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2024-04-30 1:11:56

第164回(2)『イノセンス』クライシスおじさん・バトーとの向き合い方

『イノセンス』の話をしました。

人間と非人間の境界線のゆらぎや「素子ロス」など、様々なクライシスに直面する「悩めるおじさん」バトーを、メンバーそれぞれ三者三様の視点から話しています。

■メンバー

・山口 https://twitter.com/awajicinema     https://bsky.app/profile/bunkai00.bsky.social ・マリオン https://twitter.com/marion_eigazuke ・オーイシ https://twitter.com/pteryx_joe

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山口が店長の映画の話をするバーをオープンします。

毎月第2/第4火曜日

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今日のテーマトークは、イノセンスです。では、ここから作品の内容を触れる話をしていきますので、ネタから気にされる方がいたら、ぜひ見てから聞いていただけたらと思います。
では、メンバーの才能・感想、大石さんからお願いできますか。
そうですね、イノセンス、さっきまで見てたんですけど、何だろうな、なんか見れば見るほど、もともと光学軌道隊ゴースネセルの時にも、バトーが好きだって話をしたんですけど、
なんか見れば見るほど、バトーのこと好きじゃなくなっていくというか、
好きじゃなくなっていくんだ。
こいつついてけねえなーってなっていくというか、なんかその表面上のかっこよさの、より奥にあるしみったれ感というか、
なんかそこが、なんか見れば見るほど、こう、あからさまになっていくという感じがして、なんていうんですかね、その表面上、例えば哲学的な会話であったりとか、
あとは引用であったりがめちゃくちゃ多い作品だと思うんですけど、なんかそのかっこよさの方にまず最初引っ張られるんで、なんかかっこいい作品みたいなって思うんですけど、
よくよくそのそれを剥がして剥がしていくと、あれこいつ?ってなっていくというか、なんかそれも魅力としてある作品だとは思うんですけど、
なんか本当に、光学機動隊が本格SF、サイバーパンクのSFだったのに対して、本作めちゃくちゃノアールの路線ですよね、どちらかというと。
なのでなんか、ノアールの主人公として、バトーってこんなにしみったれてたのかっていうのはちょっと改めて見て思ったというか、思えるようになってきたっていうのが感想です。
僕はですね、まず学生時代20年前に見たことがあると思い込んでたんですけど、今回見直して見たことないかってことが分かりました。
これ初めてだわと。
当時なんとなくネットとかの説評で言われてる感じで、こう難しい感じであんまり面白くないっていう風な意見を見聞きしたことがあって、その印象だけが先行して、
イメージで自分が見るやつじゃないっていうイメージでここまで来ちゃってました、実は。
記憶が解散されてたんですけど、電脳ハックされてたみたいで。
そうですね。
ただ、今見たら正直面白かったですね。やっぱり20年前の自分だったら楽しめなかった感じを楽しめるようになってて、非常に楽しんで見れたかなっていうところで、
ゴストイン・ザ・シェルよりもノワル感が増したっていうふうにおっしゃってましたけど、やっぱりそのハードボイルド感ですね。
ハードボイルドの表面上固ゆでなかっこよさを出してた、その内側のエモエモさっていう、その実はダサいっていうところが非常にいい感じにスパイスが効いてるなとは思って。
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あとあれですね、このサイバーパンクの中でもよりブレードランナーに似たなっていう、ブレードランナーっぽくなったっていうところもあって、なんか質感が似たなっていう、いろんな意味で、っていうふうには思いました。
あと、生命とはっていうところはゴストイン・ザ・シェルよりより深掘りしてるかなというか、生命はというか人間はって感じですね、どっちかというと。
人間とかっていうとこはより深掘りしまくってて、それがちょっとその話としてアンバランスになるぐらい挿入されてるところが魅力にもなってるかなっていうのは思いました。
あと、2000年代前半のまだこなれてないコンピューターグラフィックスのちょっとツタなさもあるケバケバしい感じが逆にいい味になってるなと思いましたね。
なんか総合的に見て結構いい映画だなと思いながら見てましたね。はい、そんな感じです。マリオさんいかがでしょう?
そうですね。難しい話だなぁと思いながら正直見てたんですけど、でもなんか描かれてる中身とか、描こうとしてることは結構好きだったりするんですけど、
劇中のハードボイルド感というか、本当の意味で人間そのものが物を見ることができないバトーという悲しき男みたいな感じは、すごいその問題設定とかキャラ造形とかすごい好きなんですけど、
いかんせい側があんま好きじゃないというか、逆に。面倒くせえ会話してんなとか。正直引用だけでやり取りするのかっこいいつもりなんでしょうけど、すごいこっぱずかしくなるんですけど、こっちはみたいなふうにちょっと思っちゃって、
ちょっとかっこよくないって思ってしまったっていうのが、これはかっこよくないと思うっていうのが正直な感想ですかね。あとちょっと山岸さんは味があると言っていた、そのちょっとツルツルなまだ発展途上なCGも僕はあんまり味わい深くは感じれなかったっていう。
僕はちょっとそこをあの年代特有のちょっとツルツルしたまだ3Dみたいなのは、ちょっと僕は味わい深い感じを見ることができないかなっていう感じで、そういう意味でだいぶ結構ゴースターオン・イン・ザ・シェルの時と作風ががらりと変わってしまって、ちょっとなんかあんまりは好きじゃないな、側は好きじゃないなみたいなふうにちょっと思ってしまったっていう感じですね。
好きな人から言ったら、何をやっとんじゃって言われるかもしれませんけど、僕はそういうふうに思いました。
なるほどね。賢そうな引用が多いっていうのは、今頃監督の作品には多いっちゃ多いですけど、本作はこの賢そうな話した後に結局割と大雑把な会話で締めるっていうのが多くて、割とちょっと自分で茶化してる感じあるなと思ったんですよね。
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賢そうな引用しまくったけど、でも割と俺らしょうもねぇよなっていう、ひっくり返すような感じをその賢そうな会話の後に入れて、ちょっとまあ塩で締めてるみたいな感じをやってる感じは覚えたんですよね。引用だけで喋られたらだいぶ嫌だったと僕も思ったんですけど。
まあ確かにしょうもなさが際立つという意味は確かにそういう、あってんのかなっていうのは思いますし、引用で喋った後に普通に説明しとるなみたいな時もあるので、そうそうそうそう、その最初の引用はいるのかい?みたいな気持ちにもなったりしたっていうのがあって、
まあちょっと本当に、映画に引用とか格言は1、2コマでっていうルールにした方がいいんじゃないすかっていう感じがしましたけど。
ではお便りいつ紹介させていただきます。オイスさんでできますか。
はい、フリッパーさんからいただきました。
店長の皆さんこんにちは。いつも楽しい番組ありがとうございます。
さて、イノシンス見ました。
私には難解でちょっと合わなかったです。
最初はアイガングが使い捨てされてメンテナンスされず故障過去心が壊れるしていく件からブレードランナー的な話になっていくのかと思いきや、うまく説明できないのですが、私的にはその逆の話になっていったように感じました。
誘拐から助けた子供に怒ったり、犬と人形と自我のないまだない子供を同じように扱う言動は全然共感できなかったです。
自意識がない存在が美しいっていうことですかね。ちょっと意味がわからなかったです。
今回の番組を聞いて当作品の理解が深まればと思っております。
パストライブスも遅ればせながら見て傑作でしたので、またバーに行けた際にお話しできればと思います。
平日の方が時間作りやすいので、長堀橋の方に訪問するかもです。
はい、ありがとうございます。
ありがとうございます。
難しいというか、面白がる場所がよくわからないというのはわかるんですよね。
確かに、フリッパーさんと似ている部分があるんですけど、ガイノイドが人を殺してしまう事件があって、その辺はブレードランナーっぽいなというか、
これはあれか、デトロイト、ビカムヒューマンみたいな話になるのかって思ったら、そんな話じゃないみたいな風になるので、確かに出口が違うみたいな感じに思うっていうのは僕は気持ちわかります。
誘拐から助けた子供に起こったりっていうのは、あれはまあ要は、あの子供たちからゴーストをコピーされたガイノイドたちを、自分のSOSを放つために操って、結果警官に犠牲者が出たりしてるわけですけど、
09:13
それ以上に、コピーされた側は自分たちのゴーストのコピーなのに、それを利用したっていうところに起こってるっていうのが、自分が人間であるかっていうアイデンティティが揺らぎがちなバトルにとって許容心が高かったっていうところだとは思うんですよね。
警官たちは、この言い方違うかもしれないけど、仕事なので、バトルは自分のような仕事が危険っていうこともわかってやってるわけだから、そこに対しては許容しているところはあると思うんですけど、そうじゃなくて、そこを理解していないまま存在を利用される存在がいて、それを利用する側のことが許容し難いっていうのがあって、
それをコピー元とコピーされた側が利用する側、利用される側関係になっているって、そこに対して無自覚であるっていうことがやっぱり許容しにくいっていうのがあると思うんですよね。
それで、本作で描かれている人間と人形の境界線ってどこなのかっていうところに対して、境界線は人形は人形、人間は人間です。
だから、人形は使い捨てますっていう、それをエソエソ放つ側もやってるっていうことが、許容し難さにつながってると思うんですよね。
別にあそこで怒れるわけでもないんですよ。
行き通りは覚えるけど、それを別にこの子供に怒ったってしょうがないというか、
世界存亡に対する怒りにもなってるかなと思うんですよね。
人形と人間の間に境界線があることそのものに対する行き通りになってるというか。
で、最後にトグさんの子供が人形を抱えてエンドっていう、すっごいニューって変な表情で味のあるエンドだなと思うんですけど。
僕はこれ、映画をちゃんと理解してるかわからないんですけど、僕もあそこで子供を叱りつけるときに、何をこいついきなりやってんだろうなっていうか、大丈夫かこいつってちょっと思ったりはしましたね、正直。
さっきも言ってましたけど、世界に対しての怒りをまず子供にぶつけてるって段階で思えたいがいいやなみたいなことだと思うんですけど、矢野美さんの言葉を借りるなら。
だから、バトーにとって人間と人造物の側の境界線が曖昧になってる側っていうのがあると思うんですね。バトーがまず。
で、その自我がある、ゴーストがある存在は人間に近いものじゃないかって。それはもちろん彼は草薙素子っていう存在を経ているからこそよりその思いが強まってるっていうのがあると思うんですけど。
12:01
じゃあそこでこう作られたガイノリの立場が単なるロボットなのか商品なのかっていうところで、やっぱりその元の犠牲となっている子供がいること以上の怒りを彼は覚えてるわけなんですよね。
その責任を持たずに生み出されてしまった人のようなものに対して、やっぱそこは怒りを覚えざるを得ないというか。
だからあれですよね。バトー自身としては、助けてっていう声の主はあのロボットの声だと解釈してもいいんじゃないかっていう。
もちろんあれはあの子が埋め込んだというか、あの子のコピーされたゴーストの中に入ってた声として劇中では使われるんだけど、いやでもこれはこのロボットの声でもあるんじゃねえのっていう、そういうことですよね。
そうですね。犬と人形と自我のあだない子供を同じように扱うって言う。
言動は全然共感できない。まあその共感できない側になっていっちゃってる人の話でもあるので、そこはそれで間違ってないとは思うんですよね。
ただまあ、バトーっていう人間の中でのその人間というものの定義が揺らいでる感じっていうのは、作中でずっと描かれていってる部分ではあるかなと思って。
まあもう、ザバリ本作ってそこを許容できるかどうかが全てなくらい、評価ポイントだと思うんですね。評価、そこで評価が是非が分かれるとこというか。
だからそこが分からなかったからこの作品はノーでいいと思うんですよ、そこは。だからまあなんかいいんじゃないかなとは思いますね。
そうですね。まさに全てイノセンスと言われているものだと思うんですけど、なんかちょっとその自分の生物学の業界で最近話題になってる話で、最近そのIPS細胞とかいろいろ技術が進んできて、脳の神経を完全に外側で作れるようになったんですよ。
で、それをこうギュッとまとめて、オルガノイドって名前なんですけど、ミニ脳みたいなのを作れるってことが分かったんですね。結構その研究、要はちっちゃい大脳、ちっちゃい小脳みたいな感じのものがだんだんできていくっていうような、それをモデルにして研究していくみたいなことがあるんですけど、その中でやっぱ話題になったのは、こいつは意識持ってんのかっていう話で。
脳のような擬似的な電気信号はあるけども、個体というか体、あるいは生命みたいなものはないとされているんだけど、これを意識を持つとすると彼らに人権を与えなきゃいけなくなるっていう。その境界はどこなのかって、結構いまだに多分解決できてないというか、分かりやすいこうしましょうって明確な線はなくて、結構人によってそこの線がバラバラだったりするんですけど、
15:00
割とそういうこと、いろいろな議論を僕は見ているので、割と罵倒側かもしれないと思ったりはして。
そうですね、だからつまり生命倫理のやりとりじゃないですか。コピーされた生命に人権を認めるのかどうかっていうのって、その人権はなしっていうふうに捉えたら、あの子供がやったことに罵倒が怒りを覚えることはないし、そもそもあのガイノイドを製造してたメーカーの罪性っていうものもあんまりないことになるんですよね。
製造されたものに対して、子供を誘拐してたこと自体は大問題ですけど、その製造物に対しての罪性っていうのは帯びてないことになるけれども、いや、コピーされた生命に対しても罪を負ってるよねっていうところに発想がいくかっていうのが、多分その生命倫理の議論の焦点のポイントになってくるかなと思うんですね。
それは人間なのか生命なのか。本作で言うとゴーストがあるのかっていうところになってくると思うんですけど、だから僕はむしろめちゃめちゃブレードランナー的な話だと思うんですよ。
レプリカントは生命なのかっていうところで、やっぱりレプリカント側は俺たちは生命だって叫んで終わるわけですけど、
デッカードはブレードランナーだから、レプリカントを壊しに行く側なわけじゃないですか。あいつらは。だからその意味では違うと思うんですよね。バトーはもう、初めからレプリカント側になっちゃってる。
デッカードは、よくブレードランナーでデッカードはレプリカントなのかっていう話がよくあると思うんですけど、そこが誤魔化されてるってとこがブレードランナーの話の中心だけど、
イノセンチスは、バトーはレプリカントの側であるっていうまま話を進んでいくブレードランナーみたいな感じなのかなってちょっと思って、じゃあ彼の言ってることやってることの意味はなんとなくわかってくると思うんですよ。
そもそもレプリカントは人間を殺したりしてるわけだから、やっぱり倫理観は人間の側のものではなくなってる。それはバトーもやっぱりそうだっていう。
そうですね。ヤクザのとこに突っ込むときに早速撃ちましたからね。
あの無茶苦茶さすごいですよね。
それは低レベルですけどね、あれはね。
まあそうですね。
でもなんかそこで今作やっぱりうまいバランスになってるのがトグサの存在だなと思ってて、そもそもゴースト・イン・ザ・セルの段階でもトグサって一部電脳化してるだけのほとんど生身の人間じゃないですか。
まあ他のシリーズも基本的にはそういう人間側のキャラクターとして彼は描かれることが多いんですけど、
本作においてはそのちょっともう境界線を超えてしまったバトーと、それでもそのバトーに人間側として引きつなぐためのトグサっていう。
18:04
そのバディー感はめちゃくちゃいいなと思いながら見てましたね。
人間側の視点を担保してる存在ですもんね。
ただラストで娘に人形買って帰るの、あれどうかと思います?
あれはね、ちょっとねトグサさんそれはないでしょうっていう。
ずっとね、バトーがその人形と人間の境界線に悩むようなことを堅苦しい引用台詞で喋ってて、
トグサずっといい加減仕事話しようぜって言って、そこの議論から目を背けてるわけじゃないですか。
でも彼はバトーがそこに悩みを持ってる、クライシスを感じてるのは横で聞いてて感じてるわけだと思うんですけど、
あそこで娘に人形買って帰ってるの、結構デレカシーなんよって思ったんですけど。
いやー、当てつけじゃないですか。もういい加減うるせえっていう。
もう目覚ませと。
うるせえ!
当てつけっていう。
それはあるかもしれないですね。
確かに。
ちょっとね、許容しにくさのある作品なのかなっていうのは確かに思いますね。
長堀橋のバーグもまたお願いします。
では我々からトピック出していこうかと思うんですけど、
なんか割と真の部分話しちゃうのもあるんですけど。
早速そうですね。
そうですね。
いやでも、すごい側の話というか、同じ世界観でしたか?みたいなぐらい、ビジュアルが変わっててちょっとびっくりしたんですけど、
いきなりあれ?ここは魔の都、上海になったのか?みたいなというか、
車も急にみんなビンテージカーになったのはどうしたんだよ?みたいなとか、
前までデロリーヤンみたいな車ばっかり走ってたのにどうしたの?みたいな、
そうですよね。
ちょっとびっくりしましたね、あれは。
そこもノーアール感増してるとこですよね。
ああいうクラシックカーが走ってることで、
1920年代ぐらいのアメリカ感もあるし、
陰謀が渦巻く的みたいな雰囲気まとってるじゃないですか、全体的に。
前作よりもさらに増して、
中華圏の文化がガッツリ入り込んできてる感じにもなってるし、前作以上に。
エトロフ経済トップなんてほぼもうあれ、中華圏の街になってますからね。
そうでしたね。
そうでした。すごいなっていうか、
同じ地続きの話とは思えないぐらい世界が様変わりしていて、
ちょっとびっくりしちゃいましたけどね。
安っぽいCGの感じも含めて、
全体的に悪夢感あって結構好きなんですよね。
21:02
なるほど。
安っぽいって言うと、当時の技術に対するちょっとあれの言い方になっちゃうんですけど、
テラッとした感じが悪い夢見てる感じなんですよね、全体的に。
特にエトロフ経済トップ行った時の、
冒頭の中華圏の祭り見るシーンはほんまに嫌な夢見てるなって感じで。
同じお面の集団がこっち一斉に見てくる感じとかね。
だいぶ確かに見てて気持ち悪いなーみたいな感じというかは感じてましたけど、
そこに僕あんまりそそられなかったなーみたいなのもあるんで、やっぱりそこが。
こればっかりはどうしても。
そうですね、こればっかりは。
好みの問題ですよね。
好みかなーって感じしますけど。
あとこの前作では近未来カーに乗ってた人たちがクラシックカーにばっか乗ってるっていうこの、
なんていうかエモさに取り憑かれてる感じも結構好きで。
いやーそうなのか。
あのバトーの車庫なんてクラシックカーばっかでしたからね。
ああ、でしたね。
いやそうでしたね。やさしいそうなんですけど。
だからあまりにも世界観とかが違うから、
バトーの目を通して今こういうふうに世界が見えているのかなって思ったんですよ。
もう設定そのものがじゃなくて、
バトーのフィルターで見た世界ってこうなってんのかな、今みたいな。
いうふうにしたらなんか飲み込めるかなっていう個人的には。
っていうのはあります。
もう一人だけノワールの世界に生きてるとかだったら、
あいつが乗ってる車だけいつの時代の車やねんみたいにした方が、
なんかそれは際立ったりすると思うんですよ。別にやろうと思ったら。
けどなんかそれをもう世界そのものがそういうふうになってるっていうのは、
もうもはやそれはもうバトーの見てる世界がそうなってるみたいな感じなのかなっていうふうにはちょっと思ったりはしましたがね。
まあもう完全にバトー、過去を生きる男になってますからね。
しかも犬飼うしみたいな。
そうそうそう。
そうなんですよ。
犬とか飼うキャラじゃなかったじゃんみたいな。
そう。
それこそゴーフトンズセルではまだちょっとリアリズム側というか、
そんなこと言ってて仕方ないだろうってモトコを人める側ですけど、
完全にもうそのモトコ側に、
モトコ側というかなんだろうな、
モトコが行ってしまった世界、一種のもう黄泉の国ですよね。
でも引っ張られてるんですよね彼。
モトコワナビー感ないですか?
あり、まだあります。
あります。目指してます。
そこで染みったれてるんですよ、あいつ。
でもなんかワナビーなのにちょっと上手くできないというか、
だってハックされてるし、
絶対モトコならハックされるわけないじゃないですか。
そういうところの爪の甘さみたいなのはやっぱバトーなんですよね。
そうですね。
だからこう完全無欠の近未来ヒーローものにならなくて、
24:04
物差を抱えたノワールになるっていう感じがあるんですよね。
だいぶしっくりきてないですね。
全然しっくりきてない。
びっくりするぐらいしっくりきてないというか、
そうですね。
でも確かにそのゴースト・イン・ザ・シェルが
草薙素子の物語だとした時に、
確かにあの時の近未来感というのは確かに、
確かに武骨で合理性とか完璧さを讃えたような世界だったなっていう。
一方やっぱり何度も言ってますけど、
ノワール調で脆さを抱えてみたいなのは確かに今回の世界観表現としては合ってるのかなっていうか、
その人がどういう主人公かによって、
世界の見え方が違うっていうことにそういうふうに思ったかなっていうのはありますけどね。
それはそうですね。
それはそうというか、
バトーのメンタリティに世界側が合わされてる感じですよね。
すごくなんか、
あれ?全然違うみたいになっちゃうぐらい変わっちゃうんだなっていう人によってっていうのが、
めちゃくちゃ対照的なふうに余計に際立つなっていうのはありましたね。
なるほどね。
あとここもグレードダウンがなされてるとこなんですけど、
ロボットのデザインが球体関節になってるんですよね。
そうですね。
わざと人形にされてるんですよね、本作のロボットって。
前作はちゃんとアンドロイドとしての高い完成度を持ってたけど、
本作はもう人形っていうのが意図的にされてて、
正直めちゃめちゃ不自然だと思うんですよ。
明らかに技術的なダウングレードがされてるから。
そうですね。
それこそ作ってる会社が違うっていうのは出てたというか、
新興の会社だっていうのは劇中で話されたと思うんですけど、
明らかにそこをビジュアル的にはより人間から離してる感じというか、
あえてやっているんだろうけど、
それこそ冒頭で自分の中身を見せるみたいなところとかありますけど、
ロボットですっていうのをすごいビジュアルでは強調しますよね。
今回のイノセンスのガイノイドのショッキングさみたいな感じ?
顔がパカッて開いて、ガワガワギャーって出るみたいなのって、
実写版の方のゴーストインガシェルってそういうのあるんですよね。
なんかありましたっけ?確か。
冒頭のホテルに突入するシーンとかで、
芸者ロボがあんな感じの暴走するんですよ。
あったな、確かに。はいはいはい。
だから実写版って2つ混ぜてるんだっていうのにすごく気づきましたね。
いいとこ取りというか魅力を足し合わせた感じにしてたんだなって思いましたね。
27:02
カラクリのお茶組みポーズみたいなカラクリ人形のロボットも出てきたじゃないですか。
明らかに機能として足りてなさすぎて、わざわざそれを作るのかっていうのはあるんですけど、
そこはね、割と元の広角機動隊の方もそうなんですけど、
わざわざ人間の形に作るっていうこと自体が機能制限だと思うんですけど、
それをやってるっていうのはやっぱり人間が自分が知ってるものに機能制限されたものを求めてるのかなとは思って、
オペレーターにわざわざ物理タイプさせる意味とはっていうのにちょっと近いというか、
地域する側は人が作ったものとしてのデザインが強調されたものとして作られてる。
機能も制限されている。要はそれのために作られたものでしかないものとしてそこに存在している。
お茶を運ぶためだけに存在しているロボットみたいな。
人間ではないもの、人間に使われるもの、だから人間ではないっていう。
デザイン自体がそういう思想性を持ってる気がするんですよね。
だからわざと人間っぽいけど人間じゃないみたいなデザインになるみたいな。
モロに日本人形みたいな感じになったりするのはそういうとこかなみたいな。
等しい存在じゃなくてちょっと劣ったものを作りたがる。
神のごとくみたいな。
そういうのをするのが人間の傲慢さなのかねみたいなところはずっと触れてたりしますよね、劇中は。
完全にデザインはときみの谷の底の方のデザインから持ってきた感じですもんね。
ちょうど嫌な感じがずっと見えるし、作中に出てくる技術がダウングレートされた感じもやっぱ一応説明はつくっちゃつくと思うんですよね。
バトがクラスチックカー好きなのも、なんかこう古いものになんか縋ってるんだろうなみたいなのもあるし、
扱ってる犬も老犬だと思うんですよね、年老いた犬だと思うんですけど、
しかもこうなんだったかな、初めてコピーの技術で作られた犬種みたいな説明もあったと思うんで。
クローンのって話ありましたね。
ある意味自分を重ねたものとして扱ってるのかも。
間違いなく生命ではあるけれども人工物でもあるっていうところに自分を重ねてるような感じもあるし、
あとテッドフードがわざわざ生を食べるっていう、石川にドライの方が栄養もいいぞみたいなこと言われてましたけど、
でもあそこで僕ちょっと笑っちゃったんですけど、石川は石川でクラスチックカー乗ってるから。
そうなんですよ、そうなんです。
説得力ないですよね、何かね。
そうそうそうそう。
だからやっぱりさっき言いましたけど、クラシックカー乗ってるのはバトだけの方が際立つでしょ、それみたいなっていう話ですよね。
30:02
世界自体がダングレードを技としている世界観に見えましたね。
ちょっと思ったのは、その設定は多分ないと思いつつも、少なくとも第9課のメンバーは元子の事件のことは知ってるので、
それでなんかちょっとノスタルジックな方に全員走ってるっていう設定なのかなと思ったりもしましたけど。
ゴースト・リンジャセルの時からそうでしたけど、割と全員ちょっとクライシス入ってる感じあるんですよね、特に。
電脳化してる割合が大きい人ごとクライシスが大きかったから、人形使い事件の関しては。
だからトグサだけなんかケロっとしてるみたいな。
もともとその予想はあるっちゃあるんですよね。
で、それは漫画の方の攻殻機動隊にはあんまりない要素なんですよね。
やっぱり全員プロの軍人って感じなんで、メンタルタフなんですけど。
そこが精神的に不安定な感じを帯びた人たちになってるのが、たぶんこの押井守版の未作に共闘してる要素なのかなっていうふうには思いましたかね。
あとガイノイドがわざわざ球体解説の人形っぽいデザインになってるのも、目的がセクサロイドとして作られてるわけじゃないですか。
安心して人権がないものとして扱えるようになってる。
ただ、内面は実際の子供がコピーされたもので、実際の子供なんだけど見た目が人形だからひどい扱いができるから買いやすい商品として。
リアルすぎると罪悪感感じちゃうけど、いやもう人形だからっていう感じの消費の仕方をできてしまうようなものにも見えるなぁとは思って。
もしかしたらそこも筋通ってるのかなと思ったんですけど。
確かに。
ちょっと、にしてはデザイン不気味の谷の底すぎて。
そうなんですよね。それじゃあなんかね、動くけどもお前ラブドールと変わらんやんみたいな感じになっちゃうというか。
めちゃくちゃ顔怖いですからね、本当に。
怖いですよね。
その辺なんかね、やっぱり僕セクサロイドだったっていう話が出た時に、本当になんかデトロイト・ビカミヒューマンでそういうエピソードあるじゃんって思ったんですよ、やっぱり。
あったので、ゲームの話ですけど、ゲームの中の雑誌とかが読めるんですけど、ゲームの中で。
その中でセクサロイドの話題の記事とかがあって、タイトルがアンドロイドやる方がマシみたいな書いてるようなのがあって、めちゃくちゃ盛んみたいなような記事があったりとかするぐらいで。
で、そこで働いてたセクサロイドとして働いてたアンドロイドが自我を持って犯行を起こしてしまうっていう事件があって、目の前で犯人、お客を殺害してしまったアンドロイドをその場で殺すのか殺さないのかって選択をゲームの中でさせられたりとかするんですけど。
もう諸にそんな話じゃんみたいなふうに思いましたけどね、あの辺の設定とか出てきた時。
33:05
ブレードランナーもいましたよね。女性レプリカントって確かそうでしたよね。
うんうん、そうですね、確か。
ここからまぁ、付き物っちゃ付き物なんですよね。このアンドロイドが出てくる物語において、セクサロイドって基本出てくるみたいな感じかなぁと思うんですけど。
逆にリアリティを落としてるっていうのがなんか独特ですね。
リアル求めないんやみたいな、いっそ人形の方がいいんやみたいな、なんか変な話に見えるなぁと思って。
さっきもちょっと言いましたけど、デトロイト・ビカム・ヒューマンとかブレードランナーみたいだなって話かと思ったら、感覚は全然違う終わり方するなぁみたいな。
結局すごい人間とアンドロイドの境界線の話はしてるんだけど、落ち着くのが結局バトーという男の精神の話で終わるなぁみたいなのが特殊やなぁっていうのを思いますけど。
人とアンドロイドの境界がどんどんなくなっていくがゆえに人間がわからなくなって、そして人そのものと触れ合うことがどんどんできなくなっていくって感じは、
バトーだけじゃなくて現代の病理なのではみたいな感じはすごく思ったんですけど。
人じゃなくてバーチャルなアイドルとかアニメにそこを堅くしちゃうみたいな、みたいな時のなんか一昔前のオタク像みたいなのとかとそういうのってあったなぁみたいなのとかは、
なんかめちゃくちゃバトーのことを見上げるとちょっと思い出してしまったとこが個人的にはあります。
なるほどね。ちょっとそこ難しいとこでもあるなと思ったんですけど、
現在のインターネットとかで消費しているバーチャルなものって基本的にはミームだと思うんですよね。
だから個体としてあるわけではないもの。バーチャルYouTuberとかやってる人がいるからまた事情は違うけど、
中の人と別の個体を持ったものとして造形されてて、それをみんなが実在するものとして扱ってるっていうそこに、
そのナラティブを共有していること自体に価値を持たせているところだと思うんですけど、
アンドロイドは一応個体として存在してて、それがゴーストがあるかどうかは別にしても、
人のように振る舞える個体があるっていうものをどうとられるかっていうのはバーチャルなものとは微妙に違う気がしたんですよね。
だからバトー自体はむしろその言い方難しいな。なんかちょっと僕も捉えきってないまま喋ってるんで今。
バーチャルYouTuber、これ全然違うこと言うわ。むしろ子供のコピーしたゴーストをインストールされてるガイノイドを商品として消費してるのが、
36:07
現代のインターネットとかなのかなとは思うんですよね。
実際の子供として楽しめるけど、でもこれは子供じゃないから何してもいいですよねっていう、
2つの相反するものを両立させたままその物語を消費してるけど、いやそこって分けでないでしょって言ってるのがバトーっていう感じ。
インターネットにマジレスする人がバトーみたいなイメージで。難しいなこれ。
ちょっと思ったのが、バトーがロボットというか非人間と親和性というか親しみというかなんならちょっと人権的なものまで芽生えているわけですけど、
結局彼自身がそれぞれ人形側なわけじゃないですか。
公安休暇をもし自分がやめたら記憶と一緒にすべて消されるってことがわかってる。
たとしたらこの入れ物ってなんだよっていうことを常に通ってる男だと思うんですよ。
たとしたら自分は人形なんじゃないか。人形でもいいんじゃないか。
これはたぶんゴーストエンジェルのモトコの問いのさらに連続だと思うんですよね。
仮にモトコの人形でも人間でもゴーストっていうもの。
モトコはあるしゴーストっていうものでそこを区切っていたんだけど、そこのゴーストを捨てたのがモトコだと思うんですよね、ゴースト先生のラストで。
それをそこも含めて人間というふうに定義してしまったら、もうすべて意識がコピーされたものであっても、
そこに要はゴーストがなかったとしてもそれは人間として捉えなきゃいけないっていう側にバトーは入っていて。
たぶんそこで現代の表裏的な捉え方もできる気もするんですけど、一方でちょっとあの作品特有のものなのかなっていう気もするというか。
なかなか現代的な価値観であれをこういうことを言いたいんでしょって、固くすると何かちょっと欠けるものが出てきちゃうというか。
そうですね。
なるほどな。
でもあのちょっとそのインターネットになぞられるのは僕ちょっとだけしっくりきました。
ドンズバでは重ならないですけど、例えばSNSのアカウントがあるじゃないですか。
その中には実際の人がいるはずだけど、僕たちはそれに対してSNSのアカウントとして見ているわけですよね。
それは実際の人ではない挙動を振る舞うわけですよ。
SNS的なコミュニケーションを取るし、ビジュアルもあくまでアイコンでしかなかったりとか、そこにあまり人間と思わせない何かがあって、
39:00
それに対して我々は勝手な思いを固くして消費したりとか、あるいは誹謗中傷によってそれを攻撃したりするんですけど、
それをできているのはそれが人間じゃないからだと思うんです。アカウントだからだと思うんですけど、
その向こうに人がいるっていう事実は認識してても、ただ表面上見えてるそれでいけちゃってるっていうところで、
いやもうこれインターネットのアカウントなんで何してもいいでしょっていう人たちに対して、
いや、SNSってSNSのアカウントもちゃんと人間だぞみたいなことを言ってるバトウみたいな。
たぶんその構図にするとより不思議になってくるのが、バトウがこの中でも最後に一言言うのがアカウント主に言いに行くわけですよ。
お前サブアカのことを雑に扱うんじゃねえよって一言言うわけですよ。
そうですね。話こじらせてしまったな。考察の浅い例えをしてこじらせてしまったなって。
そもそも僕の発信として一言から話が始まってる気がするんですけど、僕の見方がそういう感じだったからなってもあるんでしょうけど、
広角機動体世界の中におけるゴーストの話からの連続性みたいなのはあんまり見てないっていう感じは僕はあって、
これも本当に側だけの話になっちゃうんですけど、やっぱりバトウという人は目の前にいる人のことを見ているわけじゃない感じがすごいしてしまうわけですよ。
人との意識の境界、人魚との境界がどんどんわかんなくなっているからなんでしょうけど、
だからやっぱり人じゃない犬を飼うし、最後に鏡合わせになっているのってほぼ一緒じゃんみたいな。
人魚を抱えた子供と犬を抱えた自分ってほぼ一緒だなみたいな時になった時に、
僕はあれを見た時になんか根本的に人のことを面と向き合っていないな感がめちゃくちゃ際立って僕は見えたんですよね。
それは全然あると思うな。
本当にそう思います。あると思うんですよ。
むしろ僕はどっちかというとバトウに寄っちゃいそうな側ではあると思うんですよ。
どっちかというと過去にパストライブの話の時にいっぱいしましたけど、
けどなんかそこがめちゃくちゃしかも世界観的にカッコつけてるからこそ、
余計にこの人は目の前の人も見ることができないみたいな感じがすごい際立っている。
それが余計にカッコよくもあるし悲しきことでもあるなっていう風に僕はすごく感じたっていうのがありましたね。
大前提としてなんですけど、この映画のバトウ、クソダサおじさんですからね。
そうなんですよ。本当に。
だからそんな人に僕はすごい正論で言っているみたいな感じになってとてもあれなんですけど。
42:07
クソダサおじさんに対してお前もっと目の前の人間と向き合えよみたいな言ってるのは、
すげえ正論みたいで嫌だなって感じがするんですよ。
でもそれはとぐさんも石川も言ってますからずっと。
それもあるから余計にこの人はどこを見ているんだろうみたいな感じがすごくしてしまうっていう。
それはあれですけど、一旦彼の問題意識とかっていうのを一旦脇に置いたような見方ではあるんですけどそこは。
見ててちょっと思うのが、本当にネットの上からモトコはバトウの元に来ているんだろうかって思って、
彼が見てる幻覚なのでは?って思っちゃったりするんですよ。
そうですね。
それは僕、今のモトコがバトウをヘルプに来る理由がわかんないんですよ。
本当にそう。
そうですよね、確かに。
僕もあれよく意味がわかんない。
なんでモトコがこれに介入しようとしてきたみたいな感じはめちゃくちゃ感じましたね。
モトコがこの件に介入してくる理由って、バトウがそうであってほしいと思ってるぐらいしか理由がないと思うんですよ。
おっしゃる通りで。
そうですね。
だから本当に、ずっとやっぱりバトウはモトコの面影を追いかけていて、その願いが成就する勢いでずっと追いかけてるんだなっていう。
そこを極めてしまえば、お前はわかるわ。お前のその気持ちはちょっとわかってやれるかもしれんって思うんですけど、
やっぱり終わり方がすっげえシニカルだから、結局やっぱりこいつダメだなみたいになるというか。
そっちがどうしても僕は際立っちゃうというか。
決してやっぱりロマンチックで終わらせてくれない映画だったなとは思うという感じですね。
いやー、なるほどなー。
モトコ出てきてからのバトウめちゃくちゃ楽しそうですからね。
元気してるなーって思いましたし、
いやもう、ハッカーの家に訪ねに行く。
で、そこから同じ展開でループし出すみたいな展開があるじゃないですか。
あそこで諸にモトコみたいな人形出てくるじゃないですか。
もうなんか、あ、こいつヤバいって思いましたけどね。
で、そのモトコに対して守護天使様って言ってますからね、あいつね。
うわうわうわ、いやー、やってますねーって。
来てんねーって感じがすごいしましたけどね。
僕はラストの締まりのなさというか、シニカルな感じ。
バトウのダサさ、結構好きで、
これ例えとして適切じゃないと思うんですけど、
タクシードライバーのラストみたいな感じを覚えて、
英雄的なことをやったような気がしてるけど、
45:01
普通にこいつただのダサい男だぞみたいな。
別にあの後しょうもない日常に変えるぞみたいな。
ああいうラスト、僕結構好きで、
映画が当事者を突き放すの、僕好きなんですよね。
なんかそれこそ前回もアイアンクローの回で、
映画には死んでほしいって山口さんおっしゃってましたけど。
そうですね、ちょっとそれに近いかもしれないですね。
一番いい瞬間は映画のラストまでで終わってて、
後はもうしょうもない人生に戻っていくっていうのは好きなんですよね。
卒業のラストとかもちょっと、
幻想したりするんですけど、
すっげーことやった気になってるけど、
この状況結構しょうもない状況やぞみたいな。
割と好きなんですよね。
確かにね。
別に根本的に何が解決したわけじゃないというか、
後の精神的なクライシスに対して、
別に何かもう解決したみたいなラストでは決してないじゃないですか。
これまだ続きますぜ。
この問いは永遠に続くぞみたいなラストなんで、
そこは確かになっていう感じがしますし、
てかむしろね、もとこがやってきてくれたっていう、
頂点来たしなみたいな。
人生の頂点が今来たぞみたいな瞬間が終わってしまったので、
もう余計にこの世界に見れないのではみたいな感じすらありますけどね。
ノコインのバトーの人生は、
ダラダラと犬に餌をやって生きていくんですよ。
でも見えるなぁ。
本当そうだよなぁ。
僕根本的にダセー男が好きっていうのがあって、
かっこつけでつかないほうが好きなんですよね多分。
こいつめちゃめちゃ精神的に脆いぞみたいな。
それを表面上ハードボイドにコーティングしてるだけだぞみたいな。
本作のバトーってそれの塊だと思うんですよね。
マッチュな言動とかスノップな言動とか全部、
根っこの不安定さの裏返しでしかないぞと思って。
正直その本作のバトーって個人を好きになることはないんですけど、
映画のキャラクターとしてバトーが描き出している物語が好きなんですよ本作の。
何なんですかね、山口さんを引き寄せるダサい男の魅力って。
それは僕がダサいからです。
僕はフィクションの男のダサさを読解して自分に重ねて絵図に浸ってるダサい男なんですよ。
ちょっと一線を越えてしまったかもしれない。
48:00
ダサい男を読み解くのめちゃくちゃ好きなんですよ。
こいつここがダサいぞっていうのを見るのめっちゃ好きなんですよ。
それを見ると安心する。よかったみんなダセーってなって安心するんですよね。
安心するっていう心理はわかる気がします。
自分のダサさよりも、しんどさつらさを映画で見れると安心するんで。
それ言ってましたね。
それが僕にとって男のダサさですね。
多分具体的にそうなんですよね。山口さんの場合。
めっちゃ安心します本当に。
こんなにカッコつけれる男さえダサいんだったら僕のダサさOKやわって思う。
いい免罪符ですねそれ。
あと生命とはっていう話に関してなんですけど。
人形と人間の境界線に限らず本作って生命とはっていう言及多いと思うんですよね。
街とかに対しても言ってましたよね。
そうですね。表現系でしたっけ?
遺伝子の表現系の感覚って話ですよね。
生物が個体として持っている体の形とか行動だけじゃなくて、
それが生み出した外部みたいな部分も含めてその遺伝子の中に入っているものという言い方でいいんですかね。
作中でも例えとしてビーバーの巣であるとか、サンゴムシが作り出すサンゴ礁みたいな言い方してたと思うんですけど。
エトロフ経済特区がそれもまた人間の遺伝子から生み出されたものというか、
人間の拡張した身体のようなものとしても捉えていたと思うんですけどね。
外部記憶とかいろいろ使ってましたっけ?
そうですね。使ってましたよね。
身体の延長としての、そこに例えばできたものだったり、文化、よくこれもミームとかって呼ばれておりますけど、
そういうものも含めて一つの遺伝子によって生み出されたある種の運命論的なものだというか、生命の延長だっていうところですよね。
ダーウィンの進化論の話もしてましたね。
そうですね。
だからダーウィンの進化論を否定するものとして、電脳家であるとかっていう、
自然到達で生まれた生命とかではなくて、糸をもって進歩したものとして、より進歩した人間になるものとしての身体を改良していくっていう発想でなされてたっていう話もしてて、
それ、前国家機動隊の話したときにちょっと触れてたことでしたけど。
そうですね。
51:01
ただそこもどうだろうな。確かに本作におけるある種の生命の定義の拡張って、さっき言ったロボットとかガイノイドにも生命としての、
あるいは人としての人権というか権利みたいなものっていうのがあるかもしれないと、そこは分けられないよねっていうような話と多分共通してくると思うんですけど、
その一方で逆に、生命だって無機物だっていうような発言もあんなかにあって、
還元論っていうような言葉が出てましたけど、特にここ最近生物学でもやたら見舞われてることなんですけど、
分子生物学っていう分子で生物を理解するっていう学問が生まれてから、生命現象っていうのは結局分子と分子の化学反応の連続なんだっていう結論に至るわけですよ。
だからそうしちゃうと、生命と物質の境界線ってもう本当に分けられなくなってくるんですよ。
例えば試験管の中で人になるための分子を全部詰め込んで、試験管の中で例えばDNAとかいろんなものが増えていって、
それが永遠と繰り返されて試験管が増え続けたらその試験管は人なんですかっていう。
割とそういうことを結構やってる人もたくさんいるっちゃいるんですけど、人工生命とかっていうふうにいて。
なんかやっぱその辺、確かに生物をやってると徐々に曖昧になっていくというか、結局生き物ってめちゃくちゃ複雑で奇跡的に生まれてきたものなんだけど、
元を垂らせば結局化学反応だから、ちょっとラプラスの悪魔的な話になっちゃいますけど、
全て運命づけられてるんじゃないかというか、化学反応の中で勝手に人が動いてるだけで自由意志なんてものは存在しないかもしれないっていう恐怖心みたいなものもちょっと、
生まれる感覚はわからなくはないっていう。
そうですね、柵柱でも化学がより呪いを促進したみたいな言い方してましたよね。結局生命は虚無でしかないっていう。
その謎を紐解けば、例えば僕らの生活で分かりやすいところでお薬とかって、病気になる1個の分子というかにターゲットしてそれを病気を起こさなくできちゃうわけで、
結局その1個の分子の違いだけで病気起こって死んじゃうぐらい脆いんだっていうふうにも思えますし、
でもそこにちょっと手加えるだけで生きるっていうのが、ちょっと長引くとか延命ができちゃうんだったら、なんか生きてるって何なんだろうっていう。
そうですね、だから何だろう、全てに意味がないっていうのは、全てに意味があるの裏返しだなと思うんですよね。
だからこそ、バトーにとって人形とか動物も重要なものになっているっていう。
それは結局人間っていう生命とか自我に意味がないっていうのにたどり着いたら、
でもそれはじゃあ人工物の人形であるとか、あるいは動物もまた等しいものとしてバトーの中で重要性が増しているのかなって考えると、
54:07
バトーの行動にも納得のが増すなと思うんですよね。
だから逆説的に、生命それものに意味がないとするならば、全てのものに意味があるよねっていう結論に至るっていう。
それ、何だろう、至るところはバトーが好きなものが好きで言ってるっていうことに。
それは面白そうなんですよね。
その究極体がある意味モトコですからね。
そうですね。
結局、モトコのこと好きなんじゃんってずっと思いながら見てましたけど。
それは結構、何だろう、救いだなと思って。
なんでモトコがバトーをヘルプしに来たのかっていうところで、
モトコの自我は世界全部のネットワークの中に埋もれた状態ではあると思うんですけど、
ただバトーを好きというかバトーを気に入ってるっていう情報はネットの海にあるっていうこと。
バトーを気に入ってる情報がこの世界にあるからバトーを救いに来たっていうのは、
なんか結構いい話だなと思って。
なるほど、なるほど。
私はシンゴって漫画ご覧になったことはあります?
いや、知らないかも。
いや、知らないです。
梅津和夫の、ちょっと話ややこしくなるんで、ちょっとあんまり触れないんですけど、
ちょっとごめんなさい、これ話うる覚えなんですけど、
2人の男の子、女の子がいて、その子がものすごい強烈な恋愛をするんですよね。
その恋愛をコンピューターが学んで、でもその2人の恋は終わるんですね。
でも後に愛だけは残るんですよ。
その愛があったという情報は残るんですよね。
なんかちょっとそれに近いものを感じて、
バトーという個人としての自我はなくなったけど、
なんかバトーっていう人間を割と気に入ってたなっていう情報のようなものが、
この世界にあまねく漂ってて、それが結果的にバトーを助けたって考えると、
なんかロマンチックだなぁとは思ったんですよね。
確かに。
またと、モトコがさりげないにやっぱり言うじゃないですか、
いつでも見てるわっていうか、
もうそれも世界そのものになってるモトコが見てるっていうか、
今バトーはモトコの中にいるみたいな状態になってるってことじゃんっていうことが、
彼らでも分かるっていうか、気づかされるみたいな場面だったので、
それはもう完全にモトコと共に生きてるな、バトーみたいな。
本当にクライマックス感というか、
そのことに気づけただけでも、
なんかもう俺はもうこれだけでいいみたいな、
ラストでもあるなっていうふうに思って、
それをまあ格好悪いよなって言って終わらせるんですけど。
だから僕はそこまま生き切ったらもう大拍手するんですけどっていうか、
あの人間なので。
57:01
そこか。
モトコさんの境界線はそこか。
そこなんすわねっていう、そうなんですよ。
レミニセンスも生き切っちゃうわけですよ、あれも。
レミニセンスも生き切っちゃうから好きなんですよ、あれも。
なるほどな。
けど、イノセンスは格好つけて終わるので、
でもやっぱこれってさって言って終わってくれるので、
それが僕にとっては格好悪いなって思ってるって感じですかね。
なるほどな。
僕逆にレミニセンスのラスト、
ダセイものとして好きなんですよね。
僕あれ逆に生き切っててやべえな、好きってなるっていう感じなんですよね。
ここまで解釈違うんですね、なるほどね。
僕だからレミニセンスのあいつはやべえやつと思ってるから、
ダセイと思ってないんですよね。
そうなのか、なるほどね。
やっぱりでも話聞いてるとマリオさんは映画に突き抜け感というか。
そうです。
やっぱりこれ前田さんも似たようなこと言ってたと思うんですけど、
現実でできないことを求めてるというか、
あるいは現実でやってダメなことを求めてる感というか、
そこは僕はロマンチックな方向にめっちゃ寄せてるっていう感じですかね。
チューニングしてるっていうから。
なるほどね。
僕が映画にしかできないことで求めてるのは破滅なんですけど、
僕が求めてる破滅はダサさと背中合わせなんですよね。
それは意味ないよっていうことに追い込んでる。
しかもそれって逃避としての側面もあったりするんですよね。
逃げるために破滅するみたいな側面もあって、
それってダサいよって思うんだけど、
ダサい人間がダサいなりに全力出してその結果破滅したり、
あるいは結局全力出した残りの人生はまたダサく戻るみたいな、
なんかそれできたら自分がやりたくないと思ってることをやってくれてるっていう感覚なんで。
面白いですね。
そこは一緒なんです。フィクションにしかできないことをやって欲しいと思ってて。
そこは一緒なんですけどね。
だから突き抜けるベクトルというかの方向性がやっぱりみんな違うんですよね、求めてる。
そうですね。
今日まずオープニングで、
大石さんがまさかの異人たちにぶっ刺さってないっていう不思議なところから始まって、
僕、イノセンスマリオンさんにぶっ刺さると思ってたから、
ちょっとわかります。
あれ?ってなって。
おかしい。おかしい。おかしい。なんでだろう。
そうな。不思議なんですよね、こういう時ね。
でもこのなぜ噛み合わないのかっていうのを読み解いていった先に自分の形が見てきませんか?
1:00:05
まあそうなんですけどね。
僕もなんでこれあんまりピンときてないのかなみたいなところは、
今回3人で話してみてようやく自分が求めたのはこっちじゃんみたいなのに、
会話の流れとして行き着いたなっていうのはやっぱりあって、
それはやっぱり僕らしさなんだなっていうのはやっぱり思いますし。
まあでも多分、今この場ではこう言ってますけど、
多分1日経ったらまた別のこと言ってる可能性は全然あると思うんですけど。
そう、もう毎回違うぞ、言ってること違うぞぐらいのもんが人間じゃねって最近思うようになってるので。
それもそうですね。
ちょっと話がずれちゃうかもしれないですけど、
若干こう時差を超えて偉人たちなぜ去らなかったんだろうなって今ちょっと振り返っていく思ったのは、
やっぱ地に足ついた話が結局自分は好きなんだと思います。
現実世界をどうサバイブするかを見せてほしいのかもしれない。
なるほど。
今回のイノセンスもそうなんですけど、
ちょっと行き切りすぎちゃうと自分の日常に応用ができなくなってしまうというか、
別に映画に何か応用を求めてたり、あるいは実用みたいなものは求めていないはずなんですけど、
やっぱ自分の実感みたいなものは欲しくて、
なんか当たり前のことは当たり前にいいと思えるよねって映画にちょっと言ってほしいのかもしれない。
っていうのはあるかもなーって思って、
偉人たちはそこが突き抜けてたんで、
分かるけどここまで突き抜けられはせんみたいな。
あれも確かに行き切った話では確かにあるんだよなっていうのは。
それに対してアフターさんはやっぱり日常に戻っていく話だと思うんですよ。
すごい地に足ついた話だなっていうのは確かにそうだなと、アフターさんの方は。
そうですね、地に足ついてるし、実用的だとさえ思えるぐらいの過去との向き合い方ですよね。
ライフハックと言ってもいいかもしれない。
やっぱりイノセンスの話じゃなくなっちゃいますけど、
偉人たちは本当に幽霊を見てるのかなみたいな感じの話なんですよ本当に。
これは本当に現実だとなんか分かんない話なんですよ。
だから本当にイノセンスにおけるループシーンがずっと続くみたいな。
これはいつからが現実だったかみたいなのがもう分かんないみたいな。
僕はそういうのに揺るがされたい人でもあるし、
もはやそれはもう概念でしか残ってるものがみたいなのが、
僕はすごくその時に言葉に説明するのが難しいものを表現してくれたなって思いにめちゃくちゃ感動するっていうところがすごくあって、
やっぱりちょっと映画に揺るがされたいみたいなというか、
自分の何かを見たいな部分を揺るがされたいとか、
1:03:00
めちゃくちゃ自分がうまく言えないことを言ってくれてるみたいな部分に、
映画を求めてるところはちょっとあったりするのかなっていうのはあるかなっていうのがありますね。
ある種の映像言語としての映画みたいな感じですよね。
そうですね。だからちょっとそういう意味で、
ちょっとイノセンスに戻るんですけど、
ループするシーンは、
ちょっと先に異人たちを見ていたのもあって、
ちょっと揺るがされとかタランって思っちゃったんですよ。
ちょっと今見てる世界が何なのか分かんなくしてよ、みたいな。
もうそんぐらい混乱させてみて、みたいな感じがあったんですよね、異人たちとか。
あとやっぱりそういうのがうまい監督で言うんだったら、
コンサトシとかさ、あるじゃん、みたいな風になってて、
なんかめちゃくちゃ、
イノセンスという劇中、結構喋り続ける話なので、
引用などなんだので、やっぱり言葉の映画だなって感じもすごくしちゃって、
理屈っぽいっていうか、
で、今見えてる世界が本当なのか分からないっていうところも、
すごい理屈っぽくやってるなって感じがすごいしちゃって、
なんかそこもちょっとあんまり合わないなっていう感覚になったかなっていうのはありましたね。
確かに映像的な魅力、
さっき町の中核圏的な小祭りの話とか、
祭り的なのはすごいビジュアルで押してくるなと思うんですけど、
基本的なストーリーテリングって言葉ですからね、今作は。
そこは確かに映像言語的というよりも、
もうちょっとロジカルというよりもなんだろうな、
言語的というか、ちょっとレトリックに寄りすぎてる感もあるかもしれないっていうのはちょっと分かります。
どうしてもすごい言葉で仕組みを説明してるな感が、
せっかく言葉にするのが難しいようなことを映像でやろうとしてるのに、
それが言葉で引用っていう形でぼかしはしてるんですけど、
結局言葉がメインだなみたいな感じになっちゃってて、
深海誠はどうなんだって話になっちゃうんですけど、
深海誠の場合はそれがさらにエモーションの方に広がったりとかするからな、
あと映像美もあるしな、自分の中ではちょっと違ったりするんだよな、みたいなのがあって、
だからイノセンスがちょっとピンとこなかった一個の理由ではあるかな、個人的には。
普通にその評価妥当というか、
正直イノセンス公開された当時、そんな評判良くなかったと思うんですよね。
広角機動隊のSFとしての感性度に比べて、
説明的だし、堅苦しいことを喋ってばっかだし、
あんまり評判良くなかったと思うんですよね。
多分それはめちゃめちゃ真っ当な評価だと思って、
この感じをキャッチしにいけるかどうかに適正が求められているような気がするんですよね。
1:06:01
わざわざ拾いに行かないと刺さらない球のような気がするんですよね。
ちょっと努力を求めてきている感じがあるなと思って。
全体的に会話自体がインテリですからね。
そうですね。そうなのもあるのかな。
これが別に真理ではないですけど、
難しいことをいかに人に分かるように説明できるかの方が偉いじゃんみたいな。
これが別に真理ではないんですけど、
そういうことも思ったりもするなってのはやっぱりありましたね。
あと単純にシャラくさいですよね。
そうですね。シャラくさいになったと思いましたね。
もし日常生活でこの類の会話…
映画だからいいですよ。映画だからまだ見てられますけど。
日常生活でもしこういう会話してる奴いたらシャラくさいなって思うと思います。
そこの会話だけではなく共通言語で喋ってるみたいな感じじゃないですか。
ネットネームで会話してるみたいなもんじゃないですか。
クソダサいというか、絶対近づきたくない人種みたいになるわけですけど。
それはそうです。
趣味が合う同士でイチャコラしてるだけじゃないですか。
難しいことを喋って、それをキャッチしてくれるのかってイチャコラしてるだけじゃないですか。
勘はすごいしましたね。
確かにな。
それ自体の癒さはありますよね。
あんまりあの画面の中に他者がいないというか、
基本同じようなことを考えてる人たちの中で話が構築されてて、
もちろん人形と人間の境界線に対する捉え方は、
トーグサとバトーで対比だったりするけど、
でも言うても適当に喋っても全部キャッチし合えるわけじゃないですか、あの人たち。
ミルトンガーとか旧白聖書とか言って全部拾ってくれるわけじゃないですか。
だいぶ甘えた関係性ですよね。
コミュニケーションとしてだいぶ甘えた関係ですよ。
嫌ですよ、いきなり普通に会話してて旧白聖書の引用とかされたら、
もう勘弁してくれってなりますよ、とか言っても現実の話ですけどそれは。
あと、これも本当関係ないんですけど、
ハーフオブイットっていう青春映画があるんですけど、
あれも結構、全く話全然関係ないんですけど、
結構そういう格言というか引用みたいなの結構出るんですよ。
よく映画の始まり、今作もありましたけど映画の始まりに、
誰かの格言があって物語を象徴しているようなのがあったりあるんですけど、
ハーフオブイットはそれをやりつつ最後に、
もうちょっとネタバレなんですけど、自分の言葉で愛とは何かって語るんですよ。
そこがめちゃくちゃ熱くてかっこいいし素敵だなって思った言葉が、
1:09:00
やっぱりそういう他人の言葉に頼らず自分で言葉で何かっていうのを言えるって、
すごいなってその時に思ったことがあって、
その映画すごい本当に大好きで感動的だなって思ってるんで、
そういう映画を通ってきた後だと、
何やってんだ、これ、なんか遊んでるだけじゃないかみたいな感じに思えるというか、
っていう風にちょっと思ったりもしましたね。
すごい僕、やばいね、最後に最後にめちゃくちゃ文句だけ言って、
やばいなっていう。
しょうがないです。
いやでもなんか、想像してなかった方向に話広がったなって感じですね。
確かに。
あんまりイノセンスな話してないですしね。
そうっすね。
したっちゃしたし。
したっちゃしてるんですけど、これをじゃあ作品のファンの人が聞いて、
もう何の話してんのこの人たちって何なりそうっていう。
考察はしてないと思います、ある意味。
してないです、してないです。
はい、ではそんな感じでイノセンスな話は終わっていこうかなと思います。
次回一旦保留でいいですか?
直接会うし。
ゴジラじゃない?
ゴジラの次ってことですよね?
そうですね、それは保留でいいと思いますね。
浜口龍介とかありますしね。
伝説王土としての次回はゴジラコンロです。
大阪をお邪魔します。
いや楽しみだな、久しぶりに会えるの楽しみです。
はい、じゃあそんな感じでいきたいと思います。
ではお知らせになります。
映画の話したすぎるバー、東京開催が迫ってまいりました。
5月25日土曜日開催予定です。
場所はイベントバーエデン、ニッポリ。
時間は7時30分です。
場所はイベントバーエデン、ニッポリ。
18時オープン、23時クローズです。
大阪震災橋で毎月第2、第4火曜日に
山口が店長をする月にはちょっと映画の話も
あわせてお願いいたします。
またこの番組ではお便りを募集しております。
番組全体、次回テーマへ向けてご注意にお送りくださいませ。
最新情報、番組次回テーマXにて告知しております。
各ご案内は番組説明文をご確認くださいませ。
それでは映画の話した次ラジオ第164回
イノセンスの回を終わりたいと思います。
それではまたお会いしましょう。さよなら。
01:11:56

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