あのまあ婚弱物語集とかね、宇治周囲物語とかって高校の古文とかでやったんじゃないかなと思うんですけども、それと同じようにカタカナでね、今回ちょっと漢字以外を表記してみたと。
ちょっと文字面はかなり違和感のあるね、漢字かもしれません。 そうだね。なんだこれって感じだね。
これはじゃあ、どこの個性になるんでしょうか。 はい、今回ご紹介するのは東京都北区になります。
ついに。 北区ね。東京都の中でも北区だけ。 だけです。
これはまあ僕はいろいろなね、つながりがあるんでね、まあまあもう言っちゃうと渋沢くんFMですね。
東京都北区を拠点に上北信用金子さんがやってらっしゃる、まあポッドキャストのなんて言ったらいいんですかね、ラジオ局的なね。
渋沢くんFMっていうラジオ局側みたいなのがあって、その中に番組がいくつかあるそうですよね。
っていうのとまあ僕らは割と仲良くさせてもらっててね、そのつながりもありつつ今回帰宅をやると。
そうです。 ついにということでね。
たぶんおとたべポッドキャスト史上最も狭いエリアだけでやることになりますね。
移動とかもほぼない、宅だけでやりますので。
その分密度はかなりね、濃いものになってるんじゃないかなという感じですかね。
いやちょっと僕個人としては正直そんなに馴染みがないんですよ企画には。
僕の今までの人生の活動範囲としては東京都の南側から真ん中ら辺あたりまでが結構ね、まあ活動範囲だったんで。
帰宅はね正直このポッドキャストを始めて渋沢くんFMといろいろと関わりができてからいろいろ知り始めたっていうぐらいの感じなんで。
それをねコースで巡るってどうなるのかなという感じでちょっと楽しみですね。
まあその条件で言ったら僕も本当に同じなんですよ。
僕もまあ大体西から真ん中くらいでもう基本行動範囲で、今もはやトミーでもないっていうところもあるんですけれども。
正直なところ言うと今回この渋沢くんFMの皆さんと知り合わなかったらこのコースは多分生まれてなかったと思います。
帰宅だけでやろうというまず発想がなかったと思うんですね。
なのでまあちょっとそのあたりの取材の背景だったりとかっていうのは雑談会の時にね詳しくお話できた。
これ実はうちの会社の人にもかなり協力をしてもらいまして、すごい情報提供をもらった上での本当に多くの方のご協力によって成り立っているコースなので。
そのあたりはまたちょっと改めてお礼をお伝えできたらと思います。
いや楽しみですね。
それじゃあ早速よろしくお願いします。
今回ねそういうわけでスペシャル企画にある意味になるわけですけれども、東京都帰宅だけを一泊二日で巡りたいと思います。
公共交通機関だけで行きますので、どうぞ朝から飲んでいただいて。
赤羽根はほんとすごいんだよね。
そうなんですよ。
せんべろの通りみたいなのがあるの。
それをね、ちょっと曲がるとそこに小学校があったりするよね。
赤羽根小ですね。
マジでビビるよね。
タモリさんもビビってましたよ。
そういう街なんでね。
もう昼から。
朝から。
朝から。
飲んでも大丈夫っていう、そういう街ですよね。
そうですね。
というのが街になるわけですね。
ただ北区もね、非常にやっぱり歴史的にも実はすごく大きなね、しかも特殊な発展とその文化の名残というかね、
昔の面影みたいなのがすごくね、この住宅感が留めてあるというね、面白い街なので、
ちょっとね、歴史のところも結構今回深掘りできたらなというふうに思っていますね。
なのでちょっとね、早速なんですけれどもコースに入ってしまいたいと思います。
今回ね、北区長いわけなのでちょっと回り方を工夫しなければいけないんですが、
出発地点にするのは東京メトロ南北線の西ヶ原駅というところにお昼前に着くようなイメージで移動してみてください。
なのでお昼を食べるところから始めたいと思うんですね。
で、なんでこの西ヶ原というところにいきなり来たかということなんですけれども、
この駅のすぐ近くにね、めっちゃ美味しかったランチスポットがありまして、
ここをぜひ紹介したいと思うんですね。
そういうわけで西ヶ原駅からもう地下鉄の駅を上がって地上に降りて、
もう本当に2軒ぐらい隣なんですけれども、
榎本ハンバーグ研究所西ヶ原店というところをご紹介したいと思います。
うわ、美味しそうだな。
もうハンバーグの表面がね、もう汁でテカテカですね。
はい。
ジューシーなんだろうなっていうのはもう写真でわかるね。
そうですね。
あの、まあね、名前がまず面白いわけですよね。
榎本ハンバーグ研究所っていうね。
確かに、研究所なんだって。
そうなんですよ。
まあ研究所と言いつつレストランなんですけれども、
まあもうその名の通りハンバーグの専門店なんですが、
とにかくここはね、種類が半端じゃないんですね。
この榎本さんという方がハンバーグに非常に魅せられて、
ご自身でいろいろやってるわけなんですけれども、
もう創作ハンバーグというものを、
ありとあらゆる組み合わせでいろいろメニューを考えていらっしゃる。
つまり研究所というのはある意味開発所でもあって、
美味しいハンバーグのレシピっていうのを開発研究しているレストランということなんですよね。
どうもね、ホームページには365バラエティーズとかって書いてあるんですけれども、
別の情報によるともはやね、
これ400以上のハンバーグレシピをもうすでに考案されているそうでして、
もうその関係でやっぱりハンバーグの大事人者、
というもうハンバーグ博士なわけです。
そのハンバーグ博士が作るハンバーグを実際ここでいただけるというね。
なので、まあ誰もがおそらく好きだろう。
そしてもう絶対にこれを制覇するのはなかなか難しいだろうね。
ちょっとなかなかない組み合わせなんですよね。
ちょっとあんまり想像つかないかも。
そうそうそうそう。
そうですよね。
うんうんうん。
で、ただね漬け汁も非常にこう鰹だしの香りと風味がすごいあって、
だから純和風なんですね。
はいはい。
だからこのシルバーグが僕ひらがななんじゃないかなって。
ひらがななんですけどね。
はいはい。
そこなんじゃないかという気もしてるんですけども、
やっぱりさっきのオフの話にまたなるんですけど、
要はその漬け汁の浸透の具合っていうのも本当にいい感じなんですよ。
ふわふわの中にこの漬け汁がこううまく入っていって、
ただ形を崩壊させないくらいの多分粘度というか硬さっていうのがちゃんとあって、
はいはい。
という感じなので。
へー。
ちょっとねまあ根こまんまではないんだけれども、
あー。
なんかねありそうでなかった。
はいはい。
まあなんか知らずにやってると料理悪いように見え壊れるかもしれないような組み合わせなんだけど、
誰もが一度は夢見たものがあるかもしれない。
まあそんな印象を持っていましたね。
ただねこれが結構合うんですよ。
あーそうなんだ。
僕もねハンバーグどうしてもデミグラスとかのイメージ強かったんですけど、
そうだよね。
和風のまあ卸しソースもやっぱりあるわけなので、
別に和風に真似してたって全然いいわけですよね。
うんうんうん。
で、あとはこのご飯の方とかにひざみ海苔とかもあって、
この磯とかカツオとか海産物の風味っていうものがすごく出てくるので、
なんかねつけ麺とかが好きな方は間違いなく好きだと思います。
へー。
いやーちょっとこれ食べてみないとね、なかなかわかんないよね。
ちょっと僕もね口ではなかなか伝えられないですね。
うんうん。
これ生姜とかもあるんですね。
そうそうそうそう。
味変みたいな形で薬味をだから途中で入れたりもできるんですよ。
へー。
うん。
あーこれ面白いな。
結構ね、ハンバーグにもどんどん浸透していくし、
スープ自体も美味しいので、結構もう無くなっちゃうんですよねスープが。
後半の方になってくると。
へーいいな。
うん。
お雑炊に近いかな。
鍋の締めみたいなイメージもあったんですよね。
あーなるほど。
鍋料理の締めってことです。
はいはい。
うんうんうん。
はー。
いや美味しそうだな。
うんうんうん。
白菜、ニラがスープに入ってるんですね。
だからやっぱりそうね、つけ麺と鍋の締めの間くらいだね。
非常に多分ここでしか食べられないと思う味わいでしたね。
へー。
うんうんうん。
いやーいいなこれ。
うん。
まあなんか初めてだったらまずこれ食べたいかもしんないね。
そうですね。
まあ本当におすすめもいろいろあってね、デミグラスの方も美味しそうだし、チーズハンバーグの方もすごく美味しそうだなと思ったんですけど、
まあここでしか一番食べられないもの何かというとやっぱりこのシルバーグなんじゃないかということでね。
そうね。
これも会社の後輩からねそもそも教えてもらったんですけれども、
うんうん。
というねお店があって、ここねあの文京区の方にも1個店舗があるそうなんですけれども、
こちら西ヶ原がまあ本店のような扱いらしいです。
へー。
まあただやっぱこのシルバーグはちょっとね、ぜひね見て欲しいなと思います。
うんうんうん。
でね、この西ヶ原というのは昔の街道筋にあたっていたところでして、
こっからだんだん北へ行くと北区の中心部に入っていくんですね。
うんうん。
でここからは1駅分くらい歩いてながら観光したいというふうに思います。
はいはい。
江ノ本ハンバーグ研究所西ヶ原店さんから、
目の前の街道を北の方へ徒歩10分ほど行っていただいたところにあるのが、
飛鳥山です。
あー。
はい。
これはどうでしょうか飛鳥山というのは。
これね、僕はずっと行かなきゃなと思い続けてるところではあるんですね。
ほうほうほうほう。
渋沢くんFMと関わりができたから、
やっぱり名所の1つ、北区が誇る名所っていうのが飛鳥山だという話はね、
もう散々聞いてるので、いつか行かなきゃなってずっと思ってるところですね。
そうですね。
まさにね、本当に渋沢くんFMの皆さんはじめね、あるいは北区の皆さんもやっぱり、
観光的な名所という意味では真っ先に挙げる方が多いんじゃないかと。
そうだろうね。
この飛鳥山というところですね。
何の名所なんでしょうか。
これはね、聞いてますよ。桜の名所なんですよね。
そうなんです。
まさにね、これ配信されるのがこれからまさに桜のシリーズになるという、
そこもね、ちょっと狙って実はこのコース組んでいますので、
ぜひね、このコースを聞いてね、飛鳥山にお花見に行っていただくというのもね、いいんじゃないでしょうか。
じゃあ、その飛鳥山が桜の名所というのは有名なんですけれども、
どういう場所なんでしょう、この飛鳥山っていうのは。
えっとですね、僕が知ってる情報で言うと、
渋沢栄一が後半生かな、住んでたというのは知ってますね。
そうですね。
あとは日本酒、現代日本酒の試験場だっけ、があるっていうのも聞いたことあります。
はい、おっしゃる通りです。
そう、うちら帰宅についたら渋沢FMさんのおかげで詳しいんですね。
そうそう、いろいろ聞いてるからね。
多分一般の方には詳しくなってるんじゃないかなと思うわけですが、おっしゃる通りです。
この後にまた詳しく話していきたいんですけれども、
渋沢栄一さんの定宅の跡とかも今は残っていたりしますので、
そういった今は結構博物館とか文化施設もこの飛鳥山の中に、
飛鳥山ってちっちゃな丘みたいな感じなんですけれども、
ここで結構いくつかミュージアム回っていきたいと思うわけです。
その中でもまず最初に訪れておきたいなと思いますのが、
北区飛鳥山博物館さんです。
ここはその名の通り東京都北区さんが運営されている博物館でありまして、
飛鳥山博物館と言ってるんですけれども、
実質はこの北区全体の歴史資料館みたいなイメージです。
なので、まずはこの北区というものがどういった土地なのかというのをちゃんと知るためにも、
この概要を知るために飛鳥山博物館に最初に行っておきたいと思いますね。
どんな展示があるんでしょうか。
時代ごとにコーナーが分かれてるんですね。
そうです。この博物館結構見事ありまして、
本当に人類とかがまだちゃんと栄える前の歴史から始まって、
今の渋沢栄一さんなり今の発展なりというところまでの歴史を解説している、
かなり気合が入った博物館になってまして、
その時代ごとにブースが分かれてるんですけれども、
テーマ全部合わせると14のテーマに分かれて展示がされてるので、
ここ結構見事あります。
戦士の時代、歴史以前というかね、
人が早くから住み続けられたっていう大地の条件が合わさってるっていうのが特徴なんですね。
これもぶらたもり知識ですけど、
赤羽根の西と東で肯定差が違うっていう話ありましたよね。
まさにそういうこと。
そういうことです。
イメージで言うと、今の京浜東北線とか埼京線の線路の西側が大地。
飛鳥山もそうなんですよね。
飛鳥山も大地域の西側にすぐありますから、
やっぱりその線路を栄えに平地と大地が分けている。
っていうようなのがあった。
そういった地理的条件があったから、早くからここが栄えて、
かつ豊かな実りもあったというわけですよね。
なのでそのあたりはまさに今の帰宅飛鳥山を見ていただくと、
その肯定差を見るとよくわかると思うんですね。
それが飛鳥山にあるっていうのも結構重要かもしれない。
そういうことです。おっしゃる通りですね。
ただ当然のことながら、そういった場所なので、いろんな人がここを治めたがるんですよね。
ですから古墳とか豪族とかっていうのが古代に出てくるし、
富島軍が奈良時代とか平安時代を栄えていたと。
ただ一方で平安時代の終わりになってくると武士の時代になってくる。
このあたりは富島市というのが昔いまして、その富島市というのがここのあたりの領主でした。
源頼朝とかに仕えて、結構鎌倉時代の御家人としても活躍してたんです。
ところがこの富島市を治めてるところは非常にみんな目をつけますから、
室町時代とかになると江戸城を築いた大田道館という人物、これもぶらたまに出てきてましたけど、
とかに攻め滅ぼされてしまう。
その大田道館が去った後には、我らが小田原の北条氏もここを非常に有力な武将に治めさせました。
北条氏というのは小田原を本居に関東一本を治めた大名ですけれども、
やっぱりここを非常に重視したんですね。
なので北条氏も実はここにいろんなお寺を保護したり、地域を治めたりというのも今も残っています。
そして最もこの飛鳥山を語る上で大事なのが江戸時代なんですよね。
ここからちょっとこの博物館の展示の中でも一番ハイライトになる部分だと思いますので、話をしていきたいというふうに思います。
飛鳥山が今、桜の名所になってるというのは今も本当に有名な話なんですけど、
そのきっかけになったのが江戸時代なんですね。
これどういうことかというと、1720年代、つまり今から300年ほど前なわけですけれども、江戸時代の中期に八大将軍吉宗という人物、これ有名ですよね。
和連合将軍。
そう、どこの出身だったかとかって覚えてますか。
ああ、和歌山だ。
そうです。くしくも前回やった和歌山でもこの人の話したんですけども。
そうだそうだ。直系が途切れちゃったから五三家であった和歌山から連れてきたと。
おっしゃるとおりです。
徳川家もちろん一族なんで五三家なんですけど、五三家から初めて将軍になった八大将軍ですね、人物がこの徳川義宗。
歴史の教科書でいうと、教法の改革というものを行って幕府の財政が苦しかったというものを立ち直したに成功したというね。
それは奇襲でこの間和歌山藩の財産を建て直したってところもあったんですけれども、ある意味ではそういったものになった。
ただ吉宗は亡くなって江戸幕府も滅んだ後も、この千何百本の桜、これも戦災で焼けてしまったのでね。
もう今はあれなんですけれども、ただその桜の名所としての名残はもちろんあって、今でももちろん桜がある。
なので飛鳥山に行くと今でもお花の名所になってると。
そしてこういった日常から離れてみんなが遊びほうけられるっていうね、素晴らしい場所だった。
博物館に行っていただくと、この浮世絵館にもね、川ラケ投げっていうのが有名で、今の大洲駅の方に要は高低差があるんで、そこにね、川ラケって土器ですね。
割れるフリスビーみたいなものを崖の上から投げるっていう遊びが、物騒な遊びが流行っていたそうで。
そのね、みんなで投げてる様子とかも浮世絵館に残ってるんですよ。
なんかもうやりたくなったんですよ。
当時の江戸市民が食べたお弁当とかもね、お花見弁当とかもね、再現されてて、なかなか豪華なもの食べてるんですよ。
今から見ても。普通においしそうなものいっぱい食べてるんですけど。
で実際その桜のジオラマみたいのもね、博物館の中にあって、その下にお弁当が設置されてたりするので。
その風景をイメージしやすいわけ。
そうですそうです。
といったものもあったりした。
ここが一つね、北区のね、ちょっと抑えておきたいポイントなんですね。
そこがね、もう今に繋がってるからね。
これ面白い展示だね。
そうですそうです。
やっぱり距離感としてね、江戸の城下町とはちょっと離れた、当時でいう江戸の中の田舎だった。
郊外。
だったので、その郊外でみんなで楽しもうぜっていう場所を作ったり。
これが北区の距離感なんですよね。
だからその俺ら型の目線を感じないぐらいの距離感ってことね。
だからこの変なコスプレしてるやつもいるわけ。
なるほどなるほど。
というのがね、この飛鳥山博物館に行くとよくわかるんじゃないかと思います。
で、その後明治時代以降も、もちろん飛鳥山博物館にも展示はあるんですが、
こっからやっぱりちょっとね、渋沢一の話をね、ちゃんと見ていきたいわけですよね。
というわけで、飛鳥山博物館から共通権がありますので、共通権をぜひ買っていただいた上で、
徒歩1分、まあ横隣なんですけれども、渋沢資料館に行ってみたいと思います。
改めてね、この渋沢資料館、渋沢栄一記念財団が運営してるということなんですけれども、
最初に概論だけお話をしておくと、渋沢栄一さん、この人はどういう人だって覚えてますかね。
実業家ですね。もう数々の企業を立ち上げて、今に繋がるような企業をたくさん作っていると。
で、ついこの間、この間でもないのか、1万円札になったという方ですよね。
まあやっぱり今は1万円札の人として、今の子供たちはユキチじゃなくてA1だっていう風に言うのも知れませんけど、
おそらく日本の国民の方でもみんなが見たい顔なんじゃないかと。
今話してくれましたけれども、渋沢栄一さん、江戸時代の末期から昭和まで生きた人になっていて、長生きだったんですよね。
その創立に携わった会社は500以上とも言われている。
そんなにあんだ。
だからもう今の日本の大企業っていうのは何かしらの形で渋沢栄一が変わってるっていうのは本当に過言でもないっていうぐらいの人でね。
まさにもう近代日本の父なんてね、ありますけれども、その名にふさわしい活躍をした人ですよね。
その人が後半生、具体的には30代からなので、人生の約3分の2くらいは飛鳥山と縁がありました。
最初は別邸だったんですよ。
東京に本邸があって、それの別邸、やっぱりちょっと郊外なので。
郊外の別荘的な意味合いで作ってたんだけれども、途中からもうその飛鳥山を本邸にして、そこでもう生涯を過ごして最後そこで亡くなっています。
この渋沢資料館に行っていただくと、渋沢栄一さんの一代記をね、しっかり解説されていて、展示ちょっとね写真見えますかね。
これ上に数字が並んでるけど、これもしかして年齢?
おっしゃる通りです。渋沢栄一さん非常に長生きでしたので、91歳までの生きていらっしゃいましたので、その91年の生涯をね、1年単位で解説されてるんですよ。
1年単位で展示することがあるぐらいやっぱりやったことが多いわけだね。
その通りです。しかもこの展示、パネルがあるのはね、写真を見てわかるんですけど、この人は本当にやったことがありとあらゆることをやってるので、
まずは正面のパネルを見てもらって、この1年の概要を知ってもらうわけですね。
ところがですね、その下にタンスみたいなのがついてるんですけど、そのタンスが引き戸になっていて、この引き戸を開けるとね、さらにこの1年に関するコラムみたいなのが出てくるんですよ。
つまり、もうパネルだけじゃなくてコラムを全部全部一個一個にいくと、もうとてもじゃなくて1時間7回レベルじゃないですか。
へえ、いやすごい濃密な人生なんだな。
そうなの。濃密なのに長い。太く長い人生なんですよ。
はあ、すごいな。
だからまさに本当にこの飛鳥山という地でね、渋沢栄一さんが本当に近代日本のいろんな指揮を取っていったわけなんですけども、そもそもなんでこの人が飛鳥山に来たかっていうと、
実はね、とある会社工場を作って、その監督を近くでするために作ったんですね。何の工場を作ったかというと、
明治維新がなってこれから西洋に追いつくと。ただ政治家は政治家でもちろんいろいろやることはあるんだけれども、
民間人、一般市民たちも本当に高い教育を施して教養を持って、ちゃんと世界に渡り合う人材を育てなければいけない。
そのためには何が必要かって彼は考えたときに、やっぱり文化を作るっていうのは出版物だと思ったんですね。
地方、日本のあまねくところに良質な知識を持った出版物っていうのを届ける必要があると思った。
そのために何が必要なのか。紙だったんですよね。
まあ印刷するにはまず紙がね。
なのでこの人は今の帰宅に精子工場を作ったんです。
なるほど。
だからこの精子工場が今何の会社になってるかってことなんですよ。
何だっけ?王子精子?
そうです。王子ですからね。あの王子精子の王子っていうのはここなんですよ。
地名なんだ。
王子様ってことじゃなくて、帰宅王子の王子精子なんですよ。
なるほど。
王子精子はもちろん皆さんご存知だと思うんですけど、あれを作ったのが渋沢一さんなんですね。
はあ。
その今でいう王子精子の工場を作って、それはやっぱり荒川とかの水運があった。
紙を作るには良質な水を、しかも大量生産していこうっていうのは渋沢一さんの考えですから。
それを作るためには多量の水が必要とした。そして工場の用地も大きいところが欲しい。
だから郊外でただ物流がちゃんと通っていて、かつ川が良質な水が手に入る。
っていうのでこの王子の家を選んだんですね。
へえ。なるほど。
そして自分は飛鳥山に別邸を構えて、その工場のすぐに何かといけるように監督をしたのがそもそもの縁の始まりだった。
はあ。
いや、じゃあわざわざ家建てるってことは結構な大プロジェクトなんだね。
大プロジェクトです。今でももちろん会社が残ってるってわかる通りなんですけれども。
渋沢栄一さんっていうのはね、この人をかたしめないとこの人だけでこの人生やったほうがいいくらいのもちろん人生なのでだいぶ端折りますけど。
実業家としてもちろん見られて、近代日本の経済人として見られることが多いと思うんですよ。
もちろんそれは嘘じゃない。だから一番良さそうになってるわけなんですけど。
一方でやっぱりこうやって一年単位で人生を追った時に見えてくる顔っていうのはね、単純な経済を回した人ではない一面が多分見えてくると思うんですね。
僕が勝手に解釈してるんですけれども、僕はこの人は最後の江戸時代人だと思ってるんですよ。
これどういうことかっていうと、年齢的に言ってももちろん江戸時代に生まれてるんでそれは事実なんですけど、江戸時代的教養の完成した人だと思ってるんですね、僕はこの人。
何かというと、この人っていうのは90何年生きたわけですが、人生を貫いたものは経済というよりも道徳なんですよ。
この人はね、儒教というものを非常に重んじて、その信念に従って生きた人なんですよね。
儒教というのは江戸幕府の孔子の学問として、特に朱子学というのは色々教えられていたわけですけれども、
渋沢一さんは埼玉の深谷の出身なんですが、豊かな農民の家に生まれたんですけど、当時の農民というのは非常に教養もレベル高い人たちがいて、
深谷にも親戚にね、この辺大河ドラマ以前吉沢亮さんやってましたけれども、親戚にそういった農民なんだけれども非常に学問の詳しい人がいて、
その人から朱子学とか儒教っていうのを教えてもらってるんですね。
それが変わってないんですよ、彼らってことって、その時からずっと。
だから90何年やって作った会社だったり、その時の挑戦したことっていうのは色々変わってるんだけど、
根底にあるのは儒教、人への思いやりだったりとか、人としてなすべき道っていうのを曲げないっていう、
ただそれだけの道を貫いたら90何年になってたっていう、そういった一面が見えてくると思うんですよ。
事業的にはいろいろなことやってるけど、そこには一貫した儒教の教えがある。
儒教の教えがある。だから儒教の教えももちろんいろいろ、仁義、礼、信じていろいろあるわけですけれども、
人への思いやりだったり、人への約束を果たす裏切らないことだったり、そしてこの人はやっぱり中のお文字だ。
元々は江戸幕の幕臣ですから、このあたりね、大河ドラマの草成剛さんが徳川義信最後の将軍によって、吉沢良さんが栄一をやりましたけれども、
渋沢一のね、もう本当に人生を懸けた一大事業として、徳川義信伝を作るというね、
逆賊の汚名を着せられた義信の名誉を回復させて、徳川の時代というものをちゃんと後世に伝えるためっていうのを、
実業やる方々も人生の最終目標にしてた人なんですよ。それを成し遂げた人なんですけど。
だからそういった別の一面が見えてくると思うんですね。
だからやっぱりこの人生を通した天気を見ると、そこら辺がこう見えてくるわけだよね。
そう、一年単位で刻んでいくと、すごい多様なんだけど、逆に一つで刻んでいるからこそ、一貫したものっていうのが逆に際立ってくる。
そういった展示もなってるんじゃないかと。
なるほど。
だから江戸時代もいろいろ問題たくさんありましたけれども、
最後の最後に近代人として江戸時代時代の道徳を持った、最後の江戸時代に完成した人というのが、
多分渋沢一だったんじゃないかと思うんですね。
だからこそこの人は、ある意味道徳に生きた実業家だったから、その後は続かなかった。逆に言えば。
渋沢財閥はないわけでしょ。ないんですよ。
みついびつめし住み友みたいにならなかった。なれなかった。
それがある意味渋沢一の凄さであり、ある意味では近代社会経済とはやっぱり別の考えを生きてた人だったと思うんですよ。
やっぱりその個人によるところが大きかったっていう。
ある意味弱点としては独人的だったのかもしれない。
なるほどね。
私、彼自身がその財閥を残そうといってもそんなに多分なかった。
だから優秀な人を助けてあげたいと思う人にどんどん出資をしていく。投資家になっていっちゃうんですよね。
最後の方はね。
なるほど。最終的に自分が何か事業を広げていこうっていう方向じゃなくなってくるのか。
もちろんやってるんだけど、最終的に投資家であり、あとは日本財界の顔としての活躍を求められて、
80とか70、80になってもなおアメリカに民間新前大使として行ってください。中国に行ってくださいとかってどんどん言っちゃうんですよね。
だからもう最後の方は民間の外交員としてような感じで見てて、
アメリカのちょうど移民排斥問題とか日本人がアメリカ非常にダンピング、社会問題になったんですね。
移民排斥みたいなのが起こってて、日米の関係が非常に悪化した時期があるんですけど、
その時に渋沢一はアメリカに渡ってその関係改善の就効に努めたりとかっていうことにやってるので、
もう新前大使のようになっちゃうんですよね。
なるほど。
そのビジネスだけを追い求めることができないってことか。
ただ追い求めなくて、むしろそっちの方に価値を見出したのは、彼自身がやっぱり受供に行った人間だったからだと思うんですよね。
心の道徳に彼はやっぱり自分の行動原理を見出していたと思うんです。
なるほどね。
いわゆる金を儲けする意味じゃないんですよ。
だからこそこうやって移人として語られて、そこも含めての一万円札なわけです。
この辺ね、小田原の二宮孫徳と非常に似てる感じがあるんですけど。
そんな人ではあります。
なるほど。
なのでまあね、今といえばね、北区といえば渋沢くんなわけで。
渋沢 FMさんもそうですけれども、やっぱり今もう象徴ですよね。
街の中行ってもね、大洲の街の方行くと、渋沢家のシルクハットを持った、歩いている姿とかのアートみたいなのがよくありますので。
やっぱり北区の方にとっては非常にこの人は大事な存在なんだろうと思うし、
やっぱりちゃんとこうやって修行館を見ることでね、より彼の人間の本質的な部分に迫ることができるんじゃないか。
残念ながら渋沢亭というのは戦争の時になくなってしまったんですが、
そのね、渋沢修行館と同じ件で、近くにね、千円文庫、青い縁。
これね、渋沢市の号なんですけれども、の文庫と、板香炉っていう、それぞれね、彼を慕う人たちによってプレゼントされた洋風の茶室と、あと文庫なのでね。
書庫みたいなものが、この二つが減損しています。
渋沢市がそこでいろんな人をもてなした映像とかもこの修行館の中にあるので、それを見た後で行くと、
英一その人が立ったその場所にね、まだ今我々は立つことができるんですね。
中も見学できますので、ぜひここもね、合わせて見てほしいなと思います。
余談ですが、これあのね、共通権はもう一つ飛鳥山にある神の博物館というのがもう一個あって、この三つを合わせて共通権で行けます。
しかも1日とかじゃなくて、確か1ヶ月か2ヶ月か有効期間があるので、ぜひ東京都民の方は時間がね、たぶんこれ結構今紹介した二つすごい意味ごとあるので、
無くなっちゃったと思ったら、また別の機会に帰宅に来てもらって、共通権で入ることができますから、そういったお得な活用もできるんじゃないかと思います。
ちょっと一旦来たりで恐縮なんですけれども、この後はちょっと別のタウンに入っていくわけなんですけれども、
今まで話したこの飛鳥山の桜がね、花開いて渋沢一が来てという話が江戸時代以降なわけなんですが、
さらにその根源的なエッセンス、人の心理みたいな、帰宅に行き着く人の心理みたいなものをね、ちょっとね見ていきたいと思うんですね。
その手がかりになるのが、渋沢資料館、つまり飛鳥山ですね。
飛鳥山から大地駅の方に徒歩12分ほど行っていただいたところにある大地神社です。
すごい、緑が綺麗な神社ですね。
そうですね。大地神社というのは非常には有名な神社でね。
僕実はね、1月2日に会社の同期とね、初詣にここに付き合ってもらったんですね。
取材もかれて今年は大地神社にしたんですけど、非常にもう多くの人に広がっていて。
いや立派ですもんね。
東京10社なんでね、数えられて。非常にご利益があるということで、東京の北部では代表するような神社ですね。
ちなみにこの大地っていう名前自体も、そもそもここが脈一大地っていう風に通称されていたことからなので。
だからある意味この地名であり、大地聖史さんの名前であり、すべてこの神社にそもそも始まってるんです。
この大地神社、今行くと本当にね、北区とか本当に東京を代表する神社の一つですので、
もうあえてそんな説明する必要もないかなというくらいなんですけれども、ちょっとここで注目したいのはこの歴史の部分なんですね。
大地神社ができたのはもうね、いつの頃からかこの辺にあったかよくわかんないらしいんですけれども、
大地神社が祀っているのは、イザナギ・イザナミをはじめとする神。
これイザナギ・イザナミっての覚えてますかね?
まあその日本神話出てくる国ができて、その子供らへんの世代の神だよね。
確か。えー違います。
国を生んだ人たちです。神様です。
ああそっかそっかそっか。
国生み神話。
イザナギ・イザナミが交わって日本だった、国土っていうのは生まれたというのがそもそも淡路島の時になったんですよね。
そっかそっか。
ヌシマというところの話しました。それをイザナギ・イザナミですね。
国生み神話でイザナギ・イザナミをはじめとする5つの神様を祀ってらっしゃると。
これが王子・狼という風にこれを総称するんですね。
まとめて?
そうです。
王子・狼。
それがそもそも王子なんですよ。
ああなるほど。
これはね実はこの信仰っていうのはピシュ、熊野の方。和歌山県のなんと熊野の方でもともと盛んだった信仰なんですね。
うーん。
それを先ほどちょっと話したんですが、鎌倉時代とかにこの辺を治めていた利島氏という人たちが、
この熊野の方から神様を勘定して招いて、この若一王子宮というものをにしたと。
これが王子神社なんです。やはり王子の地名の始まりなんです。
なぜこの利島氏が貴州からこれをやったかということなんですけれども、これも博物館に書いてあるんですが、
鎌倉時代にこの利島氏というのは結構活躍していましたので、貴州の方で守護職、つまり省エンとかを管理する権限みたいのをもらっていて、
貴州にある意味この人たちの影響が結構及んでいたんですね。
利島氏というのは影響を及ぼす権力を幕府から認めてられてるんですね。
その関係で、熊野の方の本当に日本の最新部、ディープな信仰というのが昔からあるわけですけど、
熊野鼓動で有名なところですね。
世界遺産熊野鼓動のあたりですよね。
那智の滝とかのあるあたりですが、あのあたりのパワーをぜひ我が利島氏にも授けてもらおうということで、
自分がたまたま貴州に床にあるようになったから、そこを伝って貴州の神様をここに持ってきた。
そんな影響を及ぼせる、かなり遠いのに、そういうのがあるんだね。
そう、鎌倉時代とかはね、意外と幕府の中に認められた御家人たちは、結構飛び散りで西の方にも領地を持ったりするんですよ。
貴州といった時に、さっきね、ちょっと話出ましたけれども。
御三家の話。
貴州から来た吉宗がね、これが実は関係してるって言うんですね。
この鎌倉時代とかにあった繋がりが、江戸時代でまた復活したみたいな。
そういうのも、吉宗は貴州から入ってきた人なんですよ。
彼はこれから改革をするにあたって、庶民たちのストレス発散の場所を作ってやろうと思って、江戸の郊外であればぶっちゃけどこでもよかったはずなんですよね、アクセスがちゃんとしてれば。
それでじゃあどこにしようかってなった時に、将軍が日光に向かう道があって便利であるということと、
自分のルーツである貴州の神様がいるこの帰宅にしよう、今の帰宅にしようというんで、飛鳥山にしようって決めたって言うんですね。
じゃあもうこの大地神社があってことがキーなんだ。
そうなんです。だからある意味、豊島市がこの大地神社を勧奨してなかったら、そもそも大地という地名はなかった。
大地聖史だって会社名違ったでしょ。そもそも飛鳥山というものは今ほど栄えてなかったかもしれない。
飛鳥山の桜の公園ができてなかったかもしれない。 そう、かもしれない。
っていうのでこの大地神社が実は全ての始まりなんです。
へえ、すごいね。
これも僕は吉宗という人物に対して非常に僕が思うには徹底したリアリティだったと思ってるんで、
僕が思うにはそれもどこをやるかっていうのをいろいろ多分誘致とあったと思うんですけど、
そこで飛鳥山に決めた整合性を取るための説明だったんじゃないかって気もしてるんですけど、
自分は吉宗から来てるから二百一王子のあるところにやりたいと。
そして将軍様、今までの歴代の徳川将軍家様に参るための日光という大切な道だからって言ったんじゃないかと思うんですけど、
いずれにせよ結果としてはこの大地神社があったから吉宗が飛鳥山に桜を植えたと。
それが真実であろうが口実であろうが、そういう要素があってここに桜を植えたっていうことですね。
なのでそういう意味でやっぱりちょっと遡ってるんですけれども、
この大地神社っていうものがあったことがいかに地域にとって大きかったかっていうことは改めて考えていただけるといいんじゃないかと。
ただ大地神社自体は吉宗以前の将軍も非常にちゃんとよく祀っていましたし、小田原の北条氏も非常にここに対しては保護を加えていました。
ので徳川家光三代将軍ですね、とかの時代には二百一王子縁起絵巻という縁起、つまりなぜ大地神社は素晴らしいのかっていう昔からの説明書きですね。
ちゃんと絵巻、林平山っていう東大通一の学者なんですけれども、手によってちゃんと公式に作られたんですね、マックスによって。
っていうぐらいちゃんと江戸の北の神様の守りっていう意味でも重んじられたわけです。
家光っていうのは東商軍に非常に行ってますからそこもあったんじゃないかっていう気がするんですけど、
そこに描かれたことにちょっと今の北区に名残があるんですね。
二百一王子縁起絵巻に何が描かれていたか、もちろん王子神社が素晴らしいと書かれてるんです、主題は。
ただその一つのエピソードに書かれていたのが、王子の狐の話なんですね。
ということでちょっとその要素を見に行きたいと思います。
王子神社から十五分ほど行っていただいたところにあるのが、王子稲荷神社です。
稲荷ってことでね、狐はきっとゆかりあるんだろうなっていう感じですよね。
そうです。そしてね、北区に行っていただくとわかるんですけれども、狐のキャラクターがめちゃくちゃ多いんですよね。
北区、特にこの王子という地域にとっては狐っていうのは特別な存在なんですよ。
それはこの王子稲荷が一つルーツになってるんです。
ちょっとね、一つ思い当たるのは大晦日にやってたね。
そうなんです。
王子の狐祭り。
狐の行列かな。
狐の行列か。
そこでね、春矢と山田部長がね、会ったっていう写真見ましたけど。
そうなんですよ。
ちょっとその話ね、ぜひ後で詳しくお話しするんですけど、今もそういう催し物があるくらいなんですよね。
ゆかりがあるんだね。
じゃあそもそも何なのか王子の狐とはってことなんですけれども、
にゃくいち王子園稲荷に厳禁されてるんですね。
当時この狐というのは江戸の郊外、日本の山里、農村には非常に身近な生き物だったわけです。
今では東京にいるというのはあまり多分聞かないと思うんですけども、
当時はまだこの北区のあたりは開発がされていなくて、そもそも将軍家はここを高借りの場所とかにやってたんですよ。
だからアウトドアのキャンプ場みたいなイメージだったんですよ。
多分彼らにとってはね。
っていうぐらいですから、江戸の市内からすぐにアクセスができて大自然の中を駆け回れる。
そんなスペースだったわけですね。
ゴルフ場みたいな。
そうそうそうそう。アウトレジャーができたと。
なので当時はまだ全然その街としてもまだなかったですから、
狐だったりとかそういった昔の農村風景が広がっていて、滝野川の方では野菜とかも作られていたわけですよ。
この稲荷神社というのはもっと前からあって、
一説には平安時代の終わり頃に源氏の一派がここに京都から東北へ行く途中にここに立ち寄って、
その時にこの稲荷神社があるっていうのを見て、
ここが関東の稲荷神社の元嶋みたいになれみたいなことを伝えていったというくらいの感じなので、
稲荷神社って伏見とか有名ですけどね。
あんまり東の方に稲荷神社って当時はまだなかったのかもしれない。
佐賀の雄徳稲荷とかも有名ですけど。
どっちかというと西の方なんですよね。
なるほど。
じゃあこの関東圏のボス的な稲荷神社ですよっていうお墨付きをいただいたみたいな。
そう、それを源氏が与えたと言うんです。
源氏は徳川家ですよね、結局連なっている。
そして書かれているのは、源氏が認めたこの雄徳稲荷神社は関東の稲荷のボスなんだと。
だから素晴らしいんだといろいろ書いてある。
そして何が起こるかというと、大晦日の晩になると、
関八州の稲荷の狐たちがこの大晦日神社のあたりに狐火を焚きながら、
みんながこの大晦日神社に密かに人が寝静まった夜に集まってくるっていう伝説があると。
それが言われてるんですね。
これが大晦日の狐火として有名な伝説なんです。
そして大晦日の狐火は非常に有名な伝説で、大晦日イコール狐っていうのは多分江戸の市民たちもみんな思ってました。
その結果何が生まれたかというと、やっぱり浮世絵なんですね。
ということでちょっとね、大晦日の狐火って検索してもらっていいですか。
今見ていただいているのは、これねもしスマホが手元にある人ぜひ見ていただきたいんですけれども、
宇多川広重、名所江戸百家の中の一つで、大晦日江戸木大晦日の狐火という作品です。
本当にこの木の周りに火を灯してる狐がたくさん集まってますよね。
木の周り、これ絵の木の木なんですけれども、絵の木の木の周りには狐色の狐がたくさんありますが、
その斜め右の方にいっぱい白いものがうじゃうじゃいると思うんですが、これも全部狐なんですよ。
本当だ。奥の方にもっと大量の狐がたくさんいますね。
そうなんです。
だからみんな集まってきてるんですよ。これから大晦日稲荷神社に向かおう。
その集合場所にみんなが夜密かに集まっているっていうね、ちょっとこの幻想的で。
ちょっと妖怪っぽい怪しさがあるよね。
そうですね。怪しさであり幻想的であり、そんな伝説を描いた。
これ宇多川広重の非常に傑作として知られてる絵ですね。
特にこの絵の話をすると、もちろん狐火の怪しさもいいんですけど、
この一方でこの絵の木の枝振りが非常に繊細で、それに沿うように山並みを向こうに描かれている。
そしてその木の枝の葉っぱとミマゴウカのように星空が描かれてるっていうすごい繊細な浮世絵なんですよね。
非常に実物、博物館で見れますけど、いい作品だと僕も思います。
なんかかっこいいよね。なんかカードとかでもっと期待感がある。
かっこいいよね。
これが非常にこの絵が人気を博したんですね。
これ以外にもいっぱい王子の狐火を描いた作品が多いんですが、やっぱりこれはちょっと頭抜けて有名になっちゃってます。
っていうのが語られている。
そしてこの狐火というのはもちろん伝説に過ぎないかもしれないんだけれども、これを再現したっていうのがさっきの話なんですよ。
王子の狐の行列か。
王子狐の行列。
副題として王子小族絵の木、大晦日の狐火、浮世絵の再現。
これはただのイベントじゃなくて、この浮世絵の風景を再現するっていうすごい新しい試みなんですよね。
これ何をもって帰宅おでんなのかっていうのはちょっとあんまりそこまで知らないんですけれども、非常にあっさりとした飲み心地の良いおでんだったなという印象が僕もあります。
これ実は大晦日のキスネの行列の日にここをやってたので行ってきたんですけど、
2025年最後の食事がここでしたので、すごいいいしっぽりとしたおでんでよかったですね。
もうこのつどっこの名物ですよね、おでんは。
この名物がおでんと、あともう一個ね、牛すじがめっちゃうまいですね。
特に僕もこのチーズ焼き、これめっちゃうまかったですね。
俺これ食べてないかも。
ちょっとグラタンっぽい感じなんだけれども、これ癖になりますね。
非常に家でも作りたいなと思いました。
大変そうだねこれ。
だからなかなかオーブンとかないと厳しいと思うんで、やっぱりプロに任せた方がいいと思うんですけど。
美味しそうだね。
だからこういうあったかい料理というのが非常に多くて、
日本酒にこのおでんを合わせるなんていうのは考えつくと思うんですけれども、
同時にこのちょっとチーズとか創作料理みたいなものも濃い、いい味付けのものが多いんですよね。
これと合わせる日本酒もいいわけですよね。
煮物系が得意なのかもしれないですね。
こちらのお店がね。
普通にもつ煮込みとかもありますし。
いいね。
めっちゃいいです。
ほうせんさんももちろん居酒屋で、つどっこさんも本当に昔ながらの居酒屋なんですけど、
ちょっとカラーがやや違う感じのね。
比べるとちょっとこう料理っぽい、食べ物を食べるっていう感じのメニューが多いかな。
順番はほうせんさんから先に行った方がいいかなという気がします。
ただね、ここを語る上でやっぱり絶対忘れちゃいけないものがありますよね。
それがドリンクメニューですね。
こちらの店主の方は酒の道をやってらっしゃる方なんですけれども、
同時に東京都北区が開発した日本酒のプロデューサーでもあるんですね。
北区ってちょっとうちからさっきチラッと言いましたけれども、
節部沢一さんの時代には醸造試験場というものがあって、
日本におけるいわゆる日本酒作りの近代のね、あるいは出発点じゃないですけれども、
そういった政府のちゃんと授業としてやったそういった施設があったんですね。
だからそこで工房とかを研究して醸造を実際にしていたわけなんですよ。
かつ今は残念ながらもう閉じてしまったんですが、
21世紀になってもなお東京23区で当時唯一の酒蔵だった小山酒造さんっていう方が北区にあったんですよね。
赤羽の方にあったりして。
実は東京23区で酒蔵っていうのは意外かもしれないんだけど、
北区というのはね、日本酒の聖地としてもね、実は非常に特殊なカラーを持ってらっしゃるんですよね。
そうなんですよね。
でもこれもね、去年のLPフェスまで僕知らなかったですね、正直。
なかなかちょっとイメージないですもんね、正直。
東京で日本酒っていうのはそれがね、結構イメージないですね。
そうなんですよ。
ただやはりこれも王子の狐火の話と同じで、そういった歴史的な背景に基づくエッセンスっていうのを今にちゃんとストーリーに仕立ててね、
蘇らせるという動きがあって、それにこの天使さんが絡んでらっしゃるんですね。
具体的に言うと比叡というね、飛翔する、飛ぶというものと渋沢栄一の栄なわけなんですけれども、
渋沢栄一さんの1万円札の発行記念としてね、北区観光協会さんが作った日本酒なんですね。
ちょっとタベログになりますが読むと、飛鳥山で発見された工房、これはつまり先ほどの醸造試験場の中に残ってた工房があったんですね、栄一さんの時代からね。
それと深谷さんのお米から生まれた日本酒、この深谷というのは渋沢栄一さんの出身地、埼玉県深谷市のことです。
っていう渋沢栄一の生まれである深谷と最後を過ごした飛鳥山っていうののコラボレーション。
そしてその比叡っていう栄一の名付けた、そして扱いもなわけですよね。比叡の比がね。
そしてその令和のこの新1万円札が発行された2024年7月3日、この記念すべき日に誕生するプレミアム日本酒。
新しい時代の片手を祝う特別な一品ということでね。
これね、すごくこのストーリーとして素晴らしいというか、もういろんな要素がちゃんとこう詰まって、それが無理なくしっかり合わさってできてる日本酒ですよね。
でこれ比叡ね、すごくて非常に限定品なので貴重なんですね。
そうなんだよね。
クラウドファンディングとかでも結構上層にあたってやったので、その返礼品とか用途もあるので、なかなか一般の酒屋さんで買うのは難しいんです。正直なところ。
そうですよね。多分そんなに量がね。
ただ気になる方はね、帰宅観光協会さんのページにはその予約申し込みができますので、そこ申し込みいただくといただける。
ただそれもね、結構四合瓶とかあるいは一升瓶とかで結構なお値段もしますので、もうちょっと気軽にまず味見がしたいなっていう時にはこちらなんですね。
そうか、お店に行けば飲めるからね。
プロデューサーご自身がやってらっしゃるお店なので確実にあります。
ので僕も初めてここで比叡を飲みました。そしてね、美味しいんですよ。
美味しいよね。
めちゃくちゃ美味いんですよこれ。
僕も打ち上げ飲ませてもらったんですけど、美味しいですこれ。
これ本当に美味しいですこの日本酒。
食中酒ですね。
僕は思うに非常にやっぱり良いと思うのは。
割と甘めというかまろやかな感じしますよね。
でも全然邪魔しない感じで、本当にバランスがよく取れてて嫌いな人があんまりいないんじゃないかなっていういい意味で。
そうだね、ツンとつつる感じも全くないし、そうだね、本当に料理と合わせて飲むっていう感じが一番いいかなって感じですよね。
これがやっぱり是非ね、宅に行ったからにはこの日本酒は飲んでいただきたいと自信を持って僕もお勧めしたいと思います。
飲むならばこのつどっこさんが一番いいんじゃないかと思いますね。
ちょっと僕が行った時ね、大晦日でかつ海外の方の団体客みたいなのが来ててね、
すっごいお忙しそうだったんですけど、それでもこのお酒だけの話はね、お忙しい中にしてください。
もっと時間があれば、たぶんポッドキャストの話とか、日本酒の生まれの話とか色々してくださると思いますので、
是非ね、まずはポッドキャスト聞いていただいて、この日へ調べていただいて、興味のある方は是非宅観光協会さんのページを見てもらうとね、もっと詳しくちゃんと書いてありますからね。
是非注目いただきたいと思います。
このストーリー込みでね。
そうです。ちょっと調べてみてほしい。
北区でしか絶対生まれなかった日本酒なので。
というのがね、つどっこさんでした。
そして最後ね、締めとしてもう一軒だけ行きたいと思います。
この居酒屋つどっこ大路本店さんから、もう本当にすぐ裏なんですけれども、コーヒーもかかんないくらいなんですが、
大路コーヒー焙煎所さくらピアスおよびカフェラウンジさくらピアスさんです。
これ最後にコーヒーを飲みに行くっていうことですかね。
はい。これはですね、時間によって用途が変わるというお店になります。
どういうことかというと、同じビルの中の1階がコーヒー焙煎所になっていて、2階がバーになってるんですね。
これ土日で考えているんですけれども、土日祝日の場合は20時30分ラストオーダーでコーヒー焙煎所の方が開いてます。
つどっこさんを8時15分くらいまでに出れば、ラストオーダーのコーヒーの方には間に合いますね。
一方でバーの方は当然夜遅くまでやっていますので、つどっこさんを終わった時間が20時30分以降だった場合、
そもそもお酒をしっかり飲みたいよという方は、同じビルの2階に行っていただく。
同じこれね、系列店舗なので、どちらに行っていただいてもいいんじゃないかなというふうに思います。
一応ね、まずコーヒーの話をしておくと、このさくらピアスさん、当然お昼もやってますので、
お昼ご飯とか、あと朝ご飯とかもね、ここで食べていただくのもいいかもしれません。
すごく素敵ですよね、このページもね。
店内にね、桜の木がオブジェクトしてあって、壁紙にこの桜の花びらがたくさん描かれてて、かわいらしいですよね。
店内も本当にね、落ち着く、こじんまりとしたお店なんですけれども、みんなが思い思いの時間でコーヒーを飲めて、
かつ本当にこう、暖食系で、かつ花びらとか散らしてあって、やっぱり絵にもなるし、本当に何の圧迫感もない。
路地裏にあってすごい嬉しい、家の近くにあって嬉しいお店だなと思いますよね。
ま、映えそう。
映えもしますよね。
なぜ桜の木がこんなにあって、桜ピアスっていうかっていうと、
飛鳥山ですね。
そうです。やっぱりこの地域へのエッセンスが取り込んでいらっしゃる。
実際にラテとかにも桜の味わいを使ったものもありましたし、
あとちょっと面白いのがね、これ僕も朝いただいたんですけど、飛鳥山カステラっていうオリジナルのスイーツを作っていらっしゃいまして、
串にね、ふわふわのカステラが刺さってるみたいな感じなんですよ。
ほんとだ。団子みたいな感じ。
そう、お団子状なんですよね。
で、上にね、それぞれいろんな味わいがあって、デコレーション菓子ということでね。
桜ひらひら。これは桜クリームと桜チョコレート。
コーヒーコーヒー。コーヒークリームとコーヒーとか、あとめっちゃ抹茶とかね。
ちょっと面白いネーミング多いですけども、6種類のデコレーションがね、選べるというものになってて、
本当によく映えるのは映えるんですよね、間違いなくね。
で、ただね、これもただ映えるわけではなくて、ちゃんとストーリーがやっぱりここにもあるんですよ。
というのがもちろん桜というのはね、飛鳥山の桜の名所だということで皆さんわかるんじゃないかと思うんですけど、
この記事に使われてるのがオートミールなんですね。
なぜオートミールを使ったのかということなんですけれども、
これがですね、渋沢栄一さんってオートミールが大好物だったんです。
そうなの?
はい。これね、渋沢氏のほうにもあるんですけれども、朝食とかでオートミール食べるんですね。
へー。
オートミールその時代あったんだ。
あったんですよ。むしろその時代結構だから、新しい文化としてね。
なるほどね。
へー。
ハイカラだったんですね、栄一さんずいぶんね。
ほー。
なので、これもやっぱりね、渋沢栄一に対するリスペクトが非常に強いんですね。
栄一さんの好物であるオートミールに飛鳥山の桜をまぶしたと。
なるほど。
はい。
へー。ちゃんとストーリーに仕立ててるんだな。
そうなんですそうなんです。これやっぱりだからぜひ訪ねてほしいと思うわけですよ。
はいはい。
なので、今回は夜中に行ってますから、最後のスイーツ代わりで一串とあとラテをっていう感じでもいいですけど、そもそもこのお店自体めちゃくちゃ素敵なので、お昼に全然行っていただいてもいいと思います。
はい。
ちなみに言うと、もし夜のバーの方に行く場合ですと、夜のバーの2階の方はいわゆるオーセンティックなバーになっていますので、バーが好きな方、お酒好きな方あればどなたでも楽しめると思います。
結構容姿、人とかも結構多かったりして楽しめるんですけれども、ここで一つ言っておくとですね、実はこの2店舗共に共通のオーナーさんがやってらっしゃるんですね。
実は我々もちょっと知ってるんですけども、その方がね、そもそも帰宅に関して非常にやっぱりストーリー性だったりっていうものを職員のプロデュースに添加することにすごい尽力されている方で、いくつかこの大路周辺にお店をやっていらっしゃいます。
で、このサクリアペアスの数軒隣、2軒隣かな、ちょっと忘れちゃったんですけども、すぐ近くにクラフトビールの醸造ショーをやってらっしゃるんですね。
で、僕はこの時ホーセンに行った友達とそのまま2軒目でこのお店にランジドに来てるんですけども、そのビール飲みたいよねって話をしてて、店員さんにダメ元でそのビールってここに置いてますか、バーで飲みますかって言ったら、いいですよって言ってくれて、取ってきますねって言って。
で、なんとね、下に行って隣の店からビール取ってきてくれたんですよ。
なんて迷惑なキャラなのよ。
非常に迷惑なんですよ。どういうことなんだろう。本当に。
嬉しいね。
嬉しいです。
おかげさまでその旬風千里さんというバルなんですけど、クラフトビールのバルなんですけど、でやってる王子一丁目爆酒、王子一丁目ビールかな、というのをいただくこともタイミングが合えばできるかもしれないということになります。
なのでこの旬風千里さんにそもそも興味あるよって方はそっちを1軒目にしていただいてもいいと思うんですけども、いずれにせよこの王子コーヒー焙煎茶桜ペアスさんのページ見ていただくと、その系列店舗いくつかありますから、そこのどっかに行っていただくのがおすすめで、