1. 大人になりたい旅がしたい
  2. #106-1【茅ヶ崎】忘られぬメロ..
2025-06-05 48:46

#106-1【茅ヶ崎】忘られぬメロディラインPart2前編

忘られぬメロディラインーーー歌え、10代。南風とともに。ーーー2日目前編


神奈川県は“湘南”の地域を代表する茅ヶ崎。広大な相模湾に晴れやかな気分が重なるこのまちは、数々のミュージシャンを生み出した、日本有数の“ミュージック・シティ”でもあります。明治以降の長い歴史に渡って受け継がれた、このまちの文化の遺伝子を探り、日本人の誰もが口ずさむ“メロディライン”誕生の秘密に迫ります。


【目次】

〜 花粉症の対策を見つけました!

〜 見つけたときに感動しました! ボリュームたっぷり相模湾の朝定食 【かつみの朝めし】

〜 茅ヶ崎の誇る文化と芸術の結晶 【茅ヶ崎館】

〜 ★歴オタ話★ 九代目市川團十郎の茅ヶ崎移住 文化芸術の系譜の創始

〜 ★さらに歴オタ話★ 世界に誇る映画を生んだ 茅ヶ崎館“二番の部屋”

〜 一世を風靡した川上音二郎がもたらす音曲の響き 【高砂緑地】

〜 茅ヶ崎の風土を体現した建築と美術を鑑賞 【茅ヶ崎市美術館】

〜 茅ヶ崎に流れ込んだアロハ文化の代表格 【K-OHANA'S】

〜 編集時点の内田です。次回もお楽しみに!


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⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠音楽:BGMer(⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠http://bgmer.net⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠)

サマリー

このエピソードでは、茅ヶ崎を舞台にした深い国内旅行のモデルコースが紹介されており、茅ヶ崎館や地元の食材に特に焦点が当てられています。また、地元のミュージシャンや観光スポットの魅力についても語られています。茅ヶ崎館は映画の聖地として知られ、1899年に創業しました。市川断十郎や小津康二郎の影響で、演劇や映画界の重要な拠点となっています。このエピソードでは、茅ヶ崎館と小津康二郎監督のつながりや、その執筆室の重要性が紹介されています。また、川上音次郎が住んでいた高砂緑地に関連する音楽の歴史についても触れられています。茅ヶ崎の文化や音楽の歴史について掘り下げ、特に山田光作の「赤トンボ」とそのメロディの起源に焦点を当てています。茅ヶ崎市美術館やハワイとの結びつきについても語られています。

茅ヶ崎の旅のはじまり
大人になりたい旅がしたい。このポッドキャストでは、旅行とお酒が好きな同級生2人が、大人だからこそ知りたい、ちょっとディープな国内旅行のモデルコースを紹介していきます。旅のお供はこの2人。
旅がいきがいな旅行ガイドブックの編集者、はるやです。 ディープな旅がしたいけど知識がない旅行初心者、うちだです。
たぶん配信しているときは、もうだいぶ収まっていると思うんですけど、僕は結構重い花粉症で。 あーそうですよね。
俺はね、結構5月ぐらいがピークなんだけど。 あ、そうなんだ。 ウルデンウィークぐらいかな。結構ピークなんですけど。
今年ね、あることを一つしてて、それのおかげでだいぶラグなんですよ。 何? 俺ね、ほぼ薬飲んでない。
これがね、鼻うがい。 めちゃめちゃ効いて、超いいのよこれ。 鼻うがい、そうなんだ。
これ、やってるやつもいいのかもしれないけど、サイナスリンスっていう商品があるんだけど、それがね、めちゃめちゃよくて。
毎日1回帰ったらやってるんだけど、むずむずはするけど、鼻水だらだらみたいな感じではなくて。 1日1回でもそうなるんだ。
そう。 こんなに効くかねと思って。 あーそう。 で、薬飲んでるわけじゃないから、全然体的にも楽だし。
超いいじゃんと思って。 鼻うがい、別に花粉症だけじゃなくてさ、風邪予防とかいいから。
これはたぶん習慣にしていったら、健康になるかなと思って。 なるほどなるほど。
ちょっとご紹介でした。 おー、これ役に立つ話。 そうそうそう。
さて今回は、「忘られぬメロディーライン 歌え10代 南風と共に」の2日目で最終日と。 そうですね。
人質はね、茅ヶ崎を南北にね、ぐるっとこう外観した感じの1日目でしたね。 そうですね。
で、この2日目は、このタイトルにあるような音楽っていう面にフォーカスしていくわけですね。 そうです。
なぜこの茅ヶ崎に、香山雄三さんしかり、桑田恵介さんしかり、そういった日本を代表するね、ミュージシャンたちが生まれてきたのか、その背景にどういったものがあったのかっていうことをね、
この茅ヶ崎という街だけにフォーカスして考えてみたいと思います。
なんかそういう特定の原因があるのはちょっと何なんだろうっていう気はしますが、それをね、知っていくこの2日目になるわけですね。
はい。 じゃあ2日目よろしくお願いします。 はい。
今回ですね、宿は茅ヶ崎館さんという旅館に指定させてもらっています。
これ詳しくは後で話すんですけれども、巣泊りに今回はしています。
一方で茅ヶ崎館というもの自体も実は観光地として見るべきところがたくさんありますので、
美味しい朝ごはんの魅力
これの観光はちょっと朝ごはんを食べた後チェックアウトするときにね、回したいと思いますので、
大体8時半くらいに朝目覚めたとしたら、チェックアウトはせずに、そのまま荷物とか全部置いて自分でだけ朝ごはんを食べに行きましょう。
行くのはサザンピーチの方です。
あのね、これやはりまた小田原島、神奈川島に恐縮なんですけれども、やっぱり朝の海はね、住んでる泊まってる特権ですよ。
あーまたそうなのね。人もいないしね。 そうです。
まあ小田原も三宅の浜もそうなんですけれども、特に茅ヶ崎なんてね、もっと人がたくさん来るところで朝のんびりとね、誰もいないところでゆっくりできるのはやっぱり素晴らしいことですね。
やっぱり朝の海ってすごく住んでるというか、空気がね、そういう感じがクリアな感じがする。
しますね。
気持ちいいよね。
気持ちいいですね。
なのでまずそれをね、朝ごはんと共に堪能しに行きたいと思います。
昨日ね、サーフライダー号っていう茅ヶ崎ビールさんのビルありますけれども、そこのほんとすぐ近くなんですが、
等5分ほど行ったところにあるのが、かつみの朝飯さんです。
店名が朝飯なんですね。
うわあ、いいね。
はい。
ちゃんとこう朝飯を食う感じだね。
はい。
ここね、超穴場ですから。
穴場っつうのあれだけど、まだ意外と知らない人も神奈川県の方もいるんじゃないかと思うんですけど、めっちゃおすすめですここ。
僕結構見つけたとき感動しました。
あ、やったなって思いました。
たまにそういう店ありますけど。
うんうんうん。
見つけちゃったっていう感じのお店でした。
定食がメインな感じなのかな。
そうです。
というかね、ここね、朝限定のお店なんです。
まあまあ店名が朝飯だもんね。
今は金土日だけかなと思うんですけれども、週末の朝限定で開くお店なんですね。
でまあね、見ていただいた通り定食がメインにあるわけですけど、やっぱりメインは魚介ですね。
そうだね。
サバとかね、アジとか、鮭もあるね。
あとはサーファードなんてのもありますけれども、ここね実はこの店主の方は結構漁業関係の方なんですね。
なのでご自身で釣った魚とかも出してください。
めっちゃいいじゃん。
やっぱり茅ヶ崎、相模湾のね、魚介を朝食べるというのが一つ僕のおすすめになっております。
ですので、サバなのかアジなのかわからないんですけれども、そういった地魚、ひものだったりをいただく。
ちょっと旅館の朝ごはんみたいなね。
あー確かにね。
そんなイメージもありますけれども、これが美味しいんですよー。
すごく美味しいんですよこのお店。
いやいいなー。
サバもね、結構ちゃんと一尾、一尾というか半尾、しっかり焼いてくれてる感じだね。
ボリューム超あります。
あーいいねー。
ご飯も結構山盛りなんですよ。
なので結構朝からガッツリっていう感じですね。
いいねー。
ぜひね、素材のところをちょっと見ていただきたいんですけれども、こだわり食材という風になっていて、それぞれのね、パーツパーツにすごく貴重な素材を使っているんですね。
わかりやすいもので言うと、厳選海鮮素材地壁やみということでね。
勝見の朝飯のメインとなるのが新鮮な魚をはじむとした海鮮。
茅ヶ崎の海の地引きやりにとれたシラスやアジ、カマスなどの鮮度はもちろん、長年海と関わるマスターの確かなメッキで厳選された良質なものばかりということで、もう本当にこの紹介文が表す通り、新鮮で美味しいです。
魚が本当に相模の国は。
そうだね、生シラスとかね、間時期にもよるんだろうけど。
ここ湘南来たらやっぱりシラスは食べたいね。
そうですね。
ちょうど小田原もスーパーやうまさにね、大体4月、今年早かったですね。3月の終わりからもう並び始めましたね。
僕もやっぱり3月から10月くらいまで長くなってるみたいですけど、小田原も並びますから、生シラス食べたなーっていうのがやっぱり春になったなっていう感じがしますね。
なのでおっしゃる通り時期が限定されると思いますが、夏とかに行けるようであれば多分食べられると思いますね。
だからもちろん天候にもよりますね。
一方でね、ちょっと詳しくは知らないんだけどね、なぜか九州の食材をすごく使っていらっしゃっていて、このお米はね、佐賀のお米なんですね。
佐賀平野から生まれたとっておきのお米、天使の歌ということでね。
これちょっと僕実は初めてこのお店で知ったんですけれども、このお米美味しいんですよ。
名殻知らないわ。
そうですよね。
マスターがね、すごい色々渡り歩いた結果佐賀に辿り着いたということで。
すごい美味しいお米ですね。
あと同じ九州で言うと雲前ハムね。
東京でもたまに見ますけれども。
俺ら長崎行った時も食べたよね。
長崎はもう本当に当たり前のようにありますね。
すごい有名な雲前福元岳の近くで作っていらっしゃるハムなんですけれども、お米は佐賀、肉は長崎から取っていらっしゃってて。
僕みたいに九州にゆかりがある人間からするとちょっと雲前ハムなんて懐かしいなって思うんですけど。
これをねやっぱり使っていらっしゃる。
なので魚はもう相模湾のもの。
お肉系とかは九州のものが多いというものになっていて、これをそれぞれ組み合わせた定食にしてくださっていたり、納豆は鎌倉の納豆です。
営業時間7時半から11時までという朝ごはんだけのお店です。
音楽と文化への入り口
そしてね、僕2回から行ってるんですけど、1回目ね小田原土曜日で小田原出て着いたの10時くらいだったんですけど、もう残っていたのは鯖の文化物資だけでした。
超人気なんですね。
超人気です。並んだ上にこれでした。
アジとかもう全部売り切れだったんですよ。
天候にもよったんでしょうけど、けどないんですね。
なので2回目行った時はもう8時半か9時くらいに行って、アジの日物にありつけましたけれども。
じゃあこれもやっぱり止まってるのが有利なわけですね。
ダントツで有利です。
これはぜひ活かしてほしいところです。
そしてね、衝撃的なのはね、これウェブでちょっと画像検索してもらっていいですか?このお店、かつみの朝飯。
これどれかと言うと、奥にのれんが掛かってるとこあるでしょ。
あるね。
つまり普通に民家ですこれ。
本当だ、家だわ。
これがかつみの朝飯です。
普通の民家を金土日の朝だけ開放して、ここで朝定食のお店が開かれるんですね。
これちょっとそうだね、知らないとわかんないもんね。
それで並ぶってね、よっぽど人気店なんだね。
徐々に徐々にバレ始めちゃってる気がします。
でもまだ全然止まらないといけないというか、気がつかない人も多いんじゃないかと思うので。
でもお客さんも観光客の方ももちろんいますけれども、地元の人めっちゃ多いです。
やっぱり地元の漁業関係者の方がやってるので、漁師さんみたいな方も結構来るんですよね。
だから朝ごはんなんだと思うんですけど。
多分漁から帰ってきたんでしょう、そういった方々にとってはね。
でね、やってくるんですね。
これしょうご焼きとかあるんだね。
あのお肉系のメニューもありますね。
そしてね、飲めるんですね、ここもなんと朝から。
マジかよ。
飲めます。
タイトル間違ってる。
間違ってますね。
ちょっと10代には厳しい選択なんですけれども、また大学3年にでもあったら来てください。
そうだね。
えーマジか。
うん。
いいなあ。
これ茅ヶ崎泊まりたくなるでしょ、いろんなものを買いに来て、正直。
そうだね。確かにね。
うん。
日帰りだともったいないかもね。
もったいないですね。
うん。
茅ヶ崎ビールさんのサーフライダーゴももちろん朝ごはんでいいんですけど、ちょっとやっぱり朝でしか紹介できないということで。
確かに。
今回はこちらのお店を朝ごはんにさせてもらいましたが、もちろん茅ヶ崎ビールさんで朝ごはんでも朝飲みでも結構ですね。
うん。
ヤバいな、どっちも朝飲めるっていう。
そうです。
ヤバいの紹介してるな。
素晴らしいお店ですね。
うん。
で、これはサザンビーチからもうほんとに目の前なので朝飯食べた後にね、ぜひ朝の散歩なんてサザンビーチでしてもらってもいいんじゃないかと思いますね。
いいね。
特に地元のワンチャン連れの方とか平日もよくいらっしゃいますし。
はいはい。
僕もね、この間ちょっと追加取材で実はね、水曜日に行ってきたんですけど、茅ヶ崎ビールさんで水曜日朝飲み始めて、会社休み通って。
はいはい。
やったんですけど、やっぱ平日の朝なんていうのはいいですね。
うん。
犬の散歩してるのんびりとした感じの皆さん。
いいね。
ということで朝ごはんを済ませましたら、徒歩5分ほど茅ヶ崎館に戻ります。
はいはい。
そこで茅ヶ崎館をチェックアウトするわけなんですけれども、いよいよですね、ちょっとここからその音楽だったり文化というものに入っていきたいと思うんですが、その入り口となるのがこの茅ヶ崎館です。
茅ヶ崎館の歴史
茅ヶ崎館っていうのは聞いたことあるでしょうか?
いやあ、ないかなあ。
ここはですね、とある一つの聖地なんです。
なんで今うちだに聞いたかというと、映画の聖地なんですねここね。
ええ?
はい、映像映画の聖地なんです。
やめてよ。
はい。
ええ、どういうことですか?
はい、ちょっと概要からお話をしますと、茅ヶ崎館ができたのは1899年なのでもう120年以上前ですね、ということになるんですけれども、ここに今でも泊まることができると。
で、今の建物は関東大震災、これ1923年なんですけれども、これが終わった後に再建されていますので、創業は明治なんだけれども、今は大正の時代の建物が主に残っていますが、それでも近100年ほどの超死神社館がこのサザンビーチのすぐ近くにね、静かに建っているんです。
そして、ここからちょっとお話になるんですけれども、茅ヶ崎の歴史を語る上でいくつか欠かせないパートがあるんですね。
で、そもそも茅ヶ崎というのは前日茅ヶ崎市博物館で見ていただいた通り、本当にね相模川の川が流れ下っている平塚とのこれが静かになるんですけれども、そこに砂丘が堆積して相模川に、要は砂混じりというのは本当にその通りで、
桑田圭介さんの回想録とかこれ見るとよく書いてあるんですけど、今でこそ茅ヶ崎はすごくオシャレな街になってるけれども、自分が子供の時、桑田さんは1956年の2月生まれなので、だいたい50年代60年代と考えてもらえばいいと思います。
茅ヶ崎は何にも本当になかった。ただ松と砂と相模湾だけがあった街だったということなんですね。なのですごく今から信じられないくらい歓声な街だったという。
特にこれ東海道の歴史を見ていただくと江戸時代においては東海道53通りありますけれども、神奈川県の宿場町って藤沢宿があるんですね。これ藤沢町の近くです。その次が平塚なんですね。
で、茅ヶ崎はその間にあるんです。なので茅ヶ崎は地元の方曰く素通りされる街だったんですね。なので三重市に入ってから東海道本線開通する時も茅ヶ崎駅の改良というのは他と比べて一段遅いんです。最初は駅がなかったの茅ヶ崎には。
っていうのが最初の始まりなんです。だから湘南と一口に行っても最初に発達していたのは藤沢と平塚の方なんですね。茅ヶ崎は一歩出遅れていたんですけれどもそこに1899年この辺りになって茅ヶ崎駅ができたのと同時にとある人物がここに引っ越してきたんです。これが茅ヶ崎を変えたんですね。
それはこのポートキャッスルまで紹介してないんですけれども9代目市川断十郎この人が引っ越してきてるんです。市川断十郎というとね。以前ちょっとこのポートキャッスル触れましたけれども覚えてますかね。
成田でね。新庄寺のときに話しましたね。 まあ日本の歌舞伎における大名席。今も断十郎さんいらっしゃいますけれどもその9代目の方ですね。成田さんのときは初代の人が小宝に恵まれますように言ってるんで賛労したっていうのはそもそもでしたけど明治に入ってこの9代目の人が活躍していてこの9代目市川断十郎っていうのは教科書にこそ載らないんだけど日本の演劇界を変えたっていうすごい人なんですね。
もちろん伝統的な歌舞伎の技法というのは身につけているんだけど同時にやっぱり江戸時代が終わって明治に入ってきて西洋の文化とか演劇とかっていうのがどんどん流れてくるわけじゃないですか。それとのうまく融合とかをして新しい劇っていうのを誕生させた舞台芸術のすごい超人なんですね。
なので劇性なんて言われてもします。演劇の劇に聖人の聖と書いて演劇界の聖なる人っていうもう日本の演劇史で必ず絶対出てくる人です。それは9代目市川断十郎。
今でいうワンピース歌舞伎みたいな感じだよね。 そういうのあれも市川の皆さんがやってるじゃないですか。っていうのは断十郎さんのこの9代目の影響って多分あると思います。そういった伝統的なんですよ。ある意味それが。伝統守りつつも新しいものとうまく混ぜ合わせていくっていうのはこの9代目市川断十郎それを体現した人なんですね。
なるほどね。 なのでもう本当に数々の断十郎の中でも本当にトップクラスにすごい有名な名役者として知られた人です。がこの人がね茅ヶ崎に別邸を構えたんです。でこれなぜ構えたかっていうと断十郎さん本人の10回によると何もないことが良かったって言ってるんですね。
つまり病気とかもして西洋するところが欲しいと。でこの人は釣りが趣味だったらしくて海に近いのは良かった。けど大磯とかあの辺りだとその時すでに伊藤博文だったりとかそういった西材界の人たちが結構いて割と心の底から言ったりはできないという風に思ったのかもしれません。
その点茅ヶ崎にはまだその先駆者たる人がいなくてまだ本当に繁農繁業つまり漁師さんたちと畑をやってる人とくらいしかいないような街だったらしいんです。それにあえて目をつけてしかも土地もだいぶ広いからその砂丘の中にね当時は道路もなかったですから本当に砂がそのまま入ってくるような砂丘だったらしいんですけど
そこにあえて家を構えて広大な別荘を構えたんです。というのがこの市川断十郎の話なんです。で断十郎が茅ヶ崎に家を構えたのとほぼほぼ同時期にこの茅ヶ崎感はできています。というのがあってなぜここからじゃあ茅ヶ崎の話になるかっていうとこのね断十郎が引っ越したってことはそれだけの人なので結構なビッグニュースになったんです。
で茅ヶ崎ってなんだみたいな話になってきてそれからね断十郎を慕う数々の演劇人たちがここに訪れるようになっていくんです。でちょっとこの後で話すんですけれどもとあるそういった有名な人たちも集まってきていて劇とかができるようになってきた。で徐々に茅ヶ崎というところがそういった演劇界芸能関係者たちの別荘というのが立つ場所になってきたんですよ。
西財界の要人は大磯、小田原に住むんです大体。伊東鉢山形鉢の人は大体大磯小田原に別荘を構えたので小田原には青函亭山形亭古木庵とかが残ってるわけですよね。伊東亭武通宗光亭とか大熊重信亭はみんな大磯にありました。っていうので茅ヶ崎はそのどちらでもなかったんです。
ダンジューローさんからしたらね何もなかったのに生きやがってみたいなこともあるかもしれないけどね。そうですね。ダンジューローさんを慕う人たちがやっぱり芸能関係者が集まってきたんですよ。
そういう人が茅ヶ崎の一方の流派だったんです。ところがですねもう一個このほぼ同時期に茅ヶ崎にできたものがあるんですね。それが今回ちょっと場所が離れているので行かないんですけれども南古印ってものでした。
南古印というのは南の湖の印と書いて南古印っていうものがあったんですけどこれは何かっていうと当時ね不治の病とされていた肺結核という病気がありますけれどもこの結核の療養所だったんです。
これもなぜここに作られたかっていうと茅ヶ崎に高田公安っていうキリスちゃんがいたんですけれども医者隊もあったんですけどこの人が結核というものがどれだけ多くの人の命を奪ってきたか。
というのでこの治療法がないのかということを探した結果西洋医学に基づくときれいな空気があるのんびりできるあったかいそういった保養所があることが大事なんだっていう理論にたどり着いてそれならば茅ヶ崎がいいんじゃないかっていうことに思いついたんです。
そしてダンジューロとほぼ同時期に南古印というものを作ってそこに療養所を作りました。そのとき初めて入院してきたのは葛海州の奥さんだったりするんです。やっぱり結核というのは当時すごくいろんな重い病であったのでそういった人々が特にそういう浮遊層みたいなのは結構南古印に入院してくるんです。
まあまあお金もかかるだろうね。 そうそうそうやっぱり療養所に入れるだけの人と。その中には葛海州の子でもありますけれども文豪として知られる邦吉田どっぽっていう人もここで入ってきたりして要はそういう文学の人たちとかもここに入ってきてその療養生活の中で茅ヶ崎というものの風土とかを描き始めるんです。それがもう一方の潮流としてあったんです。
なにもなかったところに惹かれた二つの文化的な流派が茅ヶ崎に入ってきたんだ。 そういうことです。芸能と文学それを共通していたのは温暖な湘南の風土その中でも平塚でもダメだったんですよ。
藤沢でも小田原でもダメだったのは西財下の養人とかの別荘があんまりなかった。それは東海道線の開通が遅れたからなんです。茅ヶ崎にだけっていうのがそもそもなんです。 人がそんなに多くないことが大事だと。 そうそうそうそれを求めてきた人しかいたんです。そしてちょっと話がだいぶそれちゃったんですけどこの茅ヶ崎館っていうのも実はそれに関連してるんですね。
茅ヶ崎館は1899年にできてるんですけれどもこれは当初ここに来た客の多くは南古院の患者たちをお見舞いに来る人たちの宿りだったんです。南古院っていうのはね今これ南湖っていう南の湖南湖っていう茅ヶ崎のあざながあるんですけれどもこれ桑田さんの実家もこの辺です。
この平塚寄りの方なんですけどそこまでだいたい歩いて20分くらいかかるんですけどそこにお見舞いに来る人たちが茅ヶ崎館に常宿にしていた方がいっぱいいたそうなんですね。そういう目的でできた宿だったんです。ところがその南古院のことはもちろんあったんだけれども徐々に演劇とか市川断十郎の系風も出てきているので芸能関係者が来るようになってくる。
小津康二郎と映画文化
そして決定的だったのは1930年代に松竹っていう映画会社あるじゃないですか。松竹今もありますよね。あれの撮影所が東京の蒲田だったと思うんですけど蒲田から神奈川県の大船に移ってきたんです。
大船っていうのは鎌倉市で東海道線が通っている。戸塚と藤沢の間ですね。ご存知の方は京浜東北線の終点ということをよく見る方もいるんじゃないかと思います。ここに松竹の撮影所が映ってきたんです。
これはいろんな問題があるんだけれどもその時の映画作りの観点で音声を入れられるようになった。ときにポッドキャストの収録もそうですが都会のうるさいところで撮っちゃうと音が入ってきちゃう。だから静かなところで広い土地があってロケーションが良くてっていう土地が欲しいっていうので松竹を思い切った決断をして移したんですね会社を。
そうすると徐々に徐々に松竹の映画に出ている主に時代劇とか強いじゃないですかね。あそこに出ている人たちはみんな湘南方面に一緒にうつりに住んできた人らしく。そうするとなおさら湘南の方に映画とかっていう文化がだんだん入り始めてくる。
だからその中でも何人かの人はやっぱりあの市川男重郎9代目がいた茅ヶ崎というのはせっかくだからというので訪れてみようという風になってきた。なのでそこでまた宿になったのも茅ヶ崎館。つまり市川男重郎を訪れる人と何個にも訪れる人が茅ヶ崎館にそれぞれ泊まり始めてきた。
ってなってくると茅ヶ崎館というのは特殊な意味合いを持った宿になってきた。そしてもうね茅ヶ崎館といえば大名氏の人がいます。これもう映画ファン絶対知ってると思いますが茅ヶ崎館をこよなく愛してここで多くの名作を生み出したもう世界的な映画監督。それが小津康二郎さんです。
あれどこだったっけ。出てきたのは覚えてますよ。お便りももらってたのに。伊勢松坂ですよね。そっかお便りも思い出したわ。
小津康二郎さんというのは日本の映画史で誰もがおそらく名前は聞いたことあるんじゃないかと世界的な評価を受けた人ですよね。この方は東京に生まれましたけれどもご両親の方針で自然豊かなところで康二郎さんを育てたいということで伊勢の松坂で幼少時代を過ごしたので松坂には小津康二郎記念館があるという話を以前しました。
その小津康二郎さんは小地区の撮影所が移ってきた関係でやっぱり湘南鎌倉方面に来るんですけれどもその時にこの千ヶ崎館というものを城宿にしてその中の部屋番号2番っていう部屋をずっと使ってたんです。絶対小津康二郎はこの2番に泊まったそうです。
そこで小津康二郎さんは長い時にはもう10ヶ月とかもずっと滞在してこもったんですよ。すごもりして一切のその俗人を絶って脚本の執筆に没頭したんですって。
なんか文豪というかね、そういうイメージあるね。 そういうことです。それがこの千ヶ崎館2番の部屋。そしてそこで生まれた物語が小津監督の代表作品であってね。日本の近代の映画において本当に世界的に初めて評価されたんじゃないかと。東京物語。これはもう名作中の名作ですよね。
すごいここから生まれたのかもしれない。 執筆した部屋が千ヶ崎館2番。この部屋が残ってて、しかも泊まれるんです。小津監督が作っていた調度品とか全部そのまま残ってるんです。
いくつか部屋があって、僕は離れにしか泊まったことはないんですけれども、本当に小津監督の映画ってフランスとかからすっごい今でもファンが多いので、フランスの方とか俳優さんとかも日本に来るときに小津康二郎さんの使った部屋に泊まりたいとわざわざ電話をかけてきて予約してる人もいる。
で、今度僕が泊まったときもアメリカの大学生の方とかが日本映画の研究をするためにアメリカから来日して小津康二郎さんのドキュメンタリーを撮影したいって言って、2番の部屋を今から入るんだって話をされてました。だから世界の人がこの2番の部屋を目指すんです。
ってぐらいの部屋なんですよ。でも僕も宿泊はしたことないんですけど、見れるんですこれ。チェックアウトするときに案内してくださるんですよね、看守の方が。もちろんタイミングが合えばだと思うんですけど。そのとき僕も2番の部屋に入らせてもらって見たんですけど、一見何の変哲もない部屋なんですよ。
ただ二面最高の角部屋で南側は今は住宅があるんですけど、当時は相模屋に続いていたそうです。あと小津監督が愛したっていうお花とかもまだ残ってるんですね。当時のもの残ってて、その実際執筆されたテーブルだったり、当時どういった姿でやってたっていうのは写真とかも残ってるんで、その腰掛けてこう持たれてる柱とかも全てがそのまま残ってます。
なのでやっぱり聖地なんですね。しかもそんな広くないんですよ。せいぜい6畳ぐらいだと思うんですけど、この一間から世界に羽ばたいていった日本映画が生まれた。それが茅ヶ崎館という予感なんです。
写真と見比べられるの良さそうだね。凝縮感すごいだろうね。 凄いですよ。小津監督が本当にこう何かしてるこういうところも全部残ってるんで。そしてこの小津監督をこよなく慕っている現代日本のもう第一人者の誰だかわかりますか?
これは以前の時にもちょろっと話したから、小枝広一さんね。 今の多分日本映画界でもトップクラスに誰もが知ってる方でしょう。小枝広一さんも小津康二郎監督のことをすごくリスペクトしているので、この2番の部屋指定でやっぱりいらっしゃる。
ここで海町ダイアリーとかも書いたそうですよ。 マジか。じゃあこれは茅ヶ崎の文化的な流れの源流になった場所って言えるよね。 ある意味そうです。ただまあ源流の源流は市川断十郎なんですよ。そして小竹の撮影所の移転があって、今広い見たら演劇芸能の超当時のトップスターが茅ヶ崎に住む。
そして徐々に時代の数戦もあって、もちろん断十郎は亡くなりますけれども、その後で小竹っていう映画っていうものが入ってくる。それで映画関係の人が集い始めて、小津康二郎さんの茅ヶ崎刀流というのが始まる。そしてここで東京物語を描いていく。ある意味源流でもあるけど、源流の源流は別にあるけれども、それをさらに別の強い流れを添えて、それが小枝広一さんまで続いているわけですね。
川上音次郎の影響
なんかその歌舞伎の芸能、文学、映画っていうところが集まった場所になるわけだね。 そうなんです。それが茅ヶ崎という街だったんです。ということで、この茅ヶ崎館は今でも我々も泊まらせていただけます。相手さえいれば。
ただですね、これは豆知識というか、ここ急に仕事っぽくなるんですけれども、僕この茅ヶ崎館ずっと泊まりたかったんですよ。小田原に来てから。ただね、ここし5年ずっとリニューアル工事で、ここ1年くらい宿泊停止してたんですよね。実は今でもジャランさんとか楽天トラベルさんとかああいったところは受け付けてません。閉じちゃってるんですけど。
このね、マチトイロ神奈川を作るときに、どうしても僕は泊まりたいので調べてもらえないかっていうふうにライターさんにお願いした結果、電話だから今受付が始まったっていうすごい情報を手に入れてすぐ電話しました。
というので、今は電話だけで受付は可能です。ウェブだけ調べてると出てきません。ページは一切。
これはお得な情報になっちゃう。
お得です。マチトイロ神奈川とこのポッドキャットにしかたぶん載ってないじゃないですか。本当に。
これ聞いてる方ラッキーですね。
ラッキーです。ただリニューアル工事も終わってましたので、もう間もなくウェブでの受付も再開するというふうにおっしゃっていましたので、近いうちにはもっと広くなりますが、逆に言うと予約が争奪戦になると思うので、行くなら今まだバレてないこの時期なんじゃないかと思いまして、実は僕3月10何日にもう一回行ってきちゃったんです。
やっぱり茅ヶ崎が次のテーマになった時にもう一回泊まりたくなって行ってきました。平日に休み取って。という茅ヶ崎感。
そういうわけで今2番の部屋も含めて泊まれますが、部屋数はね、たぶん3つか4つだと思います。
あと離れが一個あって、離れに僕が泊まらせてもらってて、すげえ広い離れを僕が一人で泊まってたんですけども、ただだいぶコロナで色々経営のこともあって縮小してしまったんですよ。
なので、いにしえのオズ監督がいた時の庭園とかはね、だいぶ残ってなくて、宅地になっちゃってるんですけども、建物の趣だったりとか、ちょうどトゥールは全部残ってます。
そしてこの監視の方もすごく、来る方とのコミュニケーションもすごい大切にされる監視さんなので、オズさんとかのね、写真とかが残ってるその部屋で、コーヒーをいっぱい入れていただけて、朝お菓子みたいなのいただけて、
そこでこう本当にマンツーマンで茅ヶ崎間の歴史とかもね、すごく丁寧に教えてくださって、その上で館内ツアーをやってくださるんです。
なので、いずれできなくなるかもしれないんだけど、今ならば茅ヶ崎間泊まると、本当にじっくりほぼ貸し切りみたいな感じで回れて、平日だったってあると思うんですけど。
なので、チェックアウトに行くと、そのコーヒーを飲む時間と案内していただく時間で1時間取ってる。
なるほどね、本当だチェックアウトで1時間取ってるんだね。
そういうことです。要は観光なんです、これもね。
いいね、いい宿泊体験だね。
それでいて別に3万4万とかじゃ全然なくて、素泊りで1万ちょい、平日なら。
食事付けると1万5、6千円とかだと思うんですけれども、でもそれでね、この部屋泊まるのはすごいと思いますよ。
なのでぜひね、僕は茅ヶ崎に泊まるからには茅ヶ崎間に泊まってほしいです。
というのがね、まず最初のこの文化芸能の一端を垣間見る場所でした。
でも音楽はここには入ってきてないわけだよね、まだ。
そうなんです、まだここは話しています。
そして茅ヶ崎間から10分ほど歩いたところにあるのが高砂緑地です。
これ見たところね、和風庭園があるただの公園じゃないかってことなんですけれども、
これはね、ちょっとさっきぼやかしたんですが、ここにもね、とある人物が住んだ跡なんですね。
建物は残ってないんですけど、その敷地だったところで、今は石碑しか残っていません。
これ何かっていうと、川上音次郎という人物でした。
川上音次郎、これ知っていますか?
へえ、わかんないな。
これは教科書に載っているはずです。大学受験の資料書には載ってます。
中学ぐらい載ってたかもしれない。 明治時代の文化史で必ずやる人です。
この人ね、出身福岡です。で、茅ヶ崎に来たんですね。
川上音次郎っていうのは何者だったかというと、もう大名詞というのが、おっぺけぺいぶしです。
この変な名前の曲、これ歌なんですね。楽曲なんですけれども、音次郎っていうのは日本でほぼ初めて世界ツアーをやったミュージシャンでもあるんです。
ええ? うん。
まあ、劇団人でミュージシャンっていうのはちょっと語弊があったかな。俳優でもあって演劇なんだけども、日本風ミュージカルをやった人なんですよね。
で、おっぺけぺいぶしっていうのは何かというと、この時とさの板垣大輔とかが主導していた、自由民権運動っていうのは憲法を発布して国会作って、ちゃんと民主主義あげましょうよっていうような運動があったと思うんですけど、
これの時代を生きている人で、それを盛り立てるフェスみたいなのをやったのがこの音次郎とおっぺけぺいぶしなんですね。
同時にこの妻の佐田役子って読むんですけれども、この音次郎佐田役子夫妻っていうのはちょっとぶっ飛んでて、この人たちね、これだけでも全然モデルコース何日もやりたいぐらいの人たちなんですけど、
ロックなんですよね、生き方が。自分たちで工業を打つためにテコティボートみたいなもので相模を渡り始めて、放浪しながらいろんなところで船で全国回ってツアーやり始めて、それに飽きたらずとうとうどういうわけかヨーロッパに渡って勝手にね、ほぼそこで勝手に飛び入りみたいな感じで、日本から来たぞみたいな感じで、
ミュージックやったら当時の人たちがなんだこういう奴だってなって、俺らの知ってるジャポニズムじゃねえってなるんだけど、やたらなんか日本の民謡みたいなのを合わせて鉢巻き巻いてこの中でお祭りさんみたいなのをやってるっていう変な人たちで、それで言って佐田役子は超美人、外国の人が見てもすごい美人な人で、これがまたしなやかな音際をやって、なんか日本のモダンってこれすごくねってなって、みんなこれを写真にすげえパパラチューマに書いてきて、
日本やばいっていうのがみんなパリとかで大ブームになって、世界ツアーをやって来たっていうね、途方もないスケールの日本人なんですよ、まあこれは福岡の自慢ですねこの人は、音次郎ね、っていう人はただその影響を誰に受けてたかっていうと、市川断十郎にすっごく影響を受けてるんです、断十郎世代は全然上なんです、
なので断十郎が茅ヶ崎に移ったって聞いて、自分たちも茅ヶ崎にね邸宅を作ったんですよ へえ、じゃあここでちょっと音楽の要素が入ってくるわけですね そういうことです、まあどっちかっていうと劇っぽいんだけどね、ミュージカルっていうイメージ、ミュージシャンというかミュージカルです、自分たちも踊ってやるんです一緒に、佐田役子は日本初めての女優って言われてます、これお二人は中村正人さんと松坂恵子さんがね、大河ドラマで演じ主役になったレベルの人です、
その夫婦が主役になったドラマがありますね、っていう人がこの高砂緑地って今なっているところに邸宅を構えました、ここでねだから要はだんだん断十郎の系譜から徐々に徐々にね茅ヶ崎のねこの文化圏がね広がってくるんですね、
断十郎さんの舞台芸術が始まりになってくる、そこに弟次郎が入ってきて、新鋭の舞台芸術、音楽ってものが入ってくる、そして一方で松竹大船に移ってきて、尾辻康二郎さんたちがこっちに入ってきて、映画関係となってくる、そもそも日本の文化芸術はそろそろ舞台芸術から演じる、要は弟次郎は日本最初の俳優だったかもしれないんですけど、その人が映像の中に閉じ込められていく奇跡にも合致してる、
そこに音楽がある脚本があるっていうのが、全てがこの茅ヶ崎のせいぜい1キロメートルあたりにみんな集積し始めるんです、断十郎さんが亡くなった時、断十郎さんずっと上なので亡くなってしまうんですけれども、弟次郎がね茅ヶ崎駅から断十郎邸までの道を全部清めて葬儀主催者みたいな感じでね、やったってぐらい、弟次郎って明治時代の表紙もないって言われるんだけど、
文化の交差点としての茅ヶ崎
実は伝統芸能とかにすごく理解があって、一番影響を受けているのが市川断十郎なんですよ、これが面白いところなんですよね、その人の邸宅跡がね、今井戸が残ってるだけです、元次郎の足跡としてはね、残念ながら建物は全部なくなっちゃいました、
ただこの後ね、ここには別の実業家の方もね、邸宅を構えたりしていますので、今でもその市跡的な形でね、保存をされていて、ここね実は後でいく美術館もあるんですけれども、こういった日本庭園も残っていて、ここで茶室とかも弟次郎とは関係ないんですが、建てられたりします、
なので僕もその4月行った時、新緑がね、青々と緑のもみじが米に生えて、それが弟次郎の井戸を密かに包んでいるんですけれども、そういった庭園として非常に魅力的ですので、散歩道の一つとして通っていただくとともに、この弟次郎の足跡を偲んでいただくといいんじゃないかと思います、
そしてね、ちょっと話していくと、弟次郎も割と若くして亡くなってしまうんですけれども、茅ヶ崎にはそういうわけで、何もないただ海と松と砂の街だった茅ヶ崎には、男女郎に始まるようなそういったものが出てきて、いろんな人がちょっと踏流するみたいな感じでも出てくるんですね、
そして茅ヶ崎に生まれた歌として、たぶんオッペキ米武士は今あまり知らないと思うんですけど、今誰もが知っている歌を生んだんです、ここで茅ヶ崎に、それが山田光作さんという作曲家が作った赤トンボ、これもうすぐわかりますよね、夕焼け小焼けの、あれは茅ヶ崎で生まれた曲です、
山田光作さんはやはり茅ヶ崎に滞留して、赤トンボという曲を作りました、
なんかやっぱり曲のイメージとしては、田んぼのアジェミチみたいな描写がなぜか刷り込まれてるからさ、なんか茅ヶ崎であると思ってた、
歌詞はミキロフーさんという別の方が作ってるので、あくまでも曲のメロディーを作ったのが茅ヶ崎なんです、ただミキロフーさんは晩春の辰野っていう兵庫県のこれもすごい良い城下町なんですけども、そこのイメージをしたということで、そっちはそっちで行ったことがあって、それはなんかわかる気がするんです、
ただメロディーは茅ヶ崎で書いて、山田光作さんは茅ヶ崎が好きでここにいたんですね、っていう実はその山田光作さんと赤トンボの火っていうのもこの高須賀緑地の弟次郎の井戸の初迎えに立ってます、
なので光作さん自身はここにいたわけじゃないんですけれども、茅ヶ崎に関するその音楽の籍費とかはこの高須賀緑地に今集まっている状況です、
弟次郎帝の後を中心に山田光作さんの日があって、誰々の日があってっていうのがこの緑地の中にありますので、ミュージックシティとしての茅ヶ崎の歴史っていうのはこの籍費からね、たどっていくことになっているんじゃないかと思います。
その音楽の系譜が始まった感じがするね。 そうですね、そして高須賀緑地は庭園は見れるんですけど、建物があるわけではないので、籍費を見ながら通り過ぎで生きていったりとか、
そして通り過ぎた先、この緑地の中にあるのが茅ヶ崎市美術館です。 これはね、また音楽とはちょっとまた別になってしまうんですけれども、茅ヶ崎にゆかりのある芸術家たちの作品を主に収蔵、展示している美術館になっていて、
常設展ではなくて、基本的に企画展一本の美術館です。 なので、その時何が見られるかというのは時期によって変わります。
僕はちょうどこの美術館建築という6月8日までのものを見てきて、これすごい良かったんですけど。 こういう建築だったり、あるいは川上敏郎の展覧会もいずれやってましたし、あるいはアルフォンスミシャナンっていう西洋絵画の話題もありますので、
本当に多彩な芸術の分野をそれぞれやってくださる美術館になっていますね。 何が見られるかわかんないので、あまり詳しくは言いませんけれども、注目していただきたいポイントがあるとするとやはり建築です。
この建築ね、見ていただくとやっぱり特徴的な部分があると思うんですよね。 ヤネかなぁ、やっぱなんかこう本開いたみたいなね。
おっしゃる通り美術館建物の上を覆うようにね、大きな屋根が広がっていますよね。 これがやっぱり茅ヶ崎市美術館の非常に大きなコンセプトで、これは相模湾の波だったりとか、砂丘だったりとか、その風っていうものをイメージ、潮風をイメージした茅ヶ崎の風土を体現した美術館になっている。
なるほどね。 確かに波と言われると波に見えてくるね。
これを実際作った方、本当に茅ヶ崎にお住まいの建築家の方なので、やっぱり茅ヶ崎っていうものを誰よりもね、風見に感じてね、これを考えられたんではないかなと思いますね。
そしてここね、2階にはカフェがあります。ここでお昼ご飯とかを召し上がっていただいてもいいんですけれども、2階からはね、海とは反対方向を望んでいただくと富士山が見えますね。
これ小田原は見えないんですよ。茅ヶ崎はね、海もね、富士山どっちも見えるんですね。なのでこれもやっぱり茅ヶ崎に慣れれば景観でしていいなと思いますね。
ということで、なのでね、ぜひここにも立ち寄っていただいて、ちょっと興味のある分野だったら、ぜひ展覧会も見ていただければいいんじゃないかなと思います。
ハワイとの交流
こうしているうちにだいたいお昼ご飯の時期になってきていると思いましたので、茅ヶ崎美術館から徒歩10分ほど、慶お花図に行きたいと思います。
これ何のお店でしょう? ハワイアンだね。 はい、お気づきになりました。ハワイアンです。
まあね、お店の名前もね、お花ってなってますからね。 そうなんですよ。
これね、意外と知られてないかもしれないんですけれども、茅ヶ崎っていうのはね、ハワイアン文化と非常に密接なつながりを持っていて、
なんとね、ホノルル市とは姉妹都市になっています。 ああ、そうなんだ。
なんか似た雰囲気を持って地下にあったのかなとか勝手にね、想像するけどね。 そうですね。
まあやはり海が近くてというところはもちろんありますし、あるいはサーフの文化というのもありますよね。
そもそもね、これ諸説ある前提なんですけれども、日本で初めてのサーフボードっていうのが、実は茅ヶ崎市博物館、前日行ったところに展示されています。
ちなみにこれを持ってきたのは、茅ヶ崎館の創業者の方です。ハワイから持ってきたのが、日本で初めてのサーフボードじゃないかって言われてるものがあるんです。
そういったご縁もあって、やはり茅ヶ崎とハワイっていうのはね、非常に強い結びつきを得ようとしている。
それで姉妹都市交流も結んでいらっしゃる。
実際茅ヶ崎市の職員の方々もアロハビズなんて言ってね、夏の一定の時期はアロハシャツで勤務されたりもしますし、ハワイとの交流イベント、ハワイをテーマにしたイベントっていうのも多数ありますし、市内にはハワイアンカフェ、ハワイアンレストランもたくさんあります。
ハワイ料理のね、やっぱりおいしいと言えば茅ヶ崎ですね。
その中でも特にこのケイ・オカナさんは、その代表的な店舗として非常に有名なお店です。
これもガイドブックとかでも常連ですね。
いいねー、ロコモコとかね、もちこしきんとかいいなー。
いいね、だからそのハワイ料理って聞いて想像するものがある感じだよね。
ハンバーガーとかね、いいね。
ポキとかもね。
カレーもあるんだね。
そうですね。
こういうもういわゆる定番のハワイ料理を味わうことができまして、特にランチで行きますと、僕はね、2回行ったことがあって、1回はバーガー、1回はチリモコっていうのを食べたんですけど、
チリモコがね、非常に美味しくて、ロコモコなんですけれども、これにね、当店自慢のアメリカンスタイルチリコンカルデンっていう、ちょっとお豆を確か原料にしたソースだと思うんですけど、
あれをかけたちょっと辛めのね、ロコモコがありまして、これが美味しくてね、これとハンバーガー、ロコモコですからね。
雑穀と白米どっちも選べるって、雑穀に僕確かしたんですけど、雑穀ハンバーグサラダにチリコンカルデンみたいな感じ。
っていう味わいが美味しくてね、ボリューミーでもあるんですよ。
嬉しいことにね、ランチだって言ってたのかな、ちょっとわかんないんだけど、上記メニューはマカロニサラダとお好みの上にもう1品をショーケースからお選びいただけますとありますが、
付き合わせで2品選べて、その1品はマカロニサラダなんかが決まってるんですけれども、もう1個は本当にサラダにしてもいいし、もうちょっとフードメニューにしてもいいしっていう、その日のお惣菜みたいなのがハワイ湾お惣菜がね、ショーケースのレジのところに並んでまして、それを自由に選べるんですね。
うれしいね。 うれしいですね。
なので朝ごはん、かつみの朝飯さんでお魚だったのでね、こっちは洋風のお肉系のものでいいんじゃないかなと思いまして。
そしてね、忘れてはならないのがね、飲めるんですね。ここもね、当たり前なんですけれども。
まあまあね、置いてるでしょうっていう感じだよね。まあまあもう一通りある感じだね。
一通りあります。特にクラフトビールとかたくさんありますね。
で、そんなお酒飲めませんよっていう彼氏彼女がおったとしても、やっぱりスムーシーとかも盛んなわけですよ。
ああなるほど。
やっぱり南のね、暑い国のね、文化というのはやはり茅ヶ崎の神話性ありますから、
このテイクアウトとかでスムージーだけっていう人も結構いるんじゃないかなという気もしますね。
中に出てくるあのお水なんかもね、ちょっとこう名称わからないんだけど、甘い香りのするレモン水みたいな感じで、
やっぱハワイの感じのね、お水だったりもして、やっぱり全体的に面白いんですよね。
へえ。
うん。
ああいいなあ。
うん。で、ここもね、あの店内だけじゃなくて、ちょっと半屋根のテラス席なんかもありますから、
そこでね、風に吹かれながらね、お酒飲んでハワイアン堪能してっていうのもね、素晴らしいデートコースですね。
うん。
はい。
いやあいいなあ。
なのでね、ぜひね、あのまあ今回はね、ケイ・オカナズさんをね、ご紹介しましたけれども、茅ヶ崎といえば実はハワイアン料理は名物だということはね、
意外と知られてないので。
そうだね。
はい。
お魚だけじゃないよっていうところもぜひね、注目してもらいたい。ハワイアン料理たくさんありますのでね、ご自身の好きなのをね、選んでいただければいいんじゃないかなと思います。
はい。
うん。
編集辞典の内田です。今回も盛り上がっておりまして、今回はここまでとさせていただきたいと思います。
次回はこの茅ヶ崎の2日目の午後から始まります。
9代目市川男重郎から続いてきたこの茅ヶ崎の文化の流れというのが、どのように香山裕造、サザンオールスターズというスターを生み出すに至ったのか、というところを次回お楽しみにしていただければと思います。
ということで今回はこの辺で。ありがとうございました。
48:46

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