1. 大人になりたい旅がしたい
  2. #111-2【岩手】種蒔く人のユー..
2025-08-07 56:53

#111-2【岩手】種蒔く人のユートピアPart4後編

声なき叫びよ、形なき想いよ。 種蒔く人のユートピア4日目後編


広大な山野と寒冷な気候、古くから日本の北天にあって重い存在感を示してきた岩手県。深い緑に包まれた美しい風土は、現代の観光シーンでも多くの人を魅了します。さらに、その歴史を振り返ったとき特筆されるのは“人財の宝庫”であること。混迷の時代にあっても、後の世を見定め、その繁栄を願って努力を惜しまなかった先人の息吹は着実に受け継がれ、今日の岩手県をして希望が芽吹く“ユートピア”たらしめているのです。


【目次】

~ いよいよ岩手編の最終回です!

~ ★CM★ Podcast Star Award

~ 北上川のせせらぎに安らぐセレクトショップと文学館 【光原社】

~ ★歴オタ話★ 宮沢賢治の才能を信じ続けた及川四郎と光原社

~ 特異な文学の銀河系を探る 【宮沢賢治記念館】

~ ★歴オタ話★ 多彩な表情を持つ宮沢賢治 その人生をおさらい

~ ★さらに歴オタ話★ ”サウイフモノニ ワタシハナリタイ” 宮沢賢治と”ほんとうのさいわい”

~ 岩手からの帰路について おまけに【盛楼閣】で冷麺を

~ 1日の振り返り

~ ★旅の終わりに★ 時空を超えて未来を信じた”種蒔く人”のユートピア

~ ♪エンディングテーマ:宮沢賢治 星めぐりの歌


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サマリー

このエピソードでは、岩手出身の詩人・童話作家である宮沢賢治と、彼が生前に関わった出版社・光源社の物語に焦点を当てています。宮沢賢治の作品が現代文化に与えた影響や、その出版過程の苦労が語られています。また、彼の生涯や与えた影響、及川志郎の事業的成功についても触れられています。家庭環境や宗教への信仰の変遷、さらには岩手の農業と文化の重要性についても取り上げられています。 さらに、宮沢賢治の人生や信仰、文学における理想や苦悩が語られ、特に農業への情熱や人々への思いやりが詩作品にどのように反映されているのかが焦点となります。このエピソードは宮沢賢治記念館を中心に、賢治の作品や思想を深く探求し、彼の作品が持つ奥深さと境地を紹介しています。また、岩手県の歴史や文化、特に賢治に関連する施設や地元の食文化についても言及されています。 最後に、岩手県の歴史と文化、特に宮沢賢治の影響について語られ、賢治が描いた理想郷やその美しさに触れつつ、未来への希望や人間性についても考察がなされています。

宮沢賢治の紹介
大人になりたい旅がしたい。このポッドキャストでは、旅行とお酒が好きな同級生2人が、大人だからこそ知りたい、ちょっとディープな国内旅行のモデルコースを紹介していきます。
内田です。今回は、声なき叫びよ、形なき思いよ、種蒔く人のユートピアという岩手コースの最終回となっております。
今回は、岩手が生んだ詩人・童話作家の宮沢賢治について深掘りをしていきます。
全7回にわたったこの岩手コースの締めくくり、ぜひお楽しみください。それでは本編に行く前に、こちらのCMをどうぞ。
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ここからが最後のパートに入っていきます。もう散々溜めていましたけれども、宮沢賢治さんの話を最後にして、この4日にわたる旅を締めたいと思うわけです。
まず目的地を話してしまいましょう。パイロンさん、これは森岡城の目の前です。から森岡駅の方にちょっと歩いて移動します。
大体20分ほど大通りの繁華街を抜けて北上川を越えるか越えないかぐらいのところまで行ってください。欠品食堂の方ですね。
そこにあるのが光源社本店です。光源社、光の原っぱの会社と書いて光源社というものなんですけれども、これはどういったところなんでしょうかね。
出版っぽい名前だよね。何なんでしょう。
まさに宮沢賢治っていう伏線を振っていたからっていうのもあるかもしれないですけど、でもおっしゃる通りなんです。ただ今はこれ違うんですね。
これ今何があるかっていうと、これセレクトショップです。
光源社というのはこの森岡にある、これ北上川沿いのすごい良いところにあるんですけれども、森岡のお土産とかも購入できるちょっとこだわりのセレクトショップなんですね。
で、道路を挟んで川沿いと町沿いの方にそれぞれ店舗が同時にあるんですけれども、その町沿いの方が新しい店舗で、そこは森岡の特産品とかも買えるので、お土産を買うのにも適している場所になっている。
で、じゃあなんで宮沢賢治の話でこれが出てくるのかってことなんですけれども、宮沢賢治だったり日本文学を学んだ方にとってはね、この光源社というのはまずおそらく見たことがある名前なんだと思うんですが、
宮沢賢治が生前ね、唯一発行した童話集、注文の多い料理店、これを出版した出版社がこの光源社なんです。
じゃあかつては出版社だったけれども、今はセレクトショップに変わってる。 そういうことです。
で、初めにこの話をしてしまうと、そのセレクトショップのお店はあるんだけれども、その道路を挟んで川沿いの方、これは宮沢賢治のことを、この光源社の関わりを記した資料館だったりとか、あるいは宮沢賢治の有名な詩とかね、文学いっぱいありますけれども、
ああいったものを壁にね、レリーフ的に飾ってある、ちょっとした文学館みたいなね、屋外文学館みたいな予想もあるものになっているので、
セレクトショップと宮沢賢治の資料館みたいなね、その2つの意味合いがあるような場所なんですね。 なるほどね。
光源社と宮沢賢治の関わりなんですけれども、宮沢賢治って聞いて、まずどうですか?どういった印象というか、知っている作品とかってあったりしますかね?
えーと、クラムボンってそうだよね。 どうだっけ? クラムボン?
ああ、そうだそうだ。正解でした。俺逆にこれ知らなかった。 本当? うん。
そう、クラムボンはカプカプ笑ったよっていうのが、あれがね、小学校の教科書に載ってて、わけわかんなくて、クラムボンって何よっていう話じゃん。
でもなんか独特のやっぱ不思議な、なんていうんだろうな、夢じゃないけど、なんか想像というか雰囲気は感じるんだよね。なんか独特の、難しいね、言葉にしづらいけど、なんかありそうみたいな。
うーん、そばにいそうみたいな感じだね。 そうそうそう。なんか、そういう不思議な世界を作ってくれたような印象かな。
じゃあそれが内田にとっての宮沢賢治の原体験というのがそこだったって感じだね。 だと思うね。
他になんかこう知っている作品だったりとかってのあったりしますか? 銀河鉄道も宮沢賢治の。
そうですね。まあそれがまず代表作ですよ。銀河鉄道の夜。 はいはいはい。とか、多分もう他にも知っているのいっぱいあるんだろうな、きっとな。
まあ有名どころで言うと、風のまたサブローとか、よだかの星とか、セロヒキの豪酒とかね。 ああそうか。やっぱいっぱい出てくるね。
もう出てきますよね。注文の料理店もそうですし。 このあたりは多分誰もが一度は耳にしたこと、あるいは読んだこと、教科書で見たことってのがあるんじゃないかなと。
僕はよだかの星が載ってましたね、小学校教科書で。なのでやっぱり宮沢賢治は誰もが日本の義務教育の中で一回は通ってきた道なんじゃないかなとは思いますね。
それでそれだけじゃなくてやっぱりね、すごくこの宮沢賢治って日本の文化に大きな影響をもたらしている人なので、最近ではないですけれども、結構印象的で僕もびっくりしたのは、2016年に公開された庵野秀明さんのシンゴジラ。
あれの最初の場面って覚えてますか? 一番最初の場面。
え、なんだっけ? すっごく印象的な場面なんですけど。
え、なんだっけな、全然覚えてないな。 うん。
俺が住んでたところの近くから出てきたのがすげえ覚えてるんだけど。なんだっけな。
ぜひね、じゃあアマプラとかで見直してほしいんですけど、船。一艘の無人になった船に調査団が入り込むっていうところから、要は。
そうだっけ。 とある教授が消息を絶ってて、その無人になった船にそういった調査団がなんでいなくなったんだ教授はって調査しに行くんですよね。
その教授が要はゴジラの発生のヒントになって、その教授自体がゴジラなんじゃないかなって考察もあります。
その教授が失踪してなんだこれどうなってんのって怪しげになってる時に印象的に映し出されていたのが、教授がダイイングメッセージ的にとある本をコックピットに置いてあるんですよ。
それが宮沢賢治の刺繍なんですよね。春と修羅っていう。
というところとか、やっぱりいろんなところに宮沢賢治ってね、あとジブリ、スタジオジブリの話がやっぱりすごく。
高畑勲さんは実際セロヒキの格子を映像化してますし、これすごい泣けるんですよ、この高畑勲さん版の格子とかありますから、とにかくあらゆる日本の文化の面に多分誰もが知ってるんじゃないかと思うわけなんですが、
ちょっとさっき言っちゃったんだけど、宮沢賢治って実は生前は全く無名の人物だったんですよ。
それなんか今からするとおかしいなって思う。 そうなりますよね。これだけの教科書に載ってる人がね。
で、ただ唯一生前に発行した童話集がさっき言いましたけど、注文の料理店。
そしてその注文の料理店を施行したのがこの高原社なわけなんですね。
で、なんでじゃあこの高原社がやってあげたのかってことなんですけど、そもそもこれはある意味で言うと宮沢賢治のために作られた出版社だったんです。
で、この高原社というものはそもそも何だったかというと、創業者は及川志郎さん、これもやっぱり及川さんなんですけれども、
あと近森さんて別の人がいたんですが、この二人がやっていたものなんですね。
最初はこの二人はやはり農学系の学生だったんですけれども、そっから社会人になって自分で農薬の研究とか、
その開発とかを手掛ける薬学系の機関、あるいは出版社的なところだったんですよ。
で、宮沢賢治の実は森岡高等農林学校の後輩なんです。賢治が先輩ね。がこの及川さんだったんですよ。
で、そういうわけでみんな農業系の学問をみんなでやっていたわけなんですけれども、賢治は花巻っていう郷里に帰ってそこで先生とかをやってるという話を聞きつけて、
とある時に高原社の近森さんという方が賢治に会いに行ったんですね。
そしたら賢治に農業関係の相談を用い掛けに行ったんだけど、賢治が最近動画を書き始めてるみたいなことをポロッと漏らして、
何ですかそれはってことになって、見せてくださいよって言ってざっと原稿を見た。
したら近森さんなぜかそれにビビンって来たらしくて、これはすげえってなって、賢治さんこれ世の中に発表しないともったいないですよあなたこれっていうふうに言って、
え?っていうふうに賢治もなって、うちは幸い農業関係の学術書とかなら出したことありますから、うちでこれやりますよ、及川も連れて行きますよあいつもつって、
及川も無理矢理巻き込んで、及川最初びっくり、うちがなんで宮沢賢治さんの出版出すんだよなったんだけど、やっぱり原稿を読んで、これは本当に人間の心を打つと、
素晴らしい物語だこれはっていうふうになって、うちでやったことないけど童話の出版でやってみようというふうになって、これは世の中変えるぞと、
こんな素晴らしい物語、俺らが見つけたのがこれは日本の歴史を変えるというふうに思って、すっごい気合い入れて作ったんですね、
でも想定とかも超こだわって、初版でもすごい豪雑な、もう一生に一度も宝物ですみたいな標語みたいなのを売って、やってお金かけて丁寧な想定でやったんだけれども、
蓋を開けてみたら全く売れなかった へえ、そうか
だいたいこれは千部くらい発行したと言うんですけれども、宮沢賢治が自分で買い取らざるを得なかったそうです、全く売れなかった
前評判が悪いとかそういうのもあるのかな
これは後言者の資料館に、実際彼らが出したものなので、初版は当然残っているわけなんですけど、結構面白いのがこの資料館もね、自分たちのことを自虐的にちょっと書いてて、
作者が無名、童話を出していないから流通経路もない、そして無駄に高価な本が売れるはずもなくとか書いてある
当然売れないものばっかり そうか
そう、負の三拍子なんて書く、売れるわけがない、この本、例数に考える
前提条件があんまり整ってなかったってことか
当然僕も生出版業界にいるからわかるんですけど、当然その農業関係の本だったらある程度その農業関係の出版のネームバリューだったり取り継ぎっていうのがあるんですけど、
書店さん、講演者さん農薬の本なら確かだろうって言ったかもしれないけど、え、童話集、しかも宮沢賢治って誰ですかこれ、誰かの別名ですかみたいになってるから、
もう当然置いては見るけど、やっぱ売れねえじゃねえかよって、本って返品できるんで、もう無理です講演者さんこれ売りませんから引っ取ってください、農薬の本に使いさせた
になってめちゃくちゃ夢を持って意気込んで作って、その講演者の2人と宮沢賢治でも夜な夜な夢を語り合って、やったのに全然売れなかった
そうか、まあ難しいね そう、それで賢治はダメなのかと、で講演者もやーしくじったなめっちゃ借金かかっちゃってるよこれになって、
えーちょっとこれ第2版はちょっとねえなってことになって、結局宮沢賢治刺繍は出してたんだけど、童話集を出したのは生涯でこの1回だけだった、失敗したんですただ単純に、ていうのがね、宮沢賢治とこの講演者の最初の関わりなんです
宮沢賢治の影響
もしかしたらその講演者がどっか童話を作ってる出版に引き継いでね、やってたら大成功とかもあったかもしれない かもしれない、そうやり方を考えれば違ったかも、ただ彼は
自分たちでやりたいよね 自分たちでやりたかった、要は宮沢賢治の本ってなぜじゃあその一心打ったのかっていうのをちょっと後で話しますが
少なくともこの2人は夜中を変えるって気づいたんですね まあ信じてたんですね そう、それはある意味で言うと正しかったんですよ
結局今のこの状況を見るとね、っていう先見の目がありすぎた人たちなんですよ ただねこの及川志郎っていう人は実業家としては非常に優秀な人で
その宮沢賢治のせいでとんでもない借金を抱えているわけなんですけれども、出版はスパッとそこでもう宮沢賢治の出版やめて
あとはやっぱり地道な農業とかね、そういった出版だったり、あるいはこの時に民芸運動ってのが起こってきていて
何回か出てきたんですよね、富山とか出てきてると思うんですけど、これに共感して岩手南部半領っていうのはそういうわけで工芸費もすごい多いから
これをやっぱり伝承していくためにもう森岡人として担わなきゃならないだろうと
そしてこれは民芸運動がブームの日本において受け入れられるだろうって考えて、それのセレクトショップを作った
だからそこで出版社、出版社むしろ横道も横道だったんですけど、本来の農業のやつだったり
あるいは新規事業としてセレクトショップやってこれがバズって今に至るまで続いている
建て直したんです、つまり後元社をね、ちゃんとね まあなんかここでも先見の目があるんだなって感じするね
そういうことね、だから実業家としては非常に優秀だった、今でも会社自体は続いています
ところが宮沢賢治は30何歳でね、自分がねその後死んだ後にどうなるかって当然わかるはずもなく
自分は失敗した文学者だったなーみたいな小説となりたかったなーって終わってそのまま生涯を終えてしまうんです
だけれども及川志郎は長生きしました、そうなると及川志郎は後元社の社長としてバリバリやってたんだけれども
世の中でひとつ言ったらいろんなきっかけがあって宮沢賢治が死んだ後にすごい評価されてて
再評価も受けて、そして教科書に載るってなると当然この後元社にも別のスポットが当たるわけですよ
それをいち早く見抜いて最初に注文の料理店を出した人たちっていうので
及川志郎の事業と評価
それで今及川志郎の名前こっちの名前で歴史が残ってるわけなんですよ
宮沢賢治の初めてやった編集者として残ってる
そして及川はね、そういうわけでもう事業的には大失敗ですよ、はっきり言って注文の料理店に関してはね
後元社自体は立て直したけど、だけれども及川は長生きして最後死ぬまでの間
一切注文の料理店のことを失敗だと思わなかったんですって
だからその莫大な借金を抱えて倉庫に山積みになってるけど
それでもこの本出した意義があるっていうふうに当初から信じ続けて
そして自らは長生きできましたから宮沢賢治がどうなっていったか
宮沢賢治文化がどうなっていったかを見届けたんですよ
っていうのを見て、それ見たことがあって思ったかもしれないし
やっぱり自分の信じたあの時の感動は正しかったっていうふうにね
唯一この最初から最後までを知っている人物として生涯を終えられたんです
胸厚だろうな 胸厚でしょうねこれはね
いや生きててほしいと思うんだろうな そうですね
100人いたら99人は無理だと思ったようなものを信じたんですよ、この及川志郎を
それに時代が追いついた感じですね そうようやく追いついた、その時代追いついた
そのまま最後は見れた、この人は見られた
っていう歴史を持っているので、この後元者は宮沢賢治との関わりとしてもすごいね
ネームバリューが高いものです
ここねちょうどねパイロンさんでジャジャー麺いただいた後ですので
おやつもね実は食べれるんですね
これねこの園内というかお店の敷地の中に
またやっぱりすごいメルヘンチックな可愛らしいね本当にシルバニアみたいな
コーヒー館っていうカフェがあって
そこでね岩手県のねこの名産であるくるみクッキーをね
とコーヒーをねいただくことができますので
そこでちょっと一休みしながらね色んな宮沢賢治の本を読んだりしてもいいんじゃないかなと
でここでやっぱり最初から宮沢賢治に浸りたいなと思えば
朝一で行っちゃってくるみクッキーを朝ごはん代わりにしてもいいかもしれないですね
というちょっと余談でした
じゃあ最後になるわけですけれども
宮沢賢治は生前は全く評価されなかった
ただ今は日本の誰もが知っているものになった
そして及川志郎は何でじゃあそこまでしてこの本を出そうと思った
何で心を打たれたのかっていうその秘密を探りに行きたいと思うんです
で今まではちょっと車をホテルに置いて森岡市内を散策していたんですけれども
宮沢賢治記念館と農業への情熱
最後に車をピックアップして45分ほど南の方へ移動します
花巻市宮沢賢治のふるさとに入ったんですね
そこにあるのが宮沢賢治記念館です
宮沢賢治記念館ということで一般的には童話作家として知られているわけなんですけれども
実は宮沢賢治の短い生涯というのはすごく難しいんですよ読み解くのは
この文学自体も読み解くの難しいんですけれども
なぜかっていうとこの人の興味っていうのはね本当に多岐にわたってしかも独特なんだよね
でこのちょっと展示の様子を見てもらいたいんですけど
これね何をイメージしてるかなんとなくわかったりますかねちょっと難しいかなさすが
これもうちょっと写真があればわかるかもしれない
なんかちょっと幾何学的な感じもあるしいろんなものがあるね鉱石もあるし
これチェロかなとかね
そうなんですよ
その作品に関連する何かが展示されてるという感じかな
はいそうおっしゃる通りいろんなものがありますよね
そしてね作品に関連する何かというかね
実は宮沢賢治の興味のあったものから作品に転用されてるってことが正しいんです
でこの今展示室の様子見てもらって何が言いたかったかっつーと
これね銀河系を表してるんです
そうね円管がこういろんなところにあるね
でねこの円管の外周もそうですし中にこのなんか的みたいになってるのはあるでしょ
壁にねあるねこれを右端がこれなんですけど
真ん中に宗教って書いてあるね
この興味のあったものをジャンル別にこうまるでまとめてるってこと
要はね宮沢賢治の興味とか試作の幅っていうのは
なんかねイメージで言うといくつもの銀河系があって思想の体系があって
それが根前一体と混ざり合ったカオスの中に文学生まれてきてるんです
でそのまあこの記念館においてはそれを5分野に分類して
その5つの銀河系の中に生まれた宮沢賢治の作品というものを読み解いていってるんですよ
でちょっとここで宮沢賢治のその生い立ちというか人生についておさらいをしたいと思うんですけれども
この人が生まれたのは花巻なわけなんですがそもそもこの人は七夜の息子なんです
つまり農家ですらもともとなくて商売人としてこの商家を継ぐべき息子だったんですね
この人っていうのはなんだけれども幼い頃からねあだ名が石っこけんさんって呼ばれたことで
つまりね石っころを集めるのが好きだった少年だったらしいんですよ
近隣の川だったり山だったり自然の中に入って珍しい石を集めるっていう理系少年だった石オタクだったらしいんですよ
まあ結構男の子だとねやる子多いよね
でその構え趣味で収まっていればまあ家族もまあまあまあと思ったんだけれども
それがこう時点なのか自分はその土と触れ合う生き方がしたいみたいなことを言い始めちゃって
商売人ですよだからお金とむしろこうやらなきゃいけないんだけれども農業を学びたいというふうに言い始めて
お父さんはは?ってなるんだけれどもお前長男だろみたいになるんだけれども
それでもこの人は負けずに顔を張ってお父さんもまあしぶしぶ許して
いずれはうちの宮沢家の少年にもついてくれるんだろうけれども
まあ少年時代に確かにいろんなことを見ておくのは悪いことではないと
知見を広めるならばまあそれもいいだろうということで
花巻農学校これはここに福田パンの総領者がいたわけですけれどもにまず最初行かせてあげて
しかもそこから森岡高等農林という岩手大学の農学部にあたるんですけれども
そうで農業に道にどんどん行っちゃうわけですよね
でとうとう商売をね継がないんですよ
お父さんに無理矢理呼び戻されて7夜を修業とかさせられるんだけど
7夜の商売というか商売をやるのは自分の調に合ってないし
もっと言えば弱いものから金を搾取する7夜なんてもう悪の化身だみたいなこと言っちゃうんですよ
でうちの家はダメだということを言い始めてしまって
お父さんからしたらわがままもあんだけ認めてあげて
しかもその間結構おかしくって宮沢賢治ってねちょっとすごく面白い人で
途中でその森岡高等農林とかでいろいろ石とか地学とかの研究をガンガンやって
アルセヌルパンのカウンターにある岩手山山とかに分け入って地質調査とかめっちゃするんですよね
それで宝石ってのが今もてはやされていると
でまあそれこそ三木本光吉ってやつが伊勢でなんかあれに非常に成功したらしいとかもあるし
だったら山でも同じことができるんじゃないかとか言って
人造鉱石ってものを作ろうとしたりもしてるんですよ
つまりダイヤモンドとかルビーって天然のものだから希少価値が高いわけだけど
それを人造でできるんじゃないかとかってお父さんに言い始めて
それに手を出して大失敗したりとかしてるなんか変なやつだった正直
それで挙句の果てに散々そのわがままをやった果てに戻っていったら
七夜はもう世の中の悪だみたいなことを言い始めて
お父さんからしたらたまたま自分になって
どうなっちゃってんのお前ってなってるわけですよね
ところが宮沢賢治っていうのはこれは当時の東北の状況というのも
大きく影響してると思うんだけれども
世の中の人が差別とか経済的な格差とか
なんでそのみんなが生きとし生けるものが美しい心を持って
この岩手の自然の中で暮らしているのに
人の醜い心が現れたりとかお金に欲がたたって
地位名誉をもたげて人を貶めたりとかそういうことをするんだろうか
七夜なんてその人間の欲望にあぐらをかいてるだけじゃないかということで
世の中ってこんな世の中おかしいって思い始めたんです
つまり最初は農学石ころとか農業とかで入って土ってものに興味があったんだけど
そっからその土に生きる農民たちがいかに苦しい貧しい生活をしてるかっていうのを見て
彼らを助けたい農業的にも助けたい
だから自分は及川志郎みたいな後輩たちと一緒に農業を学んで
彼らは農薬の研究とかをして岩手の農業が少しでも豊かになるように頑張ろうとしたわけです
一方でその農業は農業で技術であるとして人の精神も救わなければならない
なんでこの醜い人間はこうなことになっちゃうのかっていうんで
これを救ってくれる教えみたいなのないのかっていうんで宗教に走るんですよ
そっちに行くんだ 何を彼は救いを求めたかっていうと
日蓮宗なんです
日蓮宗というのは鎌倉時代に日蓮というお坊さんが出てきて
南無妙法蓮華経っていうものを唱えてそれを信じることによって
救われるというふうに説いたわけですよね
これこそが正しい教えだって思ったんですね
ところが宮沢家っていうのは代々浄土新宗のめちゃくちゃ信心深い家だったんです
浄土新宗っていうのは鎌倉の最初に新蘭という人が開いたね
本願寺を中心とする南無阿弥陀仏の人たちですよ
南無阿弥陀仏の浄土新宗を代々やって家でずっとそれで祀ってきたのに
宮沢賢治だけなんか家に帰ってきてみたら南無妙法蓮華経って唱え始めて
お前何なんだと やばい 本当に言い返しだった
七夜も継がれて言い始めるし変な神像功績がどうとかって言ってるし
しかもおまけになんか宗派変わっちゃってるし
どうなっちゃってるのって話になって
家族からめっちゃこうバチバチになって 特にお父さん許さなかったんですそれを
まあ結構ね何一つ言うこと聞いてるからね
宮沢賢治の背景と家族
誰のお金で学校行ってると思うんだよそれだってわがままに活かしちゃってるのにみたいな
そうね うん
だってでも宮沢賢治はいやそんな悪人であるあなたもうこのダメなんだ
そういうこと言ってる世の中がダメだから私があなた方からもう変えていってやるみたいな
日蓮の教えに則ってもう我々から変わらなければならないんです
で日蓮宗のそのお経とかを街で布教し始めちゃうんですよ
でとうとう宮沢家も終わりだと周りの人が来て
もう何まさしろんさんってお父さん頑張って結婚の人だったのに
もうあれの年ダメだと まあ長男がそれだったね
もうダメだってなってそれでそのプレッシャーとか街とか家族の圧力によって
宮沢賢治はとうとう家出をするんですね
どこへ行ったかっていうと全く秘密に花町の駅から東京へ向かって
東京の日蓮宗の日蓮宗会館みたいなところに急に転がり込むんですよ
で東京で私は信仰に生きるって言い始めて
でも当然お父さんは何も聞いてないし受け入れられる方も困るわけですよ
いやあなた親御様どうしたのという話になって
いや私は日蓮聖人の教えだけにもう行きたいんですみたいなことになったんだけど
結局だからもうそこで岩手とは縁が切れたようになっちゃってて
もう感動状態になってるんだけれども
ところがそこで宮沢賢治には妹がいたんですね
これ俊子、俊さんっていう人なんですけれども
この妹は宮沢賢治お兄ちゃんのことをすっごく慕っていた
仲が良かった兄弟だった
ところがその妹が背傾角になってしまって
いよいよ危ないとなった時に妹を官僚に勤めて
その妹を介して結局お父さんともなんとか行きどけして
幸い宮沢賢治が助かったのは弟が超優秀だったのよ
清禄さんっていうこれはすごい有名な人なんですけど
この人が宮沢賢治を真っ当についなんですね
その商売の方、あの息子じゃ終わりだったけれども
次男がそこはまともだったから良かった
宮沢賢治は良かったなってことになって
もう賢治はもう諦められてある意味
もう好きにしていいということでようやく家族が収まって
ただそこにその妹の悲劇があって
最後は残念ながらね、利子さんは亡くなってしまうんですけれども
農業とコミュニティの改善
その利子の失って悲しみとかを詩に読んだのが
そのシンゴジラに出てくるハルトシュラだったりするんだけれども
宮沢賢治はそもそもこれを出版する機会なんてあんまりなかったんですよ
だから後年有名な話なんですけど
宮沢賢治の詩を出版をする前に一番苦労したのは字が読めない
原稿が何だか全然わかんない何が何だか
ぐっちゃぐちゃなの
書き方もめちゃくちゃだし
なんか飛び込めたところに勝手に破られたりしてて
今でも銀河鉄道の夜とか見てもらうと
今でも欠損って書いてあるんです
何行欠損って本当にそのまま書いて出版されてる
だからわかんないんですよ何が書いてあったかは本当に
そうか そうそう
で岩手に帰って
幸いねその弟が消化を継いでくれたし
自分は一応学士としては農業をちゃんとそこは真面目にちゃんと収めているので
農業をちゃんと教える指導者としてはちゃんと真っ当だったんです
で花巻の農民たちに農薬の作り方だとか
どうしたら天明の時に起こしたらね
岩手県って非常に苦しいね
夏の寒い気候の時にどうやったらお米が育つかっていうのをみんなで研究したりね
ラス知人協会っていうまたこれも不思議なもんなんですけど
その研究グループ研究会みたいなのを花巻で発足させるんです
ここでは何をしたかっていうと農業の改善が主なんだけれども
農民たちが土に触れ合いながらどうしたら豊かな心で生きていけるかっていうのを研究する会だったんです
そこで何をしたかっていうと
この人は要は農民って悲しいことつらいことそして
それは人事でどうにもできないことがいっぱいある
天災とか気候の問題
その中でみんなで結束して心を豊かにしていくためには本を読んだり音楽を聞いたりしましょうというので
自らねチェロを演奏してみんなでその演奏会とかを開いて
それで人々に農業で苦しいことがあっても夜はこうやってみんなで集まって
みんなで仲良くすることで平和な理想的な世界ってのを築いていこうとした
っていうことなのでチェロがあったりもするんですよ
なので宮沢賢治自身は知識もすごい博学だし勉強的にはすごい人だったので
そんないろんなその勉強っていうものを詰めて農民の幸せに還元しようとしたんです
それがこの宮沢賢治の生き方だったんです
賢治の文学と思想
その一環として注文の料理とかも出したんだけれどもその結果はさっき言った通りなんです
だから結局賢治はそのごっこ遊びのままで終わってしまって
いずれは文学史家になりたいと思ってたかもしれないけど
そのことは結局果たせずに終わってしまった
そして宮沢賢治自身も肺結核によって37歳だったかなの若さでこの世を去った
この世は非常にお父さんとかまだ生きていたのでね
それがまた悲しいところがあるんですけど
っていうことになったんですね
たしかにそのごっこ遊びだったかもしれないけど
でも賢治が体験とかいろいろ知識として取り入れてきたものをその物語の中に散りばめて
そういうことなんです
とにかくだから彼はある意味結果論で言うとね
商業的には全く成功しなかったわけですよ文学者としては
だけれども逆にだからこそそしてごっこ遊びだったからこそ
本当に理想というものは何か人間の心の理想とは何かっていうものを追求したんですね
だからみんなが優しくて誰かのためを思って行動をして
欲にまめれたりしないでっていうのはもうこの思想が体現されている詩があるじゃないですか
雨にも負けずか
ですよね
あそこにだから宮沢賢治のある意味思想というのが
凝集されているわけでちょっと見てみましょうか
雨にも負けずというもの
これは労働がしませんけれども
雨にも風にも負けずと
丈夫な体を持ち欲はなく決して怒らずいつも静かに笑っている
東に病気の子供あれば行って看病してやり
西に疲れた母あれば行ってその稲の束を追い
南に死にそうな人あれば行って怖がらなくてもいいといい
北に喧嘩や訴訟があればつまらないからやめろといい
というね
で日出入りの時は涙を流し寒さの夏はオロオロ歩き
みんなにデクノボーと呼ばれ褒められもせず苦にもされずそういうものに私はなりたい
これその宮沢賢治の人生を知ってからね
これやっぱり読むとなかなかすごい思うところは
まさに賢治の人生そのものをね
表したような多分こういう人に私はなりたいってもうそれに尽きると思うんですよね
なるほどね
あのちっちゃい頃にさ日本語で遊ぼうとかあったじゃないですか
教育番組
それでやっぱりこの詩はすごい紹介されてたりもしてたから
一応全部聞いてはいって
そうですよね
ただやっぱり小さいからさ
まあなんかそういう美しい人心の美しい人がいいよねっていうぐらいの感じで受け取ってたけど
もう本当なんか心からの願いだったんだなっていうのは今わかったわ
だからみんながこういう精神を持てば喧嘩や訴訟なんてのはまずありえないわけですよ
で生と死は逃れられないとしてもそれもつらいも最後はね彫刻できるような
豊かな精神を育んだ人生を得られるはずだってそれを本当にひたすらに信じたんです
あくまでも自分はこうやりたいっていう要はつぶやきに似てるかもしれない
ある意味で言う
別に誰にやれって言われてるわけじゃないんですよ
そうだねこれ別に誰かに向けて書いてる感じはしないもんね
ある意味でこれを一人でも多くの人がこれをわかってほしいっていうのが願いだったかもしれないんだけれどもね
そういう人なんですね宮沢賢治って
なるほどね
だからあの宮沢賢治の作品多分皆さんいろいろこれをね聞いてる方にもね
あの好きな作品って多分いろいろあると思います
結構わかりそうだね確かにね
僕はちなみにセロ吹きの業種が一番好きでね
そこに出てくるバカにされているセロ吹き楽団ののけ者にされている下手なセロ吹きが夜な夜な徹夜で練習してると
そこに動物たちがやってきてね動物たちがヒントを与えて去っていくっていう
そして最後はねそれを認めてもらえるっていう話なんですけれども
要は宮沢賢治ってやっぱり自然がすごく自然の中で育った岩手の自然っていうのもすごく大切に思っていた人なので
そして自ら農業とね
自然の命と人間と向き合った末に幸せがあるっていうふうに考えた人ですから
そういった動物たちっていうのもすごく大切に出てくるわけですよ
あればこういうね人の精神そういえば信仰っていうものが
そして銀河鉄道の夜に代表されるように
その人間の運命とか生き物あるいは地球とかそれあらゆるものをさらに取り放った
宇宙っていうもののスケールの大きさと美しさ
その宇宙の贈り物のような星の粒だったり銀河っていうものだったり
それの隕石だったりっていうようなそういったものすらも何か文学に取り入れるっていうね
だから宮沢賢治の文学多彩であり難しいんですよ
そしていろんなジャンルがあるから僕は銀河鉄道の夜が好きな
僕は夜高の星が好き僕は雨にも負けずが好きっていういろんな人がいるわけですよ
そうかいろんなこの空想的な世界を作り上げてるけど
その元にはやっぱ現体験というか実際に賢治が体験して感じてることが載ってる
そうなんですだから宮沢賢治全集とか読むとね
獅子踊りの始まりなんて有名な本ありますけど
これは岩手県花巻に伝わっている獅子踊りっていう昔からの伝統習俗
それこそ東の物語にも書いてあるんですけど
これがなぜ始まったのかっていうことを空想で書いてる
それを私は秋風の中のススキュンの中で寝ていた時に聞いたっていうような
すごいまた幻想的な話なんだけどとか
いろいろ岩手に地に足をつけて生きている人たちを描写したものいっぱいあるんですよ
だから結局のところそういうわけで書いたはいいけれども
誰にも見られないまま亡くなっていく運命だったんだけど
それを実は死の直前くらいから一部の文学者には注目され始めてたんですけど
けどもうその時賢治はもう不知の病に犯されていて
結局それを成果を見ることはなかった
だけどそれを草の神兵っていうこれも知ってたことあるんじゃないですかね
教科書に載ってたと思うんですよこの詩もね
この人が同じ東北の人なんですけど
宮沢賢治の方注目してもう一回ちゃんと原稿を整理して出せば
これは本当に人の心を打つものがあるはずだって言って
弟のところに訪ねてきて一緒に原稿整理しませんかと
で宮沢勢六さん弟もそういうわけで整理して
当然後言者とかもいろいろバックアップしたと思うんですけど
草の神兵とかその多くの人によって徐々に徐々に広まっていって
やがてそれは今のようなものになっていった
まあなのでこの記念館に行くと
その宮沢賢治の方のいくつもの銀河系が融合しているっていう
カオスな世界観をなるべく整理して展示してくれてます
だからそのこの宗教って中にああなるほどあのよだかの星があるんだなとか
宇宙っていうものここに銀河鉄道の夜が出てくるんだなとかっていう
宮沢賢治記念館の探索
一つ一つプロットしていくようなねそういったイメージですね
その宮沢賢治の頭の中をちょっと整理して空間にしている
そういうことです
その中にそれが関わる作品をつなげて展示をしてくれそういうことです
なるほどねっていう記念館なので
ここでやっぱりね宮沢賢治のことをその背景の奥深さとわからなさ
そして彼をね何を描きたかったのかっていうことをね
改めて見てもらえるといいんじゃないかなと
この展示見て改めて読み直してみたね
これは本当そうです特に童話って子供のものって思いがちなんだけど
やっぱ宮沢賢治に関してはもはやそのレベルじゃないんですよね
大人が読んでも難しいし大人が読んでも感動するし
特にやっぱ僕セロイキノゴーシュとかはね本当に大学生になってね授業で読んだんだよね自分のね
それですっごく改めて読むと感動したんですよね
だからその時その時自分がどういった状況心理状態で読むかによってもね多分変わってくるんじゃないかなとか
いや確かにその小学校の授業で山梨読んだ時結論出てなかったと思う
そうですよね
多分宮沢賢治の中でもかなりわからないものだと思うんだけど
だからそうだね大人になってこういう記念館とか見て改めて読んでわかる部分があるかもしれないし
感じるものがきっとあるんだろうね
ということでねこの宮沢賢治記念館でした
歴史と文化の巡り
で実はね今回はちょっと大人のねこれ前提忘れてるかもしれませんけど
男4人ぐらいで行ってるっていう治安の悪いために実は
なので本当こんな記念館静かにしてほしいんですけど
実はこの近くにはね宮沢賢治童話村って言って
これインスタとかでめっちゃ出てくるんですけどインスタ映えするんで
お子さんが遊べるテーマパークみたいのもあるんですよ
そこにもやっぱり宮沢賢治の童話の世界をもちろん表現されてて
子供向けに作ってるというのもありますから
すごい鮮やかな展示デザインとかもすごい素敵で
なのでインスタにも映えるんですけどこういったものもあったりしますが
ちょっとそこにね分けて子供を邪魔するのもよくないかなって思ったので
今回はこの記念館時間的にもねだけで終わりますが
例えばお子さんと行くよって方があれば童話村をむしろメインにしてもらってもいいでしょうし
より本当に本格的に宮沢賢治を知りたいって人は時間をもう2時間ぐらい多くとって
童話村と一緒に会わせていくっていうのがおすすめですね
で宮沢賢治記念館からですね
車で5分ほどのところで新花巻駅に着きます
新花巻駅は山彦という閣僚の方の新幹線が止まりますので
これでいいよっていう人はここから新幹線に乗っていただければそれで結構です
ただ早く帰りたいよっていう人は車で45分間ぐらいかけて森岡駅まで戻ってください
森岡まで行ってそこで車を下ろして早い方に乗ることもできます
ちなみにですが森岡駅に着いたら個人的なおすすめとして
駅前に正廊角っていう焼肉屋があります
ここね僕絶対森岡帰り寄るんですけど
ここで最後冷麺を食べてほしいなと思いますが
ちょっと今回は時間の都合で省きますけれども
正廊角じゃなくてもいいんだけど最後に冷麺を食べてもらうと
この3日目4日目で森岡三大面が全て制覇できたということにもなりますので
そんなことも一応考えながらということでこの3泊4日の旅を締めたいと思います
それでは4日目を振り返っていきましょう
前日は森岡の東側の宿にどこかお好きなところに泊まっているというところですので
朝9時頃チェックアウトします
そして車はここに置いたまましばらく徒歩で移動しますね
まず朝ごはんですが徒歩10分ほど福田パン長田町本店さんですね
もう本当オーダーメイドぐらいの種類豊富なコッペパンを手軽に食べられますので
お好きなものを食べていただけるといいのかなと思います
ここでも宮沢賢治がちょっと関わってくるという感じですね
そこから徒歩20分ほど森岡歴史文化館
森岡城と城下町を一つのフィールド一つの研究対象みたいな感じとして展示をしている歴史館ということで
まずはこの森岡の歴史をざっくり勉強をすると
そこから徒歩3分ほど岩手銀行赤レンガ館ですね
まずはこの建築がね荘厳というかかっこよくてオシャレな感じですね
でその中に入ると建築や森岡の経済史を解説する資料が並んでいるということですね
そこから徒歩2分ほど森岡卓木賢治青春館ですね
こちらももともと銀行として建設された赤レンガ館とはまたちょっと違った趣のね建物になっております
そしてその中には森岡にゆかりがある卓木と宮沢賢治の展示がされていると
そこから徒歩7分ほどパイロン本店さんですね
ここでお昼ご飯をいただきます森岡三大麺の一つじゃじゃ麺をねここでいただきますね
チータンタンも忘れずに召し上がるといいかなと思うんですね
そこから徒歩20分ほど高原社本店ですね
宮沢賢治が唯一出版をした注文の多い料理店を発行した出版社と
出版社ではないのかないろんなことをやってる
そうね当時は出版社として一応これは出版したわけですけど
でその後セレクトショップを経営しましてそれが今に続いているということなので
賢治に関する資料の展示もありますしセレクトショップでもありますので何かお土産をここで買うのもいいですね
あとはくるみクッキーもありますのでね
くるみクッキー買うこともできますのでお土産にもいいですよおいしいですすごく
そこから一度車をピックアップしまして車で45分ほど宮沢賢治記念館に向かいます
感想と旅の締めくくり
ここはもう本当宮沢賢治の頭の中を覗き見するような感覚になるのかなと思いますね
宮沢賢治の興味のあったものを様々展示していて
それがどういう作品に現れているのかというのを見ることができるということですね
時間とかが許せば宮沢賢治童話村も近くにありますのでそちらも巡ってもらえるとより理解が深まるんじゃないかなと思いますね
そこから車で5分ほど新花巻駅に着きますのでそこからお帰りいただくか
もしくは車で45分ほど森岡駅に戻る形ですね
そこから早草で早く帰るというのもいいですね
というところでこの旅が終了という感じですね
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この4日目はやっぱり宮沢賢治が柱というか
そうですね
思っていた以上に深みがあるんだなというのをすごく感じたね
ですしこのコース全体に通して考えるとやっぱり人材がすごいね
すごいですね
やっぱり普通に歴史に明るくなくても名前は知ってるみたいな人がすごくたくさん出てきたし
そうじゃなくても本当にいろんな理由があってすごい人たちがたくさん出てきてるっていうのはよくわかったね
そうですね
今回ご紹介した人たちだけでなくても現代においてもね
今大リーグに行っただって佐々木隆起くんも菊池雄成さんもみんな岩手出身ですよね
そして大谷川もちろんですか
それだけじゃないんですけれどもやっぱりこの岩手県というものが土地というものに根差して
ただその未来への投資を怠らない
特にその人材育成とかそういったものに怠らないっていうのは旧伊達伴侶においても森岡伴侶においてもやっぱりすごいんですよね
ちょっとやっぱりこれは必然的な結果っていうのはやっぱり如実に現れてる気がします
現代の総理大臣の数だったりとか大リーグのスポーツのこともそうですけれども
やっぱりちょっと特別な県だなっていうのは今でも思いますし
それをやっぱり今回森岡が一番北に北限になってしまったのでほぼ南部しか行ってないですけれども
平泉水沢東の森岡という四つを回るだけでも存分に感じられたんじゃないかなという気がしますね
なんかこうやっぱ教育の研究対象とかにきっとなってんだろうなって思うね
はい、いいと思いますね全然ね
あとはねタイトルの話をするとですね
声なき叫びよ形なき思いよ種まく人のユートピアというふうにあるんですけれども
僕ね今回ね歌からサムパクったような感じなんですけども
これはねパクりじゃなくてですね
自分で割と直感的に岩手を巡っている時に書いて
これは先に書いてたことなんですけれども
岩手のこの一連のものって要はね何かこう人の思い
未来に伝えたい人の思いとか苦しみ悲しみ喜びっていう気持ち全般を
何か別の存在に固くするっていうのがねすごく岩手って多いって思っていて
要は最初から考えるとそもそも平泉っていうものが
仏教っていう教えの浄土というものをこのように体現しようとしたものだったわけですよね
それに要は信仰心というものももちろんあったわけですし
そしてもうね今誰が入れたか全くわからない
藤原値康平の首除けに蓮の種を入れた何者かの人
これは彼あれば彼女はどういう気持ちでね
この未来に蓮の種を残そうとしたのかっていうことも謎は多いですけれども
結果としてその蓮は今花開いているわけなんですよね
そして岩手賢人ではないですけれども
唐の物語を見てみてもこれだって350部だったんですよこれ初版
たったの350部だった本が今日本の民族学っていう学問を作ったんだ
このことってもう僕ねすごいことだと思うんですよね
それっていうのもそもそもは日本のその世の中から消えていこうとしている
佐々木季前が伝え聞いていた習俗だったり伝承だったりってものだったわけですよね
でその中にあったお知らさまっていう話は
要は唐のの町でおそらく似たような気持ちを持った人がいたであろう
家族のように過ごした馬が売られていってしまうっていう悲しさとやるせなさと
ただそれによってやっぱり生きていくっていう人生というものを
何かもしその悲しみがそうじゃなかったならばっていう希望とか
っていうものを託したところに天に昇っていった馬と昇っていった娘の話が多分発生したんだとすれば
おそらくそれも一つの唐のの人たちの気持ちだったと思うんですけど
それを直接的ではなくてお知らさまっていうものを託してそれを伝えた
そして柳田邦夫はそれをちゃんと感じ取って
そのたった350部の本にそれを書き残していった
そしてそれが未来の日本を描いたわけなんです
そして最後の森岡に話を移してみれば
やっぱり南部藩というものの非常に難しい知性化にあって
しかも母親戦争で負けてマイナスからのスタートだったけれども
いわての700年続いて南部家の歴史とかに基づいて
結局産業とか工芸とかっていう森岡ならではのシビックプライドが培われていて
それをその未来に人とか文化を残していくことに
未人もそれを惜しまなかった森岡の人たちを
だからその人材を育ってくるし文化も当然継承されていって
その環境に育った人たちはまた未来でその文化を残そうとしていく
っていう循環があるわけですよね
そして最後に宮沢賢治の話をすれば
岩手の歴史と宮沢賢治
彼はそういうわけで生前は何も帰り見られなかったわけなんですけれども
彼は土に携わって
ただ東北というのは江戸時代も宮沢賢治の当時においても貴賓に襲われて
農民たちというのは非常に苦しい思いをしている
だからその苦しさとかやるせなさとかっていうことを
どういったら精神的にあるいは技術的に救うことができるのかってことを考えた
技術的にはもちろん勉強しながら精神的には
童話ごっこ遊びだったかもしれないけど
農業で苦しんでいる人たちへのせめてもの救いだったりとか
ただそれすらも結局注文の料理店は宮沢賢治買い取ったってレベルなので
何も賢治の生前には残さなかったようなんだけど
結局今我々が知っている未来に蓋を開けてみれば
たった何百部の注文の料理店が結局今日本の教科書にずっと残っているわけですよ
なので何かを堅くして託すっていうことと
自分の生とか死を超えた超越した時間軸で
未来を見た種を蒔いた人が多いなって僕は思うんですよ
それが実際に安平の首を受けに種を蒔いた人ももちろんいましたし
宮沢賢治の農薬とか農業を使って
岩手という美しい岩手の土地に種を蒔いた人もいれば
柳田邦夫もあるいは宮沢賢治が及川志郎たちに与えたショックもそうだったかもしれないけど
人の心っていうものにその美しい種を蒔こうとした人もいっぱいいた
そしてそれはいくつかは実際に芽生えて岩手が日本を変えているところがある
それがやっぱり僕は岩手県の本当にすごいところだなって思うんですよ
そして平泉の理想郷だった浄土というもので
藤原清平は仏教の理想を築こうとした
そして柳田邦夫は岩手県じゃないけれども
党の物語を通じて日本の伝承というものが各地から集まる理想郷をやろうとして
それは実際実現したんですよね そして民族化というものになった
宮沢賢治は中毛の料理店に書かれていることですけれども
実際の岩手県ってものをモデルにした伊波東部っていう
彼の理想郷の世界のことをずっと童話で描いてるんですよね
伊波東部っていうのはちょっと意味はあまり僕も定かじゃないんだけど
賢治の童話はその伊波東部っていうものが舞台なんですよね
それは宮沢賢治が思う理想の岩手県なんですよって実際に書いてるんですよ
その伊波東部に起こっている出来事が童話なんですよ
だから彼の空想上にあったその伊波東部っていうもの
こうあったら岩手県は良くなる 岩手県の人がどうやったら暮らし良くなって日本は良くなるっていう
その切実さが多分普段脳に携わっていた大井川志郎たちを胸を打ったのかもしれないし
そういった人が要はユートピアってものを彼ならなりのユートピアをそれぞれに夢見て
未来の自分の聖書を超越した時間軸で種を蒔いてそれは花開いていったっていう
そういった岩手の凄みをちょっと考えてみたかった
確かに何かに思いを託してそれを後世に伝えていくっていうのは確かにみんなそうだね
理想郷の探求
これ並べるのもこがましいけど我々のこの番組も何かの種になったら嬉しい
そうっすねほんとこがましい
でもなんか今聞いてて思ったな
春矢が各地で感じてることをみんなが知らない魅力とかっていうのをこうやって伝えられてるから
ネットにもう出してるから多分一生残るわけだから
それが何かになったら嬉しいななんて今ちょっと聞いてて思ったわ
でもほんとそうだし宮沢賢治とある意味共通してることがあるとすれば別に誰かに頼まれてやってるわけじゃないんですよね
そういったところはもしかしたらねそこにやっぱり宮沢賢治が目指した本当の幸いっていうものをね
多分何なのかってただそれだけを考えたのがエウトピアなんですよね
なのでねちょっと今回もね実はエンディングテーマを用意していまして
ちょっとこれ暗くして聞きましょうか
今から聞いていただくのは星巡りの歌
作ったのは作詞作曲宮沢賢治
作曲もされてるね
この星座をね色々紹介って言うとあれだけど
その星座のモチーフの姿をね歌ってるような感じですよね
そうですねこれは宮沢賢治が本当に作詞も作曲もした歌なんですけれども
結構後半戦でこれは作っている歌で
星座のその美しさというものを何かに例えながら話したという語りかけるようなものになっているわけで
子供歌としてもね有名なものですけれども
やっぱり僕はこれ一つねこの名前を聞いてこの曲を聞いて
ある場面を皆さん思い出す方がいるんじゃないかと思ってるんですけど
実はとある国家的識点でこれが歌われている場面思い出しませんか
えー何かあったっけ
これびっくりしました僕生で見てて
うわこれやるんだと思って結構感動しました
そしてでもやっぱりすごいでもそうだよなって思いました
これね東京オリンピック閉会式で最後聖歌が閉じられる時に歌った曲ですこれ
あーそうだったっけ
大竹忍さんとねあの少年合唱団みたいな方々が出てきて
最後の場面東京オリンピックの最後で歌った曲がこれです
うーん
そうか
それすごい話題になりましたね
みんなあれは何になるんだろうって思ってて蛍の光なのかなって勝手に聞くと
だけど蓋を開けてみたらね宮沢賢治がねその世界の舞台の下
平和の祭典の最後に歌った曲だったんです
うーん
そうか
やっぱり思うのはだから星の美しさってある意味は世界共通じゃないですか
まあ北半球南半球とかあるかもしれないけれども
だからそれがやっぱり一つ普遍性というものをね分かりますし
そして何よりねその本当の幸いっていうものを求めるっていうのは
多分生きとし生ける全ての命がねこれをきっと求めているわけですから
それがやっぱりテーマ性とその優しさっていうのはね
宮沢賢治はね日本を代表するその世界の舞台でかかった曲だったんです
これすごくびっくりしましたね
うーん
そうか
うーん
いやなんか歌詞をねまあ今ちょっと意識しながら聞いてたけど
星巡りの歌の影響
歌詞の字面で見るとまあ別にただ紹介をしているだけ
なんか羅列って言っちゃそうなんだけど
でもなんかやっぱこうやって曲として聞くとね
なんかそれ以上の広がりというか何か受けるものがある
そうですね
やっぱり本当に時間とか自分の存在のちっぽけな存在っていうものを自覚するような
だからこそこう本当の幸いを求めたいだろうし
自分一人のためじゃなくて誰かのため自然のため
あれは宇宙のためなのかわからないけど
そういったものに私はなりたいっていうね
そういった人間たちがいたらいいんだなっていう風に彼の思った
それは多分世界に共通するべきテーマだっていう風に
おそらく判断されたんでしょう
というね
今や宮沢賢治なる世界の人にもなってるんです
という歌をねちょっと感じながらこの4日をね閉じたいと思います
ということで次回は雑談回ということで
なんかギャップがすごいな
この後酒飲むっていうのはなんかギャップがすごいけど
まあちょっとね
人間性は保ちながらお酒を楽しみたいなと思いますね
ということで今回はこの辺でありがとうございました
ありがとうございました
56:53

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