大人になりたい旅がしたい。このポッドキャストでは、旅行とお酒が好きな同級生2人が、大人だからこそ知りたい、ちょっとディープな国内旅行のモデルコースを紹介していきます。旅のお供はこの2人。
旅が生き甲斐ない旅行ガイドブックの編集者、はるやです。 ディープな旅がしたいけど知識がない旅行初心者、うちだです。
この間、たまたま知ったことなんですけど、金曜ロードショーのXと、たまたまつぶやいてたのを見たんですけど、
千と千尋の神隠しあるじゃないですか。あれの白い、でっぷりした。 いましたね。
酒漬かぶってる。大根2本生えてるみたいな神様がいるじゃん。
これがね、おしら様って言うんですって。 ああ、そうなんだっけ。
そうそう、なんか名前ついてるらしくて、おしら様なんですって。 おお、おしら様ね。
岩手ね、東の物語の時にお話ししましたけど、おしら様なんですって。 ああ、これそうなんだ。
らしいですよ。僕らが話した現地のおしら様とはだいぶ見た目が違うんですけど、
宮崎駿監督は、もともと日本の神様って形がない。百鬼夜行図みたいなものも全部後から作られたものですからと。
そういうものを根拠にデザインしたくなかったんです。ということで見た目がね、全然違う。
元々おしら様は子供が大好きな神様なんですって。 だから千尋がね、千尋を助ける。
そうだよね。 優しい神様ですね。っていうのも、子供が好きで優しくしてくれたんじゃないかっていうことらしいです。
へえ、知らなかった。この人おしら様だったんだ。 そうそうそう。それ見て、おしら様だって。
そうですね。ぜひ岩手の回と比較して聞いていただけると。
こういうの知るとまた千と千尋見たくなるしね。 そうですね。見たいですね。この絵を見てるだけでも見たいですね。
ということで、ちょっと意外な繋がりがあったので。
ということで、今回は花よ花、咲いて因果が作るなら、時をかけて狐になること。
という東京都北区のコースの2日目、最終日。 そうですね。
前日は大路を結構メインに巡って、飛鳥山だったり、夜のお店だったり、いろんなところを巡って。
で、この2日目は赤羽根をメインに動いていくっていう感じですかね。
そうですね。大路以外の企画をいくつかいきたいと思います。
じゃあ2日目早速お願いします。
前日のホテルについては、赤羽根駅の数が多いよという話はしている一方で、
夜のお店は基本大路に昨日は行ってましたので、大路か赤羽根どちらかに泊まっていただいていればよいのかなというふうに思うんですね。
ただ、大路にしろ赤羽根にしろ、朝の目的地はそこではなくて、電車でちょっと移動していきたいと思っています。
それがですね、十条駅、もしくは東十条駅というところに行ってほしいんですね。
これ場所ってどこかっていうと、大路と赤羽根の間です。
ただし十条駅というのはJR最強線です。なので赤羽根からしか行けません、十条には。
一方で東十条は京浜東北線です。
こちらであれば赤羽根からも大路からも通じているので、どちらかから行ってもらえればOKですね。
この十条というところをなぜ目指すかということなんですけれども、これ大前提として日曜日だと思ってください。
実はですね、この十条にあるとある名物が、日曜日だけは朝から行けるんですね。
そこに行きたいと思っています。
十条駅もしくは東十条駅、どっちでもよければ十条の方が近いです。
から徒歩10分ほど、十条湯というところに行きたいと思うんですね。
これ銭湯ですか?
そうなんです。
朝風呂ってことね。
そうです。
北区って銭湯が多いんですよ。
特にその昔ながらの銭湯というのをしっかり守り伝えている方々がいらっしゃって、今回は十条湯を取り上げさせてもらったんですけれども、
滝の川の方には稲荷湯っていうね、これも本当に古くからあって文化財資店も受けている銭湯もあったりして、乃木坂のPVとかに出てるんですけど、
っていうところもあるくらいで、住宅街の中に本当にレトロな銭湯が皆さんから愛されているお店があるんですよね。
その代表として今回は十条湯さんを取り上げさせてもらいました。
こちらが日曜だけは朝からやってる。
そうなんです。
普段であれば3時からやっているんですけれども、
日曜日だけは朝湯ということでね、8時から入れるんですね。
なので、ホテルにもちろんシャワーとかついてると思うんですけれども、ちょっとせっかくなのでね、朝、まあどうせこの後飲むんですから。
これ順番は後でもよかったんですけど危険なのでね。
朝に行っちゃいましょう。朝行って飲んだ方が気持ちいいと思いますので。
せっかくなので帰宅の銭湯文化にも触れていただきたいと思うわけです。
どうですかこの十条湯ちょっと見てもらって。
レトロな感じもありつつ、ちょっとこの最近の映画文化みたいなものを取り入れてるような。
今ねインスタ見てるんですけどそんな感じがするね。
どういうところからそう思いましたか?
これ今たまたまこの2枚目にあるけど、ステッカーを作ってたりとか。
まあそのアイコンのね十条湯っていうロゴもかなり可愛らしいポップな。
ちょっと原宿系っぽい感じの色味とか自体で。
可愛いですよね。
でなんかね、喫茶店メニューみたいな写真がちょこちょこ入ってるんですよ。
なんかソーダだったりとかゼリーとかね。
これ何なんですか?
これがねやっぱり十条湯の人気の秘密なんですけれども。
なんとですねこの銭湯、喫茶店併設なんですね。
十条湯および喫茶神会というね、これがね同じ銭湯の中にあるんです。
へーそうなんだ。
ですから何ができるかというと朝8時にお風呂にまず入ります。
すごいさっぱりしました。
そしたらそのまま喫茶店に移動して外に出ずにね。
でそこで朝ごはんと飲み物をいただくっていうねそういうコースにしたいと思ってるんですね。
これめちゃくちゃいいんですよここ。
これもやっぱりうちの社員から推薦してもらったんですけど。
で今ねなんで古いお店なのにポップな感じがするのかっていうことなんですけれども。
ここね創業自体は1948年ですから、まもなく80年を迎えようというね。
もう本当に戦後まもなくできたっていうレベルのところなんです。
特色としてはこのあたりの井戸水を汲み上げているっていうので。
どっかから水道水でどうこうじゃなくて井戸水なのにね。
そのあたりもやっぱり土地の水ですごいまろやかな肌触りをね実現できるという戦闘だと。
しかしながらなかなかコロナ禍の時とかにやっぱり戦闘でも厳しい状況に置かれましたよね。
なった時にやっぱりどうしてもちょっと資金繰りが行き詰まっているという時にですね。
京都の方にある会社でユトナミ社ってご存知ですか。
これねいずれ京都のねまた別の回で絶対取り上げようと思ってるんですけど。
梅湯っていうね京都の戦闘を復活させたっていうことから地域の戦闘を復活させるっていうね企画会社さんがいらっしゃるんですよ。
でそこがね実はこの柔情油産にもちょっと勘でいて。
柔情油産自体がなかなか厳しい状況に陥った時にユトナミ社さんから色々アドバイスだったりとか。
手を入ってリニューアルをして同時にこの地域にやっぱり愛されるお店ですから。
クラウドファウンディングとかをしたところやっぱりすごく多くの方から支援が集まったということで。
どうしてもこれやっぱり地域の誇りである柔情油産を続けたいということで。
コロナが明けた段階でねまた再び復活するんですけれども。
リニューアルしてその時にこのもともとあった喫茶スペースを喫茶新会としてねリブランディングしたと。
僕は残念ながら知らないんですけれどもこの新会というのはね女油の方に描かれているタイルグがあるそうなんですが。
それが新会の絵らしいんですよ。
そっから着想してその女油からそのままでって新会にまた続いているっていう。
そういったものらしいんですね。
女性の方ぜひねそこを見てほしいなと思うわけです。
だからまあやっぱこう映えっぽい感じの。
そうですそうです。
割と女性向けっぽい雰囲気づくりになってますよね。
そうですね。
クリームソーダとかゼリーとかあるオリジナルのそういったスイーツが本当にレトロな感じ。
お店の中は結構暗めに作ってあるんですけどランプとかに照らされてあのクリームソーダのね蛍光色がこうリンリンと輝いている様。
スイーツもかなりレトロな感じ。
それがまた先頭にあるっていうストーリーがまたね。
そうだね。
一羽立たせますよね魅力をね。
なるほど。
一方であの卵サンドとかミックスサンドとかそういったサンドウィッチのフードメニューも提供していらっしゃいますから朝8時に来てそのまま朝ごはんもこれ食べてしまいたいと思うわけですね。
いいね朝風呂からそのまんまモーニングに行けるってね。
いいですね。
僕はね喫茶新海さん夕方前くらいに行ったんですけど僕はね。
混んでたんですよ結構やっぱり。
もう人気で地元の方もいらっしゃったし多分大学生の観光客の方みたいな方も何人かいたかなという感じでね。
なので帰宅にせっかくだから泊まっているのであればやっぱ朝一を狙ってほしいと思うんですね。
逆に朝風呂を入れるには帰宅に泊まっていることがめちゃくちゃ有利な条件になりますからここは是非ね泊まっているうちの量を生かしてほしいなと思います。
何度も言いますがとにかく朝やってるのは日曜日だけですからこれだけは絶対気をつけてください。
このコース的にももう一番風呂を目指していく感じですね。
なので7時50分十条駅みたいなね僕じゃ絶対できなそうなことを自分で書いてるわけなんですけれども。
結構早いけどそれができるのは止まってるからコース。
そういうことですそういうことです。
でまぁ余談ですがこの十条というのはね今回ちょっと十条駅さんだけしか取り上げられなかったんですけれども。
十条銀座という非常に賑わっている楽しい商店街があって十条駅さんはそこから一本路地を折れたところの住宅街にあります。
で商店街の中もマーケットになってるんですけど1日1000個って言ったかなとかって出るようなツクネみたいな売ってる有名な焼き鳥屋さんがあったりとか。
もう昔ながらの本当に小売りの店舗餃子とかもすごいおいしそうな店あったんですけど。
で僕の同期がねこの十条の近くに住んでいてやっぱりその子とかは十条のその雰囲気とかすごい好きらしいんですね。
彼女もその近くにね引っ越してきたのは最近なんだけれどもやっぱりここの辺がすごくお気に入りだという話もしてくれてましたね。
なので7時50分にやってるかちょっと怪しいんですけども。
入浴もして喫茶店も行ってたら多分1時間半ぐらいはいるんじゃないかと思いますから。
帰り道十条駅か東十条に帰る途中、十条駅に帰った方がいいと思うんですけど。
その間にねその商店街も散策してもらうとそういった地元密着型のね小売店もちょっと食べ歩きなんかもできるかもしれません。
なのでぜひね十条銀座の商店街と合わせて行ってもらうっていうのがおすすめですね。
なんかちょっとレトロな朝を過ごすって感じですね。
そうですね。自宅住民の雰囲気を体感してもらうというか。
そんなイメージです。
十条駅さんからは徒歩5分ほどで十条駅最強線の方ですねに戻っていただくのがおすすめです。
なぜかというとここから赤羽根に行くからですね。
ということでイメージで10時ぐらいに十条駅に着いたとしましたらJR最強線で約3分1駅ですね。
で赤羽根駅に行きます。
そしてね飲みたいところで実際飲めるんですよ10時半から。
なんですけれども内田に合わせればそうなるんですが僕はちょっとねちゃんと知的な部分も最初にやっておいた方がさすがに。
しかもこれ北区のね住民の方聞いてるのを知っていますので下手なこと言えないというところもあるんですけれども。
まあまあちょっと飲みはとっておいた方がいいかなと。
ベロベロになる前に知的なところを。
ちゃんと勉強しておきましょうというわけなのでちょっと飲みは後にとっておきましょう。
飲みたい人は10時半から飲んでください。
で10時過ぎぐらいに赤羽根駅に着いたとしましたらそこからその飲み屋街の中を通っていくんですけれども約20分東側の方に歩いていってください。
そこにあるのがですね荒川治水資料館アモアというところです。
ここはね僕ちょっと入ったことこそないけど知ってるとこですね。
これもう本当荒川のすぐ手前ぐらいのところにある資料館ですよね。
これね去年雑談会とかで話したかな。
サウナアイランドっていうね渋沢くんFMがやっていたサウナイベントですね。
それがこの近くの荒川の中津の島でねやってたんですよね。
でそこに会場に向かう途中にここ通るんですよ。
でもちょっと中は入ったことないんでどういう資料館なんですかねこれ。
そうなんですよね今おっしゃった通りでこれはね赤羽根駅から荒川に歩いて行ったら荒川のその川の流路のすぐ手前にあるんですよ。
なのでまあその名の通りね荒川治水これ治水とは汁水なんですね。
造語なんですけれどもこの荒川の水をよく知ろうという資料館で治水資料館になってる。
で初めに概要だけお話ししてしまうとこの荒川という川なんですけれどもこれはちょっとねいろんな理由があって今荒川と言われてるんですが。
なぜこの荒川というものができたのかこれあえてできたと言います。
なぜ荒川ができたのかっていうことをメインの話にしていて日本の近代におけるこの治水これ治める水の方ですね。
治水治療要は堤防を築いて洪水を防ぐみたいなイメージですけどそういったものの実際のお話。
そのことを知るというふうな話だったりとかあるいはまあ今その貴重なねこの水資源というもので非常にまあ我々の生活にも関わるものですし。
あるいはいろんなまあいろんなものがここに生きているっていう生態系を育むものでもありますし。
そういったその我々の生活だったり自然とどういうふうに関わっているのかっていうのを結構がっつり説明があります。
ここもね結構ちゃんと時間取った方がいいと思いますね。
1階がまあ主に生態系の説明みたいなパネルがあってエントランスなんですけど2階が相当ボリュームあるんですよ。
これがねやっぱりその荒川を作った治水治療の話だったりとかでのすごくやっぱりねパネルとか映像を交えて本格的に解説してくださってます。
いわゆるその社会科研学とかにもすごい頼るようなイメージだと思うんですよね。
3階の方に行っていただくと図書室があったりとかあるいはこの荒川のこの水門がまあ目の前にあるわけですけどそれを一望するテラスみたいのもねあったりしますので。
晴れた日なんかはぜひテラスとか行ってね荒川のその風景学んだ風景というのをね見ながらねいろいろ思いを発していただくのがいいんじゃないかと思うんですね。
これしかも入場無料なんですけれども。
僕もこれ行ってきた時にボランティアの方がね受付にいらっしゃってその方がねすごく細かく詳しく説明してくださるんですよ。
だから非常にねパネルを見てる以上の学びがあってやっぱりその地域の方から見る荒川というものの価値だったりとか恵みだったりとかっていうのをすごい丁寧に教えてくださって。
実は後々言うんですけれども今回の帰宅って僕これ本当に主題難しかったんですよ。
このコース作るのめちゃくちゃ難しかったんですよ今まで。
かなり悩んでたね。
かなり悩んでたんですけどこのアモアのそのボランティアガイドさんの話で決めたんですね。
どういうテーマにするかっていう。
っていうぐらいの充実とした説明をねしてくださいました。
なんかやっぱ川ってもうそこにあるものとしか考えてないからその言い方の問題だとは思うけど作られてるんですね。
歴史もあるってことなんだ。
そうですそうです。
でまあちょっとここから歴史の話になるんですけれどもこのね荒川地水資料館で一番メインに扱っているのは荒川放水路の建設の歴史なんですね。
荒川放水路ってご存知でしょうか。
わかんないけどでもここの近くって水門がありますよね。
はいはい。
そこで放水をしてるってことですかね。
ほぼもう正解ですので。
でじゃあ荒川放水路ってなんだってことなんですけどそれがいわゆる我々が認識している荒川のことなんです。
これねどういうことかというとちょっと地図見てみましょうか。
今荒川ってどこ流れてますか。
荒川はまだこの北区の北側ですよね。
はいはいはい。
荒川から流れてって地図をたどっていきますけど。
足立区、葛飾区、江戸川区、江東区を通って東京湾に。
そうですそうです。
あの都民の方ね加西臨海水族館のところにね注いでいるのが荒川区ですね。
まあそこを流れてるまあもう結構幅の広いね大きな川ですよね。
じゃあちょっとまさに地水資料館まで戻ってもらいましょうか。
荒川がありますよね。その下にも川があるのわかりますか。
はいはいはい。ここね分かれてるところは結構細いんですけど。
墨田川ですねこれ。
そうです。
つまりこの水門の境に荒川と墨田川ってのが分かれてるんです。
一緒なんだ元々。
そうなんですよ。
あそうなんだ。
分けたんですね。
作ってるじゃん。
そうなんです。
これどういうことかっていうと今現在我々が荒川って言っている荒川ありますよね。
これは明治時代に人工的に作られた川なんです。
この川は存在してなかったんです明治時代までは。
そうなの。
荒川放水路っていうのは荒川のことなんです。
つまり意図的に作った放水路が今荒川と言われてるんです。
私これ見るとこの分かれてるところは荒川の方が太いんですよ。
そうなんですよ。
こっちの方が本流な気がするんだけど。
これが放水路なんだ。
そうなんです。
人工的にこれは彫ったのこの川を。
長くね。
そうなんですよ。
すっごい長いし幅も広いですもんね。
これねもう本当にプロジェクトXというかすごい大規模な国家資料だったんですね。
荒川放水路の建設明治44年から始まるんですけれども。
このことなんですね。
意外と荒川は人工物なんですこれは。
なかったんです本来この川はそもそも。
すごいな。
これさこの幅の荒川がなかったとしたらこの量の水が隅田川を流れてるわけですよ。
そうです。
これ大変なことになるね。
そうなんです。
なぜそう思いますか。
地図からしかわかんないけど水の量が全然違うはずなんですよこの川幅からいってね。
そうですね。
隅田川は荒川と比べるとめっちゃ細いんで。
だいぶ大氾濫の危険性が高いですよね。
おっしゃる通りです。
実際にそうだったんですよ。
だから作ったんだ。
そうです。
これはもう東京の周りの川っていうのは徳川家康も相当手を入れてたりしてるんで結構自然の流路からぐちゃぐちゃ変わっているんですけれども。
この荒川っていうのは今の隅田川がもともと荒川だったんです。
名前が変わってるんですよ隅田川途中から隅田川に。
もともとこの隅田川の今の流路あたりを荒川というものが流れていたんですね。
荒川っていうこの名前からしても想像がつくんですけれども。
この隅田川もよく見るとくねくね曲がってるじゃないですか。
その近くのあたりまさにね。
こういった蛇行を繰り返している川というのは水量が増すと一番危ない川ですよね。
このカーブのところがね勢いが増すからね。
そうですそうです。
危ないですよね。
その一方で江戸城のもう東どなり。
いわゆるその日本橋だとか香山町だとかあの辺っていうのを通っていますから。
江戸時代からこの辺というのは江戸で一番の都会だったわけですよね。
にもかかわらずこの危険分子がもう横を流れているというんで。
もうずっとこの隅田川今でいう隅田川ね。
当時の荒川をどうするかっていうのは課題だったんです。
だけれどもこの規模の川を今からどうこうするっていうのはめちゃくちゃな規模になって。
そうだね。
どうやったらいいのって話になるわけですよね。
これは確かに五眼工事では無理がありそうな感じでは。
そうそうそう。
今はもう今人いっぱいいますけど。
当時はまだその北区とかそのあたりはまだ人がそんなにいなかったってところもあって。
ある程度そっちで調水池とかを作っていたそうで。
よく知って違うイメージが余ってたから。
そっちで何とか水をはけさせて。
せめて江戸の市内も江戸城の中心部ですよね。
とか日本橋のあたりだけは守ろうというふうなことで何とか逃がしていた。
ところが明治43年1910年なんですけれども。
ここで史上稀に見る大洪水が起こりました。
これでついに隅田が当時の赤江が決壊をしてしまって。
東京の中心部がもう水浸し。
すごかったんですねこの洪水は。
とんでもないダメージを食らってしまって。
もちろん被災されて亡くなってしまった方もいるし。
都市技能としてももうぐちゃぐちゃになっちゃったんですよ。
ましてこの1910年どういう時代だったかというと。
日露戦争が終わって5年後くらいでいよいよ西洋列強に肩を並べられるんじゃないか。
いけいけな時で。
そんなことやってるぐらいのお膝元が水浸しでしたなんていうのは。
どうなっちゃってるのってことはないけど。
なるほどね。
でも実際起きちゃったんですね。
起きちゃってるんです。
もちろん当時から対策ある程度していたはずなんだけど。
その想定を上回る水量が降ってしまって。
その対策が効かなかったんですね。
大被害を被った。
これを見てさすがにこれ今まで先延ばしにしてたけど。
なんとかしなくちゃいけないんじゃないかということが初めて。
本格的に政府もこれはやらなきゃいけないっていうふうに思ったんですね。
なるほどね。
ちょっとあれかもしれないけど東日本もちょっと似たとこありますよね。
大震災。
津波がね。
護岸工事はしてたけれど。
それを超える津波が来ちゃって。
復興する中でより強い津波対策をしなきゃっていうことでやってますけど。
そういう感じですね。
要はやっぱり自然の猛威というものをある意味当時の人たちの想定は埋まっておりますよね。
軽く考えていたわけじゃないと思うんですけど結果としては及ばなかった。
人間の力はね。
ということでこれはもう早くなんとかしなきゃいけないんだと気づかされたので。
早くもその翌年明治44年1911年ですからこの計画が始まりました。
ただ計画といってもただ単純に堤防を築くというレベルじゃないわけですよこれ。
これはもう荒川作るぞっていう計画がもう立ったんだ。
もちろんいくつか案はあったそうなんです。
どうすればいいのか。
流路とかも当然荒川を作るって言ってもそこに暮らしてる人もいるわけですから。
立ちのえてもらわなきゃいけなかったりするわけですよね。
だからその荒川を作ることによって生じる障害点もいっぱいあるわけ。
でもそれでも何も作らなければいけない。
水浸しになるよりは。
日本橋とかを逃がすために江戸川区とかの方にとにかく水を一回避けとかないといけないって言うんで。
あとは実際掘っていくわけだからなるべくその自然に流れていくように変な蛇口とか作らずにね。
今の荒川を見ていただくと後半からはあんまり蛇口がないと思うんですよ。
そうだね割と緩やかですね。
墨田川に比べるとだいぶ葛飾区の辺りとかまっすぐだと思うんですよ。
確かに。
だからこれが一番最適な道だろうというのがわかったというんで作ったんですね。
すごいな。
これ結局もうそんな1年じゃそこでできるわけないわけで。
結局明治44年からその計画ちゃんと始まってできたのが1924年大正13年ってことだったと言います。
それにかけて法水路の改札工事削って水を通す工事が行われた。
その時の最後の一つのパーツとしてこの水門だったんですね。
旧岩渕水門といってこの資料館の目の前にまだ残ってるんですけれども赤色の水門あるんですけど。
これができてそこが墨田川と今でいう当時の荒川法水路の境になる。
この水門を閉めることによって墨田川は荒川から分離されたんですね。
全然知らなかったなこれ。
申し訳ないけどもう荒川と墨田川一緒っていうことすら正直知らなかったので。
墨田川ってどうしてもスカイツリーとか過去のイメージが強いんですよね。
だから源流まで辿った時の話ってあんまり皆さん気にしないし僕も気にしなかったです。
これは驚きの事実だな正直。
そうなんですよ。
だからもう本当に国を揺るがす国家事業としてやったんですけれども。
そのメインの舞台になったのがこの帰宅なんですね。
の赤羽なんですね。
あの水門がそんな重要だったと思ってなかった。
そうなんですよ。
ちなみになんですけれどもこの工事も並大抵のものじゃなかった。
特にこの年代を見てもらって気づいた人もいるかもしれませんが。
大正13年に法水路の工事は半ば一定の成果を見るんですけれども。
その前年の1923年というのは関東大震災が起こった年です。
ので工事途中でもいわゆる最終盤なのにもかかわらずそこで地震が起こっちゃったりするんです。
いやーなんかね壊れたとこもあったろうね。
だけどあの岩渕水門は無事だったって言うんですね。
だからそれはやっぱり当時の技術者たちのいかにちゃんとした工法でね。
理論をちゃんと実践したかという。
そのリーダーだったのが内務省の技師だった青山明という人物でした。
青山明、青山は普通の青山ですけれども明は武士の師ですね。
一文字で書いて明という意味です。
この人は塩州静岡岩渕の人です。
渋郎の岩渕ですね。
の人なんですけれどもこの人がリーダーになってこの荒川法水路の開通工事というものが行われました。
のでこの資料館にはこの青山明のこともねかなり詳しく紹介されています。
でなんでこの人に白羽の矢が立ったかっていうのはですね。
僕も実は今回この青山明の話がめちゃくちゃ面白くて感銘を受けてこの本を買ったんですね。
標伝義師青山明の生涯我川と共に生き川と共に死すという本ですね。
高段車さんから出ていてもう今あんまり売ってないかもしれないんですけど。
僕はちょっとアマゾンで買ったんですが青山明の電気が出てるわけなんですね。
でちょっとまあこの1週間くらいこれ読んでたんですけれどもこの人が何者だったかということなんですが。
この人がね一言で言うと日本人として唯一パナマ運河の建設に携わった人物なんですね。
どういう繋がりなんだ。
この人はもともと静岡の岩田の出身なんですけれども明治のもう中盤から後期にかけて東京帝国大の東大ですね。
に行ってそこでね広井勲先生という方が当時の土木建築の第一人者がいるんですけれどもこの人の教えを受けてその道に進むことになった。
でこの広井勲なんですけれどもまた話があれいろいろ言ってあれなんだけどランマン見てた方いますよね。
僕の場合これ見てるんですけれどもランマン見ててさ覚えてるあのさ。
その子に話してるわけね。
真木の富太郎さんがモデルで真木の満太郎さんという人がねいました。
父さんの坂川これ以前やりましたね。
で生まれて坂川の幼馴染でね最初は満太郎のことをいじめてたんだけど後から仲直りして親友になっていく登場人物がいたと思うんです。
彼が都兵して工法を学んで北海道の方で土木工事が従事して立派な先生になったっていう話があったと思うんですけれどもあの人です。
あの人が広井さんがモデルになってるんですね。
だからランマンにも実は出てきてるんです。
真木の富太郎の友達なんです。
同居の人なんです。
父さんの人です。
その先生の教えを受けたのがこの青山明なんですね。
でこの青山明さんはそういうわけで広井さんの教えを受けたんですけれどもちょうどその時アメリカの方でパナマ運河の建設というものが比較されている。
っていうんで留学してみろというふうに広井先生が言って広井先生の知り合いだったアメリカの大学教授に青山明のことを紹介書を書いてそれで飛べさせたんですね。
でただアメリカに行くなんて人は当時もう考えられないわけですよ。
っていうのは特にパナマ運河なんてもうどうなるかもわからない。
その前にフランスであれ作ろうとして失敗してるっていうのはもう有名な話なので。
ジャングル南米のもうジャングルでマラリアもある何病気も流行る給与がまとめられるかわからない。
そして今は日露戦争とかの関係でアメリカが日本に対するちょっと差別的な目が結構向けられている。
それが渋沢栄一が都兵してる時期なんですけど。
っていう風になると言うんだから誰も意外と思わなかったんだけど青山明はそういうのにあえて手を挙げて行ったんです。
そして結果的には向こうでもうすごい苦しい思いをしながらもあのパナマ運河の建設に本当に携わった日本で唯一の人になってしまった。
っていうことなんですよ。
でそれを見てきたからこそ日本に帰ってきた時にぜひ君にこれを任せたい。
これは国家事業なんだ荒川を作るということだということでリーダーになった人。
すごい本当当時の最新の現場を見てきた人。
だから岩渕水門とかその荒川を開作するにあたってもまずハード面においてはその当時のパナマ運河で出てきた技術というのが活かされている。
これやっぱ青山明にしかできなかったことだと思うんです。
で同時にこれも結構資料館で意外な一面としてあるんですけどソフト面でも彼は非常に重要な足跡を残した人物でした。
というのはどうしても当時の日本の江戸時代からの職人肌の親分みたいな感じだと結構もう弟子というのは住み込み暴行でみたいな感じでね。
都邸制度じゃないですけど。
でなかなかこうどうしても辛く苦しいものだと。
それを乗り越えた先に一枚になると。
それも大人だと思うんですけど。
パナマ運河の建設現場っていうのは色々差別的なところはあったとはいえ。
労働者たちはある程度の福利厚生とか労災とかそういった概念が導入されてたんですよ。
保険といった意味でも。
そういったところに従業員が守られてるからちゃんと従業員たちもモチベーションが上がるんだと。
でお金が手に入るし。
っていうことを見てきたんです。
なので青山明もそれを日本式に導入したんですねここで。
だからまあ明確な制度ではないんだけれども。
労働者たちのちゃんとした権利というかちゃんと労働者たちを大切にしなければならない。
っていうことを非常に重んじた人でした。
もう命令して働かせるとかじゃなくて。
みんなでチームとしてやっていかないと物事がうまくいかないんだと。
いうことをその目に知ってた人なんです。
で彼はもともと東大の時にもハード面は広井先生に習ってるんですけど。
ソフト面の精神的な部分は内村勘蔵という人に非常に大きな影響を受けてました。
内村勘蔵は教科書に載ってますけれども。
札幌の大学校北大ですよね。
の生徒であのクラークに習ったという人物で。
日本のキリスト教の伝道に非常に大きな功績を残した学者というか思想家です。
その人に魅せられて青山明自身もキリスト教に入信してるんですね。
なのでそのキリスト教の精神でもってちゃんと日々の生活も立しなければいけないし。
その誰かをいじめるだとか労働者を働かせてどうにかするとかっていうのは絶対にダメなんだと。
そういった精神的な構造だったり道徳心を持っている人がハード面を身につけたっていうある意味これは歴史の知識なんですよ。
そのどちらも成し得た人たぶん日本にこの人しかいなかった。
その証拠になるのがですね。
この文に僕非常に感銘を受けたんですけれども。
この荒川治水資料館アモアさんの外にとある石碑が建ってるんですね。
石というか石が建っていてそこにレリーフが埋め込まれてるんですよ。
そこに何て書いてあるかというと。
この工事の完成にあたり多大なる犠牲と浪費等を払い足る我らの仲間を記憶せんがために。
っていう風に書いてあるんですね。
これは青山明が実際に書いて作ったレリーフなんですけれども。
普通ねこの完成した時に埋め込むレリーフっていうのは大体がおめでたいことではあるから。
名前を刻んで日本政府内務省何々とか。
陸軍大将何々みたいな話になるんですけれども。
青山明はこれに一切自分の名前入れなかったんですね。
ただその今の言ったこの工事の運の記憶せんがためにっていう。
その文章だけを刻んでこの荒川法水路の完成という風にしたんです。
その完成おめでとうっていう文でもないわけだもんね。
ないんです。
やっぱりこの人が迫害的な精神を持ってパナマンガで見てきたので。
当然彼らもかなり努力したんでしょうけどやっぱり犠牲者は出てきてなかったんですよ。
荒川の工事においてもね。
だから彼らのまず犠牲と、もちろん生きてる人も多大な手間をかけてやったわけなので。
その仲間を記憶せんがためにっていうのでね。
ただそれだけを書いたっていう。
本当のキリスト教的な迫害精神だよね。
そうですね。
すごいね。
本当にこの時代の広いさもそうですけど。
マティナ・トミタラもそうですけど。
やっぱり明治時代のこの技術人たちの精神性っていうのは僕はすごいと思うんですよ。
すごい。
ただ技術を追い求めるだけじゃなくて、それを一緒に作る仲間のことを思いやれるっていうその精神性。
僕はやっぱりこの近代人としてのある意味開花だったと思うんですよ。
それは渋沢一にもちょっと共通するところもあるような気がするんですけどね。
彼は江戸時代の儒教的な考えの中からそれを生んだんですけど。
というものでこのリリーフもあって。
これも秩序資料館の目の前で見られますので、ぜひ見て欲しいと思います。
そして資料館で実際に学んでいただいた後には、実際にその岩渕水門を見てみたいと思うんですね。
秩序資料館から3分ほど歩いてこの川の中の中須に渡るわけです。
旧岩渕水門、赤水門を見に行きましょう。
これは我々も一緒に行きましたけれどもどうですかね。
本当に大きな立派な水門なんですよね。
さっき言ったサウナアイランドの会場にもなってる中須の島があって、そこからもよくこの水門が見えるんですよね。
この景色が結構いいんですよね。
この荒川の中から川に囲まれてるんでね、その中須がね。
そこの先に赤水門が見えてて、僕ら行ったときは夕暮れのときですよね。
すごく綺麗な景色ですよね。
これはそういうわけで大正5年から8年間かけて作ったという青山明が魂を込めて作った水門で、今はその役割を終えています。
今は国の重要文化財にただ指定されて保存されてる文化財なんです。
ちなみに今はこの赤水門のちょっと下流側に青水門という新しいものができてると思うんです。
それが現役で稼働している水門になって、万が一のことがあるとあれが閉じられたりするわけです。
今はこれは文化財なんです。
この赤水門については9メートル幅に及ぶ門が5つ連なっている。
全長100メートルこそという巨大なもので関東大震災にも耐えたというね、すごい強固な作りのものだったわけですね。
今言ってくれた通りこの赤水門なんか渡れるんですよね、今実際我々はね。
実際だからその留罪というかね、というのにもむしろ見ることができますし、
何よりやっぱり今打ち上げてくれた通りね、その水門を渡った先の荒川赤水門緑地ですかね、に行っていただくと本当にね、
この荒川と隅田川が分かれるその様をね、本当に自分を境に分かれてるんじゃないかっていうくらいね、
悠々とした大河の綺麗な流れがあって、これがやっぱりいいですよね、非常にね。
すごくね、なんかすっきりする景色なんだよな。
本当周り川しかなくて、川岸もね、そんな高い建物があるわけじゃないので、見通しが良くてね、綺麗ですよね。
特にもう僕は夕方に行って、あとはこの実際資料館行った時は朝一で行ったんですけど、どっちもいいですね。
朝は特にワンちゃんのお散歩をされてる方とかランニングされてる方も多くて、
本当に冬のね、綺麗な青空の中でね、走るのがいいなと思いましたね。
ここでやるサウナがマジで気持ちいいからね。
そうだよね、すごいよね、これ屋外でね、素晴らしいですよね。
サウナアイランドちょっと今年もやってほしいな。
なのでまあね、ぜひそういった浴地としてね、アクティビティとしても行っていただいてもいいですし、
その前にね、この歴史的な部分を学んでおくと、なおこのね、水門がいかにすごいものなのか。
そしてこの景色が波打てるものでできなかった。
この青山明たちのね、すごい努力にできたものなんだってことをわかるとね、一層胸に閉まるものがあるんじゃないかと思うわけですね。
いやーちょっと僕もこれ今まで知らなかったから。
これ知ってまた見に行きたいですね。
そうですね。
という旧岩渕水門でした。
で、ようやく飲みに来たわけですけれども。
ようやくってことじゃないけどね。
赤羽ね。
もうこれはね、どの店を紹介するかっていう問題じゃないですか。
もうあまりにもお店が多いので。
本当に多いですよね。
たぶんそれぞれの店に特色があるんだろうなっていう感じがすごいするんでね。
赤羽の東側ですよね。
あそこに戻るわけね。
徒歩20分ほど歩いて赤羽駅の方に戻っていただくわけですね。
僕もそういうわけで結構集中的に帰宅にこの位置がついていましたので、
相当いろんな店で飲んだんですけど。
やっぱり友達からの推薦のLINEを見てても、
赤羽の居酒屋のみんな推薦の量がいろいろでね。
本当に迷ったんですよね。
で、迷って迷って結局曲げた結果、
やっぱりあえてね。
王道の特技のところをまず押さえておいた方が良いという結論に達しまして。
帰宅の方から見たら、なんだよつまんないなって思うかもしれないんだけど。
初めて帰宅に行く方に向けたコースとか今回はしているので、
ちょっと超王道のところ2件をね紹介させていただく。
1回今回とどめたいというふうに思います。
まず1件目。
まるけんすいさんさんです。
これは、揚げですか?
さつま揚げっぽいのがね、トップの写真に載ってますけど。
これはですね、おでんの種を販売しているおでん屋さんなんですね、そもそも。
ですからがんもんみたいなのが今出てますけれども、
あれは巾着とかね、さつま揚げみたいな練り物もありますけれども。
おでんの種を販売するお店がそもそもなんです。
ところがですね、ここに立ちのみスペースがあるんですね。
ここが美味しいんですよ、めちゃくちゃ。
超有名店なんだけど、やっぱ美味しかった。
これ本当に。
すごい美味しかったです、ここ。
すっごい綺麗な練り物の写真が出てるんですよね。
メニュー見てみましょうか。
種類もすごい豊富ですね。
玉ねぎ天とかね。
スタミナ、美味そうだな、これ。
ニラともやしと人参が入ってんだ。
ごぼう天とか生姜天、ウインナー巻き。
美味しそうだな。
それぞれめちゃくちゃ美味しい。
このジューシーでありながらやっぱり風味が変わっているのがいいですよね。
さらにこっちもあると。
練り物以外の種もあるわけだね。
じゃがいも、大根、牛すじ。
こんにゃくだったり卵だったり。
いいね。
おでんを魚に飲むってことね。
そうなんです。
飲み方もいろいろあるんですけれども、
これね、後で雑談で詳しく話しますが、
我々ね、山田部長さんたちと一回お食事ね、
お家でご一緒させていただいたんですけれども、
その前にね、
なんと僕はここで一人でゼロ時間をしていた。
赤バレに宿をとってたので、あの時ね。
ただね、ゼロ時間にぴったりの飲み屋でして、
なぜかというと、
おでんセットというすごいメニューがあるんですけれども、
なんとね、おでんおまかせ4品と、
飲み物、好きな飲み物1杯で、
税込1,000円というね。
まさにせんべろ。
すごいんですよ、これ。
本当にせんべろだ。
そう、本当にせんべろ。
僕の時は卵と大根と生姜天と、
あともう一個プレーンのちこだったかな。
それで選べないんですけれども、
もちろんどれも美味しかった。
1,000円ですよ。
いいな。
すごいよな、すごい町だな、本当に。
特にね、僕はその時、日本酒マルシンマサムネというものをね、
カップ酒なんですけれども、いただきました。
これはね、実は前日ちょっと話したんですけれども、
北区にはね、つい最近まで酒蔵があったんですよね。
今はなくなっちゃったんですけれども、
ご親戚がね、埼玉県埼玉市の方でね、
小山さんというんですが、酒井となんでいらっしゃって、
今は北区の小山さんから埼玉の小山さんに色々引き継がれて、
埼玉の小山さんがマルシンマサムネというのを引き継いでね、
浄土されている。
なので北区ゆかりのお酒ではあると。
これが飲めるんですね。
と、このカップ酒とおでん4品で1,000円。
で立ちながら。
いいな。
いいっすね。
なるほど、これは確かにゼロ字解にね、
1杯目にちょうどいい感じだね。
そうです。で僕は、なんでこんな危険なゼロ字解を勝手にしたのかというと、
滞在時間が20分って検定されてるんですね。
ですから、赤羽はね、非常に大事もそうなんだけど、
北区の飲みっていうのはね、ちゃんとね、
ダラダラやっちゃダメなんですね。
パッと飲んで、パッとこう、仕事で疲れた、
彼女にフラってなんでもいいんですけれども、
嫌なことがあったのを少し切り替えるクッション的な役割なんだと僕は思うんですよ。
だからダラダラ悪い酒を僕みたいにこうやって歌うたったりとか、
それは良くないわけであって、
そういうのじゃダメで、良い飲み方をしなさいと。
町全体がそう教えてる気がします。
特にこのマルケン水産さんはそういうわけで20分以内だし、
他店でね、先に飲んだ人はダメです。
もちろんコンビニもダメです。
そうです。なのでこれまでは絶対飲まないください。
我慢して。ルール違反になっちゃうんで。
で、あとは、おごり、おごられ禁止。
へえ。
タチ飲みだからどうしてもさ、広め市場みたいなわかる通り、
ああいうことになるじゃないですか。
あれも楽しいんですけれども、
そうやってダラダラやったって、
男女で盛り上がって、わーみたいになっちゃうじゃん。
そういう場所ではないんですよね。
だからパッと一人でサッとスマートに飲んで帰る。
っていう風にしなきゃいけないんですね。
へえ。
ちょっとそこはイメージと違うかもしれないね。
そうそうそう。それ意外と赤羽のイメージとやや違うかもしれませんが、
ちゃんとそこはローカルルールがあるんですよ。
へえ。
ただ、20分以内であれば良いわけです。何杯飲んでも。
へえ。
しかも推奨されてるんですね。
なぜかというと、何杯飲むって冗談ですけれども、
マルシン・マサムネのカップ酒がいただくわけですよ。
カップ酒なので、どれくらい飲んだか自分でわかるわけですよね。
飲んで3分の2くらいまで行くと、大体みんなそこで終わるんですね。
で、50円玉持ってもう一回カウンターに戻ると、
はい、出し割りねって言われて、
出し割りを勝手にやってくるんですよ、おでん。
へえ。
だから単純な日本酒の味と出し割りをそれぞれいただけるというものがあるんですね。
へえ。
さらに、やっぱり酔っ払ってグダグダやるのが良くないので、
お酒弱い人でも出し割り飲みたいなって人のために、
最初から完成された出し割りっていうものもあるんですが、
そうするとマルシン・マサムネは日本酒ストレートじゃなくて、
初めから出し割りを楽しむというオーダーの仕方もあるそうなので、
そっちでゼロ次回とかで危険だなって思われたら、
そういった風にやってもらえばいいんじゃないかと思います。
いやーなんか意外と、
サッと楽しむっていう感じなんだね。
そうなんですよ。
そうか、だからこそセンベロなのかもしれないね。
そういうことです。
僕もそう、アカバネにやっぱりこんだけ言ったの初めてなんだと思ったのが、
だらだら千円飲む、ハイボール粘るとかが多分本来のセンベロじゃないと思うんですよ。
なるほどね。
千円の中で時間もお料理もお酒も、
限られたものを上質に楽しんで、
あとはちゃんと家に帰るっていうところまでが、
本当の意味でのセンベロなんじゃないかっていう気がするんですけど。
そうかそうか。
まあやっぱセンベロって安いから、
もういくらでも飲めるぞっていうものかなと思ってたけど、
そういうのとはまたちょっと違う楽しみ方なんだね。
そうそう。だからいわゆるはっちゃげでわーじゃないよっていうのが、
北区の大人の飲み方なんだろうと思うんですね。
ああそうなんだ。
実はそれを象徴する店がもう一軒あって、
なのでこれね要注意なのは、
いつものように一軒目二軒目じゃないです。
一軒目どちらかしか行けません。
ああそうか。飲んじゃったら次の店は行けないわけね。
そう、次の店も行けないんです。
マルケンスイサンさんも行けないから。
二軒目だとね。
どっちかを選択してください。
ということで話しますが、
マルケンスイサンさんとはほぼ近いんですけれども、
鯉とウナギのマルマス屋総本店さんです。
もうこれは多分赤羽根居酒屋で一番有名だと思います。
場所も僕はなんとなくわかります。
角にあるとこですよね。
そうですそうです。
なので一応断っておくと、
僕も全く別の日に行ってますこれ。
ウナギと、あと鯉ね。
鯉って俺多分食べたことないな。
そうですよね。
九州とかね、佐賀とかで食べますけどね鯉ね。
鯉とウナギのマルマス屋さんというぐらいですからね。
まさにその通り鯉とウナギがたくさん写真出てくるわけです。
この店がある意味赤羽根の象徴的なお店なんですけれども、
なぜこの鯉とウナギかっていうと、
できたのは昭和の戦後なんですけれども、
やっぱりこの辺は昔から川魚文化が非常に根付いている、食文化が。
それなぜかというと、さっき見てきた通りですよ。
あれだけ近い距離に、あれだけの上質で豊かな水資源があった。
時にそれは話題をもたらしたかもしれないけれども、
平常時はね、むしろそれは川魚、美味しい川魚とか水というものを提供したから、
鯉も食べれる、ウナギも食べれる、そして王子聖書もできたわけですよ。
だからこの辺の川魚の食文化っていうものに、
慣れてる人にとってのやっぱりデフォなんですよ。
特に昭和の戦後とかはまだ川魚文化というのは、当時の荒川はまだたくさん取れたんでしょうから。
あくまでも地域の人がやっぱり喜ぶ居酒屋なんですね。
いやーでもこんなとこでウナギが食べれるんだね。
そうなんですよ。
すごいなー。
僕も鯉もウナギもどっちも食べました。
一人で行ったのでね、そんなにボリュームを食べれなかったんですけれども、
鯉はね、今見ていただける通り鯉の洗いとかでね、
まあお刺身の容量ですけれども、これをね墨袖合わせていただくので。
どうですか鯉って。
いやー、食べたことないんでね、あれですけど。
まあ淡白なんだろうなっていうイメージですね。
よくね鯉って苦手な人も結構いて。
臭みが。
そうそうそうとかって言うんですけど、全く感じなかったです。
僕も鯉食べたのもういつ以来だろうって感じでしたけど、
あの何にも臭みがなかった。
むしろ墨袖あって、なんかねちょっとね縁側にも似てるんだよね、ひらめのね。
歯ごたえがコリコリとしてる部分と筋肉質な部分に微妙な旨味が乗ってるみたいな形で、
ちょっとね当たり目、やわり目じゃないけれども、やっぱちみちみやるのに向いてるのかなってちょっとしましたね。
なるほど。
いやーなかなかね鯉と出会う機会がないから、食べてみたいな。
しかもリーズナブルですし。
最初はこのお店ね、創業したときはね、本当に川魚料理だったらしいんですけれども、今はね、もうおすすめの牛すじ煮込み、これもめっちゃ旨かった。
これすっごい旨かったです、これ。
絶品でした。
いやいいね、いやでも具がゴロゴロしてるね。
そう、だから結構ボリュームもあるんですよ。
いやいいな、美味しそうだな。
あとは今はね、お肉料理とかもたくさんあって、隣の人はとんかつとかを頼みました。
いわゆる揚げ物とかもたくさんあるし、餃子とかもありましたね。
だからもうメニューがすごいんですよ。
ほんとだ、短冊がいっぱい並んでるわ。
そしてここもまた小文字カウンターなんだよね。
テーブルもこっちはあるんだけど。
じゃあこっちは割とがっつり食べることもできるって感じだよね。
そうです。
なので20分とかではないです。
なのでまるけんすいさんさんは本当にパッと飲んでって感じだけど、こっちは割と1時間、2時間、でも1時間半以内って言われたかな。
制限時間は確かあったんですけど。
食事もしっかりできます。
うなぎ弁当とかもありますし。
そうなんですよ。
なのでね、カウンターに腰掛けていただいてしっぽり飲む。
僕も一人で行きましたけど、全然一人客が多かったですし。
ただ本当に人気だから、この店確か11時からやってるんですけど、並ぶんですよ、開店時から。
結構大きそうなお店だったけどね。
そうね、でも並びましたね。
あとうなぎはテイクアウトもできて、街路にパタパタ煙が行くんですよね。
だから待ってる間、本当においしそうな香りをずっと考え続けられて。
地元の主婦の方とかはもう慣れた感じで知り合いみたいな人がちょくちょく来て、今日は1本、今日は2本みたいな感じで買っていってみなさん言ってましたね。
だから地元に愛される本当にお店ですね。
余談なんだけど、この丸増屋もちょっと面白くて、別のウェブ記事で見たんですけど、これ総領したのが1950年ですから、
北区って陸軍の軍用地があった関係で空襲の被害が非常に大きかった場所なんですね。
なので赤羽根も非常に戦争の被害をこむってるんですよ。
だからそっから立ち直っていこうっていうのがやっぱりパワフルな飲み屋街を生み出したっていうのは、この間浦田文にもやってましたけど。
まさにその象徴ですよね、円代的にも。
ただね、この総領者の方がめちゃくちゃ飲み好きだったと。
大の酒好きで飲みまくってたそうなんですよ、外で。
それを見兼ねた奥さんとか家族が、もう外に行きっぱなしだからこの旦那がっていうんで、だったらもう自分で店をやろうと。
自分たちの店を作っちゃえば外には行かなくなるだろうと。
外で飲んでめちゃくちゃになるんじゃなくて、ちゃんと家の中で囲っちゃおうと。
それがそもそもこの店の始まりだったんですよ。
そんなことある。すごいね。
オチとしてはそれでもなお外に行ってたらしいんですよ、この初代の人は。
まあまあ飽きちゃうだろうしな。
だから酒好きの心をわかる。
だからその酒好きの心をわかっておいしいものがあるんだけど、外に行かないようにするためのっていうそのルールをちゃんと守りましょうねっていうのは意外とこういうところから来てるのかもしれない。
いやでもそれからね人気店になってるからすごいよね。
そうですね。
今はもう何代目か、もう2代目3代目の方だと思うんですけど、もうね、相変わらず地域に愛されて、かつての帰宅のね、川魚食文化というのを伝えていらっしゃるようなお店ですね。
これはちょっとどっちか悩むね。
悩ますね。
まあちょっとねどっちか好きな方を決めてもらってね。
そうですね。
お昼に飲んでいただいて。
だからどうしてもっていう人は丸犬水産さんに行って、うなぎはテイクアウトするしかないですよね。
あーなるほどね。
店の中で飲むのはダメなんですけど、テイクアウトは別に飲んでても大丈夫だと思うんですよ。
はいはいはい。
がもう別日に行くかとね。
ちなみに丸犬水産さんはね、朝10時半からやってるんですよ。
よろしければ朝から。
十条湯行って岩渕ついも見に行く前に行くこともできましたので。
いやすごいな。
他にもね本当に友達後半先輩の皆さんが本当にいろんなお店を紹介してくださったんですけど、どこも美味しかったです。
結構行ったんですけどね。
我々もちょっと別の店も行きましたけど。
そうね。
ちょっとやっぱり最初はこの王道2つは絶対なのかなと思ってね。
限られた時間だからこの2つだけにさせてもらったんですけど。
という感じでね、飲んでみました。
大体12時半頃から飲み始めるイメージで、丸犬水産さんに行った場合はたぶん2時間弱はいられると思うし、行ったほうがいいと思うんですよ。
なのでもう夕方前になってくるかなという感じです。
ここからキロに着くわけですけれども、まずホテルから荷物をピックアップいただいて、赤羽駅に行きます。
赤羽駅からですね、栃野に戻っていくんですが、その途中に立ち寄りたい場所があるんですね。
赤羽駅からJR京浜東北線で10分ほど行ったところにあるのが田畑駅です。
そしてこの田畑駅から徒歩3分ほどのところにあるのが田畑分子村記念館になります。
分子村っていうのがなかなか聞き慣れない言葉ですけど。
これは作家についての記念館っていう感じですかね。
おっしゃる通りです。これがね、北区の持ってるもう一つの顔なんですね。
北区というか田畑の顔なんですけど。
また赤羽の王子と全然違う由来でこれはあるんですね。
これ何かというと田畑分子村というのは、今内田が言った通り文書の文の男の人って意味合いですから、
いわゆる小説家とか詩人とか文を生業にしていた作家たちというのの記念館。
田畑には実は明治の終わりから昭和の始めくらいまでのある時期、
この分子たちが一斉にここに住んでたっていう時期があるんですね。
そのことを検証して伝える記念館になっているんですね。
内容を言っておくと、もう田畑駅すぐ近くにあるんですけれども、
最初に出てくるのは芥川龍之介。
これは知らない人はいないんじゃないかと思うんですけれども、
芥川龍之介が田畑分子村のある意味中心的な存在でした。
実際彼はここで生涯を終えてもいます。
やっぱりビッグネームで言うと芥川龍之介。
これで恐怖の復讐時間がまた始まるわけなんですけれども、
芥川龍之介と友達として非常に有名でここに住んだのが、
無朗再生という人でした。
なんか怪しい小説を書いてたっていう人じゃなかったでしょうか。
それと同じ会ではやってますが、その人ではない。
金沢か。金沢三文豪って言ってたやつか。
そうです。おっしゃる通り正解です。
金沢三文豪。珍しいですね。初めてなんじゃないかと思うんですけれども。
金沢の会の2日目かなっておそらくやってると思うんですけれども、
近代の金沢に生まれた人たち三文豪として、
徳田修生、泉強化、これが怪しい小説なんですよね。
そして最後にやったのが無朗再生。
無朗再生というのは、ふるさとは陶器になりて思うもの、そして悲しく歌うものっていう
有名な傍京歌を歌った詩人であります。小説も書いたんですけど。
その人もやはりここに住んでたんですね。
他にも風立ちぬって、何年か前にジブリで宮崎駿さんやりましたけど、
あれの原作の一つになった堀達夫さんという方ですとか、
今の文芸春秋舎を作った菊地勘さんもここにやっぱり住んでました。
っていうような本当に今の日本の国語の教科書に載ってるんですけど、何人もここにいたんですよ。
これがタバタだったんですね。
なんで集まるんだろう。
なんで集まるか、そうなんですよ。
なんで集まるかというのは、これは一つ大きかったのは、
まずこの今の企画の辺りっていうのは要は郊外だったわけですよね。
アウトドアとかでいろいろやってたわけですから、
まだキツネ日とかの伝説もあるくらいの農村とかだったわけですよ。
ただ明治政府になってやっぱり東京、日本全体で人口がとにかく伸びてきてる。
東京にどんどん首都として集まってくるわけですよね、全国いろんなところから。
ってなるとやっぱり新興住宅地っていうのがどんどん作られていくわけですよ、郊外に。
その一環がタバタだったわけなんですけれども、
なぜその住宅街の中でもこの文芝村芸術家が集まったかっていうと、
1887年、これ明治20年にあたるんですけれども、
上野に東京美術学校というのができたんですね。
これ今の東京芸大です。
なるほど。
これ上野にできたんですよ。
そうなると上野とタバタってめっちゃ近いのわかりますかね。
そうだね。
だから、下宿するにしても大森とかあっちの方じゃなくて、鎌田とかの方じゃなくて、
上野に通う学生は自然とタバタとかあの辺り、日暮とかの辺りに多くなっていったんですよね。
なるほどね。
かつ当時そういった芸術家の方々、学生さんたちとかっていうのは、
やっぱりある程度集中してね、周りが静かな環境じゃないとダメなんだという人も結構いて、
あえて郊外だった北区、今の北区の辺りに今日構える人が多かった。
一方でタバタ駅という京浜東北線の駅も割と早くにできましたから、
便利なんだけど静かな環境っていう、その結節点がタバタだったんです。
なるほどね。
で、今でこそ分子村って言われてるんですけど、最初にこの辺にアトリエを構えていたのは画家とかでした。
特に小杉宝安っていうこれ有名な絵描きさんですけれども、とか、あと板谷羽山っていうねこれ陶芸家です。
これ後茨城の回やるとき絶対出てくると思うんですけれども、非常に有名な陶芸家なんですね。
この人たちが自分のアトリエだとか窯、陶芸をする窯をこの辺に土地を持ってやり始めたんですね。
そういうのができる環境だっていう風なわけですよ。
まだまだ土地がちょっと余ってるというか、そういうことができる土地なんだね。
そうなんです。だから最初は芸術村だった。
その中には本当に一時だけですけれども、あの青木茂もここに滞在していた時期があったそうです。
学生時代か。
まだこれからっていう土地の青木茂、福岡から出てきた直後だと思うんですけども、この田畑にいたことがあったといいます。
なので最初はその画家とか陶芸家とかあとは彫刻家とかそういった人たちがいたんだけれども、
後にねだんだんこの東京芸大ができた一方で、文京区といえば今度東大もありますよね。
ですから東大の学生たちもだんだんこの辺に出てくるわけですよ。
文局近いですからね。南北線で言えば東大なんてすぐですから。
だから芸大の学生もいる。一方で東京定大の学生もいる。
っていうのでこのどっちもの雰囲気がこの辺に集まり始めてるんですよ。
で芥川龍之介は東大の出身ですよ。
ちょっとインテリの中でも文化にも接するような、そのベンズの重なりが作家っていうところね。
そうそう。それがタバタだったんですよ。
芥川龍之介が映っていたのは1914年なんですけれども、大正3年ですね。
なんですけれども芥川というのはもともと日本橋の方の出身なんですが、
チャキッチャキの江戸っ子なんですよ。
すごく性格が明るくて人をすごい惹きつける魅力があったというふうにいろんな階層で言われています。
明るくて世話好きで、ある意味それも江戸文化の最後の名残の人たちだったかもしれないんですけれども。
その時代なんですよね。時代感で言うと。
そういった人たちだったので、特に無労再生のように辛い金沢から登ってきた人たちとか、
そういった人たちが芥川の周りに本当に集い始めて、東京での友達のコミュニティみたいなものを芥川龍之介を中心にでき始めた。
芥川が非常にタバタが気に入ってたんですね。だから自然とタバタへみんな移るようになってきたんです。
今から考えると文士村のスター作家みたいな感じだけど、実際その当時もその中心にいる人物だったね。
一番の証拠となるのが芥川龍之介、これ映ってきたのは14年なんですけど、この頃はまだ全然有名人じゃありませんでした。
ここのタバタで書いた小説が初めて夏目漱石に認められて、そこから分断に駆け上がっていくんですよ。
だからもちろん芥川の文明が高まったら、それはもう天下の芥川龍之介になるんですけど、そのままではやっぱり彼の俗人的な人の人を呼ぶ力だったっていうふうなことも解釈できると思います。
芥川というのは非常に社交的でね、いろんな人と関わるのが好きだったそうです。
ですからジャンルは全く違うんだけれども、こういった画家だとか彫刻家だとか陶芸家だとか、こういった人たちとみんなでこのタバタという街でみんなで交流して、
それが芥川という俗人的な力からタバタという土地の力になっていった。
っていうのがこの文志村の起こりだということですね。
ただしかしながら芥川はそういうわけでタバタに住んで、我々が教科書で見たような羅生門とかトロッコとか、もう誰もが知っている作品いっぱいありますよね。
ああいったものをここで生み出していったんですけれども、彼が最後どうなったかというのも多分多くの人はご存じたんじゃないかと。
昭和2年1927年7月の24日、芥川このタバタの自宅で自殺をしてしまいました。
そうなってみるとやっぱりタバタ文志村は芥川龍之介が本当に俗人的に始まった部分もありましたので、徐々に徐々にその中心を失ったことで文志たちは移っていってしまう。
そして決定的だったのは、そういうわけで北区は非常に戦争の被害を大きく被ってしまった場所でした。
そのため芥川町もなくなってしまって、文志たちがいた家というのもほとんどもうなくなってしまった。
タバタは戦火によって焼け野原になってしまって、今はその作品と思い出だけが伝えられているというような状況になっています。
ちなみに青山昭もこの辺に住んでたんですね。
居たやはずなんてその陶芸家と交流もあったそうです。
なんか結構盛り上がった時代がその集合してるんだね。
青山昭も邸大の出身ですから、だから邸大コミュニティだったと思うんですよ。
主に言えばね。
記念館で言えば今そういった芥川龍之介を中心にね、タバタ文志村が家がどこにあったかみんなピョロッとされてて、超近所なんですよそのみんな本当に。
だから毎週何曜日かに集まっていたとか、そういった本当にサークルみたいな感じがよくわかってね。
そこで生まれたエピソードもたくさんある。
芥川龍之介は映像が残っているので、彼が動いている映像を見ることができますね。
なのでぜひこの小説とか、特に芥川龍之介のファンの方はここは必見だと思います。
そしてね、今ここで絶対話しておかなきゃいけない超ホットトピックがあるんですけれども。
今私たち、僕たちは2026年2月にこれを話しているわけですが。
なんとね、今東京都北区さんは芥川龍之介記念館をね、建設中なんですね。
2027年度に開館予定。このタバタで開館予定です。
旧芥川龍之介邸の敷地だと思うんですけれども、この記念館がまさに生まれようとしている時期なんです。
ちょっとね、今ねクラウドファンディングもちょうどやってらっしゃるのでね、ページを見てみたいと思います。
キャンプファイヤーのページにね、芥川龍之介記念館の展示品を充実させたいというタイトルでクラウドファンディングまさに今やってます。
こういうふうに今ね構想のイメージ図が出てますけど、芥川龍之介をフィール、体感する場を作るというのがコンセプトになるそうで。
このイメージはおそらく芥川の書斎だと思うんですよね。
目指すところ芥川龍之介の生きた時代、創作を支えた雰囲気をフィールできる施設を目指して。
ということで、生きた時代はもちろんですけど、創作を支えた雰囲気っていうのはやはりタバタでしかありえないことですから。
だから書いてあるね芥川龍之介居住し多くの作品を生み出したまさにその地北区タバタに日本初となる芥川龍之介記念館ですね。
を整備することは大きな意義があるものと考えます。
ここじゃなきゃダメなんですよ。
これ単独で検証する記念館文化館は設置されていません。
そうです。 ないんだね。
そう意外にもないんです。芥川龍之介記念館にないんですよ。
なるほどね。
じゃあやっぱタバタに作るべきだね。
どこかって言ったらもうタバタ以外ないでしょ。
これ今もうまさに。 まさにです。
クラウドファンディングの募集期間ですね。
おそらく年度内一杯だと思うんですけれども、これが配信された頃にはあと2週間くらいになってるんじゃないかと思うんですよね。
ぜひ最後の一押しということで芥川龍之介記念館のクラウドファンディングね。
このもしコース聞いて興味持った方がいらっしゃったら応募していただけるといいんじゃないかなと。
そうですね。
リターンも書いてありまして1,000円からもうあって1,000円はお礼費はなしだと。
ああなるほどね。
だからでも逆に言えば1,000円からできるんですね。
そうだね。
これは手軽でいいですよね。
2万円だと芥川龍之介愛用のネクタイをモチーフにした一筆線と芥川龍之介ゆかりの品がデザインされた手ぬぐいのセットです。
これはファンの方はいいですよね。
そうだね。
愛用したネクタイってあるんですね。
いろいろあるね。
だからやっぱり芥川龍之介に興味があるその文学世界に惹かれるものがあるって方はね、これ逆に恒例に貢献できるのは今だけかもしれないですからね。
訪れることは後でもできるかもしれないけどね。
という希少性の高いクラウドフォーニングをまさに今やってる。
というのでぜひ注目していただきたいと思います。
そうですね。ちょっと締め切りが迫ってきてるんで。
迫ってきてるんで。ギリギリで危ないですね。
うん。急いでちょっと見てもらってね。
芥川龍之介というのもご存知の通り非常に妖怪とか根弱物語中とかああいった怪しい世界から近代人の真相真理をえぐり出すようなものを手掛けましたよね。
うんうんうん。
ですからちょっとその辺も僕は実は北区のこの昔のキツネ美とかが残っていたっていうのもわかんないよ。証拠はないんだけれども。
もしかしたらこのまさに観光協会さんが目指してる体感する雰囲気っていうのはそういったキツネ美伝説とかから語られる文脈においてね。
もしかしたらより一層際立つんじゃないかという気もするんですね。
ああなるほどね。確かに羅生門とかだいぶ怪しいもんね。
怪しいですよね。結構怖いですもんねあれ。
そうだね。ああなるほどね。
うーん。
これはホットトピックですね。
ホットトピックです。今でしかもう言えないことなので。
はいはい。
ということでね田畑文志村記念館展示も結構ありますのでしっかり見ていただいて、徒歩3分ほどで田畑駅に到着いただく。
ここで帰宅の旅を終えて、あとはね各々東京都心の家だったりとか、あるいは地方の方だったら東京駅とかにね向かっていただくのがいいんじゃないかなというふうに思います。
はい。
それでは2日目を振り返っていきましょう。
前日は赤羽駅か大津駅あたりのホテルに泊まっているという想定ですね。
うん。
そこからJR埼京線なり、京浜東北線なりで、十条駅もしくは東十条駅に移動します。
はい。
大体8時前ぐらいにこちらに着いているという想定ですね。
はい。
というところをスタートします。こちらが8時オープンですのでね、8時に着くように向かうと。
はい。
この帰宅の銭湯文化をね、朝から堪能することができる銭湯ですね、こちら。
はい。
ぜひ朝風呂に入っていただいて、そのまんま併設されている喫茶新会でモーニングを召し上がっていただくという感じですね。
日曜日だけですかね。
そうですね。注意としては日曜日だけ朝風呂をやっているので、日曜にぜひこちら朝風呂に行っていただければと思いますね。
そこから徒歩5分ほど、埼京線の方の十条駅ですね、こちらに移動しまして、埼京線で3分ほど赤羽駅に向かいます。
そこから徒歩20分ほど、千メロのお酒の誘惑を断ち切って20分ほど歩いていただいて、荒川治水資料館、アモアさんですね。
こちら本当荒川のほんとすぐそばにある荒川の歴史について知ることができる資料館ですね。
都民の方でも意外と知らないかもしれません。この荒川の成り立ちですね。そちらを詳しく知ることができる資料館となっております。
荒川の治水事業を先導した青山明という人物についても知ることができます。
こちらで荒川について学んでいただいて、そこからすぐ徒歩3分ほどですね、旧岩渕水門、いわゆる赤水門と呼ばれるものですね。
この荒川と隅田川を分けているこの赤水門を学んだすぐ後に実物を見ることができるということなので、その歴史の重さだったり、
その治水事業に思いを馳せながらこちらの景色を眺めていただくと、なんか感慨が出てくるでしょうね。
そこから徒歩20分ほど赤羽の駅の方に戻る形ですね。こちらで昼飲みをするんですが、我々が紹介した2軒のうちどちらか一方に行っていただくということですね。
まず1軒目は丸県水産さんですね。こちらはおでんの種を売っているお店なんですけど、そこで立ち飲みスペースがあって、そちらで飲むことができると。
おでんおまかせ4品と好きな飲み物、込み込みで1000円ということなので、まさに1000メロという形ですね。
で、50円プラスすると出し割りもいただける。いいですね。
美味しかったです、これ。
こちらか、もしくは鯉とうなぎの丸増や総本店さんですね。
こちらは割と長居もできて、ご飯っぽいものもいただけるというお店ですね。
この赤羽に根差していた川魚文化をね、鯉だったりうなぎだったりっていうもので堪能することができると。
ですので、こちらどちらかね、なかなか選ぶの難しいですけれども、1軒目じゃないとどちらも行けないので、選んで行っていただければと思います。
イメージとしてはどっちか1軒目で行って、別のお店、本当にお店いっぱいあるじゃないですか。
2軒目行くOKで、そうやって店に2軒目ぐらい行ってもらうんで。
昼飲みになるんで、せっかく日曜であれば長く飲んでもいいんじゃないですか。
そうですね。そこから徒歩5分ほど赤羽駅に戻りまして、JR京浜東北線で10分ほど田畑駅に移動します。
そこから徒歩3分ほど、田畑分子村記念館に向かいます。
まあこちらに行くという方はね、お酒ほどほどにしていただいてね。
そうですね、ほんとそうですね。
ベロベロで言っちゃうとね。
この田畑一帯に作家たちが集まって、いわゆる分子村と呼ばれるようになったその文化を学ぶことができる記念館となっております。
ですので、この芥川龍之介を中心とした作家文化、芸術文化というのをこちらで勉強するという感じですね。
そして2027年度に芥川龍之介記念館、芥川ですけどね、これが開く予定であるということですので、芥川龍之介ファンの方はね、
ちょっとこれ聞いて、すぐちょっとクラウドファンディングのページ見に行って支援をしていただけると、この展示が充実していくんじゃないかということなので、ぜひこちらもチェックしていただければと思います。
そこから徒歩3分ほどで田畑駅に戻りまして、この旅は終了ということですね。
この番組ではお便りを募集しています。番組の感想、質問、リクエスト、旅の情報、不通多など何でも結構です。
番組概要欄に記載しているお便りフォームのURLから投稿お願いします。
また各プラットフォームのフォロー、レビュー、コメント、それから我々の関連SNSアカウントのフォローなどよろしくお願いいたします。
ぜひハッシュタグおとたびポッドキャストをつけて投稿してください。
そして我々のマイマップ、年表、ノートそれぞれございますので参考にしてみてください。
3月の28日、29日ローカルポッドキャストフェス東京というのがやると。
実はここで我々もブースを出させていただくということになりまして。
ミンキャスの時と同じように旅先シミュレーターを我々はやらせていただきます。
場所は帰宅、飛鳥山公園で今回やると。
そうですね。
お花見もちょうどできますから、ついでに我々のブースにも寄っていただけると嬉しいですね。
ぜひ足を運んでいただきたいなと思いますね。
こうやって見ると帰宅は濃いというか深いですね。
僕が育った地域が違うところっていうのもあるんですけど、知らないところがたくさんあるんですよね。
キツネ日だったり、今日見た荒川、杉永の話とか文字村の話だったりとか各地それぞれ深い文化歴史があるんだけど、
意外と都民でも知らない人多いんじゃないかなっていう話が多かった気がしますね。
そうかもしれませんね。
やっぱりこの帰宅っていうものを古代から見てきたわけですけれども、
共通するエッセンスってやっぱり貫いてるものがあるなって思っていて、
それがやっぱり江戸と東京というものが中心になっていった後に、
その郊外、要は都会に暮らしている市民にとって一番身近に前時代的と言っちゃあれかもしれないけれども、
伝統的なところと、あるいは自然っていうものを感じやすい、恵みを享受しやすい場所だったっていうのは、
たぶん今の企画エリアの変わらないエッセンスだと思うんですよね。
そうやってみると、もちろん田畑文史村がそういうことできたっていうのもそうだし、
もっと前の話で言うならば、やっぱりキツネ日の伝説とかが、
キツネ日の伝説あるところは日本にいろいろあったかもしれないけど、
それが浮世絵として流通したということが僕は大きな意味があると思うんですよ。
つまりいざとなれば、大消費者である江戸の市民が、
自分の身近にこのキツネ日を体感できるっていうのを、
土地の地名とともに臨場感を持って言えた。
そのニーズっていうのは僕はやっぱり大王子にしかなかったんじゃないかって思うんですよね。
だから当時としても、ちょっと小旅行で自然だったり、
伝統的な民話的な、そういう文化にも触れることができる。
ちょっと手軽な旅行地っていう感じだったとね。
ましてや飛鳥山は仮想パーティーもOKだったわけですからね。
当時としては超珍しい。
だからやっぱり江戸の市民にとって、今でどこなんだろうね。
東京都民にとっての箱根なのかわからないけど、ちょっと違うかな。
でもなんかやっぱりちょっと合宿しようかみたいな、
暴走ハントとかなのかな、ちょっとわかんないけれども。
なんかやっぱりそういった地理感覚があったからこそ、
人々はみんな帰宅にちょっとしたウキウキとした気分、
ワクワクとした気分、ゾクゾクとした気分にもなれるようなコンテンツを見出していったんじゃないかって思いますよね。
お花見もコスプレもキツネ日も。
で、それがやっぱりすごく僕が帰宅ここ1ヶ月くらいいろいろいって思ったのが、
このタイトルに関してもやってしまうんですけれども、
何かに変わる、日常から別のものに変わっていくっていうのがすごく多いなって思うんですよね。
江戸の市民にとっては日常の長屋とかの生活している中で、上野役人のみも厳しい中から、
一時だけこの飛鳥山にさえ来れば遊び放棄でいられるし、コスプレしても怒られないしっていうこともできる。
そしてキツネの行列を今のね、今の現代においてもやる人は、
当然帰宅にゆかりのない人もいっぱいいる中で、世界からいる中で、ある一瞬だけ自分もキツネの仲間に入ってね、
仮想を楽しんでその雰囲気を味わうことができるっていうようなものだったり。
そういった文化っていうのがあるのは面白いなって思うんですよね。
手軽な異世界みたいな感じなんだね。
そう、手軽な異世界だったと思います。
っていうことを思ってたんですよ。
僕も後で雑談に詳しく話しますけど、本当にこのコース苦労したんで、今まで一番ちょっと悩んだんですけど、
そんな時にキツネ病見に行こうとした時にですね、
僕竹の川から歩いて稲利湯っていうちょっと話した船頭に寄って大島で歩いて行ったんですよ。
その途中にですね、帰宅役所さんが偶然あったんですね。
ここかと思って、夜中誰もいなかったんですけど、ちょっと外観だけチラチラ見てたんですよ。
そしたらですね、帰宅役所の外観にピンク色のマークがあったんですよね。
帰宅コミュニケーションマークって言ってもらっていいですか。
これね、桜の花びらがね、三つ連なってるんですけど、それが経の形になってるんですよね。
そうなんですよ。
帰宅の経ですよね。
これがね、帰宅の役所の外壁にあったんですよ。
その前に行った稲利湯さん、今回残念ながらちょっと紹介しなかったんですけど、
稲利湯さんは稲利っていうぐらいですから、キツネがモチーフだったんですよ。
これから自分がキツネを見に行くの知ってたから、やっぱ帰宅はキツネで作るべきかなとかと思ってたんですよ。
思った時にこのマークを見たんですね。
で、そうか桜なんだ帰宅のマークって、そりゃそうでは使えないなと思った時に、
真夜中にね、このコミュニケーションマークが白い画面の中にピンクで合われた時に、
ふと思ったんですよ。
この桜のこのマーク、何かに見えてきませんか?
この一個一個の花びらを見てほしいんですけど。
なるほど、キツネに見えてくるっていう話?
そう。
なるほどね。
で、それ意図したら作るとかどこにも説明ないんで分かんないんですけど、
僕はね、この花が変わってキツネに見えてくるっていうのが、
何か面白い仕掛けにならないかなって思って、そのあたりからちょっと考え始めたんですよ。
このコミュニケーションマークね、ぜひ見ていただきたいんですけど、
白いキツネに見えてきませんか?っていうこの花びら自体が。
そう言われるとね、桜の花びらの尖った先っちょの部分がキツネの耳に見えてくるよね。
で、そこで一思いついたのが、
1120年代に飛鳥山の桜が終わってるんですけれども、
その20年後くらいに大阪でね、とある歌舞伎が上演されるんですね。
これが2代目竹田出雲という、日本歴史に絶対載ってるすごい名脚本家なんですけど、
が作った、義経千本桜っていう、今でも上演される歌舞伎の名文句があります。
あれが上演されたのは1747年なんですよ。
で、義経千本桜って奈良の吉野山に源義経が逃げていって、
そこに桜が咲いている桜の名所だからっていうんであるんですけど、
そこにキツネが出てくるんですよね。
キツネが化けて出てくる、義経のこと守るんですよっていう名場面があって、
もしかしたらなんだけど、飛鳥山に見に行った江戸庶民の中には、
桜の花びらの中に今もう話題沸騰中の義経千本桜のキツネを見出したやつもいたんじゃないかと。
それが合わさって宇多川博史が描いたのはその後なんですよ、絵の木の絵を描いたの。
桜、キツネ、歌舞伎、浮世絵みたいなものの結節点に、
この飛鳥山が人々の心理が働いてたんじゃないかって気がするんですよ。
っていうような気もして、やっぱりそういうところが生まれるのが、
この北区っていうのの江戸庶民からの距離感だったんじゃないかっていう気がするんです。
なるほどね。
ちょっとこの北区が境界になってる感じ。
都心と怪しいそういう文化だったり、市民が他がを外せる場所とか、
そういういろんな心の境界線が北区だったっていう感じなのかな。
その心の境界線が江戸と北区っていうこともあっただろうし、
そしてちょっと今日紹介した何人かで言えば、
江戸時代っていう近世から近代の架け橋になっていった人たちがやっぱり多い。
近代化が進んでその前時代的なものっていうのはどんどん除かれていってしまった。
キツネ日も絶えてなくなってしまったんだけれども、
その一方で近世のそういった時期に精神的なところに寄りどころにしている明治初期の人たちっていうのが、
結構この北区の近代に大きな関わりを持ってる。
渋沢一さんが代表ですけどね。
っていうふうに思うんですね。
っていうときに一つね、
荒川知水資料館アモアのボランティアガイドの方からとある話を聞いて、
それで今回のこのタイトルに決めたんですけれども、
というのがですね、ちょっと荒川知水資料館アモアのさっきのレリーフを出してほしいんですよ。
今見ているのは荒川知水資料館アモアさんの目の前にあるね、
青山明がこの荒川宝水路完成のときに刻んだというね、
この記憶線がためのレリーフなんですよ。
先ほどはこの文章のところだけをお話ししたんですけれども、
江戸時代とかこの亡くなっていってしまった前時代的なものに対するオマージュというか、
っていうのが帰宅にあったって話の文脈の中で、
それに気づいたのがこの周りなんですよ。
このレリーフ、みんな言葉が注目されると思うんですけど、
この周りを見てほしいんですね。
症状の周りにあるような植物的なモチーフの柄が入ってますね。
これ一見ただの柄じゃないですか、レリーフ的なね。
ところがね、これは青山明が非常にこだわったポイントだったそうなんです。
なぜかというと、ここに描かれている草というのはサクラソンという草だったんです。
サクラソンってわかるでしょうか?
え、サクラとはまた別なんだよね。
別なんです。ちょっと画像見てみましょうか。
結構濃いピンクのね、きれいなお花ですね。
サクラではないですよね。だしそもそも木に生えてないじゃないですか、これ。
そうだね。
いわゆる花壇にある植物じゃないですか。これなんです。
でも花の形はね、サクラによく似てる感じのね、お花ですよね。
なぜこれが刻まれているのか。
これがですね、すごい僕はこの話に感銘を受けたんですけど、
実は青山明がこの荒川放水路を作るまでの荒川というのは、そういうわけでめちゃくちゃな水害もあって困る川だったわけですよ。
同時に川魚もいたわけだけどね。
これをなんとかしなきゃいけないってことで放水路を築いて、同時に堤防とかもガンってしっかり立てて、
要は近代的な土木工事をたなまんが自己ビジネスでやるわけなんですよ。
そうした時にこれはもう絶対必要だったから仕方ないんだけれども、
その五眼工事が始まる前まではこの荒川の自然の堤防にはこのサクラ草がいっぱい生えてたんですって。
ところがこのサクラ草っていうのは非常に繊細な植物らしくて、
青山明がそれを近代的な土木工事をやって放水路を作って工事を成し遂げた後には、
この荒川の周りにはこのサクラ草が咲かなくなってしまった。
そのことを青山明は後で気づいたんですね。
そしてその人の犠牲とか漏液をっていうのをさっきのレリーフに、
我らの仲間を清くせんがためにって書いてあるわけですよ。ここで失われた命だったり。
その一つがこのサクラ草なんですよ。
青山明ってのはそういう人だったらしい。
すっごい細やかな、植物の犠牲すら傷む石碑なんですねこれ。
だからこれがある意味、北区っていうものが今持っている前時代的な、
だけど実は非常にゆかしいものだった。
王子のキツネミだとか、人々が仮装パーティーで遊びほうけた記憶だとか、
そしてこのサクラ草だったりっていうものと、近代というものが生んだ北区があるわけですよね。
これはこれでやっぱり日本の近代化に欠かせないものだった。
渋沢栄一さん、王子精子、そしてこの荒川放水路。
だけどその近世から近代へ移行する間の心の動きというのを自在に生きかった近代人たちが、
なぜかこの北区にはいっぱいいたんです。
関わることが多かった。
そしてその橋渡しのわずかな痕跡として残ったのが、
王子のキツネミの復活でもあるし、このレリーフでもある。
ここに刻まれたサクラ草は、おそらくもう二度とこの北区には咲かないのかもしれないんだけれども、
だけれどもここにその記憶を繊がためになんですよ。
そこの境界線にいたからこそ生まれる精神性というか、
その精神と技術が合わさった文化なのかなっていう気がしますね。
だからその葛藤の中にいたんだけれども、もちろんこれは悪いことではないし、
荒川放水路できないって大変思ってたんだよ。
近代化しなきゃ渋沢一だって、あれがやらなきゃ日本は全然血がたつかたになってたのは間違いないんだけれども、
やっぱりその北区っていう、あの土地の距離っていうのが、
近代移行するっていうもののある意味本当に象徴的なフィールドになった場所だった。
そのフィールドに対する向き合いの方が、一方ではもう近代化万歳だった人もいただろうけれども、
そうじゃない人たちがこういうことをかすかに残してある。
っていうのはね、やっぱりこの北区というものの持っている特別な風土と文化なんじゃないかなと思うんですね。
そこに残ってたさ、キツネ日とか、その北区の土地柄みたいなものを、
今復活させて、つなぎ止めようとしてる方々がたくさんいるのも知ってるので。
だから今でもそのやっぱりね、エンセンスっていうのが確実に残ってる。
その担い手の方々がね、まさに渋沢FMの皆さんでもあると思うんですけれども。
なるほどね。いや深いな。
そうなんですよ。なのでタイトルのね、最初の花っていうのも、
これね、実は元ネタは虫よ虫、担い手因果が作るならが本当なんです。
これはね、江戸時代のとある俳人が読んだ、全然有名な歌じゃないんですけど、
なぜ有名になったかっていうと、小泉八雲がこの歌をめっちゃ愛したんですね。
って外国に紹介したんですよ。
僕もなんか泉の松江のね、八雲の記念館でその話を見て初めてその歌を知ったんですけど、
めちゃくちゃなんか僕刺さって、虫よ虫、担い手因果が作るなら元ネタの方は、
泣いている虫に対して、おそらく女性だって八雲は定義してるんですけど、
が、泣くことだけで自分の犯してきた罪だとか日常の憂いみたいなものが除かれるならなんていいのにっていう
悲しい歌だっていうふうに解釈したんですね、八雲はね。
で、まあだからこれはある意味それもちょっとイメージしたんですけど、
花が咲いて、桜が咲いたことによって日々のこの鬱憤とかを忘れられる場所でもあるし、
そしてもし桜草が咲いたならばっていう、そういったところもあるかもしれない。
その近代化っていうものが生み出したものと、命と案のその案の部分の救済みたいなものが、
もしかしたらあるんじゃないかと。青山寺はもしかしたらそれを思ったのかもしれない。
で、それが時代を移り変わっていった結果、今は狐の行列のようにその橋渡しをするたち人たちが、
今は狐になっているっていうような、まあなんかそういった意味合いを込めて、
ちょうどバケバケをやってるというのもあるんですけど。
そうね。
はい、そんな感じでこのタイトルをね作りました。
いや面白いですね。
うーん。
都民こそ言ってほしいかもしれない。
そうですね。
うん。
はぁ。
はい。
ということで、次回は雑談回ということで、北区のお酒ということはありますかね。
まさかの。
おー楽しみですね。
はい。
ということで今回はこの辺でありがとうございました。
ありがとうございました。