1. 大人になりたい旅がしたい
  2. #100【金沢】雨に捧ぐ思索と謡..
2025-04-28 1:08:32

#100【金沢】雨に捧ぐ思索と謡Part3

霖雨蒼生・金沢 雨に捧ぐ思索と謡3日目


加賀100万石の首府・金沢。工芸、アート、グルメ……と多彩な魅力が集まる日本有数の観光都市です。しかし、今日の栄華へ至るまでに、長い苦難の時代を歩み、その歴史は特殊な文化や芸術を育みました。今回は、リピーターへ向けたディープな金沢へ、敢えて“雨”の時季に訪れることで“哀しみ”が醸した特有の気分を体感します。


【目次】

〜 皆さまのおかげで100回を迎えました!

〜 コンセプチュアル&キュートなパンの数々 【ひらみぱん】

〜 “百姓の持ちたる国” 加賀100万石“の前”の金沢とは 【金沢城公園】

〜 大河ドラマにも登場! あの有名人が名づけた名庭園 【兼六園】

〜 加賀国全体へ視点を広げて“金沢大野”へのアクセス

〜 こだわりの地産醤油を使ったラーメンを 【大野湊食堂】

〜 時代を先取りした技術者の業績を紹介 【大野からくり記念館】

〜 世界を股にかけた!? “海の100万石”の大いなる謎 【石川県銭屋五兵衛記念館】

〜 大醸造地を代表する醤油のテーマパーク 【ヤマト糀パーク】

〜 開かれた金沢を象徴する名建築 金沢恋バナとともに 【金沢港クルーズターミナル】

〜 1日の振り返り

〜 “霖雨蒼生”の真価と必然 哀しみ乗り越えた金沢の近代


#おとたびポッドキャスト

#ポッドキャスト

#国内旅行

#旅行情報

#旅行プラン

#金沢旅行

#金沢観光

#金沢

#金沢城

#兼六園

#金沢大野

#大野からくり記念館

#銭屋五兵衛

#金沢港クルーズターミナル

#歴史ミステリー


お便りフォームはこちら

おとたびマイマップは⁠⁠⁠⁠⁠こちら⁠⁠⁠⁠⁠

おとたび流歴史年表は⁠⁠⁠⁠⁠こちら⁠⁠⁠⁠⁠


関連SNS公式Xアカウント:⁠⁠⁠⁠⁠⁠@ototabi_podcast⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠公式Instagramアカウント:⁠⁠⁠⁠⁠⁠@ototabi_podcast⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠晴也旅行Instagramアカウント:⁠⁠⁠⁠⁠⁠@hanakin_kozakura⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠


⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠イラスト:shoki⁠⁠⁠⁠⁠⁠@shoki⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠音楽:BGMer(⁠⁠⁠⁠⁠⁠http://bgmer.net⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠)

サマリー

このポッドキャストの第100回では、金沢における雨に捧ぐ思索と謡をテーマに、金沢の歴史や文化、地域経済に焦点を当てた深い旅のモデルコースが紹介されています。金沢の特産品としてのパン屋や観光スポットについても言及されています。金沢の歴史と文化を考察し、小山御坊と兼六園の重要性を探求します。小山御坊は農民自治の象徴であり、兼六園は加賀藩の文化と経済の発展に寄与しています。大野エリアを舞台に、観光スポットやその特徴的な食文化が紹介されており、特に大野港食堂で味わえる特製醤油ラーメンや、大野からくり記念館における歴史的な発明家・大野弁吉の偉業が取り上げられています。このエピソードでは、加賀藩と前夜護兵の密貿易の謎や、その影響を受けた地域の経済と文化について深く掘り下げています。ゼニア護兵に関わる湖の勘卓の奇妙な事件や、教科書には載らない歴史の裏側が語られています。金沢港クルーズターミナルでは、美しいデザインの建物とともに、地元の名産である醤油の魅力が紹介されています。また、観光スポットとしての役割とともに、恋花のエピソードも語られています。第3部では金沢の観光スポットや文化の歴史に焦点を当て、特に兼六園や金沢城の魅力を探ります。苦しい歴史を経た金沢の人々が文化を継承し、工芸都市としてのアイデンティティを形成してきたことについても触れられています。

金沢の旅の始まり
大人になりたい旅がしたい。このポッドキャストでは、旅行とお酒が好きな同級生2人が、大人だからこそ知りたい、ちょっとディープな国内旅行のモデルコースを紹介していきます。旅のお供はこの2人。
旅が行き甲斐ない旅行ガイドブックの編集者、晴谷です。 ディープな旅がしたいけど知識がない旅行初心者、内田です。
今回ですね、100回だそうです。 ついこの間1周年でしたけど、ついに3桁。
いやーすごいな。 早かったですね、そう考えると。 確かにね、意外と1年、計算上ね、丸1年で大体100回ぐらいかな、みたいな話をしてましたけど。
いやーついに100回ですか。 われながらすごいな。 いやーよく編集しましたよ、これだけ本当に。
それに言うとよくコースがね、これだけできましたね。 でもまだっていう感じですね、全然ね。
金沢だって今回が初めてだもんね。 そうだね。 本当は2、3回に分けた方がいいくらいなんですけどね、金沢ね。
今回は別に通常回なんですけど、今後ね、どんどんどんどんこの回を重ねていけたらいいですね。
ということで今回のこの100回目はですね、 隣羽創生金沢雨に捧ぐ施策と歌いの3日目という回ですね。
前回までで江戸時代が終わって少し元気がなくなってしまった金沢の地域。
で、そこのV字の谷の時代に生まれた金沢三文庫の記念館に寄ったり、そこから盛り上がっていく時代を作った谷口義郎、そして吉尾和役ですね、の建築館を見てきて。
で、その先に今に繋がる工芸の街としての金沢というところを2日かけて見てきたわけですね。
じゃあ3日目は何を見ていくんでしょうか?
はい。あのね、3日目はね、正直なことを言うと、このテーマとかちょっと関わりが薄れます。
あ、なるほどね。
はい。なのでもう今回のテーマは結構2日目まで割と完結してるんですけど、じゃあなんで3日目やるんだってことなんですけど、これがですね、今回はあくまで金沢という街だけをずっとやってきたんですけど、
僕はね、今回紹介している金沢は最初に言ったんですけど、あくまでも都市であり消費地なんですね。
じゃあその日本第4位の人口を抱えたほどとも言われている金沢は、どういった生産基盤に立ってこの街の経済は回っていたのか?
そこにむしろ経済に左右されない生産者としてのポテンシャルがあるんじゃないかっていう、そういったものを巡っていきたい。
ただしそれは金沢を離れなければならないので、そのための導入の回としたいんです。
つまり、もう全く予定ありませんけれども、今回一応金沢は終わりにしますが、その先に実は加賀方面には別の地域にそういった不思議な生産地がたくさんあって、これは尾の十日田と言ったんですよ、そっちの方にはね。
そういう別の二泊三日が本来できるので、そっちへ向けた導入を最後にして終わりたいなというふうに思っています。
じゃあ早速ね、紹介をお願いします。
1日目で行ったんですけれども、この3日目の工程だけは晴れてることが前提です。
結構歩いたりする?
というか自転車に乗るんですね。
あーなるほど、それは無理だな。
そうなんですよ。
あと行く場所行く場所が結構天気とかによって晴れてる方がいい場所だなって思うんですね、見られる景観がね。
なのでこの3日目は、もし本当にコース通りに行く方がいたら、3日目ということにこだわるんじゃなくて、晴れた日にこの工程を行ってください。
他の1日目と2日目のやつを雨の日にやってほしいと、そういうふうに聞いてもらえればいいかなと思います。
一応今回3日目というふうに話をしますけれども、3日目帰る日になりますのでチェックアウトしなければなりません。
ちょっと早いんですけれども、高林房周辺の宿を大体8時くらいにチェックアウトしたという想定にしましょう。
ちょっと今日夜帰るのに早めにしてあります。
なんですがあんまり歩きたくないというかですね、重い荷物持ちたくないのでチェックアウトをしながらも、後でホテルに戻ってくれるような動線にしてありますので、荷物を預かってもらった方がいいと思います。
なるほど。
なので手ぶらの格好で持ってチェックアウトだけ済ませた状態にしてください。
で、高林房の宿からですね、大体5分から10分ほどのところにあるのがひらみパンです。
おしゃれそうなベーカリーという感じだね。
そうなんですね。
え、メロンパンの量すごくない?
これ面白いんですよ。
え、すげえいっぱいあるじゃん。
これ通販できますよちなみに。
へえ。
正確に言うとメロンパン風のお菓子ですね。
はあはあはあ。
このメロンパンはどこかお菓子、パンのようでパンではない。
パンかお菓子か菓子パンか。
すごいなんか絵本みたいに紹介されてるね。
そうなんです。
へえ、かわいいな。
このひらみパンさんというのはこういうお店なんですね。
今見てもらっただけでなかなかちょっと不思議なお店だなというのがあったんじゃないかと思うんですけど。
ここはですね、おっしゃる通りベーカリーカフェ、そしてビストロとしてもやってるところなんですけれども、すごくコンセプチュアルなパン屋さんなんですよ。
で、このご挨拶のところを見てもらうとですね、自由に気ままに何かを表現していたいと。
なぜパンやお菓子を作っているかというと、そこに思想を込められるから。
作り手の生き方を投影できるというか、言葉にできない感覚や心情を形にできるというかということでね、試作するパン屋さんなんですね。
これいいお店なんですよ、めっちゃ。
つまりパンというものはもちろん口に含んで美味しいわけなんですけれども、それ以上に一つのアートみたいなのをこの人たちは考えているんです。
なのでもちろんパンとしてまずめちゃくちゃ美味しいんですよ。
すっごいこのパン美味しいんですけど、同時にこのお店の中のレイアウトとか見てもらうと本当にね、絵本の中の世界のような、魔法使いのイエナはないですけれども。
というものだったりとか、さっきのお菓子なメロンっていうオリジナルキャラクターが生まれていて、
要はパンを食べるまで、買うまでのストーリー性だったりね、そういったものにすごいこだわっていらっしゃるコンセプチュアルなパン屋さんです。
この外観もね、スターがすごい絡まってるおしゃれっていうか、独特ね。
実はこの辺り長町、長居町と書いて長町と言うんですけれども、加賀藩の武家屋敷があった昔の住宅街なんです。
だから一見高林房の繁華街とかから近いは近いんですけど、全然面向きが違くて、ちょっと本当に市民生活寄りなゾーンになってくるので、
観光地でもあるんですけれども、より静かでしっとりとした朝を食べられるような気がしますね。
ちょっとこの辺りはね、大道市場とのコントラストを意識した辺りなんですけど。
これが朝ごはんのメニューですね。
クロックマダムとかね、ティッシュとかね、そういった特製のパンにお飲み物がついているというモーニングメニューでね、
美味しいですよ、美味しいし、大切に時間過ごそうって思うというか。
なんかちょっとその丁寧な暮らしっぽい感じだよね。
写真の色合いもいいですよね。
いいね。
さっきね、もう内田がいきなり飛びついちゃったんですけど、お菓子なメロンね。
とかね、この辺ね、ストーリー、面白い人とグッズがあったりもするわけなんで、このお菓子なメロンすごいよね。
すごいな、これ何種類あるんだろう。
12個入りなんだけれども、種類で言うと何個あるんだろうね。
28?
かね、ちょっと同じものが増してるかもしれないけれども。
っていうところなんですよ。
この辺ね、オンラインショップもありますので、
ぜひ興味ある方は、このお菓子なメロンすごい可愛くて、プレゼントとかにも非常に喜ばれるのでね、
ホームパーティーにご用意なんてある方いいんじゃないでしょうか。
ちょっと見てみてほしい、可愛いこれ。
でしょ、これね、どっかで何かの機会で持って行きたいなと思うんですよね。
今度そうそう、お子さんが生まれたところの家とかにいいかなと思ってね。
ちょっと楽しいじゃないですか、これ可愛くて。
というね、すごい良いお店なので、面白いんですよ、このお店本当に。
まずホームページを見ていただくところを第一歩にしていただきたいと思いますね。
はい、ということでこのひらみパンさんでした。
金沢城公園の歴史
で、こっからはですね、晴れた日にできる金沢観光を雑としておきます。
ということで行くのは、ひらみパンさんからちょっと逆方面になっちゃうんですけれども、
高林坊のほうに戻って、さらに渡って道路をね、金沢城公園ですね。
これ行ってなかったですから、今回。
確かに。
で、金沢城公園今更ともいう感じにはあるんですけれども、
なのでリピーターの方は飛ばしてもらっても結構かもしれません。
が、加賀藩の本拠地としてやっぱり名高いこのお城なわけなんですけれども、行きましたかね、ちょろっとね。
ちょろっと行ったかな。
もう知っている通りね、加賀百万国、というか、
加農別百何十万国の主婦としてね、栄えた北陸地方有数の城郭です。
でね、特徴といえばね、この色ですよね。
金沢城はね、白いんですよ、どこも。
そうね。
で、建物自体はね、天使閣とかも元々なかったような感じなんですけれども、
矢倉とかあるいは塀とかは湿気を残っていたり復元されたりしていて、
それが本当になだらかな平城みたいな感じでね、
ちょっと一見百何十万国の城にしては意外と建て替え建てもないなとかと思うかもしれないんですけど、
あんまりそういった思考じゃないんですね、金沢城というのはね。
一説に言えば悪に睨まれないようにしたとも言いますけどね。
一番要は経済規模とかで見えた強い大名であればね、
なんかやっぱり脅威なわけですよね、前田県はね。
まあそうね。
そこにこうすごくでかい巨城を作っちゃうと、
なんかまあいつでも攻められるぞみたいな姿勢にも見える。
そうなんですよ。
この辺りね、実は第二の大半である薩摩藩も同じですね。
薩摩藩もね、鹿児島城はね全然建物は大したことなかった。
仙台も同じです、青葉ね、伊達家。
だからこの辺、戸様のね、超有力大名を意外と起品したのかもしれません。
という感じです。
で、いずれにせよこの金沢城公園なわけなんですけれども、
本当に広いのでいろいろ見られます。
で、この矢倉の中に行くと実際資料みたいなの展示されてもいますし、
兼六運とは別にね、お庭もあったりして、
そういった方に行くとね、いろいろ文化施設もあったりするので、
晴れた天気だったり気候によってね、変えてもらってもいいと思います。
で、またあの金沢のこの鹿児島藩の話は割と最初にしてしまったのでね、
そんなに詳しくはもうお話はしないんですけれども、
一つね、ある意味伏線をずっと張ってたんですが、
この金沢城公園でね、関する一つエピソードとしてましてですね、
実はこの金沢城今でこそお城なんですけれども、
当初ね、前田利家という鹿児島藩層が入ってくる前はね、
ここにね、お寺があったんですね。
これね、お寺の跡なんです、そもそもここは。
へえ〜。
お寺の跡にお城を作った。
そうです。
なんでそんなことしたかっていうと、
これはね、戦うお寺だったんですね。
以前ね、越前の浅倉市のところでちょっとやったかもしれないんですけれども、
北陸地方の戦国時代というのはね、
一興一揆のもうすごかった時代なんですよ。
一興一揆っていうのは今で言う浄土新州ですね。
浄土新州の人たちが束になって、
上からの支配に対して跳ねつけるみたいなね、
そういったその都統を組んだことを一揆と言って、
それが戦いに及んでくると、
やっぱり一揆と第二の戦争になってきたりするんですけれども、
それがすごかったのが香川の国なんですね。
ああ〜。
で、金沢はね、今は主婦なんですけれども、
ここには当時ね、お山ごぼうっていう一興一揆の拠点があって、
これが猛威を振るってたんですね。
で、日本史の教科書、大学受験とかの教科書で、
香川の国という国名が単独で現れるのは、
おそらく15世紀末の香川の一興一揆というものです。
で、これはまあね、
黄泉の間に幕府がめちゃめちゃになる。
そして北陸は北陸で、
浅倉高谷みたいなよくわかんない物騒な奴が、
越前を掠め取ろうとしてる。
これが以前ありましたよ。
小山御坊の歴史
大輪の間で裏切ってキャスティングボートを握ったっていう人ですよね。
あれが越前、隣国の越前で何かやり始めてる。
で、香川の国はね、戸賀氏って大名がいたんですけれども、
これは由緒ある守護大名です。
なんですが、越前もよくわかんないことになってるし、
越中は越中で何かわけわかんなくなってた、その時になってたんですね。
で、要は北陸はね、非常に不安定な地政下になるという中で、
戸賀氏にも内乱がやっぱり起こって、
その片方が一公一騎っていうとんでもない民衆の力があるから、
これと手を結んで敵を滅ぼした。
ところが滅ぼしてみると、いよいよ一公一騎が邪魔に思えてきたんですね。
要は民衆すごい力なんで、数としては一人一人は弱いかもしれない。
で、この一公一騎と手を切っちゃおうと思ったら、
一公一騎がぶち切れて、
なんとこの戸賀氏を攻め滅ぼしてしまったんですよ。
これなかなかないんですよ。
すごいね、まあまあ民衆の力だよね。
そう、一人一人は普段は農作業とかしてる農民とかですよ。
これがただ束になりすぎて、
とうとう一つの代名を消しちゃったんですよ、歴史から。
っていう大事件が起こったんですよ。
で、これでいよいよ室町幕府も終わりだと。
もうもはや百姓ですらそんなことやるくらいなら、
武家が下告状しちゃったっていいんじゃね?
みたいな話になってくる。
で、こういう時に年表が生きてくるんですけど、
後で見ていただくと、
このほぼ同時期に下告状を起こしたのが、
出雲の天御殿人なんですよね。
がっさん戸田城を奪っちゃってるんですよ、峡谷から。
っていうことが毒発するんですよね。
だからやっぱり同じような現象起きてるんですよ、東西でね。
そういう時代っていうことだよね。
そういうことなんですよ。
そういう、その一公一家が拠点として、
要はお坊さんが民衆を仕切ってたのが、
香川の国はなんとほぼ100年続いたんですね。
小田原が一公一家滅ぼすまでの間、
香川は百姓の持ちたる国なんて言われて、
真っ当な大名が誰も治めない、
民衆が自治をするっていうヤバい国になったんですよ。
いやでも100年も続くってことは、
まあそれはそれで香川はうまくやってたっていうことだよね。
香川はね、ある意味ね、
東も西も一公一家の制御下にあったので、
香川は攻められなかったんですよ。
ああ、なるほどね。
西の朝倉は越前一公一家を大萌えしてて、
朝倉はずっとそれで悩まされて、
東は越中は神母っていう、
ちょろっと話したんですけど以前、
富山城とかを取り囲んでぐちゃぐちゃになってる時に、
神母は弱かったからいいんだけど、
そろそろ神母と戦続きになってる。
けど神母は要は香川に攻める力って全くないので、
越中の中で揉めてた。
ところが東からヤバい奴が来たの。
これ長尾陰虎ですよね。
これが来たので上杉謙春が来ちゃったので、
越中の一公一家がメタメタになって、
神母もどっか行っちゃって、
ようやく香川に攻め込まれて。
これで大体終焉を迎えてくるわけなんですけどね。
そういった歴史がありますが、
とにかく15世紀の末から上杉謙春の登場くらいまでの、
大体80年くらいの間は、
実は香川は戸賀氏の遺志みたいなのを、
無理矢理傀儡にして百姓が、
百姓が実質治めてたっていう国だった。
というので、
寺といえばもはや実質城なんです、
その時から。
なるほどね。
っていうのがこの小山御坊。
そういった見方で見ると、
神奈州という町の成り立ちが、
また別の見方から見えるんじゃないかと思うので、
あえて今回リピーター向けということで、
王道の傀儡の話はあんまりせず、
この百姓の持ちたる国だった、
その拠点だった小山御坊の話をしました。
兼六園の魅力
なるほどね。
そして神奈川城に来たからには、
もう一つ言っておきましょうというのが、
兼六園になるわけですよね。
この城があまりにも広いので、
城の中へ移動するだけでも10分は夕にかかると思います。
これは我々も言ったんじゃないかと。
そうですね。
はい。覚えてますかね?
あんまりゆっくり見てなかった気がするな。
そうなんですよ。
あれは信じ難いことに、
喉から帰ってそのまま東京に帰るっていう、
今思えばあり得ない工程なんですけど。
そうね。
だからちょっとあんまりゆっくり回れてないなっていう感じはありますね。
ただやはり社会科の教科書とかで、
これが日本三名園と言われるだけの、
地線回遊式、
つまり池とか泉の周りを回るという形式のお庭の、
本当に日本の最高傑作と言っても過言ではないでしょう。
この兼六園というものがあるわけです。
これも王道的な話はしたら、
それはそれでいいんですけれども、
セクナルでちょっとリピーター向けというか、
ちょっと入所の辺りを探ってみたいと思うんですが、
加賀藩というのはそういうわけで、
藩層前田利家、
この人はね、
大河ドラマの主人公になったりもして、
利家と松っていう大河ドラマね。
唐田利明さんが前田利家を演じて、
松島七子さんがね、
その奥さんの松というね、
この二人三脚でね、
百万石を築いたっていう実場に基づく、
夫婦の物語で、
ちょうど2000年代に入ってすぐだったというのもあってね、
この利家と松の境に大河ドラマの潮流が変わったと思うね、
言われてるぐらいのね、
ある一時代を築いた。
とにかく前田利家というのはもう金沢の英雄でね、
金沢氏も誰もが知ってるものでしょう。
で、そういうわけで前田家は加賀藩として生まれたわけなんですけど、
利家の死後ね、
利永というのが後を継いだりして、
それで北陸の三河国の大半になるわけなんですけど、
加賀藩はそういうわけで日本最大勢力なので、
幕府も当然警戒をしました。
ただね、加賀藩は前田利家の家風にもあるんですけど、
争い事をそんなに好む感じじゃなくて、
割とおとなしいんですね結構やり方が。
で、幕府もそれをわかっていたので、
何癖つけて潰しちゃおうとかじゃなくて、
うまく自分の家族に取り込もうとしたんです。
そのため前田利家という人物がいるわけなんですけれども、
利家の息子です。
が三代目の藩主になります。
利家から数えると。
この人の奥さんは徳川秀多の娘だったりします。
つまり徳川一族にも取り込んじゃおうと。
それで平和的解決を目指すんです。
それがこうそうして加賀藩はね、
薩長のようにあんまり幕府に対する無本度も起こさずに、
それだけに幕府との協調関係を築きながら、
260年の間ずっとこの石川県を治めましたね。
なので逆に言うと、
それだけ文化が一つの方向性でずっと静寂したから、
これ最初の話に戻りますけど、
経済も文化もこの加賀藩経済圏の周りのようになっちゃったんですね。
兼六園はそれが良い方向に働いたもので、
つまり同じコンセプトでずっと何代も何代も、
いろんな藩主がこのお庭を綴り続けられたんですよ。
始めになったのは前田綱乗りっていうね、
これもやっぱり徳川はだいたい4代くらいの、
藍津藩の穂志那雅之とかと同じくらいの人なんですけど、
文知派の名君としてね、
平和な時代を築いたっていうんでね、
教科書に載る人物です。
この人が自分の別邸みたいな感じで、
お城のそばにお庭を作ったのがそもそもの始まりだった。
で、綱乗りの時代から何代も何代もずっと加賀藩はそういうわけで、
ゆったりと時が流れていくので、
歴代の藩主が徐々に徐々に拡張していった結果、
今このようなものになったというね、
そういったものです。
最初にできたところからどんどんどんどん増築じゃないけど、
広がっていって今の形になってるんだ。
そういうことです。
なので実はね、兼六縁って呼ばれているこの名称も、
当初は違ったんですね。
毎夏長野の時代にこんな名前はありませんでした。
これは付けられたのが意外と遅くって、
19世紀の初めです。
結構最近に感じるね。
そうそう。
これどういう意味かって分かりますかね。
これはちょっとさすがに。
分からんね。
これもちろんいい名前なわけなんですけれども、
中国の古寺に静かで清らかなお庭の条件みたいな、
マニュアル書みたいのがあって、
そこに6つの条件があるんですね。
その6つの条件全てを兼ね備えているのが兼六縁だということです。
つまりこの庭というものに求める全ての魅力がここに備わっていると。
さっきの小夏さんみたいな感じなんですけど。
というものをとある人物が付けたんですね。
これは教科書に載っている江戸時代の有名な政治家なんですけれども、
漢製の改革というものを主導した老人覚えてますかね。
単語はあったなっていうのはありますけど、
なんせ僕はできなかったんでね。
そして今年の大河ドラマを見ていないと、
言えることなんですよね。
これバレちゃうわけです。
ちょっと見ますわ。
これは松平貞信という人物です。
奥州白河藩の松平貞信が付けた名前なんですね。
前だと友達だったんですこの人はね。
なので友達にいい名前を付けてくれっていう。
貞信はそういう登用がすごかったので。
っていうのでこの貞信が付けた名前が兼六縁でした。
なのでね、ちなみに大河ドラマはまだ貞信子役です。
寺田心さんがやってるんですけれども、
青年期のね、まだ政治家にもなってない。
これから後半多分この貞信はね、
悪役として出てくるんですよ。
津田谷十三郎にとってはね、
金沢の文化の継承
津田谷を弾圧するんですね。
ネタバレなんですけど。
なので誰がやるか非常に興味がありますが、
多分最後の最後の縁だから、
シークレットなんでしょうね。
結構大物がやるんじゃないかと思いますね。
まあそういうので今年の大河ドラマにも
ゆかりのあるのがこの兼六縁のもう一つの側面だということですが、
初めて行かれる方はそもそもここに
たっぷり時間を取ったほうがいいと思いますので、
ぜひ晴れてる時期にね、
行っていただくといいんじゃないかと思います。
で、こっからがね今日の本題です。
つまり金沢の中心市街地はここで一旦終わりにします。
徐々に徐々に消費地だったこの都市としての金沢から、
生産地、あるいは中継地であった
もっと広い加賀の国の方へ視点を移していきたいと思うんですね。
そうすると金沢の消費を支えた加賀の国の生産というものが見えてくる。
そこに新しい旅行テーマがね、
徐々におぼろげになってくればいいなという感じで。
ということでね、ちょっと移動します。
兼六縁からホテルに一回戻りましょう。
高林坊近くのホテル、
まあ大体10分から15分で着けると思いますので、
そこで荷物をピックアップします。
大体これがお昼頃という想定です。
で、高林坊の近くのホテルで荷物をピックアップしたら、
北鉄バスで10分ほどで金沢駅に着きます。
今まで我々は金沢駅の東口、兼六縁口って言いますけれども、
の方角にしか我々行ってなかったんですけど、
今回は逆側に行きます。
なのでおそらくバスは東の方に着いちゃうと思うんですけれども、
そこで降りたら金沢駅を横断するような形で移動をしてください。
その途中で荷物を新幹線の近くに預けるのがいいのかなというふうに思います。
で、また身軽になっていただく。
そうすると今度金沢駅西口の方のバス停に行っていただいて、
ここから別の北鉄バスに乗りましょう。
金沢大野エリアの魅力
そして目指すのが、北鉄バスで32分ほど金沢港クルーズターミナルバス停です。
つまり海に来ちゃってるんですね。
金沢の海ってあんまり想像つきますかね?
あんまり印象ないんじゃないでしょうか?
あんまりね、そうだね。
でも地図上で言うと、野党半島の根本みたいなところなのかな?
ちょっと見てみましょうか。
ここです。
この辺り。
これです。
つまりね、加賀藩にとっての外港ですね。
外の港、つまりちょっと離れた郊外にある港が、
この金沢港クルーズターミナルのあったエリアなんですね。
これを金沢大野って今は言ったりします。
大野というのがこの辺の地名です。
大野金沢っていうところのエリアなんですけれども、
とにかくこの金沢大野エリアを3日目のメインのスポットとしてご紹介したいと思うんですね。
これなかなか金沢単純に行くだけじゃいかないと思います。
結構最近注目が徐々にされ始めてきた、一足伸ばしてスポットなんだね。
ただここが実はめちゃくちゃ面白いんですよ。
ということで海までやってきました。
クルーズターミナルはちょっと後で話しますので1回飛ばしますが、
ここを拠点に観光したいので、
ここでまずレンタサイクルを借りてください。
クルーズターミナルにポートがあるんですね。
ここでレンタサイクル待ち乗りというものが金沢市さんのサービスでやっていますので、
これに乗っていただいて自転車を借りましょう。
そしたらこの大野地区を自転車で散策するわけですね。
まず最初の目的地がクルーズターミナルから10分ほど行ったところにある大野港食堂です。
食堂だけどラーメンだね。
はい。ここの売りはラーメン屋さんなんですね。
へー。
あーいいね。
中華そばっていう感じですね。
はい。本当にね、今お腹空いてるんでいいですね。
いいね。
餃子も大振りな感じというかね、身が詰まってそうな感じでうまそうだったな。
ラーメンはどうですか?見てる感じ。
いやーこれはもう本当普通に醤油のスープに黄色い中華麺で、
チャーシューが結構立派だね。
本当ですね。
いやもう本当シンプルな中華そばという感じですよね。
はい。そうなんです。
これはね、見た目一見普通の醤油ベースの中華そばなんですけど、
この金沢大野はですね、醤油がただの醤油じゃないんですね。
これはかつて日本古代醸造地とも言われたほどの醤油の超名産地なんです。
金沢大野というのは。
なのでこの地場産のね、大野加賀醤油ですよいわゆる。
これを使った特製醤油そばなんです。
へー。
じゃあどういう違いが出てくるんですか?
これね、このラーメンに限らずの話なんですけれども、
もちろん醤油もいろいろあるから、
これは多分ラーメン、醤油ベースのラーメンを作るに適した醤油をセレクトされてると思うんですけど、
金沢に行っていただいて、特に旅会系のお店に行っていただくと、
醤油が甘いということに気づくと思うんです。
あー、そうだった気がするな。
これ我々九州にゆかりのある人間からすると、
あれ?なんか九州の醤油に近い?
人吉の醤油に近いのかなとかって思うと思うんですけど、
これね、金沢もね、加賀醤油というのは甘いんですね。
へー。
もうほんと同じ感じ?九州の醤油と。
そうね、ちょっと違うけど、
粘度がちょっと違う気がしますけどね。
でもね、加賀醤油だから九州の人間はすごく食べやすいと思いますが、
ただ全然その甘くて受け付けないということはないと思います。関東の人でもね。
ただこれが特色でね、
これがやっぱり昔の発酵技術とかをね、
活かした昔ながらの製法でもて作られた醤油の名産地なんですね。
なので、この大野港食堂でぜひ食べていただきたいのはやはりね、醤油ラーメンです。
ほんとにシンプルなんだけど、使っているお蕎麦の醤油はめちゃくちゃいい醤油なので。
へー。
すごい醤油蕎麦を食べられるはずです。
大野からくり記念館の歴史
いいなー。
実際おいしいです、マジで。
はー、腹減ったなー。
そうですよね。
で、あとね、このお店ちょっと特殊すべるところがあるとすると、
この佇まいを見てほしいわけなんですけれども、
すごいレトロな。
おしゃれな緑色をかかった感じで、デザインが素敵な昔ながらのって感じしますよね。
というわけでですね、実はこれはね、映画のロケ地なんですね。
へー。
中谷美希さんがね、主演されたのかなと思うんですけれども、
幸せの香りというね、映画のロケ地なんですね。
幸せの香りというね、映画の舞台になって、
特製醤油ラーメンの楽しみ
ここがね、その中華料理店が舞台になってるんですけど、このお店が使われてるんですね。
へー。
なのでやっぱりこの港町のね、ちょっとノスタルジックな形で、
しかもこれ運河沿いにね、運河というかもう港の河口沿いにね、本当に面しているので、
船とかがこう燃える、ぷかぷかと浮いている風景を見ながらね、
この散歩したらラーメン屋さんがあるよっていう、まさにちょっとストーリー性を帯びたね、ロケーションなわけです。
はー、いやでも確かにいい雰囲気の場所にあるね。
港感があるね。
港感ありますよね。
この幸せの香りっていうのがね、ちょっと映画自体はね、僕まだ見てないんですけれども、
この中谷美希さん演じるシングルマザーが、
年老いた中国出身の名料理人に弟子入りする。
へー。
そしてその絆をね、描いたっていうようなハートフルなストーリーだそうなんですけれども、
この中華料理がね、要は大野港食堂なんですよ。
へー。
ロケ地です。
ちょっと僕も見てないんでごめんなさい、これ以上わからないんですけど。
ただそういったね、使われ方も納得するような良いロケーションのスポットになっています。
で、ここでまあ腹ごしらえをしていただいた後ですね、
こっからがね、その世界を開いていく不思議な話をしていきたいわけなんですけれども、
大野港食堂から自転車で5分ほど、より海の方に近づいていただくとですね、
大野からくり記念館というものがあります。
わー、なんか不思議な建物。
わー、なんだこれ。
不思議な建物ですよね。
なんかね、こう丸っこい感じのね、かわいらしいよね。
まあだからそれこそからくりだから、なんかおもちゃの街みたいな感じですよね。
はいはいはい。ドーム状になってね。
このね、なんで大野にからくり記念館なんかあるのかって話なんですけれども、
これがね、実はね、独身的なものなんですよ。
江戸時代に実在した伝説のからくり儀式、
大野弁吉という人物がここにいたことによってね、生まれた記念館なんですね。
この人物です。
大野弁吉、1801年から1870年なので幕末ですね。
の人で、何者だったかというと、
京都に生まれた人なんですけれども、
金沢にはね、向こう入りしてきた人なんですね。
で、向こう入りをしてきたんだけれども、実はそれ以前にね、
長崎とかに留学をしていて、
そこでね、西洋の最新技術をいろいろ学び取っていた。
で、化け学とかね、そういったものに通じていて、
この人はそういうのに天性の才能があったのかね、
それをすごいスピードで体得したんですよ。
一説には、朝鮮とか津島にも密かに渡っていたっていうんですよ。
これもちろん国境ですよ、朝鮮は特に。
なんですけれども、密かにそっちまで行ってね、
世の日本人が全く知り得ない技術を知ってたっていう謎起き人物なんですよ。
っていう噂がある。
これによって、向こう入りしてきた金沢で、
その体得してきた技術でもって、
いろんなものを作った発明家なんです。
面白いなあ。
今の時代にそういう人ってあんまりいない気がする。
発明家っていう職業があるのかどうかわかんないぐらい。
そうですね。
面白いね。
この人がそういうわけでね、自動でゼンマイ軸掛けでね、
カラクリ人形とかをいろいろ作ったっていうので、
カラクリ技術としてね、やってたわけなんですけれども、
このお人形さんとか可愛いんですけれども、
ところがね、この人のカラクリ技術はね、
ただ人形を作るためにあったわけではなかったんですね。
で、これがね、あくまで一節二話ですよ。
一節二話なんですけど、
湿版写真っていう技術わかりますか?
湿ってる板の写真と書いて、
今の写真とは違う撮り方なんですけれども、
個人の問題でね。
これを一節二話、
世界で初めて発明した人って言われてるんですよ。
日本人じゃないかっていう説があるんです、これを発明したの。
はあ〜。
そんなことあんの?
湿版写真というのは一般的には、
ヨーロッパの方で1850年代に生まれたっていうのがこの世の定説なんですけど、
王の弁吉の遺物とかを見ていると、
こういう人ね写真機持ってるんですね、自分の。
自分で写真機持ってる、発明してるんですけど、
これもしかしたらその年代より遡るんじゃないかっていう説があるんですね。
もしそれが本当なのだとしたら、
世界で初めて湿版写真を作ったのはこの人ということになるんですよ。
え〜。
だからもうノーベル賞並みの発明家ですよ。
そうだね。
はあ〜。
うん。
すげえな。
だからその時のね、やっぱり、
このポッドテストでも結構この年代、
マイナーな時代の割にはすごいやってるんですけど、
これは年表を見て欲しいんですけどね、
秋田蘭河の流星の話、
そして謎を置きあえずサザエ堂が謎の造形をできていた話、
とか高田赤兵衛がロシアへ行った話とか、
そういった時代の系譜にあるので、
おそらく日本の教科書から見たときに、
一途とも終えるような不思議な西洋流入文化がね、
この時代の日本というのはね、
我々が思ったより遥かに先を行ってたんじゃないかって気がしてるんですね。
で、突然変異的に、
そういった謎の科学書みたいのが出てきて、
こういった着足跡をヒントを残していったっていうんですね。
あ〜。
うん。
え〜。
なんで知らないんだろうこういうの。
一般の王道の歴史じゃないからなんですね。
あくまで地域の中でささやかれてる噂っぽいんだけど、
実はそれが本当の歴史なんじゃないかと。
ただもちろん王の弁吉が実在したのは事実ですし、
彼がいろんなものを残していって、
出版写真を手にしてたのも事実なんですね。
え〜。
すごいな〜。
本当にもう最先端の科学者発明家っていう感じなんですね。
そうなんですよ。
一回の要は商人ですからねこの人もね。
別に科学者やってるわけじゃないんで。
科学者職業そんなにないですから。
そうか。
っていう謎多き人物がいたことによって、
ただこのミュージアム生まれていて、
これも非常に建築的にも面白くてね。
まさにカラクリ仕掛けって本当感じですよね。
これ写真としても非常に映えるので、
たまにインスタグラムとかでも結構インフルエンサーの方が撮り上げてたりしますので、
これ見たことあるって人もいるかもしれません。
展示室の中から見るとすごいかっこいいんだよね。
そうなんですよ。
木組みでね。
こんな感じです。
いいね。
かっこかわいいって感じですね。
そうですね。
いずれにしろすごくSNS映えするスポットになってるので、
その観点で知ってる方もいるんじゃないかなという気がしますね。
実際にはこの建築家はいくらでも写真撮れるんですけど、
大野弁吉の遺物だったり写真というのは残念ながら撮影禁止なので、
ここはしっかり目に焼き付けていただいて、
歴史の不思議を体感してもらえるといいんじゃないかと思います。
そしてね、この大野からくり記念館からちょっと離れた内陸の方、
ゼニア護兵の興味深い歴史
自転車で20分ほど行ったところにあるのが、
石川県ゼニア護兵記念館です。
これはね、
僕もね、今いろんな歴史のミステリーを知ってるんですけど、
その中でも特に興味があって不思議な話なんですよね。
ゼニア護兵、これがなぜ教科書に載らないのかっていうのは不思議ではあるんですけど、
不思議すぎて誰もその正体がわからないから載せられないんですよ。
つまり教科書ってある程度断定的なことしか載せられないから、
それが歴史教育のある意味ちょっと幅を狭めてて、
このゼニア護兵が漏れてるっていうのは僕は非常にもったいないと思うんです。
これはある意味世界を的にかけたかもしれない、
全く正体のわからない謎の証人なんです。
ただ実在したのだけは間違いない。
まずちょっと通説の話をしますが、
ゼニア護兵というのはカナイワ王のあたりで
王位に振るっていた両外相でした。
この人も王の弁旗と大体同じくらいの年代なので、
江戸時代の後期から末期にかけての人なんですけれども、
その時はカノン別の前だけの経済圏というのは見る見る成熟していましたから、
この商人たちね、東海外もお金持ちが集まってたって話しましたけど、
まさにそういう時代を生きてる人なので、
この人めちゃくちゃ金持ちの豪商です。
特に加賀藩中枢部とこの人は結託をしていて、
結構藩とのパイプが強かったんですね。
なのでゼニア護兵が北前船ですよ、例によって。
北前船で乗っていろんなものを仕入れて、
それを加賀藩の産品と交換して、
加賀藩にも利益をあげていたっていうね。
藩の経済を支えたっていうような人なんですね。
なのでその加賀藩のフロントに立っていたっていうことと、
この人の金ですよね、経済力合わせて、
海の百万石と通称されただけのゼニア護兵っていう豪商中の豪商。
ちょうど高田家兵とかと同じ時期で、ある意味ライバルになるわけなんですよね。
北前船をやっていた者同士として。
通説によれば、このゼニア護兵というのは、
そういうわけで海の百万石でもってめちゃくちゃ栄えたんですけれども、
ある時、金沢大野の先にとある湖があったんですけれども、
これを金沢して田んぼに変えれば、
藩の生産力がますます上がってみんなが豊かになると考えて、
このゼニア護兵が巨万の富を通して、
これの金沢事業をしたと言うんですね。
一見いいことに思えて、
加賀藩としても農民としても助かるはずなんですけど、
ある時、その金沢の工事現場に大量の魚の死骸が打ち上がったと。
で、これはゼニア護兵が毒を海に撒いたんじゃないかと。
っていうか流出したんじゃないか。
わざとかわざとじゃないかは別として。
っていうので漁師たちが怒っちゃったんですよね。
自分たちの大切な商売である魚をなんてことしてくれるんだ、
っていうのに訴えられて牢屋に入れられて不良の死を遂げた。
80くらいだったと言われてる。
土質のドキスで。
っていう人物なんです。
ただ、それだけこの人はそもそも、
農民とか加賀藩のためにやろうとした事業だったりもしたし、
密貿易の影響
そもそも海の百万石っていうこの金沢王のは、
要はゼニア護兵に象徴される北前部での文化として、
だから醤油とか味噌も大量に売れたわけなんですけどね。
っていう地域の歴史の象徴としてこの記念館を渡っているんですね。
これが表向きの話なんです。
ところがゼニア護兵には、
誰にも明かせない裏の顔があったって言われてるんです。
これ最近分かってきたことなんです。
これ何かというと、
当時絶対にダメだと言われていた、
密貿易をやってたって言うんです、この人。
しかも加賀藩と示し合わせた上でそれをやってたっていう噂があるんです。
何を仕入れてたの?
これはね、もうもはや全く分かんないです。
一時資料が現れてないんですけど、
ゼニア護兵の船を見たという目撃証言が至るところであるんです。
そしてその至るところはどこかっていうと、
離島とか海外とか。
加賀のゼニア護兵がここにいたっていう即席の目撃証言が多発してるんです。
本来ならば通るところじゃないところで見られてるんだ。
そうなんです。
これはただね、どうも密貿易というのは本当にやってたようなんですね。
加賀藩というのはそういうわけで、
自分ところの文化というのがすごく商材だってことに、
この時から気づき始めてるんですよ。
なぜかというと、
どうも長崎とかを見ていたら、
あの佐賀藩鍋島家の毛毛ぶりは何なんだと一体。
なんであんなことになってんだって。
これいずれ佐賀の話をする時にやるんですけど、
なんで奴らは大砲まで自分で作れてるんですか。
日本にあいつらだけなんであんなことができてるんだ。
それは当時期をめちゃくちゃ売ってた。
長崎を通じて。
ボロ儲けしたやつがありたいって売ってた。
え、うちにもくた煮焼きあんじゃん。
これチャンスでしょ、これ絶対。
しかも北前船の入り子とかっていうのは、
中華料理、深ひれとか、
めっちゃ長崎で高値で売ってるらしい。
けど長崎に行くと鍋島がいるから、
こういうバチバチになるから揉めるし、
取り合いになる。
だったら日本海の前夜護兵、
あんだけ船回してんだったら、
つーかぶっちゃけ日本海なんてバレないでしょ正直。
っていうんで、
どうも三つ合意で、
これマジでやってたらしい。
それを仲介して、
おそらく海外との莫大な利益で持って、
それの一部を前夜護兵に手にしていた。
だから海の百万石生まれて成長した。
っていう黒金を犯してたって言うんですね。
それがなぜそんなことになってるかっていうと、
僕これ去年の8月に、
北海道の北にあるレブン島というところに行ってきたんですけど、
そこにも前夜護兵なんとか姫ってのが、
ひっそり立ってたのを見つけたんです。
レブン島でロシアと三つ合意としたって言うんですよ。
一方でとある民族学者が、
長崎の津島へ行った時、
これ明治以降の話ですよ。
昔この辺はどういう街だったんですかって言ったら、
今でも幕府が倒れたから言えるが、
昔加賀の前夜護兵という商人がここへ密かに来ていて、
朝鮮人人をこの津島の漁村で密かに売り買いしていて、
それを金沢に持って帰ってたんだという、
古老の話っていうのを民族学者は記録してるんですよ。
加賀藩はあれは密防域だったと今はやってみると思うけれども、
前夜の船はあれは加賀藩の船だったっていうことを証言が立ってる。
そして本当かどうかわからないんだけど、
とある明治時代の記録によると、
オーストラリアのタスマニア島に、
加賀ゼニーも何とかかんとかっていう石碑が建ってたって言うんですよ。
それを記録して日本に報告してる人がいるんです。
タスマニア島ですよ。
そこまで行けんの?
おそらくタイとかあの辺りを伝って、内容を伝っていった。
これ薩摩はやってるんですよ。
みたいなことを沖縄、バンコク市に。
薩摩は密防域やってますからね。
沖縄を通じて。
だからそれのさらにもっと大きなスケールで、
加賀藩は前夜護衛と結託して、
誰にもバレちゃいけない恐るべき密防域で、
巨漫の富を手にしたって言うんです。
裏の顔と謎
この肖像画が悪い顔に見えてきたわ。
ある意味はルールは破ってるのは明らかなんで、
悪者ではあるんですけど、
この巨漫の富を通じて前夜護衛は何をしたかということを見ると、
カナイワとか大野の発展に尽くしたりとか、
そういうわけで農民たちのために湖を勘卓させようとしたりとか、
っていう事前授業に確かに手を出してるのが事実なんですよ。
ダークヒーロー的な感じなのかな。
ただ一方でそうなってくると一層不可解なのは、
それほどの人物が海に毒をまくみたいな変なことをするかということなんですよ。
これは一説によると加賀藩っていうのは例によって、
巨大な藩っていうのは内部交差が起きるんですよ必ず。
特に江戸時代の最後の辺りに。
この時加賀藩は清掃がすごかったんです。
政治上の争いが多発していて、
派閥争いが藩内ですごかった時期なんです。
それに巻き込まれたって言うんですよ。
理想な話だよね。
つまりそれまでの主流派だった奴は、
前夜護衛と密防衛をやってたってことを、
その反対派が尻尾を掴んだんです。
それを理由に主流派を追い出そうとした。
そこで前夜護衛は爪原を切らされたって言うんです。
つまり誰にも明かしたいけない幕府にばれたら取り潰していいですよ。
この百万石とはいえ。
その秘密を封じ込めるために前夜護衛は、
自らなのか命じられてなのか不良の事項という名目で始末された。
というふうな噂がある。
加賀藩の密防衛は結局明るめになったのかならなかったのかわかんないけど、
幕府はそれを少なくとも問題にはしなかった。
闇の話だね。
こういうことが日本史上実はあるんですよと。
教科書には載らないんだけど。
だからこういう地域史って見ていくと、
日本の教科書が変わってくると思いますよ。
見方が。
裏にいっぱいあるんです。
書かれなかった事実が。
そんなのは今もあるだろうしね。
そういうことですよ。
っていうのが、
海の百万石、前夜護兵の裏の顔なんですね。
そういったミステリーと史実というものを、
この記念館に行くと一挙に語ってくれるんです。
その裏話も見れる。
見られます。
だからこの前夜護兵記念館は割と、
密防衛ってやってたんじゃないかっていう。
やってたのはほぼ間違いないんですよね。
加賀藩の経済構造っていうのは。
儲けすぎ。
そういうことですよ。
だって上手くいきすぎてるっていうのもある。
なるほどね。
面白いね。
それを記念館っていう、
割とちゃんとした施設で見れるっていうのは面白いね。
そうなんですよ。
中見ていただくと、
この前夜護兵の物語というのが、
小さな記念館ではあるんですけど、
ドラマチックにまさに追体験できる。
北前船の模型というものが、
ドカーンと中に置かれていて、
それの周りにこのミステリーが書かれてるんですね。
なので、本当に歴史の可能性と不思議を感じる、
非常に不思議な人物なんですね、前夜護兵。
ちょっと面白いね。
これは我々が生きてる間に、
本当に解明されるのかわからないんですけど、
間接証拠だけはめっちゃ集まってるっていうのが現状です。
なるほどね。
ただやっぱり加賀藩が全ての証拠を消したってことだから。
で、前夜も潰れてるんですね。
ああ。
なんか決定的なものが出てくるといいね。
そうなんですよ。
ちなみにこの前夜護兵は、王の弁吉に至上な支援をしたとも言われてるんです。
だから王の弁吉の謎めいた技術にも、
この前夜護兵の裏の顔が僕は絡んでたんじゃないかって思うんです。
なるほどね。
そこで知り得た海外の技術とかを伝えてたりとか、
もしかしたら船に乗せてたかもしれないしっていうことね。
そう、そもそも王の弁吉は本当かどうかわかりませんが、
長崎に入学して、そこで朝鮮に密かに行ったんで技術を体得した。
長崎でやったんだとか言ってたんだけど、
もしこの前夜護兵の密防衛戦が本当にそのレベルだったんだとしたら、
朝鮮に行くなんて別に不思議でもないんですよ。
王の弁吉がそっから密防衛になってても口が裂けても言えないから。
さも入学したかのように長崎のカムフラージを見せて、
実は全然もっと別の技術を取り入れてた。
だとしたら出版写真を世界で初めて発明したというのも、
あるいはあったかもしれない。
醤油の魅力と観光
っていうこの海の百万石を巡る大いなる謎なんですね。
面白いなあ。
ワクワクするね。
ワクワクしますね。
なので是非歴史透明のある方は前夜護兵調べてみてください。
残念ながら教科書にも修行書にも載ってませんが、
本当に面白い人物です。謎が多くて。
おとたびポッドキャストは裏二本紙みたいなのもちゃんと念頭に載せておきますので、
前夜護兵の技術も後で出しておきたいと思います。
ということで前夜護兵記念館に見ていただいた後ですが、
最後にお土産を買って帰りたいと思いますので、
徐々にクルーズターミナルの方に帰りたいと思います。
自転車で15分ほど行ったところにあるのが、
大和工事パークです。
これは先ほど申し上げたように、
この大和工事パークというところは、
まさに汽車前船がロゴになってますけれども、
代々醸造文化のメッカでした。
今でも醤油のメーカーが本当にたくさんあるんですよ。
この大和さんはその代表的な、
約100年以上に渡ってやってるメーカーさんなんですけれども、
それ以外にも今回のコースでいうと、
唐国記念館から前夜護兵に行く間とかに、
古い街並みがあるんですけど、そこ今でも醤油が作られててね。
その醤油の蔵を改装したカフェだったり、
そういうところもたくさんありますので、
時間を持ち上げる人はそういうところに寄ってもいいと思います。
ただ今回は自転車ということもあるので、
その帰りにこの大和工事パークさんに寄って、
お醤油だったりとかグッズを買って帰ればいいかなと。
ここすごくてですね、これ全部なんですよ。
すごい、いっぱいあるね。
つまり本社製造工場があるというのはともかくとして、
それ以外にも直売所もあります。
キッチンスタジオなんてのもあるんですよね。
テイクアウトコーナー、商品ルーム、体験プログラムコーナー。
そしてね、これ僕行ってないんですけど、
去年できたらしいんですけど、これちょっと見てもらっていいですか。
なんとね、博士さんと日本から望むテラスで
ドブロクを飲んで楽しむのが研究っていう。
本当かという。
言い訳がない感じするけどな。
これ行きたいんですよね。
研究ね。
研究のために行きたいんですね。
僕も知的好奇心を持て余してはいけないんで。
僕も行けてないんですけど、最近この施設ができたそうでね。
なんとドブロクの製造免許みたいなの取って、
今作り始めたらしいんですよ、これを。
これは研究しないと。
そうなんですよ。で、海を見ながらこのテラス席で研究できるんですね。
最高だな。
そうなんですよ。
これは意義のある研究だね。
素晴らしいですよね。
ちなみにお昼ここで食べることもできるそうなので、
ちょっと僕行ってないんで案内できないんですけど、
このコウジバーガーなんてのも美味しそうなんですよ。
発酵つまみもいいな。
ぜひね、岡田を連れてここに行きたいわけなんですけれども。
こういうのもあったりしますが、今回は僕も行ったことのある直売所でね、
お醤油だったり、あとだし醤油買ったんですけど、これめっちゃうまかった。
それでチャーハン作って、マジで絶品でした。
やっぱ甘みがあってね。
と小田原の魚を合わせてね。
めっちゃうまかったっす。
いいね。
なのでせっかくなのでね、
普段東京になかなか出回らないね、
カガ醤油をね、実際に買っていただくのがいいんじゃないかと思います。
いやいいね。調味料やっぱしばらく楽しめるからいいよね。
クルーズターミナルの紹介
そうなんですよ。
チーズケーキもあったりしますね。
いやこれも美味そうだな。
というものになっていますので、
こちらでね、スイーツをいただいてもいいです。現地でね。
カフェでね。
買っていただいてもいいので、最後に寄っていただいた。
そしてね、次はもう本当に最後の目的地になります。
自転車で7分ほど行ったところにあるのが、
金沢港クルーズターミナルです。
なんか新しそうな感じだね。
おっしゃる通りです。
これは2020年にオープンした、めっちゃ最近のターミナルなんですね。
これ名建築ですよ。
これね、もう屋根がもうその水面というか、
海面の感じでこう、緩やかな曲線でね。
かっこいいな。
波を意識したデザインですっごい洗練されててかっこいいと思いませんか。
で光るしね。
そうなんです。
かっこいいなこれ。
そうなんですよ。
これがね、もちろんターミナルですので、
そもそもこれクルーズが寄港してくるんです。
はいはいはい。
なので海の玄関口としてね、税関の役割とかもになってるわけなんですけれども、
観光地としてもね、最近注目を集めているんですね。
ここを目的地にするってことね。
で実際ですね、ここ行ってみるとすごく良くて、
僕もこれ晴れている時に行ってるんですけど、この写真。
なるほどね、海を見ることができるってことね。
そうなんです。
ああ。
しかもその船もね、間近で見れるしね。
うん。
なるほど。ああ、これいいな。
でね、なんでここ僕行ったかっていうと、
これちょっと笑えるというか、変な話なんですけど、面白い話なんですけど、
これを僕に教えてくれたのが、さっき金澤未職がやったお姉さんなんですよ。
この恋花に花が咲いたんですよ。
あら。
しかも知らない人の恋花ですけど、僕一人で。
で、それは為ということもあって、で、プロポーズされたと。
高校の同級生に。で、それでウィデンの初めての同窓会で、
それを披露した場だったらしいんですよ、女友達に。
ああ、なるほど。
で、もう超盛り上がってて、
何々君と結婚するんだよなって、もうめっちゃ大騒ぎになってて、
で、え、どう、ちゃんと話して最初からみたいな。
で、だから短いコンテ、俺も何故か混ぜてもらって、
それであの未職外の満月さんにその話になったんですけど、
はいはいはい。
それで、こうこう出て、で、ああ、みたいな話になって。
大体来るんだ。
なって、え、どこで捕獲されたの?って言ったら、
ここだった。
へえ。
いや、いいよね。
うん。
見晴らしいいですし。
うん。
まあ、ここね、全然いいんじゃない?ロマンチックなんじゃない?
そう。で、ちゃんと場所まで知ってる、このベンチです。
この僕のインスタントップでこのベンチで捕獲されたそうなんですよ。
なんでそこまで教えてくれたの?
もう酔っ払って、たぶん全然あの人の記憶ないと思う。
正直、めっちゃ酔ってたんだよ。
このベンチでね、
へえ。
クルーズの寄港するのに合わせてね、オープンしてまだ3ヶ月ぐらいのときに行ったらしくて、
へえ。
ここで告白されて、付き合って、結婚をすることになったそうなんですね。
ああ。
うん。
いや、いいじゃない。
うん。
いや、でもそのぐらいね、ほんと綺麗な場所ですよ。
いや、全然納得できましたよ。
うんうん。
夕方のこの静かな波間にね、こう。
いいね。
うん。で、実際カップルめっちゃ多かったです。
ああ。
うん。こんな感じでね。
ああ、ほんとだ。
うん。ここに入れる、これね、全然切符とか持ってなくても入れるんですよ。
へえ。
この船が寄ってくるとこ。
テラス。
うん。
なので、すっごいいいね。
夕方僕も行ったんで、やっぱよかったですね。シリーサイドで。
ああ、いいね。
うん。
ここはやっぱ晴れてる方がいいですね。
そうだね。
うん。
うんうんうん。
というね、この金沢港クルーズターミナルでね、ちょそういった面白い駅と。
でもそれがあったのでね、ここを知れたのでね。
うん。
これすごく綺麗な建築でね、いいデートスポットになってます。
うん。
で、僕の想定だとここね、17時15分頃に着く予定になってます。
はいはい。
で、そこで自転車返しちゃいたいんですね。
恋花とさらなる探求
うん。
だからこれがもし日曜日だからとすると。
はい。
ちょっとね、ターミナルから金沢駅までのバスが少なくて。
ああ。
18時半になるんですよ。
はい。
つまり1時間空いちゃうんですね。
ああ。
で、もちろん海とか見ててもいいんですけど。
うん。
うん。
ここがすごいのはこれよ、めっちゃよくない?これ。
うわあ、レストランがあるんですね。
うん。
海の食堂ベイアルセさんというね。
うん。
はあ、この席すごいなあ。
クルーズみたいだよね、これ自体が。
ねえ。
うん。
半円形みたいになってて。
はいはい。
それで向こうに海が見えてるっていう。
へえ。
そしてあの波の文様がね、この建物自体のデザインと一致してるわけですね。
うんうんうん。
これがね、なんと朝10時から夜8時までね、通し入りをやってるんですよ。
へえ。
へへへへ。
すげえなあ。
なので、ここで最後の一服をしていただくみたいな想定で1時間ね。
はあ。
とっても全然過ごせるということです。
うんうんうん。
いやあいいね。まあテラスもね、もちろん風がね、吹いて気持ちいいでしょうけど。
うん。
ここでまあなんかちょっと、おやつとかね。
うん。
食べながら海を眺めるのもいいですね。
その彼女はここでケーキを食べたのかな?確かケーキって言ってたと思うんですけど。
へへへ。
で、それでちょっと外風邪当たりにいかないって誘われて告白されたそうです。
ああ。
うん。
いいねえ。
という金沢恋花。
やるねえ。
はあ。
へへへへ。
やっぱね、その、で結婚をね。
ねえ。
なったということでね。
ああ。
めっちゃだから盛り上がったんですよね。なんかおめでたい席だったみたいな。
へへへへへ。
へへへへ。
へえ、いやいいなあここ。
うん。
なのでね、まあ今回一人ですけどデートとかだったらなおさらお勧めになるんですよね。
そうだね。
で、そしてね、さっきの全日本語兵の話じゃないですけど。
はいはい。
要はこの港を通じてね、加賀藩をね、何が支えていたのかということなんですよね。
うん。
っていうのを色々模索していった先に地図をよくぐんぐん引いてみると、
加賀の南部にね、小松っていう街があるんですけど、
こことかに興味が向いてくるんじゃないかと。
このエジゼントの県境ですね。
白山。
はい。
加賀市。
うん。
そして小松市。
うんうんうん。
この南加賀のあたりが、
一体なぜ金沢という超巨大都市を支える原動力になっていって、
ここの生産物と一体どういうものなのか。
どういったものが眠っているのかということにね、
ぜひね、興味を持っていってほしいんですね。
ぜひいずれ、この南加賀小松を中心とした二泊三日、
尾野と岡田の証言も交えてね、やりたいと思います。
彼らも、彼らと尾野がね、ここは感動してたので。
はあ。
はい。いずれまたその機会を。
はいはい。
ということで、18時半から金沢クルーズターミナルで出るバスに乗ったとして、
金沢の観光地
27分、19時前に金沢駅西口に着きます。
はい。
ので、ここで最後荷物をピックアップいただいて、
それぞれの鉄道路線で帰っていただければいいかなという感じです。
うん。
それでは3日目を振り返っていきましょう。
前日からですね、というか初日からか、
泊まっている高林坊の近くの宿を朝8時頃チェックアウトします。
で、荷物はね、いったんここのホテルに預けておくのがいいかなと思いますね。
そこから徒歩5分ほど、ひらみパンさんですね。
ここはちょっとね、コンセプチュアルな、すごくかわいらしい、そしておいしいベーカリー、カフェ、ビストローということで、
ここでモーニングにクロックマダムとか、キッシュとかをいただくと、メロンパンもね、好きになりますね。
はい。
そこから徒歩15分ほど、金沢城公園ですね。
香川百万石の主婦になった金沢城の公園ですね。
なのでここでお城見たり、公園散策したり、狩猟館とかもあるんですね。
ありますね。一部の屋倉の中に狩猟が展示されてます。
ですのでゆったりね。
ただ狩猟館あるんですけど、結構ね、割と規模は小さいんですよ。
なので、より体系的にちゃんと香川藩の歴史を学びたいと思ったら、
初日に行った石川県立歴史博物館の方がいいですね。
なるほどね。
ですので、城と公園を散策するっていう感じですかね。
そこから徒歩7分ほど、兼六園ですね。
ここはもう本当、言わずと知れた日本三大名園の一つ。
素敵なお庭の6つの要素を兼ね備えているという兼六園ということですね。
ここはもう本当にゆっくりもできないのか。
まあ、1回目に最初に金沢に行く時はゆっくりと。
お茶室とかもあってね、本当に半日くらいいられますので。
ただ今回はリピーター向けということで少し省略はさせてもらいました。
ですので、ここを散策をしましてね。
そこから徒歩10分ほど、香林坊近くのホテルに荷物をピックアップします。
そこから北鉄バスで10分ほど、金沢駅のバス停でおりますね。
そこで荷物を一旦ね、ロッカーなどに預けておくと、この後楽かなと。
そのまま金沢駅を抜けて、金沢駅の西口のバス停に行きますね。
そこから北鉄バスで32分、金沢港クルーズターミナルのバス停でおります。
そこでレンタサイクル、街乗りで自転車を借りまして、その自転車で10分ほど。
大野港食堂ですね。ここは中華食堂ということで、大野醤油を使った醤油ラーメンが名物ですので、
この土地の醤油の味を楽しめるラーメンなんじゃないかと思いますので、ここで醤油ラーメンをランチにいただきます。
そこから自転車で5分ほど、大野カラクリ記念館ですね。
当時の日本の最先端の技術を開発していった発明家、大野弁吉のカラクリを集めた記念館という感じですかね。
その大野弁吉の生涯とか功績も伝えるということで、
カラクリですから、ちょっと楽しみながら、可愛らしいのを見ながら、そういう当時の技術を知ることができるということですね。
そこから自転車で20分ほど、石川県前谷護兵記念館ですね。
加賀の繁栄を支えた前谷護兵の表の顔と裏の顔をここで垣間見ることができる記念館ですね。
なので、ここでいろんな妄想が膨らむかもしれませんね。
そしてそこから自転車で15分ほど、大和工事パークですね。
お昼に食べたラーメンに使われている大野醤油をはじめとして、いろんな調味料を作っていらっしゃる工場もありつつ、
アンテナショップ的にお土産を買うこともできる。
あとはドブロックもね。
そうなんですよね。これ行ってみたいですね。
ただ今回のコースだと自転車なんでね、飲むことできないんですけど。
そういうショップとかカフェとかでお土産とかおやつをね、いただいたりとかしまして、
そこから自転車で7分ほど金沢港クルーズターミナルに行きまして、
ここでね、バスが1時間ほど待つ感じになりますので、
海をね、テラスで眺めたり、あとはレストランでちょっとおやつを食べながら海を眺めたりとかして過ごしますと。
金沢の歴史と文化
そこから金沢港クルーズターミナルのバス停に行きまして、
そこから北鉄バス27分金沢駅に戻ります。
そして荷物をピックアップしてご自宅へということでこの旅は終了ですね。
この番組はお便りを募集しています。
番組の感想・質問・リクエスト・旅の情報・不増となど何でも結構です。
番組概要欄に記載しているお便りフォームのURLから投稿お願いします。
また各プラットフォームのフォロー・レビュー・コメント、
それから我々の関連SNSアカウントのフォローなどよろしくお願いいたします。
そして感想を呟く際はぜひハッシュタグおとたびポッドキャストをつけて投稿していただけると大変励みになります。
よろしくお願いします。
そして我々のマイマップそれから年表ございますのでそちらもね参考にしていただければと思います。
最後はちょっとやっぱなんか不思議なミステリアスな感じがありますよね。
これがそのいつかやる南加賀のコースにつながっていくっていう形ですね。
消費地としての金沢、加工地としての金沢、生産地はじゃあどこだったのか。
加賀の南へ何が埋まってるのかっていうことですね。
この1日目2日目ではやっぱり加賀っていうのがどういうふうに盛り返してきたのか。
というかどういう歴史をたどってきたのかっていう感じですよね。
これも谷があったからこそ生まれた文化とか文芸作品とかっていうのがあったんだなっていう。
そこからこう類似回復というか今につながるようになっていったんだなっていうのはよくわかりましたね。
やっぱり一般的な観光地としての金沢とはまたちょっと違う目を見れた感じがしますね。
今回タイトルの改修をしてなかったなと思ったんですけども。
リング創世金沢。
雨に捧ぐ詩作と歌いというふうにしたんですけれども。
このリング創世っていうのはどういう意味かっていうと。
そのまま辞書を読んでみると苦しんでいる人々に救いの手を差し伸べること。
また民衆の苦しみを救う自信深い人の人というふうにあるんです。
リングっていうのは長雨です。
長雨はその喉が渇いている人だったり。
患抜に苦しんでいる植物を生育させる。
3日以上降り続く恵みの雨のことをリングっていう作品ですね。
なるほど。
なのでこれがリングが降ったことで青々と生き返るっていうのがリング創世ということ。
ここにやっぱりちょっと今回のテーマと絡みたいんですよね。
つまり今回やっぱり金沢の一般的な観光コースでは正直ない。
21世紀美術館も描いてないし。
他のアートスポットもあんまりないんですけども。
けどその、要はどうしても金沢ってすごくこう。
東茶屋街とか西茶屋街のあれを見てみると江戸時代からそのままちゃんと守られ続けてすごい。
すごいんですよそれは。
すごくやっぱりずっと発展してきて工芸都市としてずっとやってきてすごい街なんだっていう理解になっちゃいがちなんですけど。
そうじゃないんですね。
すごく辛い暗い時代が一時期はあった明治の初頭とか中期までね。
ただその苦しい時代とともにかつての繁栄というのはわかっているからこそ
優しかったあの人楽しかったあの頃とか賑やかだったあの街とかっていう
そこに対する憧れっていうのは生地ひっかかるが故にすごくみんな苦しい精神の中で持ちこたえようとした。
そのような悲しい歴史があったからこそそこで頑張って見ていたからこそ
多くの谷間の時代に生まれた人たちが文学だったり芸術だったり哲学だったり建築だったりっていう方の
日本第一人者にまで到達していったっていう
そういったある意味内政の街でもあるわけですよね。
そしてそれが結果的に谷口義郎さんを引いておるんですけれども
その憧れの金沢の持続、そして文化っていうのを工芸ってものに別の次元に昇華させることで
その金沢の王子の憧れというのを今現代に谷間を入れて取り戻していった。
それがこの隣羽創生っていうのにちょっとかけられたらいいなと。
そういった苦しい金沢の救済が今現代にそれが達成されたっていう
そういった話をしたいと思いました。
次回の予告
隣羽創生の言葉の意味だと救いの手を差し伸べることってなってるけど
でも話聞いてると金沢の人たちが自ら切り開いていったっていう感じもちょっとするよね。
そうですね。谷間の時代に生まれた金沢の人たちっていうのが
どういった思いでどういった人生を歩んでいったかっていうのは非常に興味深いことではありますね。
なるほどね。
ということで次回は雑談会ですね。
次回の雑談会はちょっと楽しみですね。
僕、この収録時点だとまだ体験してないことなんですけど
この後ちょっとあるすごい予定が入ってるんで
それを次回ちょっと話そうかなと思います。
ぜひ楽しみにしておこう。
ということで今回はこの辺でありがとうございました。
ありがとうございました。
01:08:32

コメント

スクロール