あれ自覚的にまあああやったんですけど、あれって良かったかっていまだにずっと問い続けてますね。
まあ確かに。
多分その語るための手札がないんだなってことをちょっと改めて思いました。コメディ映画というものに対して。
そうなんですよ、これ前回のオープニングでも話してて、あの今回収録時点でまだ公開されてないから大井さんご存じないんですけど、我々コメディ喋るの苦手かもしらんなって。
いやーそうっすよね。なんか何でも真面目に撮られたくなっちゃう立ちではあるじゃないですか。
そうなんですよね。いや真面目すぎたなって思いましたよ、やっぱり。
いやーだから余計に僕もうちょっとそこの舵取りをした方が僕が良かったんじゃないかなみたいなふうに思ったんですよね。
ちょっと僕はその辺話したいって言ってたけど、なんか自分自身で広げにいってなかったなっていう。
いやーちょっとね、あのまあ一つ今後の指針になる回だったかもしれないです。
そうですね。
どう立ち振る舞うべきかっていう。
まあ、でもちょっとこれをね苦手なままね、このままじゃああんまり扱いませんっていうのもね、ちょっとねなんか寂しいじゃないですか。
はい。
ちょっとまたなんかチャレンジはしましょうよ。
はい。いやもうもちろん基本的には何来てもいいつもりでやってますし、
よくそのプロレスが上手なプロレスラーに対して、ほうきとでもプロレスができるみたいな褒め言葉があるんですけど、
はいはいはいはい。
そうなりたいなっていうのはあるんですよね。
その何であろうとも様になるって結構大事なことやなと思うので、
まあそれがね、あの本来その作品に求められているものでないとしても、
まああの、リングに上がる以上はちゃんとプロレスするぞっていう気持ちで挑みたいなっていうのはちょっと思ってます。
うん。
そうっすね。でもなんかコメディ映画、もちろん楽しんではいるんですけど、それを語るっていう別の視点で見たときに、
どういう手札を用いるんだろうっていうのを、何て言うんでしょうね、むしろマリオンさんからこの映画だったら喋るんじゃないっていうふうにクリエイションしてほしいかもしれないです。
ああ、アメリカンコメディですか、みたいな。
そう、でこの3人で語らせたら面白くなんじゃないかなっていう。
ああ、なるほど。
うん。
まあ確かにそれでもいいかもしれないですけどね。
うん。
あの、ちょっと近いのはあれですよね、なんかマリーミーも扱ったのって結構そういう、ちょっとラブコメやってみたくないですかみたいな、それちょっと始まってやったじゃないですか。
はい、やりましたね。
なんかそういう意味ではちょっとそれのアメリカンコメディ版みたいな。
うん、はいはいはい。
やつをやってもいいかもしれないですね。
うんうん。
でも全然なんか3人で語りがいのありそうなやつたくさんあると思うんですけどね。
うんうんうん。
スーパーバッド童貞ウォーズとか絶対好きじゃないんですかみたいなふうに思いますけど、見たことあります?
僕らは鍛えたい筋肉ばっか鍛えてるから、あの。
そうですね。
だいぶバランス悪くなってんだなと知りました。
はい。で、えっと、エドワード・ヤンの運命の一日。これちょっと僕も見つけて興味深いなと思ってたんですよね。
うん。これいつやるんですかね。
もうそろそろじゃなかったでしたっけ。
あ、もうすぐでした。
あ、そうだったかな。
結構近々だったような気がするんですが。
でもたまにありますよね。関東と関西で地味にずれるみたいな。
あ、それはありえそうですけどね。えっと、4Kレストアが7月10日?
7月なんですね。
より、ちょっと先ですね。
ちょっと先ですけどね。
まあなんというか、本当に全作品やっていく感じですよね。こんな勢いだとね。
で、もうほぼほぼなんかやってるくないですか?みたいな感じしますけど。
うんうんうん。いやでも、エドワード・ヤン取り上げるってなって、あえてここって、ここ、あえてここなんやっていうのはちょっと。
うん。激渋やなって思いましたけど。
まあ、カップルズは何度も名前挙がってるじゃないですか。
はい、そうですね。
で、まあ、エドワード・ヤンといえば、クーリンチェ少年殺人事件があったりとか。
クーリンチェもありましたし、ヤンヤンもありましたしね。
エドワード・ヤンとかもあったし、まあ、触れるとこはなんだかんだあるっちゃあると思うんですけど。
いやーちょっと、あえていいかもしれないですね。ウンベの1日から。
うん。全くね。
そうですよね。どんな映画か全く知らないんですけど、僕は。
予告見たときにめっちゃトレンディーだなーと思いました。
あー。
うん。なんか時代的なものなんですかね。
なのか、それが台湾にもあったんだってのもちょっと意外なんですけど。
うんうん。
なんとなくその雰囲気のその感じと、まあでもそれだけじゃないだろうな、特に初期のエドワード・ヤンだしっていうのもあるので。
そうですね。初期作って、なんかちょうどいいかもしれないですね。喋るのに。
だって、クーリンチェ喋れって言われて喋れます?僕絶対無理やなって思いますけど。
あー、いけ。まあ、ガン、どうなんだろうな。僕はまだ見たこと実はないので、クーリンチェは。
クーリンチェはなー、そもそも途中寝たりとかするからなーっていう意味で、最後まで見切ってないんだよな。
あの、見てはいるんですけど、最後まで見切ったとは到底言えないみたいな作品ではあるので。
いや、長すぎて、まずここがポイントみたいなの、軸を設定するのも難しいなって僕は思ってるんですけど。
難しいし、登場人物は多いし、名前は複雑やしみたいな。
そうっすね。あの、ヤンヤンもちょっと見たんですけど、あれもやっぱり登場人物がとにかく多いっていうのが結構自分の中では難しくて。
嫌いなものには自我がどうこうって話されてたじゃないですか。
でも、僕聞いてる段階だと、嫌いなものにこそ自我は乗らないと思ったんですよね、初め。
ほうほうほう。
その感覚的なもの、だからこの味が合わないとかっていう理由だと思うから、
それって自我じゃないんじゃないかなって思ったんですけど、
汚染って言った瞬間、めっちゃ自我出たなって思って。
嫌うときって、わかんないですけど、人によると思うんですけど、
人には2種類いて、好きなものに理由をつけたい人と、
嫌いだってものに理由をつけたい人の2種類がいると思っているんですよ、多方。
自分は嫌いなものに、ただただ嫌いっていうのは申し訳ないので、
明確な説明をつけてやりたいってなっちゃうタイプなんですよ。
はいはいはい。
お前を嫌うのは妥当な理由があるっていう。
はいはいはい。
まあ、なんでもそうなんて多分あんまりよろしくないんですが。
そう、なので嫌いなものを語るときの方が、より熱が乗るというか、
好きなものはむしろなんとなく好きだから、
あんまりそこに熱量が乗りづらいなっていう印象があって。
そうなんですよね。
だから嫌いなものを語れるけど、好きなものを語りづらいなって思いつつ、
でもじゃあなんとか気に入らせて好きなものを話そうとすると、
もうこれ最近の話になるんですけど、
最近ちょっと豚汁に目覚め始めましたね。
豚汁?わかりますよ。
わかりますか?
わかりますよ。
なんかわかってる人いるし、どういうこと?
むちゃくちゃバランス取れた食べ物なんですよ、豚汁って。
そう、豚汁ね、すごいそうなんですよ、バランスも取れてるし、
落ち着くし、もう最近だから結構料理作ってるんですけど、
豚汁うまくできた時のテンションの上がり方って言ったら半端ないんですよ。
ああ、これはよくできたっていう。
しかも結構少ない、最小限の材料でそこに行き着くこともできる料理じゃないですか、豚汁。
なんか15分ぐらいでパパッと準備して、
そっから10分ぐらいで煮込んで、
で、完璧な豚汁ができた時に自己肯定感が爆上がりしますね。
なるほど。
いや、豚汁はね、素敵な料理なんですよ、あれは。
なんかそれだけで垂るんですよね、いろんなものが。
全方向から垂るんですよ、ほんとに。
なるほどな。
具材でもある、おかずでもありながらスープでもあり、
なんていうか、もっとこう深いってか、ある種の鍋でもあるというか、
煮物でもあって鍋でもあるというか。
ああ、はいはいはいはい。
そうなんですよ、もう基礎基本が、しかもすごく単純な成り立ちで完璧に出来上がっている。
最近わかったのは、豚汁における豚肉って肉として入ってるんじゃない、
出汁として入ってるんだってことがわかって。
あ、そうなんです、あれ油の甘みのために存在してるんですよね。
今のに両方入ってました?
そう、両方入れちゃいました。
なるほどですね。
趣味もそれで。
それでいいのか、もちろんそれ以外も、例えば写真とかも好きですけど、
そうですよね。
そうか、そうですね。
そう、フィルムカメラを購入してから、フィルムで写真をちょこちょこ撮り始めて、やっぱその楽しさはめちゃくちゃあるなと思いますけど、
ちょっとただそれは、映画と関係ないかって言われると、若干映画の影響を受けてる気がするから、
真正面から答えていいのかなっていう。
いいんじゃないですか。
いいと思うけどな。
フィルムにこだわってるのとか絶対映画好きだからだろうとか思い始めてるんですけどね。
そうか。
もうちょっとツリーとしては分岐してる気がしますけどね、さすがに。
でもなんか、そう、フィルム写真はやっぱり撮るんですけど、全然思い通りの写真が撮れないのがいいんですよっていう。
なので、現像すると思っても見なかった良さもあるし、大失敗もあるしっていうのが楽しくて。
いやもうそこですよね、フィルムカメラ得るんだったら楽しみは。
そうなんですよ、なんか、なんていうか、毎回サイコロ振ってるような感じというか。
もちろんある程度意図してコントロールしてそれをこう収めていくっていうのが、ある種上手くなっていくってことなのかもしれないですけど、
あんまりだから上手くなりたくもないなって感じがするというか。
偶然その時そのタイミングで切ったシャッターがどうなったかっていうのを、
あんまりこっちで分かりながらやりたくないなーって感じが最近すごい強くありますね。
なんか正解がね、存在してる感じになっちゃうんですよね、デジタルやと。
そう、そうなんですそうなんです。しかも何枚も撮れちゃうし、その場で見れちゃうんで。
綺麗なものを残そうっていうのでたくさん撮る方向に走っちゃう。
そっちはその方が写真は絶対上手くなるのは間違いないんですけど。
なんか楽しくないというか、いい写真はもちろんその中で1枚撮れるっていう意味で、
逃したくなきゃ絶対デジタルなんですけど、そういうことじゃないしなっていう感じがしてて。
分かりますね。ちょっと違うかもしれないんですけど、
僕、ものを集めるっていうのの意味があんまり分かんなくなった時があって、
大学時代にドラえもんのフィギュアを集めてたんですよ。
お菓子とかについてて、6種類あって、うち1つがシークレットみたいな、
よくあるやつのドラえもんのフィギュアを集めてたんですけど、
全部集めるのに何回も買わんとダメなわけじゃないですか。
それが、あれこれって主体的に集めてるんじゃなくて、
6個集めるという行為を無理やりさせられてるんじゃないかってなったんですよ。
やった、6個集めたってなっても、第2弾が出た瞬間、新たなタスクが発生するわけじゃないですか。
これって欲しかったんじゃなくて、欲しいものを後から付け足されているだけなんじゃないかってなって、
それが全種類揃うっていう正解にたどり着くまでの苦行みたいな風に感じてしまった瞬間があったんですよ。
確かに、ある種の才の瓦みたいな。
そうなんですよね。だから、もしものを集めるんだとしても、
何種類集めたらゴールみたいなのではないものを集める方が結構有意義なんじゃないかなと思って、
貝殻とか石とか、好きなだけ集めてもいいし、
全然集めなくてもいいみたいなものを集める方が、
ものを集める行為として豊かなんじゃないかなって気がしたんですよね。
なるほど、なるほど。
正解に合わせにいってるから、そのコレクションするという行為が。
6分の6になるようにしているというか、別に6分の6が正解なわけじゃないのに、
それが正解な商品として出されてしまうから、それに合わせにいっちゃう、自分が。
じゃあ、もう初めから正解がないものをやった方がいいんじゃないかな、みたいな時があったんですよね。
ちょっと違うとは思うんですけど、似てるかなって気もして。
似てます、似てます。
ある意味、写真を撮る、いい写真を撮るって、ちょっとコレクター的なところも多分あって、
ある意味、その瞬間を切り取りたいっていう欲求を叶えるものじゃないですか。
っていう意味では、やっぱりデジタルカメラで、例えば連写とかをして、
そのいい写真を撮られてくって、どこかそのコレクション的な要素が強く出てくるなっていうのはやっぱりやってて思うところなんですよね。
で、撮れた瞬間はすごいテンション上がるんですよ、確かに。
一瞬撮れたっていう瞬間はテンション上がるんですけど、見返した時に、
なんでこれをいいと思ったんだっけっていうのがあんまり残りづらいというか。
振り返っていい写真も確かにないこともないんですが、
なんていうんですかね、そこに偶然性がないというか、意図しかないから、
あんまり情報量が少ないっていう感じがして。
で、やっぱりそれに対してフィルムで撮った写真って偶然そこでシャッターが切られて、
もちろんシャッター切ってるんですけど、その時の光の入り方とかって本当にコントロールできなくて、
そこには自分じゃないものが介在してるように見えるんですよね。
なんかそれを収めた時に、コレクションとはなんか違う。
例えば写真を見返した時に、なんかちょっと客観的になれるというか、
自分が後から見ても意図以上のものがそこにあるように見えてくるっていう感じがちょっとあって、
そのノイズの乗り方とか、あとちょっと光が入りすぎてた焼き方というか、
そういうものも含めて、コントロールされないっていうものの良さみたいなものがあるなっていうのはやってて思うところではあります。