1922年の段階で僧侶者の息子さん、後に2代目になる方。
この人がすごい仮だったらしいんですけど、2代目が大正時代ですよ。
単身インドネシアに赴いて、そこでコーヒー豆というものの研究とか収集をした方なんです。
だからまだ日本のコーヒーを飲むという文化が本当に起こった、モダンガールとか言い始めたぐらいの時代だと思うので、
その時に自分でインドネシアまで自分で赴いた。
その方がインドネシアで自分で調達したお豆を、お父さんだと思うんですけど、初代の僧侶した方のお店に届けた。
直送したということで評判を読んだっていうことらしいですね。
その後いろいろ事業を拡大したりもしたんですけれども、もちろんその間に戦争も経てたりもするわけですけれどもね。
結局2010年に一度、昔の建物は取り壊しになってしまうんですが、
2017年に新装オープンをしているので、4代目の方の新装オープンがあったので割と現代的なお店になっているというふうになっています。
この4代の歴史も本当にすごくて、インドネシアを歩いた2代目の話はしましたけど、
当代、現在の店主の方、4代目の方なんですが、この人はですね、純喫茶・蔦谷が一度も廃業も考えていたそうなんですけど、
それをどうしても続けるためにすごい異例のキャリアを歩んだ方で、今もこれ専門職じゃなくて、
富山県の公務員の外国団体の職員と兼業されてるんです。
公務員とか外国団体ってそういう副業とか兼業って厳しいイメージなんですけど、
純喫茶・蔦谷って富山の文化なんですよ。
ある意味もはや公共事業といった大げさですけど、それぐらいの存在なんですね。
101年続いてる、日本でも本当に敬意のお店なの。
っていうので、極めて異例の兼業を認められた。
この純喫茶・蔦谷のことならば仕方ないということで認められたっていう。
それによって今も兼業・副業で押しながら、純喫茶を営まれてるっていう。
ちょっとすごいお店なんですよ。
っていう波乱のストーリーにある。
その途中には、当然もう100年続いた店なので、
多くの芸術家だったり文化人の方がもちろん来て、記録を残されているのは事実なんですけど、
決してそれにおごることなく、今普通に我々が言っても本当にリーズナブルなお値段で朝食をいただくことができます。
本当にね、すごい洗練された現代的なデザインなんですよ。
そうですね。
もうお店だけだとちょっと100年以上とは思えない。
思えないですよね。
このオムレツとトーストのセットが非常に美味しいわけですね。
これ美味そうだなぁ。
ザ・王道モーニングなんですけれども、しっかり成形されたオムレツで、
カッコン糖なんだよね。
これいいですね。
藩言壇がブランドとしてちょっと頭に受けちゃってるんですけれども、
単純に今も本当に元気で薬を作り続けてる会社なので、
いわゆる製薬会社です。
の売店です。
なぜこれがデザインとつながるかということなんですけど、
これですね、江戸時代もそうなんですけど、
やっぱり薬のデザイン、今も竹田薬品、いろいろ大塚もありますけど、
あれもやっぱりパッケージデザインって結構重要だと思うんですね。
何に効くのか、きそうなのかみたいな。
それは江戸時代もやっぱり同じで、
ビジネスで製薬会社を作ってるわけなので、
その薬のパッケージデザインっていうのも、
すごいやっぱり多種多様にこだわってたんですね。
で、そういうところから、
要はちゃんと売るための商業デザインっていうのをいかに追求するかっていうのが、
ひとつ富山の伝統的なものだったらしい、文化だったらしいんですね。
それのひとつの典型例が、この薬。
もちろん池田屋さんだけじゃなくて、池田屋はむしろ昭和にできてますので、
江戸時代のたくさんの製薬会社さんたちは、それをうどうに化したと。
あともうひとつは、これやはり加賀藩の影響が大きいと思うんですね。
加賀前田というのは、今金沢まだこのポッドキャストやってないですけど、
もう工芸都市、金箔は和菓子にしろ着物にしろ、
本当にありとあらゆる日本の工芸の粋を集めたような超工芸都市。
最近で言うと国立工芸館もとうとう東京から移転しました、金沢に。
それぐらい要はもう工芸の首都みたいになってるところの、
加賀藩というのはもう特質すべて工芸文化を持っていたので、
それの技術と洗練された鑑賞が、
加賀と金沢の人たちはやっぱりデザインを見る目っていうのはもう特別に超えてたと思うんです。
その範囲で物を売っていく、富山の産業を起こしていくってなると、
やっぱりそれなりの工夫をしないと目の超えた人たちには通じない。
っていうのもやっぱりあったと思います。
ただそれに見合うだけの技量を持ってる人も当然範囲には多かったので、
加賀藩の影響と富山が、加賀藩のいいところを影響を受けつつ、
加賀藩とは別の産業を経済を回していかなきゃいけないっていうミッションが、
デザインというものの追求せざるを得なかった。
本当に売るための商業デザインを考えたかと思います。
でもアートでなくデザインってことだね。
そうですそうです。あくまでもその時はデザイン。
が、今はそれがアートにもなるんじゃないですかってことになってきて。
っていうような一つの仮説ですけどね。
それは言われてることになります。
納得いきますね。
さらにですね、この薬は歴史の古いものなんですが、
今の富山の工芸デザイン文化の象徴的なスポットを、
次ちょっとご紹介したいと思うんですね。
池田屋さんから4分ほど行ったところにあるのが、
透過率というか透け具合とかも本当に自在なんだなっていうのがわかるね。
ちなみに余談ですけど、今ね、今年の6月から12月までは
コレクション展工作する素材というふうにやってらっしゃるそうなんですけれども、
その概要のところを見ると、
アーティストはこれから先ガラスだけは使うということはなくならないかと思います。
他の素材や違った技術に関心を持つとなるでしょう。
つまり厳密にガラス作家と定義するようになっていくかもしれない。
ガラスも使うけど他の素材も使うのは当たり前ということで、
ガラスと何かを。
これもチェコの方なんですよ。
なんかね、やっぱりこの辺の親和性があるんだと思います。
中央、北欧とかあの辺のデザイン感覚と富山って似てるんだと思うんですよ。
目指しているものが。
ライトレールの視界なんですけど。
街の作りから似てるのかもしれないね。
雪が降って、北国の凄い清らかな風土っていうのもあると思いますから。
面白い。
そしてさらに注目していただきたいのが、このホールが凄いんですよね。
凄いな。開放感が凄いね。
吹き抜けのね。
これガラス美術館は、実はキラリ富山という公共施設の中の一区画なんですね。
でも確か階にして3階くらいは美術館だと思うんですけど。
このキラリ富山という公共施設が、富山の建築デザインの今凄い最大のものなんですけれども、
作ったのは熊健吾さん。
有名な方ですよね。
公共の国立競技場、新国立競技場で作った方でもありますが、
その方の設計によるデザインです。
なるほど。そう言われるとね、木材がたくさん綺麗に並べられてる感じとか、
その外観もね、板がたくさん並んでる感じは、なるほどって感じがするね。
この板がですね、キラキラキラリという施設名を表している通り、
ガラスとアルミと石でできているものらしくて、
太陽の光によってキラキラと変わる、それをキラリと言ってるわけですね。
これをモチーフにしたのが、縦山の降臨。
つまり縦山って、実は3日目で行くんですけども、
寒いところなので、雪解けの太陽に反射するとすごい色んな光が輝く。
そしてさっき言ったように、縦山を本当に見る日見る日で色んな表情を見せてくれるわけですね。
それをこう、多彩な表情をここにちょっとイメージしたという風に書いてますね。
なのでね、ここすごくね、写真とかもね、うまく撮りたい方はすごくインスタ映えする写真も撮れます。
この建築だけでもすごいですね、これはね。
美術館とか図書館とかもありますので、そういった公共施設として市民の方も使われますし、
我々としてはガラス美術館を見に行って、
富山のガラス工芸、ガラスの町富山の本当に核となるね、
技術の高さ、デザイン性の豊かさっていうのを目の当たりにできるというものになっています。
本当にその展示品だけじゃなく、建物もデザインとしてっていうのは、
前日の富山県美術館も似たところがありますね。
そうですね。
なのでここ一つね、デザイン、今の、昔から続いて伝統的なデザインの薬と、
今の現代を取り巡るデザインのガラスっていうところでね、
富山の二大巨頭、デザイン巨頭というところで見てもらえると、
この午前中はいいのかなというような気がします。
そこからですね、市内観光をさらに続けます。
徒歩12分ほど、富山駅の方に徐々に戻っていくんですけれども、
富山市郷土博物館、富山城跡というところに行きたいと思います。
これはいわゆる富山城のお城の跡なんですけれども、
先ほど申し上げたように富山藩というのは加賀前田藩の市藩です。
なので前田家がずっと治めていたわけなんですけれども、
その中でも富山藩独自の個性というものもいろいろあるわけなんですね。
もともと富山という土地は越中の国と呼ばれていた戦国時代から、
いろんなことがあったところで、
これは北陸の戦国時代とかに興味ある方はぜひここへ行ってほしいんですけど、
前田が来る前はね、サッサナリマサっていう戦国武将がいて、
それが富山の街を築いた、牙を築いた方だったりもするんですけど、
豊臣秀吉とバチバチにやりあったライバルだったりもして、
結構富山はそれで攻められて落城しちゃったりもしてるんですけれども、
結構富山は今も土地柄ね、周りに結構強敵が観光的にも多いたりしましたけど、
東には越後の上杉健進。これがしょっちゅう富山に攻め込んでくるわけなんです。
新潟の方から。
西からは越前、加賀の方はその時一公一騎っていうね、
とんでもない勢力を誇った宗教勢力がいて、それが猛威を振るっていたので、
富山というのは非常に苦難の多い土地だった。
それだけになかなか当時に苦労した場所なんですけれども、
その中で生き抜くための術っていうのをみんな戦国時代から考えていた。
ただ一方でやっぱりここで言って面白いのは、
富山市になる前の歴史をたどっていくとですね、
実は越中の国というのはすごいところでもあって、
これいずれ富山の西側の旅行を話す時にまたちゃんと触れようと思ってるんですけど、
室町時代のある時期は、
足利将軍家の将軍がこの越中にいた時があったりもするんですよ。
つまり日本の首都というのが富山にあった時期もあったりするんです。
っていう異例の時期もあったりする。
それぐらい巨大な勢力、
強敵が多いからこそ防衛能力の高さっていうのが自然と磨かれていく。
実際ランチ行くとですね、
このオムライスがね、大変多い人が乗ったりもしてますけれども、
例えばこのオムライスの話で言うと、
これはセイズファームさんっていう、
富山のちょっと西の方だったと思うんですが、
すごいロングライフデザインの卵を作ってる農家さんなんですけれども、
その卵を使ったものなんですね。
このセイズファームさんっていうのは、
僕なんで知ってるかっていうと、
D Design Travelに乗ってるからなんですよ。
そこで読んで、こういう農家さんがいるんだ、
すげえなって思ってたらここに出てたんです。
だからそういう関連してるんですよ。
出版事業とグルメとセレクトショップっていうのは
くるくるロングライフデザインっていう一つの軸で持って循環していくんですね。
富山はね、これ実は京都とか東京にもお店あるので、
ただちょっと富山今回特筆すべきところなので、
あえてここに昼は寄りたいと。
カフェとしてももちろんすごい使い勝手の良いおしゃれなカフェでして、
ランチメニューもあるし、ケーキとかスイーツも充実しておりますし、
その傍らにあるショップではデザイントラベルももちろん買えますし、
富山のいろんなロングライフデザインを追求されているね。
こういうのもあります。
これ釣り屋さんって書いてあるんですけど、
この釣り屋さんというのは岩瀬浜にある海産丼屋さん。
昨日行ったときに。
実際僕もこの釣り屋さん工程に差し挟もうか迷ったんですけど、
ちょっと時間の関係でね、
昨日はスタバを優先したので釣り屋には寄らなかったんですけど、
Dデザイントラベル読んだ方はこの釣り屋も載ってるんですね。
なので岩瀬浜のブルーアリーに行く前に寄れるはずですので、
興味があればぜひ。
要はガイドブックで読んで今回この富山の旅を行くのであれば、
そこで載ってたものが一堂に返してるわけです。
このセレクトショップとカフェでね。
岩瀬浜の方で行けなくてもここで買えるものもあるっていうことだよね。
そういうことです。
実際僕もここでお土産買ったりしましたね。
なのでDデザイントラベルのファンの方はもう絶対行った方がいいと思いますし、
そうじゃなくてもそのデザイナーっていう、
いわゆるものを見て魅力の方の魅せるスペシャリストの方たちが選んだ、
富山のロングライフデザインっていうものがここに導集されてるので、
そういった意味でもすごいね、
ハイクオリティなカフェとショップだということです。
このアイスに乗ってるDがかわいいね。
そうね、Dのクッキーなのかなこれはね。
確かに顔みたいに見える。
おしゃれなカフェとセレクトショップが一緒になってるっていうことですね。
そういうことですね。
ランチ兼お土産みたいな感じですかね。
そうですそうです。
実はこの後ね、今一回ガラス美術館とかのためにかなり南の方に行ったんですけど、
そこから今徐々に富山駅の方、ホテルの方に戻っていってますので、