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第259回(2)『炎上』答え無き社会課題、我々はどうしたらいいんでしょうか!?
2026-04-23 58:06

第259回(2)『炎上』答え無き社会課題、我々はどうしたらいいんでしょうか!?

『炎上』の話をしました。 所謂「トー横キッズ」を描いた本作をどう受け止めたらいいのか、何を学び取ったらいいのかが掴めないまま、歯切れの悪い話をウダウダとしています。 ■メンバー 山口 https://creators.spotify.com/pod/show/chottoeibana マリオン https://x.com/marion_eigazuke ■映画の話したすぎるBAR 日時:2026年5月1日(金) 詳細:https://virtualeigabar.com/eiga-bar 場所:『週間マガリ』大阪市北区天神橋1丁目11-13 2階 https://magari.amebaownd.com ■【告知】5月は東京イベント2連発! ・5/9(土) 映画の話したすぎるBAR in Tokyo 場所:イベントバーエデン日暮里 詳細:https://virtualeigabar.com/eiga-bar_2026-5_in_tokyo/ ・5/10(日)『Podcast Weekend 2026』出店 場所:世田谷HOME/WORK VILLAGE 詳細:https://virtualeigabar.com/podcastweekend/ ■お便り https://virtualeigabar.com/contact ■SNSアカウント X(Twitter):https://twitter.com/virtualeigabar Instagram:https://www.instagram.com/eiga_shitasugi ■番組グッズ販売 https://suzuri.jp/virtualeigabar

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今日のテーマトークは、炎上です。はい、ではマリオンさん、解説をお願いできますか。
はい、映画ドットコムより解説読ませていただきます。
We are little zombies. そうして私たちはプールに金魚を。
の、長崎様こと監督が森七尾主演に向かい、新宿歌舞伎町を舞台に少女が起こした炎上事件を描いたドラマ。
カルト宗教の信者の家に生まれた小林ジュリエは、妹と共に厳しく教育されて育つ。
姉妹は毎日やってくる辛い日々が消えるよう、そして教育熱心な父がいなくなるよう、神様にお願いをし続けた。
数年後、姉妹の願いが叶い父は亡くなるが、母から教育を受け続ける現実は変わらず、耐えきれなくなったジュリエは妹を残して家を飛び出す。
SNSに届いたメッセージを頼りに、若者たちがたむろする歌舞伎町の広場にたどり着いたジュリエは、そこでジュジュという名前と寝る場所、食べ物、スマホ、仕事をもらう。
初めて知る世界で様々な人たちとの出会いを経て、ようやく自分の意思を持つことができるようになった彼女は、母の元に置いてきた妹を連れ出して一緒に暮らすという夢を描くが、
長久田監督はオリジナル脚本を手掛け、実際に歌舞伎町でロケを行いながら、街のありのままの姿とそこに生きる若者たちを描く。
主人公ジュリエを森奈々が演じ、パーフェクトデイズの青い山田、交換ウソ日記の外亮介、ネットフリックスドラマサンクチュアリー盛益の一ノ瀬渡るが共演。
はい、ではここから内容に触れる話に入っていきますので、ネタバレ気にされる方がいらっしゃったら是非見てから聞いていただけたらと思います。
では、最後の感想、マニオさんいかがでしたか?
そうですね、長久田監督の映画めっちゃ好きで、プーキン、そうして私たちはプールに金魚も大好きだし、Weare little zombiesもすごい好きで、
そういう意味では炎上もその系譜にある長久田監督らしい映画だなと思ったんですけど、
これまでの映画にもあったある種の低感というか、ちょっと冷めた感じの目線が結構もう極にまで来てるというか、結構辛い話だなっていうふうに思いながら見てましたね。
完全にもうどうしようもない状態、若者の。それを誰もどうしようにもできないし、だってみんなそうやって生きてるじゃん、しかも言うことができないみたいな現実を結構ありのままに描いてるなというふうに思って、結構辛いなと思ったし、
あともうなんか劇中で起こるいろいろな出来事の理由ってあんまりわかんないまま進んでいくじゃないですか。あんだけ仲良かった歌舞伎町で出会った人がなんか死んでたみたいな話とか、なんかあったんだろうなと思うんですけど、やっぱりよくわかんないし、
なんかもうそういう断絶の中で生きてるしかないなあっていうのが結構ありのまま描かれてて、まあそうなんだけどつれえなあっていうふうにすごい思ってしまったりしましたね。
03:11
毎度おなじみのポップさでこう描いてはいるんだけど、ポップでももうやってらんねえよみたいな感じをすごいこの作を見ながら感じたところではあったかなというふうにすごい思いました。
僕はですね、ちょっとどういう体重の描き方でこの映画を喋っていいか実はつかみかねってて、長崎さん監督の作品はWe Are Little Zombiesは見てて、僕あの映画好きなんですけど同時にむちゃくちゃ苦手なんですよ。
で本作その懸念もありつつ楽しみに見たって感じだったんですけど、正直面白かったんですよ。面白かったんですけど、そのWe Are Little Zombiesの時にあったその非現実的なポップさでコーティングする感覚が本作のどうしようもない状況と噛み合ったことで見やすくなったなっていう感覚があったんですよね。
もうちょっとロアク的なまでのポップさ。ポップであることで逆にロアクになってるみたいなバランスがそのWe Are Little Zombiesのバランスは僕は結構ギリだったんです。むしろバランス壊れてるからあるし良かったのが本作はバランスが取れた。
そもそも前提の世界がひどすぎて、そのロアクポップみたいなのとバランスが噛み合ってるなって感覚で見終えて、なんか出来は良かったんじゃないかなとは思うんですけど、ただこの映画に対してじゃあ僕は何を持っていったらいいんだろうっていうのが分からんくて、じゃあこれに対してどうしたらいいんですかっていうのは分かってないんですよ。
で、なまじ分かったふりしてもなんか良くない気もするし、この映画が分かるというか現実にあるそれに似た状況に対して何か分かったふりするのは良くなさすぎるなと思うから、じゃあこういう映画に対しての感想って何であるべきなんだろうっていうのはちょっと僕分かんなくて、結構僕今日喋るスタンスまだ手探りですね。
ただ映画としては結構アリだったなとは思います。ただその映画としてアリとか言ってていいの?みたいな感じがあるんですよね。
そうですね。
っていう感じです。
じゃあ、内容に触れる話入っていこうと思うんですけども、まず主演の森七さんから話していっていいと思うんですけど、どうですか?どうでしたか?
なんかこういう役もできるんだっていう感じでしたね。なんかやっぱイメージすごく純粋そうなイメージがやっぱあるじゃないですか。
06:03
なんかそれがまさかこういういわゆる東横キッズみたいな新宿歌舞伎町に集う若者というかもう子供ですよねみたいな役をできるっていうのがちょっとやっぱ意外だったので、僕の中ではですけど、しっかりそれをやり遂げてたというか。
で、しかも設定として喫音とかいう部分も入ったりするじゃないですか。結構思った通りに言えないみたいな、けどめっちゃ中には抱えてるものすごいあってっていう、表現したいけど表現できないみたいなもどかしさを演じるみたいな役だと思うんですけど、なんかそれなかなか結構高度なことをやってるよなというふうに思ったりしましたね。
ちょっとまあ新しいイメージではありましたよね本当に。僕は森七さんであるがためにどうしても天気の子を思い出してしまってたんですよね。
まあわかりますわかります。
天気の子ってこれをめっちゃ遠回しにやってた話だったんだなと思うんですけど、天気の子はね、登場人物の人格が非常に飲み込みやすいキャラクターになってるから、こんなひどくはないんですよ。めっちゃ大変だけど折れない人たちの話だから、やっぱ本作って基本的に登場人物全員折れてるじゃないですか。
そうですね、いろいろ抱えてて、それが何なのかがわかる人もいればあんまりわかんない人もいて、けどそこになんかずっと集っている、たむろしているみたいな、けどそこが居心地いいみたいな、そういうカルチャーだと思うんですけど。
それを生で見せられるとしんどいなってやっぱ思いますね。
そうですね、やっぱり遠横キッズっていうワードが出て初めて知って、そんなのあるんだって思ったぐらいで、本当にどういう人たちなのかもよくわかんないんですよね、正直みたいな。
なんかニュースとか聞きますけど、結構想像できない界隈、カルチャー、コミュニティみたいな感じなんですよね、みたいな。
で、実際やっぱこの炎上という作品を見て思ったのはよくわかんないっていう、僕も正直思ってる部分はやっぱあって、なんかそのままを本当に出してもらってるって感じではあるんですよね。
だからちょっと若干これ見せ物っぽくなってねえか感はちょっと感じながらも、でもギリギリなんか、でもこれはこういうものだからっていう、ままを見せてるっちゃ見せてるのって成立なのか。
でもどうなのかみたいな、すごい危ういバランスで成り立ってるよなっていう感じはすごいしましたね。
09:00
実際ってどういう状況なのかが僕まずよくわかってなくて、映画の中だとなんかもう柵で囲ってたじゃないですか。
うん、まあ多分あそこに本当はずっとタモロしてて、もう多分入れないようにしてるんでしょうねっていう。
でもまあ入ってるじゃないですかみたいな。
まあそうですね。
現実どうなってんのかなっていうのが。
まあ多分柵はあるんじゃないかなって思うんですけど、でもそこに多分あんま入れないか、まあその柵の外みたいな周りで多分タモロしてんのかなっていうか。
で、今回劇中ではその柵の中に入ってるじゃないですか。
はいはい。
より見せ物感強くなるくないですか、柵の中の。
でもその柵の外にいる人たちはなんか我関節だけど、まあ見えてるわけですよねっていう。
で、こいつらやばい奴だなみたいなことをうっすら思いながら撮ってるんでしょうみたいなのとかがうっすらなんか感じられるみたいな。
そこがすごいまあグロテスクだなっていうふうにやっぱ思うというか。
実際あれあそこで撮ってるわけでしょう?
だと思いますよ。
いやーよくそんなことするなと思って。
あの東方シネマと新宿のゴジラとか見えてたじゃないですか。
すごいすさまじいなと思って。
これってフィクションとして見ていいやつなんかなっていうのがちょっとすっごい混乱したんですよね。
絵なんてなんかその、こんな絵が撮る前になんか他にやることあるんじゃないのかってちょっと思っちゃう部分もあって。
いやーちょっとなんか自分の中でそれに対する回答が出てないんですよね。
僕もそんなしっかり回答あるかって言ってないんですけど。
けどなんか回答ないんですけど、でも見た印象としてなんかあるなーみたいな感覚だけはわかるんですよね。
あそこに集ってる人たちの抱えてるものというか、孤独みたいなものをそこを埋めるためにじゃあ何をしてるかって言ったらああいうところでたぶろったりとか、
まあホストに見継ぐだとかみたいなのってあんまり知らないけどなんか知ってるような感覚としてあるよねっていうなんかあるのはあるじゃないですか。
なんか正直ちょっとそこ知ってるなーっていうもの以上から出てこない感じも少しあって。
まあそれはそうなんですよね。なんか正直東横キッズのイメージだけで成立してる話になってるっちゃなってますよね。
あんま知らないなーって思いつつも僕が抱いてるイメージ通りのことだけが起こってるなーっていうふうに思ったりもしたっていう。
それは確かに気になるとこかもしれないですね。
なんかこれニュースをフィクションでコーティングしたのとあんま変わんない気もするというか。
12:01
普通にそういう特集東横キッズが問題になっていますみたいな特集で組まれた事例そのまんまみたいな感じ。
でなんか喫煙があってで学校に馴染めなくてで親が虐待してってああなんかそうなんだろうなーみたいなそのイメージでできてるからなんかそれでいいんだっけみたいなすごい。
そうなんですよねなんかまあこの映画に言うのおかしいんですけど意外性がないって言っていいのかって言うとあれなんですけど。
まあなんか知ってんなーみたいな感じになんかどうしてもなっちゃってる部分はあってそれは良いか悪いかっていうとまあよくわかんないっていう。
そうですねで実際そういうケースはあるだろうから。
そうなんですよね。
なんかそれをいや典型的すぎるみたいなの言うのっておかしいじゃないですか的外れたし不誠実だと思うんですけど。
でもなんて言ったらいいんですかねなんかもっといっぱいありそうなんだけどそのこの現実を描くにあたってそういうきっとそうなんだろうなっていうもので作られているべきなのかそうではないものをもっと細かく
想像外れる部分を描くべきなのかってちょっとわかんないんですよねどうすべきかっていうのが。
そうなんですよね。
まあ多分ものすごく取材というか多分実際どうなのかみたいなリサイクルした上で作ってると思うんですけど。
じゃあ描く上でどこまでやればいいんだろうねっていう部分では難しいよなあとはちょっと見ながら思ったりはしましたね。
なんかその結構よくある話事象だなぁと思いつつもでも劇中に出てくる登場人物たち全員のことがあんまよくわかんない感じでもできてるじゃないですか。
なんかそこはすごく意味があることだと僕は思ったんですよね。
それはそうですね。
簡単に理解されてたまるかっていう思いもすごいあるだろうし、そもそも人のことを理解するってそんな簡単なことじゃないしみたいな部分がやっぱりあるなぁとは思ってて。
それが映画として貫かれている感じは僕はいいのかなと思ったんですよね。
そうなんですよね。主人公以外のことは掘り下げないから背景が見えないから多分それはそうであるのであってると思うんですよ。
そうであるべきというかあくまで主人公の主観の中ではある程度自分のことだから見えてるけど他の人のことわかんないっていうバランスになってるのは多分正しいバランスなんだろうなとは思うんですよね。
そのうちの一人が自死したとしてもこの街で死ぬ理由なんていくらでもあるみたいな。
15:02
それもそうなんだろうなとは思うんですよ。
そう。死ぬ理由たくさんあってその理由をめっちゃありきたりって言われてしまうようなものばっかりなのかもしれないっていう部分を含めて。
けどこの人が何でだったのかはよくわかんないっていう。そのバランスはすごい好きですよね。
あと一ノ瀬渡るはあれは何をやってる人ですかみたいなとか。
いやーすごい嫌なんだけどあの逆回りの人がいないとあそこ成立しないだろうなと思う立ち位置じゃないですか。
実際に僕らがニュースとして流れてきて知ってるああいう立ち位置の人って実際に暴力働いたりとかあるいはドラッグとか未成年インコウとかで捕まってたりする人なんですよ。
僕らが見てるあの立ち位置の人って。でも多分悪いことをしてるかもしれないけど、でもあの界隈でその人がいないと成立してない役割を多分その人はしてたりはするんだとは思うんですよね。
なんかその絶妙さは割とあったなと思って。なんか善人じゃないけどここには役割を持ってるなみたいな。
だってあんな高そうな時計とか金箔はめてないじゃないですか。え、でもろくでもない金稼いでるぞこれっていうのは。
こいつめっちゃ立場弱い人削除してるんだろうなと思いつつ、でも一応身の回りにいる人は養ってたりするから。
そうなんですよね。
すごいバランスやなって思うんですよね、あの人。
多分この作品の中のカメラの位置を変えたらむちゃくちゃ邪悪な存在に見えると思うんですけど。
そうですね、正直怖い人だなというふうに思うわけですけど、またピッタリじゃないですか、一ノ瀬渡るという役者が演じることでっていうのもあるから。
けどすごい怖い人なんですけど、あの謎のみんなをかくまってくれる養ってくれる人が歌う歌うシーンあるじゃないですか。
あそこで歌ってる歌すごくないですか。
いやー、あれちょっと僕受け止めきれなかったです、あの歌。
すげー歌じゃんって思って。
いろいろ皮肉っちゃ皮肉やけど、そう言ってられないと生きてらんねーわみたいな。
人たちが集ってるじゃん、そこにっていう。
なんか切実さもすごい感じるし、それ歌ってる奴がとんでもない語学人だろうなって作詞する側の人間だろうなみたいな部分も含めて怖えっていう。
すごいいろんなものが複雑に混ざってるシーンだなと思って、そこすごい印象に残るシーンでしたね。
なんかその自分が不幸であることで、それによって自分は生きていることを肯定するって考えて、
18:10
距離を受けてる身としては危険だなって思っちゃうんですよ。
それは危ないなって、それにすがるのはすごく危ないなっていう。
始終が逆転して不幸でなければならないみたいにもなりかねないし、そこから抜け出せない、発想になりかねない、すごい危険な考え方だと思うんですけど、
でも今この瞬間、この言葉に埋もれてないと、モタンみたいなのは、それもあると思うんですよね。
だってもうなんか、自分は不幸だから幸せだみたいなこと言ってるじゃないですか、もはや。
そうですね。
それは何か必要になる瞬間はあるし、必要な人がいることもわかるから、いやーちょっと難しいなーみたいになってましたね。
そうですね、あとやっぱなんか結構変なゲームやってるじゃないですか、何とかって言ったら何とかって返すみたいな、学校で行こうみたいな番組でやってそうだゲームみたいなって言ったじゃないですか。
例えば古いですけど、あれもやっぱ一種の結束を高める儀式だよなーって思ったんですよね、彼らにとってすごく。
彼らにしかわからない何というか話題というかカルチャーっていうか、でもそれがやっぱ支えになるよなーっていう部分はやっぱあるなーと思ったんですよね。
つまんなそうなんですよね、正直。あそこのやり取りの数々。
これ別にいくらでも続けようと思ったら続けられるじゃん、このゲームみたいなやつですよね、あれはゲームというかやり取りというか。
まあまあ、でも彼らにとってはすごく楽しいことだろうなーと思いますし、それであれですよね、たぶん途中あれですよね、風邪薬かなんかみたいないっぱい吐い込んだやつとか、
いっぱい飲んでオーバードーズ気味なことやってみたいなとか、そうでもしねえとやってらんねえよみたいなことなんだと思うんですよね、やっぱり。
いやー、ちょっと考えれば考えるほど耐えれないですね。
そうなんだよなー、やっぱりあとミーツザワールドやったじゃないですか、あれもちょっとそのある種孤独を抱えた人が歌舞伎町にやってくるみたいな話だったと思うんですけど、
やっぱミーツザワールドの人たちってある程度いい大人じゃないですか、だからちょっと一線引けてる、まあ引けてない大人もいるんですけど、世の中には。
はい。
やっぱ炎上だとやっぱりもう子供たちじゃないですか、もはや。
はい。
もう引けないですよね、いろんなもの線をこう。
ああ。
そこがやっぱり辛いし、またから見てたら辛そうに見えるし、じゃあでもどうにもしてられないなーみたいな気持ちもすごいあってっていう部分があって、
21:09
すごく理解と理解できなさがすごいずっと続くみたいな映画ですよね、ほんとに。
ちょっと去年ね、愚か者の身分とミーツザワールドっていう歌舞伎町映画2本立てっていうのはやりましたけど、それに比べて本作の救いの無さというか、
もうなんか物事の分別そんなついてない都市だから、ちょっと見てて死んのぞれるんですよね。
で、やっぱミーツザワールドとかもね、なんかあのホストとかを気軽に描きすぎだったと思うんですよ。
はいはい。
僕あの時ちょっと言ったんですけど、その見つかせすぎて刺されるようなことを、なんか一つのエピソードトークみたいなバランスで落とし込んでるのは良くないだろって言ったんですよ、あの時。
はいはい。
で、ああいうことやってる現実の底にはこの炎上みたいな現状があるわけですよ。
本当に身を持ち崩すぐらいそれに見ついでしまう人、まあそれは多分男女関わらずいると思うんですけど、
それが起こり得る状況を、まあ言うても私たち大人なんでってバランス感覚で、それでも私たちこの街で生きていきますねみたいなのはちょっとやっぱあんまり良くないんじゃねって思ってたんですよ、ミーツザワールドに関しては。
そうですね、まあ歌舞伎町といい距離感でいれる人はいいがっていうことですよね、あれはね。
まあできる人たちによるできる人の話だったから、まあ僕らもまあ僕も安心して見れるし、そこにこうすごく分かる部分あるなあみたいなふうに思えるんですけど、
今回はちょっとそういう言い方はもちろんないので、みんなある種孤独っていう話だと思うんですよね、
すごいなんか孤独っていうワードでまとめるとすごいなんかしょうもなく聞こえてくるんですけど、
もうなんかみんな仕方ねえなあみたいな気持ちでその孤独と向き合ってそれをどうにか埋めようとしているみたいな、
もう大人も子供ももう仕方がないみたいな定感ですよね、そういう。
やっぱその定感みたいな部分は長久監督ってずっと通定してる部分あるじゃないですか、やっぱり。
だからっぽいなあとは思うんですけど、いよいよちょっとこの作に関してはシャレにならんぐらいちょっと重たいなあって思うというか。
We are little zombies とかはまあ定感はあるけど、のんきっちゃのんきだったと思うんですよね。
なんかその能天気さももうないですもんね。
まあその登場人物の主観だけが能天気で、状況にその世界の側に能天気さは一切ないから。
そうなんですよね。
映像表現的には世界の側に能天気を持たせられるタイプの作家さんだと思うんですよね。
24:03
We are little zombies とかもいやそんなこと起きへんやろみたいなこと起きてましたけど、やっぱそれやっていい。
その世界の側のルールを能天気に持ち込める表現を取ってたと思うんですよね。
本作はちょっとファンタジーな映像表現は取ってるんだけど、でも救いは一切ないじゃないですか、本作には。
そうなんですよね。
元々のカルチャーがだいぶポップ目なものがやっぱり周りに溢れている分、これ以上ポップでコーティングできませんみたいな状態なのかなって思ったりもしましたかね。
歌舞伎町映画で愚か者の身分も話しましたけど、あれも結構な若者が戸籍もないような状態になってっていう話なんですけど、
あれもめちゃくちゃ過酷な状況なんですけど、あの映画って希望があって、ここを抜け出せば人生は良くなるって信じてるからだと思うんですよね。
それのための行動をできるし、その行動をするための意思を持ててる人たちの話だったから、なんか救いがあるなと思うんですよ。
それはこの人のことは絶対に信じられるっていう人がいるからだと思うんですよね。
一応愚か者の身分も、あの限られた中での絆っていうものはものすごく強くあったと思うんで、それがこの世界と立ち向かうように値するという意思を与えてくれるものになってたと思うんですけど、
炎上とか見てると、やっぱり別にそういう意思とかがあるわけじゃなくて、単に傷の舐め合いじゃないですか、それが悪いとか言いたいわけじゃなくて、
その信頼してるんじゃなくて、相互依存し合ってる。お互いの孤独の痛みを麻痺させるためだけの関係性がだからあれって。
そういう関係性も全世の中にはあるんだけど、あっていいんだけど、それしかないからやっぱり救いがないなってなるんですよね。
だから彼ら彼女らに、あそこを抜け出すっていう選択肢が一切ないように見える。
もうそこがゴールだと思ってそこにいるから、抜け出そうという風なビジョンが見えない。
抜け出したいとは思ってるんだけど、そのやり方では抜け出せないよっていうことをしてるなっていうのがあって。
そうですね。主人公のある種ちょっと動機というか、妹を救うために金を稼ごうみたいなマインドあったじゃないですか、動機というか。
あれもなんというか、本にとってはすごくロジックが通ってると思うんですけど、別に旗から見てるとそうか?みたいな話でもあるじゃないですか、正直。
27:03
そこが何か間違ってるけど、でも何かそうしざるを得ないのかな?みたいな部分が何とも言えない気持ちになりみたいな部分はちょっとあったりしたんですよね。
何でしょうね。ゴールが別にあってほしいみたいな願いの結果のようにも見えますかね。
じゃあ2人で抜け出してどうなるの?みたいなのは確かなものがあるわけじゃないんだけど、それぐらい持たないともう人生にやることがないっていうか目標がないから、意味がないから。
ただ孤独を埋め合わせて命が消えるのを待つだけみたいになりかねないじゃないですか。
そうですね。
そうならないための妹を連れ出すためのお金を貯めるっていう、でもそれもあまりに儚いというか、そもそもやり方がそうであるべきではないし、みたいなのがすごい厳しい話だなと思って。
何も信じられるものがないし、明るい未来だとか希望みたいなのも全然見れないなっていう、それは別に何か歌舞伎町だからというわけでもないと思うんですよね。
世界そのものがっていうふうに見えてるというか見えるというか、だからそれを本当に結構まざまざと見せつけられてくるっていう部分も含めてやっぱしんどくなるなっていうのはやっぱありますね。
基本この世界が地獄で、その地獄の中で一番痛みが麻痺できるのがあの場所っていう感じだと思うんですよね。
だからそんな居場所っていうほど強いものでもない感じがあるというか、だから簡単に裏返るなって思って。
だからお前らドラッグには手出すなよって言ってた奴が、これ口に含めみたいなこと言ってくるわけじゃないですか。
どういうことじゃね?っていう感じですよね。
すごい曖昧だし、ちょっと前までワーキャー一緒に騒いでた奴らが自分が貯めたお金を取っていったりするわけですよ。
これって別に誰のものでもないでしょみたいな、その不確かさ。
それぐらいの人間関係だから入れたとも言えると思うんですよね。
そんな寄りかからなければならない、信用しなければならないっていう人間関係には裏切られたわけだから。
そんな体重かけなくていい関係性の中に痛みを和らげる効果があったからそこに入れたけど、それは同時に簡単に失われる。
もうあまりに不確かなものでしかなくって、案の定それにも裏切られるわけじゃないですか。
30:01
信じないっていうことでいられる場だったものにもそれにさえ裏切られるわけだから。
そうなんですよね。だから本当劇中キラキラして見えるものが本当に暗く見えるみたいな瞬間が結構あるというか。
保護施設みたいなところを抜け出すだとかみたいな時の夜空みたいな、キラキラの星空みたいなところかと思いきや別にみたいな部分だったりとか。
あと大元となる炎上騒動みたいな部分もすげえ表現してましたけど、そのもの燃えるとかではなくめっちゃキラキラしてましたよね。
あんなキラキラしてるけど本当に今たぶん目の前で起こってくると地獄みたいな風景が広がってんだろうなみたいな。
なんかそのギャップっていうか、なんかすごい大砲っていうんですかこういうのって。
なんかそういうのが全編大砲みたいな感じですかね。
なんか要所でそこをポンって出すんじゃなくてずっと大砲みたいなトーンで進むんで、なんかもう気持ちがよくわかんないままずっと進んでるなっていう。
まあでもそれがある意味正しいっちゃ正しいのかもしれないみたいな映画にはなってるかなっていうふうには思いますね。
いやー本当積んでますよね。だからあの状況が。
好転できる材料が一切見えないから、その状況が好転するっていう希望がない中でどうやって生きたいのかがわかんないなと思って。
これってどうしたらいいのかなって。
いや本当にそうですよね。なんかどうすればいいんでしょうかっていう本当に。
なんか大人が子供に対して輝ける未来を提示できるような大人になってるべきみたいなのとかあるんでしょうけど、そういう問題でもない部分あるしなーってやって。
どうしたらいいんだろうって。
なんでこんなことになったんですかね。世界。
なんかそうなんですよね。なんでなんだっけみたいな。なんかそれを全然考えないまま生きてる人が大半だろうなって思うんですよね。
ちょうどタイミング的に殺し屋市の25周年リマスターの予告が流れてたんですよ。
ありましたね。
やった殺し屋市だってせっかくだから見に行こうかなと思ってたんですけど、25年前の殺し屋市の歌舞伎町には多分この世界観はなかったような気がするんですよね。
あったのかな。ずっとあったのかもしれない。小規模ながら。
そうですね。あったのかもしれないんですけど、今はすごくそれが見えやすくなってるだけなのか、逆にそこまで見えてなかったっていうのも怖くないですかっていう感じもしますけど。
33:00
社会が貧しくなったっていうのは多分あるんでしょうし、スマートフォンの存在がそれを見つけやすくしたっていうのもあるかなって。だから繋がりやすくなったって感じですかね。
そういう孤独が繋がりやすくなったっていうのもあるでしょうし、でその繋がった孤独が自己表現できる媒体でもあるじゃないですか。
そうですね。
それによって顕在化しているっていうのも、今まで個別でしかなかったものが世の中の表面に現れるようになったのかなっていうのもあるんですけど、じゃあどうしたらよかったんですかね、これは。どうすればよかったのか。
そうなんだよな。どうしようもねえなっていう。どうしようもねえなって、どうにもならんかったなっていう。僕らはこのまま生きなきゃいけないのかなみたいな。
これでいいはずなくないですか。
もういいはずはないんですけど、どうしたらいいかわからんっていう。
絶対間違ってると思うんですけど、そもそもこんな映画撮って何したかったんですかってちょっと僕思ってるんですけど、まず状況を知ってほしかったんですかね。
なんですかね。
だとしたらまあ別になんとなくは知ってますよ、これの状況があるっていうのは。
そうなんだよな。そうなんだよな。だから下手したらこの映画見終わって、「で?」ってなる人もいそうなんだよなっていう正直。
それはうん。
難しいな。
僕は絶対に彼らに福祉の手は届くべきだと思うんですけど、なんで届いてないのかなっていうのはちょっとよくわかってなくて、彼らが大人を信じてないっていうのはあると思うんですよ、それは絶対に。
そうですね。
僕ちょっと前に読んだネットの記事を思い出してて、もしかしたら前に話したことあったかもしれないんですけど、
太平洋戦争直後の日本で戦災孤児が里にもらわれていくみたいなことの難しさを書いてた記事だったんですけど、
だからそういう戦災孤児って大人や社会に裏切られて大人を信じてないから、
例えばそういう里親にもらわれていったとしても、その家で良き子供として振る舞えないから結局そこからはみ出しちゃうっていうのを読んだんですよね。
大人を信じてないし、愛される子供としての振る舞いをできないっていう。
たまに言われる本当に救いの手を差し伸べるべき人は、救いたいと思える見た目をしていないっていう言葉に通じるもんだと思うんですけど、
そういう人って本当は絶対救わないといけないんだけど、救われるように振る舞ってくれないわけですよ。
36:04
でもそれと通じるものがあるとは思うんですよね。
大人が助けなきゃいけないのにその大人を信じてないから、どうしたらいいんだろうみたいなのになって、
実際彼らが置かれてる状況って戦災孤児とそんな変わんないと思うんですよ。
だから起きてる状況がホタルの墓とそんなに変わんないと思うんですよね。
確かに。
でもあの時代って実際都会の駅の軒下とかには、そういう戦災孤児がいっぱいいてたりしたわけじゃないですか。
本当の戦争直後は。
それと同じことが起きちゃってると思うんですよね。
そうですよね。
主人公の場合は完全に虐待っていうか、もう完全に大人を信じることができない状態から始まりますし、
あと神様も信じられるかみたいな感じでしたもんね。
神様仕事おせえっていうあたりのセリフ回しとかすごい永久監督っぽくていいなって思ったんですけど。
あのシニカルさというかっぽいですね。
そう、そうなんだよな。
あのシニカルさが意外と少なかったなとも思ったんですよね。
いや入ってはいるんだけど、そのシニカルさだけではどうにもならんぐらいちょっと現実が辛すぎるみたいな部分があって。
だから多分ちゃんと喰らったんだろうなっていう見たが僕らは。
その戦災孤児と比べてちょっと考えてたんですけど、
別の問題ではあると思うんですけど、その戦災孤児は大人たちは無視してたらよかったわけですよ。
世の中は良くなっていくはずだし、こういうことも減っていくはずだから、目の前のこの子どもは無視しときゃいいやって思えた部分はあったと思うんですよね。
だから駅の下にいる子どものことも無視して通り過ぎられたと思うんですけど。
現状は別に戦争が終わったとかでもなく、ただ社会がしなびいていってるってことは、そういう子どもは減らないじゃないですか。
むしろ増えていくわけじゃないですか。
無視して良くなるわけでもないと思うんですよね。
戦災孤児を無視したことが良かったとも言わないですよ。
言わないんですけど、現状から目を背けても別に良くなるわけでもないじゃないですか。
そうですね。
もう増えるだけだと思うんですよ。
どうしたらいいんですかね。
この映画見て僕らが何を思って何をしたらいいんですかね。
そうなんだよな。
それが僕がこの映画に感じている疑問でもあって、確かにこれは現実にあるかもしれない。
39:04
非常に誇張された一側面とはいえ多分あると思うんですよ。
こういうケースは全然あり得る。似たようなケースがある。
もしかしたらそっくりそのままあるかもしれないです。
それをフィクションという形で他人事ではなく一旦自分の中に主体として取り込める表現方法を使って一旦僕たちは取り込みましたと。
その次が分からんくてどうしたらいいかなって。
ありのまま見せましただけで終わっていいのかみたいな部分。
そういう映画確かに僕あんまり好きじゃない部分あるなっていうのは確かにあったりはしたので。
それ見せて人間ってほらこういうもんじゃんみたいな言い切って語った気でいるみたいなニュアンスが乗る時もあるじゃないですかそういう映画って。
この映画に乗ってるかどうか結構難しいとこですね。
そうなんですよ。この映画は別にそこに乗ってるかっていうとそうでもない気もするっていうあたりが難しいさをより深めてる感じはします。
なんか描くことをちゃんと描くことはできてるような気もするし、逆にさらにそっから先を描くべきだったのが全然ないような気もするんですよね。
でもそんなものを描いても疑問じゃんって言われたら疑問なんですよそれも。
そうですね。だから本当に最後はもう炎のスタンプで終わるじゃないですか。
あのスタンプもいろいろ意味複雑にこもってるじゃないですか。
ただあの1個精一杯打つっていうことで、いやそれでもいきますけどねあたしゃみたいなっていう部分で。
そこが唯一救いというか、それもやっぱ定感の中にある希望ではあるんですけど、それはそれでやっぱ辛いよなっていう気持ちはどうしてもなっちゃうというか。
だからちょっと僕見終わった後ね、僕この映画のこと考えるの放棄してたんですよ珍しく。
もう何考えても嘘になるから。
なんか答えを見つけたなんて完全に嘘だし、現状を知ったからそれでよしともならないと思うんですよ。
なんか考えれば考えただけ、疑問の袋口陣に陥るなって感じがして。
じゃあこの映画がそんな悪いかと言われるとそうでもないと思うんですよ。
語られるべきなんだけど、この映画が語る範囲ってそこで良かったんだっけみたいな。
そうなんですよね。掴めそうで掴めてないみたいな感じ。
映画がそういう感じではあるけど、実際の東横キッズのコミュニティもそういう存在なのかもしれないしなみたいな部分を描いてるという意味では正しいんだろうなみたいな。
42:07
難しい。
ちょっとじゃあ、他作品と重ねながら考えてみたいと思うんですけど、例えばですね、フロリダプロジェクトのラスト、本作のラストって何が違うと思いますか。
そうだよな、確かにな。
あれも疑問なんですよ。
そうですね。
でもあれは結構美しく感じるじゃないですか。
そうですね、美しく感じますよね。
希望があるように思うじゃないですか。
でも希望があるなんていうので生きていけなかったから、霊性に頼って生きてるわけじゃないですか、彼らは。
どうしたらいいんですかね。フロリダプロジェクトは何を描けてたんだろうって、そして何を描けてなかったんだろうっていうのをね。
あれもセックスワークが出てくる話でもあるし。
そうですね。で、やっぱりもうかなり過酷な現実を映し出してもいるっていう部分で、結構なんて言うんですかね、そのフロリダプロジェクトってやっぱり最後すごい飛躍するじゃないですか。
ああいうの見て、うおーってやっぱりなるわけですけど、そういう意味では炎上は飛躍ってしてるっちゃしてるのか。
してるっちゃしてますね。
一応。
してるけど、なんかでもやっぱ地に足ついてる感じなんですかね、それって。
うーん、なんだろうな、なんでしょうね。
なんか飛躍させることで、ちょっと難しいな、言葉にするの難しいんですけど、なんかちょっと飛躍させることで、甘さっていうと難しいんですけど、
ちょっと現実と乖離した感じってニュアンスとして乗ることはあると思うんですよね。
けどやっぱり炎上って作品見たときに、なんかそういうちょっとスイートな感じっていうのはやっぱ印象としてない映画にはやっぱなってて、
ある意味そこは誠実っちゃ誠実だと思うんですね。甘い夢見させてあげないみたいな部分というか、そういう意味でなんか地に足ついてるというか、
なんかそこいう意味では何か正しいのかなっていうふうに思ったり、今ちょっとしましたかね。
ちょっとあんまり考えとしてまとまってることではないかもしれないんですけど。
それでいくと、この映画が本当にその東横キッズと言われるような子たちに寄り添えるものだったらもうアリだと思うんですよ。
でも多分彼らこの作品見る機会ないですよね。
見ない、見る機会もないのか、見ないか。
で、見て響くのかどうかっていうのも僕ちょっとつかみかねてるとこがあって、
45:03
なんか俺たちのことわかってくれてるってなるのか、大人が俺たちのことわかったふりしてるクソがってなるのか。
で、後者だったらむちゃくちゃ嫌な話だと思うんですよ、この映画のコンセプト自体が。
そうですね。
せめて前者であってほしいけど、だとしたらこの映画のそれじゃないような気もする。
もっとテーマのないものじゃないと彼らに寄り添えないような気もするんですよね。
そうですね、そうなんだよな。
いやもう本当にね、考えれば考えるほどフィクションって何を描くべきなんだろうってなっていって。
確かにな。考えれば考えるほど理解から遠ざかるんだよな。
本当に問題意識の発露なんだったらノンフィクションっていい気もするんですよ。
絶対その方が刺さるから。
どんなに典型的に見える事例だったとしても、現実にそれがあるんだったらそれって説得力だから。
でもあくまで本作フィクションなので、そこもどんなに感情輸入してもこれフィクションなんだよなってなるし。
そうですね。せめて当事者にとって大切な映画になる。
大切な映画というかあれですけど、俺たちの映画だみたいになってくれりゃいいですけど、せめてって思うけど。
多分彼らの救いってSNSなんじゃないかなって気がするんですよね。
長編映画じゃない気がするんですよ。
そうですね、そんな気はします。
いかに意味ないことをやれるかみたいな部分に命をかけてるじゃないですけど、生きる希望を見出してる部分はあると思うので。
だとしたら意味を見出すのは大人の役割で、そこに改善を加えていくのも大人の役割、大人の義務かなと思うんですけど、
それを僕らはどうやってそれにアプローチしたらいいのかなっていうのは、投票ですか?
投票で変わる部分もあると思うんですけど、でもなんか真にリーチできてない感じもすごいしちゃうんだよな。
難しいよな。何なんだろうな。
目が粗いですからね、政治は。やって欲しいことをやってくれるわけではないですからね。
そうなんですよね。
ビジネス。彼らの待遇をよくできるようなビジネス。ちょっと重いですよね、ビジネスを起こすのは。
そうですね、ビジネスでやるのはなんというか、でも現実今そういう手を差し伸べるようなことをやってる人たちって、やっぱそのNPO法人とかがやっぱ多いと思うんですよね。
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ビジネスは多分どうにも今できてないんだろうなっていうふうに思うわけですけど。
そういうのめっちゃ嫌われますもんね。あれほんと良くないと思うんだよな、NPO嫌うの。
ほんとにね、何言ってんのって思いますけど。
そういうNPOの邪魔をしないっていうのはまず責めてやられることの一つだと思うんですよ。
そうですね。
本当にちゃんとやられてるのかどうか問題はありますよ、NPOがね。
それはそれとして、よくわかんないまま叩くのは絶対良くないじゃないですか、それは。
だから、何だろう、口を出さずに距離を置いて見守るみたいなのは必要だろうなと思うんですよね。
当事者として動ける人の邪魔をしないみたいなのは、まず責めてやれることかなっていう。
そうですね。私、そういう人たちってやっぱり基本的に想像力がないから叩くんだろうなと思うんですよね。
現場のこと何もわかんないで言ってる人がほんと大半だと思うので、
そういう意味では今作の存在で想像力働かない人のためにもなっているのかもしれないが、どうなのか?みたいな。
それも受け取る側も結局そんなにこんなもんだろ?みたいな風に思ってたら結局一緒なので何とも言えないんですけど。
いやでも、想像力って難しいですね、そこまでは。
言葉で想像力って言ってもね、言うだけだったら簡単ですけどみたいな、それあるのでね。
僕の主観的な感覚で言うと、天気の子を見て感じたことからここまで繋がらないとダメだと思うんですよ。
想像力の力で。天気の巫女ってこういうことのメタファーだなーみたいな。
彼らって東横キッズとそんなに置かれている状況変わんないよなーみたいな感じの想像を働くんだったらいいですけど、別にそんな働かないと思うんですよね。
そうですね。
だからフィクションが語る想像力の力の弱さみたいなのは本当にすごい感じるんですよね。
だから、なんて言ったらいいのかな。
想像力を行動のきっかけにできる人は100万人に1人だなと思うんですよ。と思ってやらんとしたらいいかなっていう。
だからその100万人に1人の存在を信じてやるかどうかなのかなって気もして。
その100万人に1人の起こした火を僕らは責めて消さないみたいな。
多分僕らに火を起こすパワーはないと思うんですよね。
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ただその火を責めて消さないみたいなのはやれたらいいのかなって気はするんですけど、
ただその100万人のうちの大多数の人はその火を消そうとしたりもしますよねっていうのも。
そうですね。
そういう意味では結構映画を見て断絶がどうとかって話をしがちですけど、
これほど断絶みたいなの感じる映画そんなないかもしれないですよね、ある意味。
ないですね。
生人身近な分ね、一応我々と地続きの生活圏内にいるわけじゃないですか、彼らって。
日本国内で行こうと思ったら行けるし、なんだったら映画館の前にいるわけだから、
全然僕たちが東京に住んでて東方シネマと新宿行こうってなったらあの前通るわけですよ。
全然リアルなものとしてそこにあるけど、この世界と全く分かり合えないんだなっていうのが、
すごい異世界の話よりより断絶を感じる。
でもその断絶を断絶ですねって終わっちゃいけないんだなっていうのがね。
そうですね。
語ったところで何ができるわけでもないっていうのがちょっと無力すぎてね、しんどいなっていうのはありますけど。
だいぶ食らってしまったなっていうか。
ちょっと監督に聞きたいですもん。じゃあ僕らどうしたらいいんですかって聞きたいですもん。
自分で考えてくださいって言われるんだろうなって思って。
見終わった後どうしようってなりませんでした?
まあそうですね。
どないせいって言うんやみたいな感じですし、あと何ですかね。
エンディングの曲歌詞出てるじゃないですか。なかなかにすげえ歌詞だったじゃないですか。
なんかすげえなと思ったんですけど、でもああいうマインドで生きてるのかなっていう。
僕は分からんけど、ただそれが生きる原動力みたいなモチベーションというか。
今を生きている人はいるんだなって思ったりもして。複雑やな世界みたいな。
すごいちっぽけな感想に落ち着くんですけど結局。
逆にとことん他人事として消費する方が正しかったりします?この映画ってもしかして。
どうなんですかね。
なんか変な奴らがいるっていう。変な奴らが無茶苦茶な人生を送ってるっていう。
で、その果てに破滅してるっていうのを他人事として楽しもうが正しかったりするんですかね。
ある種、すごい遠くの世界の人で、その人の人生がめっちゃ生き切った人生やってるみたいな。
それを見てすごいなって思うみたいなってことですよね。
そうなのかもしれんけど、そうなんかな。
ちょっと今ふと思ったんですけど、別にその作中の登場人物が分かりやすく救われる必要ないかもしれないですけど、
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なんか救おうとする大人ぐらいいてくれても良かったかなとは思いました。
その差し伸べた手が届かなかったとしても、なんかその手が届かない大人がいたっていうことを描くのも一つありだったかなと思って。
そうしたら多分一気に見やすくなると思うんですよね。
見やすさは出る。
見やすさは出るけど、なんかそれも全部霊障に回収されそうで嫌だなっていう気持ちもあるんだよね。
そうなんですよ。結局そんな大人いないじゃないですかって。
そう。それはそれで辛いんだよなっていう。
マガリナにもフィクション好きだから、なんかその良きにつけ悪きにつけフィクションが持ってる答えが欲しいんですけど、
本作にその答えが明確なものを持たせられなくって。
難しい。
一旦はの答えですけど、せめて邪魔しないかなっていうのは一つかなとは。
そうですね。全然ここまで話してくれて何もまとまらなかったですねっていう。
この映画正直喋れば喋るだけ損しますよ。
こいつら何の信念も持ってないんだってなっただけなんじゃないかなって気がして。
そんな気がしましたね。こいつら何も考えてねえんだなっていう。
怖い映画作るなって思いましたよ本当に。
なんかここまで観客に丸投げって答えは観客それぞれの中にありますって聞こえはいいけど、
もう全責任こっちやみたいな。
でもある意味そういう無関心というか、
まあそんな遠いカルチャーの話だな、コミュニティの話だなみたいな人をある種こう突き刺すみたいな映画だってたってことですよねそういう意味では。
あそこなくのは僕らはもう死にましたね。刺さりすぎて。
刺さってて、理解できなさというか何も考えてなかったな自分みたいな部分に大いに刺さってしまってるなっていうのはありますよね。
てめえらもがき苦しんでくださいっていう。
てめえらの当事者意識の無さを喰らってもがき苦しんでくださいっていうのは喰らいました。
そうですね。まあそうしても私たち生きてるけどな、みたいな。
せめて苦しめと。それも一つですね。純粋に嫌な気持ちを広げるっていうのも、それはそれで一つの映画の役割かもしれないです。
はい、じゃあまあそんな感じで延長の話は終わっておこうかなと思います。
ではお知らせになります。
映画の話したすぎるバー次回開催日は5月1日金曜日になります。
場所は大阪南森町週刊曲がり19時オープン23時クローズです。
57:03
そして5月9日土曜日に東京で映画の話したすぎるバーを開催します。
場所は弁当場屋店日暮里18時オープン23時クローズです。
さらに5月10日日曜日に開設されるポッドキャストウィークエンド2026にて映画の話したすぎるラジオの授業を販売しますので、そちらも併せて遊びに来てください。
またこの番組ではお便り募集しております。番組全体や特定の作品向けてご自由にお送りくださいませ。
バーの最新情報次回テーマはテキストおよびインスタグラムにて告知しております。
各ご案内は番組説明文をご確認くださいませ。
それでは映画の話したすぎるラジオ第259回延長の回を終わりたいと思います。
それではまたお会いしましょう。さよなら。
さよなら。
58:06

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