1. 映画の話したすぎるラジオ
  2. 第78回(2)『こちらあみ子』私..
2022-08-25 1:05:58

第78回(2)『こちらあみ子』私たちはあみ子じゃなくてちょっとあみ子

『こちらあみ子』について話をしました。

あみ子と周囲の関係の在り方や、私たちの中の「あみ子性」などについて話しています。

■メンバー

・山口 ・原口 ・まえだ ・マリオン

■当番組のグッズの販売を開始しました

https://suzuri.jp/virtualeigabar

■告知用Twitterアカウント

https://twitter.com/virtualeigabar

■お便り募集中

https://forms.gle/BR9iLcpykHLAPnCM9

The post 第78回(2)『こちらあみ子』私たちはあみ子じゃなくてちょっとあみ子 first appeared on 映画の話したすぎるBAR&ラジオ.

Copyright © 2025 映画の話したすぎるBAR&ラジオ All Rights Reserved.

00:00
今日のテーマトークは、こちらあみ子です。やったー。 ようやく。はい、もう待ちに待った。じゃあ原口さん、解説お願いします。
はい、映画.comへ拝借します。芥川賞作家今村夏子が2010年に発表したデビュー小説を映画化。広島で暮らす小学校年生のあみ子。少し風変わりな彼女は家族を優しく見守る父と書道教室の先生でお腹に赤ちゃんがいる母。
一緒に陶芸をしてくれる兄。憧れの存在である同級生の男の子のりくんら。多くの人たちに囲まれて元気に過ごしていた。そんな彼女のあまりにも純粋で素直な行動は周囲の人たちを嫌悪なく変えていく。
大森達司監督作などで女監督を務めてきた森雄介が長編監督デビューを果たし、あみ子の無垢な視線から見える世界をオリジナルシーンを盛り込みながら鮮やかに描き出す。
主人公のあみ子役にはオーディションで選ばれた神聖の大沢かなが末敵され、井浦和太と尾野町子があみ子の両親を演じる。
はいではここから具体的な内容に触れる話を入っていきたいと思います。ネタバレ気にされる方がいらっしゃったら一旦聞くのを止めていただけたらと思います。
はいではおのおの触りの感想を伺っていこうかと思うんですが原口さん本作の感想いかがでしょう。
はいえーと皆さんがいろいろと言うと思うんですけど私は2つ気に入ってて一つはお父さんの描かれ方がいいなーっていうのとあと結構こだわった絵作りを気に入っててその辺をこの後話したらと思ってます。
はいまゆさんいかがでしょう。
えっと私は結構好きな作品だったんですけど今年見た映画の中で一番人と話したいなって思うような映画だなぁと思いました。
今日めっちゃ楽しみにしてました。
はいまゆさんは前結構ね聞きましたけどそうですね一応もう一回。
はいまあ前もちょっとオープニングトークで言ったりはしたんですけどまあ映画としてはめちゃくちゃクオリティ高いと思うんですよねすごくなんか絵作りとかもおって思わせるところとかもあるしすごく出来はいいなと思うんですけど僕の中ではめっちゃ強烈に拒否感がしてしまう映画というか
僕はやっぱりなんて言うんでしょうねアミコがちょっと嫌いすぎるっていうのがちょっと僕の中ではあってなんか僕嫌いって思っちゃうとなんか全部がちょっともう自分にとって結構苦痛に思えてきちゃうっていう映画はなかなかなかったのでそういう意味でもちょっとまあ結構強烈な映画だったなっていうふうには思いますね。
はい僕はですねもしかしたら今年ベストかなと思ってます。
で僕はかつてちょっとだけアミコだったしちょっとだけアミコのお兄ちゃんだったし今もちょっとだけアミコのお父さんだしあとアミコの周囲にいるすべての人々にちょっとずつ僕なんですよね多分本作の中に僕がいないのは多分お母さんだけなんですよ。
あっちこっちに入ることができる入ってしまえるそうすることで誰も悪くないんじゃねみたいなので結構しんどい映画でしたねこれを描いたのって本当にすごいことなんじゃないかなと思ってあと小説との補完ですねこれがすごかったですあの小説読んでよかったなあっていうのがあって映画っていう媒体の特性と小説っていう媒体の特性それぞれがこのこちらアミコっていう物語を別の側面から切り取ってて
03:29
それぞれを見ることで補完される物語っていうのは結構強烈で小説読んだのも含めて今年ベスト級の体験だったかなと思ってますはいその感じではいではいつこちらアミコについてお便りいただいていますので紹介させていただきたいと思います
前田さん読んでいただいていいですかはいえっと名前西野さんから西野さん多分あの西野さんだ
いつも映画バー来てくださる西野さんだと思いますあの西野さんであり週刊曲がりで図書館バーでしたっけ
展示されているからですよねでは読みます いつも楽しく聞かせていただいてますこちらアミコを見ていてしんどい映画でした
鑑賞から時間の過ぎた今となればアミコを中心にして崩れていく世界を映画の中に見ていたと思います そして僕は崩れる側の世界の人間として作品を見ていたのでこのような感想になった
のだと思います シンジ君に全く感情移入できないエヴァンゲリオンってこんな感じなのかも
アミコを中心にした見方をすれば鑑賞は変わってたのかもしれませんありがとうございます ありがとうございますありがとうございます
アミコには感情移入してなかったってことですねその周囲の人間視点ってことですねこれは そうですね
崩れていく世界側の人間 それこそ本当この間の映画バーの時にもちょっとこちらの話西野さんとしてたんですけど
僕は結構わかるなと思いながら話を聞いてましたね あーなるほどそこは噛み合ってたってことですね
まあそのあたりもしかしたら次の映画バーでまた話しするかもしれないですね そうですね
喋ろうぜ 喋ろうぜって
これ断定してるけどあの西野さんじゃない可能性もあるから一応
こっちは知ってる人だと手でね話しますけど
まあお便りありがとうございました ありがとうございます
じゃあ内容深掘りした話入っていきたいと思うんですけども ハラフさんさっきおっしゃってたことなどどんな感じでしょ
はいこれちょっと練習で残ったのがイルアータさんエンジェルお父さんでギリギリのところで手を上げる行為をしてへんなと
ギリギリのところでアミ子を突き放すとこまでして手を上げてへんなっていうのが結構印象的には残ってて
06:01
さっきのおうちくんがいろいろ当てはまってたけど俺逆になんかこれぐらいのちっちゃい時って自分の両親がもう怖いだけの存在でしかなかったから
なんか普通にアミ子の気持ちになってみてるといつ手を上げられるよなっていうのが結構ドキドキしてたとこあったんだけど
あくまでお父さんは手を上げてへんなっていうのがなんかいいなっていうのがあった ちょっとつつくとか寄り添わで突き放すギリギリのところで我慢してるんやろうなっていう印象が結構残ったかなと
まあ大体小なり子育てってしんどいですし 耐えがたいことって結構あるとは思うんですよね
でその中でもアミ子は特殊寄り 特殊って言うの正しいかわからないですけどあえてここはもう特殊と言っときましょ
特殊寄りの存在でありより負荷が大きい それに耐えるっていうのは結構なことではあるんですよね間違いなく
そうですねもうなんかお話が進むにつれてもうみんなボロボロになっていくじゃないですか 結構なんてグロテスクなぐらいな感じにちょっとやっぱ僕は見てしまいますね
まあ子育てってそういう要素があるよねというのはじゅうじゅうわかりますけど 結構まあなんてものがスクリーンに映ってるんだっていう気持ちになりながら見てはいましたね
僕は結構あの家族崩壊っていうものは特殊なものとしては見なくって あれぐらいのことって世の中にいくらでもあるなと思ったんですよね
大きな破滅はないけど緩やかに壊れていくっていう お父さんも多分もう別で生き方見つけちゃってるんですよね
アミコ以外に で兄ちゃんはもう不良になって暴走族として居場所を作って生きていこうとしてるしっていう
ああいうのって別に大いなる悲劇とかではないというか普通にありえるなぁと思って そこのグロテスクさ自体はあんまり感じなかったんですよね
普通普通っていう そこがありふれてるからこそ悲しいなとも思ったんですけど
ありふれてるのかなと思いつつも やっぱ切り取り方がアミコに寄り添いもせず
過ぎ話もせずみたいな距離感で客観的に見てるっていうのもあってか 結構ありのままドンって出すっていうのがちょっと僕はグロテスクに思えたって感じですかね
怒ってることは確かにあり得ること 大きい小さい関わらずどこかで絶対あることなんだろうなと思いつつも
なんかある種距離感を保ったままあれをそのまま出すことに僕は結構 なんかグロテスクさを覚えたかなって感じがちょっとあったんですけど
途中ちょっとホラー映画みたいな演出も入ったりするじゃないですか オノマチコが机に突っ伏して顔も見えないみたいな
髪の毛がバサーってなってるところとかもちょっとホラーみたいにしか見えないというか ちょっと怖いみたいな演出も結構されてるし
ちょっとなんかグロテスクさが僕の中では結構際立って見えてたんですよね アミコの身の回りで起こる出来事っていうのがすごく
なんか私正直最後の最後まであんまり今作の嫌な空気感じなくて 結構ずっとアミコ目線でそれこそちょっとハッピー気味に見てて
09:06
だから私なんかそれこそそのオノマチコが壊れちゃうきっかけになるお墓作る事件というか出来事があったと思うんですけど
あれもうなんか私も絶対喜んでくれると思った 正直だからわからんくてほんまになんでオノマチコがあんなに泣いてるのかがっていうぐらい
なんかちょっとアミコによって見てましたね 他なんか唯一自分の本当の子供じゃなかったっていうところで
ちょっと納得というかアミコが自分の本当の子供だったら多分違ったのかなとは思ったんですけど
アミコの行動自体にはなんかあんまり私はそんなにおかしいことをしてるんかなってちょっと思っちゃって
なんかその周りの人もお兄ちゃんも優しいし クラスの男の子も優しいしそうじゃない人たちもいるけど
なんか自分もそんな感じだったような気もするなとか思いながら見てたんであんまり嫌やなって全然思わずに見てました最後まで
最後は嫌でしたけど
なんか多かれ少なかれみんなああいうことあったよねとは思うんですよね
なんて言うんですかねこの子供っていう右も左もわからないしもうとにかく純粋それ故に何か
ふと客観的に見るとあれちょっとこれまずいのではみたいなことを平気でやっちゃうみたいなのって絶対僕もやってきたと思うし
なんかそれはわかるんですよねすごいだからなんかアミコが悪いとは断罪はしたくないけど
ただめっちゃ嫌な気持ちになっちゃうそれは今僕がちょっと大人になってそれを見てるからなのかもしれないしっていうのはあるんですけど
まぁでも絶対そういうこと僕もしてきたなと思ってそこは一定の理解というかそこはわかるんですけどねなんかでもやっぱうーんってなっちゃって
なんなんだろうなって
そういう意味でねなんか俺はちょっとさっき山口くんだから特集って言ったけど
割と最初見たときは基本的にアミコはひたすら純粋無垢な素直な女の子っていう立ち位置では見てて
そういう意味ではなんか俺も自分のちっちゃい時となんか重なるなーいうところあったり
逆にそれで応援の反応がショックだったりしたこともあったりとかあったかな
なんか俺ちっちゃい時にいわゆる紐靴をデビューする時になんかリボン結びがなかなか上手にできなくて
それだけでお母んがショックで寝込まれたことがあってなんかそれに近いものを思い出してしまって
それはちょっと近いかもしれない
うんなんかそのことをちょっとねこの間もみんなのアミコを話しながらちょっと思い出してしまった
まああの子供って大内緒なりああだと思うんですよ
こっちの思惑を汲み取ってくれないみたいなのってあるし
僕見ててこれ子育てしててこういう瞬間結構あるなって思うところちょこちょこあるんですよね
ああなんか意図は伝わってないなっていうのでギャップが生まれるみたいなのはよくあるんですよ
12:02
で本作アミコおそらく何か発達に関する障害を持ってそうな感じがすると思われる
自閉スペクトラム症であるとかADHDであるとかあるいはそういったものを併せ持ってたりするかもしれない
集中力がないであるとかあとなんでしょうねまあその自分の世界に入り込みすぎてしまうであるとか
まあそういう状況みたいなのが見られるそれはもしかしたら症状って呼ばれるものかもしれないですけども
やっぱり子供って明確に疾患名が付くようなものでなくてもある程度はああだと思うんですよ
黒くはなくても淡いグレーとか濃いグレーとかっていうのはあるなと思ってそこはすごい普遍性がある話だなとは思うんですよね
親の言うこと聞けないよねとか空気読めないよねとかその空気を読むって概念そもそもないですよねみたいな
そういうのってむちゃくちゃあるとは思うんですけどやっぱり本作はその普遍性とは別の特殊な話にもなっていくとは思うんですよね
やっぱりその普遍性の領域ではないよなっていうぐらいにはやっぱりアミ子は特殊と思われるっていう感じにだんだんわかっていくっていう感じ
はじめは原口さんがおっしゃってたように純粋な子供ちょっと純粋すぎる子供に見える
でもいくらなんでもわんぱくすぎるだろいやこれってああそういうことみたいなのが見ててだんだんわかっていくみたいなのが本作の肝というか
ああそういうことだったのかってわかっていくっていうこれは今村夏子さんの小説僕まあ今のところ2作しか読んでないけど共通している作家性なのかなっていうふうには思います
そういうことっていうのは後からわかるって言うのですね
マリオさんもしかしたら小説の方を読んだらもうちょっと理解しやすくなるかもしれないです本作を
あの全部アミ子の主観なんですよねなので全部の行動が理路整然としているっていうのがわかるんですよ理由がある
突発的に何か暴走しているわけではなく例えばあのお母さんに弟の墓を見せるっていうの
あれも今まで金魚とかカエルの墓とか庭に作ってたっていうのでまあ叱られたと
あれは汚いからダメだったんだっていう発想をしてるんですよねじゃあ今度は字の綺麗なノリ君に書いてもらってかつシールでデコレーションして美しくしたらきっとお母さん喜んでくれるよねっていう理論が通ってるんですよ
なるほどなるほどはいはいはいもちろん僕たちはその理論は飛躍してるっていうのは理解できるんですけど少なくとも小説の中でアミ子の主観ではアミ子が決してただ暴走するだけの怪物的なこともではないっていうのがわかるんですよね
映画から原作小説に入るとおそらくある種の答え合わせとして読めるんじゃないかなと思います
15:03
アミ子はこう思ってたんだなっていう
原作がもうアミ子の主観しかないってことですよねそもそも
それはなんかそれをじゃあ映画にしますって絶対それは客観的になるよねっていうアミ子の前にカメラが置かれるって客観的になるしかないっていうのはそりゃそうなんやろうなって今思って
この話を客観的に見てよかったのかなっていうのはちょっと
小説を映画に落とし込む上でそうなるっていう小説通りやれっていうのはおかしい話なのでそこになんかケチをつける気はないんですけども
なんかそうしたことによって結構僕の中でのなんかこう拒否感みたいのが結構でかくなっちゃってるのかっていうのはちょっと今山口さんの話を聞いてちょっと思いましたね
その拒否感っていうのはアミ子を取り巻いている状況に対するものそれともアミ子に対するものなんですか
うーん自分がなぜこんなになんかなのかなって思ったんですけど結構僕いろいろ考えたんですけど僕なんか一番自分に近いなというか共感してたのってノリ君だったんですよね
私もね絶対そうだと思ったんですよ
私自分がアミ子でマリオンさんはノリ君っていうパターン想像できるもん
そうなんですよねなんか僕結構やっぱりノリ君の視点に立って見てるんだなって思ったんですよね
でノリ君視点でアミ子と接してたらもうしんどいわけですよ
いやもう本当あのクッキーのくだりとかほんまお前ふざけんなよって思っちゃったし
あれ言ってもうふざけんなって思いましたし
いやそら殴っちゃいますけどノリ君ねアミ子ボコボコに殴っちゃいますけど
いやもうなんか僕だけは君をちょっと肯定してあげたいって思っちゃうぐらいあんまり良くないけど
良くないことだけれども気持ち的にはもうめっちゃそうよな殴りたいよな気持ちわかるって思っちゃったっていう
結構あってなんかそういうのがあってやっぱ僕アミ子が嫌いってなっちゃったんだろうなっていうのがありますねなんか
いやマリオさんがアミ子嫌いっていうのを聞いて絶対ノリ君視点やなっていうのを思ってたんですよ
だろうなと思ってだって彼からしたらウザいし小学校っていう社会の中で自分をアウトサイドに引きずりこもうとする悪魔ですよあれは
そうなんで
ノリ君からしたら
やっぱなんかノリ君素直なのでアミ子ちゃんのこと面倒見てやってねって言われたら見ちゃうわけですよね
多分僕もそうしてたろうなって思うしあと小学校時代でしたっけアミ子とノリ君付き合ってるんだぜって林立てられて
ノリ君が教室内に悲惨なことになるじゃないですか悲惨なもう気持ちになるじゃないですか
なんかああいうの僕なんか経験あるなって思い出して
キツいなそれは
なんか似たようなことあったんですよ僕もああいう
あいつあの子のこと好きらしいぜみたいな林立てるみたいなすごい恥ずかしくなるみたいなのが経験があるので
18:00
余計に自分とノリ君を重ねちゃうっていうのがやっぱあるかなとはまず思いますね
あれはねしょうがない
てか本作誰も悪い人いないと僕は思ってるんですよね
あえて原因と呼ばれるものを突き詰めるとしたら原因はアミ子なんですよ
私は結構お父さんがひどいと思う
お父さんだけがひどいと思った私は
たとえばノリ君とかお母さんこのまち子とかは
アミ子に対して真面目に向き合おうとしすぎた人って感じがするんですよね
自分と違いすぎる人間対して真面目に向き合いすぎた人っていう感じがするんですよ
だからその坊主の男の子とかはそういう意味であとお兄ちゃんとかの距離感ってすごい良かったと思うし
でもお父さんだけはそもそも実も子やし
わかってて再婚もしてるわけであって
それをなんかこう諦めるっていうのは許せなかったですね正直
別にちょっとあんまり関心がないとか距離があるとかっていうのは別に全然こうまあいいというか許せるんですけど
捨ててるやんって思ったもん子供のこと
なんかちょっとハッチングの父親にもちょっと似てるような気がしたんですけど
優しいけどあんま趣味になっては構ってないよねっていう感じはハッチングの父親とすごく似てるかもしれないなと思います
それは確かにそうですねだから家族崩壊者としては今年ハッチング僕かなり好きだったんですけど
いや上越えてきたらっていう感じがあってハッチングは偶和やと思うんですけど
あみ子は偶和じゃないなというもっと生々しいものだなと思って
あのお父さん像は本当に生々しいと思うんですよ
愛してはいるよちゃんとはしないけどねっていう感じ
いやそう思ってたんですけど私も最後までは最後の選択は私はずっとあみ子と思って見てたんでねその話を
捨てられたって思いましたもうなんか本当にショックで私もお父さんの部屋はっていう気持ちで見てたんで
お父さんの部屋どこにするそうか今日からここに住むんかとか思いながら
おのまち子と離婚したんかとか思いながら見てたんであれは結構きつかったですねすごいもう自分が捨てられたみたいな気持ちになります
突き放されたとかじゃないですね本当にもう置き去りというか
あれがでもなんかそこも含めて本作が私はその好きなとこなんですけど
なんかあんまりその道徳的な善悪の話にしてないところがすごい本当に好きで
なんかこれを誰かの視点でいい話と悪い話にしてしまうんじゃなくて本当に現実として同じようにショックを受けたり
こう嫌悪をしたり疲弊したりしながら見れたっていうのはすごい映画体験として良かったです
21:00
そうですね確かにあのお父さんねあのまあ兄子がああいう子じゃなければもうちょっとうまくやれてたかもしれないけど
それでも決してすっげーいい父親ではなかったような気はしますねそれを聞いていると
あと多分世の中の父親って結構の割合ああいう人ですよ
いや絶望するわもうそんなんダメですねダメです
だからダメなんですよでもああしかしない人はいますよ多く
でも逆にあの家族の最初からちょっといびつさはやっぱりあったと思うんですよね
まあその再婚して本当の母親じゃないっていうところから始まってて逆に私あみこがまた違う
こうもっと繊細ですごく空気を読むタイプの子供だったとしたらそれはそれであみこが壊れていったと思うんですよね
それこそハッチングじゃないですか
そうなんか本当にあみこさんって呼ぶところからして私もそれが一番嫌でしたもん
なんかあの勘とか習字習わせてくれへんとことかも嫌やったし
結構お母さんは私はちょっと嫌でしたねお黒も気になるし
なんかなぁ僕なんか結構そのひどいなっていう部分大人たちありますけど
でも疲弊しちゃったりとかなんかそういうふうにしかもうちょっと距離を遠ざけたような距離感でしか接しられないみたいな
風な気持ちもなんか結構わかるような気がしちゃうというか
子供ですし純粋ですよそれもしょうがないと分かっていてもじゃあ僕たちしんどくなった時どうしたらいいんだろうみたいなことを結構考えちゃったというか
純粋だったら何してもいいのかって言われてもちょっと違うしなぁみたいな気持ちになっちゃうというか
それをじゃあアミ子に当たればいいのかってそれは違うけどけどなんかそれもなんかちょっと違うしなぁみたいな気持ちになっちゃって
あの大人たちとか周辺の人たちもなんかすごく大変なことばっかりやったんじゃないかなって結構想像が働いちゃいましたね
もっと理想を突き詰めて言うなら多分アミ子はもっと適切な教育があったと思うんですよね
アミ子に対してはアミ子は全然学校の勉強できないんですけどあれは多分学習障害とかそういうのではなくてちゃんと勉強できる環境を与えられなかったのかなっていうふうに僕は見てたんですよ
ああいう学校の集団中で集中して勉強できるタイプではなかったとは思うんですよね
でどんどん勉強をしなくなって学校にも行かなくなって学力は置いていかれてどんどん社会からこぼれ落ちていってしまってるっていうのはあったと思うんですけど
例えばそれこそ人数の少ない集中の教室の中で字を書かせるとかをちゃんとしてたら字を覚えてたかもしれないですよねしなかったですけど
でも多分そのアミ子に適切な環境を与えるべき時にお父さんは再婚の方に針を振ってたと思うんですよ
24:10
あのタイミングで再婚してるっていうことはアミ子にどう接すべきかっていうことにちゃんとリソース避けてなかったんじゃないかなと思うんですよね
まあ母親がいた方がいいよねみたいな考えはあったと思いますよ
その考えも甘いですよね結果的に全員崩壊しますからねそれで
しんどくなってきた
しんどくなってきたし自分が一応大人になったのは奇跡やったんやなとか思ってきました
成長の見せ方で見ててショックやったのが数年後の中学生になった時の姿
演じた大沢香奈さんはどうやら青年合併かは去年撮影で遠出10歳の子が演じてて
10歳の子に中学校の制服を着せて映すと成長が追いついてない中学生感が出ててショックやってあれ見た瞬間
それは僕も思いました
年齢層の成長してなくて中学生になってる感が見てて辛かったでいじめを受けてるってわけやからあれすんげーショックやったな
あの映画版って多分3年か2年ぐらいの話だと思うんですよ
お兄ちゃんとあみ子が両方とも小学校のタイミングがあってお兄ちゃんが中学校に入ったタイミングがあってあみ子とお兄ちゃんが中学校に入ったタイミングがありますよね
ということは最低3年いるのかな3年ないとあの話成り立たないんですけど原作は少なくとも5年あるんですよ時間が
あみ子が10歳の誕生日が映画冒頭の誕生日であみ子は最後映画だと転校しますけど原作は卒業なんですよね中3まで中学校行ってるんですよ
でもそれだと一人の役者さんには演じられないんですよね絶対に姿形が変わるから
なので映画版は時間を圧縮してるんですよしかも何年かっていうの微妙にぼかしてたと思うんですよね時間間隔あんまり厳密じゃなかったと思うんですよ
厳密にすると成長がおかしくなるからなんですけどでもそうすることで小学校中学年ぐらいのあみ子がそのまま中学校に入ってしまったみたいな違和感を画面が持つことになってるんですよね
でそこであみ子の社会的な成長してなさみたいなのも表現されてたように僕も見えました
それは副産物かもしれないです一人の役者さんで演じなければならないっていうことに関する
でもすごい違和感あるんですよねその違和感が画面に入ってるような気がしたんですよね
私はおおむね同じような感覚なんですけど制服っていうものを着ることによってやっぱりそのそれまで以上に社会の枠というかに当てはめた時の
27:03
ちぐはぐさを表現されているのかなっていうのともう一つは私が思ったのはあみ子の両親があみ子にちゃんと適切なサイズの制服を買ってあげてないんだなって思ったんですよ
あの時点ですでにあみ子に対する興味というか関心をだいぶ失っていて
3年間あるしこれぐらいのやつ買っておけばいいやろうみたいな適当さがすごいあみ子に対する愛情の薄れみたいなものがちょっと見えてしまったなっていう感覚はすごいあって
ちゃんと制服があれピッタリ制服サイズがもうちょっとちゃんとあってたらそんなに違和感そこまでまだ実なかったと思うんですけど
すごいダボダボの着てたからそこは思いましたね
やっぱ中学校に入ってより社会的な若組としての色合いが強くなるっていうのはその通りだと思って
私服じゃなくなるっていうのは一つあると思うんですけど
やっぱり中学校になると大人になるロールプレイをしていくみたいな感じがするんですよね
だからかつてまだ天真爛漫な子供という範疇で捉えられたあみ子という存在
グラデーションの中の子供の色合いが濃い世界ではまだあみ子は子供としていられたけれども
大人という色合いが強くなった中学校においては天真爛漫さは異物として働き始めてるんですよね
だからその異物感まだ面白がれたものが完全にいじめであるとか排除に働いていくっていう中学校に入ると
あの感じがやっぱり小学校から中学校へ移る時の強い境界線みたいなものを感じたし
その境界線を超えられないあみ子っていうものがすごい際立って見えたんですよね
中学校に入るってやっぱ大人になるロールプレイをしだすっていうのは確かになというか
やっぱ人の目を気にしだすようになる年じゃないですかやっぱ中学校って
でもやっぱあみ子って別にそこ気にしてないから
まあちょっとやっぱ何あの子ってやっぱなるのはそうだよねっていうのは思います
さっき原作は5年って言ったんですけど
5年あることでお兄ちゃんとちゃんと年離れてるんですよね
2つ離れてることになるのかな
あみ子が中学校入っている時点ではお兄ちゃんは中学校にまだいるんですよね
田中先輩って恐れられてるから
だから多分2歳離れてるんですよ
だからあみ子は中1の間は立場が守られてたんですよね
田中先輩の妹だからっていうことで
で映画版だとお兄ちゃんは退学になるんですよね
でも原作は卒業してるんですよお兄ちゃん
だから映画版の方が時間が圧縮されてる分
30:01
多分映画版は僕1歳差だと思うんですよね
表現としてはそうじゃないと多分5年に収まらないから
そうじゃないと5年かかっちゃうんで
多分1歳差になってたと思うんですけど
あみ子とお兄ちゃんの年が近くなったことで
お兄ちゃんがいなくなるために
退学っていう表現を取らないといけなくなってるんですけど
それとは別に原作は卒業なんですよね
転校じゃなくてこれの意味ですよ
恐ろしい意味だと思うんですけど
映画版は転校なので
おばあちゃんの家に行った後も
学校行くのかなって気がするんですよ
多分転校しておばあちゃんの家から
地元の学校行くのかなって気がするんですけど
原作は中学校卒業なんですよ
義務教育を終えるってことは
もう学校行かないよねっていうことなんですよね
まだ転校の方が救いがあるというか
俺はもう無理やけど
おばあちゃんやったら
あみ子のこの先見れるかもしれないっていうことで
また中学校の途中で転校させたように見えるんですけど
義務教育を終えるタイミングまで待ったっていうことは
ここまで待って
俺はあと知らんっていう意思表示だと思って
もう社会からあみ子がドロップアウトしようが
もし知らんっていうことですよ
きっともう俺は面倒見た義務教育まで
あとは義務じゃないから
俺の手は離れてるっていう
ばあちゃんが何とでもしてくれるっていう感じだなと思って
そうなるとまたお父さんのキャラクターが
より嫌なものに見えてくるというか
映画版よりもエグく見えるんですよね
その良さは映画版では薄れてるけど
多分あるんですよ
なんかその原作を読むことで見えてきた
こちらあみ子の別の顔みたいなのもあって
そこがね面白かったですね原作は
原作はあみ子の記憶が分断するんですよね
だから話しかけてくる人が誰かわからないんですよ
僕たちには話しかけてくる男の子いるじゃないですか
映画版で僕らは同じ人と思いながら見てますけど
小説の方は常にゼロベースなんですよ
会話が誰かわからないってことでしょうね
誰かわからない常に初めて登場してきた人として描かれてるとか
あるいはシーンが飛ぶんですよね
いきなりポンって
それはあみ子が別のことに気を取られたから
話が飛ぶとかっていうのを文体で表現してるんですよね
あれノリ君どこ行ったの?みたいなのがなったりとか
それはあみ子が別のことに気を取られたから
もう話が飛びましたみたいなことを
普通に捨てるんですよ原作の方は
そこがね本当に原作で読み解ける部分が
むちゃくちゃあるなと思って
本当に比べることで見てくるものがあると思います
映画はやっぱり客観視することで
見えてきてるものを見てるんですよね僕らは
映画は小説と違うのは
僕たちはあみ子になれないっていうものを見せつけられ続けると
33:02
正直映画は見てても
なんでこのタイミングであみ子こんなことするの?とか
なんでこのタイミングでこんなこと言うの?
みたいなのいっぱいあるんですよね
わけわかんないんですよ
なんで?何を言いたかったの?みたいなのがあるんですけど
それを想像しないといけない
教えてくれないんですよね
そこが映画版としての強みだなと僕は思って
あみ子は他者であるという
怪物的なまでの他者であるっていうものを
見せつけられるんですよね
それでもこのあみ子を見続けられるかっていう
観客の君たちはっていう
なんか僕それもちょっとあれかな
ちょっと僕が嫌いやなって思ったポイントに
ちょっと関係するかなと思ったんですけど
これも僕の被害妄想だなって
思ってもらってもいいんですけど
すごくこの映画を見て
僕は引け目を感じたというか
この映画ってやっぱりあみ子の
なんかある種の絶対愛入れないあみ子に
思いを馳せる映画だと思うんですよね
やっぱり想像するとかっていう映画だと思うんですけど
でやっぱ自分たちもおかれさくなかで
そういうことがあったでしょっていう
純粋さで人を気づけたことあったでしょっていうことにも
思いを馳せたりもするし
あみ子っていう他者に思いを馳せるという映画だなと思ったんですけど
まあでも僕は受け入れられなかったというか
そういう想像できる度量がなかったわけなんですけど
なんかその自分のその度量の無さが結構チクチク痛むというか
皆さんはこれを見て思いを馳せてくださいねって
そのためにある意味そのままお出しして
客観的に出してるんでしょうけどっていうので
でも僕はそれを受け止められなかったっていうのがすごくなんか
え、こういうのも受け止められないんですか?
みたいなふうに言われてるような気がして
僕はすごく嫌な気持ちになったっていう感じだったりもするんですよ
もう被害妄想かもしれないけどこれは
面白いです
僕はすごい正しい感傷かなって思いますけどねそれは
特にマニオンさんはノリ君視点で見てたわけじゃないですか
一個の視点から見たら
ただ不快な人間ですよっていうふうに見えるっていうのは
多分正しいとは思うんですよね
僕はあっちこっちに感情異議の対象を動かしてたんですよ
自分はかつてアミ子だったなーとか
自分はかつてアミ子のお兄ちゃんだったなーとか
アミ子の父親だなーとか
あるいはその名前も覚えてない男の子だなーとか
あるいはもう劇中には登場しないアミ子を遠ざけ続けた
学校の誰かかもしれないし
僕の視点は常に移ろい続けてたので
ある種の概念としてアミ子を見てたって感じはしたんですけど
マニオンさんはより具体的な存在としてアミ子を見てたから
不愉快に感じたし
その不愉快に感じてたということに対して
嫌な感じを覚えたっていうことなのかなと思ったんですけど
それはすごい正しいというか
簡単にアミ子を飲み込めるような話になってたら
この話はダメだと思うんですよね
そうですね
その清くて純粋なマイノリティーみたいな
愛学家としてはダメだとは思うんですよ
なんか私の中ではアミ子とノリ君は
36:00
1と1でしかなくて
なんかそれこそアミ子は何らかの
もしかしたら発達障害を持っていったかもしれないけど
別に発達障害がなくても普通に空気読めない
それに自覚はあるけどどうしても読めない
周りにも馴染めないっていう人もいるわけじゃないですか
そういう人の話がジョーカーとかになってくるかもしれないですけど
なんか私の中では社会とか大人とか
自分以外の自分と違う人間がやっぱうざいっていう感覚もあるから
あったしあるから今も空気読めへん側も
空気読める側も1と1でしかないっていう感覚なんです私は
両方うざいよね両方からしてお互いが
でも大多数に馴染まれへんとな生きていかれへんもんな
社会はそれが一番の切ないポイントですけど
でやっぱ映画とかに関わらず
そういう物語ってそういう理解できないものに
理解を示すきっかけを与えるものだと思うんですよね
やっぱそこに思いを馳せるっていうことをできるっていうのは
やっぱ映画の力って物語の力だと思うんですけど
僕はそれが受け止めきれなかったっていうのがやっぱすごく卑めっていう
映画のこちらアミ子の感想も結構やっぱ絶賛寄りなので
結構片身が狭いというかそういうのもちょっとあるし
この映画というかその全否定するのは
僕も良くないと思いますけど
なんかもうちょっと嫌いって思ったら嫌いって言ってもいいのにな
ぐらいに思っちゃうというか案外
なんかみんな頑張って思いを馳せようとして
偉いなって思っちゃったというか
なんか思いを馳せるというよりも
なんていうのみんなそっち側と思ってた
私は私と原口さんはアミ子側やなって絶対思ってたんで
見る前から
こんな話をする前から
それ言ってましたけど
勝手に今原口さんくられましたけど
前も言ってましたけど
意義ありますかみたいな
分かる目あるけどね
別にそれ言ったら分かりますよ僕だって
いや山口さんも
アミ子はそのものとかじゃなくて
やっぱなんか何かしらの不協和音を生む存在なのかなって思ってたので
この4人は
それは僕もあるかなと思いますけど
でも面白いすごい
でも本当にのりくんっていうのは分かる
本当に自分が小学生でマリオさんも小学生だったら
あの絡み方してキレられてる自信ある
毎日毎日一緒帰ろう一緒帰ろうって
でなんか教室にあいあい傘とか書かれて
すっごい恥ずかしい思いっつるんやろうなって思って
そうなんか
絶対そういう事象が起こるのは想像できる
想像できますもんね
僕だってそれは社会に溶け込めてるなんて思ってないですし
社会に居場所なんてないよみたいなぐらいな
孤独感を覚えることってありますけど
これはなんか自分は受け止めきらんかったなっていう
あとこの映画を絶賛したからといって
39:01
実際にアミ子がいた時に
そのこの映画を絶賛した人がアミ子を受け入れられるかどうかって
また別問題なので
まあねそれはそうですね
それはあんまり優劣とは関係がないっていうのはあると思います
それはそうですね
別にアミ子みたいな人とかじゃなくて
もう受け入れられない人間のことは受け入れられないっていうのはあるから
そうですねだから
その絶賛ムードに対するなんかちょっと引き目っていうのは
ちょっともう完全に僕の被害妄想かなとは思いますねそこ
最後のシーンお父さんに置いていかれて
私はすごい絶望したんですけど
海に行くじゃないですか
海でお化けたちが出てくるじゃないですか
あのシーンでお化けたちが海に手招きをしてくるじゃないですか
でもアミ子がいや行かへんっていう意思表示をする終わり方がすごい
アミ子はアミ子なりに大人になろうとしてると思って
大人になることでやっぱり救われることってあると思うから
学校よりも社会の方がある意味では寛容な部分も私はあると思ってるので
そういうのがあったらいいなと思いましたあのラストは
あのラストはやっぱり救いかなとやっぱ思うんですよね
さっきその山口さんが原作との違いというか
終わりは原作は卒業で終わるけどみたいな話されたと思うんですけど
映画版は結構結末違ってて
そこの手招きしている幽霊の誘いに乗らないっていうところは
結構そこもちょっとある種の救いというか
結構映画なりのオリジナルな解釈ですごくいい着地だったんだなっていうのを
改めて聞いて思ってたんですよね
あそこに残る決心をするって
アミ子自身は何も考えてないのかもしれないけど
あそこにやっぱ留まってくれるっていうのはすごく良かったことだなっていうのはすごく思いました
そうですね僕もあのラストすごいいいなと思うし
あとはお化けの描写
僕すごい本作の結構大事な部分だなと思ってて
やっぱアミ子は死を恐れてるっていうことで
アミ子の中の死の概念は大人たちが持ってる死の概念と全然違うんですよね
学校のお化けが象徴してるものだったりしてるんですよね
アミ子にとっての死っていうものが
だから全く理解できない無とかではなくて
お化けなんてないさっていう歌で
抗えるような気がする何かなんですよね
アミ子にとっての死って
でもやっぱりアミ子は死が良くないことっていうことは分かってる
それに限らずやっぱりアミ子は
孤独であるとかあるいは人を怒らせることも良くないことっていうのは分かってるんですよねやっぱり
だから人が不機嫌になったら立ちすくんでしまったりとか
本作で一番刺さった部分なんですけど
私ってキモいって教えてって聞くところ
自分が不協和音を生み続けてるということは分かってる
でそれをどうにかしたい
何かで今自分が苦しいからっていう
アミ子は冬の中に防寒着も着ずに立ってるような状態
すごく苦しいけどその原因が
服を着れば治せるものとかっていうことを
42:01
気づいてないような状態だと思うんですよ
ボキャブラリーがないからって言い方でもいいと思うんですけど
この状態を抜ける
この苦しい状態を抜けるにはどうしたらいいかっていうのが分からない
少なくとも自分が素で持ってるものでは
それを突き詰めることはできないから教えてっていう
でも大人たちはずっとそれを隠し続けるんですよね
何も教えてくれない
死んだ自分の下の兄弟の性別も教えてくれない
自分がどうしたらいいのかも示してくれない
最終的にあの男の子ちょっとカッコつけた感じで
いやもう私だけの秘密じゃって言って去っていくけど
僕あのシーン絶望やなと思って
教えたれよって
そうすることでアミ子はこの自分が良くないって感じてることの
正体を突き止められるかもしれないのに
初めてアミ子は自分の苦しさの源を
誰かから教えてくれるかもしれないのに
教えないんかよと思って
僕あのシーン絶望して
お前も大人たちと一緒じゃと思ったんですよね
カッコつけてよ
アミ子を傷つけないのがいいと思ってるなんて
大人たちと一緒じゃねえかと思って
辛い
あのシーン辛くて
ヤマグチの話聞いてたら泣きそうになってきた
アミ子は苦しさの正体が分からないだけで
ずっと苦しいんですよ
でもさ
その我々
いやもちろんね
そのある程度ね
社会に他の人たちを思いやりつつ
こう社会で生きていかなくちゃいけないのは
もちろんなんですけど
キモいってとこがあるからといって
直していけなんてちょっと過酷が過ぎるというか
なんかそれが風呂入るとかっていいですよ
風呂入るから
でもそうじゃないところ
自分自身の部分を言われてしまったら
それを直すって
自分じゃなくしていく作業でもあるというか
それをしてまで
社会に溶け込んでいかなあかんっていうのは
ちょっと残酷すぎる気がする
そんなこと言ってもしょうがないんですけど
いや残酷ですけど
アミ子がそれをしたいと思ってるんだったら
させてあげたいなとは思うし
そもそも僕らもそれしてきたでしょ
アミ子ほどどでかい壁にぶつかってないかもしれないけど
ちょっとしたことですり減っては
こうしない方がいいなっていうことで
本当の自分みたいなものを
その度ぶつからないように形変えてきたでしょ
それは
それをもう自分に
変えたくない
自分として生きてきて
もう変える前のこと忘れちゃったみたいな状態ですよね
いやでもどうなんやろ
それは悲しいことですけどね
アミ子にそれをやる権利がないわけではないと思いますよ
でもキモいこと言われたことじゃないもん別にそれは
お前ここキモいから直せって言われるなんて
なんかそんなん言い出したら
そんなことわかりとおりますかってなりませんか
そのキモいの基準何なんですかってなりませんか
そもそも
キモくないかどうかって誰が決めてるんですかってなる気がする
あの子の物差しでしかないですけどね
そのキモいかキモくないかって言われて
45:00
キモいと思って
その人は彼の物差しでしかないかもしれないけどね
だからそういう意味では
のりくんが嫌やからついてくんなとかやめろって
ずっと言ってたわけじゃないですか
それが本来人が何かを直すきっかけになり得るけど
それはアミ子はならなかったわけじゃないですか
でも伝えるのは難しいですね
ついていくこと自体がキモいとかっていうことでもないじゃないですか
その行為がキモいっていうことじゃなくて
空気読まれんことがキモいねんっていう話やと思うんですけど
空気を読むっていうのは教えれるのかっていう話も結構あるのかなっていう
まあね方法論というにはあまりに曖昧なものですからね
そうですね
いつの間にか読めるようになったみたいなもんじゃないですか
空気を読むって
もうなんか自転車は乗れなかったけど今乗れるとかって
もう乗れなかった時のこと想像できないみたいな
近い時からなんでしょうね
読めてるかどうかわかんないじゃないですか
読めてる気がしてるだけで
もちろんそうですよ
読めてるかわかんないですよ
空気って読むもんじゃなくて読んでるふりをするもんだと思いますよ
それがうまくできない人もやっぱいるからさ
それを責められるのはちょっときつい
きついけど
なんか辛くなってきた
やばいなんか謎のダメージ食らってきたぞ
ちょっと話を作中のことに戻しましょうか
今まであんま触れてないんですけど
本作のすっげー大事な部分
やっぱお兄ちゃんの存在だとは思うんですよね
お兄ちゃんはマジで頑張ってたとは思うし
ただやっぱり敷地を超えるともう
我慢できなくなっちゃうっていうのも
わかるなとは思って
やっぱまた小学校時代の時の
アミコに対する接し方の
お兄ちゃん善とした感じ
お兄ちゃんはやっぱりアミコに
さっき言ってたようなことを
教えようとはしてたじゃないですか
あの人のほくろを見るなよとか
それは空気を読むということの
かけらじゃないですか
ほくろを見るなよっていうのは
そこでお兄ちゃんも
もうあの事件があったことで
やっぱもう切り替わっちゃうんですけど
あれがなければ多分お兄ちゃんは
アミコにいろんなことを教えようと
もっと頑張れたとは思うんですよね
お兄ちゃん本当に兄弟っていいなって
私も弟がいるんですごい思うんですけど
兄弟だけが
自分のこと分かってくれる存在って
やっぱ思うタイミングがあったりして
大人じゃない存在で
一番身近な存在って兄弟やなって
それは思いますね
お兄ちゃんお兄ちゃんの
人生歩んでいきますもんね
劇中のお兄ちゃんの距離感って
結構やっぱ絶妙だなっていう
グレてやばい状態になってましたけど
なんだかんだ仲いいとも悪いとも
言えない距離感があるから
その辺の出し方がすごい
確かに上手いなと思いました
でもなんか僕ちょっとやっぱ
この映画のことがちょっと
拒否感ベースで見てるところがあったので
嫌いや嫌やって思いながら
48:01
ちょっと見てた部分もあったんで
なんでもあれこれどうなんやろって
思うシーンがちょっと目についちゃったんですけど
お兄ちゃんがグレるタイミング結構
急やなとか勝手に思ったりとかしたんですけど
あと中学校ですよね
中学校って大学ってあるんでしたっけ?
そこね違和感なんですよ
ないでしょ
あれどう考えても公立校だから
公立校大学って何?
中学校の話じゃなくて
ちょっと今話聞いてて思って
あれ大学はなくない?って思って
結局だから
アミコの周りの人物の描き方が
結構雑だったんじゃない?というか
結構適当だったんじゃない?って
ちょっと思うようになっちゃって
嫌いベースで見てたところはあるんですけど
全部なんかそれっぽいもので
しかなかったようにもちょっと見えて
そこも結構僕はノイズだったかなっていう
なるほど
それはあるかもしれないですね
時間を圧縮した弊害だと思います
お兄ちゃんを卒業まで
長引かせられるタイムスパンの話になってないから
大学っていう手段を取るしかなかったけど
公立中学校大学ってあるんですか?みたいなのがあるし
原作は5年ぐらい時間があるので
お兄ちゃんがグレるって多分
もうちょっと緩やかなグラデーションなんですよね
映画版マジいきなりタバコ吸ってるじゃないですか
えーって
急なんですよ
でも実際グレるときは急にグレるんちゃいます?
僕はそういうものとして見たから
まあまあって思ってたけど
急だなと思いました
結構そっち行くんやっていう感じが
なんかお兄ちゃんに関しては
あれぐらいのグレ方って結構健全やなと思いましたけどね私は
お兄ちゃんお兄ちゃんでコミュニティにちゃんと所属して
多分あの手のタイプはなんやかんや某所属とか入るんやけど
17とか18ぐらいでスパッと働き出すタイプなんちゃうかなっていう
なんかそんな気もします
根は真面目そうやなっていうのはありますよね
結構お兄ちゃんは割とまともな
まともそうだとは分かりますけど
やっぱりそれまで兄子の面倒を見る人でしかなかったから
お兄ちゃんコミュニティに属せてなかったんですよね多分
で小説の方だとその描写はあって
兄子がからかわれないように帰り道で
同期生が来たら隠れるっていう描写があるんですよ
っていうことはお兄ちゃんは同期生とあんまり付き合えてなかったはずなんですよね
アメコの面倒を見てたから
でもちょっともう表面張力がバーってこぼれちゃって
お兄ちゃんはお兄ちゃんで自分の居場所を作りに行ったっていう感じはあったのかなとは思って
あれはあれでお兄ちゃん視点の話でも成り立つぐらいには
そういうことってあるよなっていうぐらいには見てたかなって思いましたね
あと最後助けに来てくれたしね
お化け居るって
あそこほんま嬉しかったです
あそこ絶妙な距離感が一番出てるなって思いましたね
なんだかんだ助けてくれるというか
めんどくせえなって思ってるかもしれないけど
結構兄弟の距離感とか家族の距離感って意外とあんな感じ
51:00
多社から見たらすごい冷たいというかきつい
苦調だったりぶっきらもだったりするけど
それだけ気を許してたりするから
ああいう感じっていうのもあったりして
お兄ちゃんは本当に良かったです
あと卵ね
ハトの卵
残ってたんやーってね
昔ベランダに居たからわかる
ピッと音すんねんな確かに
あれ卵割れないんやってちょっと思ったんですけどね
ちょくちょくファンタジーが入るというか
ファンタジーが入って
超細かいとこ擦り続けて申し訳ないんですけど
原作やったらあの卵3個なんですよ
マジで細かいな
映画は1個やったじゃないですか
なんで描いたんかなとかちょっと思ってたりして
なんか3個には意味があったんですかね
兄弟の数と合わせたり
兄弟は3人兄弟になってたかもしれないですし
だから壊れた卵は1人なのか3人兄弟なのかっていう違いにも見えて
確かになあれ割れてもおかしくないのに割れないんだよな
なんかちょいちょいなんかね
そこ映画のファンタジーやな
あとなんか結構冒頭でみかん天井に投げるじゃないですか
で落ちてこないっていうシーンとかも
あれも結構不思議だなと思いながら見てましたよね
そうやね
落ちてこないみたいな
あれもねどうなんやったんやろうなと思って
意味はあるんでしょうけど
絶対あんな違和感のあるシーンないと思うので
なんかやっぱ意図はあったよなと
どこに挟まってん!
トウモロコシからめちゃくちゃ水出てくるとか
え何?ってなったんですけど
いいですね
だから映画としての演出の引力がめちゃくちゃ強くて
やっぱ引き込まれるんですよね
すごくなんか
ここにすごく目が行くっていうところ結構あったりするんで
やっぱでもそれがある映画ってやっぱそれ
クオリティめちゃくちゃ高いですよね
っていうことにはやっぱ繋がりますよね
そこでちょっと絵作りの話をしたいんですけれども
見てて劇場やと特になんかこう
五感を伴って閉塞した空間にならへんように作ってるような感じがしてて
あのね人によって通ってた学校が
テイストがちゃうかもしれないけど
本来ならベランダにしそうなところを
あの学校浪漫してるなって思ったんですね
外に開けてるところ
あれなんか裏側って学校は普通ちゃんと窓枠があって
鉄筋入ってるようなと思ったんですけど
今回の学校は外に開かれてるじゃないですか
もう雨が入ってくるような
あれなんか珍しい
なんかあれって閉塞した空間じゃなく
実はアミ子は広い世界を見てるっていうように見せてるのかなとかって思ってて
結構要所要所で閉塞的ならんと
広い空間を見せようとした絵作りをしてるなっていうのが結構
見てて印象に残りました
54:01
ある学校はあるっちゃありますかね
僕の小学校の時もああいう廊下でしたけど
そうやったんや
確かに世界の広がりがあるっていうのは
おっしゃる通りだなと思って
やっぱアミ子の主観ではどこかに閉じ込められてるって感じではないんですよね
やっぱりアミ子は広い世界にいるっていう風に
自分のことを捉えてるから
そこの広がりがある
開放感のある話だったと思うし
あと音の演出もすごい良かったなと思って
例えば暴走族の音が四角ではならないとかね
ちょっとポコポコした可愛らしい音が流れてるとか
基本的にアミ子の世界は
アミ子が楽しくなるように作られてるっていう感じがあって
やっぱり楽しくないものは露骨に違和感として
ベランダの音とか
そういう風に演出されてたのかなと思って
その辺りも巧みかなと思いましたね
そういう意味で音っていう意味だと
一瞬無音になる時間がいくらかあって
結構そこを世界との隔たりというか
アミ子の世界とストーンの世界のあれなんかなって感じたりしながら
たまには無音が結構印象的やなという
私アミ子が測点するシーンがめっちゃ好きで
あんな綺麗に測点できるの
ずっと見ときたいわと思って
家で練習というか久しぶりに測点というかできるかなと思って
やったんですけど一切できなかった
自分の体ってこんなに重いんだって思いました
だからそれが本当にアミ子のすごい軽やかな
あのシーンが一番好きです
測点ね綺麗でしたねあれ
あれ小さい時しかできないよね測点って
足が上がらない
身体操とかやってなかったら
結構恐怖もあるし
思ったより難かった
だからこの映画でやっぱそういう
あの時期にしか出せない身体勢みたいなのが
やっぱり要所要所に出てるじゃないですか
その測点のシーンにしても
やっぱそれはこの映画じゃないと撮れなかったんだろうなって
この映画しか撮れなかったものだろうなって思うので
そういうシーンはすごいなって思います
好き嫌いがむちゃくちゃある映画だと思うんですけど
劇に関しては疑いようがないかなっていう風には思ってはいますかね
そうですね
劇は間違いなくいい
その上でこの映画を描いているものが
好き嫌いは間違いなくあると思うんですけどね
そうですね
はいじゃあそんな感じでいいですかね
でもなんか僕結構嫌いって言いましたけど
ちょっとまあいろんな人の今回こうやって話してみて
いろいろちょっと見方も少し広がったなっていう
自分的にはやっぱり
ノリ君の視点でしか見てなかったなと思ったし
すごく意義深かったなって思いました個人的に
はいじゃあそんな感じで
こちらにこの話は終わっておこうかなと思います
はい次回どうしましょうかね
次回何があるっけ
次回
次回王宝みたいな映画ってあるんでしたかね
うーんえっとね
配信見る回ありかなと思ってるんですけどどうでしょう
57:01
配信ですか
配信
プレデターですか
プレデタープレイ
いやでもありじゃないですか
いやプレデタープレイちょっと言いたいことありすぎてやばいんですよ
えマジですか
あえて近況で触れてないのはね
あそうなんですか
たまエネルギーをチャージしてたんですね
いやまあ
これなんかちょっと
チャージしてたわけじゃないんですけど
なんかすごいネホリハホリ聞きたいぐらいなんですけど
あと僕なんか一個案としていいかなって思ったのは
ロッキー4の再編集版が公開されるじゃないですか
確か19あたりに
あー
うん
今週末ね見に行きますよもちろん
なんかこれもありかとかちょっと思ったんですけどロッキーとか
あーはいはいはいはい
あでもなプレデター見たいな
ロッキーやったらもうシリーズで語らないとですね
そうなんですよね
いきなり4だけ見て話をするのがあれか
ちょっと負荷でかいですねそれ
そうですね
え次ってちょっと待ってくださいね
次はまだ映画バーじゃないのか
違いますね
直前の
直前ですね
確かに今なんか映画館でこれといった
これといった感じのはないかなーって気がしてたんですけど
プレデターなー見たいなーと思ってたんだよなー
語り忘れてるような映画ないですか
語り忘れ
うーん
特には思いつかないかな
ちょっと微妙にねタイミング立ってたりする作品もあって
難しいとこですね
うーん
うーん
僕はプレデターありかなって気はします
え前田さんいい方向に悪い方向に
私ねちょっとね言いたいことがちょっとあるんですよね
これは
あるかなー
どういうニュアンスだ
プレデターなー
ニュアンスがつかみかねる
うーん
フリートークは
フリーします
フリートークって何やってたんですか
多分フリートークの時いない時だと思う
前田さんがいない時に基本的にフリートークしてましたからね
そっか
そうですよねフリートークって何を
まああの近況をもうちょっと掘り下げる感じとかしてて
この番組の映画化企画
あそうだそれやろうやろう
ちょっといきなりこれ出て何かと思ってるリスナーさん多いと思うんですけど
このアフタートーク内でね本当に
いやでも妄想企画ありじゃん
ちょっとねあの収録外でもしこの4人
映画バーのラジオやってる4人で映画化したらみたいなのを
収録外に妄想で話してたんですけど
それが案外盛り上がったんですけど
まあそれをフリートークでやろうかってことですよね
ありじゃないですか
なんかその映画好きな人が結構考えることが
その映画作りに携わるならどのポジションがいいですかっていう話をしたんですよ
監督脚本キャスティングとか撮影衣装いろいろ宣伝とかもあるし
って話をしててそもそも我々を映画化したらどうなのかっていう話
そういう感じでしたね
そういうのを収録外に延々と話していましたっていう
1:00:00
1時間半くらい話してましたもんね
次の日が休みだからって
でもなんかそういう雑談を交えつつ
近況報告って感じですかね
映画の話しつつ
僕以外の3人でその話してたんですけど
その話聞いて僕も結構考えちゃいましたね
いやほんまに山口さん面白すぎるんですよ
本でねなんか自分を演じてほしいのは誰かとか
結構そういう話で盛り上がったんですけど
おのおのの
次回詳しくというかちゃんと話すと思うんですけど
おのおののストーリーに出てくる異性も考えてて
山口さんの部分も勝手に考えようと思ってたんですけど
山口さんの好みというかがわからなすぎて
マリオンさんが堀北真樹好きとかはもう知ってるんですけど
なんかそういえば山口さんってそういう話全然せえへんなって
思ってなんか気になってました
誰を出したらいいのかなって
言われてみたら誰もいないですね
そんなことあります?
映画の中のヒロインとしていいなと思う人はいますよ
例えば桐島の橋本愛とかね
ミューズやわっていう
あの作品にとってのミューズやって感じするけど
でもなんか僕主役にしてもヒロインじゃないわみたいな
自分が主役の時のヒロインというか恋人でもいいし
なんでもいいんですどんな関係性でもいいんですけど
自分のストーリーに登場させる異性誰がいいかなっていう話
いないっすね
いない
いない
サイコパスみ感じるわ
それを来週考えてみよう
いや、いないです
僕基本考えたんですけど
僕しか出てこないんですよ
怖い怖い怖い
どういうことですかそれ
だからこのようにでっていう話で
僕しか出てこないってなんか
マルコビッチの穴的な
なんかそれはちょっと思った
やばい楽しいすでに
じゃあ次回フリートークで
フリートーク内でプレデターの話しましょう
わかった
プレデターの話を聞きたいので
わかった
その中でフリートークの中の比較的大きめのトピックとして
映画の話ししたすぎるラジオ映画化企画
映画化企画お願いします
はい、じゃあ
私の役だけ予算割いてほしいです
そういう予算なんぼとかリアルな妄想もいいですし
はい、じゃあ
これ次回告知なんて言ったらいいの
伝わる?
わかんない
次回告知はフリートーク
だから映画化企画ついに始動
始動
はい、じゃあそんな感じでいきます
時間大丈夫ですか?
巻きます
任せていいですか?また
時間やばい
任せてくださいマリオさんに
じゃあすいません
山口また時間やばいので
1:03:01
消えます
お疲れ様でした
お疲れ様です
はい、また僕たちに
締めのオカブが回ってきましたねっていう
はい
文章今出してるんで
トーク繋いどいてください
トーク?
話ちょっと繋いどっていただけますか?
来週フリートークがね
うまいこと言えばいい話ができるかなっていうのが
俺はあって
そうなんですか?
収録日の前日に某大作映画で某ハリウッドスターの
舞台撮影取材できるかも
すごい
その辺の話が来週できたらなと思ってて
ほんまや、期待してます
それは収録外話します
この後
ではマリオンさんお願いします
ちょっと待ってくださいね
今ちょっと文章出してるんで
少しちょっと繋いでもらえます?
それだから冒頭話言うと
今日仕事でとか予定できなかったけど
予定が合えば高橋雄式にインタビューしてたんですよ
マジですか?
激怒っていう監督作品を来週末から公開するんですけど
それのキャンペーンで来てあってて
また来月舞台挨拶で来られるんですけど
テアトル来られますよね?
河瀬太太さんと高橋雄式監督で舞台挨拶あるんで
今日どうもこういう予定とか仕事の都合でいけなくて
そうなんですね
河瀬太太さんも忙しい人やから
なかなか対話できない人やから
すいません準備できましたんで
お知らせいきますね
ではお知らせになります
8月も映画の話したすぎるバーを開催する予定です
場所は大阪の南森町にある
日替わりイベント型カフェバー
週間曲がり
日時は8月27日の土曜日
オープンが19時
クローズが23時となっております
またこの番組では
リスナーの皆様からお便りを募集しています
番組の感想
次回テーマ作品の感想など
ご自由に送りいただけると幸いです
また次回バー開催情報や
ポッドキャスト次回テーマ作品の告知等も
行っていますので
ツイッターのフォローもよろしくお願いいたします
あとこの番組のイメージキャラクターである
映画の話したすぎる猫
仮をあしらったグッズも販売していますので
よろしければご購入くださいませ
お便り受付先
ツイッターアカウント
グッズ販売サイト
いずれも番組説明文に記載しております
それでは
映画の話したすぎるラジオ
第78回
こちらあみ子の回を終わりたいと思います
それではまたお会いしましょう
さようなら
01:05:58

コメント

スクロール