1. 大人になりたい旅がしたい
  2. #34【富山】“ハートフル・デザ..
2024-07-25 52:54

#34【富山】“ハートフル・デザイン”縁起Part3

ピュア×ナチュラル×ハイセンス 富山“ハートフル・デザイン”縁起3日目


今日の旅行ガイドブック市場において、特筆されるコンセプトとクオリティを持つ「d design travel」。デザイナーのナガオカケンメイさん率いる編集部が、47都道府県それぞれの“ロングライフデザイン”を求め、発信しています。このシリーズにおいて、唯一続編が刊行されているのが富山県!

立山連峰と富山湾に象徴される清冽な自然に、工芸や売薬の高度な技術が加わった富山には、地域の魅力をデザイン、ブランディングする必然性が備わっていました。今回は、富山市とその近郊を中心として、“おわら風の盆”の夜に日本屈指のデザイン王国の起源へ迫ります。


【目次】

〜 改めてタイトルを省みて

〜 北前船由来の旨みを凝縮した朝食 【おむすび屋 源】

〜 日本で唯一!? 自然の神秘を目の当たりに 【魚津埋没林博物館】

〜 巨大な摩崖仏がもたらす圧倒的な霊威 【大岩山日石寺】

〜 立山由来の清冽な水でひんやりそうめんを 【そうめん金龍 大岩店】

〜 日本有数の“霊峰” その世界を知る 【立山博物館 展示館】

〜 ★歴オタ話★ 日本最後の“空白点” その山頂にあったものとは

〜 畳で寛ぎながら映画を鑑賞 その先には……! 【立山博物館 遥望館】

〜 しっとり苔庭に旅の感動を偲んで 【教算坊】

〜 1日の振り返り

〜 ★旅の終わりに★ “魅せる”が地域を“理解する” 富山のハートフル・デザインについて



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00:03
大人になりたい旅がしたい。このポッドキャストでは、旅行とお酒が好きな荒沢男性2人が、大人だからこそ知りたい、ちょっとディープな国内旅行のモデルコースを紹介しながら、お話をしていきます。
内田です。
たるやです。
はい。今回は、Pure Natural High Sense【富山】‐ハートフル・デザイン”縁起の3日目ですね。
改めてこのコース、やっぱりタイトルがすごいな。
このPure Natural High Senseというか、それぞれに当てはまる何かがあるんですか?このコースの中では。
本当に僕が富山を巡った時の実感ですね。特定の何かというよりも、もう本当にこの3ことに尽きるなというのは思って。
富山の建築だったり、あるいはアートだったりを見て、あと自然ですね。実は3日目は自然の話、自然の領域に今から行くんですけれども。
ナチュラルに行くわけですね。
とにかく町自体が本当に洗練されてる。どこを通ってるのか。なんかやっぱり空間デザインの本当にすごいところだなって思いますね。富山っていうのはちょっと異質な町ですね。
なるほど。
じゃあこの富山をそうしてこういうタイトルにつけてるっていうことですね。
じゃあこの3日目は割とナチュラルになるのかな?
そうですね。
じゃあそんな3日目、よろしくお願いします。
前日ですね、富山駅近くのホテルに2連泊しているという想定になっています。
前日終わる後で結構夜が遅いんじゃないかと思うので、チェックアウトするのは9時半頃というふうに一旦しておきましょう。
この日は車に乗りますので、ちょっとその点をあらかじめご承知おいてください。
富山駅近くでレンタカーなり監視屋なりを借りてということになるんですけれども、その前に朝ごはんを調達したいと思います。
富山駅の構内にあるおむすび屋ミナモトというお店をちょっと行っちゃいます。
これ何かと言いますと、富山のご当地グルメの一つとしてやはり上がってくるのがマス寿司というものがあるわけですね。
このミナモトさんというのはそもそもこのマスの寿司をすごい大手で展開されているお店なんですけれども、
その会社が富山駅の改札街なので我々電車に乗らなくても行けるんです。おむすび屋さんをオープンさせてるんです。
もちろんマス寿司も買えるんですが、今回は朝ごはんということでハンディーサイズのおむすびを買いたいと思います。
いろいろあるんですけれども、富山らしいところで言うとですね、やはり黒とろろ、白とろろっていうのがあるんですけれども、
03:03
これ何かと言うと、とろろ昆布を身にまとったおにぎりなんですね。
本当だ。全体にまぶしてあるね。
富山って北前船の攻撃が盛んだったという土地柄もあって、昆布料理っていうのが一つの名物なんです。
特に西の方にね、いずれ話すかもしれない西の方に行くと、いわゆる昆布締めってあると思うんですけど、あれのメッカなんです。
昆布締め専門店とかも実はあったりして、それぐらい昆布文化っていうのが食事においてね、昆布の食文化というのが根付いている土地なんですね。
それを体現しているのがこのおむすびであって、やっぱりこれだけ包まれていますので、このお米に染み渡る昆布のだしの味わいというのが本当においしいんですよ。
これはいいだろうな。優しい朝ごはんですね。
そうですね。さらに言うと、このとろろ昆布が身にまとっているにもかかわらず、おむすびの中にも昆布がある。昆布尽くし。
本当だ。いわゆるね、佃煮か。よくあるおにぎりの昆布が中に入っている。
そういうことですね。というお店なんですね。
あと、富山のオリジナリティのあるところで言うと、白海老天むすとかね。
いいね。
あとは、ネギトロはネギトロでも、マスのネギトロとかね。
これはマス寿司をもともと手掛けてらっしゃる会社ですので、この辺りは得意分野中の得意分野。
うまみとだしの文化、昆布だしの文化と富山のオリジナリティのある食材を使ったおむすび屋さんで、
普通というか一般的な具もありますので、その辺り自分の好きなものを2つなのか3つなのか買って朝ごはんとしていただけるといいのかなと思います。
というのがおむすび屋さんでした。
車を富山へ近くで借りたとして、今まではほとんど富山市内しか観光してなかったんですけども、
今回は富山市を離れてちょっと東の方に行きたいと思います。
車で東の方へ35分ほど行っていただいたところにあるのが、
魚津埋没林博物館というものになります。
なかなか聞き慣れない言葉だと思うんです。
埋没林っていうのがわかんないね。
そうですよね。
これもね僕ここでしか聞いたことなかったんですけども、
埋没林というのはいわば木の化石みたいなイメージです。
どういうことかっていうと、
僕もこの分野そんなに詳しいわけじゃないので正しく説明できてるか不安なんですが、
つまり2000年前に生きていた木があって、その巨木だったんですね。
06:00
ところがその時土砂崩れみたいな水害が起こって、
その木をバーって埋め尽くしてしまった土砂で。
逆にここで保存されたんです。
ガーって全部土砂に埋め尽くされちゃって、
1回全て地中の中に消え去ってしまったんですよ、その木がね。
ところがそれが徐々に徐々に大地の地球環境の変化によって海が上昇してくると、
その土砂に埋まっていたものが海になってきて、
海の波が起こったことによって土砂が徐々に徐々にすり減らされていって、
結果、もともと地面にあった木が土砂にコーティングされていたものが海の中に現わになって、
海中に謎の木の巨木が出現したっていうのが埋没林という現象らしいんです。
そんなことはあるんだ。
偶然の重なりと地球のもう千年単位の変動によって偶然生まれたものらしいです。
とても珍しいものらしいんですね。
いろんな地形の条件が重ならないとできなそうな感じだよね。
おっしゃる通りです。
そしてその土砂崩れみたいなものだったら多分一瞬で埋まったので、
全然違うんだけど、イメージでいうと凍結された。
そこで保存されたそのままのものが2000年の時を経て急遽出現したっていうのがあるんですね。
なので、この埋没林っていう杉の切り株なんですよ。
ただ言っちゃえばね。
なんだけど、その中には2000年前に生きていた虫とかがそのままいるんですよ。
生きてはないんですよ。
化石になって、その木と一緒に2000年の時を経て産み返ってる。
あと花粉とかね。
だから今の日本とは全然違ったかもしれない生態系の貴重な化石みたいのがこの杉の切り株の中に残ってた。
っていう現象が富山で起こってたっていうのが、
これね、偶然見つかったんですよ。
これね、1930年に魚の津って地名なんですね。
魚の津と書いて魚津っていう富山の東の都市なんですが、
そこの港を建設するために海の中を調査してたらしいんで、
そしたら偶然これが現れた。
なんだこれは、なんで海の中に木が出てきたんだって。
調べたところ2000年前のものだったっていうのが分かった。
当然のことながら、すごい沈原症なので国の特別天然記念物に指定されていて、
今はその埋没林を保存するための博物館が建てられてるっていうものになるんですね。
知らないもんあんな、やっぱ。
偶然こういう現象が起こったという。
これね、行ってみると不思議なんですよ、すごく。
なんかね、写真も不思議だよね。
水族館みたいに見えるんですよね。
09:01
この水の中にあるという状態を保っているんですよ。
それでこの2000年前の木が今もこうして目の前に現れるっていうね、すごく不思議なミュージアムなんですよ。
面白い。
同時にですね、この富山の魚津という街は、
蜃気楼としても有名なんですね。
これ富山の名物としても非常に有名なものですけれども、
蜃気楼というのは要は海面の色々光の屈折の確か現象だったと思うんですけれども、
それによって要は海の先に都市が現れている。
鏡みたいなものが現れているみたいな現象。
富山湾は自然環境とかの問題、気温の変化とかの問題で、
この現象が現れやすいと言われているんですよ。
その一番現れるのがこの魚津の街なので、
この埋没輪と蜃気楼っていう自然が生み出した一種の特殊な超常現象というか、
普段日常生活中では体験できないレアな現象を合わせてね、
学ぶことができるというミュージアムになっています。
ここの蜃気楼は俺がやった作品で出たかな、これ。
お?マジで?
多分ね、多分ここな気がする。
これは単純に東京の方の男の子と女の子が夏休みに、
どこって特に名言はしてないんだけど、
旅行行ったところでまず最初に見たっていうところですね。
多分ここじゃないかな。
蜃気楼というとやっぱり富山が一番有名だと思うんですよね。
この見てる光景もなんとなく見覚えがある。
そうそう、こういうのが使われてましたね。
まさに確かに映像としてはすごく不思議な映像ですからね、蜃気楼ってね。
この世じゃありえないはずのものが実現するということなので。
そういう埋没輪、蜃気楼と自然の神秘、不思議、謎に出会える博物館ということになっています。
そこからですね、さらに車に30分ほど、
魚津は蜃気楼があるのでわかる通り海外なんですけど、魚がすごく美味しいところですね。
なんですけれども、今回はですね、山の方に籠っていきたいと思います。
車で30分ほど南の方に行ったところに、大岩山日赤寺というところがあります。
大きな岩の山で、お日様の日、石寺で日赤寺ですね。
ここですね、ちょっとすごいんですよ。
何がすごいかっていうと、お寺はお寺なんですけれども、
12:00
この御本尊がね、普通仏像とかなんですけれども、
岩に彫られた魔害物っていうものがあるんですね。
これ富山だけのものではない、九州とかにも有名なのあるんですけど、
この岩に彫られた彫刻、山肌に彫られた彫刻、それ自体が本尊になっているんですね。
これ確かに本堂の写真が出てますけど、
本来ね、仏像があるべきところに岩で彫られた不動明王像がありますね。
そうなんです。つまりこの岩自体がもう一つの仏様ということで、
岩をここに持ってきたんじゃなくて、岩が彫られていたところに道具を作ったんですよ。
そういうこと?
そう。
じゃあこの本堂の裏はもう岩山になってる。
そうですそうです。
そういうことなんですよ。
すごい。
この岩を保護するためにこのお堂が作れてるんですね。
すごいことするな。
これはね、誰が何の目的で彫った、目的はある程度信仰のためなのかなんですけど、
ちょっと謎なんですよね、正直ね。
その不動明王像が一番有名なんですが、高さ3メートル。
そんなあんだ。
これね、すごい迫力です。
岩がせり出したところにお堂があるから、ちょっと立体的にも見えるし。
特にね、今回のコースでは僕お昼前に行ってる想定ですけど、
僕が行ったのは夕方行ったんですけど、
夕方の暮れゆく中に岩の表情がゾーっと現れるのね、結構不気味であり迫力ありましたね。
そうそう、こういうね。
なるほど。
全体暗くなってるけど、ろうそくとかね、明かりで下から照らされる形になってて。
3メートルの巨像です。
確かにこれは迫力あるね。
そうなんですよ。
このすごく特殊な自然信仰の聖地というものが残されていまして、そこにお寺が建っていると。
今でもやっぱりこのパワースポットとして非常に有名なところになっていまして、
やはり立山というのにこれからどんどん近づくんですけど、
この立山の霊力というものがやっぱりこの富山の一つの文化の根拠なんですね。
これを求めてその信じられない自然のパワーというものを、
さっきの神器炉もある意味信じられない自然のパワーなんですけど、
そういったものを自分の体とか健康に取り込むということで、
数多くの修行者が今でもここに訪れる。
実際このお寺にはね、魔害物が一番有名ですけど、
滝漁をするためのね、こういう冷たい水に打たれて精神を修養するための修行みたいのを今でもできるんです。
修行用の滝だね。
そういうことです。
人工というか、そのために今すごくアレンジされている滝になるわけですけども。
15:04
一人一本って感じじゃないですか。
6本滝がちょろっと出てる。
ちょろじゃないんだろうけど。
そうね。
筋がね、出てますけど。
こういうお寺があるんですね。
実はここの不動明を見たことによって、
これからどんどん山の方に行く、
立山の今度は信仰と自然の神秘っていうものが、
富山の文化に何を与えたのかっていうことをね、
そのきっかけに一つこの迫力のものを見ておきたいというふうに思うわけですね。
実際9月とか行くとね、暑いじゃないですか。
9月1日なんてね。
だけどもこのお堂の中はね、
岩の肌の中に無理矢理作ってあるので、
岩が発する冷気みたいな、
冷ややかな空気の冷気みたいなものを感じられてね、
すごく涼しかったですね。
その大岩山日赤寺なんですけれども、
そのすぐ近くにですね、
一つ有名なグルメがあるんですね。
これがですね、そうめん金流大岩店。
またそうめんが出てきた。
なんか多いね。
この本で読むとそうめんの出現率が異様に高いんだけど、
なんでだろう。
俺が好きなんだろうな。
各地のそうめんをね。
夏に旅行してるところが多いから、
自然と自分が食べてるんでしょうね。
意識せずに。
たまたまで。
たまたまです、これ。
実際にこれ食べたというところで。
金流そうめんっていうね、
もう本当に有名なそうめん屋さんなんですけれども、
ここはね、淡路島の手延べそうめん。
を仕入れているんですが、
その麺と立山のやっぱりね、
すごい精烈な水を出汁、
やっぱり昆布とかのいわゆる富山の出汁文化と、
その立山の綺麗な水で合わせた出汁で持って、
合わせていただくという。
すごく美味しかったです、ここ。
出汁綺麗だね。
黄金色。
黄金色。
醤油も富山醤油っていう、
富山というのは富山の西の方なんですけれども、
そこの醤油を使っていると書いてありますね。
いいですね、涼やかで。
ここにも出てきましたけど、
おそうめんがもちろんメニューになるんだけど、
小鉢とかでお野菜の料理とかも出てきてるんですが、
それもね、立山の山陸に生えている山菜とかを使った料理が多いので、
やっぱり地産地消という意味でもね、
非常に美味しいところになってますね。
定食っていう形でも頼めるんだね。
そういうことです。
ここにもやっぱり昆布のおにぎりがね、朝もいただきました。
そうめんとおにぎりと小鉢がいくつかっていう感じですね。
そうですね。
それが山菜のね。
ゼンマイの煮物とかね。
これも全部ね、それぞれ富山のどこの豆腐を使っているかとかまで書いてますね。
地産地消にすごいこだわってらっしゃる。
牛肉丼とか中華丼もあるんだね。
18:01
これも立山の沸き水で炊いたご飯のところで。
なのでおそうめんだけでは物足りないという方は、
そういったご飯物を頼んでもいいかもしれませんし。
あとデザートもね、割と充実してますね。
やっぱり夏に行ったいお店ですかね。
確かにね。
あの白玉がね、ありますね。
ソフトクリームとかラムネもある。
確かに夏っぽいね。
おそうめんだからね。
これねでもね、結構人気で。
待ちましたね。
昼過ぎぐらいに、夕方前に行ったんだけどね。
なので結構富山では有名なグルーミーになっているので。
ちょっと時間に余裕を持って行かれた方がいいかなと。
そういったところもあります。
いよいよですね、立山の山陸に進出していくわけなんですけれども。
まず立山とは何かっていうことなんですが。
立山は立つに山と書いてそのまま立山なんですけども。
日本三麗山とも言われている、本当に古くから信仰の対象になってきた山。
とにかく険しい。
これちょっと後で詳細を話すんですけど。
日本最後の空白地点と言われた、登頂できなかった、最後の未登峰地点とも言われていたほどの山なんです。
そこにいろんなドラマが生まれたのを後で話をするんですが。
要は険しい山に登るっていうことは、やっぱり自然の神秘に挑む。
あるいはそれを取り込むみたいな心理は多分昔からあったと思うんですよ。
それは以前このポッドキャストで扱ったところで言うと、
藤宮の話とかでもね、富士山神功というものが生まれていたり、
富士山を擁拝する神社があったりとかの話があったと思うんですけど。
あれと近しいものになっています。
富士山というのは一つの峰がもうね、括弧たる一つの山じゃないですか。
分かりやすいよね。
分かりやすい。
それに対して立山は並んで連邦なので、
何か一つの山が富士山みたいにあるってわけじゃないんだけど、
その連なっているがゆえの美しさっていうのがやっぱり魅力。
やはり立山においても立山神功というものがね、
かなり古くから形成されていくんですよ。
やっぱ山は神功するんだな。
そういうことなんですよ。
やっぱり山の神秘を体感するんでしょうね。
人が簡単に踏み入れられないっていうところなんだろうね。
そういうことですね。
そういった神功文化と立山の自然、
何がすごいのかっていうのを分かりやすく説明してくれるのが、
そうめん金龍さんから車で30分ほどやはり行ったところにある立山博物館。
大きく分けると3つのゾーンに分かれていて、
一つが境界ゾーン。
教える世界の界と書いて境界ゾーン。
21:00
もう一つが聖界ゾーン。
聖なる秘塵ですね。
の世界と書いて聖界ゾーン。
そして最後が遊ぶ界と書いて遊界ゾーン。
教える聖なる遊ぶというね。
そういったものになっているんですけども。
それぞれに立山、要は立山っていうのはその一つをとってもすごく多彩な側面があるんですよ。
最初に訪れるのは境界ゾーンの中にある展示館というものになります。
これがいわゆる博物館、ミュージアムとしては最も中核となる存在かなという感じですね。
富士山の世界遺産ミュージアムというものがありました。
あれにちょっと近い感じで、立山の登頂するのは今できるんですけど、
大変ですから、我々できませんから。
そういうのを体感させてもらえる自然の山道、山の道を再現したような中を通っていって、
信仰の世界、立山信仰というのはどういったものだったのか。
っていうのを語っていく文化史的な側面。
特に有名なところで言うと、立山マンダラというものが立山信仰の一つ重要なことになっていまして、
いろんな山岳信仰が日本にいろいろあるんですけど、立山の特質というのは何かというと、
立山は地獄だと思われてたんです。
立山に地獄があると思われてたんですよ。昔の日本の信仰世界において。
それを信仰するっていうのも不思議だね。
要は、地獄って恐ろしいものみたいに見えるんですけど、
そこを一回くぐり抜けておくことでっていうような逆転の思想だったと僕は思うんですけど。
輪廻でね。地獄を通ってまた生まれ変わろう。
あとはそこを地獄の挨拶しておくことでみたいなのもあったと思いますけど、落ちないようにじゃないけど。
ただ、なぜ立山に地獄があると思われていたのかっていうのも、
いろんなもちろん側面はあるんですが、やはりこの自然環境の厳しさっていうのは大きいとは思います。
それだけやっぱり本当に登るのが難しいと思われていた山で、
この立山博物館のある一帯というのは、
足倉寺っていう集落なんですけれども、
この足倉寺ってお寺の名前なんですが、立山は登るのがあまりにも難しいので、
専門の山岳ガイドみたいなのがもう昔からいたんですよ。
素人だと危ないからね。
そういうことです。
それをですね、要はツアーコンダクターとして早くからある意味観光料みたいなのをやってたんです。
いろんなものがあるんだけれども、
文化としてまず立山に登るべきだ。一度は一生の地に登るべきだ。
なぜなら地獄があると言われているからみたいなことを、
そういうムーブメントを作っていくために、
このマンダラというのが活躍したんですよ。
24:00
つまり足倉寺の人とかは、ツアーコンダクターの人たちはですね、
夏の間はそういった登頂ができるので、
実際山岳のツアーを同行するわけなんですけど、
冬の間何も登れないわけですね。彼ら自身もね。
なので、いろんなところに出張に行って、立山っていうのはこんなものなんです。
バーって見せて、要はガイドブックなんですよ。
ここに何がある、ここに我々が住んでいる、
ここに登頂するとこんなものが見えるっていうのを、
絵と手で解説していくわけなんです。
それですげえ立山ってなって、
せっかくなのでもし高いためにお越しになる際は、
私たちのツアー会社に来てくださいみたいなことを、
営業です。
その営業として立山マンダラっていうのは非常に重要視されたんですね。
いわゆるマンダラって言われて思い浮かべる、
シンメトリーなあのイラストではなくて、
割と風景が。
イラストマップですね、一言で言っちゃうと。
あのいわゆるマンダラとは違う。
信仰というより営業の面もあったのも一つ事実。
その根本にはもちろん信仰があるので。
つまり営業なんですよ。
だからデザインなんですよね。
なるほどね。
芸術でもありますよ。
あるんですけど、
人に見てもらうためのものなんですよ。
来てもらうためのイラストというかね。
そうです。
当然ツアーコンダクターの競合もいるわけなので、
よりすごい立山マンダラを持ってると、
おおーってなるわけ。
だから当然競争しあって、
技術も精度も上がっていくわけなので、
今となってはもうね、
この絵描きをする人はいないかもしれませんけれども、
文化財としてまずそもそもめちゃくちゃ細かくて、
芸術品として今はもう価値だし、
すごい高いものになっている。
というのがこの立山マンダラというもの。
これ実際すごいです、見ると。
巨大だし。
これを家に持ってこられて、
バンって掲げられると、
何これって何だ、
真理は容易に想像がつきます。
ただこれがもう一つの文化なんですよ。
はいはい。
そしてですね、
ちょっとさっき予告もしてたんですけれども、
立山の登頂というのは、
とにかく本当に難しかった。
特に言われているのが、
鶴木岳という立山連邦の中の一つの山があるんですけど、
険しそうな名前だね。
まさにもう鶴木っていうくらいだから、
尖ってるわけですよね。
ここは本当に登れなかったんです。
江戸時代とか全然。
はいはい。
ここからはちょっとフィクションももちろん
混じってる話になるとは思うんですけれども、
鶴木岳天の木っていう有名な小説があって、
これ映画化もされてるんですけれども、
日田次郎さんという、
山岳と歴史の小説の名手の方が
生み出した大ヒット作品ですね。
どういう物語かっていうと、
明治時代の話なんですけど、
27:01
明治40年とかだから、
もう明治の終わりの頃ですよね。
までこの立山には誰も登ったこと、
鶴木岳には誰も登ってないっていう話になってて、
江戸時代の、江戸期をしていた時代ならいざ知らず、
日露戦争にも勝って、
いまやもう列強の仲間入りをするはずの日本において、
自分の国内に行ったことのない場所があるなんてことが
許されるのかということを、
国の権威にかけても、
これはいい加減、
誰かが登って、
そこに三角点を打って、
即領をしなくちゃならない、
という、
ミッションが、
日本の陸軍の中で、
これ本当にあった話なんです。
起こるんです。
でも本当に鶴木岳っていうのは危ないと言われていて、
何人もこれまでなくなっている。
だからどうやったら登れるのかっていうのを、
陸軍の即領チーム、
その彼が主人公なんですけど、
本当に徹底的に研究をするんですよ。
で、近代科学の力をもってすればいけると思ってたんだけど、
そこに行くと、
この足倉寺のね、
昔からこのツアーコンダクターをやってた人たちの、
知恵だったり文化だったりというものが、
微妙に模様がかかったように、
ヒントを与えてくれて、
それによって結局、
ツアーコンダクター、昔からのこの、
地域の江戸時代から続いているツアーコンダクターと、
力を合わせることによって、
ようやく登れ、
これは史実として登れたんですよ。
鶴木岳天の木っていう小説の中では、
それが陸軍の名誉にかけて、
もう国の機関ですから、
やらなきゃいけないって、
行き立ってやるんだけど、
一方でその頃にはやっぱり、
いろんな西洋文化が起こってきたので、
なんかちょっと高級のお坊っちゃんみたいな人たちが、
趣味で、
登山クラブみたいなのを組織していて、
それも立山と同じ年に狙ってると。
こんな変な趣味クラブのやつらに、
日本陸軍が先起こされたなんてことがあったら、
もう大問題だから、
絶対あいつらには負けんなと。
趣味クラブの変なお坊っちゃんたちに負けるわけで、
絶対にあいつらにだけは負けない。
懸命されて、
とんでもないプレッシャーをかけられて、
このツーリー岳に挑む話なんだ。
これは史実なんですけど。
どれくらい競争があったかちょっと怪しいらしいんだけど、
史実としてその年に陸軍が登れたんです。
というところまでが、
話になるんですけど、
ハッピーエンドのように見えるんですけど、
この後小説読む方、
ここを聞き飛ばしてほしいんですが、
ネタバレになるんですが、
ところが、
彼らがやっぱり、
山の上に行って、
見たものは何だったと思いますか。
ツーリー岳に初めて登った日本人は、
何をそこで見たのか。
これ史実なんです。
ここからは。
その塔橋失敗した人たちの
亡骸。
上に何が乗ったのか。
わかんないけど。
実は半分あってるんです。
そこにあったのが、
石状というものだったんです。
石状というのは、
鈴の杖と書いて
石状。
30:00
金属の杖のことなんですけど。
これが
置いてあった。
初めてじゃなかったんだ。
誰も登ったことがないはずの
立山剣岳に、
名もなき修行者が
ここに登っていたんです。
っていうことが、皮肉にも、
初めて登ったことによって
証明されてしまった。
っていうね、
これ史実なんですよ。
これはがっくりくるね。
そしてその
陸軍の測量隊が、そこで
見つけた石状の実物が、
この博物館に保存されて
展示されてるんです。
もうこれはね、
平安時代に作られたものだと
伝わっている。
その頃の人が登ってたんだ。
そう。
なんだろうね。
どういう気持ちになればいいんだろう。
本当そうですよね。
どういう気持ちだったんだろうって。
本にも、日記とかにね、
これは実在の人物なので、
測量した人は残してはいるんですけれども、
それでもちょっと
どういう気持ちだったんだろうね。
がっくりくるけど、
登れたのは事実だし、
なんかね、
もやっとするよね。
多分いろんな気持ちだったとは思いますよ。
だから、
残念ながら、
自分たちが初めてではなかったこと、
その痕跡を自分たちが見つけてしまったんですよね。
ただ、その一方でおそらくなんだけど、
これを持ち帰ったっていうことも
含めてなんですけど、
平安時代かは分かんないけど、
少なくとも平安時代に
作られたものを持っていた人が、
すでに日本人で
鶴見中に登っていた人がいた。
その凄さにも打たれたと思います。
はいはいはい。
だって、近代価格の明治40年を
持ってして何とかどうにかこうにかだったのに、
一体この人は
なぜ登れたのか。
ただ、もう一方で言うと、
もうこれは何も記録にも
残っていない、この石像の
持ち主が誰だったのか分からない。
もう誰だったかも分からないし、
その後どうなったかももう分からない。
ただこの杖の頭だけが、
この山に人知れずここに眠っていた
というのが、史実として残されていただけなの。
うーん、なんか
記録しといてくれよと思うけどね。
そういうものなんですよ。
だからこれは歴史の皮肉
というかね、
でもすごい興味深い史実なんですよ。
はいはいはい。
いろいろと
考えさせられるようなね、
ものがこの立山の
初登頂というものを巡る物語なんです。
へー。
どうなったんでしょうね。
これは誰だったんでしょうね、
本当に。
まあでも修行者が
巡っているようなものなわけだよね。
そういうことですね。
そこで死んでしまって、
もう何千年経つうちに、
骨とかは、
衣服とかは消えていって、
この金属だけが残ったのか、
頂上について死んでしまったのか、
33:00
それか、
分かんないけど、放納したのかね。
なるほどね。
金属だけをある意味、天の木を、
彼なりの天の木を名もなき修行者が
証として残したのか。
自分が初めての日本、
その人が初めてか分かんない。
もしかしたら、もっと深い想像をするならば、
その名もなき謎の人物が
登った時に、別の石像が置かれていたのかもしれないし。
誰が初めてかは分かんないんですよね。
はっきり言っても。
ただ明治40年が初めてじゃないことだけが
分かっちゃう。
平安の頃は意外とポンポン登ってたかもしれない。
かもしれない。
もしかしたら、
明治時代とか我々が考える以上に、
平安時代とかの
日本人の
体力がすごかったのか、
スピリットがすごかったのか、
あるいは、
秘密の抜け道でも知っている人がいたのか。
それは分からない。
という話があるんです。
不思議な話だな。
これ実物見てきたんですけど、
なんとも言えない気持ちになります。
本当に。
すごいなとは思ったけどね。
絶望と希望があるよね。
そうなんですよ。
というのが、
つるり竹天の木という小説にもなってますが、
史実としてもこれがオチだったんです。
そういった立山の話を
この博物館では
実物を見ながら
知ることができます。
もう一つ言うと、
この展示館については、
建築デザインがすごいんですよ。
ここもなんだ。
磯崎新田さんという
ポントイテラストで
初めて登場する方だと思うんですが、
この方も有名な
近代建築の
巨匠なんですけど、
その人が
作った博物館で、
特に見どころとしては、
富士山のミュージアムもそうだったんですけど、
山に登ると
螺旋のイメージなので、
螺旋階段で
博物館の中を回っていくんですが、
その螺旋の上は
ガラスの吹き抜けになっていて、
天井から自然光が
差し込む感じになって、
その自然光に照らされながら、
立山の真っ白い世界を
登っていくという構造になっていて、
これもすごい素敵な絵ですね。
やっぱり山に関する
建物だと
螺旋を描きたくなるんだろうね。
イメージとして、
螺旋としてわかりやすい部分はありますよね。
登っていくっていうのを
表現したくなるんだろうな。
ということになっています。
その後、車をここに止めて、
東歩で
いくつかの施設を回っていきます。
なるほど。
東歩7分ほど行ったところに、
立山博物館要望館
というものがあるので、
これは遥かに望む館と書いて
36:00
要望館。
これ実は
映画館みたいなものなんですよ。
映像上映ホール
ってなっていて、
日に5回、
10時から15時まで
毎時、ただし12時を除くか、
5回映画が上映される
シアターになっております。
40分もあるんだ。
そうなんですよ。
これ結構なかなか本格的なもので、
内容としては
確か2つあったんですけれども、
立山マンダラ。
立山マンダラってさっき、
江戸時代の人しか知ったものですけど、
それの令和版、令和に作られてないから
もっと前だけど、現代版
があると。
要は立山の
自然というのはどういったものか。
はっきり言って、僕も
多分うちらも立山に登ってないので、
ステータスとしては江戸時代の人が
江戸時代にされると一緒の感覚ですよね。
こんな魅力的な自然がある、
神秘的な光景があるから、立山に
登ってみませんかっていう、その自然の
美しさと、その地獄がある
っていうその恐ろしさっていうのを
解説している映画。
それをね、
すごい畳敷きでね、足を伸ばしながら
見られるというね、シアターになっています。
要望感のね、
名前で言うとね、遥かに望む
って書くんですけれども、
これ何を望むのかっていうと、
映画を見るときは、このシアターの
スクリーンがガーって落ちてくるんですけれども、
これがね、映画が終わると
スクリーンがこう上がっていくんだ
と思うんですけど、吐けて、
その先に窓ガラスが
バーって開けて、そこに立山の姿が
あるんです。
いいですね。
立山に関する映像を
見た後に実物が
そのまま見えるんだ。そういうことなんですよ。
これも面白い工夫ですよね。
だから
あくまで望んでいるのでね、
山に登ったわけじゃないんだけれども、
絵解きされたものを
実物で見れたっていう、そういったものが
できるシアターになっています。
いいシアターだな、これ。
建築も木造の
エッセンスを詰め込んでいて、
いい空間設計だな。
外観もね、なんか独特な
丸みのある感じですね。
それもやっぱり円形で
折り方にしないと立山の
一部をできないというのがあると思うんですけど。
なるほどね。
というのが要望感になります。
これはもうちゃんと上映時間
めがけていかないといけないのね。
今、我々の想定だと
15時から始まるね、1日の
最後のものを見に行く想定で
おります。
これ、だから1回
逃すとね、1時間後になっちゃう。
この行程で行くと
15時逃すと
見れなくなっちゃう。
ご注意ください。
時間を気にしてね。
1時間逃したら周辺に
他の施設があるので
先に行くとかはできません。
39:00
15時の逃すとできないね、もうね。
という感じです。
そこからが、これが次が
最後の目的地になります。
要望感から展示館の方に
戻っていただくとですね、そこにあるのが
教参坊
というね、お寺なんですけれども
教える算数の
坊と書いて
教参坊というね
これね、宿坊です。
昔の。
先ほど言ったようにそのツアーコンダクターたちが
ここにはいっぱいいたわけですけれども
そのホテルも
当然提供している
わけなので
それが残っているんですね。
実はこの教参坊に
行く間にはですね
先ほど立山博物館の
3つのゾーンに分かれていると言ったんですけれども
そのうちの秘尻界と書いて
聖界ゾーンというのを通って
ここに行くんです。展示館と
この教参坊はすぐ隣なので
1回要望感を挟んで
行って戻ってって言ってるんです。
その間に
秘尻界の聖界というものがあると。
そこにはですね
いわゆる地獄の
進行の本拠になったお堂とか
石物とかが大量に残っているので
その古の立山の
修行者たちの痕跡というのも
まだ濃厚にとどまっています。
それが建物建築として残っているのが
この教参坊。
なぜ最後に行ったかというと
ここが本当に落ち着く
しっとりとした苔庭でね
一人旅にはもってこいなんですよ。
建物の中からお庭を見てる
写真がありますけど
まだ知られざる苔庭といって
まさにそんな感じです。
これ穴場だと思います。
これ苔庭だけど
空とか奥が
割と見えて
あんまり閉じた感じじゃないね。
お庭の中も歩ける感じですかね。
苔のところは入っちゃダメだと思いますけど
石畳の道がありますので
ここの縁側にかけて
夕方
僕も9月にやっぱり行ったわけなんですけど
ちょうど日暮しの声が
すごく
乱れているというか
泣き乱れているというか
物悲しさもありつつ
夏の夕方の
夏の終わりの夕方というか
漁場を感じることができましたね。
これはいいですね。
最後に
一息ついてという感じですね。
この3日間の旅を
振り返りながら
お庭を見ながら
一人旅ってこういう時間があるのが魅力だなと
何も考えず
誰とも話さずしっとりと
自然だったり
自分の気持ちと向き合うことができる
その一人旅の
最終スポットは
大体僕はこういうところに行きがちなんですけど
京三望は非常にオススメの
42:00
山においてはこれがすごくいいなと思いました。
実際
ツアーコンダクターが実際に使っていた家ですので
立山マンダラはもちろんのこと
どういう風に
参拝とか
もてなしたかというような資料とかも
ちゃんとあるし
この地域にどれだけ
信仰と観光というものが根付いていたか
というものの
詳細になるかなというようなものになっています。
すごい風格もあって
建物も素敵ですし
中に秘められているストーリーも素敵なので
ここで最後に
思い出しながら1日を締めないと
最後ですが
車を富山駅周辺で借りておりますので
京三望から
だいたい車で45分ほど行くと
富山の駅に戻って来られますので
そこにだいたい
17時半くらいに戻ってくると
東京には8時くらいについている
というイメージかなと思います。
ということでこの3日目を振り返っていきましょう。
まず朝
ホテルをだいたい9時半くらいに
出発しまして
徒歩10分
おむすび屋
源さんですね。
マス寿司が有名な
お店が
おむすびを出している
ということですね。
とろろ昆布の
おにぎりとか
白エビの天むすとか
富山の名物を使った
おむすびもあるし
オソドックスなのもあるし
という感じですね。
そこから
車借りまして
車で35分ほど
ウォーズ
埋没林博物館ですね。
これはもう多分ここしか
見れないのかな。
埋没林を
見ることができる
博物館ですね。
それと一緒に
蜃気楼についても
学べるという感じですね。
もしかしたら見れるのかな。
蜃気楼の出やすい条件は
4、5月ですね。
あと蜃気楼は種類があるみたいだね。
寒い日に
起こる蜃気楼もあるみたいですね。
でもちょっといずれにせよ
9月は違うかもしれません。
ここら辺は雲だからね。
っていう博物館ですね。
そこから
車で30分ほど
大岩山
日赤寺ですね。
岩の壁に
彫られた不動明王を
本尊としているお寺
ですね。
かなり独特の
雰囲気というかね。
迫力があるお寺ですね。
そこから車で
2分ほどそうめん金流
大岩店ですね。
ここは淡路島の
手延べそうめんと
立山連邦の
お水を使っただしを
合わせていただく
そうめん屋さんですね。
45:00
ここでお昼いただきまして
そこから車で
30分ほど立山博物館
ですね。
ここで立山信仰
について
立山マンダラとかね。
剣だけの
登頂エピソードとかね。
実際に
頂上で見つかった
尺錠。
これが
展示されていると。
なんかこう思いを馳せられる感じ
ですね。
そこから
同じ施設内ですけどね。
徒歩7分ほど
立山博物館の
要望館ですね。
ここで立山に
関する映画を
上映していると。
1日5回
ですので、時間はちょっと
気にしつつ。
時間見てね、さっきの
博物館と順番入れ替えたり
したりして、時間
合わせて見ていただければと。
そうそう。
時間の合わせるときに
実は今回立山博物館
このコースだと
境界ゾーン展示館が
あったところと
要望館。
誘拐ゾーンがあったんですけど、そこには
マンダラ遊園っていう野外アートの
美術館みたいなところがあって
そこも行ったら
面白いんですよ。
集団で行くほうが面白いかなという
感じもあったので、今回入れなかったんですけども
ここはすごくSNS
映えするフォトスポットとしてすごい
人気を集めているので、そっちに行って
要望館の時間を合わせると
いいかもしれませんね。
すぐ行ける距離なので。
割と施設内で
時間調整はできそうな感じ
ですので、
上映時間に間に合うように
行っていただければと
思います。
そこから徒歩7分ほど
京三望ですね。
ここで最後
苔庭をね
眺めながら
歩いたりもしながら
一息をついて
この旅を振り返りながら
落ち着いた時間を
過ごし、そこから車で
45分ほどで
富山駅に戻って
車を返して
で、ご自宅へということですね。
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最終日はもう
48:00
立山をメインにという感じですね。
この旅全体通すと
何だろうな
徳島を思い出したんですよ。
何川だっけ。
吉野川。
吉野川の厳しい
制約の中で
どうやって自分の産業を
成り立たせていくかっていうのが
徳島のコースの
割とメインのテーマでしたけど
富山は
自然というよりかは
周りの政治的な状況とか
加賀の方に
対抗していくための
施策として
デザインを
どんどん発展させてきた
っていう感じが
ありましたね。
徳島は新しい産業を
作り出そうっていう感じでしたけど
富山は今ある
産業をどうやってよく
見せて広げていくか
っていうのでデザインを
発展させてきた感じだな
っていうのを全体として
感じましたね。
やっぱりデザインって
今回テーマにしましたけど
デザインと芸術
特にデザインの要素に強いのは
誰かに見てもらうこと
誰かに買ってもらうことの
手段じゃないですか。
だからこそ人の心に直接的に
購買意欲をそそらなきゃいけない
とかっていう
そういったところの面白さと
難しさはありますよね。
お互い多分難しいところもあると思うんですけど
ただもちろん
加賀藩の良いところを取りつつ
対抗しなきゃいけないというところも
あっただろうし
薬ってものが生まれて薬からガラスが生まれて
薬のパッケージデザインだった
デザインの工芸の技術と
和紙があってみたいな
どんどん関連していくんですけど
自然の方で言っても
やっぱり本当にね
これはいかないとあれなんですけど
富山っていうのが常に
綺麗に
富山のことを見守ってる感じっていうのは
やっぱりちょっと特別な印象があって
常に
特に僕が4月に行った時は
雪をまだ被っていたので
白いキャンバスみたいのが
常に富山の
風景にあった上で
そこにどういう風に色彩が
変化していくかっていうような
多分そういったものもあるんじゃないかな
という気もするんですよね
なかなかこれはね
ぜひ季節によってもいろいろね
違うと思うんですけど
見え方が違いそうだね
ただいずれにせよ手段の一つに
過ぎなかった
デザインというものを特化して
注目して
街全体として育んでいった富山っていうのは
富山旅行すること自体が
なんか一つ
別のデザインの国に来たな
っていう風に思えるほど
異質の街ですね
それが富山にあったんだ
そうなんですよね
感じがしますね
51:00
だからデザインの商業理論だと
どうしても
購買意欲にかけ立てるだけに
消費材みたいに思われがちな
側面ってあったと思うんですよね
ポスターだって剥がされちゃうじゃないですか
だから
そういった消費材剥がされてしまう
運命にあるものにもちろん
みんな尽力したんだけど
富山のやっぱり
一歩先を行ってたところは
剥がされてしまうデザインにも
価値があるっていうことを
見出してそれをちゃんと広めていった
っていうことが
デザインに注目した
トリエンナーレもそうだろうし
ガラス工芸の話もそうだったんですけど
やっぱり
視点の変え方っていうものの
転換がうまかったんじゃないかな
それでそれを
デザインをやっていた結果
デザイントラベルってあのガイドブックが
日本で特価を出してる
っていうのがまず
成功ですよね富山の培ってきたものは
今こうやって花開いていて
僕もディーデザイントラベルを見て
どうせ行くならオアラの時に
行こうと思って
行っているので
そういう魅力ですよね
富山はね
これもっと調べてほしいなぁ
って思いがありますね
クリエイティブの仕事に就いてる人だから
知らないかと思いますけどね
特にあのトリエンナーレ
あのイベントなんかは
世界規模のイベントがあるんだから
もっとね
知られていていいよね
今年なのでね
ということで
次回は雑談会をね
お送りしましょう
今回はこの辺で
ありがとうございました
52:54

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