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2021-07-17 16:22

今日の10分de1テーマ「神秘の力」について(後編)

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本職は編集者のエイドリアン太郎が1日1テーマを決めて10分話すpodcastです。第14回目は「神秘の力」について話してみました。

#スピノザ #デカルト #オリンピック

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前回の続き
今回紹介しているのは、メインであるデカルト的な考え方と、サブであるスピノザ的な考え方があって、メインであるデカルト的な考え方というのは合理主義的な考え方で、僕らの考え方のベースになっていると。
そのベースになる考えというのは、再現だったり継続だったり計画性とか組織化というものすごく有効な考え方なんだと。
一方、それに対して神秘的な力をベースにした思想というのはどういうものなんだという話なんですけど。
こっちの方は、合理性というのは言葉をベースにしていろんなものを分類していくというような細切れにしていくという考え方だったんですけど、
こっちの方は言葉で記述できない神秘的な力でなんとなく回っているよねという考え方なんですよね。
気が合うなとか、気持ちいいなとか、面白いねとか、なんかいい感じするねとか、嫌な感じするねとかみたいな謎の感覚とかで人間はやり取りしていて回っていると。
細かいことを吐くんですけど、神秘の力というのは生命が生きようとする無目的な力だというようなことをだいたいそっち系の思想家の人は言ってるんですよね。
スピノザとかにしろ、マイケル・ポラニーとかもそういうことを言ってるんですけど、
そういうよくわからない神秘の力というか、そもそもその備わっている生きようとする力で回っているんだから、それに委ねればいいじゃないかと。
余計な後辞を入れるとそれが見えなくなっちゃうよというような考え方なんですよね。
こっちの方は合理性に対して神秘性が大事なんだと。
神秘の自分の中にそもそも備わっている生きようとする力に耳をすまして、その衝動に身を任せることが大事なんだという考え方なんですよね。
この考え方なんですけど、経験上間違いなく言えるんですけど、新しいことをやるときは必須ですよね。
もうなんかいい感じがするなとか、悪い感じがするなとか、なんか気持ちいいなとか、なんか面白いなとか、気が合うねとか、そういうことでしか新しいことって絶対できないですよね。
もうここからでしか生まれないと。いくら言葉で分類して因果関係をこうして合わせてってやったところで、絶対新しいものなんて生まれないんですよね。
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ほんとすごいノリとか楽しいとかひらめきとか、俺とお前だったらできるぜとか、そういうスーパー俗人的かつ感覚的かつ非言語的なものからしか新しいものって生まれないんですよね。
仕事で打ち合わせやってても、すごい論理的に言って、なるほどその論理だったら分かりますね、それが答えだとか、やっぱりそんなにならなくていいですね。
それっすねみたいな、それ最高っすねみたいな、それ最高はどういうことなのって言ったら理由付け組むとこないんですよね。
心がときめいたっていうようなものしかなくて、じゃあなんでときめいたかって言ったら言葉で記述できないんですよね。
ということでですね、そういうものを大事にしようっていうのがサブの思想なんですよね。
これでさっき組織画とか継続とかにメインの思想を向いてるって言ったんですけど、このサブの思想の方で会社を回せるか回せないですよね。
会社の日々の仕事っていうのは本当にやることが決まっていてみたいな感じなわけですけど、
このサブの思想のノリで気持ちよく身を委ねた方がいいよねっていうので言うとですね、
例えばパッといいタイミングで2人が出会ったと、その気になって盛り上がってですね、
お前も好きなの?俺も好きだよ、面白いよね。やろうよ、面白いことやろうよって言って面白いことやったと。
やり始めて2日くらいしたですね。
昨日まで俺結構盛り上がってたんだけど飽きたわ、じゃあさよならって言って別れましたみたいな。
そんな感じなんですよね。
だからですね、全然継続できないと。
確かに何かわからんがすごく気持ちいい時間とその結果面白いこととかが起こったりしたんだけど、火花のように消えていくんですよね。
なんで継続にめちゃくちゃ向いてなくてですね。
仮にですけど、そんな感じで出会った2人がノリですごい面白い会社作って大きくしてたとしますよね。
例えば社長変わるとか、会社がすごい大きい規模になってきたといった場合ってですね、
今まで出会った2人の通過とかでやってたのが、それで回すわけにはいかなくなっていくわけですよね。
続人性でなくシステムとか制度っていうのが必要になってくるんですよね。
このシステムとか制度っていうのは、そもそもノリだったりとか、続人的なものだったりとか、関係性とかね、
神秘的なもので支えられていたものをですね、言葉を使って分類して組織化して、仕組み化してみたいな感じで、
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なんとかかんとかそれを再現しようとしたものなわけですよね。
つまり言葉ができない神秘的なものを言葉に置き換えるっていう作業なわけですよね。
そうなるとですね、継続には向くようになるんですけど、何かを失われるわけですよね。
それの延長線上にあるのが、いわゆる大企業病ってやつですよね。
ベンチャーでノリノリやってた時はね、すげえ楽しくてすぐパッパッと決まったりするんだけど、通過だから。
でもじゃあ大企業になったらどこどこに倫理書出して、どこどこにも誰々にも話を通してみたいなことが山のようにあるわけですよね。
みたいな感じでですね、延長線上にあるのが、いわゆる大企業病っていうやつですよね。
そうなるとですね、ベンチャーでノリノリやってた時はね、すげえ楽しくてすぐパッパッと決まったりするんだけど、通過だから。
でもじゃあ大企業になったらどこどこに倫理書出して、どこどこにも誰々にも話を通してみたいなことが山のようにあるわけですよね。
みたいな感じでですね、輝きっていうのは継続と引き換えに失われていくと。
でですね、じゃあどっちがいいんだって言ったら、どっちもいいというか、本当は生きていく上で両輪が必要なんだと思うんですよね。
というのが必要になりますし、それをなんとかかんとか言葉に置き換えながら、仕組みとかに置き換えながら、継続可能なものをするには合理性の力というのが必要ですよね。
なんですけど、必ずと言っているほどですね、言葉の方に偏っちゃうんですね。つまり合理性の方に人間って偏っちゃうんですよね。
というのは何でかというと、神秘的な力っていうのは謎すぎて人に対して主張できないんですよね。
例えばですね、僕が裁判官だったとしてですね、前々回かな、話した、僕が一目で見て、こいつやべえなって分かった人っていうのが被告人として出てきたと。
もうこんなことはしませんとかすごい涙ながらに言ってるんですけど、僕はもう見ながらまた嘘ついてると思うわけですよね。
間違いねえなと。反省してますとかみたいなこと言ってるんですけど、こいつ全然反省してないのはわかるし、別によくも悪くもそういう人なんだよね。
って心の中で思ってたとしてですよ。
で、こいつね、すごいヤバい奴なんですよ。だから、もうムキチャワエキーとかは言えないわけですよね。
僕はそれを完全に謎の神秘の力で感じ取ってですね、かなりの角度でまず間違いないなと思うわけですけど、
それに対して法律だったりとか言葉とかを重ねて、
じゃあ罪をね、この罪の場合はこういう感じか、この罪の場合はこういう感じかって分類して合算してみたいな、
つまりそのデカルト的な合理性みたいなものを人に説明可能な言葉で記述できる方法によって罪を決めるわけじゃないですか。
もしくはこの人が再犯するかしないかっていうのを決めるわけですよね。
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でも、それって言っちゃうと本当に何て言うんですかね、ただ人に説明できるようにしてるだけで、
本当はこいつはヤバい奴なんだよねって別にいいと思うんですよ、本当に。
それが大体多分合ってるはずだから。
なんですけど、それをですね、そんな風にいい加減に見えることはできないので、
なんとなくそれっぽいことを言ってですね、人に説明できるようにしてるわけですよね。
世の中のプレゼンとかもほとんどそうなわけですよね。
一言言ったらね、じゃあ僕がなんでこれをやりたいか言いますね。
面白いから以上ですってプレゼン5秒で終わってもいいんですけど。
なんとなくマーケット調べた感とかを出さないとですね、何かですね、人に言えない、つまり合理性がないと思われるわけですよね。
やっぱり合理的っていう思考法がすごく頭の中にあるんで、そこに対して訴えられないと。
ということでですね、両輪の合理的な力、神秘の力っていうのの両輪があるんですけど、
基本的には合理的な力の車輪の方がどんどんでかくなってきがちなんですよね。
となるとですね、どういう、そうなるとやっぱり危険性っていうかがあってですね、
何かっていうと、代表的なものはですね、ペルソナを自分自身だと思い込むことだと思うんですよね。
例えばですけど、親としてこう言わなきゃいけないとかね、教師としてこう振る舞わなきゃいけないとかね、
部長としてとかね、定員はこう振る舞うべきだとかね、お客様は、お客様だぞ俺はとかね、
いやいやお客様じゃねえだろみたいな、お前はお前だろみたいな、みたいなことがあるわけですけど、そんな感じですね。
何か自分の立場とかペルソナっていうのを自分自身だと思うし、
相手のペルソナをですね、その人自身だと思うんですよね。
山田太郎という人ではなくですね、3年2組の担任教師だというふうに思うわけですよ。
もしくは先生というものだというふうに思ったりするわけですよね。
もしくは日本人だと思うとか、韓国人だと思うとか、アメリカ人だと思うとか、
いやいやいや別にジョンさんだし、キムさんだし、山田さんですよみたいな、
まあそういうふうにですね、そのペルソナを自分自身だと思うし、相手自身だと思うと。
別な言い方で言うと、自分自身も他人のことも機能として見ちゃうということですよね。
これを人はこういうことをやる人だ、俺はこれをやる人間だみたいな、という考え方ですよね。
そうなるとどういうことが起こるかというとですね、
人と人で接すればすぐ解決することが解決しなくなるんですよね。
店員さんがですね、
何でしょうね、例えば店で料理出すときに落としちゃったとお客さんがカンカンに怒ってですね、
俺も急いでんだぞみたいなね、店員不正かみたいなことを言ったりするわけですよね。
それはですね、立場と立場で話しちゃってるというか、
ペルソナとペルソナで話しちゃってるんで、申し訳ございませんって何回言ったら解決はしないわけですよね。
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でですね、これ僕がですね、海外旅行タイに行ったときの話なんですけど、
タイのですね、屋台で何か串焼きみたいなのを買って食おうとしたんですね。
この串焼きをですね、屋台のおばあちゃんがね、
落としたなと思ったらですね、それを拾い上げてですね、
そのまま何事もなかったように皿に乗せて、こっちに渡してきたんですけどね。
そのときめっちゃおばあちゃんが照れてましたね。
なんか落としちゃった、へへみたいな感じで。
それを目の前に乗っけて渡してくるんですね。
こっちも笑っちゃうわけですよね。
で、笑っちゃって、しょうがないんですよね。
で、そのおばあちゃんがね、
それを目の前に乗っけて渡してくるんですね。
こっちも笑っちゃうわけですよね。
で、笑っちゃって、しょうがないなみたいな、
アハハみたいな感じになってるわけですよね。
で、そのときはですね、店員さんとですね、僕の関係にはですね、
ペルソナがないんですよね。
で、僕がそれをこう、日本で受けたらやっぱりびっくりしますし、
逆に店員と客って言ったら、
お前何やってんだみたいなね、責任者呼んでこいみたいな話になるわけですよね。
なんですけど、やっぱりそうならないと。
それは人と人とで接したからだと。
なんですよね。
だからこう、なんていうんですかね、
本当はね、ほとんどなんとなく回ってるし、
なんかよくわかんないものに支えられてるのに、
一応それを言葉にした方が、なんか色々都合が良くて、
継続性とかも出るから、言葉にしてるだけでですね、
そしたらその言葉自身を本当だと思い込んじゃうと。
そしたらですね、
なんかそのペルソナ自身も本当の自分だと思い込んじゃったら、
相手だと思い込んじゃうと。
だからですね、こうすればならないんだと、
相手に対したりとかですね、
もしくは自分に対してですね、
こうしなきゃいけないんだと思ってる時っていうのはですね、
合理性の方に偏ってるっていう、
すごい危険信号だという風に僕は思ってます。
そこを気をつけないなとなと思ってます。
ということでですね、
ちょっと時間も結構かかっちゃったんですけど、
合理的な神秘主義っていう本はですね、
面白い主張をしててですね、
神秘の力っていうのはですね、
なんで、もうちょっとよくわからんと、
よくわからんけど、
ただ生きる力用のものなんだろうと、
それがどういう風に作用してるのかは全然わかんないと。
ただ、わかんないけど、
ありがたいことに作用してるので、
もうそれはそのまま受け止めようと。
その代わり、
その力っていうのが発揮するのを、
邪魔するものっていうのを、
合理的に排除しようっていう考え方なんですよね。
だから、
じゃあ例えばですけど、
自分のことはペルソナだと思ってると、
こういうこと起こるんだなっていうことを
合理的に判断してですね、
じゃあこのケースだと危ないから、
そう思うと、
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そう思いがちなところを取り除こうみたいな感じでですね、
生きる力っていうのをうまく発揮できるようにしよう
というような主張の本なんですね。
今は逆でですね、
神秘的な合理主義っていうのに陥ってるんだっていう
主張もしていたんですね。
それはすごいわかりますよね。
今の例えばオリンピックとかですね、
もう継続するためにですね、
計画通り継続するためにですね、
合理的に考えてですね、
謎なことが横行してますよね。
なぜそうなるみたいな。
合理的に考えて、
合理的に考えてやってるんですけど、
怒ってることがですね、
謎すぎるみたいな。
なんでこんなことになっちゃってんだみたいな。
神秘的な合理主義だと。
それはやっぱり危ないですよね。
だからまあ、
そのどうせ言葉の方に勝てないというか、
逆の方に振ってですね、
心から沸き上がってくる。
こういうことやりたいなとか、
なんかいいなとか、なんか嫌だなとか、
そういう感覚をですね、
大事にしていきたいなというふうに思っています。
ということで、
なんか3回になっちゃいましたけども、
以上になります。
お疲れ様でした。
ありがとうございます。
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