1. 大人になりたい旅がしたい
  2. #33【富山】“ハートフル・デザ..
2024-07-22 1:25:34

#33【富山】“ハートフル・デザイン”縁起Part2

ピュア×ナチュラル×ハイセンス 富山“ハートフル・デザイン”縁起2日目


今日の旅行ガイドブック市場において、特筆されるコンセプトとクオリティを持つ「d design travel」。デザイナーのナガオカケンメイさん率いる編集部が、47都道府県それぞれの“ロングライフデザイン”を求め、発信しています。このシリーズにおいて、唯一続編が刊行されているのが富山県!

立山連峰と富山湾に象徴される清冽な自然に、工芸や売薬の高度な技術が加わった富山には、地域の魅力をデザイン、ブランディングする必然性が備わっていました。今回は、富山市とその近郊を中心として、“おわら風の盆”の夜に日本屈指のデザイン王国の起源へ迫ります。


【目次】

〜 独特の?エピソードトーク

〜 日本最古の喫茶店とは!? 【純喫茶ツタヤ】

〜 富山のトップブランド“越中反魂丹”を実見 【池田屋安兵衛商店】

〜 “ガラスの街とやま”のシンボルスポット 【富山市ガラス美術館】

〜 自ずと磨かれた防衛力と越中の歴史を偲ぶ 【富山市郷土博物館・富山城址公園】

〜 旅の出発点・ロングライフデザインのショップ&カフェ 【D&DEPARTMENT TOYAMA】

〜 越中八尾に移動・おわら風の盆の時の注意事項など

〜 八尾和紙と民藝運動の融合 【桂樹舎・和紙文庫】

〜 “おわら風の盆”とは何か!? 【八尾おわら資料館】

〜 ★深堀りネタ★ “立体的なデザイン”として見るおわら風の盆

〜 いよいよ本番!鑑賞のポイントをチェック 【おわら風の盆】

〜 富山湾の恵みを凝縮した救世主! 【寿し晴】

〜 その系譜はドラマそのもの。レジェンドBAR発祥のカクテルを 【BAR 白馬舘】

〜 1日の振り返り



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00:03
大人になりたい旅がしたい。このポッドキャストでは、旅行とお酒が好きな荒沢男性2人が、大人だからこそ知りたい、ちょっとディープな国内旅行のモデルコースを紹介しながらお話をしていきます。
内田です。 あるやです。 この間ね、普通に出勤してたんですけど。
おお、いきなりエピソード。
ちょっと良い場面を見たなっていうことがありまして。 普通に出勤してたら、多分OLさんなんですけど、2人がね。
ちょっと手を繋いで歩いてた。多分出勤してたんですよ。 いいなーって思って。
女子高生みたいに、めっちゃ仲良く手を繋いでるんじゃなくて、片方が指2本くらい出してて、それを片方が結んでるみたいな。
なんかいいなーと思って。 どういうコスト?
だから多分そういう関係の2人だろうなっていう。
ただまあ多分ね、周りの目とかもありつつでも手繋ぎたいみたいな、思いが溢れたあの繋ぎ方だったのかなみたいな妄想がちょっと。
ちょっと総鉄のCMから触発されていろいろストーリーを作り始めた。
大人だし、多分ね、俺らと同じぐらいかなっていうぐらいの感じだったんで、なんかいいっすね、いいなーって。
なんか独特の生え際をしてた。 何にも関係ない。
枕言葉的にね。 そうそうそう。
っていうのがありましたっていう。
じゃあもう切り替えまして。
今回はピュア・ナチュラル・ハイセンス 富山ハートフルデザイン演技の2日目ってことですね。
これあれだね、最初に言ってなかった気がするけど、この最後についてる演技っていうのは、
なんて言ったらいいの? 五縁の縁ですね。
仏教用語ですね。 あーそうか。
要は、二本筆で言うと、なんとか寺演技とか、要はなぜその寺が、どういう縁によってここに寺ができたのかっていう始まりの物語ってことです。
なので富山のハートフルなデザイン、なぜそのデザイントラベルが2回も取り上げることのデザイン王国になったのかっていう発祥の物語を今回は話したいと思ってます。
ゆかりの起こりってことだね。 そういうことです。
じゃあそのデザインの前回引き続き、どういうデザインが富山にあるのかっていうね。
03:06
今日がその演技の一番のポイントになると思います。 じゃあその2日目をよろしくお願いします。
昨日のホテルは大体富山駅の近く、場所は特に指定しないんですけれども、富山の中心市街地のどこかにとっていただいているという想定でおります。
2泊なんですけれども、今回はホテルを場所を変えなくていいと思っていますので、連泊できる方はそのまま同じホテルで荷物を置いて、朝出ていただければいいかなと思います。
2日目もね、一切車は乗りませんので、大丈夫です。昼から乗ってください。 もしかして今日も飲むつもりですか、俺は。
今のところね、今日はちょうど控えめなので、ピュアナチュラルのやっぱり僕本来の姿をちゃんと見せないとダメなのかなと。
いつも皆さんに合わせてね、お酒のやってるんですけど。 嘘つけ。
モーニングからでちょっと考えていきたいと。
昨日ですね、繁華街宗川というところに行きましたけれども、ちょっと朝ごはんもそちらの方に食べに行きたいと思います。
歩いても全然構いませんし、ライトレールに乗る方は大体ホテルからまた10分ぐらい。
降りたすぐのところにですね、交差点がでかいのがあるんですが、そこの角にある純喫茶蔦屋さんというところをちょっとご紹介したいと思います。
純喫茶蔦屋さん。蔦屋はカタカナですね。
これですね、なんと1923年創業。
今年で101年になる喫茶店。
101年。
すっご。
でもこのホームページ見る感じは、割と最近目なデザインな気がするんだけど。
おっしゃる通りですね。内装自体は結構リニューアルもされて、その時どき、今は現代的な洗練されたデザインのお店になっていますが、歴史は101年。
これ一説によるとなんですけど、もしかしたら減損する喫茶店で日本最古なんじゃないかって言われてる説もあるよ。
そうかもね。100年以上ってなかなか効かないよね。
効かないですよね。
多分喫茶店好きの方は富山云々の前にここの店を知ってる方も多いんじゃないかなと思います。
レジェンド中のレジェンドです。
今内田が言ったように、ただレジェンドだからといって身構える人は全くなくて、本当に入りやすい、街に溶け込んだ喫茶店です。
ただ歴史はやっぱりすごくて、年表までホームページに用意されてるわけですね。
これすごいよな。
今4代目までなってらっしゃる。
世界の動きと蔦谷の歴史が同じように並行して年表があるわけです。
教科書とかによくあるやつです。
真ん中に蔦谷の歴代の党首の方がいらっしゃいます。
それを見ると、もともとは官見所として出発したようなんですけれども、
06:04
1922年の段階で僧侶者の息子さん、後に2代目になる方。
この人がすごい仮だったらしいんですけど、2代目が大正時代ですよ。
単身インドネシアに赴いて、そこでコーヒー豆というものの研究とか収集をした方なんです。
だからまだ日本のコーヒーを飲むという文化が本当に起こった、モダンガールとか言い始めたぐらいの時代だと思うので、
その時に自分でインドネシアまで自分で赴いた。
その方がインドネシアで自分で調達したお豆を、お父さんだと思うんですけど、初代の僧侶した方のお店に届けた。
直送したということで評判を読んだっていうことらしいですね。
その後いろいろ事業を拡大したりもしたんですけれども、もちろんその間に戦争も経てたりもするわけですけれどもね。
結局2010年に一度、昔の建物は取り壊しになってしまうんですが、
2017年に新装オープンをしているので、4代目の方の新装オープンがあったので割と現代的なお店になっているというふうになっています。
この4代の歴史も本当にすごくて、インドネシアを歩いた2代目の話はしましたけど、
当代、現在の店主の方、4代目の方なんですが、この人はですね、純喫茶・蔦谷が一度も廃業も考えていたそうなんですけど、
それをどうしても続けるためにすごい異例のキャリアを歩んだ方で、今もこれ専門職じゃなくて、
富山県の公務員の外国団体の職員と兼業されてるんです。
公務員とか外国団体ってそういう副業とか兼業って厳しいイメージなんですけど、
純喫茶・蔦谷って富山の文化なんですよ。
ある意味もはや公共事業といった大げさですけど、それぐらいの存在なんですね。
101年続いてる、日本でも本当に敬意のお店なの。
っていうので、極めて異例の兼業を認められた。
この純喫茶・蔦谷のことならば仕方ないということで認められたっていう。
それによって今も兼業・副業で押しながら、純喫茶を営まれてるっていう。
ちょっとすごいお店なんですよ。
っていう波乱のストーリーにある。
その途中には、当然もう100年続いた店なので、
多くの芸術家だったり文化人の方がもちろん来て、記録を残されているのは事実なんですけど、
決してそれにおごることなく、今普通に我々が言っても本当にリーズナブルなお値段で朝食をいただくことができます。
本当にね、すごい洗練された現代的なデザインなんですよ。
そうですね。
もうお店だけだとちょっと100年以上とは思えない。
思えないですよね。
このオムレツとトーストのセットが非常に美味しいわけですね。
これ美味そうだなぁ。
ザ・王道モーニングなんですけれども、しっかり成形されたオムレツで、
09:01
ちょっとケチャップが、これも真下一つのデザインだなって。
その裏のお皿も真っ白でね。
オムレツね。
オムレツ作ってた時期あったんだけどね。
自分で?すごい。
でもね、こんな綺麗にいかないんだよね。
最後の部分がね、どうしてもね。
丸めるところでやっぱね、ぐちゃっちゃうんだよな。
なっちゃいますよね。
オムレツとかではごまかせるんだけどね。
そうね。
ご飯の上に被せました風のガストの同じですよみたいな。
そうそうそう。
オムレツはね、すごい綺麗。
綺麗ですよね。
半トーストオムレツサラダっていう、この三面絵のモーニングが、
僕もこれいただきましたけどすごく美味しかったし、
カウンター席、今回一人旅の想定なので、
カウンター、店主の方がいらっしゃる面のカウンターもあるし、
窓際にカウンターがあったりもして、
これ目の前がね、本当に大通りのライトレールも通るところなんだけど、
その交通模様を見てるだけでも面白い。
っていうようなね、本当に負担遣いが全然できるお店なんですけれども、
創業101年というね、
本当に日本でもトップクラスのお店になっているというところで、
こういうのが残って、残した富山の人の凄さというのもあると思いますね。
富山ってね、戦争の被害もすごい大きかった町なんですよ。
空襲が。
それでだいぶダメージを受けているので、
それを乗り越えて100年続いたっていうのは、
そのあたりにもやっぱり強さを感じます。
というところでまずね、モーニングをいただきました。
そっから観光の方に入っていくわけですけれども、
まさにここからがデザイン演技の話になっていきます。
富山と聞いて、一つですね、思いつく人もいるのかと思うんですけども、
富山の薬売り。
薬売りの商人が富山に多かったっていう話は聞いたことがあるんじゃないかと思うんですけれども、
特によく言われるのは、
秋内を行商みたいにして、
初めに薬を家にバンってセットを置いていっちゃって、
少し時間が経った後に来て、
どれぐらい使われてたかってことによって勘定をすると。
そのために人件費がかかるわけですね。
置いてって後で回収しに来ればいいわけなので。
そういう画期的な手法で伸ばした富山の薬売りというのはね、
製薬産業のメッカとしてもここは富山は知られているわけなんですけれども、
なぜそもそも富山はこの薬を作られ始めたのかというところがね、
意外と知られてないかもしれない。
それを知るのにいいスポットが、
純喫茶蔦屋さんから本当に徒歩3分ほどのところにある、
池田屋やすべ商店さんに行きたいと思います。
これはね、池田屋やすべ商店さんというのは、
もう代名詞のブランドとしてあるのが、
エッチュハンゴンタン。
どういう字かというと、
富山のエッチュの国というところですね。
ハンゴンタンというのは、
12:00
反対のハンに魂にタンバの国のタンなんですけれども、
魂が帰り来る薬という、
ちょっとなかなか怪しい感じの、
なんかね、怖いね。
怖いものなんですけど、
要は以前ね、奈良の回の時に、
宇田松山というところから製薬会社、
日本を代表する製薬会社が続々と現れた町があったという話をしましたけど、
あそこに、自然の神秘なんて大量なタイトルつけましたけど、
要は世界中共通で、
いずれ死ぬ運命にある生命が、
わずかでも伸びる、
要はある意味、超常現象みたいなものが薬だったって話をしたと思うんですけど、
それをニュアンスまで残したわけですね。
魂が帰ってくるという、
死にゆくはずだった魂。
なるほど。
という魂魂丹っていうものがあって、
これは江戸時代に、
富山の薬として大ブームになったものなんですね。
そもそもなぜ富山で薬が作られ始めたかっていうことなんですけれども、
これ後で話すんですが、
富山藩という藩があったんですね。
今でいう石川県、富山県は、
基本的にほぼほぼ前田家の土地なので、
その中の親戚の士藩として、
富山藩というのを独立で依住させてるっていう。
金沢藩の、香川藩の部下と言っちゃ違うんですけれども、
江戸の連枠みたいなところです。
前田家が治めてたんですけれども、
なかなか経済状況が厳しかったっていうときに、
産業として起こしたのが薬だった。
外部から薬作りの商人を招いたんですけれども、
ここにですね、あくまで伝説なので、
どこまで本当なのかわからないんですけれども、
一つ有名な話としては、
産金交代で、
富山藩の藩主前田さんが江戸に行っていて、
江戸城でですね、
みんなで集まるときがあったようなんです。
そしたら、隣にいたんでしょうかね。
とある代名、
武津御晴、福島県の御晴というところの小さな代名だった
秋田さんという人がいたんですけれども、
その人が急に何かの発作を起こして、
江戸城の中で倒れて苦しみ始めてしまった。
と思ったら、傍らにいた富山藩の前田さんが、
懐からサッと取り出して、薬を。
これ飲めてくださいって言って飲んだら、
一瞬で蘇ったって言うんですよ。
本当なのか。
これ江戸城腹痛事件って言われてる事件。
本当なんですよ。
ちゃんとWikipediaとかにもあるんです、この話。
っていう伝説が語り継がれてる。
持ってそうな気がするけどね。
そんなに上手くいくものかって思うんだけど、
でも実際そういうことがあった。
それで秋田さんの健康を取り戻したと。
間の懐薬って言うんで、
15:00
周りの代名が驚いて、
何ですかそれって。
何をあなたは飲ませたんですかってなって、
これはうちの部下に作らせてる薬なんですけどって言うので、
すげえってなって広まった。
代名の間で話題になって、
えっちゅうの薬っていうのは前田の薬がすごいらしい。
なったという。
テンションが上がる。
なるほど。
でも実際薬が有名になってるわけですから、
そういう出来事がきっとあったんだろうね。
火のないところにと言いますか。
おそらく何かしらそれに通ずるものはあったんでしょう。
実際だろうね。
歴史的な史実だけをかいつまんだとしても、
実際豊山藩の藩主が、
藩の主要産業として製薬の方に活路を見出して、
どんどんこの薬を作ることを奨励したんですね。
それによってえっちゅう豊山というのは、
どんどんどんどん薬を作って、
あと立山とかの自然に恵まれてたって大きいと思います。
その薬の種になるようなね。
なるほど。
両栽培の資源を活かしながら特産品として作って、
そしてさらに売買方法ですよね。
さっきの置売りのね。
とかっていう新しいサービス。
ベンチャー的な面白いサービスをやったことで、
一気にブランディングされていった。
っていうのがえっちゅうの薬なわけです。
この池田康兵衛商店さんに限って言えば、
その量は昭和時代なんですね。
なので江戸時代に生まれていたハンゴンタンっていうのは、
やっぱりもうその後西洋のものに押されて、
どんどんなくなっていっちゃうんですけど、
それをもう一回復活させようと。
もう一度そのハンゴンタンの進化っていうものを突き詰めて、
研究をして復活させて、
今大手として売っているのがこちらになるんですね。
なのでこのハンゴンタンとかえっちゅうの薬文化を継承しようという、
発信しようという思いがすごい強い方々なんです。
実際ここ行くとですね、これ薬屋さんなんですよ。
薬をまず普通に売ってるんですけどね。
行くと確かこれちょっと時間が合えばだったと思うんですけど、
スタッフの方が実際にその富山の薬よりたちの話を、
資料を見せながら説明もしてくれる。
薬屋さんの店内なんだけど、ガイドツアーみたいのがあるんですよね。
そこで実際にその古い薬よりたちの使った道具だったりとかっていうのが見てて、
今みたいなエピソードを話してもらえて、
富山がなぜ薬が有名になったのかっていうのを、
目の前に実物を見ながら聞くことができる。
そして面白いのが、眼薬製造体験というのができるんですね。
これなかなかこれできるのも僕他に知らないんですけども、
どういうことかっていうと、ガイドツアーみたいな、
多分時間とスタッフの方の忙し具合にもよるのかもしれないんですけれども、
僕が行ったときはそれ聞けたんですね。見れたんですけど、
昔江戸時代とかから使われている薬の機械が今も現役で稼働していまして、
18:00
それを自分で動かして、
要は薬って最初粘土みたいな巨大なものを、そんなの当然飲めないので、
こういう眼薬、丸いコロコロしたものに加工しなきゃいけないんですよ。
それを江戸時代の時は人力でやってたわけですね。
どういうふうにするかっていうと、その粘土みたいな巨大なものを、
こういう紙切る裁断機みたいな、こういうのでガンって切ってボテって落とす。
それに板みたいな、眼薬の型みたいな板をねりねり上から力をうまくやっていくと、
この丸いものになるっていう道具があるんですよ。
ところがこれ難しいんですね。
チャレンジャーを募集されて、その時に観光客の方やってみませんかってやってみるんですけど、
なかなかうまくいかないんですよ。
でもね、職人さんがやると、もう寸分たくまぬ同じ形になっていくんですよね。
それで一気に何百個って、この巨大なものをうまく分けることができて、
それをパッキングしてたんだよっていうのを見せてもらうっていう眼薬製造体験。
無料です。
無料?
無料です。全然案内してる途中のあくまで1イベント。
あーなるほど。
これはなかなかない体験ですね。
でも当然のことながらね、これで作ったハンゴン炭というのも売ってます。
僕の家にもあります。
そのハンゴン炭っていうのは何用の薬なんですか?
そうですね。
同植物性の小薬を効果的に組み合わされて作られており、
現代人のストレスからくる胃腸障害、食べ過ぎ飲み過ぎによる各症状、消化不良などに優れた効果を発揮します。
こんな方にお酒をよく召し上がる、油物で胸焼けする、お腹をよく壊す、ストレスに時々がやすむ。
胃が痛む。つまりこれ胃腸薬ですね。
なるほどね。
一言で言えば。
食欲不振、消化不良、胸焼け、吐き気、2日酔い。
意外と。
まあね、胃腸薬ですよね。
そういうことです。
だから秋田さんの発作がもし本当ならば、胃腸の何かこう2日酔いだったのかもしれない。
もしかしたら。
それを出したんだもんね。
それだったら嬉しいですよね。
オフィスでさ、オフィスですか彼らにとっては。
会議中とかにいきなり来たらもうやばいじゃないですか。
大恥かいてんじゃないですか。
それをだからこの富山藩の藩言壇さって出してくれたことで、助かったんだとしたらみんな、
俺も酒飲んでこれ持ってるら大丈夫なんだって思ったかもしれない。
それはヒーローなのは確かに。
まあなので胃腸薬ですね。
なるほどね。
もちろんパッキングもね、小さいものから最大800粒6600円まで売ってますので、
よくその用途が必要な方はそれを持って行ってもいいのかなと。
なるほど。
他にもね、いろいろあるんですね。
お通じの薬とかね。
21:00
カッコン糖なんだよね。
これいいですね。
藩言壇がブランドとしてちょっと頭に受けちゃってるんですけれども、
単純に今も本当に元気で薬を作り続けてる会社なので、
いわゆる製薬会社です。
の売店です。
なぜこれがデザインとつながるかということなんですけど、
これですね、江戸時代もそうなんですけど、
やっぱり薬のデザイン、今も竹田薬品、いろいろ大塚もありますけど、
あれもやっぱりパッケージデザインって結構重要だと思うんですね。
何に効くのか、きそうなのかみたいな。
それは江戸時代もやっぱり同じで、
ビジネスで製薬会社を作ってるわけなので、
その薬のパッケージデザインっていうのも、
すごいやっぱり多種多様にこだわってたんですね。
で、そういうところから、
要はちゃんと売るための商業デザインっていうのをいかに追求するかっていうのが、
ひとつ富山の伝統的なものだったらしい、文化だったらしいんですね。
それのひとつの典型例が、この薬。
もちろん池田屋さんだけじゃなくて、池田屋はむしろ昭和にできてますので、
江戸時代のたくさんの製薬会社さんたちは、それをうどうに化したと。
あともうひとつは、これやはり加賀藩の影響が大きいと思うんですね。
加賀前田というのは、今金沢まだこのポッドキャストやってないですけど、
もう工芸都市、金箔は和菓子にしろ着物にしろ、
本当にありとあらゆる日本の工芸の粋を集めたような超工芸都市。
最近で言うと国立工芸館もとうとう東京から移転しました、金沢に。
それぐらい要はもう工芸の首都みたいになってるところの、
加賀藩というのはもう特質すべて工芸文化を持っていたので、
それの技術と洗練された鑑賞が、
加賀と金沢の人たちはやっぱりデザインを見る目っていうのはもう特別に超えてたと思うんです。
その範囲で物を売っていく、富山の産業を起こしていくってなると、
やっぱりそれなりの工夫をしないと目の超えた人たちには通じない。
っていうのもやっぱりあったと思います。
ただそれに見合うだけの技量を持ってる人も当然範囲には多かったので、
加賀藩の影響と富山が、加賀藩のいいところを影響を受けつつ、
加賀藩とは別の産業を経済を回していかなきゃいけないっていうミッションが、
デザインというものの追求せざるを得なかった。
本当に売るための商業デザインを考えたかと思います。
でもアートでなくデザインってことだね。
そうですそうです。あくまでもその時はデザイン。
が、今はそれがアートにもなるんじゃないですかってことになってきて。
っていうような一つの仮説ですけどね。
それは言われてることになります。
納得いきますね。
さらにですね、この薬は歴史の古いものなんですが、
今の富山の工芸デザイン文化の象徴的なスポットを、
次ちょっとご紹介したいと思うんですね。
池田屋さんから4分ほど行ったところにあるのが、
24:02
富山市ガラス美術館。
ガラス専門の美術館なんです。
これどういうことかっていうと、
実は富山というのはですね、
1980年代だったと思うんですが、
ガラスの町富山という町おこしのスローガンを掲げて、
それを制作にしてるんですよ。文化事業にしてるんです。
で、なぜガラスというものにこだわるのか。
これがなぜかわかりますか。
ヒントはもうこの中に出てるんです。今までのアートキャストの間に。
なぜ富山ではガラス作りが盛んだったのか。
用途の方。
用途。
ガラスを加工する。
今みたいな窓ガラスってわけじゃなくて、
何かに使ってたんですよ。
ガラス…
瓶か。
何を入れる瓶。
酒と薬か。
薬を入れる瓶だ。
薬産業がそもそも江戸時代からあって、
それの薬瓶、薬瓶を作るために、
富山はガラス工芸、ガラスの用は保存用として発達してた。
なるほどね。
特に戦争前はガラスの会社というのが本当に多かったそうで、
ガラス産業というか、
そういうのを提供するための経済循環の一つのパーツとして必須だったようなんですね。
ガラスを作るというのが薬産業で成り立っているところがあった。
っていうのがそもそもの始まりだったんですよ。
だから薬がなければおそらく富山でガラスというのはなかったかもしれない。
それはだからあくまでも必需品として薬に伴うと作られていたわけなんですけれども、
今これは美術館なんですよ。
そうか。
ここもデザインとアートの融合があるわけです。
なるほどね。
薬、要は日本酒のラベルだって我々デザインとしてよく
ジャケ買いしたりもする方もいると思うんですけど、
そういったデザインとしてのパッケージだったガラスあるいはデザインから、
今はガラスの技術だけは、
お店とか空手で失われてしまった店も多いんですけれども、
技術だけは人がいるから残った。
その技術を今後はどういうふうに使っていくかっていうので、
1980年代の話なんですけど、
それの一つのお試しだったらしいんですが、
市民講座みたいのを富山市が開いたそうなんですね。
ガラス文化に触れてみようみたいな市民講座みたいなのを開いたところ、
それがすごい好評で受けたと。
いうことで機運が高まって、
ガラスの街っていう風なブランディング、
街としてのデザインをしてみたらどうなるだろうかっていうことを考えていって、
それを持続してやっていったんです。
実際に岩瀬浜にもガラス工業の方がいるって話しましたけれども、
作家さんを育成して教育機関みたいなのを設けてですね、
ガラス工芸作家っていうのを。
そしてガラスって世界共通じゃないですか。
27:02
そこにも活路を見出した。
国際性のある、
これも新たな産業になっていくんじゃないかっていう風にね、
ガラス工芸というもの。
っていうのをずっと、これ40年ぐらいになるのかな。
それやってんだ。
80年代からだったと思うのでね。
貫いて、その集大成として作ったのが、
このガラス美術館なんですね。
実際に展示を見てみましょうか。
すっげえ綺麗なのよ。
これガラスなの?
そう。
すっごい。
このグラスアートガーデンっていうやつの写真見てますけど、
もうオブジェだね。
そう。
こんなことがガラスで表現できるのかって信じらんない。
これだってサイズすごいよ。
高さが3メーター弱。
幅が9メーター40。
奥行きが5メーター80。
でかっ。
でかいし緻密だよね、これ。
はい。
色使いの鮮やかさといい、
このねじれた、これガラスどうやってやるんだろうって本当に思うんですけど。
そうだね。
ちょっともうガラスという域を超えた何かですよね。
私はやっぱりガラスだから、
この手前の青いトゲトゲのやつとかも光を透過してて、
特性を活かした作品って感じがしますね。
そうですよね。
これはですね、デイル・チフーリさんというアメリカの方だったと思うんですけども、
世界的なグラスアートの巨匠と言われている方の作品を収集してここに展示してる。
つまりあくまでも富山のね、もちろん作品が多いんですけど、
富山ゆかりの方の作品が基本ではあるんですけど、
世界中のガラス工芸というものに焦点を置いた美術館なんです。
特にこのデイル・チフーリさんの作品に関しては、今内田が言ったものについては、
富山ミルフィオリ。
もう一つは富山フロートポートといって、この美術館のために作られているものとしますので。
富山フロートポートの方も幅が9mちょいぐらいあって巨大だね。
これは船ですね。
船の中にガラス玉がいっぱい乗ってる。
この船自体も確かガラスだったと思う。
確かそうだったと思う。
すごいなあ。
そうなんですよ。この美術館すごいんですよ。
特にコレクション展の見てもらうとですね、
本当に世界中日本の方も含めてですけど、
ガラスというものでここまで多彩な表現ができるのかとか。
石みたいなのがある。
隕石みたいな。
こんな細いのも。
すごいね。ガラスってマジで無限だね。
無限だよね。見ただけでガラスってわかんないもあるもんね。
本当に色もそうだし、形もそうだし、
30:00
透過率というか透け具合とかも本当に自在なんだなっていうのがわかるね。
ちなみに余談ですけど、今ね、今年の6月から12月までは
コレクション展工作する素材というふうにやってらっしゃるそうなんですけれども、
その概要のところを見ると、
アーティストはこれから先ガラスだけは使うということはなくならないかと思います。
他の素材や違った技術に関心を持つとなるでしょう。
つまり厳密にガラス作家と定義するようになっていくかもしれない。
ガラスも使うけど他の素材も使うのは当たり前ということで、
ガラスと何かを。
これもチェコの方なんですよ。
なんかね、やっぱりこの辺の親和性があるんだと思います。
中央、北欧とかあの辺のデザイン感覚と富山って似てるんだと思うんですよ。
目指しているものが。
ライトレールの視界なんですけど。
街の作りから似てるのかもしれないね。
雪が降って、北国の凄い清らかな風土っていうのもあると思いますから。
面白い。
そしてさらに注目していただきたいのが、このホールが凄いんですよね。
凄いな。開放感が凄いね。
吹き抜けのね。
これガラス美術館は、実はキラリ富山という公共施設の中の一区画なんですね。
でも確か階にして3階くらいは美術館だと思うんですけど。
このキラリ富山という公共施設が、富山の建築デザインの今凄い最大のものなんですけれども、
作ったのは熊健吾さん。
有名な方ですよね。
公共の国立競技場、新国立競技場で作った方でもありますが、
その方の設計によるデザインです。
なるほど。そう言われるとね、木材がたくさん綺麗に並べられてる感じとか、
その外観もね、板がたくさん並んでる感じは、なるほどって感じがするね。
この板がですね、キラキラキラリという施設名を表している通り、
ガラスとアルミと石でできているものらしくて、
太陽の光によってキラキラと変わる、それをキラリと言ってるわけですね。
これをモチーフにしたのが、縦山の降臨。
つまり縦山って、実は3日目で行くんですけども、
寒いところなので、雪解けの太陽に反射するとすごい色んな光が輝く。
そしてさっき言ったように、縦山を本当に見る日見る日で色んな表情を見せてくれるわけですね。
それをこう、多彩な表情をここにちょっとイメージしたという風に書いてますね。
なのでね、ここすごくね、写真とかもね、うまく撮りたい方はすごくインスタ映えする写真も撮れます。
この建築だけでもすごいですね、これはね。
美術館とか図書館とかもありますので、そういった公共施設として市民の方も使われますし、
33:07
我々としてはガラス美術館を見に行って、
富山のガラス工芸、ガラスの町富山の本当に核となるね、
技術の高さ、デザイン性の豊かさっていうのを目の当たりにできるというものになっています。
本当にその展示品だけじゃなく、建物もデザインとしてっていうのは、
前日の富山県美術館も似たところがありますね。
そうですね。
なのでここ一つね、デザイン、今の、昔から続いて伝統的なデザインの薬と、
今の現代を取り巡るデザインのガラスっていうところでね、
富山の二大巨頭、デザイン巨頭というところで見てもらえると、
この午前中はいいのかなというような気がします。
そこからですね、市内観光をさらに続けます。
徒歩12分ほど、富山駅の方に徐々に戻っていくんですけれども、
富山市郷土博物館、富山城跡というところに行きたいと思います。
これはいわゆる富山城のお城の跡なんですけれども、
先ほど申し上げたように富山藩というのは加賀前田藩の市藩です。
なので前田家がずっと治めていたわけなんですけれども、
その中でも富山藩独自の個性というものもいろいろあるわけなんですね。
もともと富山という土地は越中の国と呼ばれていた戦国時代から、
いろんなことがあったところで、
これは北陸の戦国時代とかに興味ある方はぜひここへ行ってほしいんですけど、
前田が来る前はね、サッサナリマサっていう戦国武将がいて、
それが富山の街を築いた、牙を築いた方だったりもするんですけど、
豊臣秀吉とバチバチにやりあったライバルだったりもして、
結構富山はそれで攻められて落城しちゃったりもしてるんですけれども、
結構富山は今も土地柄ね、周りに結構強敵が観光的にも多いたりしましたけど、
東には越後の上杉健進。これがしょっちゅう富山に攻め込んでくるわけなんです。
新潟の方から。
西からは越前、加賀の方はその時一公一騎っていうね、
とんでもない勢力を誇った宗教勢力がいて、それが猛威を振るっていたので、
富山というのは非常に苦難の多い土地だった。
それだけになかなか当時に苦労した場所なんですけれども、
その中で生き抜くための術っていうのをみんな戦国時代から考えていた。
ただ一方でやっぱりここで言って面白いのは、
富山市になる前の歴史をたどっていくとですね、
実は越中の国というのはすごいところでもあって、
これいずれ富山の西側の旅行を話す時にまたちゃんと触れようと思ってるんですけど、
室町時代のある時期は、
足利将軍家の将軍がこの越中にいた時があったりもするんですよ。
つまり日本の首都というのが富山にあった時期もあったりするんです。
っていう異例の時期もあったりする。
それぐらい巨大な勢力、
強敵が多いからこそ防衛能力の高さっていうのが自然と磨かれていく。
36:05
富山市今も巨大な河川に挟まれていたりするので、
それを天然の要害として富山市を守るっていう防衛所の設計ラインが、
すごいこれも緻密な計算に基づいて行われている街なんですね。
そういうのがなぜ必要に迫られていたのか。
植え過ぎなのか、加賀の一行一なのかっていうのがどんどん攻めてくるから。
でもその防衛機能があったことによって、
富山というのは保たれていたっていう側面もあったりするので、
その防衛といえばお城はこれを置いて外せませんので。
なるほど。
今も天守閣、復元ですけどもありまして、
そこの中に資料博物館があったりとか、
桜の名所でもあるのでね。
僕今年の4月に行った時ですけど、
本当に桜が満開できれいな時期でした。
いいですね。
チューリップもすごいいっぱい咲いてきれいですね。
といえばチューリップ有名なところですので。
そうなの?
西の方なんですけど、チューリップ畑。
確かチューリップの旧婚の生産地も日本一だったと思うと思います。
それもちょっとヨーロッパっぽい感じはありますね。
そう、オランダのまさにそうなんですよ。
この雪景色もいいですね。
これいいですよね、北国ならではの。
映える感じですね。
なので歴史に興味のある方は、
この博物館の中にも行っていただいて、
さっさ鳴馬さんの話とかはね、
前田が来る前の話とか、
あと首都機能が一時的に富山にあった話とかっていうのも、
結構興味深いエピソードなので。
特に興味がない方でも、
園内を歩くだけでもね、
お花の時期であればお花が綺麗だし、
お庭とかも残されてますので。
それで通行する、富山駅に戻る途中に通るというだけでもいいと思います。
走行してるうちにお昼の時間になってくると思いますので、
富山城から徒歩4分ほど行ったところで、
ランチのスポットがあります。
それがですね、D&D Dept. 富山というところになります。
これ見覚えありませんか?
これもしかして1日目の冒頭で話してた、
あの…なんだっけ?
D Design Travel。
あれと何か関連があるお店ってことですか?
まさにそのとおりです。
このですね、D Design Travelというのは、
あくまでこのD Designさんたちがやってる授業の1つの出版授業だけを
切り取って話したんですけれども、
この人たちは日本の地域のロングライフデザインを
いろんな形で発信しようとされてる、
デザイナーの長岡健明さんという、
これすごいレジェンドなんですけど、
この方が主催でやってるんですね。
これはその日本の富山のロングライフデザインの素材、
だったりを使ったカフェになるんですね。
隣にショップも併設されてます。
これがですね、実は富山の中心街にあるんですね。
なのでちょっと今回の旅のきっかけにもあげた
D Design Travelをちょっとイメージしながら
ここに行ってみようと思うわけです。
39:01
実際ランチ行くとですね、
このオムライスがね、大変多い人が乗ったりもしてますけれども、
例えばこのオムライスの話で言うと、
これはセイズファームさんっていう、
富山のちょっと西の方だったと思うんですが、
すごいロングライフデザインの卵を作ってる農家さんなんですけれども、
その卵を使ったものなんですね。
このセイズファームさんっていうのは、
僕なんで知ってるかっていうと、
D Design Travelに乗ってるからなんですよ。
そこで読んで、こういう農家さんがいるんだ、
すげえなって思ってたらここに出てたんです。
だからそういう関連してるんですよ。
出版事業とグルメとセレクトショップっていうのは
くるくるロングライフデザインっていう一つの軸で持って循環していくんですね。
富山はね、これ実は京都とか東京にもお店あるので、
ただちょっと富山今回特筆すべきところなので、
あえてここに昼は寄りたいと。
カフェとしてももちろんすごい使い勝手の良いおしゃれなカフェでして、
ランチメニューもあるし、ケーキとかスイーツも充実しておりますし、
その傍らにあるショップではデザイントラベルももちろん買えますし、
富山のいろんなロングライフデザインを追求されているね。
こういうのもあります。
これ釣り屋さんって書いてあるんですけど、
この釣り屋さんというのは岩瀬浜にある海産丼屋さん。
昨日行ったときに。
実際僕もこの釣り屋さん工程に差し挟もうか迷ったんですけど、
ちょっと時間の関係でね、
昨日はスタバを優先したので釣り屋には寄らなかったんですけど、
Dデザイントラベル読んだ方はこの釣り屋も載ってるんですね。
なので岩瀬浜のブルーアリーに行く前に寄れるはずですので、
興味があればぜひ。
要はガイドブックで読んで今回この富山の旅を行くのであれば、
そこで載ってたものが一堂に返してるわけです。
このセレクトショップとカフェでね。
岩瀬浜の方で行けなくてもここで買えるものもあるっていうことだよね。
そういうことです。
実際僕もここでお土産買ったりしましたね。
なのでDデザイントラベルのファンの方はもう絶対行った方がいいと思いますし、
そうじゃなくてもそのデザイナーっていう、
いわゆるものを見て魅力の方の魅せるスペシャリストの方たちが選んだ、
富山のロングライフデザインっていうものがここに導集されてるので、
そういった意味でもすごいね、
ハイクオリティなカフェとショップだということです。
このアイスに乗ってるDがかわいいね。
そうね、Dのクッキーなのかなこれはね。
確かに顔みたいに見える。
おしゃれなカフェとセレクトショップが一緒になってるっていうことですね。
そういうことですね。
ランチ兼お土産みたいな感じですかね。
そうですそうです。
実はこの後ね、今一回ガラス美術館とかのためにかなり南の方に行ったんですけど、
そこから今徐々に富山駅の方、ホテルの方に戻っていってますので、
42:01
例えばDデザインストア、この富山のストアでお土産を買ったら、
この後夜がちょっと遅くなるので、
ホテルに一回富山駅に帰る前に寄って、
お土産を置いて富山駅に行くっていうのが一番導線としては美しいかもしれません。
いいですね。
というD&Department富山さんでした。
一回ホテルには寄ることは想定せず話してしまいますけれども、
そこから12分ほど行ったところで富山駅に戻ることができます。
ここからなんですけど、今から話すのは9月1、2、3限定の話になってきます。
なるほど。
これからは小原風の本というものを見に行くので、
その工程で話をしますが、
もしイベントがなかったら小原風の本以外の工程は他の日でもできますので、
その観点で聞いていただけるといいのかなと思います。
電車に乗ってちょっと移動するんですね。
富山駅からJR高山本線。
高山というのは日田高山です。
高山と富山って意外と近いんですよ。
そうか。
その高山本線に乗って南の方に、だから岐阜の方に行くんですね。
越中八通をという駅を目指していただきます。
越中は越中の国の越中で、八通の夫と書いて八通をと呼びます。
というところがあるんです。
高山本線は臨時便なんですね。
これは普通の便もあるんですけれども、
この小原風の本が開催される9月1、2、3に関しては臨時便が出てるはずです。
増便されてる。
増便されてるはずです。
なので、小原の時のスケジュールとそうじゃない時のスケジュールはそれぞれ互角に出られた方がいいと思います。
ちなみに言うと、小原風の本って本当に人気のお祭りなので、増発されるんですけど、
これ事前の切符制みたいな感じなんですね。
なので僕が行った時は実際そうだったんですけど、
富山駅に行ってすぐに乗れるわけじゃなくて、
切符をまず駅員さんに行って買って、
そしたらあなたは臨時便に乗れますみたいなの書いてあるわけです。
それまで待たなきゃいけないんです。
整理券みたいな感じか。
整理券、整理券。
人数制限があるわけです。
なのでそのあたりはすぐに乗ったら、小原がある時は臨時便があったとしても、
すぐに乗れると思わない方がいいです。
なので実際僕の行程を話すと、
これちょっとアレンジしちゃってるんですけど、
整理券もらってイロハで富山ブラック食べてました。
なるほどね。
何せるちょっと調べてもらった方が安全かも。
かなり流動的な情報だというのはあらかじめわかっておいてもらっていいです。
ただ臨時便が出るのは間違いないはずなので、
これに乗れたら大体20分くらいで越中八雄まで行けます。
越中八雄というところなんですけど、
これは昨日の岩瀬浜が海の港町だったのに対して、
45:00
ここは山の中の山合いの民の街です。
南の方だもんね。
岐阜の方に向かってるのでね。
山の中の小さな町なんですけれども、
そこに培われた文化というのもすごい特筆すべきものがあるんですね。
まず最初の目的地ですが、
八雄の駅から大体八雄の昔の街並みの方に
大体30分ほどゆっくり歩いていくとあるんですけれども、
一つが敬礼寺舎、和紙文庫というところに行きたいと思います。
敬礼寺舎というのは、
桂の樹木の樹の校舎の下で敬礼寺舎と言いますね。
和紙文庫というその名の通りで、
伝統的な和紙を作っていらっしゃる工房兼ギャラリーみたいな感じです。
そもそもはこの越中八雄というところは、
山合いの産業として和紙の生産が盛んだった町なんですね。
八雄和紙はどのようにして売ってまいれたのでしょうか?
というホームページに載ってますけれども、
室町時代からもうできていた。
これは岡井子さんから貴刀を取るための墨紙みたいなもので、
和紙というのはそもそも発達したと言われてるんですね。
そしてもう一つが薬なんですよ。
薬のパッケージで当時はまだガラスなかったので江戸時代。
和紙ですよ。
我々がプラスチックの容量で和紙が必要な時代でしたので、
当然のことながら需要も半端じゃなかったと。
なるほどね。
今の時代で俺らが和紙ってイメージすると、
なんかおしゃれアイテムみたいな感じで思っちゃうけど、
日用品だもんね。
当時はあくまで日用品です。
だから当然発達するわけですよね。
ただ我々が今おしゃれアイテムって言ったのはその通りで、
やっぱり時代が変わることによって和紙の需要というのはどどん落ちていってしまって。
なんですけれども、
失われつつあった和紙の魅力に取り憑かれて、
この刑事者、カツラという字が入ってますけど、
それは吉田圭介さんの刑から取ったものだと思うんです。
人の名前からね。
この方が八千代で衰退していっている和紙の魅力を広めていきたいということで、
この工房を設立した。
ただ当然のことながら今はプラスチックビニールの世界ですので、
和紙普通に言っても売れないわけですよ。
どうしたかっていうと、
そのおしゃれアイテムとしての道を極めたんですね。
ここでやったのがデザインとの融合なんですよ。
なるほどね。
これすごいですね。
かわいいね。
カレンダーかこれ。
デザインは正解が一つあるわけでは決してなくて、
いろんな方がありますけれども、
この圭介さんの話で言うと民芸というものと結びついたんですね。
48:01
民芸というのは日曜の日。
我々が普段使っていた何気ないこういう器。
江戸時代とかこれも必需品ですよね。
おチョコを刺してるんですけれども。
あ、とっくりか。
なんだけれどもそれはもちろん今は陶器よりもガラスとかプラスチックになっちゃうけど、
そうしたもともと当たり前に使っていた日用品の中にも美しさがあるんじゃないかと。
そういうものをちゃんとアートとしても見ていけるんじゃないかということを提唱したのが民芸運動という。
大正時代とかに起こったものです。
西洋の近代化がガーッと明治であったので、江戸時代のものまでって失われてるだけでいいのかという話ですよね。
その代表的な人物が柳宗義という人がいたりするんですけれども、
こういった人たちとその交流を重ねて、
要は思想が似てるわけですよね。
和紙というのも要は日用の美だったわけですね。
日用だったものが今は美の方に転換していかないといけないっていうステータスに立ってる。
というのでその人の柳宗義さんだったり、その方の知り合いだった画家さんとかね。
そして芹澤圭介っていう静岡の出身のすごい有名な染色作家なんですけれども、
その人のデザインでもって和紙を芹澤さんの色で染めて、
一つの美の基調として和紙を作ったということで、
オシャレアイテムへの転換を図って成功したんですね。
まだそのデザインをつけて日用品の中で広めてもらおうみたいな、
使ってもらおうっていうことですね。
それは元々の和紙の用途と近いから、シフトしやすいよね。
そういう装置があったでしょうね。
なのでね、ここの実際今芹澤さんに行きますと、
こうしたデザイン性豊かなオシャレアイテムとしての和紙も当然売っておりますし、
あとはこのやはり民間運動というものと結びついたことで、
今ここまで伸びて発展されているので、
その民間運動というものの資料館みたいなものになっています。
和紙だけじゃなくね。
要は世界中の紙。
紙って世界共通で日用品だったと思うんですよね。
パピールスなんていうものは世界中にあって。
そういったものを含めて、世界中の日用品だった紙というものの美術館みたいになっています。
こういうふうに世界中の紙にまつわるアイテムだったりインテリアというのを保存している。
非常な紙専門のギャラリーみたいになっている。
ここに民芸の要素も取り組まれているわけですね。
これはもういつになるかわからない次回国で申し訳ないんですけど、
実はこの民芸というものも富山が一つ特別な聖地なんですよ。
これは富山の西の方に行くと、
よりこの民芸というものと密接に結びついた、
もう一つの富山の川が見えてくるんですね。
なぜ富山は魅力的なのかっていうのは続編を出たわけがそこなんですよ。
デザインと民芸、工芸というものがなぜ結びついていったのかっていうのは、
51:02
またいずれどこかの機会。
いつになるかわからないね。
ただその一つの川が見えるのがこの和紙文庫になっている。
紙とかオフィスで使う方も結構いますもんね。
リンセンとかね。
そうそうそうそう。
今でもちょっとした時とかにちょっといいもの渡すと喜ばれたりするし。
我々で言うと結婚式の時の御修理を包むやつとかは、
やっぱりいまだにそこは和紙使ってますもんね。
そうだね。
というような、ぜひそういうの興味ある方は行ってみてもらえると。
そっから10分ほど歩いたところに、
いよいよ八津尾っていう昔の街道筋に昔の街並みがバーって残ってるんですけど、
坂の傾斜の中に残ってるんです。
その坂の中に入っていって、
小原風の盆というのはその坂の中でやるものなんですね。
まずじゃあ小原風の盆が何なのかということを知ってからお祭り見た方がいいと思いますので、
八津尾小原資料館というところに行きたいと思います。
これはその名の通りなんですけれども、
小原風の盆というものが何なのか、
どういった特質を持っているのかというのを展示する資料館になっています。
いまだに僕は何が何なのかわかんないですけどね。
ということでですね、
YouTubeのリンクを貼ってあるわけですね。
イメージとしてはあれなんですけど、
そもそもこれ何なんだという話になると思うんですね。
小原風の盆というのは、
言った通り9月の1日から3日っていう日付指定、
曜日じゃなくて日付指定で行われている伝統芸能になっていて、
この夜なんですね。
夜にこの八津尾の坂の中を着物を着た町の方々が行列を組んで、
踊りを踊りながら歩いていくというものになる。
そういったパレードと言っちゃあれなんですけどね。
なんですが、この特色というのは、
今気づいたかもわかんないですけど、
小原節というすごい悲しげな曲に乗せて歩いていくんですけど、
いわゆる普通の夏祭りとか盆踊りとかだと、
楽しくてみんなで踊ってっていう話題とかがあったじゃないですか。
無音なんですね。
そういうこと?
つまり小原節は楽器が悲しげな音楽が流れてみんなが演奏するんだけど、
踊り手の人たちは一言も発さないんです。
そういうことか。
確かにね、顔もみんな真顔で真剣にやってる感じだったね。
そもそも顔も深い傘をかけてあまり見えないようになって。
これがこの特色なんです。
54:00
つまり楽しい踊りだけじゃなくて、
こういう悲しげな幻想的な中で、
一言も発さない踊り手たちが静かに静かに坂を降りていくっていう、
なんかちょっと不思議な、ちょっと怖さもあるような、
ちょっと駅員の話じゃないけど異世界の話みたいなところに、
非常に人気を集めているお祭りになっている。
なぜこれをやるのかっていう話なんですけれども、
これもいろんな説があるみたいで、
ちょっと分かってないことも多いらしいんですが、
江戸時代にはやられていたようなんですね。
この9月1日から3日っていうのに、
なんでこだわってるかっていうのが、
この時期っていうのは、
昔の歴で換算すると、
210日っていう、
要は一番台風とか雨とかがひどくて、
稲を収穫目の前にして倒されちゃうパターンが多かった。
っていうらしいんですよ。
つまり、ここで風がちゃんと吹かないで、
天候が持てばものなく稲が収穫できるんだけど、
この時期にやっぱり台風とかバーンって来るとさ、
今も水害とか多いじゃないですか。
っていうので、それを防ぐために、
この風、この踊りを奉納することで、
その大風が吹かないような祈りを捧げている。
この暦上リスクがある時に、
それを鎮めるっていうのが本来の目的だったらしい。
なるほど。
ボーンっていうと、
亡くなったご先祖殿っていうのがイメージしやすいけど、
今作ってる稲への祈りみたいなことなんだ。
そういうことです。
ボーン踊りとは目が違うものになるんでしょうね。
さっきでも動画見た感じ、
前の振りは割とボーン踊りっぽかったけど。
これがですね、
ここに今まさに風の盆資料館の小原資料館見てるんだけども、
小原風の盆っていうのもさっきの和紙の話と一緒で、
江戸時代からあったのは間違いないようなんだけど、
現在のこの様式になっているのは、
川崎隼士さんっていう方が、
途中でうまくそれをデザインしたんですよ。
これもお祭り用。
なるほど。
これ要は今ね、
臨時便の増発の件もありますけれども、
富山県の観光の一大コンテンツになってるんですけど、
それは要は他のお祭りとの差別化を図ったんです。
ここにしか見れないものがあるって、
そのらしさとは何かっていうのをデザインしたんですね。
イベントのデザインをしたんです。
そこでですね、
今内田が言った通り、
振り付けもそうなんですけど、
衣装とかも、
小原の八王の町っていくつかの地区に分かれてるんですが、
小さな町に。
その町それぞれに衣装も自分たちの別のものを用意して、
かつただ無言で歩くっていう様式を整えつつも、
その中に個性を見せるんです。
それで振りに関しても、
あまり難しい歌舞伎とか能みたいなものじゃなくて、
町の人が参加はしやすいんだけれども、
57:00
見てる方も分かりやすいんだけれども、
そこに無言っていう、
謎めいた感じのものがあるっていう、
今の小原の様式を生んだのが、
この川崎純二さん。
確かこの人はお医者さんだったんですよ。
へー。
振りとかちょっとパッと見の感じは、
いわゆる他の地域のお盆の祭り、
盆踊りみたいなのに寄せてるんだけど、
賑やかなのと物悲しさっていう、
そこのコントラストを際立たせたっていう感じ。
おっしゃる通りです。
というのがあるんですよ。
この資料館に実際行くと、
この川崎純二さんという方も、
小原を保存するための、
本当にすごい尽力した人で、
保存するだけじゃなくて、
それをやっぱり未来へ残していくためには、
町中だけの内輪の行事だけじゃダメなので、
外の人を呼び込むっていうことに、
やっぱり心血を注いだ部分もあって、
そのためにやはりこの方も、
いろんな文化人の方と交わって、
結構名立たる作家が、
この人の家に遊びに来たりもしてるんですよね。
で、その上で小原風の盆っていうのを、
どういう風にデザイン、
ブランディングしていくかっていうのを、
いろんな意見を聞いてやっていって、
そして旅行の一つの旅先になるような、
コンテンツとして育っていったっていう、
今の小原風の盆のその繁栄の元を築いたのが、
この人だって。
お医者さんがよくそこまでやるね。
今やつおに銅像まで建ってるような、
大功労者。
この振り付けもね、
今ちょっと補足なんですけど、
考案してるんですよ。
この人、外部の人と一緒に。
だからこの小原風の盆をどういう風にしていくかって、
その物がなしさ。
あと坂の街って、
もう場所はここでやらなきゃ意味ないから。
伝統領事だから時期も考える。
多分衣装は9月ぐらいだから、
ちょっとこういう着物がいいかなとかっていうことを、
浴衣っぽいね。
逆算逆算していって、
そこでじゃあその浴衣が一番こう、
哀切な悲しげな感じで見せられるのは、
どういう振りなのかっていうのを、
プロの方をわざわざね、
意見聞いて一緒に考案してるんです。
へー。
っていうね、だからまあ、
もうなんていうか立体的なデザイン。
ポスターとか以上に、
人の身体動作のデザインをしてる。
それをこう一緒に、
様式美で合体させることで、
特殊なイベントとして発生させた。
へー。
っていうような歴史だったり、
川崎さんの人柄に迫るのが、
この資料館になっているという感じですね。
なるほど。
実際これ予習しておくと、
これから見る各町のね、
衣装が違ったりするのも、
この町はこの衣装なのかっていうのも、
一覧化されてるので、
これからこういうの見られるんだなっていう予習を、
見てもいいと思います。
なるほどね。
1:00:00
そして本番ですよね。
資料館から間もなく、
本当にもう目の前のところから、
その坂が続いていますので、
風の盆の行列がやってきます。
これは明確に何時からっていうのは、
決まっているわけじゃないみたいなんですけど、
夜です。
とにかく。
夕方から夜にかけて。
なので、
僕これ実際行った時の体験談なんですけど、
まずやっぱり人がすごいんですよ。
本当に。
なんだけど、
僕は一人で行ったので、
そんなにスペースドリームは苦労しなかったんですけれども、
特別この町の方が見たいとかっていうのはなければ、
とりあえず一回最初見てみるという感じであれば、
空いてるところとか、
みんなが一斉にディズニーのパレードみたいにやって終わるっていうんじゃなくて、
同時多発的に起こってるんです。
町の中で。
そういうことか。
だから、
あっちの方でにわかに音が流れ始めたら、
そっちのバーって行く、
みたいなもので見ていくと、
だんだんいろんな町の方が見れる。
なるほどね。
じゃあ、
みんなそれぞれが回ってくれるっていうんじゃなくて、
いろんなところでやってるから、
自分で好きなところを見に行く。
そうそうそうそう。
一定のメインストリートみたいのは、
さっきビデオちょっと我々見てましたけど、
一番メインの坂の町の古い町並みがあるんですけど、
そこがメインではあるけれども、
そこはやっぱり人がすごいので、
あえてそこじゃないとこ狙う。
で、
一番メインのところは、
団体の観光バスはだいたい途中夜早めに帰るので、
これねずっとやってるんですよ。
へー。
うん。
だから僕もね、
これ後で話すんですけど、
帰ったのね1時とかでした。
え?
そんなやってんの?
富山市に帰って、
あの、
マッチリホテルに帰ったの。
でもだから親原は日付変わるぐらいまで見てました。
へー。
で、日付変わる頃になるともう団体の方がいなくなってるので、
結構しっかり見れました。
なるほどね。
うん。
へー。
やっぱりあのー、
独特ですよね。
うん。
なんか不思議な感覚になるっていうのはさっきのエキンのね、
この間と同じなんだけど、
うん。
より悲しげな感じの。
うん、そうだね。
この人たちで何を考えてるんだろうってのは分からない感じがする。
はいはいはい。
お気味ではあるんだけど、
でもそれになんか奇妙なやっぱり美しさはありますよね。
うんうんうん。
さっきの動画でもね、
あのー、
その歌詞がね、
うん。
満たさ空いたさ思い出すの。
そうそうそう。
っていうね、
まあ寂しさ、悲しさがあってるような曲でしたよね。
ちょうど夏からまあね、
この9月1日、
今我々温暖化の世界に生きてますからね。
はいはいはい。
ちょうど夏から秋にこう変わりゆく感じも、
ちょっとその物悲しさがマッチする気もしますよね。
まあそうか。
確かに確かに。
うーん。
夏休みが終わった悲しさもね、
あれでしょう。
子供は。
確かに確かに。
うーん。
これその、
お客さんのテンションとしてはどうなの?
あ、えっとー、
まああの、
わーって感じじゃないですね。
まあそうだよね。
ただ、あのー、
皆さん別にこう、
なんだろう、
黙って見なきゃダメとかっていう決まりがあるわけではないので、
思い思いに鑑賞はされていますけど、
やっぱりどうしてもこの祭りのテンションに引きずられてというか、
1:03:02
結構真剣に見入っちゃう。
写真は撮れるんですけども、
もうパターンが多かったような気がします。
なるほどね。
うん。
だからいわゆる夏祭りの、
こう、
ワイワイしてる感じではないんだ。
ないですね。
ただワイワイしたい時もあるじゃないですか。
まあまあまあ。
うん。
お祭りだしね。
そうやね。
で、
なるとですね、
まあ、
例によって、
お祭りですので、
同時多発的にお笑は発生してるんだけれども、
はい。
あのー、
ビールとかもね、
飲めるんですね、
この街の中でね。
まあ、ね。
祭りだもんね。
はい。
あとはまあ、
その八つ尾っていうもの自体が、
そもそも本当に昔ながらノスタルジックな商店街なので、
そこにあるね、
昔ながらの、
お肉屋さんの作るコロッケとかね、
異様に美味しかったりしましたね。
あー、いいですね。
うん。
で、
あのー、
お笑は、
やっぱりね、
やっぱりね、
やっぱりね、
八つ尾のね、
小民家のレンタルスペースみたいなのを貸し切って、
一日限りのビアバーみたいなのをやってくれてて、
へー。
僕そこに立ってました。
お笑は待ってる間ずっとね。
なるほどね。
うん。
あー。
なのでまあ、
ずっ、
何か、
どうしてもこの街のが見たい目的があれば話は違うけど、
そうじゃなければ、
お笑を見て、
うん。
ちょっとまた、
人並み去ったら、
はい。
あのー、
ビールとか、
食事とかをして、
街歩きも楽しんで、
徐々に人が吐けてくのを待って、
また音が鳴ったらそっちの方に行く。
うん。
そういう見方もいいかもしれない。
なるほどね。
うん。
うん。
ちょっと独特な夏祭りだね。
独特な祭りですね。
うん。
うん。
というのでね、
まあ、
今年も9月1日から3日。
これはもう毎年変わりませんので、
はいはい。
はい。
えー、
ということになっています。
うん。
で、
えー、
ただ、
申し上げた通り、
何時から何時って明確な規定ないんですよ。
はいはいはい。
で、
どうもね、
あのー、
夜が、
夜が更けてからの方に来るらしいです。
えー。
それはね、
どうも、
これは僕も見たことがないので、
噂でしか聞いたことないんですけど、
うんうん。
やっぱり、
河童純二さんの努力もあって、
うん。
今は観光コンテンツとしてこれやってるんだけど、
うんうんうん。
そもそもは地域の祭りだったわけですよ。
はいはいはい。
なので、
観光客が吐けたなーってなると、
うん。
もうね、
あのー、
最初は街ごと、
なんとか街みたいな感じで、
うん。
あった街ごとのグループでやるっていうのは決まりなんだけど、
うん。
それがもう一回解散ってなったら、
はいはい。
もう仲のいい友達、
グループだけで、
お笑いをやり始めるんです。
へー。
街の中で。
うんうんうん。
で、
それの方がやっぱり、
よりこう、
自由で、
あー。
本気で、
あー。
みたいな、
で、
うちはネタなんだけれども、
その方がだから楽しくて、
みたいなのもあるらしくて、
うんうんうん。
お笑い風のマニアの人はそれを見に来るって言ってた。
へー。
うん。
だから、
なんかそのビアバーレであった、
地元のそのマニアの人に会ったんですよ。
うんうんうん。
そしたら、
最初はこれでいいけど、
2回目以降は、
徹夜で来た方が絶対面白い。
へー。
12時からが面白いからって。
へー。
ということをおっしゃってたので、
うんうんうん。
まあちょっと機会があったらまた僕も、
行ってみようかなと思ってます。
うんうんうん。
ということでですね、
はい。
で、
まあなので時間制限がないので、
うんうん。
あのー、
とにかく八丁の駅から、
まあ富山に今回泊まりますので、
1:06:00
はい。
富山までの、
電車の便だけに、
とにかく気をつけていただく。
うん。
ただ先ほど申し上げたように、
あのー、
本当に12時とかまでありますので、
はいはいはい。
あのー、
それに間に合うように戻りましょうと。
うん。
ということで、
えー、
明確な規定をしませんが、
うん。
1回じゃあ今回は、
9時半ぐらいに、
富山駅に戻れたとしましょうか。
はい。
ちょっと早い気もしますけど。
うんうん。
で、
えーとー、
まあこの時間に戻ってきてるので、
飲食店も、
今から探すのが大事だと思うんですよ。
うんうんうん。
で、
飲食店も、
今から探すのなかなか大変なんですけれども、
そうですね。
10時くらいから食べ始めるのでね。
うんうん。
えー、
その時のね、
救世主がいるんですね。
これ実際僕終わらぬ、
本当にもっと遅かった。
僕あの時。
で、
12時くらいにここに来てるんですけれども、
えー。
えー。
えー、
それが、
寿司春さん。
あー。
というお寿司屋さんですね。
ほうほうほう。
お寿司屋さんでそんな遅くまでやってんの、
割と珍しい気がするけど。
そうですよね。
うん。
うん。
えー、
ここは、
ことぶきの方の巣に、
ひらがなの巣。
はい。
で、
晴れると書いて春ですね。
うんうん。
寿司春さん。
うん。
あの徒歩15分くらい。
えーと、
僧川まで、
昨日行った僧川までは行かないんだけれども、
うん。
ちょっと富山駅より、
富山駅とお城の間くらいですね。
うんうん。
の場所の繁華街にあります。
うん。
まあここはあの、
営業時間ということでまず選んじゃったんですけれども、
はいはい。
そもそもお寿司屋さんとしてめちゃくちゃうまいです。
うーん。
なんか青い、
魚卵みたいなやつが、
うん。
あるけど、
これ何?
これですね、
エビの卵です。
はあー。
あ、じゃあこの下にあるのはエビ、
はい。
ですか?
これちょっと僕も正確な、
あれなんですけど、
うん。
僕の記憶正しければ、
うん。
下にあるのは、
富山ならではの白エビです。
うーん。
で、
上に乗った卵は、
うん。
別の、
もっと大きなエビの卵だったと思います。
うーん。
うん。
えーこんな色なんだ。
青いね。
ちょっとねー。
クリームソーダみたいな、
ちょっとねー。
クリームソーダじゃないけれども。
食べ物っぽくない色だよね。
ね。
これ美味しいんですよ、でも。
へえー。
まあこれに代表されるように、
うん。
もう富山湾といえばやっぱお寿司魚はもう本当に美味しいですから、
はいはいはい。
このお寿司ね、しかも大振りでね、
なんか雑多に見えるんだけど、
めちゃくちゃ旨味が凝集されてて美味しいんですよ。
うーん。
カニもあるわ。
カニね。
だから季節ごとでね。
あーまあそうだね。
うん。
うんうんうん。
美味しかったですよ、ここ。
へえー。
うん。
うん。
うん。
うわあいいな、綺麗だな。
うん。
でね雰囲気もね、全く飾らないんですよ。
うーん。
本当にもう超名店なんだけど、
うん。
もういわゆる街のお寿司屋さんっていう、
へえー。
全然入りやすい、もう超入りやすいですよ。
へえー。
一つね、看板メニューとしてね、
このお店ならではのがね、
これ何ですか?
えー。
何だこれ。
まあ今我々が見てるのはね、
軍艦まつげのお寿司屋さん。
軍艦まつげのお寿司屋さん。
軍艦まつげのお寿司屋さん。
ちょっと茶色いなんかこう、
なんだろうね、
まあ舐め込みっぽい感じ。
ジュラートゼルみたいな。
まあこれジュレみたいなもの。
うんうん。
もうこれ見てもわかんないもんね。
わかんないもんね、
もう僕もここで初めて見たので、
うん。
もうこれね、ちょっと台本を持っていただいて、
まあこれね、
前回の叩きっていうものなんですよ。
うんうん。
前回の叩きってやつがあって、
うん。
あの真っ黒の瓶に。
うん、
そこにね、
黒い瓶。
黒い瓶。
1:09:00
うんうん。
見たことあるでしょ。
ちょっとね、
これね、バイガイのたたきっていうものなんですよ
バイガイって貝です
これそもそもはお寿司として出てくるんじゃなくて
バイガイのたたきっていう一品料理があるんですね
貝のたたきでそれをお酒と一緒にいただくわけのおつまみなんですけども
そのたたきなので味噌の味付けがしてあるわけなんですが
貝のちょっと残った部分
貝のエキスが染み渡ったその下地に落ちた味噌
と貝のちょっと余った身みたいのをちょっとガッと混ぜて
それを軍艦巻きで出してくるんですよ、余ったものを
いいね、もう余すとこなく
そしてマジでお酒に合う
それはうまいな
めちゃくちゃこれ美味しかった
日本酒
そうだね
思いつきそうだけどなかなかここまでやってくれるお店ってね
確かにね
確かに軍艦にするのはあんまり知らないね
こういう工夫とホスピタリティもすごいこもっていて
そしてもう本当に先ほどから言ってるように
お寿司屋さんなんだけどまち寿司みたいな感じなので
常連客の方みたいなのが地元の方がすごく多いお店です
でも富山湾の幸でね
だから値段とかもこれ
逆にこれちょっとびっくりされるかもしれないんだけど
値段とか全然書いてないんですよ
あんまりだからもう常連さんのお店みたいな感じ
ただ別にそんな包買い値段取れるわけでは決してない
値段ない寿司屋ってちょっとビビるけどね
どうしよう3万円とかみたいなのやったら
全然その心配はあります
という感じなんですね
そして衝撃の営業時間2時までっていう
すごいな
1時ぐらいからここ行ってるので
でもね本当に満席近かったんですよ
それはだから小原関係なく
相川のあの辺りで飲んできた方が
締めでこの
なんて贅沢な締めなんだ
富山湾の寿司で締める
もちろん単品でもいただけるので
もしこれね小原とか関係なくね
お酒飲んだ方で行った後にも
自分の好きな量だけ単品で頼めば締めになりますので
っていうね超おすすめです
めちゃくちゃ美味しかったです
いいっすね
深夜2時までなるのは
小原の後でも大丈夫という
寿司春さんでした
そして最後です
1日の工程の最後ですが
バー白馬館というところに行きたいと思います
寿司春さんから言うと徒歩6分ほど
富山駅の方に戻るので
ホテルにも近いんじゃないかと思うんですね
白馬の館で
館の館がね
ちょっと難しい館なんですね
バー白馬館さんです
食編じゃないやつね
そうですそうです
ここがですね
話し始めるとちょっと長くなるんですが
最後の最後で
1:12:02
ここはもう
創業もう60年以上のバーで
一節には
これ僕が裏取りしておけないんですけれども
一節には
日本で唯一親子3代でやっているバー
と言われています
これはちょっと裏取りしたいのでわからない
ただ親子3代でやってるのは間違いありません
ここの白馬館さん自体が
僕は一つドラマになり得るんじゃないかってぐらい
この親子3代の物語ってすごいんですよ
もちろんこれからも続いていくし
まだ3代目
僕たちとあまり年変わんないので
これからだと思うんですけれども
何故このバーはすごいのかという話なんですが
このバーはもともと東京の銀座にあった
白馬館というバーが昔あった戦前の話なんですけど
それがいわゆる日本のオーセンティックバーの原型になった
って言われてるバーがあるんですよ
あったらそうなんです
それの流れを組むバーなんですよ
要は日本のバー文化の起こった当初の形を
そのまま直流で受け継いでるっていうバーで
この初代の方
内田さんという方なんですけども
もう今オンとしたら90いくつなんです
残念ながら今はもうカウンターには立たれてないそうなんですけど
数年前までは立っていらっしゃった方らしいですね
その方はこの白馬館を起こすんですけれども
銀座の白馬館から技術を取得して
日本の各地戦後に続々とバー文化が起こっていく
日本全国でバーを開展するのをレクチャーをしに行ったような方だったりもして
本当に日本のいろんなところのバーの先生やったような方なんです
この創業者の方は大阪にできた
日本初めてのサントリートリスバーの開業にも携わっている人で
もう本当に日本の戦後のバー文化が
どういうふうに流れていったのかっていうのを
もうレジェンドだった人なんですよ
富山に戻られてこの白馬館を作ったんですけど
もう一つこの人の功績として有名なのが
今は日本のカクテルバーで言ったら当たり前のようにある
チャイナブルーっていうカクテルあると思うんですけど
あれを作った人なんです
あれを生み出した人なんです
チャイナブルーというと
ショートでもロングでもあると思うんですけど
ブルーキュラソーとライチのカクテルと
グレープフルーツジュースなのかな
を混ぜた
青みのすごい綺麗な色合いのカクテル
今は普通に当たり前のようなメニューなんですけど
これはこの方が作ったメニューのカクテルなんですね
夏いいよね
いいよね
さっぱりとしてね
そうそうそうそう
グレープフルーツの柑橘のやつと
ブルーキュラソーの甘みがうまく混ぜ合わさったね
1:15:00
とライチの香りとね
いいですね
を初めてこの世の中に生み出した人なんだ
偉大だもうそれだけで偉大だ
すごいよね
それもデザインだと思うんです
なるほどね
チャイナブルーっていう名称も含めて面白いですよね
非常に
それが初代のおじいさまにあたる方です
その息子さんの2代目が
この白馬館というものの経営基盤を確固たるものにして
要はこの店の営業基盤というものを固めて
実際に日本バーテンダー協会の富山の部長を務めていたりとか
この方も今確固たる地位で
この地域に根付かせていったっていう人ですね
それがお父さん
今の一番若い3代目の方は
お父さまとおじいさまは
いわゆるクラシックのバーを追求した方だったと思うんですけれども
この人は3代目はフレアバーテンダー
フレアバーテンダーっていうのは
要はバーのカクテルを作るにあたって
パフォーマンスを交えながらやってる
ショータイムみたいな
あれの全国大会で今年優勝した人
今の日本のトップの人
チャンピオンの人
がこの3代目なんです
なので
それぞれの持ち味を活かしながら
しかしそれぞれの魅力を貫いた
すごい親子3代なんですね
っていうバーなんですよ
ここでも新しく自分たちをデザインしてやっていこうみたいな
気概がここにも出てますね
だから本当に楽しみですよね
これからもう
富山に白馬館ありと言われた
もう本当にレジェンドのバーなので
今は2代目3代目の方が立っているそうなんですけど
そういうわけで
ここのバーで飲むチャイナブルーというのは
本当の元祖チャイナブルーなので
ぜひ僕も頂きました
やっぱり普段僕チャイナブルー飲んでなかったんですけど
言った通り夏の清涼感が
良かったですね
あとウイスキーとかもやっぱり豊富で
富山って実はサブローマル上流所っていう
ウイスキーの上流所があったりするんですよ
高岡の西の方にあるんですけど
なのでそういった富山のお酒の文化にも触れられますし
まずそもそもこの白馬館というもの自体が
富山の文化なんです
っていう親子3代のすごい物語を持った
もうトップオブレジェンドのバーです
というところに行って
最後ホテルに白馬館さんから
10分ほどで着くかなといったところになります
ということで2日目を振り返っていきましょう
まずホテルを9時頃出たとしまして
またライトレールですね
10分ほどで西町駅に着きまして
そこから徒歩1分もすぐ近くですね
1:18:01
純喫茶蔦屋さんですね
創業101年のレジェンド純喫茶
純喫茶ですね
ただ建物が新しくなったりとかね
すごく入りやすくて
美味しいモーニングが頂けるということですね
ここで朝食を食べまして
そこから徒歩3分
池田屋安部商店ですね
ここは富山の昔から続いてきた製薬を
また昭和の時代にね
リブランディングというかね
リバイバルというか
半温炭を代表として
今でも製薬をいろんな薬をね
作っているお店ということですね
お店というだけでなく
その製薬の歴史とかもね
ガイドしてくれるということですね
そこから徒歩4分
富山市ガラス美術館ですね
その製薬と共にあったガラス製作を
アートの方にも転用させた美術館という感じですかね
建物も熊謙吾さんの設計で
その建物自体も綺麗な感じですね
そこから徒歩12分
富山市郷土博物館ですね
富山城跡ですね
再建ではありますけど
店主があったりとか
その中に資料があるということですね
そこから徒歩4分ほど
D&デパートメント富山ですね
この旅の冒頭でも紹介していた
D・デザイントラベルの飲食業態という感じですかね
おしゃれなカフェで
その土地の食べ物を使ったフードもありつつ
あとは工芸品とかですね
併設しているショップで色々買えるということですね
なのでここでランチとお土産を買うという形ですかね
そこから徒歩12分ほど
富山駅ですね
ここの間でホテルに1回荷物を置いてもいいし
この富山駅からJR高山本線で
20分ほど越中八王駅に行きます
ここの高山本線はね
この祭り小原風の盆に合わせて行く人は
ちょっと調べたりとかしてもらって
ちょっと注意が必要かもしれませんが
越中八王駅に着きまして
徒歩30分ほど
慶寿社和紙文庫ですね
昔からずっと日用品として使われていた和紙を
1:21:04
民芸の方に転用させた和紙の文化を
ここで感じられるということですね
そこから徒歩10分ほど八王小原資料館ですね
ここで小原風の盆の祭りの歴史というか
どういうお祭りなのかっていうのを知れる資料館ということですね
だから本番の風の盆に行く前に
知識としてここで資料館で学ぶということですね
その後にいよいよ本番
この旅のメインでもありますかね
小原風の盆
独特な物悲しさのある夏祭りっていう感じですかね
遅くまでやってるということですからね
自由解散というか
なので心ゆくまでという形になると思うんですが
ひとまずこのコースの時間としては
9時ぐらいに越中八王駅を出るということにしまして
そこからJR高山本線で20分ほど富山駅に戻っていきます
そこから徒歩15分ほど寿司春産ですね
町のお寿司屋さんと言いつつ富山の海の恵みを堪能できると
夜も遅くまでやってて安心という感じですね
そこから徒歩6分ほど白馬館ですね
ここは富山というか日本の馬文化のレジェンドが開いて
親子3代で続けている馬ということですね
チャイナブルーがここからというか
初代がチャイナブルーを産んだお店でもあります
なのでチャイナブルーを飲むのがいいでしょうね
せっかくだからね
という形でここから徒歩10分ほどでホテルに着きまして
2日目が終わりということです
この番組ではお便りを募集しています
番組の感想・質問・リクエスト・旅の情報・ふつおたなど何でも結構です
番組概要欄に記載しているお便りフォームのURLから投稿お願いします
またYouTubeのチャンネル登録・高評価・コメント・ポッドキャストのフォロー・レビュー
それから我々の関連SNSアカウントのフォローなどよろしくお願いいたします
そして感想をつぶやく際はぜひハッシュタグ
おとたびポッドキャストをつけて投稿していただけると嬉しいです
やっぱりメリーンは小原風の盆ですね
ただ風の盆の季節じゃなかったとしても
八王子自体はすごく本当に山合いのすごい静かな綺麗な街なので
1:24:00
刑事舎と八王子原資料館に行くだけでもね
行く意味はあるかなとは思いますけどね
私午前中とかはね割と工芸品というか
工芸品って言うとあれだけど薬とガラスと八王子の方で和紙とか
富山が生み出したものを順々に巡っていくっていう感じですかね
一日目と比べると普段の我々と比べるとちょっと洗練された髪の毛というか
あんまり査定要素はね
でもいいですね
富山の苦労の歴史というかね
それを工芸品を通して見るっていう感じの一日ですね
そしてその富山デザイン演技のものがたくさんありましたからね
薬、ガラス、風の盆も一つのデザインだと思うんですね
そしてチャイナブルー
確かにね、そうですね
その富山のデザインを頑張ってきたっていう端緒をね
いっぱい見れた感じがしますね
ということで次回は3日目最終日ですね
どんなデザインがまた出てくるのかっていう感じですね
ということで今回はこの辺でありがとうございました
01:25:34

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