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2022-02-02 14:14

今日の10分de1テーマ「一般意思2.0 神か理性かAIか、とにかく根拠が欲しくなるんやね」について

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本職は編集者のエイドリアン太郎が1日1テーマを決めて10分話すpodcastです。 ※ご意見、ご感想、質問や話のお題などありましたら eidoriantarou@gmail.com へお便りください

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民主主義が陥っている福祿公寺の一般意志2.0は、もしかしたら打破し得るかもよ、みたいなことを言っているわけです。
じゃあ、なんで打破し得るのって話なんですけど。
まず、一般意志2.0の考え方から言うと、議論とかせんでいいよと。複雑なことも知らなくていいと。
意見も調節する必要ないと。
無責任に、こう思うよとか、死ねとかクソとか、そんなレベルのことでもいいからネットに書いてくれりゃいいよと。
何だったら書かなくてもいいと。
書かなくても、みんな生活してるだけで、いろんなライフログみたいなのが、このサービス使ってんのねとか、みたいなことがネットを通じて残ると。
そのことが、ただそのまま自分の意見表明になってると。
その意見表明みたいなのをぐわーっと集約して、平均点みたいなものが一般意志として形作られると。
それが政治に組み込まれるだけで、もうみんな政治参加してるってことになるよ、みたいな。
そんな感じなわけですよね。
つまり、リベラリズムが陥った議論をめっちゃして、複雑で、すごく難しくてエリート主義的で、自分の関係ないものになるかわけでもなく、
シンプルで暴力的な物語にわーっと熱狂するみたいな、右派、宗主、政治みたいなことにもなく、
いや、何でも思ったことやってください、やってたらそれが政治に反映されてるんで、みたいな感じなんですよね。
フロイトの考え方っていうのも例えに出してるんですけど、
一般意志っていうのはフロイトの言う無意識みたいなもんだよねと。
一方、討論とか議論みたいなものは、無意識じゃない意識みたいなもんだよねと。
例えばフロイトとかは意識と無意識の話をいつもしてるわけですけど、
意識の言うことだけに従って、無意識の欲求をないがしろにして意識的に行動だけしてると精神病になるっていうのはフロイトの主張なわけですよね。
それってトランプ政権のことを思い出すというか、
リベラルなことをずっと言って、理性的に正しいことをちゃんと議論してやりましょうみたいなことをずっとやってるうちに、
やってると無意識のイライラが溜まってくるみたいなね。
グローバルとか要はわからんと、エリートさんは何やってるか要はわからんみたいな、
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っていう理性的じゃない感情みたいなものをほっとくことによってパーンって逆にそっちに振り切れるみたいなね。
まるで精神病みたいだなと思ったんですけど。
フロイトっていうのは意識っていうのと無意識っていうのがぶつかるところで人格が生まれるって言ってるんですよね。
意識ばっかり理性ばっかりに集中していると自分の無意識をおろそかにして病気になっちゃうと。
逆に無意識の欲望みたいなのにだけ任せたら暴走するわけですよね。
だからこの意識と無意識がぶつかるところに人格が生まれるんだと。
なのでその例えで言うと、この無意識にあたる一般意識というのと、
意識にあたる議論、熟議というのをぶつけてることで精神運営すればいいんじゃないかというふうに東さんは主張してるんですよね。
具体的にどういう形をという話なんですけど、
例えば国会中に後ろにモニターがあって、モニターに可視化された国民の一般意識が表示されていると。
それを見ながら国会運営がされていると。
それをずっと表示されているとそこから外れたような議論とかっていうのはしづらくなるでしょうみたいな。
だからそういう形がいいんじゃないかみたいなことを言ってるんですよね。
ここまでの議論、論調の面白さに比べて、具体的にこんな形をイメージしてますっていうのは結構しょぼいんですよね急に。
何それみたいな。
モニターに可視化されたグラフとかを見ながらみんな国会運営してる、そういうことだったのみたいな感じなんですけど。
ここがまさに10年前に書かれたっていうところが聞いてきてるなと思ってるんですけど。
今普通の2022年の感覚からすると、もっと前の2015年くらいの感覚でも多分こういう話を聞いてて、
これAIとビッグデータの話じゃんっていうふうに多くの人は思うと思うんですよね。
多分これが書かれた2010年当時くらいって、AIとかビッグデータっていうのがそんなに熱い話題として上がってなかったんだと思うんですよね。
今多分普通に考えたらこれAIビッグデータの活用の話、文脈で語られることだと思うんですけど。
アズマさんが言っている一般意識を形付けるためのみんなのネット上のライフログですよね。
ライフログっていうのをただ表示するだけでも難しいと思うんですけどね。
どういう処理をして表示するねんって話なんですけど。
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表示するっていうのは留まってるんですよね。
今多分普通にAI活用みたいなことで言うと、膨大なデータっていうのをAIに加わして、
制作レベルの回答を出すっていうことも原理的には可能だと思うんですよ。
それが一般意識であるというふうに言うことっていうのも可能だと思うんですよね。
この本土だとそういうビッグデータをAIで解析して答えを出すっていう部分がないんで、
ビッグデータをモニターに表示して参照するっていうのに留まってるんだなと思ったんですよね。
このAIが制作を出すっていう昔のSFみたいな体制ですよね。
それは実際可能かどうか、原理的には可能だとしても実際に可能かどうかって言ったら、
データ量的には十分ありそうなんだけど、
妥当性あるような制作を出すには計算量が多すぎて無理なんじゃないかっていうふうにも思いますし、
どういうふうにデータを形成するねんみたいな、
ちょっと難しい面には実際にありそうかなと思うんですけど。
でも仮にAIが一般意思で制作を出すという体制であると、
さらにそれに妥当性が感じられると、
やってみたら何だったら確かに結果良かったわっていうような状況になったらどうだろうって想像したんですけど、
これは一番連想したのは、
ヨーロッパ中世の神様みたいだなと思ったんですよね。
キリスト教の神みたいだなと思ってですね。
AIってデータをバンと壊せます。
その結果一つのアウトプットがポンと出ます。
なんでその答えを出したのかっていうのは仮定が分からないわけですよね。
今って例えば政治とかでこういう状況なんでこういう制作をしますっていう時って、
一応その裏で別な意図があったとしても、
表上はこうなんでこうやってこうしますっていう、
一応方便みたいなロジックは少なくとも作るじゃないですか。
なんですけど、AIっていうのはそれがないわけですよね。
まさにあのEGOのAIとかのなんでそこ打つのっていうのは、
それは分からないわけですよ、外からは。
ものすごいいろんな計算とかスコアを取った結果そこが一番いいと思ったからそこが計算結果として出てるからやってるだけで、
そこにロジックは存在しないんですよね。
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なんかこう勘が鋭いみたいな感じになってるんですよね。
勘の説明してくれても勘は説明できませんみたいな感じですね。
だからですね、なんでそうなのっていう理由はAIには説明できないと。
だからこの制作をAIが一般一種として入り出しますっていう体制っていうのは仮にあったとしたら、
なんでそれをするのか分かんないですよ。
でですね、でもなんでそうなったか分かんないけど、
それが信じられている状況だとしたら、
それってすごい中世ヨーロッパの神に近いなと思ったんですよね。
中世ヨーロッパの人たちって価値観としてキリスト教がガッツリ入ってるんで、
神のことを言うことはある程度信じられる。
なんだけど神がなんでそういうのか分からないわけですよね。
でもそれを絶対的なものだと信じて回っている状況だと。
っていうのでですね、ほんとそんな感じだなと思ってですね。
やっぱ怖いっちゃ怖い感じもするなっていうふうに思ってですね。
まあこの確かにアズマさんの言うようにですね、
この議論というか塾議というのと組み合わせたくなるっていうのも分かるなと思ったんですよね。
さらに言うと、なんていうのかな、この確かなものっていうものを、
物事の根拠っていうのをですね、見つけたくなるっていうすごい欲望があるというか、
もうそのAIが言ってるものはこういう感じで一般意思なのだからそれで良いのだっていうふうに、
ところに落ち着けたくなるというか、
みんなそういうふうに落ち着けるポイントっていうのを探したくなると、
何かを根拠にですね、
それを満たしてたんだったらこれは正しいよね、
そういうことについてはもうこれ以上考えなくていいよねっていうものが、
根拠みたいなものが欲しいわけですよね。
例えばそれは昔だったら神だし、
その後神が死んだ後は理性だしみたいな、
とにかくそういうものが欲しいと。
神っていうのに支えられてた時は、
あんまりそのこと考えなくてよかったわけですけど、
今はそれが欲しいからみんな悩んでると。
複雑でわからない、よくわからないっていうことはですね、
もともと世界はそういうふうにできてるんだと思うんですよね。
そういうふうにできてるんですけど、
その中にですね、やっぱりその複雑さに耐えるっていうのがなかなか難しいわけですよね。
だから根拠の上に安定したいっていう欲望があるんだなと。
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でですね、それを理性じゃないとしたらこうじゃない?
とか一般意志じゃない?みたいな感じでですね、
いろいろこうやっぱり神様の代わりになるものっていうのを
みんな必死に考えてんだなというふうに思いましたね。
本当にそうですね、原発の話とかも思い出しましたね。
福島原発の時にですね、どれくらいの健康被害があるのかっていうのがよくわからずですね、
いろんな人のその時、専門家の話っていうのを調べてたんですけど、
最終的にですね、もう言うことがみんなそれぞれ違うからわからなくなってですね、
これを調べても意味わからんわってなって、
ある専門家の言うことだけをこの人が一番今まで見てる中では信じられる感じがする。
よし、この人だけを信じようというふうになったわけですけど、
まさにですね、その人のことを神扱いしたわけですよね。
みたいな感じでですね、
いろんな複雑な状況の中でですね、迷いたくないと。
何か絶対的な根拠の上に安定したいっていうですね、気持ちがあるなと思いました。
本当はですね、そういうものがない方がいいというか、
この本でもね、何か一つの根拠の上に乗りながら一方でそれを、
そんな大したもんじゃないんだけどね、他の考え方もあるんだけどねって言って、
ちょっとアイロニカルに捉えるみたいな態度がいいんじゃねえかみたいなことをですね、
アメリカのローティっていう人が言ってたみたいなことも書いてありましたけどね、
なかなか難しいもんだよなというふうに思いました。
ということでですね、この本はなかなか面白かったですね。
はい、というわけで以上です。ありがとうございました。
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