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2026-10-16 08:09

研究授業で見るべきなのは一番後ろの席の子?

みんなの教育技術の連載から、栃木県の公立小学校の校長先生が書いた、研究授業を参観するときの3つのポイントを紹介します。すべての子どもに学びがあるか、子どもが動き出すか、先生が目の前の子どもの反応を見ているか、です。一番後ろの席の子を1時間見続けた先生の指摘や、実習生の道徳の授業で起きたやり取りから、授業を見る目と、見せてもらった授業者への敬意の示し方を考えます。

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教育カフェテラス、水野太一です。
アシスタントの高橋紗友香です。
国内外の教育のニュースを手がかりに、明日の教室を考える番組です。
今日は、研究授業のお話と聞いて、実習の時の緊張を思い出しています。
見る側として、研究授業に参加したことはありますか?
実習中に一度だけあります。
でも正直、何を見ればいいのかわからず、黒板をノートに移して終わってしまいました。
今日の記事は、まさにその悩みに答えてくれます。
みんなの教育技術の10月3日の記事で、
栃木県の公立小学校の校長先生への連載です。
伸びる先生はポイントを絞って参加し、
伸びない先生はなんとなく参加する、と書いています。
耳が痛いです。私はなんとなくの方でした。
絞るポイントというのは、黒板の使い方や発音の仕方のようなことでしょうか?
筆者が挙げるのは3つで、
どれも先生ではなく子供を見る視点です。
全ての子供に学びがあるか、子供が授業に集中して動き出すか、
そして先生が目の前の子供の反応を見ているか、です。
一つ目の全ての子供に、というのはわからない子がわかるようになったか、
ということでしょうか?
筆者も最初はそう考えていたそうです。
ある学校の公開研究発表会で授業を見たとき、
子供からいい意見がたくさん出て、最初は意見を持てなかった子も、
最後には自分の意見を書いていました。
筆者はいい授業だったと受け止めました。
その後の研究会でも、同じような感想が続きました。
それなら文句のつけようがない授業に聞こえます。
私なら拍手をして帰ってしまいそうです。
ところが、意見が出尽くした頃、中堅の先生がこう言いました。
私は一番後ろの男の子を見ていたのですが、
この子にとってこの一時間は学びがなかったのではないかと思います。
筆者はあまりにまっすぐな意見に驚いたそうです。
一番後ろの子だけを一時間ずっと見ていたのですか?
どうして学びがなかったとわかったのでしょう?
理由は三つありました。
授業の始めに書いた意見がすでに先生の狙い通りだったこと、
一時間発言もせずに教科書の他の提示を見ていたこと、
そして最後の感想に自分の意見は間違っていなかったとだけ書いていたことです。
最初からできていた子は一時間を持て余していたということでしょうか。
家庭教師でもわかっている問題を繰り返すと生徒はつまらなそうにしています。
そう見ていいでしょう。その先生は代わりの案も出しています。
先生がその子の意見を取り上げて、
どうしてこの考えが出てきたのかを本人に聞けば、
学級全体にもその子自身にも学びになったのではないかというものです。
筆者はできる子にとっての学びまでは考えもしなかった。
一人の子供を一時間見続ける見方があることも初めて知ったと書いています。
03:05
一人の子を見続ける見方は私もやってみたいです。
黒板を写すよりずっと発見がありそうです。
二つ目は子供が動き出すかです。
子供が授業に集中し始めると学級の空気が一瞬で変わると言います。
知りたい、やりたいという気持ちが高まった瞬間です。
例えば先生が話し出すと水を打ったように静かになる。
友達の発表を前のめりで聞く。
子供の発言で授業が回り出す。自然に感性が上がるといった姿です。
活発に手が挙がっている授業なら子供が動き出していると考えていいのでしょうか。
そこに落とし穴があります。
教育実習に来た学生の高学年の道徳の授業でのことです。
子供たちは登場人物の気持ちに寄り添ったいい意見を次々と発表していました。
活発なのに筆者は違和感を覚えたそうです。
授業が終わるといい意見をたくさん言った子が
先生どうだった俺の意見とその学生に話しかけました。
学生はすごくいい意見だったよ。ありがとうと答えました。
それは私も言ってしまいそうです。何がいけなかったのでしょう。
筆者はそのやりとりで違和感の正体がわかったと言います。
その子は自分の意見ではなく実習生が期待しているであろう意見を言っていたのです。
他の子も同じだったかもしれません。
誰も責められないけれど子供が動き出さない授業だったと筆者は書いています。
先生の顔色を見て正解を探す感じは私も子供の頃に覚えがあります。
道徳は特に言ってほしいことがわかってしまう教科でした。
実習生のせいではありません。
ただ見ている人が上がった手の数だけで判断するとこの違いは見えません。
3つ目は先生が目の前の子供の反応を見ているかです。
筆者が以前いた学校の公開研究発表会の朝副校長がこう言ったそうです。
授業中は指導案を忘れてください。目の前の子供の反応だけを見てください。
指導案を忘れるというのは驚きです。
実習では指導案通りに進めることで頭がいっぱいでした。
大勢の人に見られると子供の反応が予想と違っても指導案通りに進めようとしがちです。
そうするほど授業は子供の思いから離れつまらなくなってしまいます。
筆者が見た高学年の算数の授業では指導案の予想とは全く違う意見を男の子が出しました。
先生は否定せずどうしてそう思うのとその子の考えを辿っていきました。
その子の考えは結局どうだったのでしょう。正解ではなかった気がします。
正解ではありませんでした。
でもその子なりの筋道がありその意見から話し合いに広がりが出たそうです。
指導案に縛られていたら切り捨てられていたかもしれない誤答です。
筆者はいい授業とは先生と子供、子供同士がやりとりしながら一緒に作るもので
06:02
先生のレールに乗せるものではないと書いています。
見る側の3つのポイントがそのまま授業をする側の目標にもなっている気がします。
鋭いです。そして筆者は3巻で一番大切なのは授業者への敬意だと言います。
敬意とはその授業から自分が学んだこと、感じたことを相手に伝えることです。
たとえ相手にとって耳の痛いことでもです。
時間と労力と誇りをかけて授業を見せてくれたことへの最低限の礼儀だと言います。
耳の痛いことを言うのが敬意というのは意外でした。
実習の研究会ではいいところだけを言うのが優しさだと思っていました。
筆者は自分たちは評論家ではなく毎日子供と向き合う実践家だと書いています。
だから批判だけでなく自分なりの代案を必ず添えるそうです。
そうすることで相手も自分も授業の力量が高まります。
一番後ろの子を見ていた先生が代わりの案まで出していたのもまさにそれです。
以前この番組でアメリカの学校で先生同士が毎週授業を見せ合う話をしたとき、
日本の研究授業は緊張が大きいと話しました。
代案を添える文化なら見られる側も少し楽になりそうです。
筆者は批判に代案を添える文化こそ日本の学校が先をずっと育ててきたものだと考えています。
その先にある目的は子供に質も高い授業を届けることです。
今日は研究授業を参観するときの3つのポイントを見てきました。
さやかさんは次に授業を見るとき何をしてみたいですか?
一番後ろの席の子を1時間見続けてみます。
そして見えたことを代わりの案と一緒に授業をした先生に伝えてみたいです。
その1人を見る目が自分の教室では全ての子を見る目になっていきます。
最後までお聞きいただきありがとうございました。
次に授業を見る機会があったらぜひ1人の子供を決めて見てみてください。
また次回もお待ちしています。
08:09

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