1. 大人になりたい旅がしたい
  2. #57【伊勢&志摩】うましくに..
2024-11-04 55:59

#57【伊勢&志摩】うましくに・みけつくに Part3

うましくに・みけつくに 口福の玉くしげ3日目 「御食国」(みけつくに)とは、かつて宮中へ食材を納めることを義務づけられた国で、淡路・若狭・志摩の3カ国。いわば古代における“食のブランド”でした。とりわけ志摩国は、隣り合う伊勢国で神に食を捧げる神宮が立地したことも関係し、日本における“食”の発展に大きく貢献したのです。今回は、伊勢志摩が誇る美食の数々をドライブで結び、“食欲の秋”を満たします。 【目次】 〜 前回の振り返り

〜 ふわふわ濃厚のうどんに伊勢海老をのせる!? 【伊勢うどん まめや】

〜 日本思想史の転換となった偉人 【本居宣長記念館】

〜 ★歴オタ話★ 宣長の人生を変えた“運命の一夜”

〜 ★さらに歴オタ話★ 宣長がたどり着いた“日本人とは何か”の答え

〜 日本映画の巨匠のルーツを体感 【小津安二郎松阪記念館】

〜 「癒し」と「食」をテーマにした複合温泉リゾート施設 【AQUAIGNIS】

〜 三重の素材を鮮やかなイタリアンに 【イル・ケッチァーノ ミエーレ】

〜 竹林に覆われたスタイリッシュな源泉 【片岡温泉】

〜 “用の美”×デザインで進化を遂げる焼き物 【BANKO archive design museum】

〜 1日の振り返り

〜 ★旅の終わりに★ “食”をフックに地平を切り拓いた“美し国・御食国”


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00:03
大人になりたい旅がしたい。このポッドキャストでは、旅行とお酒が好きな荒沢男性2人が、大人だからこそ知りたい、ちょっとディープな国内旅行のモデルコースを紹介しながらお話をしていきます。
内田です。
はるやです。
はい。今回は、うましくに・みけつくに幸福の玉久茂の1日目、最終日ですね。
はい。
これまで、伊勢神宮をお参りしたりとか、1日目が伊勢海老、2日目が松坂牛。
はい。
もう、結構満喫してる感はありますけども、この3日目は何が出てくるんだっていう感じが。
グルメも楽しみですし、どんなところを巡るのかっていうのは、結構気になりますが。
そうなんですね。
じゃあもうちょっと早速、いきましょうかね。
はい。
お願いします。
はい。
前日は松坂市内、松坂駅周辺のホテルに泊まっている。
で、一生便さんで夕食をいただいたというような想定になっております。
で、自分は松坂に泊まったことはないんですけれども、
巣泊りだった時のことを考えてですね、ちょっと朝ごはんの場所を行きたいと思うんですね。
行く先なんですけれども、車で30分ほど伊勢神宮の方に戻っていただいて、
伊勢うどんの豆屋というお店に行きたいと思います。
そうだ、伊勢うどんもあるんだよね。
そうなんですよ。
伊勢うどんって言うとどういったうどんかっていうイメージはありますかね。
伊勢うどんはふわふわのやつだよね。
そうそうそう。
まずふわふわっていう形容詞が出てきますよね。
食べたことはないんですけど、お伊勢参りする時に手早くスルスルっと食べれるうどんっていうことですよね。
その通りです。
一般的にはたまに醤油みたいなものをかけてね、ぶっかけみたいな形で食べるのが割とメジャーかなというふうに思っております。
今言った通りね、ふわふわやわやわなんですよね、麺がね。
なので佐渡うどんとかが好きな方とはちょっとあんまりかもしれないんですけれども、
博多の小倉のほうのうどんとか風前のうどんとかは結構やわいのでね、
あれが好きな方はすごく相性がいいんじゃないかなというふうには思いますね。
この伊勢うどんというのはそういうわけで、伊勢神宮と紐づいてね、発展してきたという経緯はあるんですけれども、
豆屋さんにおいてはですね、
大正12年創業ということよりも100年前、101年前ですか、に創業したという長子にせよ。
すごいね。
なんですけれども、朝10時から営業されているようですので、
僕はこれお昼に行ったんですね。
なので松坂に泊まったことがない分、朝食のスポットもちょっとわかんないんですけど、
こちらのお店は行ったことがあって非常に美味しいんですね。
03:00
朝ごはんにもすごくいいと思いますね。
そうだね。
軽やかなんですよね、ふわふわでね。
小麦、うどんに使っている小麦も三重県産の綾光っていう品種を使ったやっぱり自家製麺にやっぱりこだわっている。
伊勢うどんはやっぱり麺が非常に特色ですから、そこには強いこだわりを持っていらっしゃる。
あとはやっぱりこの醤油だしが、なきり節の鰹節の話しましたけれども、
ああいうやっぱり魚介のエキス越しがね、すごく美味しいだしと醤油でやっていますので、
これはやっぱりこれも一つの伊勢ならではのグルメだなというふうに思いますね。
そうですね、確かに。
これもまあ確かに象徴するグルメの一つですよね。
あのね、いわゆるスタンダードのおうどんも全然いいんですけれども、
ちょっと面白いメニューとして、伊勢海老うどんっていう非常に斬新なうどんがあったりするんですね。
いやこれすごいよ。
これちょっとね、インパクトすごいけど。
これ多分茹でてあるのかな?あのもう真っ赤になってる伊勢海老の頭がドーンって乗ってて。
あとは天ぷらですね、乗ってますね。
すごいな。うどんの中に伊勢海老がいるっていうね、信じられない見た目なんですけれども。
斬新ですよね、非常にね。
これ身は天ぷらにされてるってことですかね?
えーとね、そう天ぷらですね。天ぷらがドカンと乗っている。
伊勢海老の天ぷらを食べれるってことですね。
伊勢海老天うどんっていうことですね。
贅沢だね。
ちなみに直だそうです。
怖いな。
僕もちょっと食べたことないんですけれども。
これはすごいなと思って、このお店を象徴するね、ちょっとすごいうどんだなと思います。
すごいね。
まあ気にはなるね。
ちょっと朝からね、なかなか重たい感じもするんですけど。
まあやっぱりただね、創業100年の死に捨てでありながらね、こういう斬新な新しいものもどんどん取り入れていこうっていうのはすごい良いですよね。
なので、ぜひチャレンジできる方、お腹でチャレンジできる方、この伊勢海老うどんでもね、チャレンジしていただきながら。
もちろんスタンダードのうどんですごく美味しいので、朝食で軽くっていうところがあればそちらの方がむしろ良いかもしれません。
というのがこの伊勢海老豆屋さんでした。
でね、観光の方にちょっと移っていくんですけれども、車でまた30分ほど松坂の市内に戻ってきていただきます。
でね、松坂という町なんですけれども、松坂牛がちょっと今あまりにも有名なので、これがね一本立ちみたいになっちゃってるんですけど、歴史的に見てもね、実は非常に重要な町なんですね。
松坂が歴史上に登場する時に、一人の人物と共に登場するんですね。
06:02
それが元折信長という人物。
本、ブックの本に居住するときに宣言するの線で長いと書いて、元折信長という人です。
これはね、俺、字見るとね、信長なんじゃないかっていつも思っちゃうんだよね。
そうですね。確かに信長と読めますもんね、普通に読めばね。
そうそう、信長ね。
いやでも名前はね、教科書で見た覚えありますよ。
そうですよね。どういうことをした人か。
それ、俺に聞いてもね。
なんだっけな、なんか学者かなんかじゃなかった?
文化史的な方で出てきた気がする。
おっしゃる通りです。古典の文化学史とかね、見ててきてるんじゃないかなと思うんですよ。
日本史選択肢じゃなくても、大学受験の国語古文でやってるはずです、必ず。
そうかな、そうかも。
で、改めてこの元折信長というのはどういう人物だったか。
これはですね、国学者、国学という学問の学者なんです。
国学というのは何かというのは、これは非常に難しいんですけれども、
簡単に言うと、日本の古来伝わっている文献だったり思想というものの研究をして、
日本本来の文化的な体系を明らかにしようとした人たちと言ってもいいかもしれません。
江戸時代とかですよね。
だから、蘭学とかそういうのが入ってきてる時期で、それの揺り返し的な感じで。
そうそう、まさにそんな感じ。
日本のことをもう一回学ぼうみたいなグルームですよね。
で、蘭学とかはちょっと日本っぽくないったら、よくわかるんじゃないかと思うんですけど、
もっと言うとね、仏教とかも、いわばあれも外来の宗教と言ってもいいんですね。
中国とか朝鮮半島から伝わってきた分。
なのでそれ以前のさらにもっと前っていうと。
そうなると神道とかね。
そういうことです。
いわば伊勢神宮とかに連なる神話の世界とか神社ですよね。
っていうものの姿を明らかにしようとした人たちが、国学という一派をね、築いていた。
元折信長はその代表的な人物ですね。
でね、元折信長っていうのは松坂のお医者さんだったんですよ。
これ学者じゃないんです、そもそも本業は。
小児科医みたいな。
都内科医みたいなのやってたね。
お医者さんなんですね、この人。
なので学問はあくまで趣味でやってたんです、ずっと。
すごいね。
すごいですね。
歴史上の人物のそういう話聞くと、勝てそうにもないよね。
勝負しないでくれと言いたいのがあるんですけれども。
どういう何を持って挑戦してるのか。
分かんないけどさ、本当に敵わないなって感じがするんですよ。
それは分かりますよ。
09:00
やっぱり人生観というかね、志のね。
歴史に乗るようなことを本業じゃなくやってる感じが。
どういうこと?って思うよね。
やっぱりね、これまでにもいろんな位置を見てきましたけれども。
何かその突き動かす何かがそれぞれにエンジンがある。
元折信長の場合はやっぱりね、この人がこの伊勢という地に生まれたのは決して無縁じゃなかったと思うんですね。
だってやっぱりね、伊勢神宮のある国ですから。
神社の中の神社のようなものがあるわけですよ。
それがあると言うと自然とやっぱりね、お伊勢参りにみんなこう賑やかに行く。
松坂っていうのは伊勢市に比べて、今地図見てもらって北部にあたって海老須市にあたってるので。
お伊勢参りでめっちゃ盛り上がってる民衆たちを元折に乗り上げた日常的に見たと思うんですよ。
ちょうどお参りする途中なんですよ。
江戸とか名古屋の方から行くとね。
なので何をこの人たちは一体この神様というものに行こう。
それこそが日本人の本当の心の持ちをなんじゃないか。
本来の姿なんじゃないかっていうのは、それを研究すればいいんじゃないかって思い立ったと思うんですよ。
ところがですね、なかなかやっぱり国学というのは、その当時まだね。
元折に乗りながらやる前とかは、ちょっとその授学とかと比べるとメジャーじゃない。
マイナーなんで正直ね。
江戸時代とかから始まってきてるようなイメージは確かにあるね。
実際そうなんですよね。
むしろ幕府としては儒教というものが公式の学問になってるので、それじゃないので。
ちょっと暴流と言っては失礼なんですけど、実際そういう人たちだと。
なのでね、しかもお伊勢参りで趣味でやってるわけなので。
残念ながらね、あまり最初は理解してくれる人がいなかったと。
まあそうね、始まりの学問ってそういう感じがするね。
ただね、ここに非常に有名な伝説があるんですけども、
彼の人生を変えたたった一つの夜があったんです。
何かというと、国学は当時理解者がなかなかいなかったと言いつつも、
徐々に徐々に元折に乗りながらの時代には学問として成立しつつあって、
学ぶ人も徐々に徐々にでは増えてきて。
その当時、信長が研究を本格的にする前に、
最も国学の偉大な先生として敬われていたのが、
鴨野真淵という人です。
これも絶対教科書に載ってます。
大学受験の教科書に載ってるし、古文の文学史にも絶対出てくる人です。
という人がいたんですね。
この学者がですね、松坂の人は全然ないんですけど、
ある時偶然、松坂の宿に泊まるという情報を聞きつけたんですね。
元折に乗りながら。偶然ですよ。
でも国学者なら伊勢神宮の研究をするだろうね。
そういうことです。まさにそういうことなんですよ。
それを聞いた元折に乗りながらは、いてもたってもいられずに、
12:01
何の紹介もない、面識もなかったんだけれども、
その宿屋に押しかけて行って鴨野真淵をね、訪ねたんですね。
旅の疲れでもあったろうに、真淵からしたらね。
急に変な人が来たと。
迷惑だよね。
ところがね、鴨野真淵が偉かったのは、ちゃんと乗りながらの話を聞いてあげて、
その上でね、これはって言ってすごく励ますんですよね。
当時元折に乗りながら何をしてたかというと、
いわゆる古事記を研究しようと思っているっていう段階に達していたんですね。
ただそれは意味があることなのかっていうのは、自分自身でもちょっとよくわからない。
その研究する意義が自分の中でも曖昧になってきてる。
というのは、今でこそ古事記って日本の文学史に必ず載る教科書レベルになってますけど、
元折に乗りながら古事記をちゃんと研究するまでは、実は全然有名じゃなかったんです、この本って。
そうなんだ。
存在はあったんだけど、日本書紀と比べて全然脇役みたいな。
そうなんだ。
実はそうなんですよ。
でもそうか、日本書紀は政府が作ったんだよね、確か。
そうです、そういうことです。
古事記は別にそういう成り立ちではなかったかな。
古事記は古事記で、奈良時代の役人が作っているんですけれども、
政府が一応もちろん絡んでるんですね。
絡んでるんだけど、古事記は作者は昔の人の聞き書きみたいな体になってるんですよ。
なるほどね。
でも確かにその物語的な、神話的な側面の強いやつですよね、古事記は。
王の安丸という人が書いたんですけど、それは秀田のあれっていう、歴史スーパー爺さんみたいな人がいたんですよ。
すごい人が、レジェンドがいる。
その人は神世の昔、それこそアマテラス大神の時代からの歴史というのを自分の頭の中に全て記録しているスーパー爺さんがいる。
その人からの聞き書きを全部記録したのが古事記なんですよ。
日本書紀っていうのは、政府が日本の歴史を明らかにすべきである。
そうでないと中国とかから舐められるってことで、ちゃんと日本の公式歴史記録ですっていうことで、
命じて作った、編纂したものなので、
やっぱりちょっと格式の部分でね、軽視されがちだったんですよ、古事記というのは。
ある意味秀田のあれと王の安丸の共同著作物みたいなものなので、
ちょっとプライベートに寄りすぎてるんじゃないかみたいな。
言ってたんだけど、乗り流そうは思わなかった。
てか初めてそこに疑義を抱いた人かもしれない。
むしろ政府の目が入っている日本書紀の方こそが何か意図があって、
本当の日本の姿っていうのは秀田のあれの頭にあったもの。
耳で聞いていたものこそが実は生々の声なんじゃないかっていうふうに思ったんです。
なんかイメージ、今もう読んだことないんであれですけど、
日本書紀はなんとなく事実並んでるというか、
その通りです。
年表っぽい感じなのかなっていうイメージがあるんですよ。
15:01
本当にその通りです。変年帯です、いわゆる。
で、国学者って考えると、事実ももちろん大事なんだろうけど、
そこの奥にある日本人の考え方とか、そういうのを研究するんだったら、
確かに古事記の方が良さそう。
本当その通りなんですよ。その通りなんです。
同じことを真淵も言ったんです。
だから、その古事記っていうのはみんなにバカにされているけれども、
よくぞ気づいたと。
それは絶対に誰かがやらなきゃいけないことなんだって言って、
迷惑だったと思いますよ、正直言って。
だけど、その志を高く称えてあげるんですね。
ぜひともあなたは一生かけてもこれをやるべきです。
というふうに背中を押してあげたんですね。
現在、松坂市内にはあまりにも有名なエピソードなので、
真淵がたまたま泊まっていた宿に石碑が建っています。
宿自体はなくなっちゃってるんですけど、今でもこの石碑が建ってるんです。
ただの旅館だったんですけど。
っていうぐらい運命の一社だったと。
なるほど。
なんかこの話を聞くと、こういうことってやっぱり歴史上大文字で起こるんですよね。
不思議な偶然というのが。
なんかこう、志を持ってる人と人が出会って何かが生まれるみたいな。
ポッドキャッスルもすでにあった話で言うと、
小田野直滝と平賀元来が秋田角の盾で偶然出会って、
餅の絵を描いたあの夜の話。
あれが日本美術史における一つの転換点になったわけですね。
そうだね。
秋田蘭花の発生。
それと、景色も時代も似たような時代ですけれど。
そうか。
こういうことがあったんです。
はいはいはい。
なので元折の日長はそういうわけで趣味だったんだけれども、
法曆13年、1763年の5月25日の夜だったと。
もうそこまで記録されてる。
この5月25日が逆に日本の思想史における本当に運命の転換点になる。
その後一生をかけてこの人は古事記というものの注釈書を書くんです。
古事記伝と呼ばれる。
なんかやった気がするわ。
絶対これも表紙載るやつですね。
古事記というものが何を伝えているのかというのをみんなに説明する説明書を作ったんです。
そのために非常な研究をした古事記というものです。
というのも一生懸けてやった。
のが元折の日長の最大の功績とおそらく言えるでしょう。
今や古事記はその会もあって、
必ず日本書記と並んで共に掲載されるビッグネームになりました。
というものです。
あとはさっき内田が日本人の心の問題というものを明らかにしようとしたじゃないかと。
本当にその通りなんです。
元折の日長の研究功績というのは一方では神話の世界、古事記というものを明らかにした。
これも普及の功績が一つ。
それともう一つ同時に関連するテーマとして、
日本人の心の歴史というものを追ったんですね。
日本人というのは何に感動して何に喜んで何に悲しんでどう死んでいってしまうのか。
18:04
ということを研究したんですよ。
だからもうアイデンティティですよね。
心のアイデンティティというものをこの人は見定めようとしたんですね。
日本人とは何かっていうのをここまで真剣に突き詰めようとした。
その結果たどり着いた結論というのが、
とある誰もが知っている著作物にこそその真髄が現れてるって評価したんです。
これ絶対知ってます。
日本国民絶対知ってる書物です。
でもそういうんだったら小説とかな気がするんだよな。
分かんないけど。
心、さっきの古事記の話で言うと。
で、みんな知ってるってなると、
源氏物語。
正解です。
源氏物語こそ日本人の心なんだっていうことを言ってます。
そう?
そうなんですよ。そう書いてるんですね。
そうなんですか。
今年まさにね。
日本人の心と乗りながら行ったその誕生に迫るドラマをね。
まさに今やってますけど。
なぜそんなことを言ったかっていうと、
物の哀れというものが日本人の心の本質だって言ったんです。
要は全ての物、自然の美しい景色、
あとはその人が生きて死んでいく時に起こる美しい場面だったり、
悲しいことだったりとかっていうことに対して、
日本人が環境を覚える。
感動してああっていう。
哀れっていうのはそういった語源だって言われてますけれども。
ああっていうこの感嘆することこそが、
それを明らかにすれば、
日本人が何に感動するのかっていうことが要は限りだっていうふうになるんですよね。
それが源氏物語の中に現れてると言ったんですよ。
そうなんですか。
赤瓶の元の絵画の説なんですけどね。
それはやっぱり源氏物語がね、
自然の美しい宗教を描いている。
そしてただもう一つは悲しみの物語なのです。
恋愛をいろいろ書いてはいるけれども、
人間の心の汚い部分、醜い部分、カルマですよね。
その本能的な部分というのが如実に現れてくる。
ただそれが王朝文化のすごい緩やかな中にあって、
自然の中に、要は人間一般が持っている本能というものを、
日本的な解釈をしたっていうのが源氏物語という話です。
それを歌に読んだりとか、ゆったりとした自然の中に調和させていくっていう、
その作為こそが日本の心の本質だっていった。
なるほど。
カルマというのは多分、世界共通で人間が持っている本能。
それをどう解釈したかは、そっちによって違うんじゃないかって思ったときに、
日本はこれだって言ったんです。
なるほどね。
っていうのが元折のり長。
だから非常に難しいんですけれども。
そうね。ちょっと掴みどころがない感じが。
掴みどころがないですね。
だからこそ教科書でもちょっとやや膨張とした存在として、
21:02
ただ重要人物だってことはわかる。
っていうのが、より明らかになるために、
この元折のり長記念館というところに行きたいんですね。
これはですね、のり長生誕の地である松坂。
今、松坂城の跡地の中にこの記念館が建っています。
同時にこの記念館では、元折のり長その人の業績をもちろん知れますし、
同時にですね、彼が暮らした鈴野屋という居宅も一句復元されているような感じですね。
なので彼がやや掴みどころのない事跡だったのを、
ここへ行ってちゃんと見ると、なぜ重要人物なのかというのがよくわかる。
そして自分自身がね、日本人としてこの人を見た時に、
やっぱりちょっと共感する部分はね、どことなく覚えることがあるんじゃないかと。
最近だとね、見てあのweb記事の面白かったのが、
物の哀れっていうのは、一言で訳すと、エモいだよねっていうことがね。
それだって言うんですね。
現代の、今の高校生の子たちの個展で。
でもそうだね。
エモーショナルなってことじゃないですかねって。
要はそういうことなんですよ。
その感動を呼び起こすものっていうものが、
日本の国土であり、歴史であり、自然だったというふうにこの人は考えた。
そして人間の生き死にだった。
なるほどね。
だから非常にね、壮大なテーマなんですよ。
まあそうだよね。
日本人とはっていうことだもんね。
そう、一言で言うとそれを考えたんです。
で、突き詰めて彼なりの解釈をした。
だから面白いのは、これ記念館行くとですね、
元折信長という人はもちろんすごいんですけれども、
実は信長も特に死んだ後の話なんですけど、
近代のやっぱり多くの作家とか学者っていうのが、
その作家人生、大御所みたいな作家人生になった後に取り組むのが信長だったりするんです。
やっぱり元折信長、日本人とは何かというのをこれほど考えた信長のことを考えることによって、
その人は信長の生涯を通じて日本人とは何かを。
代表的なところで言うと小林秀夫っていう、
昭和時代のすごい思想、文芸評論家思想家がなくなってますけども、
その地の巨人と言われたね、日本の歴史に後々多分もっとこのレベルになっていくでしょう。
っていう人も元折信長っていうのがやっぱり超大作なんですよ。
やっぱりこの人っていうのがちょっと特別なんですよ。
そのように出した人にとって。
日本人のことを研究しながらも、
信長自身が日本人らしいっていうイメージなのかな。
これはね、僕も正直あまりにもその思想が深すぎて、
僕にはわからない正直まだところがあるんですけど、
おそらくそういうことなんと思うんですね。
やっぱりある程度の歳を取って知識を蓄えて深い考えを持って、
いろんな人生経験を積んだ作家とか学者は、
元折信長にたどり着くんですよ。
それはいろんなところで試作を経た上に、
24:01
この人になるんですよ。
日本の中で日本人とはっていうことを考え始めた人。
ある意味そうだからね。
手探りの状態って感じだよね、きっと。
鴨野真淵の励ましがなかったら辞めてたかもしれない。
真淵も偉かったですよ。
それをちゃんとわかってたって。
たった1日しかはなかったんですよ、この人は今ね。
だから非常に難しい通好みというか、
上級者テーマなんですけど、
伊勢と言うとやっぱりね、
伊勢神宮と並び立つぐらいもしかしたら、
この元折信長っていうのは重要な存在なんですね。
いずれも僕もね、その重要な存在だと
より深くわかるようになったらいいななんて思うんですけど。
実はこういう人だという。
非常に日本の歴史上において本当に、
10人重要人物を選べているときに
この人入ってくるっていうぐらいの人なんですね。
そこまでとは思ってなかった。
なかなかね、つかみ所がないですからね。
という記念館でね、そういうことを学んでいただいた。
あとね、ちょっとね、
サブ的な観光になっちゃうんですけれども、
これちょっと内田に寄せてる部分もあるんですが、
元折信長記念館からですね、
5分ほど行ったところにあるのが、
小洲康二郎松坂記念館。
小洲康二郎さんというのは、
これはね、
俺はあんまりね、
知識がないんですよね、実は。
今ページ見て、
映画監督さんなんだなっていうのは、
わかりましたけど、
僕はね、そんなに深く知識がないんですね。
恥ずかしながら。
僕もあんまりないんですけど、
僕の知ってる限りで言うと、
昭和時代にね、
世界的に認められた映画監督の一人。
黒沢昭さんとかと並んでね。
本当に日本映画界の中で、
世界が認めるレベルに達したと言われている人で、
東京物語とかを撮った。
日本の姿勢に生きる人たちのヒューマンストーリーを撮って、
その控えめな描写とか淡々とした感じっていうのが、
すごく日本の奥行かしさみたいなものに評価を受けて、
小洲康二郎の撮り方っていうのは、
もうその後の世界的な、
いろんなところに影響を与えたと言われている。
日本映画界の巨匠中の巨匠ですよね。
最近で言うとね、
この小洲康二郎さんのことをすごく意識しているね。
現代日本の映画監督。
すごく自分でも公言している。
のが、小枝裕和さんですよね。
小枝さんね。
小枝さんですよね。
小枝さんの映画っていうのは、どうですか?
俺割と気に入ってるのは、
海よりもまだ深く。
が割と好きですね。
安倍博史さんで、
離婚した夫婦家族の話なんですけど、
ちょっとダメ親父でね。
27:00
なんだけど、子供はなんとなく慕ってくれてて、
ちょっとそういう子供に、
いい格好を見せたいみたいな。
そういうダメさもあって、
なんだろうね、ちょっと救われる感じがあって、
あれが好きですね、僕は。
その小枝裕和さんが、
この小枝康二郎さんというのはね、
本当に実はすごいリスペクトして影響を受けている。
そう言われるとね、
その主人公というか、
登場人物の生活の様を潰さに見せているような感じはありますよね。
それがこの小枝康二郎さん。
この人はね、実は生まれは東京なんです。
だけどお父さんがね、ちょっと面白い人で、
子供を育てるにあたって、
小枝康二郎さんを育てるにあたっては、
東京じゃダメだと。
自然とか文化がより地方色があって、
自然が豊かなところじゃないとダメだっていう風に言って、
わざわざね、その実家の松坂にね、
子供の小枝康二郎さんと一緒に移住したんです。
そこでね、小枝康二郎さんはね、育つんですね。
だからこの青春の街松坂ということでね、
記念館が建っている。
ただ実際やっぱり、
この小枝康二郎さんの経歴というのを見ているとですね、
その松坂時代にね、いろんな経験を本当にするんですね。
地方にあった映画館というもので、
映画に目覚めていって、
やがてそれ東京に出て、世界へ出ていくわけなんですけれども、
その松坂に関するいろいろエピソードがね、
この記念館に行くと、よく見て取れると。
結果としてね、もともと多分才能もあった方だと思うので、
東京にいたらまた全然ね、違った活躍もされた。
それはそれですごい活躍されたかもしれないんだけども。
ただこの、もしかしたらそのちょっとこう、
少し引いた感じで東京を捉える。
東京物語だったりとか、
あるいはその人間の穏やかな日常みたいなものと、
その日常を壊すかもしれない、
ちょっと表裏をなすようなね、ドラマだったりとか。
それを淡々と流れていくスローペースな感じっていうのは、
もしかしたらこういった少年時代のね、
地方都市松坂に暮らしたっていうのは、
もしかしたら限りになってるのかもしれない。
まあありそうだね。
なんか都会にいると、
なんかそういう空気感というか、
を捉えようっていう意識が、
なかなか生まれづらそうな感じはありますよね。
まあ仮説ですけどね。
いやでもあるでしょ。
それはね、うちの方がやっぱりその辺映像のね、
いろいろ撮り方とか切り口とか見てると。
どうなんですかね。
でもまあやっぱり監督までなると、
やっぱりだいぶ感性なところは、
強い気がするんでね。
理論というよりもっていう感じですかね。
何をこう切り取るかっていうところになると思うんで、
そうなるとまあその人のメンタリティというかね、
何を見てきたかみたいなのが結構強く出そうな、
イメージはありますね。
30:01
その方のね、記念館が松坂にあって、
実際行くとですね、
これ松坂市立歴史民族資料館という建物の2階分が、
この大谷康二郎記念館になっているんですね。
なのでこの庄仁町として栄えた、
その要は日常のこう忙しなさとゆったりさっていうものが、
実はこの松坂特有の文化で、
それというものが大谷康二郎さんの映画人生に、
大きく影響を与えたんじゃないかっていうようなね、
ストーリーでやってるんですね。
ではあり得るような気がするんです。
というのもね、ちょっと手前見する恐縮ですけれども、
実はですね、つい先月、先々月ぐらいですかね、
小田原にあるうなぎ屋さんにですね、
たまたま入ったんですよ。
老舗の。
そこにですね、なんとね、
大谷康二郎さんが実は密かにね、訪れていたっていうね、
話を聞いたんです。
あんまりこれね、
ややね、ちょっと押しのびで来てたんですって、小田原に。
なるほど。
ただ結構実は小田原に来てたらしいんですね、
大谷康二郎さん。
記録その店に残ってるんです、その足跡が。
ちょっと隠れてきてたみたいです、かなり。
ちょっと諸事情があって。
なのであんまりあれなんですけど、
小田原をね、気に入ってくれてたとかってことを考えると、
やっぱりちょっとそのスローペースなところっていうのに、
東京からふと訪れたくなる瞬間っていうのがあったのかなっていう気がなんとなくするような、
勝手にだからそういうことをシンパシーをね、
覚えてるような気もします。
それで海町ダイアリーの小枝さんに繋がっていくって考えるとね、
茅ヶ崎館っていうね、
大谷康二郎さんが使った部屋でわざわざ小枝さんは脚本を執筆するっていう、
茅ヶ崎にあるね、有名な旅館があるんですけど、
大谷康二郎、小枝博一っていうその系風をね、
何かやっぱり共通する風土があるんだと。
これ大変ちょっとね、いずれ茅ヶ崎の回でまた詳しくやりたいと思う。
こういった大谷康二郎さんの記念館にも是非ね、
特に映画関係ね、詳しい方はね、
興味ある方は行ってみていただけるといいかなと思います。
で、そっから車で1時間ほど、
ちょっと北西、山川方にやや入っていくんですけれども、
こっからがですね、ちょっとグルメ旅の主題にまた戻ります。
ちょっと忘れてたわ。
この3日間で初めてね、結構歴史マニア要素が出てきたのでね。
で、行くのがですね、
アクアイグニスというね、施設になるんですね。
アクアイグニスというのは、
そのコンセプトを一言で言うと、
癒しと食をテーマにした複合温泉リゾート施設。
というのがね、アクアイグニスというね、
まあ複合施設なんですね。
これね、何かっていうと、
そのままなんですけれども、
レストランと温泉とセレクトショップとパティスリーとかが、
こう複合になった、
三重県小物町っていう本当に山々の小さな町にあるね、
すごい広大なね、施設なんですよ。
不思議な施設なんですね、非常にね。
33:00
で、なぜこれが生まれたのかっていう話なんですけれども、
もともとここには湯の山温泉っていう温泉街がね、あったんですね。
で、とあるその一つの温泉宿の経営をされていた方が、
ちょっとその温泉地としてやや元気がなくなっているっていうところもあって、
町おこしをしなきゃいけない、経営を立て直さなきゃいけないというところと、
あとはね、高速道路第二名神かな、
高速道路がその敷地内を通るっていうので、
立ち向きを迫られてしまったということがあったと。
で、ただそれを転機として、
新しいタイプのリゾート施設というのを、
この小物というところに作りたいってなったときに、
そこに苺農園があったんですって、とあるそのもともとの敷地。
それを自分の保有していって、
そこで取れる苺は小さいながらも農園自体は有名じゃなかったんだけど、
すごくおいしいっていうのがね、
しかも高かったんですよ。
これをフックにできないかということで、
辻口博信さんっていう、
もう日本を代表する世界的なパティスリーですよね。
わかります。
この方にね、
梅本で会いに行って、
自由が丘にありますよ、その店がね。
あるんですけれども、
何度も何度も会いに行ったんだけど、
なかなかもう世界的な活躍をされる方だから、
お忙しいでしょ。
会えなかった。
ただようやく会えることができて、
それでその熱意と相談をしたところ、
この小物に辻口さんが多忙な中を通って来てくれて、
その苺を食べて、
これは?ってなって、
やりましょうということで、
この食というものをフックにした、
複合リゾート施設の構想というのが生まれた。
つまり温泉はもともと経営されていたので、
それと食のリゾートを、
その移転先の新しい土地で開こうとした。
これがアクアイグニスの起こりなんです。
辻口さんというのはそういうわけで、
本当に世界的な日本の第一人者ですから、
こういったパティスリーの。
当然料理界の人脈もすごいんですね。
この辻口さんのつてで、
その分野分野のエキスパートがね、
このアクアイグニスに集まってくるんです。
パティスリーの辻口さんは敗者に。
そしてイタリアンのレストランをやるという時に、
奥田正幸さんというね、
もうすごい人なんですけれども、
山形県の鶴岡というところで、
新しいタイプのイタリアンを創造したっていうね、
すごい独創的なね、シェフ。
これも本当に世界的な方ですね。
この方もそれに共鳴して辻口さんつててきた。
あとは日本料理の笠原さんというね、
三秘両論の笠原さんも、
このアクアイグニスに参入してきた。
っていう、まあ要デザートっていう、
この巨匠ですよね、それぞれ。
がね、アクアイグニスというところにね、
集まったんです。
多分なかなか類を見ないと思います。
一つの施設の中に、それはそのスペシャルな人たちなんです。
東大第一人者の店がね、
氷尊している。
36:01
しかも三重県の山の中に。
というのがね、このアクアイグニスなんですね。
新たな三毛作りの誕生なんですね。
これこそがね。
で、今回のコースで言いますと、
ちょうどお昼時にあたっていますのでですね、
イルケッチャーノミエレという、
奥田正幸シェフのイタリアンレストランに
お昼を食べに行きたいと思います。
なんかそれ聞くと、
お高いんじゃないのって思っちゃうけど。
ここはですね、まあ安くはないよ。
まあそうでしょうね。
ただ全然いけます。
僕もこれ、社会人の何立てぐらいで行ってますので。
ランチであれば、
単品で全然いけるんですね。
イセマダイのアクアパッツァとかね。
いやもうこれね、見てても本当に綺麗でね。
すごいよね。
色使いというか。
でもうめっちゃうまそう。
鮮やかですよね、色が。
トマトのこの赤いのがよく映えるし。
ボンゴレのこのソースもね、非常に。
うまそう。
俺が食べたのはね、
季節野菜とね、イセワンシラスのペペロンチーノとか。
今このページで見てたランチメニューには載ってなかったけど、
なんか季節のやつだったりするのかもしれないですね。
知らずだから春の時期だったのです、かもしれないですね。
まあ色々あるんですけれども、
本当にこの三重県の食材を使うということの強いこだわりを持ったレストランになりますので、
海鮮もそうなんですけどね。
お野菜だったり。
まあ要はもう本当に王道イタリアンなんですけれども、
非常に美味しかった。
いやーそうだろうな。
今だからその成り立ちを聞いたからさ、
まあそれは地元のものを使うっていうのもよくわかるし、
なんせ美味そう。
そうなんですよ。
いやピザもね。
これもね、小物町のハム。
小物町っていうのはこの赤い上にある場所なんですけど、
本当に地の素材を使った。
なぜならやっぱり素材がいいんですよ。
うましくにみけつくにだから。
そもそも伊勢嶋というのはね。
その魅力を最大限この本当世界レベルのシェフが引き出す。
いやーそれはいいだろうな。
はい。
ため息が出ますね。
値段見ていただいてもそんな。
本当だ。
まあまあまあ。
2000円単品であれば2000円以内には収まるかなという感じですかね。
そうだね。
社会自費に。
1年目とかでもまあ。
いけますね。
当然和食が好きな方であれば三秘料理の笠原さんの店に行ってもいいし。
ここはねもうご自由なんですけどちょっと今回和食が続いてたのでね。
今回あと僕はこっちしか行ったことないんですね。
なのでこのイタリアンビルケッチャーノミエーレをご紹介させていただいた。
豊洲だけです。
いやーいいな。
これはねちょっと新しい観点であるねグルメのご紹介でした。
39:00
先ほど言ったようにそもそもここは食と温泉なんですね。
なのでお食事をいただいた後はせっかくなので温泉も入りに行きましょう。
同じ施設内なのでね。
にあるのが片岡温泉というね温泉になります。
結構綺麗だね。
これもすごいんですよ。
スタイリッシュだね。
かっこいいんですねこの建築が。
なんか照明がね柔らかい感じとかっこいい感じですね。
シャープなんですよね造形がね。
一個一個鋭角的でね洗練されたスタイリッシュな。
そしてねこれ露天か。
露天風呂で目の前が竹林になってますね。
そう竹が揺られて竹林になってるんです。
その中に露天風呂があるんです。
いいね。
これはちょっと相当リラックスできるだろうな。
そうまして美味しいタリナを食べた後。
そうだね。
いやーいいな。
私服の時間ですよ。
いいな。
そもそも温泉出発なのねこのアクアイクニスというのはね。
だから本領ですよね。
経営者さんがね。
いいっすね。
こういうねなんかすごいスタイリッシュなんだけれども。
実はね入力料600円なんですよ。
音の演出。
全然いいじゃないですか。
土日祝だとちょっとお盆とかはやや特別期間になってるようですけれども。
でもね。
全然いいじゃないですか。
なんかお高いリゾート施設なんじゃないかって一見この写真を見ると思いがちなんだけど。
実はねそんなんなんですね。
非常に門戸の広いものになっていて。
しかもこれもね。
源泉かけ流し。
過水過温循環一切なし。
すごい。
これね源泉の温度がちょうど40何度っていう感じ。
いいくらいの温度らしいんです。
湯戸山温泉ってその源泉の特質らしいんです。
なのでもう生の温泉をそのまま浸かる。
すごいね。
100%かけ流しの天然温度。
へーすごい。
本物なんですねこれもね。
いやーいいな。
これをね合わせていけるんですね。
うまいもん食って温泉使って。
そうそうそうそう。
いいですね。
3日目なのでね。
旅行自体もね。
私服ですね。
私服です。
これはやっぱりねアマテラスおみかみってさえね。
湯戸山温泉じゃないけれども。
伊勢島がいいといった理由もなんだか分かってくるような気がするんです。
そうだね。
気候問題ですしね。
そしてね。
もし時間があればですけれども。
辻口シェフの名を冠したね。
このアクアイグニス誕生のきっかけになったのがそもそもこのイチゴでしたので。
このイチゴ狩りはあるんですねちゃんとね。
辻口さんが営まれている畑。
なのでそのイチゴを朝どれでそれをケーキに用いると。
42:01
19新種のイチゴを栽培していて。
予約をすることでね。
このイチゴ狩りを楽しむこともできるんです。
ごめんなさい。
僕このイチゴ狩りやってないんですけれども。
例えばですけれども。
最終日なので温泉に入った後に。
あるいはその前にイチゴ狩りをして。
それをそのままお土産として持って帰っていただくっていうのもいいと思いますし。
そういう楽しみ方もできますね。
このイチゴがアクアイグニスを産んだので。
その味をね。
そうだね。
食べたい。
確かに。
というのがね。
このアクアイグニスになるんですね。
面白い施設だし。
全部のレベルが高い感じですね。
すごいことなんです。
なのに門戸は広いんです。
いいですね。
なかなかないと思います。
こういう施設って。
そうね。
温泉と料理が。
旅館とかね。
一個の旅館とかだったらあるかもしれないけど。
それこそ銀輪とかね。
あるかもしれないけど。
そういう複合施設ってなんかすごい面白いというか。
個性的ですね。
ちょっと僕もねまだ行けてないんですけど。
このアクアイグニスの次の段階もね。
同じ三重県内にできているそうなので。
別の施設がね。
そっちはまだ行けてないんですけどね。
なのでやっぱりこういったものが三重にはね。
続々とこう生まれるんじゃないかと。
最後はね。
もう名古屋方面に戻っていかないと時間も時間なので。
アクアイグニスから車で30分ほど。
名古屋方面に行ったところにあるのが四日市という。
これ三重県の最大規模の都市になります。
この四日市にはですね。
最後お土産をちょっと買いに行こうと思うんですね。
それがバンコアーカイブデザインミュージアムというね。
ミュージアムなんですね。
バンコというのはね。
バンコ焼きっていうね焼き物なんです。
これあんまり知られてないかもしれないんですけれども。
ちょっと聞いたことないな。
この四日市周辺に栄えた焼き物で。
小さい系譜なんですけれども。
非常に面白い焼き物として注目を集めている。
草冠のよろずと書いてある。
バンと読む。
古いと書いてバンコ焼きと読みます。
よろずの古いということですね。
これは元々江戸時代にね。
桑名って三重県の都市で。
ここにも巨大な藩があったんですけれども。
この藩の元に商人がね。
これも中場趣味みたいな感じでやり始めたらしいんですが。
それがね色々変遷があって復活を遂げたりして。
脈々と受け継がれている。
今ですねこのアーカイブミュージアムを建てた人なんですけれども。
内田光一さんというね陶芸家の方が。
今ねこのバンコ焼きの基礎になっていて。
この方がですね。
このバンコ焼きただ焼き物として紹介するんじゃなくて。
他のいまり焼き唐突焼きとかと比べて。
やや規模が小さいだからこそ。
45:00
個性的なデザインとかをしていかないとやっぱり耐えてしまう。
ということでね。
そのデザインというものをね切り口にね。
またこれもやっていったんです。
なのでこれ今の色々企画展をねやってらっしゃるんですけれども。
乳白色企画展とかね。
乳白色と焼き物というものを考える企画展とか。
すごいね尖ったといえば尖った。
独創的な切り口をねこうやってねやるんですね。
小さいギャラリーの中にね。
バンコ焼きだったり。
他のねいろんな暮らしの中の器というものをね。
紹介したセレクトショップのようなものもある。
そしてねカフェがあるんですね。
これもね名古屋の有名なコーヒー店の豆を使ったコーヒーだったりっていうのをね。
このすごく洗練されたちょっと尖った。
デザイン性豊かなね空間の中でねいただくことができると。
当然ねバンコ焼きをはじめとして一点物ね作家物をね購入もできますので。
これを最後のお土産にしていただいてもいいかなと。
ちょっとね器ねうちだかなり興味あるというところがありました。
こういうね結構土色のね。
土鍋とかがねすごい有名なんですよ。
でもなんか絵柄がね描かれてたりして。
割とこう執筆な感じのね。
今グーグル検索してますけどこのキュースカ。
はいこっちですね。
この土色のね全体的には土色の感じなんですけど桜の絵が描いてあったりしてね。
ちょっとこう繊細な感じもありつつ。
でもその土色のねこうなんていうのどっしり感もあって。
どっしり感ありますよね。
いいですね。
ここねすごくいいんですよ。
実用感もあってね。
そうそう。
いいですね。
あくまでこれも養の美なんですよね。
はいはいはい。
えーいいな。
実際アーカイブミュージアムで言うとねこれに近いものが多かったですかね。
あーなんかちょっとね形が独特な感じがありますね。
こう全体的には角張ってたりとかね。
でも質感がねっとりとしていたり。
はいはいはい。
で単色すごい地味と言えば地味なんだけれども実はそこにも深みがあってみたいなね。
あーなんか面白いですね。
これね実際見ていただいた方がね現地で見ていただくとねちょっとポッドキャストルでなかなかね魅力を伝えづらい施設でもあるかもしれません。
四角がすごいんですよね四角としての空間がね。
知らない焼物いっぱいあるなやっぱ。
そうなんですよ。
各地にある感じだね。
ちなみにねこれあの余談なんですけどもしこのアーカイブミュージアムに行く時間がないという方でもね実は先ほどのアクオイグニスの中に
この内田浩一さんのねセレクトショップが別途あるんですね。
あーなるほど。
そこはバンコ焼きだけではないんだけれども同じようにねやっぱりそのバンコ焼きを基調に一点物とかまあいろいろ暮らしの中でね温かみのある雑貨というのがねありますので。
はいそちらもご注目いただいてもいいかもしれません。
48:00
ということですね。
で四日市というのもかなり三重県の北側になりますのでそこから車で45分ほど走っていただくと名古屋駅に戻ることができますのでそこで車を返却して後はそれぞれの東海道新幹線なりでご自宅へという感じでしょうか。
では3日目を振り返っていきましょう。
まず松坂駅近くのホテルに泊まっているということで朝の9時半頃にホテルをチェックアウトします。
そこから車で30分ほど伊勢に戻る形ですね。
伊勢うどんの豆屋さん創業100年を超える老舗名店ですね伊勢うどんの。
で伊勢海老うどんというねかなりパンチのあるうどんもありますし定番のね伊勢うどんをいただくのもいいかと思います。
そこから車で30分ほど松坂の方に戻る形ですね。
もとおりのりなが記念館。
国学の第一人者と言っていいですかね。
もとおりのりながの実績を展示されている記念館ということですね。
だからここを見るとちょっと日本人とは何かを深淵に触れられるかもしれないという感じですかね。
そこからあと5分ほど大洲康二郎松坂記念館。
大洲康二郎映画監督の巨匠ですねが青春時代を過ごした松坂について紹介をしている資料館ですね。
どういうふうな生活を送っていたのかみたいなことを見れる。
大洲康二郎さんの回想録とともに追っていくわけですね。
そこから車で60分ほど福護施設アクアイグニスに行きますね。
その中のイルケッチャーのミエーレというイタリアンでお昼ご飯をいただきます。
これはもう日本のイタリアンの巨匠というかもう第一線級のイタリアンシェフが作っているイタリアンですね。
監修というかね。
そこでお昼ご飯をいただきまして同じ施設内ですね片岡温泉ここで汗を流すということですね。
ここから車で30分ほどバンコアーカイブデザインミュージアムですね。
バンコ焼きという焼き物を展示しているミュージアム。
そしてここでお土産を買って帰るのも良しということですね。
ここが最後のスポットになりますのでここからご自宅に帰られる方もいらっしゃるでしょうし
名古屋駅で車を借りた方はここから車で45分ほどで名古屋駅に着きます。
のでそこで車を返却してご自宅へということですね。
この番組ではお便りを募集しています。
番組の感想、質問、リクエスト、旅の情報、ふつおたなど何でも結構です。
51:02
番組概要欄に記載しているお便りフォームのリンクから投稿をお願いします。
またYouTubeのチャンネル登録、高評価、コメント、
ポッドキャストのフォロー、レビュー、それから我々の関連SNSアカウントのフォローなどよろしくお願いいたします。
そして感想をつぶやく際はぜひハッシュタグおとたびポッドキャストをつけて投稿していただけると嬉しいです。
いやもう満喫した感じじゃないですか。
王道ですね今回はかなりね。
なんかね全体的に質が高い感じ。
そうでしょうね。
グルメ、グルメ旅ですからね。
グルメがもちろんそうですし、伊勢神宮も見れて、最終日もね、いいものに触れてる感じがありますね。
特にそのアクアイグニスの施設もね、いいものをいただいていいもんせんに浸かるみたいな。
そうですね。
質高い。
やっぱりね素材の良さというのはね、古代神話らしさやかもしかしたらね、という伊勢なので、
あとはそれをどういうふうに今の現代人考えてツリーの魅力として継承していくかっていう、それだけなんですよ逆に。
そこにいて銀輪さんも石塩瓶さんも、そしてアクアイグニスもそうなんですけど、それぞれ3社3用でね。
もちろん他のお店もそうなんですけどね。
今回メインで行った3軒で言うとね。
だから面白いんですよね。食事素材が良質だとこれだけのいろんな可能性があるのかっていうところがね。
そうだね。
それがやっぱりこの三毛津国のね、とうまし国のね、伊勢島というところでね、こういうものがあるというのもね、やっぱりこれも結局歴史の必然なのかなという気もしますね。
これはね、ちょっとメインとはずれるかもしれないけど、なんかね、いろんなものの始まりが突飛というか。
なんかね、すごくこう変わったことから始まってる人とか物々っていうのがすごく多い気がしましたね。
なんかそういう県民性なのかな?
そうかもしれないけど。
まあ通りのりなんかも突飛と言えば突飛だし。
そうだよね、押しかけてんだもんね。
そう、押しかけてと失礼だけども、アクアイグニツのね、辻口政府に会いに行った話とかもね、行動力というか。松坂牛を100頭連れて行った話もそこですけど。
なんかすごい、やったるぞみたいな感じで、そこから切り開いてるっていう感じがすごくしますよね。
あるかもしれないですね。
ちょっと僕もまたね、久々に行って、ちょっとやっぱり伊勢島の県民、国民性、伊勢島国のね、どういうところなのかというと、もうちょいね、自分を深めて考えてみたいですね。
最後にね、そのタイトルの話だけ回収しておくと、今回伊勢島というね、これ今のガイドブックでも2つ並び立つものですけれども、要は馬式に、これが伊勢のことなんですね。
54:05
これ日本書紀に書いてあることなんで、そのアマテラスおみかみがここにしたい、馬式にだからここにいたいという。
で、三毛津国、これ島のことなんですね。最初に言ったように古代から朝廷に納品する義務が与えられていた国。
だから馬式に三毛津国、これが伊勢島ってことなんです。
で、幸福は口の福で今回グルメ旅ですよってことと、玉串毛というのがね、これ古文のね、言葉なんですけど、宝箱っていう意味なんです。
そうなんだ。
宝箱という玉手箱だね。玉というのは綺麗な宝玉みたいなもの。それで飾られた玉手箱ということで、グルメの玉手箱ですよっていうことと、
ひこまろっぽいね。
そう、ひこまろ。そっからね、考えたんですけど、同時にですね、元折のり長の著作ですごい有名なのが秘本玉串毛、これも文学誌に載ってますから。
のり長の著作にヒントを得たところがあって、無理矢理繋げたという。
なるほどね。
はい。
玉っていうのが真珠とも結びついてる感じがありますね。
そうそう、そういうことなんです。
そうか、じゃあ一応その土地の名前は入ってたわけだね。
そういうことなんです。伊勢島ということなんです。
なるほどね。
で、玉串毛も元折のり長。
なるほど。
という感じでした。
いやー面白かったですね。割とポップね。
ポップでしたね。
単純に楽しめるって感じでしたね。
美味しい玉は誰もが好きなんですよ。
まあ、うって代わってね、こちらがお好きな方もいらっしゃるんじゃないかと。
いいと思いますね。
ぜひ巡っていただければと思いますね。
はい。
ということで、次回は雑談会ですね。
はい。
ということで今回はこの辺でありがとうございました。
ありがとうございました。
55:59

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