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はい、というわけで始まりました。本日はですね、ウィルスミスのアカデミー賞平手打ち事件についてちょっと話してみようかと思います。
今日は本当にあんまり一回何も考えずに話すか、近況でもと思ってですね、録音ボタンを押す寸前ぐらいに
最近何あったかなーと思いながら話し始めようとしたらですね、ウィルスミスの顔ばかりが浮かんで、めちゃくちゃ俺ウィルスミスについて話したいやんけってなってですね。
で、じゃあもうウィルスミスの話しようと思ったんですけど、あの事件が起こってですね、
ツイッター順位ですね、ニュースとかメディアとか何でもそうですけど、いろんな賛成反対とかみたいな
意見が乱れ飛ぶと、でですね、いろんな意見があったんですけど、結構ですね、やっぱりあれきっかけにフェミニズム的な言説っていうのが出てくるんですよね。
で、例えばですけど、奥さんが弥生されたから、しかも身体的な治せないようなことで弥生されたから、
で、それでですね、キレて攻撃をしたというのに対して、これは女性をトロフィーのように見てると、
で、俺の持ち物を傷つけたから、やったったみたいなね、最近あった映画の最後の決闘裁判みたいな感じですよね。
あんな感じでですね、俺の持ち物を傷つけたから、いた男を男としてやったった、みたいな感じで、あれ女性トロフィーとして見てるよね、みたいな意見もあったし、
あとはその、例えばですけど、その後、謝罪はもう少し、頭冷やしてしたのかな、その謝罪場は見てないんですけど、ちょうどここにコメント出したときに、奥さんのことに触れてなかったみたいなんでしょうね。
何だろう、父親として恥ずべきことをしたのか忘れましたけど、とにかく弥生された自分の話としてしていたと。
で、それをですね、それは奥さんのことに言及すべきだったんじゃないのと、だって奥さんが忘れて弥生されたからついついそうなったんでしょう、なのになんで奥さんのことを言及しないんだ、やっぱり自分がスッキリしたいためにやってるんでしょう、なんか嫌な男性性だ、みたいな話になってたかすると。
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っていうのでですね、僕はそういうのいっぱい乱れて飛んでるのを見てですね、やれやれと思ったんですね。賛成反対なんでもそうなんですけど、結構やれやれって感じで見ててですね、ああいう前もちょっと話しましたけど、なんか目立つ事件が起こると、それぞれがですね、その事件をネタに自分の立場表明をするんですよね。
私はこう、この事件についてはこうです、みたいな感じで立場表明をしてですね、別にこうね、Twitterで、日本でTwitterでね、なんかうんうんかんかん言われたからといって別にウイルスミスは痛くも痒くもないと思うんですけど、でも場合によってはね、もちろんアメリカでは言われてるでしょうし、あともっと近しいような関係の人だったらですね、その、なんだろう、その立場表明によってですね、
その当事者が、まあ傷つけられることもあると思うんですよね。
で、それがですね、なんかこう、嫌なんですよね。その、あの、そうですね、やっぱ自分の、あの、私はこういう事件に対してこのようなスタンスを持っている人間です、えへんみたいなのをですね、立場表明するために当事者でない人を捕まえてですね、
あれこれ言ってですね、その人が、まあ傷つくことになる、ということがですね、まあ、なんか僕はやっぱ気持ちいいもんじゃないなと思うんですよね。
でですね、なんかやっぱりこの、まああとあの、なんていうんですかね、この、例えばですけど、奥さんのことにも勉強すべきだったみたいな、こういうべき論、本当俺やだなと思いましたね。
なんか、この間ね、あの、人心性の主本論のことをですね、まあ割かし長尺使って、まあ割かしボロかすに言ってたんですけど、あれもですね、なんだよこのべき論と思っていたんですよね。
もうですね、なんか今回のその、あの、ね、そのウィルスミスがこうすべきだった、ああすべきだったみたいなですね、もうべき論にですね、もうほんと全部耳傾けててですね、それでバランスを取ったですね、まあ行動する、まああるっしょね、そういうのって、まあああいうスターみたいな人は求められている面は当然あるわけですけど、ただですね、
そういう、まあスターだ、どういうかということを置いておいて、一人の人間としてですね、まあいろんな人がわーってこうすべきだ、ああすべきだって言ってきてですね、その中で、まあバランスを取った発言、言動をする、これでよろしいですかみたいな感じでするっていうのが、もう企業広報かって感じでですね、いやだなと思うんですよね、なんかそういうですね、なんか人をですね、まるで企業広報のように間違いのないものにですね、
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みんなでこうすべき、ああすべきって言って持ってくっていうその動きというか流れが嫌なんですよね。
でですね、まあ僕の意見を言うとですね、まあ僕意見を言うとというか、意見ないんですけど、なんていうんですかね、まあなんていうか、ああいうことを言われてですね、腹立てたりですね、まあ家族守ろうとする、まあ名誉を含めてですね、家族守ろうとするっていうのは別にまあ許したりやというかね、別にええがなと思うんで、
まあもちろんですね、相手を殴るっていうのはまあ良くないは良くないよね、ぐらいの感じでですね、まあ本当に意見がないんですよね、というのはなんでかというと、まあ何があったかはまじで当事者のみと知るってところでですね、
まあ本当にですね、奥さんがですね、やれやれこの人本当私をトロフィーのように見てるわ、自分だけ盛り上がっちゃってって思ってるかもしんないし、もしくはあんとき本当に動いてくれてありがとうと思ってるかもしんないし、ね、まあ本当にもう分かんないじゃないですか、だから何も意見を持ちようがないっていう感じなんですけど、
なのでですね、なんか本当にこういう、まあなんか一瞬やっぱこう気持ち悪い盛り上がり方したなってやっぱ思ったんですよね、で、そういうのを見ててですね、なんか立場表明ですよね、このある事件が起こってわかりやすい事件が起こって、ああとこれは私の立場を表明せねばっていう立場表明っていうのがですね、まあもちろん当たり前ですけど何かの違いを表明してるわけですよね、
で、そのですね、違いを表明するっていう時にやっぱり出てくるのはべき論なんですよね、なんか何なりすべきだっていう言説がなぜか出てくる、違いを人が、違いを私が違うと表明する時っていうのはこうすべき合わすべきだっていう言説がですね、なんかセットでついてくるんですよね、
まあ違いを表明するっていうのはね、別な言い方で言うとなんかこう、AとBを区別するみたいなものだと思うんですけど、まあその何かこの二つをですね、区別する時にべき論がなぜかそこからどういうメカニズムか知んないけど湧いて出てくると、
でですね、なんかこうそういう意味でですね、僕やっぱり、まあ全部ではないんですけど、特にSNS上で見るですね、こう自称フェミニズムのフェミニストの人のですね、一部の言説にはやっぱそういう意味で違和感を感じるんですよね、やっぱその男と女っていうのをですね、区別して語ろうとする時にこうすべきだっていうのが出てくるところがあると。
でですね、なんかそれはなんかこう、なんでしょうね、どうなんでしょうね、僕こういう、もちろんフェミニズムっていうのは人が幸せに生きるためのものであるべきだと思ってるんですよね、なんですけどそういう一部の言説にはですね、なんかこうそういう区別をすることによって、これ断絶しか生んでないだろうみたいなことを思ったりするわけですよね。
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でですね、なんかこの、例えばですか、こう、まあ男女を区別してですね、なんかその関係性をこう厳密にしていくみたいな、えーと、なんか男は歴史上こうで、女は歴史上こうで、こういう関係性、こういう力関係なんだから、こういうものであって、だからあなたはこうすべきだ、私たちもこうすべきだみたいな感じでですね、えー、こう厳密にこうしていくとですね、
はい、じゃあ男のあなたはこれを守ってください、あ、もちろん私たちもこれを守ります、みたいな感じですね、なんかこう夫婦喧嘩の最後の方みたいになるんですよね、あ、分かれた分かったみたいな、あ、じゃあ俺はもう、うん、分かった分かった、じゃあ俺ちゃんとやるわ、その代わりそっちもちゃんとやってね、みたいな感じなんですね、なんかもう夫婦喧嘩の末期状態みたいな状況になってですね、なんもいいこと起こってねえだろこれって感じはするんですよね。
でですね、まあすごくざっくり言うと、まあ、自体の寛容みたいなのを失っているように見えると、だからなんかですね、なんかそういうのにはやっぱり違和感感じるんですよね、こういうふうにですね、なんか、あの、なんだろう、フェミニズムと、まあ僕からすると予想って、ある種の断絶をあほっているようにしか見えないケースっていうのはやっぱりあるなと思うんですよね。
本当のフェミニズムってそのもんじゃねえだろ、と思うんですけど、でですね、まあ本当に例えばですけど、このですね、ウィル・スミスのですね、あの、この事件があって、やっぱりそういう話題がわっとすごく盛り上がったんですけど、その時にですね、もうツイッターでなんかこう、フェミニズムの研究をしている人がですね、なんかツイートしたんですよね、でそれがですね、
なんか最近のイギリスの研究では、女性の経験とスキルが男性に都合のいい形で女性あるある的なステロタイプに置き換えられてしまうというこの問題があるということが、まあイギリスで研究されているみたいなことをですね、言ってて、ほうほう、どういうことやと思って、まあ続きを読んだんですけど、
例えばですけど、まあ一家の男性がですね、仕事帰りに取り掛かって魚屋で刺身を買って帰ると、で、なんだけど、その奥さんたちはですね、その、まあ普段から家事をやっていたりとかするので、奥さんたちはもうなんか横のネットワークとかもあって、どの魚屋さんが美味しくて安いかみたいなことを知り尽くしていると、
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なんだけど、そういうことを知らずにですね、仕事帰りにぷらっと刺身を買ってですね、その旦那さんが帰ってくると、でですね、あの、まあ、自分がこうせっかく買ったんだからって言って、まあ家族も喜んでくれるといいなと思って持って帰ってくると、で、でもですね、あの、その時に普段から刺身を買ってないんで、こう売れ残りをですね、割高で捕まされてしまうと、
でですね、そんなことを知らずに旦那さんはですね、自慢げにですね、刺身を見せて、これはツイートの部分をかなりそのまま読み上げているだけなんですけど、自慢げに刺身を見せると、したらですね、この奥さんがですね、で、そんなものにいくら払ったの?と聞くと、
で、これに対して男性はですね、こういう経験を通して、あの、どのようにその言葉を理解し記録するでしょうかと、ああ、口うるさい奴だ、女は不平ばかり言う、などと言うことでしょうと、そういう事例がですね、もうあの、積み重なって、この女性の、例えばですけど、女性は口うるさい、不満ばかり言うみたいな、えっと、ステレオタイプみたいなものが形成されていくのですみたいなことを書いててですね、
あ、いや、いや、わかるんだけど、あの、わかるんだけど、なんだろう、あの、旦那さんがですね、あの、喜ぶかなと思って買ってきた刺身ですね、で、そんなもんいくら払って捕まされたの?っていうのは、失礼でしょ?って思うんですよね。
これ逆でも絶対しないでよね、っていうね、奥さんがですね、なんかすごいしょぼいもん高く買ってきて、喜んでですね、どうぞどうぞってやったらですね、おいしいよって言って、ね、あの、言えばいいじゃないですか、別に、これにですね、まあこれもちろん例に過ぎないんですけど、で、そんなものにいくら払ったの?って言ったらですね、そりゃ口うるさいと思われるよ、だって失礼なんだもん、というのでですね、なんか、
あの、それをですね、なんかこう、そういうことがあって、ステロタイプっていうのは気づかれてきたんです、とか言ってるんだけど、まあ、このケースで言うとですね、もう、あの、あ、なんか、まあちょっと高いやつ、あんま正直なやつ捕まされちゃったんだな、まあいいや、かわいらしいなって言ってですね、まあ一緒に食べればいいと思うし、まあもちろん男女逆でもね、と思うし、
うーん、なんかですね、あの、なんでこんなにこう、寛容になれないのかというか、あの、まあ結局やっぱりこれもですね、なんかこう、区別が生んでる、なんていうかな、状況、なんていうか問題だと思うんですよね、その、あの、まあ、男性の方はですね、まあ逆に言うとこのケースで言ったら奥さんの方が旦那さんの方に、
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そういうことを何も分かってないバカ、と思っていると、だからまんまとそういうの買ってきてですね、なんか嬉しそうに広げてるの見て、わーって、ほんとこいつバカだなと思ってですね、あ、そのままいくらで捕まされたの、って言うし、で、旦那さんは旦那さんの方でですね、あの、もう本当に、あの、女っていうのはこういう時に本当にいちいちなんかうるせえこと言うな、みたいな感じですね、
まあやっぱりそこにですね、こう、区別が発生してるんですよね、で、なんかその区別によってですね、えーと、まあこれの場合は問題が起こっている、じゃあ問題を起こすならどうすればいいですか、えー、男はこうすべきでしょう、女はこうすべきでしょう、みたいな、これ今度は、今度はべき論が出てくるんですよね、
でですね、べき論みたいなことをですね、もうすごく突き詰めていくとですね、気がついたらウィルスミスにですね、こう、イメージ戦略コンサルタントみたいな人がですね、こう、あの、この場合は奥さんの手を握って、なんか顔を見つめた、父親を見つめた後、カメラに向かって、手を取り合いながら、こういう言葉をスピーチしてください、みたいなですね、まあそういうことが、全員に対して極端に言うと思うんですけども、
どういう風に思えるというか、この日本が黙らされるんですよね、本当にいいことはないなと思って、だからですね、なんかこう、何でしょうね、こういう区別、区別を生まない状況というのかな、まあ本当にもですね、逆にこの区別ってどんどん増えていっているなと思うんですよね、
なと思うんですよね。
再文化がどんどん進んでいってるというか、
ま、もちろんLGBTQとかもそうですし、
なんかこう、あの、なんていうんですかね、
新しい、あの、なんていうんですかね、
あの、花瓶、花瓶さん、なんでしたっけ、
なんかすごい、私すごい花瓶なんですみたいな、
HDSPみたいなのがありましたけど、
なんかそういうのもありますし、
なんかですね、新しい区別がどんどん増えていってると。
でさ、新しい区別に対してどうすべきかっていう
べき論も増えていってると。
で、区別が増えてべき論が増えると、
全員イメージ戦略コンサルタントがついて
ウィルスミスになります。
そんな風にいきたいですか、と思うんですよね。
嫌ですよね、僕も最高に嫌ですね。
なのでですね、区別に対して鈍感になってですね、
もう、いいよと、なんでもいいよと。
あ、そっか、殴っちゃったか。
ああ、それは良くなかったね。
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うん、警察に捕まるかもね。
とかで、いいじゃん、って思うんですよね。
ということでですね、なんか、
うん、なんかすごく自分的にはやっぱこういうのが
一番多分なんかアレルギー判断あるんでしょうね。
本当にそういう風に思います。
ということで、本日は以上です。ありがとうございました。