ゾンビ、ことゾンビとなった時にどんな距離感なのかなと思って。
私ホラー映画好きって言ってるんですけど、
正直今までゾンビ映画にあんまりピンときてなくて、
結構ホラー映画に本当の恐怖を求めて見ているタイプなんですけど、
ゾンビ映画って自分の身近な人たちが感染して死んでいったりすると、
残っている人間側の方が少なくなっていくじゃないですか。
そうなった時にメジャーな方に自分も行ってしまった方が楽なんじゃないかっていう考えがあって、
そうなるとあんまり逃げるモチベーションが自分の中で湧かないんじゃないかってずっと思っていて、
ゾンビ映画を見ているといつも自分だったら逃げない。
自分の身近な人とか大切な人がゾンビになってしまった時点で、
自分もゾンビになりたいってずっと思ってたんですよ。
なのであんまりゾンビ映画の逃げるモチベーションというか、
恐怖の本質っていうところにちょっとピンときてない部分はあったんですけど、
ちょっと今回28日号をもちろん見たことあったんですけど、
改めて見直して、ゾンビ映画の楽しみ方って、
殺される恐怖よりも秩序の崩壊なんじゃないかなっていうことに改めて気づかされた部分があって、
ちょっとゾンビ映画、今更ながらちゃんと文脈に乗っ取って見ていきたいなと思っているようなところです。
前田さん、バタリアンとか見たことあるんですか?
バタリアンとかは見ててすごい好きなんですけど、
ゾンビ映画として見てるっていうよりも映画単体として好きだったり、
ゾンビ映画も主要なところを結構抑えてると思うんですけど、
なんとなくで見てた部分もあったので、そこを改めて踏み返すと面白いなと思いましたね。
結構秩序の崩壊っていう切り口で言うと、
ロベロのナイトオブザーリビングベッドが、
初っ端から割とその切り口で入ってるなっていうのはあって、
閉じ込められた人々の中で、黒人がリーダーシップを取ったりであるとか、
子供がゾンビになったのが親を殺すとか、
当時としては今でもある程度ちょっと危機感のあるものなんだけど、
当時、1960年代のアメリカで言ったら相当危機感のあるであろう倫理感みたいなのが入ってて、
初っ端から割とゾンビっていうモンスターよりも、
倫理感の崩壊とか閉塞感とか状況が悪くなっていくこと自体の恐怖を描いているのがゾンビ映画なのかなっていうのは、
僕もそんな感じには思ってて、
28日後も特に前半の雰囲気がすごい好きだったんですよね。
もう何もなくなっている状態で、
ゾンビ映画ってゾンビがだんだん日常にじわじわ入ってくるタイミングがすごい好きなんですよね。
普通に歩いてるけど歩き方をおかしい人とかがいたりとか、
まだこっちが気づききってない状態っていうところにだんだん忍び寄ってくる感じがすごい好きなんですけど、
28日後は入院してて意識がない状態で目覚めちゃって、
全部が終わっちゃってる状態から始まってるっていうのは、
それはそれで一気に入っちゃうというか、
主人公もそうなんですけど、見てるこっちも状況に追いついていかないといけないなっていうので、
頑張ってその状況を飲み込もうとするみたいなのが割とシンクロがあるなと思って、
そこすごい良かったんですよね、前半の。
前回28日後の話をするにあたって出たゾンビ映画的に、
大事なんじゃないかなっていう前田さんがおっしゃってたと思うんで、
特にどこですか?だいぶ大事かも。
やばい。
有名というかあれですけど、28日後で言ったら、
全力疾走するゾンビが出てきて定着させた映画っていう位置づけではありますよね。
バタリアンとかでも走ってるゾンビはいたと思うんですけど、
一般的にそれまでロメロの描いてきたゆっくりじわじわ来るゾンビに対して、
全力でアクティブに襲ってくるゾンビっていうのを定着させたのは28日後かなと思います。
バックスナイダーのドーム・ザ・デッドより前なんでしたっけ?
そう、ドーム・ザ・デッドより2年くらい前で。
2002年。
2002年、そしてドーム・ザ・デッドが2004年。
2004年ですよね。だからこっちの方が前ですよね。
早いんですね、こっちの。
結構見てて思うのが、忍び寄ってくるゾンビと走ってくるゾンビの違いみたいな部分で、
今回見てて思ったのが、忍び寄ってくるゾンビって、
それ自体がモンスター的であるというより、
死であるとか逃れない絶望的状況とかのメタファーだなって思うんですよね。
それ自体、別に戦ったら勝てるし、でもこいつに勝ったところでどうするのっていう状況自体が怖いなって思うんで、
だから走ってくる必要がないとは思うんですよ。
対応はできるけど、この一体をどうしたところでっていう感じを出すんだったら、
走ってくるより忍び寄ってきて、だんだん数が増えるとかの方が怖いなって思うんですよね。
それで、そういうものの象徴だなと思うんですけど、
走ってくると、そういう象徴性というよりも、ただ純粋に暴力とかのそのものだなっていうふうに。
だから悪い状況というよりも、直接的に暴力とかパニック的状況みたいなものの、
割と即物的な怖さに近いなとは見てて思ったんですよね。
結構、ホラー映画自体がゾンビ映画に限らず、
どんどん、例えば昔だったら、ハロウィンのマイケル・マイヤーズとかも、
じっと立っている怖さだったり、忍び寄ってくる怖さっていうのが、
だんだん、より暴力的にっていう流れはゾンビ映画に限らずあったのかなと思っていて、
一回それになれると、やっぱりちょっと戻りにくい部分はあるんですかね。
より過激なものを求めてしまっている部分はあるのかもしれないですね。
最初のハロウィンのマイケルとか、全然近寄ってこないですもんね。
近寄ってこない。
ずっと物陰というか、一瞬だけにいるみたいなのが繰り返してみたいな。
この感じもすごい良かったですよね。
実際、中身としては皆さんどうでした?感想として。
そうですね。僕久しぶりに見て思ったのが、めちゃくちゃ荒々しい映画やったんやな、見ててっていう。
カメラワークとか、演習のテンポとかめちゃくちゃ荒々しくて、
それがゾンビのスピード感とも相まってすごい怖いなっていうか、
さすがやっぱダニーボイルナーやなっていうのはすごく思いました。
やっぱトリンスポッティングの動きがちょっと思い出したりはしますね。
スピード感とかまんまやなっていうか、後半とかキリア・マーフィーが上半身裸で、
土地狂ったように無双し始めるところとか、すごいトリンスポッティングっぽい感じをめっちゃ受けました。
春水さんはどんな感じでした?
前半部分のところがさ、去年の緊急事態宣言は人のいない環境がまさにこれだなっていうのがあったりもしながら、
今思ったら、ある種変異ルースがゾンビを凶暴化と重ねてみるとまた面白いと思うかなという突然変異系とか。
だから非常に今のメタファーが合いすぎて、ある種の恐ろしさというか、面白さがあるなというところかな。
結構音楽がすごい印象的だったなと思うんですけど、
盛り上がるって言ったらおかしいですけど、通常ゾンビ映画で盛り上がるぞっていうシーンで結構悲しげな曲調だったり、
なんかすごいそれが独特で、世界観がすごい出てるなと思いますね。
前半の僕がいわゆるイメージとして持ってたロメロのゾンビ物って、結構人間同士の疑心暗鬼も割と初めに入ってきたりはしてたんですけど、
割とお互いの信頼度高いなって思いながら見てたんですよね。
あんまり互いのこと疑ってなくなかったりする。
感染したら一瞬でやっちゃうけど、それまでの疑心暗鬼ってあんまないなと思って。
初めに助けられた時も、別にこいつらが何者とかよりも割とすんなり信用はしてたなと思って。
その後一人感染して殺しちゃうんですけど、感染してなかったら信頼し合うのは当たり前だよねみたいな雰囲気って、
ちょっと僕が持ってたゾンビ映画のイメージとちょっと違ったりはしてたんですよね。
後半で軍の奴らが出てきて、信用できない側の人間出てくるんですけど、
前半ロンドンにいる間は割とちゃんと話したら分かり合える人たちしか出てこなかったから、ちょっとそこ独特だなと思って。
でも、ああいう状況になったら、ああいう信頼関係を築きながらしか生きれないよねっていうのはあるだろうなと思って。
そこは逆にリアルなのかなとは思ったりはしたんですよね。
確かにショッピングモールとかで一息つくみたいなシーンが多分なかったからともあるのかなと思ってて、
常に次に進んでいく中で、出てくるのも結構少人数じゃないですか。
なので余計に助け合うしかないっていう感じだったのかなと思いつつ、
後半とかは本当にもう軍の人たちと会ってからはもう、それこそゾンビよりも、
そうなったらゾンビも人間も一緒だなっていうところが結構面白かったなと思っていて、
どちらも襲ってくるという意味では、
むしろ悪意がない分、ゾンビの方がマシとすら思えるような展開でしたよね。
結構このゾンビ映画について話すときにちょっと難しいのが、
ゾンビのガチファンの人たち、たくさんいらっしゃると思うんですけど、
ゾンビの定義が何なのか問題ってあるんですよね。
例えば28日後とか、バイオハザードとかもそうだと思うんですけど、
感染して28日後とかって死んでない人たちもいると思うんですよね。
死んだ扱いじゃないですよね、あれって。
そうなんですよ、感染者っていう扱いなので、感染者ってゾンビなのかっていう問題は若干あって。
厳密には、死んでるか死んでないかってめっちゃ大事ってことですね、そこが。
それってちょっと踏み込んだ倫理観にも関わってくるのかなと思ったり、
ロメロの3部作の後に、
真っ白の餌食とかもそうなんですけど、
ランド・オブ・ザ・デッドっていう4作目があるんですけど、
そこではゾンビがちょっと意志というか、知性を持ってるっていう設定があるんですよね。
なんかそういうふうに、もう話は通じないんだけど、知性があったり感情があったり、
そもそも死んでないっていう相手にどこまで何をしたらいいのかっていうのもちょっと面白いテーマかなと個人的には思っていて、
襲ってくる時点で正当防衛にはなるんでしょうけど、
それをどこまで好き勝手していいのかっていうのも結構ゾンビ映画見てて気にしちゃう部分でありますね。
28日後で言うと、感染者に襲われた人間は多分あれは死んでる扱いだと思うんですけど、
だからその死ぬことと感染が別で定義されてたなって思ったんですね。
ロメロの一般的なゾンビ映画だと死んだ後に動き出すじゃないですか。
だから同一なんですよね。
だから死と向こう側に行くっていうのが同一だけど、28日後は別物扱いされてたなと思って。
だからちょっとそこが今、わりと広く知られてるゾンビ定義から少し違うというか、
その別のラインがあるっていう部分で、
なるほどなっていうのは、だから感染者を利用して相手をやっつけるっていうことができちゃうわけですよね。
そういう意味だと、
アイアムアヒーローで有村霞が演じた役で、
映画では大した役になってないんだけど、漫画だとあの後で結局人間側の意思が強い分、
死んでなくて筋肉だけ増強されててすごい力を出すとかっていうのが描かれてたりはしますね。
だから結構ね、アイアムアヒーローが続編が描かれたら結構面白いことにはなるかな、映画として。
映画のアイアムアヒーローがあそこで終わってほしい気持ちがめちゃめちゃ強い。
それはめっちゃわかります。一本めちゃくちゃ綺麗にまとまってるなって僕も思うので。
有村霞が何者かとかもはやあんまり重要じゃないなっていう。
役立ってないっていう突っ込みで終わったからね。
漫画を拾うためにああなっちゃったって感じなんですかね。
28日後、ちょっと残念やったんですけど、全然内臓出ないですよね。
確かに。
感染したらめっちゃ血吐いたりはするんですけど、
恐れた人間が内臓を出したりとか、手足だけもがれて食われてるとか、
腹引き裂かれて内臓がペロンって出たりみたいな。
ロンビと違って感染者って暴力振ることだけが目的だから、食べに来ないですよね。
単に殺しに来てるだけだと思うんですけど、
引きちぎっていろんなものが出てくるのとか結構好きなんで、
順番に見たかった。
やっぱちょっと全体的にそんなに死ぬシーンもあんまり、
感染者に追いかぶされて終わりみたいなシーンがずっと多いじゃないですか。
軍のやつらがやられちゃうところとかも。
割とあんまり吐き出した血とかすごい量だったりするけど、
内臓的な意味ではそんなに見せてくれないというか、
もうちょっと見たかった気がするなっていう。
いわゆるゾンビものによりすぎるから、
ちょっとあえてずらしたのかなって気はするんですけどね。
そういう意味では見やすいかなとは思ったんですよね。
グロいのが苦手な人でも見やすい方のゾンビ映画かなっていうのはちょっと思って。
キリワンマーフィーあれ続投なんですね。
あ、そうでしたっけ?
監督は別だけど、ダニー・ボイルが制作に回って監督は別でキリワンマーフィー全員だから話連続してるっぽいんですよね。
どうなるんだろう。
そういえば見てないな、28週後。
なんか28週後見といたら毎日1日間がちょっと正直になってる。残念ながら。
監督変わるとちょっと見る気見せますよね。
ちょっと違うもの感がね。
そこまでこの映画に出てきた感染者がブランド化してるようにも思えないから、
エイリアンからエイリアン2みたいな楽しみ方もそんなにできなさそうだしみたいな。
一本筋の通ったキャラクター性があったらホラー映画って監督かかってもなんか見れそうな感じするんですけど、
そんなにキャラクター性がないというか。
それからもうロメロみたいにリズムが一貫してるみたいな。
気持ちよくというか納得度が高い状態で見れたりはすると思うんですけど、
キャラも一貫してないで監督も一貫してないとなるとどうしてもちょっと、
まあ多分もはや違うものだから一貫っていうのは思っちゃうっていうのは正直ありますね。
なんかこういうゾンビ映画を通して社会をどう描くかみたいなゾンビ映画って、
なんか最近あるかなって逆にちょっと思ってきて、
ロメロ監督のやつはそれこそそれが一貫されてるとは思うんですけど、
結構なんか最近やってこうエンタメに寄ってるんじゃないかなと思ったりするんですよね。
もうなんかゾンビとなんか他のものを掛け合わせるみたいな変化球みたいなやつばっかりが多いイメージがありますね。
ロメロとか初めからその人間の形したものが襲ってくるってことをもう社会批判のために
使う気満々な感じで使ってたと思うんですけど、
完全に今ってもうアイコンというかそういうある程度情報共有されてて、
そういう舞台を説明なしで描いていい材料みたいな感じだと思うんですよね、今のゾンビとかって。
ロメロの時とかだと、さっきまで触れてた人間を今殺さないといけないとかっていうのも、
倫理観の揺らぐみたいな部分にフィーチャーされてたかなと思うんですけど、
それ以降のある程度ジャンル化したゾンビ映画って、そういう倫理観の揺らぎとかじゃなくて、
基本さっきまで親しかった人間を殺さないといけないことのエモさみたいなのを描く材料として使ってるのかなって思うんですよね。
そのエモさを描くのにすんげー便利だと思うんですよ。
さっきまで味方でしたって、今はもうこっちを襲ってくる存在です。絶対にもう相入れません。
人間が人間の形のものになってしまうっていう意向を、みんな知ってる前提で描いていいものとして扱われてるなっていうのがあって、
本当にコンテンツになっていくっていう感じがすごいあるんですよね。その流れで見ると。
実際無理じゃないですか。リアルに考えたら。自分の家族が襲ってきたとしても、抵抗する気力がない気がしますけどね。
いろいろメタ的な見方も含めて面白かったかなと思いました。
28日後から19年後になってるのが一番怖かったですけどね。
なんか28でくくれたらいいんですけどね、それを。
28なんとか後でくくれたらすごい。
結構最近、最近って言ったらあれですけど、最近見たぐらいに思ってたんで。
2002年から?
そんなさすがに後は思いましたね。結構前なんだなこれって思いましたけどね。
あとタイトル入るシーンおしゃれでしたね。
28日。
基本的におしゃれでしたよね。
おしゃれ。
おしゃれというかスタイリッシュに撮ってましたね。
やっぱダニーボイルですね、そこはね。
思った思った、思いました。
だからジャンル的なやつをおしゃれに撮るのって、どんどんやっていった方がいいなって改めて思ったんですよね。
ジャンル的なものはなんかダサい方がいいみたいなことを言う人もいると思うんですけど、
なんかそういうちょっとおしゃれ要素が入ることでやっぱ面白いものになったりするなっていうのを思って、
ちょっとね、なんかシャラくさいなって思う部分正直あったりはしたんですよ。
それはもうゾンビ映画ってジャンルから見過ぎてるだけだと思うんですよね。
あの撮り方だからこそ描けた誰もいないロンドンの街の雰囲気だったと思うので、
あんまりね、そのコテコテのB級ジャンル感だとあの孤独感って描けなかっただろうなと思いますし。
バイオハザードが同年の2002年なんですよね、一発目が。
映画の?そうなんだ。
バイオハザードと比較してみるの面白いかもしれないですね。
なるほど。あれはもうほんまにゾンビ映画じゃないって感じですけどね。
ゾンビ要素だいぶ少ないですよね。
蹴散らされる存在としてのゾンビは出てきますけど。
ゾンビよりなんかその他の死に方の方の方がなんか印象的なのが多いですよね、バイオハザードって。
レーザーでサイコロステーキみたいに刻まれるとか、
エレベーター重ねた状態でグシャってされるとかみたいな。
結構対照的な作品ですよね。
でも実際バイオハザードってそのゾンビがポップカルチャーになっていくのにめちゃめちゃ重要な一要素だと思うんですよね。
バイオハザードとウォーキングデッドかな、たぶんその2つが一番でかいんじゃないかなって気がしますね。
なんかカプコンは最初ロメロ監督にお願いしたかったみたいですよね。
あ、そうなんですね。
でもなんか間に入った製作会社の意向で脚本も書いてみたけどちょっと違うってなってボツになったっていう。
あんまりゲームにできると思えないな、ロメロの脚本で。