1. 大人になりたい旅がしたい
  2. #126-1【横浜】ハマには独りで..
2025-12-18 59:54

#126-1【横浜】ハマには独りでいいじゃない! Part1前編

ハマには独りでいいじゃない! 045 means Only Lonely1日目前編

今年のクリスマスはどう過ごす?

えっ……横浜……?

しかも一人で……⁉

いやいや、カップルだらけで絶対気まずいよ、やめときなって……


こんな風に周りから言われてしまった皆さん、ご安心ください。

2025年最後のコースは、超上級向けと思われている「クリスマス×横浜×ひとり旅」の攻略法をご紹介します。

グルメだって、観光だって、イルミネーションだって、楽しみ方をちょっと工夫すれば、寂しさなんて何のその。

横浜の持つ豊かな文化と広い懐は、いつだって、誰にだって幸せなひと時をもたらしてくれるのです。

【目次】

~ ひとりディズニーふたたび!

~ コーステーマの発表 なぜクリスマスに一人で横浜⁉

~ ★旅のはじめに★ 我々のホームタウン・横浜 一人で楽しめる……のか……?

~ ”桜木町”と”横浜”その数奇な歴史

~ 洗練されたデザインで港の歴史と未来を知る 【横浜みなと博物館】

~ ★歴オタ話★ 横浜と港の歴史をおさらい

~ 焼き餃子発祥⁉ 一人で楽しめる中華の名店 【萬里】

~ 近代横浜に花開いた多国籍文化の本場 【元町公園】

~ 壮麗な色合いとデザイン 東欧の様式を伝える 【エリスマン邸】

~ 明朗な雰囲気と風通し 南欧の賑わいを伝える 【べーリック・ホール】

~ 日本とアメリカの友好の象徴 街の発展を平和を見守る 【日本郵船氷川丸】


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⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠音楽:BGMer(⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠http://bgmer.net⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠)

サマリー

このエピソードでは、横浜の魅力や一人旅の楽しみ方について話されています。特に、冬のクリスマスシーズンにおける一人での横浜訪問がテーマで、観光地だけでなく、歴史やアート、お酒を通じて独自の楽しみ方が提案されています。横浜の歴史に迫る前編では、桜木町駅を出発点にし、横浜港博物館を中心に港の役割や開国の歴史が紹介されています。また、ペリー来航とその影響についても触れ、横浜が貿易の拠点となるまでの過程が振り返られます。このエピソードでは、横浜の歴史と港の発展について語られています。特に、大桟橋と象の花坊波堤の重要性が強調され、横浜港博物館や万里という老舗中華店の魅力も紹介されています。横浜の元町公園に焦点を当て、歴史や建築様式について深く掘り下げます。特にエリスマンテイとベーリックホールという2つの建物を通して、多文化共生の歴史や関東大震災の影響が探られます。横浜の独特な歴史と文化を感じる場所として、山手や元町、そして山下公園が紹介され、特にひかわ丸という客船の歴史を通じて、日本とアメリカの関係が描かれ、横浜の魅力が語られます。

一人旅の始まり
大人になりたい旅がしたい。このポッドキャストでは、旅行とお酒が好きな同級生2人が、大人だからこそ知りたい、ちょっとディープな国内旅行のモデルコースを紹介していきます。旅のお供はこの2人。
旅が生き甲斐ない旅行ガイドブックの編集者、はるやです。 ディープな旅がしたいけど知識がない旅行初心者、内田です。
はい。これね、配信されてるの12月だと思うんですけど。 そうだね。 今収録してるの10月なんですよ。 そうなんですよね。
ってことでね、僕、もうこの収録のつい先週なんですけど。 またね、ディズニー行ってきまして。
おー。 ハロウィンね。 あーそっかそっか。 今やってるんで。 はいはい、そうでしたね。
ランドのね、今のパレード、去年から新しいやつになってるんですけど。 それのね、評判がいいらしくて。 へー。
それを見たくてね、ちょっと一人で行ってきました。 出た、一人で行った。
いや、パレードめっちゃ楽しかった。 何がそんなに評判いいんですか? なんだろうね、めっちゃテンション上がるのよ。 へー。
で、ちゃんとみんなで踊れる振りみたいなのもあるし、いろんな映画の敵役の人がこういっぱい集まってやってるみたいな感じなんですけど。
めっちゃかっこいいし、テンション上がるしね。 あーそっか、ハロウィンだからっていうのもあるのかな。 そうそうそう。
っていうね。 でも先週ってだって3連休でしょ? そう、3連休の月曜に行ってきました。
うわー、なかなかまた一人ディズニーの過酷な状況な気もしますけど。 うん。
いや、でもまあ一人もね、慣れてきたから。 なるほどね。
ゆったりとね、気を向くままにいろいろ楽しんできましたね。 なるほど。
彼女は今回もついて来てもらえますか? 来ないですね。
という、ちょっと時期外れの話かもしれませんね。
ということで、今回ね、2025年最後のコースだったんですよね。 いやー、早いですねー、そうですよね。
あっという間でしたよね、ほんとにね。 ほんとね、びっくりしました。
ということで、その今回のコースは何でしょうか?
はい、2025年最後のコースのタイトルなんですけれども、
横浜の魅力
ハマには一人でいいじゃない。 045 means only lonely です。
なんかちょっと弾けたタイトルじゃない? これ。
そうですね、まあ最後ということで、今年もね、終わりなのでね。
いい年になったらいいなと、最後は弾けて。
ハマって横浜ってこと?
あー、お気づきになりましたか。そうなんです。
ハマはカタカナで浜って書いてあるんですけれども。
たまにはと書けてるわけですね。 そういうことです。
横浜ですね。
満を持して、私が愛して、住んで止まない神奈川県の首都である横浜市を取り上げたいというふうに思ってですね。
横浜にこの12月に一人ってなかなかハードル高いというかさ。
まあディズニーほどではないのかなという気もしますけれども、なぜハードル高いと思うんですか?
いややっぱさ、クリスマスが近いでしょ?
そうですね。
横浜、特に港未来のあったりとかさ、やっぱカップルがすごい集まってくるじゃないですか。
クリスマスマーケットあったりするじゃん。
なんか一人って難しそうな気がするんだけど。
よくないですね。本当に。
だから一人でいいじゃないというのが今回のコースのテーマで主張なわけなんですけど、横浜って別にカップルのための街じゃないですから。
いやそれはね、それはそうなんですけどさ。
それはそうだけど時期がやっぱね。
大丈夫です。
だからそこに対するカウンターですね。
カウンターです。
ダメなんですよ、カップルのためだけの街とかになっちゃってたら。
横浜の魅力ってそれだけじゃないでしょっていう。
その一般的になんか語られているその横浜のイメージ、まあいいんですよそれはそれでやっぱり素敵なもちろんそれには理由があるからね。
カップルで行くっていう理由もあるじゃないですか。
キラキラしててデートで回れそうなとこいっぱいあるからね。
それはもちろん大きな魅力なわけなんですけれども、なんか横浜冬デートみたいのはね、ちょっとねそれだけってのはどうなのというか。
なるほど、違う側面を見せたいと。
特に私たちの神奈川県民からするとね、僕も小田原に住んでもう3年以上になりますけど、やっぱり横浜本当によく行くっていうか逆に言うと東京に行かなくなったんですよね。
横浜で全部住んじゃうんで、それだけ横浜に行く機会っていうのは本当に増えて、さらに好きになったっていう部分もありますので。
そういうふうに見るとね、もちろん観光地として見る横浜はカップルで行くというのはすごく素晴らしいシチュエーションだと思いますし、それに見合う魅力は当然あると思うんですけど。
クリスマス12月下旬の横浜に一人で突っ込むというね、それをモデルコースをあえてご紹介したいというふうに思うわけですね。
じゃあ早速、俺想像ついてないから聞きたいと思います。よろしくお願いします。
まあね、ちょっと今回前段も少しいろいろとあるんですけれども、まずまあどうしましょう、じゃあ横浜の話からちょっとしましょうか。
これね、我々の実はね、今年の何月からですか、4月ぐらいですかね、収録場所を変えたっていう話、どっかのタイミングでさせてもらったのかなと思うんですけど、まさにね、この横浜市内で実は撮ってるんですよね。
どうですかその点、横浜という町について、まあうちの場所は都民なわけだけれども。
そうだね、まあ僕は東京でもね、神奈川に接してるところ出身なんですよね、なんで何かっちゃ川崎行ったりとかね、してて。
行きましたね。
で、まあなんかその先にやっぱ横浜ってあるからさ、まあなんか遠からずというか、ちょこちょこ行くみたいな感じではあるんですけど、
子供の頃に親についてって横浜行って、なんかよくわかんないけど、いろいろ見た目が楽しいものがたくさんあって、楽しい町だなっていう感覚ぐらいかな。
ついでにどこ行ったんですかね。
どこ行ったんだったかな、中華街行ったりとか。
中華街ね、いいですね。
だったかな。で、まあちょっとデートとかするようになって、ちょっと横浜港に赤レンガとかそういうの行ってみたりとか、ぐらいな感じかな。
だからやっぱ多分俺が持ってる横浜のイメージは、結構みんなが持ってるような、割とこうキラキラ楽しい横浜みたいな、そういう感じかもしれない。
まあ今おっしゃった通りね、横浜ってやっぱり観光地としても非常に有名でね、東京からで言えば東横線で言えば3、40分で多分東急から渋谷から来れますし、JRで言っても東京駅から横浜は東海路線で30分ぐらいかなってところなので、
もちろん横浜から東京に勤めてる方って大勢いるでしょうし、東京の人から見たら日帰りでちょっと楽しくデートなり遊んだりというところでね、全然いいと思うんですよね。
港未来、中華街、山下公園、あとは最近で言えばKアリーナなんていうね、ライブに来る方もいるんじゃないかなと思うんですよ。
あれもいいですね。
そうですよね。あと浜スタだったり、マリノスのスタジオもあったりしますし、日本全国で言っても一つの市として見れば、日本で最大の人口を持つ市であります。
今言ったのっていうのは横浜の中区、桜木町のあたりですね。あとは西区、これ西区が横浜駅なんですね。とかっていうあたりが大体港未来とか中華街とかっていわゆる多分皆さんが持ってる横浜のイメージなんですけど、横浜自体は全部で18の区に分かれているというところもありますので。
そっか、横浜市ってすげえ広いんだよね。
広いです。
ここも横浜って思う感じだよね。
そうですそうです。東の方で言えば鶴見区というのがあります。これが東。
あとは西の方で言うと戸塚なんていうのは箱根駅店とかでご存知の方もいるかなと。
そっかそこまで横浜なんだね。
戸塚区まで横浜ですね。あと南の方で言えば金沢区というものがありまして、これはもう三浦半島の付近の部分です。ここまで横浜だったりしますし、北の方に行くと青葉区とか緑区とか。
これ要は青葉区は田園としての青葉台とかあるあたり、緑区は長蔦ですね、のあたりなので横浜線とか通ってますけれども、こんな風にしてみると本当に横浜市が広い。
ただ一方でいわゆる観光地として認知されている横浜は多分中区西区だけなんですよね。実際的には。
そうだね。
っていうのもあるので、ちょっとその辺のギャップも思う方もいるんじゃないかなという気もします。
僕はそういうわけで神奈川に引っ越してもう3年になりますし、今年は街トイロという本をやらせてもらって横浜18区もいろいろ全部取材させてもらいましたけど、
本当にいろんな個性があって横浜という面白い街だなというのを改めて感じたところでもありますから、
その一般的な横浜の楽しみ方も抑えながら、冬のこのクリスマスの時間に一人で突っ込んでも楽しめるものがあるといいのかなと思うわけですね。
そしてもう一つ前段じゃないんですけれども、今まさにね、ちょっとこの導入の部分でディズニー一人の話しましたけど、
一人でも楽しめる方法
とはいえ横浜冬の時期に一人で行くってまあなかなかじゃないですか。
言ったじゃん。
そうなんですよ。それはもちろんわかってるんですけどね。どうしたら一人で、そういった周りが一人にふさわしくない環境の中でも楽しくいられる、それは内田なりの秘訣はどういったところなんでしょうか。
いやでも今ちょっと話しながら思ったけど、要は港未来のエリアからちょっと外れれば一人でも大丈夫そうな気がした。
なるほどなるほど。そうです。おっしゃるとおりです。横浜というメディアが。
でも内田がディズニーとかに行くときはさ、多分ディズニーって全然もう周りすごい行くと思うんですよ。カップルだったり友達同士だったり。
もちろんもちろん。
その中で一人でいられるシチュエーションっていうのをどうしたら自分は耐えられるというかうまくいく、どういうふうに精神を保ってるんですか。
これがね、俺の性質が強い気がする。あんまり気にしてないっていうだけな気がする。
なるほどなるほど。
ってかまぁあと、一人ディズニーに関しては一人の人いるしって思ってる感じなんだよね。なんだろうね、どうすればいいんだろう。
直々今までもさ、一人旅のコースやってきてるじゃないですか。そこでカウンターでも大丈夫とか、割と一人で対応してくれるようなお店をめがけていくとか、すればまだ大丈夫そうだよね。
そうですね。おっしゃる通りで、僕本来的には一人旅って基本静かなところが好き、あんまり人混みがそもそも好きじゃないんで。
カウンター席ですとか、周りにカップルがいなかったりっていう穴場を行ったらそれはそれで楽しいわけですよね。
あとは、これは僕なりの考えですけど、多分ディズニーも同じじゃないかと思うんですけど、もうその一人であるとか云々以前に自分が楽しく夢中になれる、好きに浸れる感触というかシチュエーションというか、そういうのがあればね、もはやそこは気にならないのかなっていう気がするんですよ。
そうね。周りの目以上に自分が楽しいっていうのを最大化していくみたいな。
なのでね、今回はちょっとその郊外も行くんですけど、意外とね、王道の中国宿も結構行きます。あえて。
切り込んでいく感じ。
切り込んでいきます。切っていきます。そういった横浜のイメージを。
なんか裏見てもあれよな。
ただね、これはあくまで俗人的なので、皆さん違うとは思うんですけども、僕の俗人的な一人でも周りの目を気にしないでしとれるものとして、歴史、アート、お酒、この3点突破でですね、一人横浜クリスマスというものをどう楽しめばよいのかというのをね、ちょっと話していければと思いますので。
こういった趣味を同じように持っていらっしゃる方はこのコースをたどっていただけると、比較的ね、一人とかクリスマスとかで以上に横浜の歴史とかアートの面白さというもの、そしてお酒の美味しさというものにね、魅了されて、いつであろうが気にならないんじゃないのかなという気がしますね。
そう、なんかここまですげえクリスマスって強調してるけど、別にこれ時期関係ないですよね。
そうですね。ただクリスマスの時期、やはり横浜が綺麗にイルミネーション見られるのは事実ですので、その見方についてもね、どこから見るのかというのを考えればね、ちゃんといい見方ができるんだよということ。
そういうのも含めて。
なのでクリスマスでも大丈夫です。あとはちょっとね、これ別にいつでもいいし、もはやこれ一泊二日で紹介するんですけど、一日ずつ東京の方であれば日を分けて行っていただいてもいいんですよ。
ただもし、例えば大阪だったり九州だったり横浜になかなかそんな頻繁には来れないよという方であれば、可能であれば金曜日土曜日で来ていただけるとこのコースは完璧にできます。
土日だと一部ね、ちょっと申し訳ないんだけどね、できなかったりすることもあるので、なるべく金曜土曜日がありがたいです。というのをちょっとご紹介したいというふうに思います。
桜木町の歴史的意義
というわけでね、本編に入っていくわけですけれども、今回の出発地はですね、お昼の11時頃にJR桜木町駅としてください。
もういきなりど真ん中だね。
ちょっと横浜の歴史にも関わるわけなんですけれども、桜木町というのはね、意外と関東以外の方だとなんだそれっていう方もいるのかもしれないなと思うんですね。
当然横浜市は横浜駅というものがありますし、東海道線は横浜駅を通っていますので、そっちが首なんじゃないかなと思われる方いると思うんですけど、
日本史の教科書でね、1872年に鉄道開通っていうものがありましたけれども、あの時どこからどこまでっていう話って覚えてますか。
なんだっけな、忘れちゃったな。まあでも横浜だよね。
そうです。
その終点が横浜だったり。
そうです。あともう一つはね、東京の山手線の駅でSLが置いてある駅があるよねっていう。
新橋が。
新橋横浜間というものが日本における初めて鉄道が通った場所なんですね。横浜って言いますから、当然今の横浜駅なんだろうと思う方多いと思うんですけど、これ違うんですね。
それが桜木町ってことですか。
そうです。当時の横浜駅というのは今の桜木町駅なんです。
なので実は今の横浜駅というものは後から横浜駅っていう風に変わって新しくできた駅であって、当時明治時代とか幕末明治の頃の横浜の中心というのはあくまでも桜木町なんですよ。
ですから今桜木町駅には鉄道開通の記念碑とかもたくさん建ってますし、桜木町から野毛の方に少し行っていただいたところの商業ビルの中にはそういった鉄道のミュージアムもあったりしますので、あくまでも横浜の歴史をたどる上では横浜駅ではなくて桜木町駅というのが本来の横浜だったということはちょっと抑えておいていただくといいポイントかなというふうに思います。
今でもオフィスビルとか桜木町の方が多いですね。
今も神奈川県庁だったり横浜市役所というのは大体桜木町から日本大通りという駅のあたりにありますので横浜駅のあたりは実はそうでもないんです。
そうだよね。
商業ビルとか横浜駅多いですけど昔からの横浜の街というのは桜木町からが中心だというのは覚えておいていただくとちょっと今回1日目が歴史の旅なのでここはいいんじゃないかというふうに思います。
横浜港博物館の紹介
ということで桜木町に来たわけなんですけれども最終の目的地となるのが桜木町駅から東側つまり港未来川です。
港の方に歩いて5分ほど行っていただいたところにある横浜港博物館です。横浜港博物館ってこれ見たことありますかね。
どこなんだろう。
ちょっと地図見てみるか。
分かんない。
ちょっと地図見てくださいねみなさん。この辺ねって俺は思ってるけど。
関東の方とか首都圏の方であれば結構ね。
ランドマークのすぐ近くって感じですね。
そうです。ランドマークタワーって横浜のリールの中で一番有名なんじゃないかと思うんですけれども。
川内瑞貴さんがめっちゃ好きなやつね。
そうです。ランドマークマニア川内瑞貴さん。プライム847のね。すまんFM横浜さんもここに入ってますから。
そうかそうだね。
要はいわゆる港未来という横浜湾岸地区の象徴的な建物になるわけですけれども。そのランドマークタワーの南側に日本丸メモリアルパークといってね、白い炎船が展示されてるのが。
あるわ。
うん。
そうランドマークのすぐ隣ぐらいにね。
そうですそうです。
船が止まってるんですよね。
そうですそうです。昔のドッグなんですよここは。そのドッグの後にこの日本丸っていう昔ねこの練習船として使われてた帆船が今も展示されているわけですけれども。
この日本丸の目の前にあるミュージアムが今話している横浜港博物館です。
気づいてなかったわ。
そう。みんなね日本丸はすごい有名でフォトスポットであるのでね、行くんですけど意外とこのミュージアムに気づいてない人も多いんですよ。
横浜博物館めちゃくちゃ大事かつねすごく良いミュージアムで横浜の歴史を知るという考えた時にはまずここにおるのがね大のおすすめです。
何が展示してあるかというともうここに今書いてある通りなんですけれども横浜港をテーマにした博物館。
歴史と暮らしの中の横浜港をメインテーマに横浜港に関する調査研究資料図書の収集保存などを通して一人でも多くの人がより横浜港を知り考え楽しむことができる博物館を目指しています。
ということでね横浜の歴史はこれから振り返っていきますけれどもやっぱり多くの人がね港ハーバーというところをね思う方多いんじゃないかと思うんですね。
でこれはもちろん事実であって現在も本木不動があって大桟橋があったりしますから今でも日本を代表する国際港であって貨客船クルーズですよねも来ますし多くのタンカーだったりとか燃料とか資源を運んでくるようなあと輸出輸入ね日産もここにありますけれども
こういったものを工業都市としてね本当に日本の産業貿易を支えている都市であるわけです。
そういった港の役割というものをこのミュージアムにはすごくいいデザインでね紹介してくれてるんですね。
ペリー来航と横浜の開国
いや見た目綺麗だもんね。
そうすごい綺麗なのよこれ。
このね帆船日本丸そしてランドマークタワーというものもね白い方が張ってあってさらにランドマークもちょっとまぁシルバーがかったね白いわけですけれども
あれの景観と調和するようにねこのミュージアムも白を基調としてちょっとオレンジがかった石造りの感じになっているわけですね。
ちょっとねグーグル検索で内観見れますかね。
そうねなんかその白いのと結構木がね普段に使われている感じでね。
そうですね。
でライトも間接照明的に暖かい感じになってますね。
はいおっしゃる通りですね。
あの中にはね歴史を紹介するシアターとかもあるわけですけどこの港ミュージアムというくらいですから横浜を彩ったね多くのね船の模型の展示とかもありますから
そういった意味でもすごい見ていて楽しいミュージアムですね。
かつ見ごたえもすごいありますね。
なんかすごい一個一個のディスプレイ展示が大きくねちゃんとこうイラストとか模型とかがあるから楽しそうだね。
そうですね。
こういうねミュージアムであって今まさにねペリーが来航した時のね創造とそのムービーが流れていますけれども
このペリー来航に始まる横浜の歴史から今ね横浜港はまあ産業経済の面でもちろん語られること多いんですけど
未来の横浜港がどうなるかっていうねSDGsとか環境とかって入りした今の地球上の課題というものを向き合う新しい横浜港っていうもので
今後何を目指していくのかっていう面白い話もあったりします。
なんか未来を展示している博物館って面白いね。
面白いです。ここすごいコンセプチャルで面白いですね。
というわけでね横浜の歴史がここでわかるわけなんですけれども
ちょっと我々もね改めて地図を見ながらね横浜の開港の歴史というものにちゃんと簡単にね振り返っておきたいと思います。
先ほどから申し上げている通り横浜というのが歴史上に登場したのは江戸時代の末期です。
1853年にペリーアメリカのペリー艦隊ですねが三浦半島の南の方にある浦賀というところに来航したというのは
これは非常に有名な歴史上の事件だと思います。
黒船で来たやつね。
いわゆる黒船来航です。ペリー艦隊浦賀や北は来たんですけれども
日本はその時いわゆる鎖国というかね貿易通商はしていませんでしたから
アメリカとかそういった欧米連携としてませんでしたから
一回国書を受け取るけれどもすぐに開国ができないと言ってね返すんですね一回ペリーをね。
翌年にまた来るって言ったペリーは約束通り翌54年1854年にやってきました。
その時に入ってきたのがこの横浜の辺りなんですね。
地方が違うんだね。
最初浦賀へ来て栗浜に上陸したんですけれども
三宮半島から今度は横浜の方にやってきてより江戸に近くなってくるわけですよね。
そしてペリー艦隊が約束通りでやってきた。
そしてペリーは非常に強力な軍事力でもって幕府を威圧しながら
同時に通商をすることの利をときながら開国を迫って
ついに1854年幕府はこの横浜の地において
日米和親条約というものを結んで日本は開国をしました。
懐かしいわ。
そういった舞台がいわゆる横浜の
これは今の中区の辺りになります。
当時はこの横浜というのは正直なこと言うとね
特段何もないと言っては失礼なんだけれども
本当にこの野毛山って今野毛山動物園ありますけれども
この辺りの丘から海が綺麗に見渡せる漁村ってなくらいで
たまに浮世絵に描いてる人がいるくらいで
そんな今のようなこんな都市では全然なかったんですね。
幕府としてはなるべくペリーを江戸に近づけたくない。
そして東海道を通っている通行人たちを刺激したくないっていう理由もあったんです。
東海道との今で言う東海道線ですから
つまり東神奈川とか今で言う横浜駅から
戸塚の方、程ヶ谷を通って戸塚に抜ける今の東海道線のルートが
おおよそ東海道に近いんですけれども
これと横浜市の桜梨町が微妙に離れてるのは分かりますから
分岐した直後ぐらいの感じですかね。
だから幕府はなるべく東海道から避けるために
こっちにあえてペリーを誘導して
今の桜梨町とか馬車道のあたりで交渉しました。
触り立てられるのが嫌だったんですね。
その旅人とかこの大名とか東海道みんな通ってきますから。
なんかすごいもんが来てるしね。
そうなんですよ。だから野獣マンが来るのが嫌でね。
桜梨町のあたりでやったっていうのがそもそも
この横浜の得意な歴史の始まりなんです。
ペリー艦隊はそういうわけで開国をしまして
続々とやってきたのがロシアのプチャーチン
これはいつかヘダの時にありましたけれども
他にもイギリスだったりオランダだったりといった艦隊が来て
続々と幕府は欧米列強に対して開国をしていく。
そして開国をしていくと同時に
今度は通商条約も徐々に結び始めまして
実際の貿易港として港を開くとなっていくわけですね。
その時に開くと歌われた港がいくつか日本にあるわけですけれども
そのうちの一つが神奈川というところでした。
神奈川を開くって言ったんですけれども
本来神奈川というと今の横浜市神奈川区
東神奈川と神奈川新町とかのあたりが
神奈川という地名だったんですけれども
幕府はこの辺を開くのを嫌がったんです。
なぜかというと東海道が通っていたからです。
これは幕府がある意味機弁を下ろした形になるんですけれども
欧米の人たちの拠留地を神奈川に置きたいという要望を向こうにできたわけですけれども
分かりましたと言いながら
この辺まで含めてぶっちゃけ神奈川ですからって言って
結局神奈川新町東神奈川のあたりに近づけずに
この横浜桜梨町のあたり当時何もなかった桜梨町のあたりに
あなたたちにはここに住まわせてあげますよって言って拠留地というのを開きました。
ある意味騙したんですだから外国の。
意地でも東海道に近づけたくなった。
なのでその桜梨町と横浜の今は2つでおかしなことになってるみたいな
そこがそもそも始まりなんです。
そしてこの拠留地幕末になって
日米中古通商条約なんてのも族に結ばれて
実際にこの横浜だったりの舞台に日本と諸外国との貿易が始まります。
貿易が始まるとこれまで長崎の出島にオランダ人が若干住んでいましたけれども
そうじゃなくてこの横浜にも住めるようになったというわけで
続々と欧米の資本が到来して指定された拠留地の中に
欧米の人たちが住む住まいだったり松間みたいなのを建てていくわけですね。
しかし幕府はそういうわけでこれが諸般とか日本全国にいろいろ破棄するのを恐れたので
拠留地というのはもうここの関門からここの関門と
このエリアだけにしか絶対に作っちゃいけませんという厳しいルールを定めました。
ある種出島みたいなもの。 そうですそうです。
出島の拡大版みたいなものが横浜に作られたんです。
その拠留地の出入りというのは非常に厳しく取り締まられて
それぞれ籍を設けられたんですね、籍書です。
そしてその籍書を設けられたからこそ今なんて言ってるかっていうと
館内ですよね。
なるほど、籍の内だから館内なんだ。
館内、これ籍の内と書いて館内と読む地名なんですけれども
JRねぎし線あるいは横浜新地下鉄の駅の館内駅があってね。
今で言うとおそらく館内に来る人の多くは横浜スタジアムを目指す方もいるんじゃないかというふうに思いますけれども
横浜の本当中心的な駅の一つですよね。
横浜の港の歴史
これがその拠留地で設けられた籍の中っていう意味のそもそもなんですよ。
横浜の歴史というのはここから始まってるんです。
桜木町の辺りのエリアの発展のスタートは外国人がいっぱい来てるところから始まってるから
そういうことですそういうことです。
この館内がスタートの地であると。
そういうことです。
館内というのは今ありますけれどもちょっと海の方を見てもらうと
大桟橋埠頭が今はあるわけですけれども
そのちょっと前に変に左の方に出っ張った謎のカーブみたいのがあるのわかりますか?
大桟橋埠頭周辺に。
これ行ったことありますかねここね。
ここ通ってるよね。
通ってますね。一回大桟橋行きましたね。
そう、俺ら普通に大桟橋遊びに行った時がありましたけど
その時通ってるけど俺多分全然意識してないなこれ。
はい、ちょっと行ってみましょうか。
これね象の花坊波堤と書いてあります。
もう本当象の花みたいにぴょって出てるもんね。
そうです。これがこの開港当初の横浜の坊波堤港の跡なんです。
ここから横浜の港の歴史が始まってるんです。
全然意識してないわこれ。
そうなんですよ。
今行くとねもう完全に大桟橋の方が目に入るからね。
そうですそうです。もう今この坊波堤は全然船がつけられてない。
むしろね大桟橋の巨大なクルーズが来る方に目を奪われますけれども
ここが横浜の港の初めて開かれたところなんですね。
ですからこの象の花パークってのありますけど
そこに横浜開港150周年記念碑とかありますけれども
ここが横浜の港の最初なんですね。
意外だわ。
ですからこの今で言う大桟橋、後で言う象の花のあたりから
どんどん船が着くようになって
それらはどこを通って行くかっていうと陸地を通って艦内に運ばれるんですね。
ですからこの艦内から象の花あたりがいわゆる最初の拠流地なんです。
やっぱそう思うと結構狭いね。
狭いですね。
ただその名残の今でもあって
いわゆる横浜三島というキングクイーンジャックっていう西洋建築
象徴的なものですとか
日本語通りのあたりに神奈川県庁もここにあります。
あとは横浜開港記念館館ってこれ今回飛ばすんですけど
ここはジャックの塔なわけですが
このあたりがもともと幕府の武僚署とかが置かれたあたりなんですね。
ですから今でも当時からの艦長外という性質は
この艦内から大桟橋のあたりというのが一番持っているよっていうのは
名残があるわけです。
疑問にも思ってなかったことが裏付けがわかって面白いわ。
だからもちろん浜須田とかに行っていただくときに
そういう目線でこのあたり日本語通りのあたり散歩してもらうと
いろんな武僚署跡とか税関跡とかで
誰々上陸記念碑とかそういったものがたくさん建ってますから
ここから横浜の歴史が始まった。
そもそも建物も結構レンガ作りだったりとかね
西洋建築多いですからね。
そうなんです。おっしゃる通りです。
そして幕末の頃まではこの艦内は非常に厳しく制御されていましたけれども
明治になってもちろん横浜の港というのは発展していくわけで
明治通貨もちろん国を開いてどんどん貿易を推進して
むしろ食産工業でいろいろ起こそうとしていきましたから
横浜というのが本当により経済の中心地として発展しました。
有名なところで言うと1871年
岩倉私鉄団というものが旅立つ港で
みんなが船を読み送りの図みたいなのが教科書に載ってると思うんですよ。
思うんですけれどもそれも象の花がちゃんと写ってますね。
だからここから旅立っていったわけです彼ら。
だから日本がこれから世界へ追いつこうっていう
そのエネルギーの原動力になったのもこの艦内なんです。
そしてだんだんね外国の方
いろんな方がここに住むようになってきていって
徐々に徐々に拡大していって
日本大通りを挟むと何があるかっていうと
中華街がここに出てくるわけですよ。
そしてだんだん山下公園方面にもいろいろ洋館とか広がっていって
より日本が貿易港として横浜を重視し始めるために
今度は武料所じゃなくて税関がちゃんとできるとかね。
今も税関はねクイーンの広場として残っていますけど横浜税関ですね。
っていうので発展していった。
ていうのが横浜の港の始まりです。
なのでちょっと長くなりましたけれども
港博物館に行っていただくと
日本初の焼き餃子
こういうその横浜の港の歴史って改めてね
ちゃんと問い直すことができるというのですごくおすすめです。
あとはねこの港博物館の中にはね
柳原良平さんのアートミュージアムがあるんですね。
柳原良平さんってわかりますかね。
ちょっと名前だとわかんないかな。
作品を見てみましょう。
トリスじゃん。
そうです。
あのトリスのおじさんいますけれども。
キャラクターね。
これを描いたイラストレーターさんが柳原良平さんです。
なるほど。はいはい。
そしてねこれ何でしたっけ。
これは横浜ハーバーっていうお菓子のやつじゃなくて。
そうですそうです。
有明横浜ハーバーというね。
あのお菓子のパッケージでこれすごい有名ですよね。
船の絵ですよね。
これちなみにディーデザイントラベル神奈川の表紙にもなってたんですけど。
これを描いた人なんですね。
この方はねトリスであまりにも有名なわけなんですけれども。
もともと横浜の人じゃないんですけど。
あの横浜に移住してね。
この港町とか船というのをこれだけ愛した人でしたから。
横浜の町を望めるところっていうのにわざわざ移住して。
ここでその横浜の町とかその港の風景を描いたっていうね。
それでこの横浜ハーバーのものも描いたわけなんですね。
ですからこの横浜というものを語る上で絶対欠かせないイラストレーターさん。
ということでねこの方の特設ミュージアムが港博物館の中にありますので。
ぜひそちらもご覧いただけるといいんじゃないかなと思います。
これは可愛らしいイラストだから。
いいですよね。
楽しそうだね。
といった形です。
ここでだいたい1時間くらい使ってもらうとお昼になっているかなと思いますので。
横浜のグルメもねぜひ楽しみたいと思います。
しかしね時はクリスマス場所は横浜ということでね。
グルメどうすんだと。
確かにね。
店入れないよね。
そうですよね。
しかしそれだけじゃないです。
横浜はそのデートスポットのグルメだけじゃないですから。
素晴らしいグルメ都市でもありますからね。
ちょっとね今回いろんなジャンルにね一人で入れるお店というのをねあえてセレクトしてますので。
ご紹介したいと思います。
横浜港博物館から桜木町の駅を挟んで駅の反対側の方に10分ほど歩いていただいたところにあるのが万里さんです。
中華ですね。
やっぱりね横浜といえば中華というのは一つ思いつく方も多いんじゃないかと思うんですね。
やっぱ中華街の印象は強いけどね。
ただ中華街はねちょっとね一人で行くのはどうなのと。
厳しいね。
クリスマスじゃなくてもねすごい人ですからね。
でもじゃあ一人では中華は食べれないのかと横浜では。
そんなことないんですね。
この万里さんは超うまいんだけど。
1階は全部カウンター設定でほとんど一人ですお客さん。
2階は結構テーブルがあるのでね集団でも入れるんですけど。
一人飲み方万里。
鎧津の里と書いて万里さんです。
ここはね創業が1949年ということでね。
現時点で76年の歴史を持っている。
横浜の戦後と共に歩んできた超老舗の名店の街中華です。
全然飾らなくてリージナブルなお店なんです。
この写真見ててもねちょっと安心する中華な感じするね。
そうですそうです。
もう本当にいわゆる中華っていう。
店構えも出てきましたけれどもね。
中華街の感じとは全然違うね。
この正方形の巨大な看板がね謎になってますけど。
ただねこの万里というのは実は非常に有名なお店で。
だからもうあの横浜といえばってお店なんですけれども。
なんでかって言うとここね一説には日本における焼き餃子発祥の店って言われてるんです。
全然知らないわそれ。
焼き餃子の写真いっぱい出てきてますけど。
絶対ここで食べた方がいいと思います。
これどういうことかっていうとはじめに言っとくと超諸説ありなんですよ。
かつもうこのお店のご本人もそんなこと言われてますけどみたいな感じなので。
その絶対ここだみたいなことは強く主張してるわけでは全然ないんです。
ただ当時ねこの万里の創業者の方のお母様かなというのは戦前戦中の時に中国の満州にやっぱり行っていてそこで暮らしていた方でした。
当時の満州というのは日本人が多くいましたから中国の方々が日本人向けのグルメの一つとして豚まんじゅうっていうものを新京っていう当時の満州の都市ですごい販売していたんですね。
これが非常に美味しかったと。
日本人に大人気だったものがあったんですって。
それを横浜に帰ってきてただ横浜は大空襲にあってしまったのでもう焼け野原になっていたんですね。
そこからまた一年復帰して町としても自分としても立て直していかなきゃいけない生活になった時に何ができるかっていうことを考えるとあの豚まんじゅうなら非常に日本人から人気だったし材料も手軽だし作り方とかも覚えているから。
っていうんで出し始めたところこれが当時この辺り一体のげっていうんですけれどもこののげに集っていた労働者の方とかに大人気を博してもう焼き餃子の万里っていうので非常に有名になった。
これが一節には日本で初めて出された焼き餃子なのかって。
ただもうこれは本当にその人も初めてだって言って出してるわけじゃなくて九州方面に九州本でやっぱり満州から引き上げてきた方ってすごく多いから。
以前ね久留米の50番っていう焼き餃子ありますかあそこも同じような話をしていますので長崎が実は最初なんじゃないかって話もやっぱりあるんですよ。
なのでもうこれはわかんないです正直。
まあ今の由来聞くと全国どこでもありえそうな感じで。
そうそうそう多分似たようなパターンはいっぱいあったんだと思います。
ただこの横浜のげにおいてはおそらくこれが初めてだったっていうのは間違いないと思うんですね。
だからまあ初めてかどうかは別にしてもすごく優秀あるね日本の本当に紀元のような焼き餃子が食べれるのは間違いありません。
この焼き目がすげーうまそうなんだよな。
そうですね。
ちょっとまあ揚がってる感じのパリッとカリッとしてそうな感じだよね。
そうあのねなんかねいわゆる例えば王朝とかで食べる焦げ目がバッチリついた餃子ではないんですよね。
もうちょっとねこう皮が厚めでで割とね揚げ目というか焼き目のところも焦げの風味というよりはちょっとね油がちょっと膨れたふくよかになってるみたいなイメージなんですよ。
だから確かにねちょっといわゆる焼き餃子とまた違うタイプかなっていう気もしたりしますね。
で餡はね非常にこのね野菜が大切でね。
お肉と野菜でやっぱ野菜多めだから僕また好きなんですけどもその野菜の切り方が結構大雑把で良い意味で。
なのでね野菜の歯ごたえシャキっていうのをね強く感じる餃子になってます。
やっぱその皮にしても餡にしても結構食感が楽しい感じなんだね。
おっしゃる通りです。張りごたえがあるしっかり噛める餃子ですね。
だけど全然重くなくてむしろ軽い方だと思います個人的には。
なのでね6個でワンセットなわけですけど全然一人でいけちゃうと思いますね。
他のメニューも美味そうなんだよな。
おっしゃる通りです。
チャーハンとかね超美味そうだなこれ。
チャーハン美味いですね。ここは割と塩系のねチャーハン。塩胡椒系を効いたタイプのチャーハンですね。
いいなあ。
うんしっとり系ですねご飯はね。
まあやっぱ街中華って感じがするからね。もうなんか何でもうまいんだろうね。
何でもうまい何でもうまい。もう全然いわゆる中華のメニューがたくさんあって全然飾らないお店なので。
はい非常に有名なお店でね食べ録の百名店とかになってるんですけど。
全然一人で入れます。
へえいいですね。
横浜のグルメ
僕も野外で遊びに行くときほんと一人でたまに行ってますここね。
でここちょうどね12時から始まるお店なので。
12時に合わせていけばまあ一巡目で入れると思うので。
その点もね加味してですね。
今回は12時にこの万里に着くようにちょっとコールスを設計した次第です。
でこのちなみに野外というのはね。
もう僕は神奈川で本当にしょっちゅう通っている大陸の宮外ですが。
安心してください。夜ねちゃんと戻ってきますからここで。
一回置いときましょう。とりあえず今日は万里の話しかします。
あちなみにね今日はね。今日というか明日もなんですけど。
この2日間公共交通機関しか使いませんから。
まあエリアが狭いからね。
そうですそうです。
だし鉄道もめっちゃあるしね。
おっしゃる通りです。もちろん飲みましょう。
飲んでねなんぼのもんだとクリスマスか。
飲み飛ばしてやってほしいと思うわけです。
ってことで万里で飲んだ後にですね。
ちょっと移動してまた新しくね歴史の話をたどっていきたいという風に思います。
あの港みたいなとこ行きません。
まあそこはね。
桜井ちゃんこれが終わりです。
でこの辺で万里さんから桜井町の駅まで5分くらい歩いて戻ってください。
桜井町の駅からJR根岸線、京浜東北線ですねこれいわゆるね。
根岸線に乗って南の方大船方面に乗ります。
元町公園の歴史
だいたい3分ほど乗っていただくと石川町元町中華街という駅があります。
JRは石川町です。東急東横線、港未来線が元町中華街駅ですね。
ただどっちも表記しています。
JRの駅に行ってください。
JRの石川町から上手く中華街とか元町を避けながらですね。
15分くらい歩いていただくと山の上に元町公園があります。
これはね俺たぶん行ったことないんだよな。
本当に?
たぶんね。
でもなんかあるのは知ってるし素敵なとこなんだろうなってイメージだけ持ってるわ。
おっしゃる通りねここも非常に観光地として有名な場所でもあります。
フラワーガーデンみたいなのもあったりするから冬はちょっとあれかもしれないけど時期によっては綺麗ですし。
元町公園からちょっと港側に行ったところには港の見える丘公園っていうこれも非常に有名な場所があります。
ここ行っていただくとその名の通り横浜港が南西の方角から一望できますので夜景を見たりね。
この時間帯であれば昼間のね冬の晴れ間のいい景色というのを見れると思いますので。
この辺行くとたぶんカップルが多分大勢いると思うんですね。
危険エリアだね。
なのでルートを慎重に選んでいただくといいなと思います。
ところがですね今回なぜこの元町公園に訪れるかというともちろん帳も楽しんでいただいてもいいんですけれども。
今回はちょっと歴史の旅ということもありますので園内にあるねとある施設に行きたいと思っているんですね。
この元町公園というのは昔のね海外の外国人の居留地の跡なんですね。
でこれどういうことかというと当初幕末の開港の頃はさっき言ったように館内。
今でいう館内と日本大通りの辺りが開港地となってで居留地として外国の方が住んでいらっしゃいました。
ただ明治政府とか明治維新が起こった辺りになってくると諸外国との貿易というのがどんどん見り方上がりで活発になっていきますから。
横浜における人口というのがすごく増えたんですね。
それは海外の方の人口ももちろん増えたし同時に日本人の人口も急速に増えたんです。
この海外の人との貿易というものでねやる商人だったり町人だったり急速に増えて横浜というのをとんでもない都市として一気に拡大しました。
でそうなってくると居留地というのは足りなくなっていっちゃったんですね。
要は館内って仕切っちゃってたからその館外これ伊勢崎町の辺りなんですけれどもに日本人が大量に住んでるんで。
外国の人は館内には住んでるけれどもその外に進出できない。
けど外にはもう日本人がバーっているからどうにもなんないんでじゃあどうなっちゃってんのってことになって仕方ないからじゃあ別のところをちょっとまた第二居留地みたいに当てましょうと。
そこで当てられたのがこの元町だったんですね。
だからちょっと離れてるんです。
中華街とかを挟んで。
ここにはね軍の駐屯地とかも置かれてたんですけれどもその後は商人たちが非常に景色もいいところでありましたので。
ちょっと裕福なハイランカの商人たちがここに自分の邸宅を構えたりしたりして海外の方々がここで住宅が良いというのを構えた。
というのがこの元町大手の辺りになります。
ですからこの元町公園には横浜外国人墓地というものがありまして。
本当だ。
これその名の通り明治時代とお雇い外国人とかでいっぱいやってきた海外の人たち。
中には日本に留まることを選んでこの異郷の地で生涯を終えた人たちも大勢いたわけですね。
こういった人たちは横浜で埋葬されてこの外国人墓地に多く眠っています。
この中には本当に歴史の教科書に載っているような有名なお雇い外国人も何人かいます。
外国人墓地は曜日限定だと思うんですけれども土日だけかな今ちょっと調べてほしいんですが。
お金払うとこの中も見学できますので。
実際に本当に世界中から横浜にいろいろ来てましたから宗教もいろいろなんですね。
キリスト教はキリスト教でも宗派によって違ったりユダヤ教方式のお墓もあったりするし。
そういった本当にいろんな国の人が横浜で活躍してこの地で生涯を終えたっていうのはよくわかるものになっております。
ところが横浜の歴史を大きく変えてしまった事故というか天災が起こりました。
それが1923年9月の関東大震災です。
建築様式の多様性
中でも非常に大きな被害を受けたのがこの横浜です。
東京ももちろん大被害を受けて非常に悲惨なことがあって。
今それが防災の日につながってるというのもあるわけですけれども横浜も非常に大きなダメージを食らいました。
特にこの艦内あたりは港の近くに居留地という狭い区画の中に大量の住居が密集していた。
日本人の住居も密集してって言ったんでもう倒壊してしまって全然もう町がダメになってしまった。
同時にこの大和の方も傾斜の中にこの住宅が建て込んでいたわけなんで。
ここでもいろいろもう地盤がそもそもあまりよろしくなかったりもしたために家が倒壊してしまったりして。
多くの外国人がその時に命を落としています。
なので今残っている横浜の建物というのはほとんどがこの1923年以降のものです。
その後戦争で燃えなかったものが今横浜の近代建築遺産として残ってるんです。
明治時代の建物はほぼ残っています。
ところがこの本町公園というのは関東大震災以降に建てられてその後の横浜の空襲を乗り越えた建物が多く残っています。
これなぜかというとアメリカとかイギリスの連合国側もこのところに外国人の床にある建築が残っているのを知ってたんです。
当然のことだから。だからこのあたりは空襲の被害が少なかったんです。
山手は。なのでここは残りました。
今回ちょっと特に2つの施設をピックアップしたいというふうに思います。
まず1つがこのエリスマンテイです。
白とエメラルドグリーンのすごい綺麗な西洋感って感じですね。
そうですね。
このあたりの建築の面白さというのは外国人墓地の話でちょっと触れましたけれども、
本当に多国籍の人たちがこの町に住んでいましたから、
ある意味世界でもなかなか見ない国際色豊かな多様性のある町だったんですね。
なので建築様式もそれぞれの家の主だったり、家の人が持っていた役目に応じて、
いろんな国の建築様式がミックスされてこの元町公園の西洋感というのが残っているんですね。
その1つの点がこのエリスマンテイなわけなんですけれども、
このエリスマンテイというのは何だかというと、
エリスマンというのは人の名前なんですね。
建てられたのは1925年から翌年にかけてなのでちょうど今年で100年になります。
関東大震災の2年後ですね。
持ち主はスイス人の商人だったエリスマンという人物。
貿易商をやってキリトの取引をやっていたと。
その後からこの横浜に亡くなっていますので、外国人墓地にお墓があるわけですね。
スイスの人なんですよ。
なってくると建築様式もやっぱりそういった東欧とかのものなんです。
これを設計したレーモンドっていう人はチェコ人です。
チェコ出身の建築家アントニン・レーモンドという人物がこれを設計しました。
どうですかね、そう聞いてみると。
俺あんまりその東欧の建築のイメージがあんまりつかめてないからあれだけど、
でもなんかそのいわゆるヨーロッパのゴシックとか、
なんかそういう石造りじゃない感じがするよね。
木で作られていて、
多分色味も製のものとは違うんだろうなっていう気がする。
そうですね。
あとはなんとなくこれイメージでしか語れませんけど、
このライムグリーンというかエメラルドグリーンというかね。
ティファニーブルーみたいな感じですね。
そうですね、ティファニーブルーに近いですね。
の色合いだったりとか、白を基調にした白と緑のこの色合いとかは、
どことなくやっぱり雪国というかね、アルプスの中にあるようなみたいな話もあるんじゃないかなという気がしたりしてますね。
このレーモンドというのも非常に有名な人でね、
フランクロイドライトっていう帝国ホテルとかを築いた日本の近代にすごい貢献した建築家の弟子であって、
いろんなところにこういった名手を残しています。
エイリスマンというのはその代表作ですね。
ですからこういった東欧系の建築家はまず一つ残っていると思います。
その近くにあるもう一つの建築を見ていただきたくて、
それがね、ベーリックホールというものなんですね。
これどうでしょうか。
これこそなんかゴシックっぽい感じじゃない?
あの、森岡の時にね、銀行だった建物を行きましたけど、
それっぽい感じだよね。
アーチ状の窓とかね、があって石造りで。
そういう感じがするね。
オクニングラーとしてはどんな感じで想像しますか?
えー。
周りの木とかもちょっとヒントかもしれないですね。
あー。
いやなんかね、ちょっとパッと見なんですけど、
ちょっとね、沖縄も俺今ちょっと思い出したんですよね。
はいはいはいはいはい。
木もあるかもしれないけどね。
うんうんうん。
だから、なんかヨーロッパともなんか違いそうな。
うんうん。
はい。
これまさにね、南の方なんですよ。
はいはいはい。
これはね、スパニッシュ様式。
つまりスペインですね。
あー。
の様式で建てられたものになっています。
はいはい。
なのでちょっとまあ色も赤みがかった感じの南洋系でね。
まああの風通しかどこか良さそうなね。
あーそうだね。
ものになっていますよね。
うん。
なのでさっきの東欧系とは全く違うね、様式なんですね。
はい。
これがもうほぼ隣だったところにあるんですけれど。
で、全体的にすごい明るい感じのね、ものになっています。
うんうんうん。
で、これはね、やはりベーリックさんという商人のね、
家だったわけなんですけれども。
うん。
ベーリックホールなわけですよ。
つまりホールっていうくらいですから、
ここね、実は社交場としても非常に機能していて、
中入っていただくとね、
本当にこうダンスパーティーの会場とかに使われたすごいホールだったり、
ピアノがまだ置いてあったりとかってして、
1階は本当に広々としたね、
すごい楽しそうな場所にもなっているわけです。
邸宅というよりもね。
へー。
うん。
で、2階の方はね、
この主人とか家族の寝室だったり書斎だったりというものがあるんですね。
うん。
ただね、この社交場としての機能を何で持てたかっていうと、
このベーリックっていう人物は非常に特殊な人物で、
なんとね、商人ではあったんだけれども、
当時の横浜のフィンランド国の名誉領事、
日本におけるフィンランドの領事の役目も担っていた人物で、
へー。
兼ねてたんですね。
はいはい。
ですからある意味ここは領事館でもあったっていうものなんですよ。
あーなるほど。
うん。
ですからその1階の方は、
外交の場としてホールとしての役目を担って、
2階に住居があったっていうね、
そういった不思議な建物なんですよ。
へー。
うん。
なるほど。
横浜の魅力と文化
いや面白いね。
だからそういういろんな建築様式とか、
目的に応じた建物が密集してるっていうの面白いね。
そうなんですそうなんです。
こういうのがね、
だから当時の横浜の持っていた非常に面白い国際色であって、
ここはやっぱりね、
今に繋がる横浜のトラデーショナルある意味ね、
魅力になっているわけですよね。
横浜ってやっぱりすごくいろんなね、
国のオシャレな文化が入ってきてね、
それが今でも受け継がれてるってイメージを持ちなんじゃないかと思います。
だからなんか、
俺なんか大雑把に、
西洋の建物がいっぱいあるなって思ってたけど、
こうやって細かく見ていくと違いが見えてきて面白いね。
おっしゃる通りです。
はい。
というね、
なのでこの山上にこういったものがありましたから、
山陸の元町のストリートの方もやっぱりどこかね、
ハイカラな感じのものが流れてきたっていうのは、
非常によく名付けるなっていうのが分かる。
で、これなんて言ったくね、
ここは多少カップルとかもいると思うんですけれども、
港未来のことと比べてすごいゆっくり見られると思いますので、
この山手と元町の歴史を感じる意味でもね、
最適な場所なんじゃないかなというふうに思います。
山下公園の歴史
ちょっとだんだん日も暮れてくるあたりかなと思いますので、
少しね、夜のモードに入っていきたいと思うんですね。
元町公園から階段とかを下っていっていただいて、
15分ほど歩いていただくと山下公園というものがあります。
山下公園はね、非常にデイルトスポットとしても人気なわけなんですけれども、
山下公園には何があるかっていうとね、
覚えてますか、山下公園行ったことありますかね。
まあ目がけてはあんま行ってないかもしれない。
通るぐらいかな。
山下公園というもの自体も、
実はそもそも関東大震災でできてしまった瓦礫を使って埋め立てて作ったっていう公園ですので、
そういうふうな歴史の系譜になってるんです。
だからだんだんやっぱ館内から大和の方で一回全部なくなっちゃって、
それでさらに山下公園を造成して本木の方に来るっていう、
埋め立ての歴史が来るわけです。
この後ちょっと施設を見ながらね、見てもらうといいと思いますが、
山下公園といえばね、一つ象徴的なものがありますよね。
それがですね、日本郵船ひかわ丸ですね。
これ見たことあるんじゃないでしょうか、ひかわ丸。
たぶん目には入ってるな。
俺がたぶんあんま注目してないんだと思うんだけど。
でもあるね。
山下公園の目の前の海の中に経由されているあの船ですね。
あれがひかわ丸です。
これにね、中に入ってみたいと思うんですね。
このひかわ丸っていうのは何なんだっていうことなんですけれども、
当然船なわけですが、このひかわ丸というのは特別な意味を持った船だったんですね。
作られたのが1930年ですから、関東大震災から7年がたって、
横浜もすごい復興して、むしろ横浜のある意味、戦前における最盛期くらいのね、
貿易が特に活発化した時代なんですけれども、
同時にこの時日本というのはいろんな貿易していたわけですけれども、
物を扱うだけではなくて人の行き来というのもね、活発になってきました。
しかしながら飛行機はまだ客船用にありませんでしたから、船で移動する。
その時に太平洋を横断して、横浜とシアトル、
この日本とアメリカを結ぶ船として作られたのがこのひかわ丸だったんですね。
横浜シアトル航路っていうのが、戦前における日本とアメリカの交通のメインなんですけれども、
これの豪華客船でした。
日本を代表する客船としてすごい名高いもので、ソーソータルビップがこの船に乗り込んだわけですね。
有名どころで言うとチャップリンとかが日本に来日する時も当然シアトルからこれに乗ってきましたし、
日本の皇族だったりとか、アメリカの制裁文化人みたいなのも多くここに乗っているので、
ひかわ丸というのは本当にその時代の象徴なんですね。
特にね、日本優先が運航するということもあって、
それまで海外の船舶関与会社が運航することはあったんですけど、
日本がやるっていうので、そこもすごいポイントだったんですよ。
だから日本なりのコスピタリティだったり、海運の強さっていうのを見せなきゃいけないっていうんで、
すごい面白いことをやったんですね、ひかわ丸というのは。
例えばシアトルまで当時すごい日数かかったわけなんですけれども、
当然飽きるわけですよ、普通にやってればね。
単純に船旅やってるとね。 海しかないからね。
ですからこの客船の中には、これは一般的な豪華客船同じですけれども、
もちろんホールもあったりレストランもあったり、遊びね、そういったレジャーみたいなできるのもいっぱいあったわけですが、
中でもやっぱ特にアメリカの人が喜んだというのは、
すき焼きパーティーというものをやったそうで、
特定の日だけは日本の伝統文化である鍋のみんなですき焼き食べるっていうのを船の中でやって、
それが非常な人気を博したそうなんですね。
ひかわ丸というのはそういうわけで楽しいし美味しいっていうので有名になって、
お金も非常にかかるんだけれども、すごい人気を誇った船だったんです。
シアトルってもうすっげー大人気になって、シアトルというのは当時非常に有名な貿易港ですけれども、
アメリカの国内における日本のイメージアップというのにこのひかわ丸は貢献したと。
まだ戦争になる前の日本とアメリカの友好のすごい象徴的な存在でした。
しかしながら当然のことながらその後情勢が悪化していってしまって、日本とアメリカは戦争になってしまうわけですね。
そうすると当然横浜シアトルコールなんてなくなっちゃいますよね。
ひかわ丸は当時船舶が特に不足していましたから、
豪華客船だったにもかかわらず改造されてしまって、戦時中は病院船として太平洋を行き換えます。
つまり傷ついた兵士たちを運ぶ病院、浮かぶ病院としてやったんですね。
ただ当然戦艦とかじゃないですから、病院船っていうのはたくさんあったんだけれども、
ほとんど撃沈されて戦争が終わるまでに、もう生き残った船っていうのはほとんどなかったんですね。
ひかわ丸というのも本当に何でもそういった機器にあったんだけれども、
奇跡的にこれを乗り切って、なんと戦争を生き抜いたんですね、船は。
そうするとただますます戦後になって、もう日本の船なんて6人残ってませんから。
ただ一方でさっきのバンリーの人もそうなんですけれども、
大陸にいる日本の満州に移住した人とか、南洋に置き去りにされている兵士たちどうするのって話になって、
もう急ピッチで総動員して副院船というものをやります。
連れて帰る。 連れて帰る、そう日本国内に。
それに今度ひかわ丸また総動員されて、どんどんそれをやっていろんな人を日本に運んできたんです。
ひかわ丸の特別な役割
その後再び平和な時代が戻ると、やはりまたシアトル航路に着いて、
本来の豪華客船としての役割を担ったっていうね、激動の時代を象徴するような船だったんですね。
すごい長生きな感じするね。 おっしゃる通りですね。
しかも本来になればほとんど生き残ることができなかったはずの時代、その船が。
ただ戦後高度経済成長期になってくると、もう境的に移動の手段というのは飛行機になっていきます。
ですから関運というのはなくなってしまって、1960年横浜シアトル航路の廃止とともに、
このひかわ丸というのもその任を解かれて引退をすることになった。
これだけの船なんですよ。なので結局本来であれば解体されてもおかしくなかったんだけれども、
もう行政民間からの本当に強い要望があって、この船だけやっぱり横浜と日米の平和の象徴だったってこともあって、
保存をしようということになり、山下公園の沖合にその今の渓流保存をされるということになって、
2016年時点では価格戦として現存する中では唯一の国の重要文化財にも指定されている船です。
という特別な船なんですね。現在は一般に博物館として開放されていて、
そのひかわ丸の当時の装飾とかまま残っていますから、実際の客室とかホールとかにも入ることができますし、
ひかわ丸でどんな料理が出されていたかとか、あるいはひかわ丸に乗った人たちの証言とか思い出集みたいなのもたくさんあって、
やっぱり横浜のすごくいい時代の歴史だったり、人々の思いとか当然いろんな出会いと別れがあったわけなんですよね、船の中でね。
そういったものもすごくエピソードを交えて解説されています。
今回そういったわけで歴史旅なのでここに行っているわけなんですけれども、
同時にひとつポイントとしてはひかわ丸の北源、北の方の源に行っていただくと、ちょうど港未来が一望できるんですね。
冬ですから、これ3時45分くらいに入って5時くらいまでいる想定になってるんですけれども、ちょうど横浜に黄昏どきというか、だんだん夜景に変わっていく横浜。
しかし山下公園から見たりするともうね、ダメですから。
一人で見るには。
ですからこのひかわ丸の上のね、源の上からね、それを見て写真に収めるというのでやっていただけるとね、夜景は堪能できるっていうんでいいんじゃないかなと思います。
なるほどね。
なんかよりロマンチックな感じする。
そうなんです。
あんまりバレたくないともしますけどね。
というのでね、歴史をフックにしたこの横浜の景観楽しみ方を見てもらうといいんじゃないかなというわけですね。
はい、編集辞典の内田です。
今回は横浜の歴史を振り返るスポットをたくさん巡ったところで終わりとさせていただきます。
次回は横浜の一人でも楽しめるディープなスポットを巡っていきたいと思います。
通常この番組は木曜日朝8時に配信をしていますが、年内にこのコースを収めたいという都合からですね、状況により個人日時が変更になる場合もありますが、
次回は22日月曜日をめどに配信を予定しております。
随時、Xなどで配信情報を流しておりますので、そちらもぜひご覧ください。
ということで今回はこの辺で。ありがとうございました。
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