあるかもね。
そう考えたら依存をするっていうことは相手に依存をされたいっていうことなのかもしれないですよね。
自分に依存してくれる対象を求めているっていうか。
承認欲求みたいなものですよねそういうの。
自分の中で承認欲求がどんなものかっていうのを辞書に調べて書いてる言葉じゃなくて、
自分の中でこれぞ承認欲求っていうのが実はあんまりピンと来てなくて。
なんかわかんないですけど、言葉のイメージ的に不特定多数にみたいな。
不特定多数とかってワードが入ってくるんですねそこだと。
いやわかんないですわかんないです。そういうイメージがよくあるじゃないですか。
SNSとかで承認欲求未多数みたいな。
よく最近言われるじゃないですか。
あんまり不特定多数っていうイメージは僕の中ではなかったですけど、
誰か一人にちょっと認めてもらうじゃないですけど、
自分という存在を認知してもらえるみたいなところが、
承認欲求って使い方を僕はしてましたけど。
それが私もちょっと使い方が、
なんか質が全然違うじゃないですか。
多くの人に表面的に認められたい感情と、
一人の人に深く認めて欲しい感情って、
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なんか質が全然違うと思うから、
それに両方承認欲求って言葉を両方に使っていいのかが、
私の中ではよくまだわかってなくて。
なるほど。
あんまりそのだから、そう、それがあんまり、
使い方がね、迷ってるとこがあるんですよ、最近。
なんか承認、個人だったら承認以上のものがありそうな、
なんていうか、感じますよね。
うん、確かに。
そこにいるよね、以上の何か、
必要とされてる感というか。
確かに個人感だと、
途端にその、それを表現する言葉って、
なかなか見つからないというか。
なんかまた違うんじゃないですか。
うん。
そういうのはね、
なかなか見つからないというか。
なんかまた違うものになりそうですね。
確かにそうですね。
なんか恋人に対する承認欲求って、
なんか言わない感じがするじゃないですか。
あー、そっか。
いや、わからんけど。
言われてみたらそうかもな。
確かに。
個人との、個人感の間でこう、
なんか認めてもらうじゃないですけど、
こう、なんかこう、
依存し合うというか、
なんかその、言葉が難しいですけど。
確かにそういう感覚って、
恋人に対する承認欲求みたいな時もあるし、
友達?友達ともちょっとな、みたいな。
なんか友達を超えた何かみたいなのもあるし、
みたいな、難しい。
愛って言うとちょっと言葉が強すぎる気もしちゃいますしね。
そう。
そうなんですよ。
確かに。
なんか依存までもいかないものもあると思うんですよ。
うんうん、ありますあります。
例えば、めっちゃ例えばなんですけど、
私マンションの、住んでるマンションの、
まあ敷地の隅っこで、
いつもおじいちゃんがタバコ吸ってるんですよ、朝。
うん。
そのおじいちゃんに毎朝挨拶して、
めちゃめちゃ不愛想な感じだけど、
絶対挨拶返してくれるんですよ。
うんうん。
で、毎日毎日挨拶してて、
たまにいない日があったりすると、
なんかやっぱ心配まではいかないんですけど、
あれ今日いないなとか。
まあ気になりますよね。
多分、いや分かんないけど、
向こうも私がいつもより違う時間に家を出たりして、
会わなかった時とかに、
なんかそんな風に思ってるかもしれないじゃないですか。
うんうん。
なんかそういう、全然話変わってきた気もするんですけど、
そういうなんかこう、
なんていうんだろうな、
自分の世界の中で確実に存在してる人間、
うんうん。
なんか関係性に対して名前とか深さはないんだけど、
そういう人間が、
なんか意外と大事で、
うんうん。
例えば、ある日、
そのおじいちゃんが挨拶返してくれたくなったら、
結構なショックを私は受けると思うんですよ。
うんうんうん。
あの、コリーンファレルみたいになってしまうかもしれない。
なんで?って。
なんでしてくれないの?
挨拶返してくれたやんって。
なんかあったんみたいな。
逆にしつこくこっちから挨拶しに行っちゃうみたいな。
そうそうそうそう。
そしたら同じようにこじれていく可能性がありますよね。
そうそう。
そうなる可能性がある。
実はそんな感じなのかもしれないですね。
うんうんうん。
42:01
なんか意外とこう人と人って、
意識しないとこでも、
ちょっとした関係をちょっとずつ結んでたりするから、
うんうん。
それが急になくなった時に、
動揺はちょっとしちゃうかもしれない。
で、もう名前もつかないようなものも含めて、
やっぱ人間ってたくさんあって、
やっぱそれを言葉にできないけど、
いやそういうのあるよねって言ってくれてるっていうのが、
やっぱり映画だったりとか、
それが詩だったりとか、
そういうものになったりするのかもしれないですけどね。
うん。
言葉にならないものをなんか表現するって、
そういうことだなーっていうのは、
ちょっと改めて思うんですけど。
うんうんうん。
なんかすごい悲しいなってきちゃう。
笑
多分前田さんが言ってたことって、
それこそ、なんていうか、
いることを許すじゃないですけど、
うんうんうん。
大石さんの言葉って一時沁みてきますよね。
笑
いや、僕もだいたいその、
ぞやさんとかから、あと本とかから言葉が
入ってきてるだけなんで、
自分で生んだ言葉って全然ないんですけど、
いや、それを引き出せるのがいいんだよ。
そう。
いや、本当に大石さんと話してると、
何だろう、大石さんが生きてる中で吸収してきたものに
触れてるって感じがすごいするんですよ。
笑
いや、本当に、
記憶のメモリーが本当に3メガぐらいしかないんで、
笑
1個入れたら1個なくなっちゃうから、
笑
ロケットインプツみたいに。
そうなんですよ。だから、本当に話してて、
すごい深みというか、
引き出し?
引き出しめっちゃいっぱいあるじゃんって思う。
ちっちゃい引き出しいっぱいある。
確かに、ちっちゃいのがたくさん。
いっぱいそういうのあるなとは、
僕も本当に大石さんを見てて思うんですよね、
本当に。
そこそこ、多分これ自分のラジオの方でも
ちょっと話したんですけど、
20代の初めぐらいに若干心病んだことがあって、
心病んでから結果的には自然回復しちゃったんですけど、
割と20代ここまで生きてきて、
何であの時病んだのかっていうのと、
何であの時回復できたのかっていうことを、
割とそこの答え求め続けてる感じがあるんですよ。
なので、割とそのケアとか、
そういうセラピーとか精神みたいなものの本とか、
ちょっとあったら読んでみたりとか、
そういう映画を見てみたりするんですけど、
割とそのマーティン・マクドナルド監督の映画は、
自分が感じたそれに近い感覚があるというか、
特に病んでる時の気持ちを主人公たちに
結構かぶせられるなって思って見てるんですよ。
その病んでる時の気持ちを自分なりに言葉にするのは、
よるべなさだな。
助けてとも言えない状態というか。
めっちゃ言葉のチョイスがいいですね。
いいです。
なので、そういう意味で僕は多分、
勝手にセラピーされてるんだと思います。
この監督の映画に。
なるほどね。
なるほどな。
さっきおっしゃってた、そこにいることを許すっていうのが、
すごい逆に言ったら、
45:02
それは許されないって感じてる人もいるわけじゃないですか。
それを考えたらなんて悲しいことなんだって、
今ちょっと想像したけども。
何か今作におけるドミニクだったりするのかな、
みたいなことになるわけじゃないですか。
やっぱり。
いや待って、これはクライシス起こるよ。
そう、本当にこれ、クライシス起こるなっていう。
なんかすごい、そんなにえぐってくる話とは思ってなかったんですよ。
本当。
いや本当、見た時はなんか、面白かったけど何だろう?
みたいな気持ちだったのに、
今こうやって話してみて、めちゃくちゃグサグサ来るじゃないですか。
みたいな。
喋ったり考えたりしたら、
あ、これヤバいかもしれないな、みたいな。
いや、本当にこのラジオ収録前の私はロバで、
このラジオで指を食べたロバになったみたいな。
本当ね、今回ぐっとこう、
なんか自分の中でもこの映画の解想度が本当に上がったな、
というふうに思いました、本当に。
今日大石さん呼んで本当に良かったな、本当に。
なんかちょっとまだまとめに入ってる感じありますけど、
全然喋れるな、みたいな。
本当にそう。
今日の我々の一番の功績は大石さんを呼んだことですよね。
本当そうだと思います、本当に。
いやー、そんなに恐縮です。
いやー、僕ら二人ではヨルベナさは出ないですよ、本当にっていうね。
ヨルベナさ出ない。
出ないな。
絶対出ない。
ずっとロバの話して終わった気がする。
なんかロバがいい演技するよねしか話しかしなかったんですよ。
そこも言いたかったんですけど、
いやロバの演技地味に良くないですか?
なんかスッて出ていくとか。
めちゃくちゃ良かったですよ。
動物全員賢すぎ犬とか。
そう、動物たちの演技がめちゃくちゃ良いんですけど、
そういう話とかしますよね。
ワンちゃんはそういうね、動物のアクターみたいないるのは知ってたんですけど、
ロバともいるの?みたいな。
ロバも取り揃えて貼るんですか?みたいな思いました。
あんなそんな絶妙な動きするロバいる?みたいな。
テーブルをちょこちょこ舐めるシーンとか好きなんですよね。
確かに可愛かった。
可愛い。
あれはいいキャラですね、本当に。
なんかマリオンさんが指を食べるシーンに何か言いたいことあるとおっしゃってませんでしたか?
指を食べるシーンじゃなくて、コルムが指を。
ロバに引っ張られすぎてた。
ちょっとロバじゃなくてコルムの話に戻っちゃうんですけど。
指を切るシーン。
ちょっと最初にも言ったと思うんですけど、意味不明だなってなるじゃないですか。
音楽やりたい奴が指切るなんて意味わかんないなっていう。
なんとなく思ったんですけど、もしかして、
悪魔に魂を売って芸術的な才能を得るみたいな話あるじゃないですか。
あと、ものすごい常人には理解できないような
努力や執念がある人が素晴らしい芸術を作るみたいな。
48:02
そういう理想ってあるじゃないですか。
あれをやろうとしてたんじゃねえかな、コルムなりにって思ったんですよ。
指を切ることでそこから生まれる音楽がめちゃくちゃ最高の芸術、
もう歴史に残る芸術になるんじゃないかみたいな感覚があったんですよ。
あったんじゃないかみたいな感覚があったんじゃない?ってちょっと考えてみたんですけど、
そんな考えてないか。
でもわかるんですけど、セルフさんのゴッホの耳添いちゃう話とかもありますしね。
そういうちょっとこう、やっぱ他と違う人になりたいというか、
違う人であるみたいなのをするっていう意味で
指を切るみたいなことをやるに至ったのではないかみたいな気持ちがちょっとあって、
でもそれってただの憧れでしかないなみたいな。
憧れとかその理想をだいぶ間違ってないみたいなところ含めて
この人こじらせてるなというか、ちょっと迷走してるなみたいなのが
余計にその時に感じたっていうのはちょっと話そうかなと思ってたんですけど、
すいませんね、なんか結構脈絡のないぶっ込み方でしたけどね。
さっき自分でゴッホにそれを重ねましたけど、
それもゴッホも当時結構鬱病だったとかって言われてるから、
やっぱちょっとこじらせてるというよりも若干そういう病と考えてもいいのかなとも
自分もあのシーン思ってて。
ただ若干おかしみがあるのは、指切れてだらだら血流れてって
周り何人か演奏仲間いるじゃないですか、音大生の。
彼らそこには何も突っ込まないのかよってところは、
おかしいなと思って見てました。
あれ面白かったですよね。
本当にちょっとあまりにも指を切るのが意味がわかんなすぎるというか、
なんでなんでみたいな。
確かに本当に切るシーンが出てくるとは思わなかったですよね。
しかも全部。
まさか本当に切る奴がいるかみたいな、本当に切りやがったみたいになっちゃったので、
ちょっとあそこで面食らうというか、面食らってしまう分なんだろうこれみたいな。
だから余計にあの行動の意味とかを考えてみたくなってしまったんですけど、
それに考えた結果がそういう風に至ったって感じですかね。
その解釈もめちゃくちゃわかるなと思います。
でもやっぱうつ病みたいなものなんですよね、コルムって。
そんな気が僕しちゃうんですよね、彼見てると。
確かに心配してましたもんね、実際映画の中でパードリックとかも。
確かに心配するよなっていう気がするというか、
やっぱり最初の方にもちょっと話出ましたけど、
距離取るにしてもやり方があるだろうみたいな、あるじゃないですか。
それができないあたりに、やっぱり本当にコルムにとってこの時間が今、
自分の中で時間は有限であるという感覚っていうのがすごく大きなものになってるっていうことが、
彼にとってすごく大きなことなんだなっていうことですよね。
51:01
そういう気持ちがわからないじゃない、わかるけどあそこまで借り立ててしまうのかっていうのは、
ちょっとそこまでは僕は至らないけど、そういう感覚も否定はできないし、
何とも言えないなっていう気持ちになるというか。
確かになんか私結構冒頭で話したみたいに、
一つの関係性って一方的に終わらせることが可能なものだって思ってたんですよ。
なんかちょっと言い方がすごく語弊を招くかもしれないんですけど、
終わらせることができるというよりも、片方の気持ちが離れた時点で、
それってもう片方がどんだけ縋っても成立しないじゃないですか。
だからもうそこで仕方がないって思うしかなくないかって思ってたんですよ。
でも本作の話をこうやってずっとしてると、
なんかすごい当たり前のことを言っちゃうんですけど、
人と人ってそんなに単純じゃないようになって、
自分で改めてちょっと思っちゃって、
なんか何歳やねんって感じなんですけど、
人についてちょっと学んだなって思いました。
それは別に何歳になってもそれは思うことじゃないですか。
あと映画ってやっぱそこら辺を教えて、時には教えてくれるものだなと僕も思いますし、
何歳になっても全然知らない世界の全然知らない人たちが、
似たような感情だったり、あるいは知らない感情だったりを持ってるっていうのを教えてくれるから、
やっぱそれが癒やしいみたいになるなと思ってたので。
確かに。
自分が共感できないことに対しての想像がやっぱりすごい足りてなくて、
私がよく言われますけど、自分がされて嫌なことは人にしちゃいけないよっていう、
それはすごいわかるんですけど、
でも自分が嫌じゃないことに対して、人に対してすごい鈍感。
自分が耐えられる痛みを人に対してもすごい鈍感になっちゃうっていう福祉がすごい自分にあるので、
そこの想像力を補っていくために映画とかを見た後に話したりすると、
すごいそこがね、私映画の話して一番そこが自分とってのプラスになってるんじゃないかなって思う時があって、
それぐらい想像力が足りないです。
映画見ると想像力が本当に豊かになるというか、誰かに優しくなれるなというのは本当に思います。
確かにな。
それこそ、どんな世界でも辛いんだなって思えることで救われる部分とかもあると思うんですよ。
そうね。
今の自分の選択が間違えたっていうことだけだとやっぱ結構しんどいじゃないですか、人生。
だけど、どんな選択をしてもどんな世界にいてもしんどさはあるんだなって思うのって割と僕は救いだなって思ってて。
54:02
結構映画っていろんな面ありますけど、そういうのを提供してくれる映画が僕はすごく好きなので、
逆に底抜けに明るいと、僕その世界にいないですってなっちゃうんで。
なのでそういうのを味わえるのも僕は映画の良さだなって思っていつも見てます。
そう、でもそれをブリーチしてくれる人が今日いてよかったなって。
本当に私ね、ここの場で話してなかったら本当にロバ可愛かったなってぐらいしか感想がなかったかもしれない。
僕ら二人では話が広がらないですよね、本当に。
自分が自分の中にある考え方とこの映画をブリーチしてくれる人っていうのが私にとってはすごい大事で。
この映画というか、どの作品でもそうなんですけど。
私はそのブリーチができないんですよ、本当はアホなんで。
箸かけてくれたら自分の中にもなんかあったわとか思うんですけど、
その箸をかけてくれる人がいつもマリオンさんだったり山口さんだったりするんですけど、
今回はね、マリオンさんと二人でちょっとこれは珍しく。
同箸かけようっていう。
珍しく二人ともこういうとこだけ気が合うよねみたいな。
確かに確かに。
映画の趣味合わないのにこういう時だけ。
こういう時だけ気が合うっていうね、そうなんですよね。
結構序盤から静かな映画だったなーっていうのはこう思って、
多分これちゃんと喋れる気がしないなって冒頭見た瞬間に思ってたんですけど、
今回ね、ちゃんと喋れるか不安になってきたって思っちゃったんですけど。
でもなんだかんだ喋れたんじゃないですか?やっぱり。
そうですね。
それも大石さんのおかげもあると思うし。
多分この映画の、いや私あの普段他の考察とかあんまり読んだり聞いたりしないんですけど、
この映画の考察をする人が話さない外のところを話せた気がします。
本当に。
多分なんか本当はもっと聖霊?晩死。
晩死があのおばあさんなのか、なんか私ちょっと妹さん?
なんかのおばあさんが二人死ぬって言ったじゃないですか。
二人死ぬっていうか命がどういう言い方かちょっと忘れちゃったんですけど、
結果的にロバとバリー高岩だったわけじゃないですか。
ドミニク?
あの二人ってどっちも妹がちょっと距離を取った。
ロバのことも家に入れないでよとか言って。
ドミニクのこともちょっと苦手っていうか。
まあそうですね。
こんなやつ家止めんなよみたいになっちゃってたり。
なんかその関係性も深堀さんなんかいろいろあんのかなとか思ったりもしたんですけど、
ちょっとその辺がわからない。監督はどこまで何を設定して、
このタイトルも含むその晩死っていうものを何でもってきたのかなとか。
57:03
確かに。
なんかその今日話した内容みたいなのが主題としたら、
あんまりそれってそこまで関係ないとも言えるじゃないですか。
そうですね。
それを入れたのが遊び心なのか、なんかもっと深い意味があったのかとか、
ちょっとだけ気になるところではあったんですけど。
確かにそうですよね。
全くなんかこの辺のアイルランドの伝承とかって全然知らないで見てましたけどね。
確かにそういう意味なんだみたいなのはなんとなくわかりましたけど、
だから何なのこの映画においてそれはみたいなのは正直あるんですけど。
タイトルになってるのに。
そうそう。
このタイトルの曲を作りますしね、コルムはね。
そうですね。
結局何やったんかなっていうのは何だったんだろう。
ちょっと僕たちでは分からない。
謎々のような。
そこをちゃんと解説できる人がもしかしたらいるのかもしれないですけど、
僕たちはできないかな。
僕もそこら辺は結局あんまり、
モチーフとかアイルランド内戦のメタファーなんだろうなぐらいにしかたぶん語られてなかったので。
そうそう、それぐらいしかね。
確かにその辺の背景ももっとちゃんと知ってたら、
なんか違ったものが浮かび上がってくるかもしれないですよね。
だと思います。
あらかた話を終えた感じでしょうか、皆様。
なんか話したいことまだありましたら全然。
大丈夫ですよ。
こんなに喋れたのは奇跡。
本当に来ていただいて本当に助かりましたね、本当に。
こちらこそなんか喋らせていただいてありがとうございました、本当に。
何気に大平さんとここまでがっつり映画の一つのテーマで話、大平さんに限らずですけどあんまりないですもんね。
そうですね、結構映画バラード本当に次々と作品上げていっちゃうし、
あと見てない方もいらっしゃるからなかなか深く入ることってないですけど。
そうなんです、あと意外と映画バーで話せないっていうね。
そうなんですよね。
皆さん忙しいから。
常連さんになればなるほどちょっと逆にその場をお任せしちゃうことが多かったりするじゃないですか、やっぱり。
新しいお客さんにちょっと慣れてもらいたいっていうのに店長そういうのに力を入れたりとかしてたりするので、
なかなか確かに映画バーの期間中喋れなかったりとか結構ザラにありますよね。
ありますね、なのでもしかしたら他の常連さんをこんな感じで呼んでもらえたらもうちょっとこう別の角度が生まれるかもしれないですとかってなんかすいませんなんか偉そうに提案みたいにしちゃいましたけど。
いやいやいやいやいや確かにそう。
でもね結構なんて言うんですかね、大石さんとは映画バーをきっかけに映画バー以外でも結構仲良くさせていただいてるので、このメンバーは。
そうですね。
それもあってこう話の距離感ってのは私の中ではすごい話しやすかったんですけど。
いや良かったです。
1:00:00
いや本当お二人の視点とかがすごく素晴らしいので本当にみんなすごいなと思いながら、本当に僕は優しいだけの人だなみたいなファードリックみたいなことを言いながら。
原島ゆうの。
話を聞いていましたけどね僕は。
逆に大石さんのラジオではどうやってテーマを毎回決めてるんですか。
あーでも結構二人が共通で話せるよねっていうものに結構合わせてテーマとしてやってて。
だから割と映画とか作品に焦点を当てたりとかってこともありますけど、もうちょっと広いテーマ。
例えば変わるものと変わらないものって人生過ごしたりあるよねみたいなそういうふわっとしたテーマだったりとか。
本当にざっくばらんにそういうことを一個柱として置いて雑談するっていう感じですね。
なかなかすごい広いじゃないですか。
私たちだと映画って絞ってて、この後どの映画テーマにしましょうかみたいな話になるんですけど、それが無限にあるじゃないですか。
ジャンルが限られてないと。
それはもうどちらともなく次この話しないみたいな感じなのですか。
割とそれを浮かべるのが大変だったんで、うちのラジオではたまに入ってもらってる作家さんを一人置いていて、その作家さんに基本的にはテーマをその作家さんにお任せすると。
面白そう、お題。
お題を振ってもらう人みたいな。
なるほどな。
大石さんのポッドキャストの、僕たちもたまによく聞いてるんですけど、
ありがとうございます。
どうやって作ってるのみたいな話を聞いたときに、めちゃくちゃカッチリ作ってるんですよね。
台本とか一応。
台本決めたりとか、作家さんがいたりとか、僕らないじゃないですか。
本当に出たとこ勝負。
本当に喋りの内容にムラがあって当然みたいな感じでこれをずっとやってきて、わからないけどよく聞かれてますけどなぜか。
確かにね、ちょっと不安になります。最初の方って探り探りやったり、エンジンが全然かかってなかったりするから、自分でも何言ってるか分かんないとみたいな時とかあるんですけど。
僕毎回喋りながらそう思ってますし。
確かに作家さんをつけるっていうのは面白そうでもありますね。ただなんか、うちでそれをやるとなったら全部山口さんがやらなかった。
そうなんですよね。
山口さんの負担が爆増。
いかに我々が山口さんに依存しているかっていう。
そうなんですよね。このラジオを聞いてる方がどこまでそれを知ってるかは分からないんですけど。
9割ぐらい山口さんの力でこのラジオは。
やってます。
動いていますので。
こういうまた山口さんが不足の事態でいないという可能性もまたね、ある可能性は全然あるので、もしかしたらね、その場合はまた大石さんを召喚するっていう。
1:03:02
そうですよ。
オンラインだったらいつでも会えますもんね。
そうですね。オンラインであれば。
距離がね。
なので、必要であれば私こと阪神を呼んでいただければ。
死をもたらすんだけどな、阪神。
それはいいのかって。
この中で2人死にますとか言って。
3分の2?
この中で死ぬ2人って決まってるじゃねーかみたいな。
3分の2ですか?って。
えーってなる。
余計をもたらして帰ります。
余計をもたらして帰りますので。
じゃあ、なんかオチがついたところで、この辺でじゃあ、インシュリントンの精霊についての話は終わっておきましょうかね。
途中は最後全然関係ない話してたような気がしますけど、まあこれは山口さんがきれいにまとめてくれることでしょう。
編集よろしくお願いします。
お願いしますね。
それではお知らせになります。
2月も映画の話したすぎるバーの開催を予定しています。
まだちょっと日時の方は決まってないんですけども、また決まりましたら番組のツイッターですとかで告知はしていきたいなと思いますので。
またもちろんポッドキャスト内でもお知らせしていきますので、ぜひちょっと情報の方は気長にお待ちいただけたらなというふうに思います。
また次回バー開催情報とかポッドキャストの次回テーマ作品の告知も含めてツイッターのアカウントの方もフォローとかお願いいたします。
あとこの番組のイメージキャラクターの映画の話したすぎる猫かっこ狩りをあしらったグッズ販売もしていますので、よろしければご購入くださいませ。
お便り受付先、ツイッターアカウント、グッズ販売サイトいずれも番組説明文に記載しております。
はい、というわけで改めて大石さん今日はありがとうございました。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
またぜひ機会がありましたらゲストの方に出ていただけたらなと思いますのでよろしくお願いします。
ぜひお声がかかればいつでも。
はい、それでは映画の話したすぎるラジオ第101回西林灯の精霊の回を終わりたいと思います。
それではまたお会いしましょう。さよなら。
さよなら。