スピノザの真理の考え方
はい、というわけで、昨日の続きです。
えーっとですね、これ多分最後になるかなって感じなんですけど、最後にですね、真理についてですね、スピノザー真理っていうのをどういう風に考えていたのかって話なんですけど、
これにはもうすごいかっこいいセリフがあってですね。
光が光自身と闇を表すように、真理は真理自身と虚偽との規範である。
っていう、すごいかっこいい言葉があるんですよね。
まあかっこいいとはいえちょっとわかりづらいんですけど、
まあ光っていうのがですね、光が当たってるとこは光だし、当たってないとこ影だよねっていうのがわかるように、光自身がそれを表してるように、
そこに真理っていうのも、これは真理だね、これは真理じゃないねっていうのを真理自身が教えてくれるみたいな、まあそういうことなんですよね。
もっと平たく言うとですね、真理に触れればわかるよって言ってるんですよね。
もうあのーって言ってて。
で、これに、だからそう聞くとですね、え、何その、なんか適当じゃないみたいな感じがするわけですよね。
真理に触れればわかるよっていうのはですね。
で、これにですね、反対というか対照的なスタンスをとってるのが、
デカルト的な科学的アプローチ
それその30年くらい前かな、スピノザのちょっと前のですね、哲学者というか、まあ科学者でもあるデカルトなんですよね。
まあデカルトっていうのはですね、誰がどう見ても間違いない真理とは何かみたいな、
それをどういう風にアプローチするのかみたいなことを、まあ方法除雪とかで書いてるわけですけど、
すごいですね、その、科学的な思考なんですよね。
だから例だし、その、じゃあその哲学もですね、えっと、そういう、
誰がどう見てもね、間違いない哲学的な真理とは何だみたいなことを探るといいんですね。
やっぱり一番頼りになるのは数学だなみたいな感じ。
数学が一番なんか間違いがなさそうだみたいな感じですね。
数学のね、その演繹法的なアプローチをとってるわけですよね。
で、これはですね、まあその根本のところにですね、
他人を説得するという、なんていうか目的というか、そういう考え方があるわけですよね。
ほら見ろと、この正しい方法で導き出されたこの真理はどう考えても間違いないだろうっていうのを他人に見せるためのものであると。
だから誰がどう見ても間違いないし、共有可能なものっていうものを探る、ろうとしてるわけですよね。
でですね、まあこれがやっぱりその、なんていうか、そう言われるとですね、なんかもう普通じゃないみたいな感じがするわけですけど、
これは普通になったのはある種デカルトのおかげというか、
デカルトが考えたですね、その科学的なアプローチっていうのが世界中に広まってるからですよね。
でですね、デカルトの考え方、デカルト以降の考え方が主流になってるわけですよね。
だからよくその、エビデンスあるんですか?みたいな、ひろゆきみたいな言葉っていうのはまさにこのデカルト的なわけですよね。
でですね、これをその以前ですね、このラジオで紹介した会社という迷宮という本ですね、めちゃくちゃグダグダだったんですけど紹介は。
すごい面白い本だったんですが、その本はですね、コンサルタントの人が書いてるんだけど、コンサルタントのことをすごく批判してる本だったんですが、
主観的な正解の追求
コンサルタントのことをなんで批判してるかというと、
そういうですね、デカルト的なというか、誰がどう見ても間違いない、共有可能なもの、外側の正解っていうのを、
あの手この手で、いろんなメソッドでですね、何か新規なメソッドっぽく見せてきて、経営者に見せてきて、
これが正解だからこれやっておけばいいと思いますよっていう風に迫ってるのが良くないみたいな話だったんですよね。
じゃあその著者の人はですね、同じコンサルタントとして、どういう風にその経営者の人に付き合ってるか迫ってるかっていうと、
いろんな話を聞いたりとか、いろんな話の話し相手になることでですね、
分かれよって言ってるんですよね。
お前が自分自身で分かるしかないって思いながら付き合ってる。
つまり、これが今の新しいやり方で、これが正解なんですって見せるんじゃなくて、提案とかするんじゃなくて、
その経営者が、あ、分かった、あ、そうか、これだな、やろう、みたいな感じの主観的な、
やろう、みたいな感じの主観的に分かるっていうことをすごく大事にしていると。
だからそのためにねちねち付き合ってるみたいな型なわけですよね。
だからこの本を読んだ時にすごいスピノザ的な感覚の本だなっていう風に、
その多分紹介した時に言ってたんですけど。
でですね、結構これはなんていうか、マックスの会社という迷宮という本は経営の本でしたけど、
僕は編集者なんですけど、編集の職とるもあるなというか、あるなと思っていて、
編集者でもクリエイターでもですね、たまにいるというか一定確率ぐらいでいるんですけど、
正解、つまり作品を作る上での正解っていうのが自分の外にあるって思ってる人がいるんですよね、結構。
じゃあなんか、どういう外にある正解を自分がまだ探り当てられてない、自分がまだ分かってない、
教えてくれる人がいたら教えてほしいみたいな、そういう思考法の人ってのはいてですね。
これほかもう学校、本当学校教育の、学校のテストとかって答えを共有可能なわけですけど、
学校教育の弊害だと思ってるんですけど、自分の外に正解があるって思ってる人がいるんですよね。
なんですけど、なんかもうこれはもう本当にズバッと言うと、
あなたの作品の答えはもうあなたの心の中にしかないということになるんですよね。
すごい当たり前のことだと思うんですけど、なんかね、それを外に探しに行っちゃうんですよね。
なんか正解っていうのが自分と離れたところに確保としてあるんじゃないかっていう感覚を持ってる人がいると。
でですね、そういうことも思い出したりしましたね。
でですね、なので、じゃああなたの心の中しかないよって言って、
じゃあ自分の心の中にある正解っていうのをね、どうやって辿り着くんだ?
正解っていうのはさっきの言葉で真理。
ちょっと置き換えてみてね。
じゃあ自分のその真理っていうのはどうやって辿り着くんだって言ったら、
スピノザ哲学の真理論
それはですね、繰り返しになりますけど、
いろいろな実験を経て、いろいろな組み合わせとか実験を経て、
自分自身がレベルアップしていくしかないよね、みたいな。
自分の必然性みたいなものを知ったりとかですね。
してですね、ああこういうことかって分かれば、それが真理です。
もう分かってるでしょ。
ああこういうことかってあなたが主観的に感じてる、それが真理です。
っていうのがスピノさんの考え方であると。
だから本当にこういろいろやってみろと、いろいろ楽しいことやったりとかしてさ、みたいな。
なんかちょっとこいつ嫌だなみたいな組み合わせだったらちょっと離れたりして、
とかやってるうちになんか自分自身みたいなことが少しずつ分かってきて、
そしたら自分が分かったなってことがあると思うから、それは真理だよって言ってるんですよね。
なんか本当にですね、いいなって思うんですけど。
こういうのが東洋哲学的ですよね。
ブッダとかの悟りとかに近いと思うんですけど。
でですね、なんか、まあ面白いですよね。
まあ面白いですよね。
そう言うとそんなもんかなって思うんですけど。
でも一方でですね、デカルト的な真理っていうのもあってですね。
それはこの本によると風光が指摘したらしいんですけど、
デカルト以降、真理っていうのは主体、つまり自分自身のレベルアップっていうのが
要請されなくなったと。
必要じゃなくなって、客観的な事実として扱われるようになっちゃったんですよね。
それもやっぱりデカルトの科学っぽさですよね。
デカルト的な真理論とスピノザ的な真理論との比較
科学的なアプローチで、真理っていうのはこうなんだよって他人に説明できて、
他人を説得できてしまうっていう部分があって。
それまではですね、真理っていうのは後ろにはまず自分自身レベルアップしないとねみたいなことは
やっぱりなんとなく西洋哲学の分野でも思われてたんですけど、
そうじゃなくて、この本を読んでもらえればわかるからみたいな客観的なものとして扱えるようになったと。
スピルザはその中でもそっちにならずに、
いろいろ試して自分自身がレベルアップするしかないよねって言ってるわけですよね。
というような感じでですね、ざっくりとこの本を予約したんですけど、
この本めちゃくちゃ読みやすくてすぐ読めるし、面白いんで本当に直接読むのはいいと思うんですが、
なんかすごいしみますよね。
やっぱり僕らの社会とか考え方みたいなのって、
どうしてもデカルト的なやり方っていうので駆動してるというか部分があるんですけど、
実はすごい扱いやすいから、そう考えるといろんなものごと扱いやすいから、
そういう風にされてるだけであって、
自己啓発の観点からのスピノザ哲学の読み方
やっぱりそれだけじゃない部分もあるわけですね。
だからデカルト的なやり方っていうのを信じて妄信して突き進んでると、どっかで行き詰まると。
そうなるとやっぱりスピルザ的なものっていうのが吹き出してきてですね。
で、「あーそうだよなーみたいな、わーなんかわかるわ、なんかそれ言われてみればそうだよなってこと、
人間の感覚としてそうだよなーみたいなことなのに、なんで気づかんかったんやろーみたいな感じのしみる具合があるんですよね。」
だからですね、なんか本当にこれすごい大事な考え方だとやっぱり思っててですね。
まあ本当に自分はね、今ちょっと人生の節目的な部分に立ってるんで、
まあ今一度ですね、この大事なことっていうのをちょっと抑えたくて、
まずは簡単な入門書を読みましたという話でした。
というわけで本日は以上です。ありがとうございました。