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2022-12-08 12:26

今日の10分de1テーマ「スピノザの話のつづき」①

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本職は編集者のエイドリアン太郎が1日1テーマを決めて10分話すpodcastです。 ※ご意見、ご感想、質問や話のお題などありましたら eidoriantarou@gmail.com へお便りください。

[beats by type-AB]

スピノザの生涯と人柄
【エイドリアン太郎のスピノザ】
はい、というわけで始まりました。
めちゃくちゃ間が空いたんですけど、スピノザの話。
スピノザの話って言ってもね、初めてのスピノザっていう、割と速攻で読める本の要約なんで、
もう本当にですね、これを聞くより多分本を読んだ方が早いと思うんですけど、
だから僕はですね、いろいろ自分の考えみたいなことをいまいち整理したいというか、本の内容を整理したいというのでですね、やるんですけど、
いきなりちょっと、スピノザって人はどんな人だみたいな話からなんですけど、
まずですね、もうこれだけでいいかなと思ってるんですけど、顔と性格が優しいっていうことですね。
これすごい面白かったのが、東大の安泰教授の本、なんかのね、すげー難しい本読んでたんですよね。
そしたら、スピノザの話になって、1ページ使ってですね、すごい難しい本の、学術的な本のですね、
1ページ使って哲学者の顔の肖像画が並んでるんですよ。ニーチェとか、ヘイゲルとか、デカルトみたいなのが並んでて、
で、その中にスピノザがいるんですけど、どう見てもスピノザの顔が一番優しい。
この中で誰と友達になりたいかと言ったら、スピノザ以外いないって書いてて、めちゃくちゃ面白かったんですけど、実際にですね、すごいホワンとした顔してるんですよね。
本人もですね、すごい釣り好きで、優しくて陽気な人だったらしくてですね、
すごくですね、困った人いたら割といろんなようだてしたりとかですね、とにかく良い人だったらしいんですよね。
良い人の哲学って感じだなって感じでですね、非常に読んでて気持ちがいいんですけど、
宇宙と神、そしてスピノザの哲学
でですね、その内容なんですが、いわゆる反神論ってやつで、全てが神であると。
僕ら自身もね、神だし、世界中の全てが神様であると。
神様って言うとね、杖を持ってね、引き生やして裁きを下すみたいなね、
人間ぽい意志のある形みたいなのを漫画的に想像したりするんですけど、もっと意志なくですね、全世界そのものみたいな感じなんですよね。
だからまあ、はっきり言って、このスピノザはね、ユダヤ教のベースなんで、
だし多分この時代に神ってことをほっといて、こういう哲学書を書くっていうのは結構難しかったと思うんですけど、
だから神っていう言葉を使ってるだけで、はっきり言って、宇宙なんですよね。
宇宙、全部が、宇宙に全部含まれている。そうですね、みたいな、当然そんな感じなんですけど。
でですね、その宇宙の一部である、まあ、事物がありますよね。人間とか生き物とか、その辺のものとか。
で、それらその一つ一つはですね、完全であるって言ってるんですよね。一つ一つ。不完全なものだとないって言ってるんですよね。
で、それはまあ、神様は絶対的なもので、神の一部であるものが不完全なものはずはないでしょうみたいな、まあそんな感じなわけですけど。
で、まあこの辺がですね、例えばですけど、アリストテレス的な考えとかとはやっぱりちょっと違うところなんですよね。
アリストテレスで言うと、牛ってものを定義するときに、牛、角は4本足で、角が生えててこんな形してて、みたいな風に、形で定義するわけですよね。
なんだけど、形で定義すると、じゃあ、角が折れてる、1本折れてる牛ってのはどういう牛かって言うと、やっぱり不完全な牛なんですよね。
本当は2本あるのにみたいな。
っていう風にですね、形で物事を定義すると、まあそういう完全不完全という考えが生まれるんですけど、
なんかスピノドはですね、2本の角があろうが1本の角だろうが、それぞれは全部完全です、完璧ですって言ってるんですよね。
でですね、じゃあ物事の善悪、例えばですね、角1本足りない牛ってのはちょっと良くない牛だよねみたいな感じで、
形に注目するとですね、そういう善悪とかみたいなものが、形にかなってるかどうかで善悪の判断っていうのがされるわけですけど、
スピノドはそういう風に考えてなくて、善悪っていうのは組み合わせで決まるという風に考えてるんですよね。
善悪の判断と活動能力の考察
で、じゃあ組み合わせた時に、どうなると善でどうなると悪かっていうと、
何か2つのものを組み合わせた時に、活動能力が上がると善で、活動能力が下がると悪だって言ってるんですよね。
で、この話をですね、読んで思い出すことがあって、それは何かというと、
以前このラジオでも話した、回復に殺されないために表現の中で安全に壊れることという対談があったと。
で、あれはその薬物依存の、一応今は止められてるっていう人がいて、何十年間薬物やってないですみたいな人がいて、
で、その人がすごいですね、回復されてって言われるのがすげえ嫌だと、ものすごく息苦しいと、
何か回復者として立ち振るわなきゃいけないって言っていて、
で、それはですね、だから回復に殺されないために殺しなきゃいけないんだみたいな話をその対談でしていったんですけど、
で、その対談の中でですね、とにかく生き生きとしていたいんだって言ってたんですよね。
これ僕はすごく、その時は特に転職しようかな、どうしようかな、いやーしないかな、でもなーみたいなそんな時期だったんで、
あの、そのとにかく生き生きとしていたいっていうことにですね、本当そうだなと思ったんですけど、
でですね、まさにその生き生きとするっていうのは活動能力が上がってるってことですよね。
だからそれはすごい善なわけですよね。
で、活動能力が下がってるのは悪なわけですけど、
その、「あなたは回復しましたね。あなたはすごいですね。回復者ですね。」って言われるその回復者って言葉とその人の組み合わせが良くなかったってことなんですよね。
その回復者として扱われるその言葉をセットに、自分のセットにされると非常に生き苦しさを感じる。
生き生きできなくなる。
スピノザの道徳的観点
だからもう回復に殺されそうになる。
だからそれは嫌だって言っていたんですけど、まさにそれは悪ですよね。
その言葉とその人の関係において、この組み合わせがたまたまある種良くなかったと。
でもこれが一般的な道徳みたいな感覚からしたら、薬物依存から立ち直って回復しましたって言ったら、
それはもう誰がどう見ても良いことでしょうみたいな風に思えるんですけど、それをずっと組み合わされると辛いという人もいるっていうことですよね。
だから一般的な道徳みたいなものはないっていう話なんですけど。
自分にとって良い組み合わせっていうのを色々探して、どうやったら能力、力が増大するだろうっていうのを色々試して楽しんでいこうよみたいなのがスピノザのベースの考え方なんですよね。
でですね、スピノザの有名な言葉で、身体が何を成し得るのかを我々は知らないっていう言葉、身体が何を成し得るのかを我々は知らないみたいな言葉があってですね。
一体自分がどういう身体を持っているのか、この身体には精神も含まれているんですけど、自分にとって何を成し得るのかっていうのを知らないよねみたいな。
知らないから色んなことを試していこうよ、色んなことやってみよう、色んな組み合わせをやってみようよみたいなことだと思うんですけど。
でですね、もう一つ言っていて、自分が受け取れる世界の刺激っていうのを多くしてくれるものは有益で、狭めるものは害だって言ってるんですよね。
で、これもですね、ちょっと思い出す話っていうかあって、子供とキャンプに行った時に、うちの次男が図鑑を図書館から読み切って、最後の方とかゴキブリの図鑑とか読んでるみたいな、それ以外全部読んだの図書館の図鑑みたいな感じで、
頭の中に生物図鑑みたいなのが入りまくってるんですけど、その次男がキャンプに行った時に、夜に山道を歩いてたんですけど、そしたらですね、
あ、イノシシの足跡とかって言って、糞もあるとかって言って、すげー気づくんですよね。で、俺からすると、わかんないですよね。この暗い夜道に足跡があるとか、イノシシの糞があるとかですね、パッと見えないんですけど、見えるんですよ。
で、いっぱい図鑑を読んだ本人からすると、やっぱり見物の見え方が変わってて、それって言っちゃうと世界の刺激ですよね。夜の山道という刺激にですね。だから僕は少ないものしか受け取ってないんだけど、次男はもっと多くのものを受け取ってると。
で、じゃあその多くしてくれたのは何かって言ったら、いっぱい読んだ図鑑とか生物の本なわけですよね。で、それによって受け取れる刺激というのが増えて、その刺激が増えることによって、森、夜の山道というのと次男という組み合わせというのは、次男の活動能力を上げてくれると。
生き生きさせてくれると。っていうようなことになっていると。つまり、そういう刺激を上げて生き生きさせてくれた図鑑というのは有益だよねっていうような話なんですよね。というようなところでですね。とりあえずまた10分経ったんで、また続きは明日のします。よろしくお願いします。
12:26

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