鳥取県といってやっぱり、たぶん思いつくことというのが、
日本のね、47都道府県の中で最も人口が少ない県だというのがね、
まあ非常に言われますよね。
はいはいはい。
だからなかなかやっぱり中心市街地の栄え方だったりとか、
あるいはまあ、県全体で見てもやっぱり人口とか活力がないんじゃないかと、
いうふうにね、思われてしまうかもしれません。
で、一方でね、今言ったように水木さん、青山さんっていうすごい偉大なね、作家を輩出されていますし、
あとはまあ農産物の話で言うと、
ラピオもちろん有名なんですけれども、
梨とかね、この後やっぱり鳥取の名産として名高いものなんじゃないかと。
それもなんか社会科で習った気がするわ。
そうそうそう、結構やっぱり農業とか漁業で言うとカニですよね。
やっぱりね、名産品をね。
この辺りはもう、石場総理とかもね、鳥取のご出身でしたけれども、
すごくカニのPIとかね、日本酒も当然美味しいわけなんですけど。
だから確かにこうなんだろう、まあ地味と言えば地味かもしれないし、
なかなか人口も少なくて知り合いもいないかもってことはあるかもしれませんけど、
実はね、ちゃんと解像度を高めて見ていくと、やっぱ非常に魅力的な県でね、
かつ独特なんですよね、鳥取って。
なんかそんな気はするね。
やっぱあの山陰のあたりはちょっとまた空気が違うだろうなっていう感じがするよね。
サインデーとこれまでね、出雲しかまだやってませんから、
割と久々になるんですけれども、やっぱりあの日本海に面したあの感じ。
特に鳥取は砂丘もあってね、弓ヶ浜なんて有名な砂浜もあったりしますけど、
ちょっとまあ錯覚とした寂しげな感じもあるかもしれないけど、
そこからこうもたらされる恵みっていうのは非常に大きいですし、
かつそういうね、今回タイトリーもあるんですけど、
そういうまあ特殊な風景というものが、この鳥取に何を育んだのか、
どういう人物を排出したのかっていう、
ちょっとまあ歴史寄りの割とテーマになるかなというような気がしてます。
ただですね、鳥取県と一口に行ったんですけれども、
例によってね、これね旧国名で見ると実は一つじゃなかったんですね、鳥取というと。
今回は実はもう鳥取県の西部にしか行きません。
東部、これ鳥取市があるのは東部なんですけど、
鳥取市とかは一切出てこないです。
なるほど。
鳥取はですね、江戸時代までは稲葉の国と宝起の国という二つに分かれていました。
稲葉というのは、稲葉の白うさぎなんていうね、
説話があるというのは有名かもしれませんが、
稲葉は東側なんです。
今は鳥取市を中心とした地域が稲葉の国でした。
稲葉の国は今回行きません。
今回行くのは西、宝起の国というところなんですね。
宝起というのは、人米に白と書いて白石の白と書いて宝とこれを読みます。
木というのはオイルに火かなっていう、
僕もこの宝起の木以外はなかなか見ない字なんですけれども、
これで宝起という国があったんですね。
ちょっとあんまり聞きなじみはないかもしれない。
そうでしょうね。
日本の旧国名69つなんかでもかなりマイナーな方に正直ね、
該当してしまうとは思うんですけども、
あえてやっぱりここは音たべ流に県とかで括るんじゃなくて、
ちゃんと地域性とか国ってものを括ったときに、
どういったこの宝起の特殊が現れるか。
そしてさっき言った漫画家のお二人はどちらも宝起の出身なんですね。
そうなんですね。
うん。鳥取湖南空港はありますけれども、
あれは稲葉の国にあるんですけど、
宝起の中でもかなり東側で稲葉に近い方に青山さん生まれていらっしゃいますので、
それで稲葉の方の鳥取空港になってるんですけど、
二人ともご出身は宝起の国ですね。
うん。なので今回は宝起の国の中の中心都市である米子市、
これ鳥取県が第二の都市ですね。
と、倉吉市、これも非常に鳥取中部の一番勢力のある都市で、
これも宝起の国ですね。
と、そしてこの二つの都市が取り巻くようにしてある、
宝起の国のもう象徴、シンボルですね。
これを巡るんですけれども、これこそが大戦ですね。
大戦、これ教科書に絶対載ってるはずなんですけれども、
地理の教科書に。
大きな山と書いて、これ以前ね、相模の伊勢原の大山というのがありまして、
全く同じなんですけど、大戦という山です。
中国地方における最高峰、日本を代表する名山の一つですね。
この大戦というものがどういう文化を宝起の国に届かすかっていうことがね、
一つのテーマになると思うんですね。
もうちょっと今の時点ではだいぶミステリアスな感じがしますね。
ちょっと馴染みがあんまりないかもしれません。
関東の方とかからするとね。
ただちょっとね、そういった親しみやすい漫画の話とかもしつつ、
ぜひこの宝起の国どういう意味を籠っているのかというのをね、
ちょっと2泊3日で驚きしたいというふうに思います。
ということでね、早速コースの方に入っていきたいと思うんですけれども、
この宝起の国の旅の出発点は、例の米子北郎空港です。
ここはね、ANAしか通っていません。
JALが就航していないんですね。
なので宝起の国に行くにはこの米子北郎空港が一番いいんですけど、
どうしてもね、JALのマイルとかで行きたいよという方がいらっしゃいましたら、
稲葉の国にある湖南空港、鳥取湖南空港か、
出雲市にある出雲空港。
ここまでJALが通っていますので、
どっちからでも同じくらい1時間くらいの距離にありますから、
だいたいそこに行ってもらってもいいかなと思います。
まあでも1時間で行けるんだね。
割と近いですね。
ですが、やっぱり一番ベストは米子北郎空港ですので、
ANAに乗ったという前提でお話をしたいというふうに思います。
今回もちょっと車を使いますので、
北郎空港で車をまずピックアップをしてください。
レンタカーですね。
だいたいお昼の11時半頃に米子北郎空港に着いているという想定で、
早速この宝起の国に入っていくわけなんですけれども、
まず例によってお昼をちょっと食べに行きたいというふうに思うんですね。
空港から約15分ほど米子の市街の方に入っていってください。
東側になりますね。
そこにあるのがですね、麺屋無双さんです。
ラーメンですね。
はい。
いかがでしょう。
鳥取県のB級グルメとして一つ有名なものがあるんですけれども、
ラーメン。
ラーメン?
はい。
あれ全然イメージないな。
うん。
これね、鳥取のこの宝起地方のB級グルメなんですけれども、
牛骨ラーメンですね。
へえ。
うん。
ああ、なんかうまそうだなあ。
うん。
ああ、結構油も浮いててね。
はい。
食べ応えありそうな感じですね。
そうですね。
うん。
ああ、いいね。ちじれ麺でね。
うん。
へえ。
へえ、おいしそう。
食べるとこありますかね、牛骨ラーメン。
いやあ、なんだろうね。
なんかどっかの焼肉屋とかで食べたことあるのかな。
焼肉屋の確かに締めとかね、あるところあるかもしれないですね。
なんかありそうですね。
絶対もう、まあ多分その鳥取のっていうことではないと思います。
はいはいはいはい。
ちょっとじゃあ牛骨ラーメンのね、まあ話をしていくわけですけれども。
はいはい。
あの、実はこの辺りからもうね、伏線がいろいろ張られてるんですけれども、
なぜ鳥取に牛骨ラーメンがあるか、まあそもそも牛骨ラーメンとは何かということなんですけれども、
まあ我々ね、福岡に行った人間とかからするとやっぱりね、豚骨ラーメンがね、デフォなわけですよね。
まあそれはメジャーだと思うんですけど、
牛骨ラーメンはその名の通り、牛骨と牛脂を使った牛の成分でもって出汁を出したラーメンなんですね。
で、割とね、単冷系なんですよ基本は。
なんだけど、まあ今油が浮いてる話しましたけど、やっぱり牛脂のね、甘みっていうのが非常に濃くて、
甘いんですよね、ちょっとね。
ベースは塩なんですけど、塩ラーメンの中にちょっと何か不可解な甘みがあるっていうのはね、
牛骨ラーメンの感じで、癖になるんですよね。
なんか独特な甘みがあるんですよね。
で、それにまあちじれ麺と、あとまあネギだったりとかね、そういったものを乗せたっていう、割とシンプルなラーメンになりますね。
綺麗ですよね、写真で見るとね。
そうそうそう。すごい整ったね、コンパクトなラーメンだなっていう感じはすると思います。
でね、実は、これは後々話す事情によって、鳥取というのはね、この牛というものとね、非常に大きな関係を持っている県なんですね。
とにかく宝起という国はそうだったんですよ。
昔からこの宝起の国には牛が多く生きかっていて、牛を育てる人が多かったっていう理由があるんですね。
そういったところからこの牛骨ラーメンは発祥したというふうに言われています。
ただもっともこのラーメンとしてちゃんと食べるっていうのは戦後になってからの話らしくて、
この世の後にあるラーメン屋さんがオリジナルレシピとしても開発をして、
それを地元の新聞社の広告に載せたっていうところが、歴史上に見られる牛骨ラーメンの発祥だというふうに言われる。
これ戦後間もなくの話。
で、ただやっぱり牛骨ラーメンって我々としてもなかなか食べる機会がないなっていうのはその通りじゃないですか。
けどね、どうもこれは本当かどうか知りませんが、この宝起の国の人たちは牛骨ラーメンが全国区だと思っていたと。
なるほどね。
いろんな観光地と牛骨ラーメンを掛け算した。
海景温泉サイクリングとラーメン在米とかっていうモデルコースを作ってくれてるんですよ。
なるほど。じゃあこれ見て追っていけば、観光と一緒に牛骨ラーメンも食べれる。
そうです。ほうき地方の観光モデルコースがまさにここに詰まってる。
へー面白いね。
でまあね、この仲間たちを見ていただくとですね、こんなにあるんですよ。
あーお店がね並んでるわけね。
そう、牛骨ラーメンを提供している夜名護市のお店がね、ぶーわーって並んでるんですよね。
あーすごいすごい。
だからそれぞれもちろんいろんな創意工夫があってね、一概には言えないかもしれないんですけど、
やっぱり牛骨と牛骨を使ったあの甘みのある独特のスープを、夜名護においては非常に当たり前なラーメンなんですよ。
でまあ無双さんはその有名店なのでね、今回紹介してるんですけれども。
はい。
これ写真見てると結構見た目違いますよね。
そうですね。
やっぱいろんなバリエーションがあるんだろうね。
そういうことです。
なのでね、まあ無双さんは非常に美味しくて、最初の一杯にはいいんじゃないかなと思うんですけれども、
ご自身でそれぞれいろんな牛骨ラーメンを食べてね、お気に入りを見つけていただくのもいいんじゃないかなと。
けどまあラーメンなんてさ、そんな1日にね、何杯も食べれないよと。
まあそうね。
ハッシュロイヤルさんはすごいけどね。
あの人すごい。
まあ普通はね。
そうそう、普通はね。
で、そういう時にどうしたらいいのかという中で、このリストの上の方に行ってもらいたいんですけれども、
ここにね、「半玉ラーメン取り扱いあり?」っていう欄があるんですよ。
これね、今回ご紹介している無双さんはないらしいんですけれども、
夜なごろのこのラーメン屋さんのいくつかの店は、
ラーメンをはしごして欲しい。
牛骨ラーメンをはしごして欲しいという思いを持っていらっしゃるので、
半玉であえて提供してくれるミニラーメンがあるんですね。
これをやっていただくと、お昼ご飯を2店舗、牛骨ラーメンを味わえたりもするかもしれないねということで、
そういった工夫もあって、牛骨ラーメンをいかにこのタッチポイントをね、
増やしていくっていうのをこのミッションに掲げていらっしゃる方々なんですよ。
なるほど、それだったらまあ2、3件はいけるかもね。
そうそうそう、そんな感じですね。
面白いね。
この無双さんに関して言えばね、やっぱり牛骨ラーメンの王道を行く有名店になっているので、
やっぱり最初っていうので一番いいかなと思ってます。
半玉はないんですけれども、僕は半チャーハンみたいなのを食べたんですが、
それもやっぱりちょっと出汁に多分牛骨のエセスを加えているんじゃないかなっていうので、
独特の美味しいすごい味わいなんですけどね。
ラーメンもね、油がね、牛脂が気になる方いるかもしれませんけど、全然重くないんですよ。
基本的に結構軽め、単麗系、あっさり系のラーメンなので、
その点で言うとね、あんまり嫌いな人っていないんじゃないかなというような気もいたしますね。
まあベースは塩だからね。
そうそうそう。
いやいいな、美味しそうだなこれ。
なのでいつかこの同盟がね、目的を果たして全国になる日も来るかもしれませんが、
まあそれ以前に鳥取、特にほうき地方なんですよね。
はいはいはい。
与那吾近辺にはめちゃくちゃ多いので、ぜひやっぱり一色はこれに当ててほしいなと思うわけです。
広まってほしいなこれ。
そうですね。
で、この日はですね、もう与那吾の市街に泊まります。
なので与那吾の市しか行きません。
それぐらいまあやっぱり与那吾、県下第二のとして大きい町ですので、ゆっくり見ていきたいというふうに思うんですね。
で、そこでね、お昼ご飯で腹ごなしできましたら、
車で10分ほど南の方へ行っていただいたところに、与那吾市の中心部があります。
で、この与那吾市中心部に与那吾市役所があるんですけれども、
この市役所を隣接する感じでね、駐車場があります。
これから行く文化施設は、この与那吾市役所の駐車場と提携をしていますので、
文化施設に行っていただくと、そこで駐車券をもらえるんですね。
なので、与那吾市役所の駐車場に泊めていただくということが大事になってくるという感じです。
なるほどね。
2時間無料かな、だったと思うんですけれども。
なので、与那吾市役所に泊めていただくのが一番おすすめです。
そしてね、市役所からもう端向かいにある、なので徒歩1分くらいのところにあるんですけれども、
与那吾市立参院歴史館というところに行きたいというふうに思います。
はい。おー、なんか学校みたいな建物ですね。
そうですね。赤レンガのレトロな感じのね。確かに大学の高等みたいに思われるかもしれません。
結構ドーンとしててかっこいいですよね。
これが参院歴史館になって、これ実はね、昭和5年と言いますから、1930年、約100年前ですね。
に建てられた旧与那吾市役所の建築家なんですね。
与那吾市役所は今もう端向かいの新庁舎に移転しているんですけれども、
その旧庁舎も今は歴史館として活用されている。というのがこの参院歴史館になるんですね。
なるほどね。それでこの重厚感なわけね。
そういうことです。余談ですけどね、学校みたいって言いましたけど、これを作った佐藤光一さんという方は、
早稲田大学の理工学部の建築学科を作った人で有名で、
早稲田大学ご存知の方は、大隈高堂というシンボルでありますけれども、
あれを設計した人です。
なんとなくだからちょっとね。
ちょっとね、この赤レンガの感じが共通してますよね。
してますね。大隈高堂と非常にちょっと共通してあると思います。
そういったことでも非常に有名な人です。
そしてこの参院歴史館について言えば、
米後市のやはり歴史に主にフィーチャーしていて、
米後は後々行くんですけれども、有名なお城があるんですね。
なのでこの米後城に関する話というのは結構含まれていて、
あとは企画展が時期に応じてあって、
僕が行った時は米後の街の水道とかの話だったんですけれども、
結構マニアックな都市の発展史みたいなものを企画展として扱っている。
お城をメインにした常設展と企画展、それぞれ見ていただけるといいんじゃないかなと。
この歴史館を通してわかることではあるんですけれども、
米後はね、お城があったんです。
城下町だったんですが、
特殊な城下町だったんですね。
これは、
自分手政治といって、
米後は鳥取藩の一部だったんですけれども、
理事を認められてたっていう異常な都市だったんですね。
これは異例なんです、すごく。
これは鳥取藩というのの特殊性にもあるんですけれども、
鳥取藩、稲場の飲酒藩というのは、
以前ね、岡山でも出てきましたが、
池田家のものなんですね。
甲羅県を築いた池田一族いますけれども、
あの時話しましたが、池田家というのはすごいところで、
岡山鳥取って山陰山陽を全部池田家が治めたっていう時期があって、
微前藩、岡山藩と飲酒藩、鳥取藩を池田家っていうのは、
兄弟の関係で分解されてるんですけれども、
別の藩なんですけど、池田一族がどっちも治めてたっていうところなんですよ。
鳥取藩は今の鳥取県を全部治めてました。
なので、稲場の国に藩町、鳥取市が本居なんですけど、
鳥取市を本居に、稲場、鳳岐を全部治めてたんですね。
ただ、鳳岐の国ってもともと別の国ですから、
それなりに分けて分治する人があると思って、
荒尾多島っていう一番の筆頭がろう、鳥取藩筆頭がろうに夜名号を預けたんですね。
だから、お殿様は明確にはいないんですよ。
お城はあったんだけど、それを預かっている上代っていう家老が治めている感じで、
その藩主はいないんだけど、
藩から委任されたお殿様っぽい家老みたいな人が夜名号を治めてるっていう感じで、
明確なこの武家の強い支配力が薄かった場所ではあったんですね。
お殿様がいなかったんです。城はあるのに。
部長代理みたいなこと?
そうそうそう、部長代理がずっと治めてる国だったんですよ。
鳥取藩は蔵吉と夜名号を自治都市にしてるんですけど、
それぞれ鳥取藩が稲場から全部長い東西の道を通って伝達の大変だから、
荒尾はある程度信用してるので、
荒尾家は自治をしていいと言ったんです。
放棄は任せますって言ったから、
結局荒尾家は自分手政治っていうお殿様に命じられた自治運営をしたことで、
お殿様っぽいんだけれどもお殿様じゃないっていう中途半端な感じ。
けどその分商人たちの力が他の城下町と比べて強いんですよ。
自治都市だったんです。っていうのが夜名号だったんです。
やっぱその船のアクセスもめちゃくちゃいいし、
めちゃくちゃ強いお殿様がいるわけじゃないから、
商人たちが駆けつくと。
そういうことです。
ということで、商都になったわけです。
歴史を考えれば江戸時代は自分手政治でやってたんですけれども、
実は夜名号の放棄の国っていつもそういった立場に置かれることが多くて、
わりとすごい大遼国の中の一のパーツっていう感じだから、
放棄の国っていうものを史上めちゃくちゃ強い代名を本拠にして治めたってことはないんですよね。
だからちょっとマイナーになっちゃってるかもしれません。
なるほど。
隣の出雲の国には例の天子恒久がいますので、合山戸田城のね。
これが3位を支配してたので天子氏の遼国の一つになっちゃってたんですよ、戦国時代は。
出雲の族国と言ったら失礼ですけれども、天子の一部になっていた。
それまでの室町時代は山名という応仁の乱の西軍の総大将ですけれども、
あれは田島の国、それこそ牛若さんがいる豊岡ですが、
あそこを本拠に参院の大部分を収めてたので、
その山名氏の超巨大領国の一番西の端が与那子だったんですよね。
今度は出雲の天子が勢力を持ってくると、出雲を中心とした参院世界の一のパーツになったっていう感じで、
宝起の国に巨大な勢力が現れたことはないんですね、史上。
ああ、なるほど。
それは江戸時代になっても鳥取藩の稲場に収められる国だったっていうのが、これが宝起だったんですよ。
はあ。
まあそうか、だからそれで書き継いだ部分もあるけど、
そういう強力なシンボルみたいな人が出てこない。
出てこない。
なるほど。
実はね、ちょっと余談なんですけれども、江戸時代の最初の30年間くらいは、
この宝起の国、与那子藩っていうものが明確に一個あったんですよ。
これ中村一忠って人、これが関ヶ原当軍に就いたので、家康から認められて、この宝起の国に一個個与えられたんです。
はいはい。
だから中村家が唯一、この宝起を独立して治めていた国だったんですよ、最初の方。
で、これが本家を与那子城に置いたんですね。
なので最初は中村の城下町としてあったんですけれども、
この中村家っていうのはなんかね、ちょっといろんな問題があって、
藩主がまだ10歳とか小学5年生6年生レベルの人だったんですよ。
で、当然こんなのに政治はできないから、家老に横田内善っていう人がいて、
うん。
これが嫉妬がろうとして藩主を支えてたんですね。
中村一太だっていうその小学生ぐらいの藩主。
ところがこの中村一太だっていうのはいろいろ、ちょっとトンチンカンってこともあって、
横田内善が家康のお気に入りだったっていうのが嫌だったのかもしれないんだけど、
ある時、この横田内善は無本というか、いろいろ自分をないがしろにしてるっていうふうに、
別の家臣から吹き込まれて、与那子城で横田内善を殺してしまうんですよ。
その10ぐらいの子供が?
うん、14ぐらいになってたんですよ。
はあ。
で、横田内善っていうのはめちゃくちゃ迷家狼で、
すごい精子の昭和に長けてて、与那子の発展っていうのもこの人が気づいたところがあるんですね。
しかも家康につきましょうって言ったのがこの人だったんですよ。
はいはいはい。
だから徳川家康もすごい信頼を置いてた人で、
中村一太だってまだ小さくてちょっとダメかもしれないけれども、
横田内善が後ろにいるなら皇帝は安泰だろうと思っていた。
その横田内善を他の家臣が嫉妬して、残言、要は畜っていろいろあることないことを畜った、
それを親父とお殿様が殺してしまったんですよ。
で、そうすると当然のことだから問題が起こるわけですよね。
しかも悪いことに横田内善は非常に人望があった人物だったとも言われていて、
いろいろ圧案を振るったんで反感も買いやすかった人らしいんですけど。
ああ、なるほど。
以前ちょっと僕が共和旅の話で話した野牛一族というものが、
謙吾をね、鬼滅の刃とかにモデルになっている謙吾を得ますけれども、
その野牛一族も横田内善にお客さんとして異相論みたいなのをしてた人がいて、
っていうぐらい横田内善っていうのは名士だったんですよね。
その内善が死んだっていうので、その子供とかめっちゃ怒るわけですよ。
しかも無実の罪で殺されたみたいな。
っていうので怒って、夜名護城の隣に山があるんですけど、
その山に横田一族が立てこもって、
なんとね、戦いを始めちゃうんですね。夜名護の死骸地で。
お殿様と横浜郎の家が。
っていう本当にみっともない話をやり始めちゃって、
しかも横田一族につくのが、その野竜を筆頭に結構な人物がついちゃうんですよ。
野竜ってのは戦のプロですから、みんなお殿様もビビるんですよ。
野竜がいるって。
なって仕方ないから、その時出雲の藩主が堀尾義晴って言って、
これも中村和氏ってお父さんの友達だった人なので、
すごい仲が良かったんですよ、中村とね。だから堀尾に援軍を頼んで、
出雲の国からわざわざ兵を出してもらって、
それでどうにかこうにかこの野竜だったり横田っていうのを治めたっていうのがあって、
っていうことが起こっちゃったんですよね。お家相当ですよ、はっきり言って。
結果、お殿様側が治めた。
だけどESからしたら非常にこれをニガニガしこむわけですよ。
そうだよね、信頼してた横田側がね、沈められちゃったわけですよね。
だし、そもそも藩主が堀尾を殺すなんていうことを。
だし、ESからのすごい親人懐かった横田をね。
っていうので、いろいろ問題になって、結局中村和太田はその後20歳くらい亡くなってしまって、
その後子供がちっちゃいのはいたんだけれども、
あまりもう多分中村家ってものに対して徳川がもういい印象を持っていなくて、
その後にね、後を継ぐと認められなかったんですね。
それによって中村家はお取り潰しになってしまって、
それで夜なご飯というのは、その後わずかに加藤という別の代表が一瞬入るんだけど、
その加藤もすぐ四国に移されてしまって、夜なご飯というのは消えてしまったんですね。
で、結局鳥取藩の一部になってしまった、っていうことがありました。
だから誰かを代わりに入れるっていうこともなかったんですね。
そうなんです。入れてもよかったと思うんだけど、
同時並行的に池田家の火災整備みたいな話があって、
池田家もね、結構複雑なんですよ。
これはもういつか鳥取の話をするときにやりますけれども、
岡山と鳥取は元々兄元弟が逆だったんです。
けど、兄の方の君主が兄が早く死んだって、また結局子供が藩主になっちゃったっていうんで、
これはまずいっつって、岡山の方が大事だってその時思ったらしくて、
国を交換したりしてるんですよね。っていう複雑なことがいろいろ起こっていて、
でも池田っていうのは家康の向こうでもある超立派ですから、
それを稲葉一国じゃ全然まかないといけないと、その待遇に。
ちょうどほうきがゴタゴタやって横浜になっちゃってるから、もうまとめちゃおうと。
稲葉を中心にした鳥取藩っていうのができちゃってる。
ほうきは稲葉のバックアップをしようっていう風になっちゃってるんです。
ちょっとタイミング的にまとめられちゃったと。
そういうことです。そもそも中村が家康を起こしたのが悪いんですけど。
そういうことがありました。
これは与那吾騒動といって、江戸時代初期の御家騒動で有名な話です。
それが舞台になったのがこの与那吾なんですね。
ちょっといろいろ時代が前後しましたけれども、ともかく
結論としては、江戸時代を通して与那吾というものは、稲葉藩、
飲酒藩、鳥取藩の一部になりました。そのために自治都市であったから
商人が逆にめちゃくちゃ力を持った国。
っていうので、商都としての向きが今で言うのは今残ってるんです。
ちょっとなので、その街並みを見ていきたいというふうに思います。
与那吾市立参院歴史館から、例の市役所の駐車場に戻っていただきまして、
車をピックアップしましょう。そこから車で3分ほど行ったところに
与那吾町中観光案内所っていうところがあるんですね。
そこに駐車場がありますから、ここに車を停めてください。
そうしましたら、この辺りがいわゆる与那吾の昔からの城下町、商人町になっています。
これをちょっと町歩いて押してみたいと思いますね。
ぜひ情景を見ていただければと思いますので、これを見ていきましょう。
またこの町の中に水路がある感じですね。
おそらく昔の蔵である建物が脇に並んでたりしますね。
ちょっといい感じの田舎感というか、落ち着いた感じがありますよね。
ノスタルジックでいいですよね。
今見ていただいた通り、この水路があって、そこに蔵屋敷が立ち並んでいるんですよね。
これも江戸時代から昭和ぐらいにかけての蔵屋敷になっているわけですけれども、
これを見てもらうとわかる通り、これまで蔵は使ったこと何度かありますけど、
こういうのを建てられるってのはどういうことかっていうと、
すごい富を持った有力な商人が多かったということなんです。
かつこの水沿いになぜ建てたのかってことなんですよ。
まあすぐ出荷できるように。
そういうことなんです。この運河は今鴨川と言われているんですけれども、
もともとは江戸時代に運河として人工的に作られたものなんですね。
これ何で作られているかというと今言った通りで、中海から水を引き込んでるんですね。
だからこの水路を西に行くとすぐ中海に出られるんですよ。
そうやって中海の物流の中に入ることもできるし、
そっから境港の方を通じていけば日本海に出ることもできたわけですよね。
っていうのでまさに商業の要になったっていうのが、
この鴨川でありこの蔵屋敷であるというのは今も自明の理なわけです。
今はこの蔵屋敷とかは民家になっていますから、そんなに中に入ることはできないんですけれども、
この水路沿いを、やっぱりこの蔵を立ち並ぶ街並みを散歩するというのは非常にいいと思うんですよ。
わりとゆったりと歩けそうな感じではありますよね。
そうなんですよ。で、水路の太さ、細さもいろいろあって、
細いところに行くと本当に飲食店とか連なっている感じで橋とかもたくさん架かっていて、
民家に一つ一つ橋が架かってるみたいな。そういったちょっと風情がある街並みなわけですね。
花が咲くと書いて笑いと読むんですね これがさっき写真入れてるものなんですけれどもこれちょっと写真見てみましょうか
これ周り居酒屋とかあるんですよ普通 隣の店暴れだよさんってこの居酒屋街の中にねお地蔵さんがいるんです
これお地蔵さんにしてはちょっと大きめ?そうですね結構大きいですね でまぁその他にもちっちゃいのがねもう3体ありますね
これねこの笑い地蔵についてはさも古い町だから古いように見えるんだけど これね昭和の戦後に入ってから建てられたものなんですね
1984年に建てられたものなんですね 結構最近ですね 夜名古の地蔵振興っていうのはもうそのレベルなんですよ
だから近代現代においてもすごくね市民の中に息づいていて 夜名古屋っていうのはちょっと離れてたところにあるんですけれども
その辺ちょうど同時期はこれからいよいよバブルという感じですから 近代的なビルとかがすごい今でも結構都会なのでね
ある中でそういう中でこの昔の街並みの人たちがね あえてその時代に地蔵を建ててるんですよね
っていうもので あとはその今ね傘を刺している写真があったと思うんですけどこれとかもヨドエ傘って言って
こう夜名古の特産品で夜名古は雪がたくさん降りますから その雪が積もんないようにつって地元の人が傘をわざわざ作ってあげてね
刺してあげてるんですね もう絵本の世界ですね そうそうそう傘地蔵の世界ですまさに
これが普通に居酒屋のたたなかにあるような感じなんですよ
いやちょっとすごい数あるな これだからねなかなか夜名古って観光地として見られてないと思うんですけれども
ちょっとこういった日本遺産だったりとか仏教とかそういった人文系の歴史に興味がある方は 夜名古を歩いてるとこの街の異常性に気づくと思うんです
そしてこれがなぜ生まれたのかっていうのはちょっと翌日お話をしたいというふうに思います
なので整理するとですねこの鴨川のあたりをゆっくり歩いていただいて 街中観光案内所は中に入っていろいろ買い物とかもできるんですけれども
この昔の街並みの中を歩きながら そしてこの地蔵信仰というものを肌に感じてほしいんですね
これがどうしてここに現れているのかっていうのを ぜひちょっといろいろ頭に留めながら考えていただきたいというふうに思うわけです
はい
ただ一方で夜名古というのは小都になってはいるんですけれども 観光地であんまりないのでこれ以上に何かすごくいろんな観光地があるかってそうでもないんです
最後にどうしてもお城にはいくんですけれども 一旦ここでなので街中を離れて少し郊外の方に行っていきたいというふうに
ただ一方で夜名古の観光というと多分一番有名なのが次行くスポットになるんですけれども
夜名古町中観光案内所から車で15分ほど 名谷無双さんの方に戻っていただくんですが そこにあるのが海茎温泉ですね
いやこれまた読めない感じですよね はい
みんな生きるで海茎温泉なんですね そうです これは何読知名として旅行会社の人とか多分研修とかでやるんじゃないか
へえ これ非常に有名な温泉地ですね西日本の
これが夜名古の駅からせいぜい15分で行けるところにあるんですよ温泉が
へえ うん ちょっと海茎温泉で画像検索してみましょうかねどういった温泉地なのか
すごい海の写真が出てきますね はい
ああでもう海沿いにね結構高めのこのホテルが建ってて めちゃくちゃ窓がでかい温泉の写真とか出てきますね
へえ まあやはり海のそれこそ旅先シミュレーターで中国四国地方海温泉で出たらまあここでしょうね
ああなるほど うん海茎温泉は海の温泉です
へえ 目の前にこの海茎海岸っていう砂浜ビーチが広がっていて海水浴場も実際オープンします
うんうんうん 目の前にねこのホテルが建っていてほとんどのホテルがおそらくねこの大浴場は露天でその海側を向いていて
はい 海を一望しながらねこの温泉に浸かることができるというものなんですね
いやこれ気分良さそうですね はい
でまあねこの海茎温泉まあなかなか読めないねって話もありましたけれども
はい そもそもはねこれ字としては海の池と書いて海茎と昔は言っていたそうです
中世の時はそういうふうに読まれていた書物があるそうです
はいはい それがやっぱり海なんですよ
なるほどね でただねここに温泉が見つかったのは明治時代初期にこのね地元の漁師さんとかが
スモグリの漁師さんとかたぶんいたんじゃないかと思うんですけど
海の中からなんか湯が湧き出しているっていうのを偶然発見して
それでいろんな人がまあ調査をした結果ここに温泉があるということがわかった
そして掘ってみるとこのまあ海底からもちろん出てくるし浅瀬からも出てくるっていうので源泉が続々と見つかって
割と近代になってから生まれた温泉なんですね
へえ そんななんか潜ってわかるぐらいだったらもっと早く見つかってそうだけどね
うん で実際ねこの海峡温泉はまあ砂浜がすごい綺麗なわけですけれども
これはもともとこの宝起の山合いの方ではタタラ製鉄っていって製鉄業者がいっぱいいたんですよね
それこそあの以前岡山の時もちょっと話しましたけど
中国産地のその山合いまず岡山の北と鳥取の南ってちょうど隣り合ってるわけですけども
あの辺はそのジオロジカルな感じで製鉄だとか刀を作っていた人がいっぱいいましたよね
ああいう人たちがいっぱいいたんですよね
彼らはその山の上の方でタタラ製鉄をしてそこで出た土ぼこりみたいなものを川に流していた
そうするとそれが川を下って夜長野市街を下ってきてそれが海に堆積する
そして砂浜ができるこういうロジックでこの海峡温泉っていうのは発達していった
じゃあある種人工なんだ そうそういうことなんですよ
ただそうすると要はタタラ製鉄っていうものの需要が低減してそれを担う人がいなくなってくると
砂浜が要はできるようがないんですよね
それがだんだん海によって侵食されてしまっているっていう中で
もうその時には既にリゾートとして開発をされていましたから
地元の勇士たちがこの海岸の護岸活動というのを必死にやって
今この景観が保たれているという感じなんですね
はい
はーいやいいね
この日はね天気もすごい恵まれたんですけれども
うん
本当にこの中海のこの入江の中をね貫くようにね
オレンジのロードがすごい凛々とこう輝いてますよね
うんうん
でこう東側の方にねちょっともう薄く紫色に暮れつつある与那郷の市街と
向こうに見るのは境港と見本関もうあちら島根県ですね
はー
うん
はー
これが見られるんですよ
いやいいね
うん
うんまあだから素人とは言いつつも
うん
まあちょっと展望台的にこう楽しむって感じだよね
そうそうそうそうだからさっきの与那郷総統の舞台とかにもなっているから
うん
もう一つの県地から見てもすごい価値のある城で
はいはい
そういう意味でこう意向を探るのももちろんいいんですけど
うん
例えばまあ2,3人で行って誰か歴史興味ない人いたとしても
このオレンジロードとかに合わせて行ってもらうと
もうシンプルに絶景スポットとしてめちゃくちゃね
うん
はまるんじゃないかという気がするんですよ
なるほど
うん
今日ここに城あったらすごい良いよね
いやそうねすごい殿様いい景色をたぶん見つかったと思うという気がしますよね
へえ
うん
これ結構感動しますね実際見てみるとね
なのでまあぜひねまあ早起きできる方はダイヤモンドをね
ダイセンにチャレンジしてもらってもいいと思うんですけども
あははいはい
まあ少なくとも夏場のあたりはこのオレンジロードが出ますので
うん
ぜひねこれはあのあえて城跡なんですけれども
4時半ぐらいから登り始めるっていうのは僕のオススメですね
はいはいはい
夕方から日没にかけて狙っていくということです
なるほど
はい
ああ
うん
でまあこれを見ていたらまあ実際僕もそうだったんですけど
もう6時6時半くらいまで多分全然見てると思いますから
うん
この後ね今日夜名古屋に泊まりますので飲みに行きたいと思うわけですね
はい
で夜名古屋はねざっくり言うと駅前と国道9号線沿いっていうまあ要は市役所とかあるあたりですね
うん
っていうの二つにエリアが分かれていてこの間に繁華街が結構あります
はいはい
でホテルはだいたいJR西日本の夜名古屋駅の近くにありますので
うん
もう参院でも有数の都市になりますからビジホとかであれば困ることはまあまずないというふうに思います
うん
でホテルは今回特に指定しませんが夜名古屋駅近くのホテルにチェックインをしていただくっていうので
6時くらいの目安にしてもらえればいいんじゃないかなと
はい
でまあ夜名古屋を飲みに行くわけですけれども
うん
ちょっとねまず0時くらいからちょっと始めていこうというふうに思うわけですね
はいはいはい
鳥取のお酒でやっぱり一番ね飲みたいのはやはり僕は日本酒なんですよ
冒頭でも言ってましたね
はい日本酒非常に美味しいお酒が揃ってます鳥取県で
これをね飲みに行きたいと思うわけで夜名古屋駅のホテルからちょっと15分くらい歩くんですけれども
どっちかというと市役所の近くなんですが立ち飲み男山さんにね行きたいと思います
うん
なんか割と綺麗な店内ですごい数瓶あるな
すごいですよねこれね
えー
なんか壁のラックにねもうなんか展示みたいな感じで瓶が並べられてますけど
うん
すごい数あるねこれしかもこれだけじゃないんですね