その人たちにまずはこの場所、今提供しているケアの場所に依存してもらって、そこからいろんな人たちに関係性を持っていく。
だから依存ってイコール人間関係だ、あるいはその場所との関係だっていう風に彼は言っていて。
そういう風に言葉を使うんだってめちゃくちゃ面白いなと思ったんですけど。
逆に言うと普通の社会で生きている僕だって知らず知らずの間に多分いろんな人とかいろんなものに依存している状態なんですよね。
知ってる。
そうですね。もう依存してますよ、そりゃ。
だから友人とか家族とか、僕らでいうと映画もそうだと思いますけど。
その視点で実はこの映画結構僕見てて。
なるほど。
なんでヨルペナサって多分その依存の少なさだなって思ってたんですね。
なんで彼らをその視点で見るとすごいなんか悲哀みたいなものが見えるなと思って。
例えばさっきドミニクが話の流れ上自死だろうっていう話をされたと思うんですけど、僕も多分彼は自殺だろうなって思ってるのは、
彼の多分依存先って本当にパードリックとシボンしかいなかったと思うんですよ。
急に悲しくなってきた。
だってあの酒場で彼がその飲み屋さんでワーって行った時に本当にみんななんか嫌な顔をするんですよね。
だからドミニクにとって多分島の人間って敵なんですよ。
唯一の味方が多分パードリック、優しいパードリックでありシボンだったと。
でも関係の中でパードリックからも絶縁というか自分から半分、半ば自ら絶縁言っちゃいますけど、
切り離されちゃいますし、シボンからもある意味失恋というかフラれてしまうっていうところで、
家族には彼は元々関係性ないので、そこで完全に寄るべというか依存の先を失ったように見えたんですね。
ってなると彼は行く先はそこしかないよねっていう。
いや、なんかその依存っていう言葉の使い方にすごくしっくりきたんですけど、
なんかそれで言うと最終的にパードリックとコルムってそれこそ共依存というか、
依存しあってて、この物語の始まりとして関係性を切ろうとしてこの物語が始まっているんだけど、
結果としてああいう過剰な応酬を繰り返しているうちに、より依存度が強まっているというか、
結構浜辺で二人が立つシーンとかすごいそれを感じるものがあって、
なんかその感じているものが依存だなっていうことには気づかなかったんですけど、
なんかすごいその言葉しっくりくるなと思って。
なんかその悪い意味でっていう、悪い意味じゃなくてっていうこともしっくりきます。
なるほどな。そういう視点。依存っていうことか。なるほどな。
確かに最後の浜辺のシーン、本当にやり尽くした後、お互い燃やし尽くしても、
一応この関係を切り離せないなーみたいな気持ちになるみたいなラストだなーと思ったんですけど、
なんかそれを依存っていうワードで使うとすごく納得するなっていうふうには思いますよね。
だからある意味多分男性人はイニシャリントーっていう場所にもきっと依存をしていて、
そうですね。
だから離れられないんだろうなっていうのもちょっと思ったりして。
確かにな。なんだかんだ。
これって自分たちが作り上げてきた風習とか関係性も含めてだと思うんですね。
なんかそれこそパードリックがおかしくなっていくのって、やっぱり自分の人生が否定されたみたいな気持ちになったからと思うんですね。
単につまらないって言われたっていうことじゃなくて、
自分っていう人間の取り柄が、取り柄である優しいっていうところは全く人にとっては魅力じゃないんじゃないかみたいな。
優しさよりもつまらなさの方が勝っちゃってるやんって思った瞬間に彼はどんどんおかしくなってると思うんですけど。
本当にあそこでパードリックおかしくなってきますけど、
一番この映画で共感できたのは僕そこだったかなって個人的に思ってるんですよね。
僕本当に優しいだけのつまらない男ではないのかっていう気持ちがすごくしてるんですよ。
優しいだけで特に何も考えてないというか、優しいだけだなみたいな気持ちに。
あれはグザッと来るよねっていうのはめちゃくちゃと思って。
全くそんなことないですけどね。
ワリオンさんは面白い人間やなと思いますけど。
あれなんですよ、パードリックでも島の外の人間には割ときついこと言うんですよね。
まあね、そうですけどね。
え、どんなとき?
問題性に嘘ついて。
まあまあ。
あれがバリー・コーガンにとってのひどいことみたいな、優しくなくなったみたいなのもちょっとかわいいなと思っちゃったんですけど。
あれもかわいいですけど。
そこ?って思って。
本当にやっぱりドミニクから見てパードリックって本当にいいやつ。
本当にこいつ優しいやつなんだなって思われてたっていうことが現れてるんですけどね。
あれも一種の悪ぶる行為じゃないですか。
悪ぶり方よと思って。
たかっただけみたいなところがあるじゃないですか。
しっかりそのあと罪悪感から抱いてるんですけどね。
本当にいいやつ。
あの嘘ついたときの何でしたっけ、何の車に轢かれたんでしたっけ?パン屋?
パン屋か、あれパン屋の。
お母さんも轢かれたのにみたいな、なんだこの笑いの入れ方みたいな。
そうなんですよね。
独特やなと思って、監督のこのユーモアのセンスというか。
完全にすごいシュールなコント見せられてるシーンでしたよね、あそこ。
そうなんですよ。
それを引きで見てる我々にとっては全くひどいことをしてるようには見えないんですけど、
それを聞いてバリコンはショックを受けるっていうのも含めて喜劇と思って見てるのに、
そこで彼が死んじゃうっていうのがまたショッキングなんですよね。
あの裏切り方っていうか、観客に対する。
え、あなたがそういうテンションで私たちを転がしてたんじゃないんですか?みたいなところを急にバサッと切って、
いや、現実彼はこうだからみたいなのが、監督こわーって思って。
3Dビーボードでもいきなりある主要キャラクター死ぬとかありますけど、
ネタバレなんて言っていいのかわからないですけど、一応伏せておいておきますけど。
そういうとこ含めてちょっとギョッとするようなことを平気で入れてくる人ですよね、マーティン・マクドナルドという人は。
なんかこっちにその罪悪感を負わせてくるっていうか、
なんやろ、そんなつもりじゃなかったのにみたいな、こっちも。
っていう感じをすごい入れてくるなと思って。
そうですよね。
なんか町山さんがこの映画についてラジオで話されてるの聞いたんですけど、
その時にこの監督がリスペクトしてる監督の一人に北野敬史がいるっていうのをおっしゃってたんですよ。
割とそういう、笑っていいのこれ?みたいなテイストって多分北野映画チックなのかなって勝手に解釈してるんですけど。
なるほど。
確かにね、ちょっとわかる部分あるかも。
ちょっとね、笑っていいのか、困惑するような笑い。
でも人は死んでるしみたいな。
そう、人は死んでるし。
あとこれ英語がちゃんとわかってたらもっと知的な会話実は入れてるっぽそうな感じするというか。
そうなんかな?
なんとなくですよ。
でも頑張ってそれを字幕で多分出してるような気がするというか、
パブでパードリックが他の客からお前ただのいい奴だけやでみたいな遠回しに言われるみたいなシーンとかのやり取りとかって、
頭がいい人じゃないとあんなの考えつかねえような気がするというか、
欧州とかいう感じの含めて。
確かになんかこの島の登場人物はそんなに頭がいい人たちばかりではないような気はするんだけど、
それを作っているマーティン・マクドナルドという人はすごく頭が良さそうっていうのはああいうところから感じた。
なるほど。
あとちょっと思ったのは、さっきのコルムも例えば絶好するぞって言ったのに、なんだかんだパードリックに優しいみたいな。
マーティン・マクドナルド監督の作品って結構一人の人間の中に複数のパーソナリティがあるっていう人間の多面性みたいなものをすごい描いてくれるなって思っていて、
その中の個人の中の葛藤みたいなものもすごく描かれるなって思ってるんですよ。
そういう理想ってあるじゃないですか。
あれをやろうとしてたんじゃねえかな、コルムなりにって思ったんですよ。
指を切ることでそこから生まれる音楽がめちゃくちゃ最高の芸術、
もう歴史に残る芸術になるんじゃないかみたいな感覚があったんですよ。
あったんじゃないかみたいな感覚があったんじゃない?ってちょっと考えてみたんですけど、
そんな考えてないか。
でもわかるんですけど、セルフさんのゴッホの耳添いちゃう話とかもありますしね。
そういうちょっとこう、やっぱ他と違う人になりたいというか、
違う人であるみたいなのをするっていう意味で
指を切るみたいなことをやるに至ったのではないかみたいな気持ちがちょっとあって、
でもそれってただの憧れでしかないなみたいな。
憧れとかその理想をだいぶ間違ってないみたいなところ含めて
この人こじらせてるなというか、ちょっと迷走してるなみたいなのが
余計にその時に感じたっていうのはちょっと話そうかなと思ってたんですけど、
すいませんね、なんか結構脈絡のないぶっ込み方でしたけどね。
さっき自分でゴッホにそれを重ねましたけど、
それもゴッホも当時結構鬱病だったとかって言われてるから、
やっぱちょっとこじらせてるというよりも若干そういう病と考えてもいいのかなとも
自分もあのシーン思ってて。
ただ若干おかしみがあるのは、指切れてだらだら血流れてって
周り何人か演奏仲間いるじゃないですか、音大生の。
彼らそこには何も突っ込まないのかよってところは、
おかしいなと思って見てました。
あれ面白かったですよね。
本当にちょっとあまりにも指を切るのが意味がわかんなすぎるというか、
なんでなんでみたいな。
確かに本当に切るシーンが出てくるとは思わなかったですよね。
しかも全部。
まさか本当に切る奴がいるかみたいな、本当に切りやがったみたいになっちゃったので、
ちょっとあそこで面食らうというか、面食らってしまう分なんだろうこれみたいな。
だから余計にあの行動の意味とかを考えてみたくなってしまったんですけど、
それに考えた結果がそういう風に至ったって感じですかね。
その解釈もめちゃくちゃわかるなと思います。
でもやっぱうつ病みたいなものなんですよね、コルムって。
そんな気が僕しちゃうんですよね、彼見てると。
確かに心配してましたもんね、実際映画の中でパードリックとかも。
確かに心配するよなっていう気がするというか、
やっぱり最初の方にもちょっと話出ましたけど、
距離取るにしてもやり方があるだろうみたいな、あるじゃないですか。
それができないあたりに、やっぱり本当にコルムにとってこの時間が今、
自分の中で時間は有限であるという感覚っていうのがすごく大きなものになってるっていうことが、
彼にとってすごく大きなことなんだなっていうことですよね。
そういう気持ちがわからないじゃない、わかるけどあそこまで借り立ててしまうのかっていうのは、
ちょっとそこまでは僕は至らないけど、そういう感覚も否定はできないし、
何とも言えないなっていう気持ちになるというか。
確かになんか私結構冒頭で話したみたいに、
一つの関係性って一方的に終わらせることが可能なものだって思ってたんですよ。
なんかちょっと言い方がすごく語弊を招くかもしれないんですけど、
終わらせることができるというよりも、片方の気持ちが離れた時点で、
それってもう片方がどんだけ縋っても成立しないじゃないですか。
だからもうそこで仕方がないって思うしかなくないかって思ってたんですよ。
でも本作の話をこうやってずっとしてると、
なんかすごい当たり前のことを言っちゃうんですけど、
人と人ってそんなに単純じゃないようになって、
自分で改めてちょっと思っちゃって、
なんか何歳やねんって感じなんですけど、
人についてちょっと学んだなって思いました。
それは別に何歳になってもそれは思うことじゃないですか。
あと映画ってやっぱそこら辺を教えて、時には教えてくれるものだなと僕も思いますし、
何歳になっても全然知らない世界の全然知らない人たちが、
似たような感情だったり、あるいは知らない感情だったりを持ってるっていうのを教えてくれるから、
やっぱそれが癒やしいみたいになるなと思ってたので。
確かに。
自分が共感できないことに対しての想像がやっぱりすごい足りてなくて、
私がよく言われますけど、自分がされて嫌なことは人にしちゃいけないよっていう、
それはすごいわかるんですけど、
でも自分が嫌じゃないことに対して、人に対してすごい鈍感。
自分が耐えられる痛みを人に対してもすごい鈍感になっちゃうっていう福祉がすごい自分にあるので、
そこの想像力を補っていくために映画とかを見た後に話したりすると、
すごいそこがね、私映画の話して一番そこが自分とってのプラスになってるんじゃないかなって思う時があって、
それぐらい想像力が足りないです。
映画見ると想像力が本当に豊かになるというか、誰かに優しくなれるなというのは本当に思います。
確かにな。
それこそ、どんな世界でも辛いんだなって思えることで救われる部分とかもあると思うんですよ。
そうね。
今の自分の選択が間違えたっていうことだけだとやっぱ結構しんどいじゃないですか、人生。
だけど、どんな選択をしてもどんな世界にいてもしんどさはあるんだなって思うのって割と僕は救いだなって思ってて。
結構映画っていろんな面ありますけど、そういうのを提供してくれる映画が僕はすごく好きなので、
逆に底抜けに明るいと、僕その世界にいないですってなっちゃうんで。
なのでそういうのを味わえるのも僕は映画の良さだなって思っていつも見てます。
そう、でもそれをブリーチしてくれる人が今日いてよかったなって。
本当に私ね、ここの場で話してなかったら本当にロバ可愛かったなってぐらいしか感想がなかったかもしれない。
僕ら二人では話が広がらないですよね、本当に。
自分が自分の中にある考え方とこの映画をブリーチしてくれる人っていうのが私にとってはすごい大事で。
この映画というか、どの作品でもそうなんですけど。
私はそのブリーチができないんですよ、本当はアホなんで。
箸かけてくれたら自分の中にもなんかあったわとか思うんですけど、
その箸をかけてくれる人がいつもマリオンさんだったり山口さんだったりするんですけど、
今回はね、マリオンさんと二人でちょっとこれは珍しく。
同箸かけようっていう。
珍しく二人ともこういうとこだけ気が合うよねみたいな。
確かに確かに。
映画の趣味合わないのにこういう時だけ。
こういう時だけ気が合うっていうね、そうなんですよね。
結構序盤から静かな映画だったなーっていうのはこう思って、
多分これちゃんと喋れる気がしないなって冒頭見た瞬間に思ってたんですけど、
今回ね、ちゃんと喋れるか不安になってきたって思っちゃったんですけど。
でもなんだかんだ喋れたんじゃないですか?やっぱり。
そうですね。
それも大石さんのおかげもあると思うし。
多分この映画の、いや私あの普段他の考察とかあんまり読んだり聞いたりしないんですけど、
この映画の考察をする人が話さない外のところを話せた気がします。
本当に。
多分なんか本当はもっと聖霊?晩死。
晩死があのおばあさんなのか、なんか私ちょっと妹さん?
なんかのおばあさんが二人死ぬって言ったじゃないですか。
二人死ぬっていうか命がどういう言い方かちょっと忘れちゃったんですけど、
結果的にロバとバリー高岩だったわけじゃないですか。
ドミニク?
あの二人ってどっちも妹がちょっと距離を取った。
ロバのことも家に入れないでよとか言って。
ドミニクのこともちょっと苦手っていうか。
まあそうですね。
こんなやつ家止めんなよみたいになっちゃってたり。
なんかその関係性も深堀さんなんかいろいろあんのかなとか思ったりもしたんですけど、
ちょっとその辺がわからない。監督はどこまで何を設定して、
このタイトルも含むその晩死っていうものを何でもってきたのかなとか。
確かに。
なんかその今日話した内容みたいなのが主題としたら、
あんまりそれってそこまで関係ないとも言えるじゃないですか。
そうですね。
それを入れたのが遊び心なのか、なんかもっと深い意味があったのかとか、
ちょっとだけ気になるところではあったんですけど。
確かにそうですよね。
全くなんかこの辺のアイルランドの伝承とかって全然知らないで見てましたけどね。
確かにそういう意味なんだみたいなのはなんとなくわかりましたけど、
だから何なのこの映画においてそれはみたいなのは正直あるんですけど。
タイトルになってるのに。
そうそう。
このタイトルの曲を作りますしね、コルムはね。
そうですね。
結局何やったんかなっていうのは何だったんだろう。
ちょっと僕たちでは分からない。
謎々のような。
そこをちゃんと解説できる人がもしかしたらいるのかもしれないですけど、
僕たちはできないかな。
僕もそこら辺は結局あんまり、
モチーフとかアイルランド内戦のメタファーなんだろうなぐらいにしかたぶん語られてなかったので。
そうそう、それぐらいしかね。
確かにその辺の背景ももっとちゃんと知ってたら、
なんか違ったものが浮かび上がってくるかもしれないですよね。
だと思います。
あらかた話を終えた感じでしょうか、皆様。
なんか話したいことまだありましたら全然。
大丈夫ですよ。
こんなに喋れたのは奇跡。
本当に来ていただいて本当に助かりましたね、本当に。
こちらこそなんか喋らせていただいてありがとうございました、本当に。
何気に大平さんとここまでがっつり映画の一つのテーマで話、大平さんに限らずですけどあんまりないですもんね。
そうですね、結構映画バラード本当に次々と作品上げていっちゃうし、
あと見てない方もいらっしゃるからなかなか深く入ることってないですけど。
そうなんです、あと意外と映画バーで話せないっていうね。
そうなんですよね。
皆さん忙しいから。
常連さんになればなるほどちょっと逆にその場をお任せしちゃうことが多かったりするじゃないですか、やっぱり。
新しいお客さんにちょっと慣れてもらいたいっていうのに店長そういうのに力を入れたりとかしてたりするので、
なかなか確かに映画バーの期間中喋れなかったりとか結構ザラにありますよね。
ありますね、なのでもしかしたら他の常連さんをこんな感じで呼んでもらえたらもうちょっとこう別の角度が生まれるかもしれないですとかってなんかすいませんなんか偉そうに提案みたいにしちゃいましたけど。
いやいやいやいやいや確かにそう。
でもね結構なんて言うんですかね、大石さんとは映画バーをきっかけに映画バー以外でも結構仲良くさせていただいてるので、このメンバーは。
そうですね。
それもあってこう話の距離感ってのは私の中ではすごい話しやすかったんですけど。
いや良かったです。