準備しすぎる授業と子どもの受け身化
教育カフェテラス。進行役の水野太一です。 国内外の教育の記事を1本ずつ取り上げて、明日の授業や学級作りのヒントをさらす番組です。
アシスタントの高橋さやかです。よろしくお願いします。
さやかさんは、教育実習のとき、授業の準備は前の日の夜までに終わっていましたか?
正直に言うと、ほとんど終わっていませんでした。 指導案を直しているうちに夜中になって、眠いまま教壇に立った朝もあります。
多くの先生が通る道です。今日は、「みんなの教育技術」というサイトに10月12日に載った記事を紹介します。
授業準備が追いつかないピンチを、ベテランの先生がどう乗り切ってきたかを語る連載で、 今回は奈良県の公立小学校の先生への体験談です。
その連載は、以前この番組でも取り上げたと記憶しています。 準備が追いつかなかった日に、待つことの大切さに気づいた先生のお話でした。
よく覚えています。同じ連載の別の先生の回です。 この先生は、若い頃、準備を怠ってはいけないと思い込んでいたそうです。
少しでも準備が足りないと不安になり、その焦りが子供に伝わって、 授業が崩れたことが何度もあったと振り返っています。
先生が焦ると子供にも映るのでしょうか。 自習で私が慌てた瞬間に、教室がざわっとしたのを覚えています。
映ります。子供は先生の表情をよく見ています。 ただ、この先生は逆の失敗も書いています。
準備をしすぎた日ほど、子供が受け身になってしまったというのです。 準備をしすぎて失敗するというのは少し意外です。
しっかり準備した授業のほうが、子供も楽しめる気がするのですが、 違うのでしょうか。
楽しそうに見えても、子供は先生の話を聞いているだけの お客さんになっているかもしれないと筆者は書いています。
先生がいいと思う授業と子供がいいと思う授業は、 ズレていることがあるという指摘です。
発表をゴールにした授業の行事化
お客さんという言葉は胸に刺さります。 私の実習の授業も先生が上手に説明してくれたで終わっていたのかもしれません。
そこで筆者が大事にしているのが環境設定です。 何を教えるかより、子供が学びたくなる仕掛けをどう作るかに力を入れます。
ポイントは実感する場とアウトプットする場を用意することです。 その上で授業を行事化します。
行事化というのは授業を運動会のようなイベントにするという意味でしょうか。
半分は当たっています。運動会という本番があると毎日の体育の練習にも意味が生まれて、 子供は自分から取り組みます。
授業でも誰かに発表する場をゴールに置いておけば、 一つ一つの学習がその本番に向かう練習になります。
国語だと私は音読発表会くらいしか思いつきません。 この先生はどんな本番を用意したのでしょう。
3年生の国語のちいちゃんの影おくりの授業です。 準備が追いつかなかったその日、筆者は子供が読んでハテナと思ったところ、お互いに発表し合う場を作りました。
自分の疑問を探し、そこに友達の目線を加える形です。
ちいちゃんの影おくりは私も小学3年生の時に読みました。 空に影が映る場面がなぜか怖かったのを覚えています。
あの怖さもハテナとして発表できたら話し合いが広がったかもしれません。 まさにそういう疑問が授業の材料になります。
筆者はもう一度同じ単元をするなら最初の時間に最後はクイズを作ろう、 ちいちゃんの気持ちの変化をメーターにしようと予告しておきたいと書いています。
そして単元の終わりに子供が自分のペースで進める時間を取り発表し合います。 ゴールが先にわかっていると子供もサボれなくなりそうです。
準備が足りない日でも子供が自分で動いてくれるということでしょうか。 筆者はそう書いています。仕掛けさえ作っておけば多少準備が追いつかなくても子供が主体的に学ぼうとしてくれるそうです。
荒れた教室での導入の工夫
でもそもそも子供が授業に乗ってこないクラスもあると思います。 そういうクラスでも行事化は通じるのでしょうか。
鋭い問いです。筆者はいわゆる教育困難校を2校経験しています。 授業が始まっても子供が教室にいない途中で出て行ってしまうということが日常だったそうです。
準備以前の問題に聞こえます。私だったらどうしていいかわからず立ち尽くしてしまいそうです。 筆者も苦しんだそうです。
ただ子供は正直だと気づきます。面白くないから教室を出て行くのです。 それなら面白そうだと思わせればいいと考えました。
例えば歴史の授業の導入で江戸時代にハロウィンのパーティーがあったのを知っているかと問いかけます。
江戸時代にもサブスクや100円ショップがあったという話も出したそうです。 江戸時代のサブスクは私も気になります。調べてみたくなる気持ちは大人でもよくわかります。
その調べてみたいが入り口です。 勉強が苦手な子にテストで100点を取らせて自分もできると勘違いさせる工夫もしていました。
その勘違いのおかげで立ち歩いていた子が座って授業を受けるようになったそうです。 成功法ではないと筆者自身も認めています。
勘違いという言い方がなんだか温かく聞こえます。 でも自信がつくきっかけとしては小物なのだと思います。
準備は8割、経験を授業に生かす
最後に筆者は準備は8割できていれば十分だと書いています。 完璧を目指すとしんどくなりその焦りが子供に伝わるからです。
うまくいかない日もある。子供が言うことを聞かなくて当たり前と思っておけば平気だそうです。 8割でいいと聞くと少し肩の力が抜けます。
でも手を抜いていいという意味とは違う気がします。 そこは大事な区別です。
筆者はAIを使えば準備は一瞬で済むけれど何もかも任せきりにはしない方がいいとも書いています。
失敗を積み上げた経験があるから子供に任せた授業でも何が良かったのかを意味付けられるからです。
1年に1教科だけこれは頑張ると決めて週に1回でも腰を据えて学ぶ時間を取ることを勧めています。
1教科だけなら私にもできそうです。 それに今日一番印象に残ったのは子供がお客さんになっていないかという問いでした。
準備の量より子供が動き出す仕掛けの方を考えてみたいです。 今日は準備が追いつかない授業、行事に変える工夫を見てきました。
発表の場をゴールに置くこと。面白そうだと思わせる導入。 そして準備は8割で割り切ることです。
完璧でない日の授業にこそ子供が主役になる余地があるのかもしれません。
最後までお聞きいただきありがとうございました。 次回はどんな先生の工夫に出会えるのか私も楽しみにしています。