大人になりたい旅がしたい。このポッドキャストでは、旅行とお酒が好きな荒沢男性2人が、大人だからこそ知りたい、ちょっとディープな国内旅行のモデルコースを紹介しながらお話をしていきます。
内田です。
はるやです。
はい。今回は、うましくに・みけつくに幸福の玉久茂の1日目、最終日ですね。
はい。
これまで、伊勢神宮をお参りしたりとか、1日目が伊勢海老、2日目が松坂牛。
はい。
もう、結構満喫してる感はありますけども、この3日目は何が出てくるんだっていう感じが。
グルメも楽しみですし、どんなところを巡るのかっていうのは、結構気になりますが。
そうなんですね。
じゃあもうちょっと早速、いきましょうかね。
はい。
お願いします。
はい。
前日は松坂市内、松坂駅周辺のホテルに泊まっている。
で、一生便さんで夕食をいただいたというような想定になっております。
で、自分は松坂に泊まったことはないんですけれども、
巣泊りだった時のことを考えてですね、ちょっと朝ごはんの場所を行きたいと思うんですね。
行く先なんですけれども、車で30分ほど伊勢神宮の方に戻っていただいて、
伊勢うどんの豆屋というお店に行きたいと思います。
そうだ、伊勢うどんもあるんだよね。
そうなんですよ。
伊勢うどんって言うとどういったうどんかっていうイメージはありますかね。
伊勢うどんはふわふわのやつだよね。
そうそうそう。
まずふわふわっていう形容詞が出てきますよね。
食べたことはないんですけど、お伊勢参りする時に手早くスルスルっと食べれるうどんっていうことですよね。
その通りです。
一般的にはたまに醤油みたいなものをかけてね、ぶっかけみたいな形で食べるのが割とメジャーかなというふうに思っております。
今言った通りね、ふわふわやわやわなんですよね、麺がね。
なので佐渡うどんとかが好きな方とはちょっとあんまりかもしれないんですけれども、
博多の小倉のほうのうどんとか風前のうどんとかは結構やわいのでね、
あれが好きな方はすごく相性がいいんじゃないかなというふうには思いますね。
この伊勢うどんというのはそういうわけで、伊勢神宮と紐づいてね、発展してきたという経緯はあるんですけれども、
豆屋さんにおいてはですね、
大正12年創業ということよりも100年前、101年前ですか、に創業したという長子にせよ。
すごいね。
なんですけれども、朝10時から営業されているようですので、
僕はこれお昼に行ったんですね。
なので松坂に泊まったことがない分、朝食のスポットもちょっとわかんないんですけど、
こちらのお店は行ったことがあって非常に美味しいんですね。
やっぱり人生観というかね、志のね。
歴史に乗るようなことを本業じゃなくやってる感じが。
どういうこと?って思うよね。
やっぱりね、これまでにもいろんな位置を見てきましたけれども。
何かその突き動かす何かがそれぞれにエンジンがある。
元折信長の場合はやっぱりね、この人がこの伊勢という地に生まれたのは決して無縁じゃなかったと思うんですね。
だってやっぱりね、伊勢神宮のある国ですから。
神社の中の神社のようなものがあるわけですよ。
それがあると言うと自然とやっぱりね、お伊勢参りにみんなこう賑やかに行く。
松坂っていうのは伊勢市に比べて、今地図見てもらって北部にあたって海老須市にあたってるので。
お伊勢参りでめっちゃ盛り上がってる民衆たちを元折に乗り上げた日常的に見たと思うんですよ。
ちょうどお参りする途中なんですよ。
江戸とか名古屋の方から行くとね。
なので何をこの人たちは一体この神様というものに行こう。
それこそが日本人の本当の心の持ちをなんじゃないか。
本来の姿なんじゃないかっていうのは、それを研究すればいいんじゃないかって思い立ったと思うんですよ。
ところがですね、なかなかやっぱり国学というのは、その当時まだね。
元折に乗りながらやる前とかは、ちょっとその授学とかと比べるとメジャーじゃない。
マイナーなんで正直ね。
江戸時代とかから始まってきてるようなイメージは確かにあるね。
実際そうなんですよね。
むしろ幕府としては儒教というものが公式の学問になってるので、それじゃないので。
ちょっと暴流と言っては失礼なんですけど、実際そういう人たちだと。
なのでね、しかもお伊勢参りで趣味でやってるわけなので。
残念ながらね、あまり最初は理解してくれる人がいなかったと。
まあそうね、始まりの学問ってそういう感じがするね。
ただね、ここに非常に有名な伝説があるんですけども、
彼の人生を変えたたった一つの夜があったんです。
何かというと、国学は当時理解者がなかなかいなかったと言いつつも、
徐々に徐々に元折に乗りながらの時代には学問として成立しつつあって、
学ぶ人も徐々に徐々にでは増えてきて。
その当時、信長が研究を本格的にする前に、
最も国学の偉大な先生として敬われていたのが、
鴨野真淵という人です。
これも絶対教科書に載ってます。
大学受験の教科書に載ってるし、古文の文学史にも絶対出てくる人です。
という人がいたんですね。
この学者がですね、松坂の人は全然ないんですけど、
ある時偶然、松坂の宿に泊まるという情報を聞きつけたんですね。
元折に乗りながら。偶然ですよ。
でも国学者なら伊勢神宮の研究をするだろうね。
そういうことです。まさにそういうことなんですよ。
それを聞いた元折に乗りながらは、いてもたってもいられずに、
何の紹介もない、面識もなかったんだけれども、
その宿屋に押しかけて行って鴨野真淵をね、訪ねたんですね。
旅の疲れでもあったろうに、真淵からしたらね。
急に変な人が来たと。
迷惑だよね。
ところがね、鴨野真淵が偉かったのは、ちゃんと乗りながらの話を聞いてあげて、
その上でね、これはって言ってすごく励ますんですよね。
当時元折に乗りながら何をしてたかというと、
いわゆる古事記を研究しようと思っているっていう段階に達していたんですね。
ただそれは意味があることなのかっていうのは、自分自身でもちょっとよくわからない。
その研究する意義が自分の中でも曖昧になってきてる。
というのは、今でこそ古事記って日本の文学史に必ず載る教科書レベルになってますけど、
元折に乗りながら古事記をちゃんと研究するまでは、実は全然有名じゃなかったんです、この本って。
そうなんだ。
存在はあったんだけど、日本書紀と比べて全然脇役みたいな。
そうなんだ。
実はそうなんですよ。
でもそうか、日本書紀は政府が作ったんだよね、確か。
そうです、そういうことです。
古事記は別にそういう成り立ちではなかったかな。
古事記は古事記で、奈良時代の役人が作っているんですけれども、
政府が一応もちろん絡んでるんですね。
絡んでるんだけど、古事記は作者は昔の人の聞き書きみたいな体になってるんですよ。
なるほどね。
でも確かにその物語的な、神話的な側面の強いやつですよね、古事記は。
王の安丸という人が書いたんですけど、それは秀田のあれっていう、歴史スーパー爺さんみたいな人がいたんですよ。
すごい人が、レジェンドがいる。
その人は神世の昔、それこそアマテラス大神の時代からの歴史というのを自分の頭の中に全て記録しているスーパー爺さんがいる。
その人からの聞き書きを全部記録したのが古事記なんですよ。
日本書紀っていうのは、政府が日本の歴史を明らかにすべきである。
そうでないと中国とかから舐められるってことで、ちゃんと日本の公式歴史記録ですっていうことで、
命じて作った、編纂したものなので、
やっぱりちょっと格式の部分でね、軽視されがちだったんですよ、古事記というのは。
ある意味秀田のあれと王の安丸の共同著作物みたいなものなので、
ちょっとプライベートに寄りすぎてるんじゃないかみたいな。
言ってたんだけど、乗り流そうは思わなかった。
てか初めてそこに疑義を抱いた人かもしれない。
むしろ政府の目が入っている日本書紀の方こそが何か意図があって、
本当の日本の姿っていうのは秀田のあれの頭にあったもの。
耳で聞いていたものこそが実は生々の声なんじゃないかっていうふうに思ったんです。
なんかイメージ、今もう読んだことないんであれですけど、
日本書紀はなんとなく事実並んでるというか、
その通りです。
年表っぽい感じなのかなっていうイメージがあるんですよ。