1. 大人になりたい旅がしたい
  2. #25【東京】東西公私の園地に..
2024-06-24 1:26:36

#25【東京】東西公私の園地にいこうPart1

種拾いの東京 東西公私の園地にいこう1日目

江戸時代から世界規模の発展を遂げる首都東京。

その歩みと地域性を紐解くと、大きく4つの象限に分かれる。1つ目の軸は「東」と「西」。皇居を中核とした旧“江戸”と、近代以降の宅地開発で急速な成長を遂げた“東京”。そしてそれぞれの動力には「公」と「私」の差があり、地域さらには住民の人格形成にまで影響を及ぼす。


【目次】

〜 収録現場が変わった!

〜 コーステーマの発表

〜 文武両道の名家 至宝のコレクション 【永青文庫・肥後細川庭園】

〜 都心に佇む“聖なる名建築” 【東京カテドラル カトリック関口教会】

〜 その主は“小田原ファンクラブ初代会長”!? 【椿山荘】

〜 大人気YouTuberの料理を実食 【河原のあべ】

〜 江戸の文人文化を象徴する名園 【向島百花園】

〜 シンプルイズ・ザ・ベスト“お団子の原点” 【言問団子】

〜 向島七福神の由緒ある禅寺 【弘福寺】

〜 ★歴オタ話★ こんなに笑える人物はいません! 抱腹絶倒の海舟の父

〜 江戸の情緒を描いた時代小説の達人 【池波正太郎記念文庫】

〜 “東京の郷土料理”の正解がここに 【浅草一文 本店】

〜 1日の振り返り



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00:02
大人になりたい旅がしたい。このポッドキャストでは、旅行とお酒が好きな荒沢男性2人が、大人だからこそ知りたい、ちょっとディープな国内旅行のモデルコースを紹介しながらお話をしていきます。
内田です。 あるやです。はい。ちょっと今回、これは聞いてる人が気づいてるかどうかわかんないですけど。
なになに? 収録の環境がね、大きく変わりましたね。
たぶん、まあ気づかない気もするんだけど、僕ん家で撮ってますね。そうなんですよ。初めてね。ね。
あの、まあちょっと生々しい話。今まで貸し買い技術を借りてて、ただ、たけえっていう。そうね。毎回お金払うのもちょっと。はい。
ね、もったいないねっていうことで、うちで撮ってますね。はい。ありがとうございます。いやいやいや、むしろ、新幹線で来たんですよ。
今日はね、ちょっと寝坊したんですよ。ああ、なるほどね。あの、小田急線でね、普通に来ようと思ったんだけど、ちょっと寝坊して間に合わないなってなって、新幹線ですね。なるほど。はい。
いや、縁のはるばる。うん。ありがとうございます。いえいえ。静かだけどね、でもね、今のところはそんなに騒音とかは気にならないし、いいおうちですよ。
相変わらず、ここは。うん。ちょっとね、まあやってみてどうかなっていうところもあるんですけど。はい。
まあリラックスできるってことで。そうね。うん。機材とかは別にこれ何も変わってないんでしょ?うん、変わってない変わってない。うん、じゃあ大丈夫だと思うけどね。
私、あの、ケツも気にしなくていいしね。ああ、そうね。ソファに座らせていただいて、ありがたいですよ。
いやいや、あの、時間のケツね。ああ、そっちね。うん。確かに。あの、いつも時間制限があるからね。そうそうそう。はいはいはい。時間で借りてるからね。うんうんうん。
それもないんで。うん。まあゆったりとね、撮れるんじゃないかと。はい。
ということで。うん。また今回からね。うん。新しいコースですけど。うん。
まあなんかちょっとリクエスト祭りみたいな感じですね。そうなんですよね。はい。今回の収録は。はい。
というか、まあ前回のトサから。そうそうそうそう。割とそうなんですけど。うん、でもありがたいですよね、本当にね。で、今回もリクエストに応えるようなコースですね。うん。
今回の紹介する場所はどこでしょう。はい。えー、今回はですね。うん。えー、東京です。はい。はい。あのー、1階の酒呑さんがね。はい。
東京育ちの我々に東京旅行を紹介してほしいっていうね。はい。リクエストがありましたけど。はい。それに応える形ですね。そうですね。
あのー、あとはまあ、これを聞いてくれてる僕のまあ、友達というか知り合いとかからも、同じような声は実は何人かから受け取っていまして。うんうんうん。
まあそこも含めてということですかね。まあやっぱ気にはなるだろうなとは思うけどね。うんうんうんうんうん。
ということで、じゃあ。うん。タイトルはなんですか。はい。えー、タイトルは、えー、種拾いの東京、東西甲子の園地に行こう。
03:05
です。なんかちょっと字が想像しづらいかもしれないけど。そうですね。呪文みたいになってしまってたので。
東西は東西ね。そうですね。で、甲子は。うん。公家家、私。そうなんですよ。甲子ですね。はい。の園地っていうのは。うん。
まあ公園の園に。うん。まあ地面の地ですね。はい。そうです。で、行こうはね、えー、あえてひらがなにしてます。おー、そこにこだわりがある。そうですね。
はい。まあ東京の。うん。東西。うん。甲子。まあいろんなこう。うんうん。バリエーションで。はい。回ろうみたいな感じ。そうですね。
まあ内田はね、もう正真正銘の東京生まれ育ちということですので。まあそうですね。うん。ちょっと、あの神奈川の方に行った。あ、そっかそっか。実験があるんですけど。生まれはそうか、神奈川なのか。
これはね、ややこしいんだけど。うん。生まれたのは東京なんですよ。はあはあはあ。で、そっから、まあ物心ついた頃にはもう、あの神奈川に行って。そっかそっか。幼稚園までは神奈川だった。あー、なるほどなるほど。
で、小学校上がるときに東京に来て。うんうん。そっからずっと。そうですね。うんうんうん。
まあなので、結構東京と言ったらね、本当にもう地元目線というか。そうですね。東京出身ですってもう普通に言ってる。うん。
で、ただね、まあ、あのこれはまあ僕も東京にね、あのー、なんか住んでいたにもなっちゃいましたけれども。うんうん。ので、まあある程度はわかってるつもりなんですけれども。
東京つってもね、あのー、一つにはくぐれないんですよね、絶対ね。これあのー、まあ多分東京にお住まいの方、これ聞いてくださってる方いると思うので、それぞれのお住まいの地域によっていろいろ思うところあるんじゃないかと思うんですけど。そうですね。
僕らは割と西なんですよね。そうだね。東京の中で言うとね。区の中でも、まあ南西側が多いですかね。うん。23区分の中の西側ですね。そうですね。はいはい。
だけど、えーと、なので、まあ新宿とか渋谷から西側っていうのがだいたい我々がよくね、あのー、親しみのある場所なんですが、
そうじゃない、東京。えーと、要は東京駅の方とか、あの東側ですよね。はいはい。もあるし、あとはまあ北側、上野とかあっちの方もあるしということで、で、それぞれにやっぱりカラーが違うと思うんですよ。そうだよね。
で、この街のカラーっていうのがなんでできているのか、そしてそこにどういう影響を与えているのか。で、我々もね、そのカラーの一つ、それぞれのカラーでちょっと生まれ育ったというのもありますので、なんかまあそのあたりをちょっとね、あのバリエーション豊かに。
で、あのー、園地と書いてますけれども、これは要は庭園ですね、主にね。なるほどね。うん。あのー、をちょっと一つのテーマとして、えー、考えてみたいなと思っております。はい。じゃあもう早速、うん。いきましょうか。
1日目、あ、これね、一泊二日で一応考えています。うん。なので、東京に泊まることも想定していますけど、東京とか近くにお住まいの方は、もうそれぞれ別の日に行ってもらっても全然いいのかなというふうに思います。
06:12
まあいつも通りどっかスポットで行ってもいいしね。そうですね。で、1日目はですね、主に東側の方に行ってみたいと思います。はいはい。東西の東ですね。東ですね。はい。で、えー、最初にですね、スタート地点とするのが、えー、江戸川橋という駅からちょっと始めたいと思うんですが、なかなかちょっとね。うん。
渋いチョイスと言っては失礼かもしれないけれども。そうですね。メジャー床の駅ではないね。うん。
江戸川橋というのは、えー、東京メトロ有楽町線という、えー、地下鉄ですね。はいはい。の駅。で、えー、23区の区で言うと、文京区というところになります。うんうんうん。はい。なのでまあ最初東と言ったんですけど、ちょっとこのところは、えー、まあどっちかというと、新宿、池袋とかに近いですね。そうですね。なので東ではまだ最初はありません。うん。
ちょっとここから始まってというかですね。真ん中ら辺なイメージ。そうだね。うん。そんな感じです。はい。で、なぜこの辺から始めたかということなんですけれども。はい。実はですね、この江戸川橋の周辺には、まあ今回のテーマである庭園というものが実は、あのすごく名庭園というのが集中していまして、それをちょっとまとめて一回あの見に行こうという話になっております。はいはい。はい。
で、最初に行くのがですね、この江戸川橋の駅から、まあ歩いて15分ほどのところにある、衛生文庫というものになります。はい。これね、衛生文庫というのは永遠の永い、長いというものですね。うん。に、ブルーの青。はい。で、文庫は文庫本の文庫というものになっていまして。はいはい。これちなみにご存知ですか?いやー知らないな。うん。
まあこれはね、ちょっと歴史好きの方、アート好きの方がだったら聞いたことはあるかもしれないと思うんですけれども、今ですね、我々は衛生文庫のホームページを見ているわけですが、その衛生文庫というトップのね、文字のところに左にマークがついてる。ありますね。
これですね、実はとある家の家紋なんですね。
ほー。
うん。
なんかこう、太陽みたいな感じ。
あ、あの、真ん中に中心にね、一つ大きな丸があって、その周りを8個のちっちゃな丸が囲んでいるというものになるんですが、これはですね、細川家というものの家紋です。
ほいほいほい。
細川家というのは、まあもう歴史上の教科書にも出てくる、もう本当に名族なんですけれども、江戸時代には熊本藩の藩主を務めていた家になります。
はい。
で、この衛生文庫というのは、その熊本藩細川家のコレクションを持っているというものになるんですね。
09:01
へー、それが東京にあるんだ。
そうなんですよ。まあ余談ですけど、あの細川って言って、今僕話してて思い出したんですけど、このフォントキャストで一人実は登場していて、これがですね、思い出せますか?細川。
一人ね、熊本藩ではないんですけど、同じその細川一族がね、一人登場してるんですね、過去に。
いや、なんかどっかで出たなーって気はしてたんですよ。
ははははは。
本当にね、記憶力がないんだよ。
でも今、俺も自分で話してて思い出した。
ははは。
何でしたっけ?
はい、これね、京都の2日目かな?に、地蔵院っていうね、竹のお寺に行った時に、そこを開いた細川頼之というね、室町時代のまあ武将、政治家。
で、あの全州とかに色々興味があって、最後は自然石1個となって、あの墓を建てずに、あのすごい総理大臣みたいなことやってたんだけど、
最後は、あのもう森の中に自然石1個で隠れて、墓として眠っていったという、まあ武将がいましたけれども、あの人が細川一族ですね。
うん、その系統です。
で、えーと、まあ、このここにあるんだという話、今ありましたけれども、あのこの場所、ここにあの衛生文庫が今このある場所というのは、細川、あの熊本藩の判定の跡なんですよ。
つまり、あの熊本藩、もちろん本拠地は今の熊本城ですよね。
なんだけれども、東京にね、あの参勤交代の関係でいなきゃいけない時期というのも多くありましたから、お殿様も。
で、その東京での滞在、まあ江戸での滞在に使うために、各藩は藩邸というものを設けていたわけですね。
藩邸って字は?
藩はまあ、いわゆる熊本藩の藩。で、邸は邸宅の邸になります。
ああ、なるほど。
藩の大使館と言っていいか、お屋敷と言っていいか、そんなイメージですね。
これは熊本藩に限らずどの藩も持っていました。
で、明治維新があって、熊本藩というのが亡くなった後も、細川家というのはもちろん続いていますので、
その熊本藩の判定の後に、まあ今こうしたその細川ゆかりの博物館が建っているというものになります。
で、まあこの見どころなんですけれども、あくまでもですね、これは美術館です。
なので、実際にはいつ行くかによって、何の展示をやっているかというのは変わります。
ので、ちょっと必ずしもこれが見れるよとは言えづらいんですけれども、
特にやっぱりこの細川家というのは、戦国武将でもあったんですけど、
特にこの細川の熊本藩の藩層と言っていいかな、戦国時代に活躍した細川雄才という人がいたんですけれども、
この人はですね、もう東大随一の文化人として知られた人で、
歴史の教科書にも戦国武将としてではなくて、もうその文化の達人として出てくるような人なんですね。
12:00
武将だったんだけど、っていうぐらいの、まあ細川家はその大名の中でも特にこういう文化度のすごく高い一族。
最高峰の文化をもう常に伝統的に持っていた人たちなんですね。
文武両道ですね。
まさにまさに。雄才もね、武将としてもすごい活躍した人ですので。
その子供の忠岡というのも、武将としても活躍して、お父さんとともに茶人としても活躍したすごい人たちですね。
超エリートです、細川家というのは。
さっき室町から続いてるって言ってたよね。
そうですそうです。この辺はね、また話し始めるとあれなんですけど、
まあその細川頼幸の流れから、まあいろいろよう直接はあるんですが、結果としても、
そうですね、だからもう室町の初めから表舞台に出てきて、最後はもう熊本藩として最後明治維新までっていうから、
本史の教科書の何分の一かはこの細川家がね、歴史の表舞台に立ってた時代と合致しますから、すごい一族ですよ、本当に。
さらに言えばこれ総理大臣も出してますから、細川盛博さんっていうね、ちょうど我々が生まれた時にくらいの総理大臣ですけれども、
すごい一族、もう日本史の中に特筆すべき一族です。
そうした人たちのコレクションがあるから、今ホームページ見てますけど、武将ですからね、武具というところで国宝の刀も持っていますし、
一方で茶道具でもすごいものがある。
あとは中国の博覧の美術だったりとか、文学作品もあるいとあらゆる本当に文無量道のものを持ってるんですね。
なのでこういったものがその展示会のテーマによっていろいろ出てくるというだけでもまずすごいんですが、
これですね最近の話なんですけれども、衛星文庫はですね、かなり尖った展示会をやったりするんですよ。
例えばですが、ちょっとこれねコンプラ的にアウトだったら削除してもらっていいんですけど、
最近話題を集めたので言うと春画展。春の画と書いて、包み隠さず言えば昔のエロ本みたいな感じですね。
それを集めた展覧会とかをやったんです。
テーマだけ聞くとなんだそれはっていうふうに思うかもしれないんだけど、
それはある意味人間の本能的な気持ちがすごく反映されたというのは昔も今も変わらないわけであって、
そういったところに日本人の心の持ちようというのを探ってみようというちゃんと意味合いのある展覧会だったわけですよ。
もう文化の一つですからね。
そういうことそういうこと。
当然その春画もすごい画家たちが描いていますので、教科書には載らないけれども、というものがあったりね。
そういうちょっと個性的な展覧会もやるというところで、非常に注目すべき美術館だなと僕は思っています。
今回のテーマで言うとその庭園という話をしてるんですけれども、
15:03
実はこの衛生文庫の周りには、その旧熊本藩の藩邸に建っていたその比古細川庭園というのが残っているんですね。
熊本藩の下屋敷、藩邸ですね。の庭園がそのまま残っています。
ので、衛生文庫に行くのとついでに、まず最初の庭園としてこの比古細川庭園というのをぜひ見学いただければいいのかなと思いますね。
すごい、なんか開けた感じ、広そうな感じだね。
広いですね、かなり。
今回のテーマの一つとして、東京って日本の一つですから、すごい人口も当然多いし、ビルも多いし、電車も多いしなんだけど、
合間合間を縫っていくと、実はこういったところが広がってるんですよ、まだまだ。
実はあるよね。
そう、実はあるの。
大体それは鉄道駅から15分くらい歩いたって言ってますけど、
鉄道駅と鉄道駅の空白地点みたいなところにこういうのが広がってたりパターンが多いんですよね。
まあそうね、駅周りはやっぱりビルとかが立ちやすいから。
そうなんですよ。
そこの間にあるんですね。
そういうことです、そういうことです。
で、これも敷地としてももちろんすごい大きいですし、すごく池も大きくて、
そうですね。
いわゆる大名庭園、例えば金沢の兼六園とかにちょっと近いイメージかなという気もしますけれども、
それぐらいの規模を誇っているものになります。
私この画像を見る限りは空も結構広く見えてて、
そうそうそうそう。
なんかあんまり周りの建物が気にならなそうな感じがね。
うん、面白いとおりですね。
うまく樹木で遮蔽していると言いますか、
あのディズニーじゃないけれども、
都会のど真ん中にあってこういった写真が撮れるというのもなかなか珍しいと思います。
なので今我々Google検索でね、ひご細川庭園で画像検索しましたけれども、
あの出てくるものの3分の1ぐらいが結婚式の前撮りの。
そうだね。
これ素敵ですよねでもね。
うん、いいよね。
うん、なかなかこれは京都のどこなんだっていうふうにみんなから言われそうな。
東京だとは思わないよね。
うんうんうん。
結構まあ僕の感覚ですと、ここはね、わりとこれから行く庭園の中でも、
まあ一方で言えば穴場というか、
わりとねここはねゆったりできるような印象を持ってますので、
いいと思いますねすごくね。
うーん、いいですね。
東京の穴場って感じでね。
うん、はい。
ということでまあそのね、行くならばあの衛生文庫に何の展覧会やってるかというので、
調べてもらって、興味があるときにぜひ行くと、何か楽しめるかなという気もいたします。
そうですね。
はい。
で次の目的地ですが、衛生文庫から10分ほど歩いたところになるですね、
東京カテドラル聖マリア大聖堂というものをですねご紹介したいと思います。
またもう全然変わった教室と教室ね。
180度変わったと言いますか。
18:01
はい、これはですね庭園ではないんですけれども、
名建築です。
はい、あのそもそもはこれ教会なんですね。
今も現役の教会なんですよ。
カトリック関口教会というのがまあ名前になるわけなんですけれども、
あのなぜこれをあえて取り上げているかというと、
これすごくないですか。
ほー、なんだろう、ちょっと洞窟感があるというか。
まさに。
うんうん。石の壁でね、
なんだろう採掘場みたいな感じもちょっとあるし、
不思議だね、なんか神秘的な感じだわ。
そうなんですよ。
あの教会って言ってももちろんいろいろあるのでね、
あのイメージされるものそれぞれあると思うんですけど、
ここはね、この石というか打ちっぱなしのこのむき出しの感じが、
あえて、あの本当に洞窟っぽいですよね。
ちょっとね、ダンジョンっぽいっていうか。
でまあ色合いね、写真の色合いにもよると思うんですけど、
僕はこれを見たときにですね、
ファイナルファンタジーのなんかの舞台になりそうだなっていうような、
そんなちょっと青みがかった、ちょっと独特の個性を持っている。
そうですね、でこう真ん中にこう、
があのガラスの窓がこうあって、
そこからまた日が差して、
こうなんかちょっと神秘的というか、
神様っぽい感じだよね。
はい、そうですね。
なので教会ではあるんですけれども、
ちょっとこう一風変わった、
幻想的なちょっとね、
暗がりの美学と言いますか、
そういったものもね、ある名建築なんですね。
これちょっと外観からはまた全然印象が違う。
うん、あの外観と全く違いますよね。
外観はまあ、青空の写真がね、今グーグルでよく出てきますけど、
もっとこうなんというか現代的というか、
そうだね、こう全部銀で、ちょっと流線系でこう、
近代的な感じなのに、中入ると石の写り話の感じ。
そうそうそう。
このコントラストもすごく計算されててすごいなと思うんですよ。
はいはい。
それ言おうか。
上から見ると自主主観になってるんですね。
もちろんもちろん。
すごいね。
そうなんですよ。
これもだから、下から見たね、
あとは内観だけ見たら気づかないんですけど、
大きすぎて意外と気づかれないモチーフかもしれません。
航空写真で見ると十字架の、これは窓なのかな?
があってね、
境界だなってすぐわかる感じですね。
そうなんですよ。
はい。
でね、これを作ったのが、
タンゲ・ケンゾウさんという建築家の方なんですね。
ででもね、このタンゲ・ケンゾウさんってもうあの、
亡くなっている昭和の時代の時の方なんですけれども、
あの、まあ本当に日本の当時のね、昭和後期かな、
戦後の代表する建築家の方で、
あの内田にね、縁のあるところで言うと、
お台場のフジテレビの社屋、
あれを作ったのもね、この人です。
ああ、なるほど。
あの学生時代ね、僕はフジテレビでバイトしてましたからね。
21:02
そしてまあね、我々この東京を扱う上でね、
一つポイントですが、
あの東京都庁を作ったのもこの人です。
ああ、なるほど。
うん。
あれじゃあ、あれか?
専門のあのビルももしかしてそうか?
えっ、マジで?同じなの?
ああ、そうだわ。
おお、なんと。
俺のあの専門、春東京に僕は通ってたんですけど、
あのビルも、今調べたらタンゲさんですね。
なんと。
めっちゃ関わってるじゃん、俺に。
そうだね。ちょっと俺ごめん、それ気づいてなかったわ。
じゃあ内田はタンゲ建築に育てられたり、すごい英才教育を受けてるわけですよ。
そうですね。
うん。
あら。
どうでしたか?通っていて何か気づくところはありましたか?
気づくところ?
建築的に、まあ目立つのはまず目立つけどね、あれね。
そう、あの新宿のね、西口出てすぐ家に入るあの真夕方のオクウンタワーって言うんですけど。
はいはいはい。
あれに僕は通ってましたね。
うん。
あれ、え、どう?って言われてもなあ。
通ってる身からすると、やっぱあのビルなんで、エレベーターが大変だなみたいなところは思ってましたけど、でもまあやっぱり目立つし、なんかこうなんだろう、まあクリエイティブを育てる場所じゃないですか、そういう専門学部なんで、まあそれがああいうなんか不思議な建物っていうのはちょっとまあテンション上がるというかね。
そうですよね。
普通のビルよりかは全然、なんか、なんだろう、違うことしてる感じは若干あって、まあなんか、良くも悪くもこう、なんだろう、自分の中に残ってるという感じはありますよね。
うんうんうんうん。まあタンゲ建造さんはね、その都庁も新宿ですけども、ああいうこの日本の戦後復興のその象徴的なね、力強さとダイナミックさっていうのがやっぱり持ち味の建築家の方で、このカテドラはまさにその代表作に当たるわけですけど、今後ね東京以外のところにも実は多く作品が残っていますので、今後また出てくる可能性も全然あると思っています。
でまあこのタンゲさんはただやっぱりこのカテドラに関してはすごく思い入れがあったみたいでして、実際彼が亡くなった時の葬儀もここでやられてるんですね、自分の作ったこの聖堂でお別れの葬儀をやっているということもありますので、あと有名どころで言うと吉田茂さんっていう総理大臣もいますけど、彼の葬儀もここでやっています。
なのでやっぱり東京の中にあるんだけれども、これもちょっとやっぱりこの広々とした空間というのがね、まあその鉄道網でいうところの空白地点にもちょっと当たっているので、実はこの辺の建築庭園というのはすごい作品が集まっているんですね。
24:01
地味にキリスト教のものを紹介するの初めてじゃなかった?
初めてかもしれないね。確かにお寺とかばっかりだったからね。そうかもしれません。まだ九州とかやってないっていうのもね、一つその原因あるかもしれないですね。
そうそう、だからこれキリスト教の現役の宗教施設であって、観光が100%ではないわけなんですよ。なので、曜日にはくれぐれもご注意いただいたほうがいいですね。
ミサをやっている時とかはその神徒の方がね、ここで祈りを捧げられていますので、立ち入ることができなくなっていたりとか、あとは結婚式とかも多分そうなのかな。ちょっとわかんないんだけど、
必ずしもいつ行っても入れるというわけではないので、そこは事前に調べてから行ったほうがいいかなというふうに思います。
ミサ この外観見るだけでもね、これはすごいなって。 それもすごいですね。というのがカテドラルの紹介でした。
そこからですね、5分ほど行ったところに次の庭園ですまた。鎮山荘というところをご紹介したいと思います。
ミサ これはもう言わずとしれたね。ホテルでもあるしね。 そうですね。鎮山荘というのは、椿の山の別荘の荘で鎮山荘と書いて、今内田が言った通りホテルとしてまず有名なところです。
これ行ったことあったりはしますか? ミサ いや、ない気がするな。 うんうんうん。でも名前はというところですよね。
なんかどういうイメージがあるとか。 ミサ いやもうまず、もう名門ホテルっていう印象はやっぱ強いですね。
ミサ で、やっぱりテレビとかでさ、その庭園もやっぱり取り上げられてるから、すごく広い庭園で、なんか運回?
あ、そうそうそう。そうなんですよ。そうそう。 ミサ っていう、なんかイメージはありますね。 うんうん。おっしゃる通りで、もうあの、東京の誇る名庭園のまあ筆頭と言っていいでしょう。この鎮山荘というのは。
あのー宿泊をすればね、もちろんいろいろもう1日中いろいろ楽しめるわけですが、まあ一般客であってもね。 ミサ ハードル高い。 ハードルは高いです。正直もう本当にとっておきの日じゃないとっていう感じ、僕ら庶民からするとしますね。
庭園はね、回れるからね。 ミサ 回れますし、あのー最近注目集めてることで言うと、アフタヌーンティーがね、ここ随分話題になってまして、カフェとかねラウンジもありますので、あの止まらなくてもそういったカフェの寮というところで楽しんでもらってもいいのかなというふうに思いますね。
はい。ただですね、今回はそのただすごいというだけじゃちょっとあれなので、そもそもこの陳山草とは何なのかという話をしたいと思うんですが、これをね作った方なんですけれども、これを作ったのはですね、山形有朋さんという方なんですね。
山形有朋というのは、いわゆる明治維新の元君、大功労者の一人で、総理大臣も2回かな、勤めてる、もうあの歴史の教科書でマストで出てくる人です。 山形有朋、今回ポッドキャストで初めて出てきたので、ちょっと話をしておきますと、
27:20
もともとは長州藩、つまり現在の山口県萩市を本居にしていた、いわゆる薩長土肥、薩摩長州土佐肥禅という明治維新に功績のあったね、強い力を持っていた長州藩の出身で、もう明治維新でも大活躍した人。
その後は主にですね、日本の陸軍を創設して組織して強行にしていくっていうことにすごい力を注いだ人で、陸軍と官僚組織とかね、結構ガチガチに固めたっていう人で、すごい手腕を持っていた人です。
その一方でね、ちょっと軍だったっていうの、軍が政治に絡んできたりとかっていうところもあってきたので、なかなかね、ちょっと老快な、ちょっと闇将軍じゃないけれども、結構ドラマとか小説だとそういう描写をされることもあって、いわゆるちょっとなんていうかな、ちょっと悪役っぽく扱われちゃうことも結構多い人ではあります。
若い解明的な政党の人たちが何か言っても、闇の力を葬り去るみたいなイメージを持たれがちな人なんですね。
実際それですごい内務官僚とか陸軍の大功績になった人もあるね。
ところがですね、実はこの人はさっきの細川勇才しかりなんですけど、もう東大随一の文化人だったんですよ。
この人ね、そっちの功績をね、もっとちゃんと知られてほしいなと僕はすごく思うんですね。
なんでこんなに思い入れというか、可愛くかっていうと、この人はですね、もう小田原ファンクラブの初代会長と言ってもいいような人でして、この人実は最後小田原で亡くなるんですよ。
箱根板橋というところにコキヤンというね、あの邸宅を構えて、今もこれ建物はないんだけど、庭園の跡地みたいなの残ってるんですけど、小田原に移住をしたんです、この人。
で、そこで別荘を構えて、小田原が好きで、彼が来たことで山形にともってすごい派閥とかもすごいやっぱり持ってた。
それがちょっとなんか闇っぽい感じを生んじゃうんですけど、その山形さんの派閥の人たちとかが小田原に邸宅を構え始める。
そういうわけで、山形有友さんが小田原に来たことで、小田原というのはすごい今ね、恩恵を受けているんですよ。いろんなところに。
で、最後実際に小田原の地で、その長い小根太の生涯を終えられました。
30:00
ので、僕からしたら本当にね、シンパシーを感じてしまいます、勝手に。
まあ、小田原をこうちょっと盛り上げたってことですね。
そういうことですね。当時にその気持ちがあったかはともかくとしても、小田原が結果的に盛り上がったのは間違いないです。
で、今でもその遺産を受け継いでいます。
で、この人はそういうわけで、政治家とか軍人としてはなかなかそういった悪者みたいに見られちゃう時もあるんですが、
特にこの庭園作りというのはもう尋常じゃないこだわりと知識と技術、技術というかディレクション、センスですよね、持っていて。
あと詩人としてもすごい、歌人としても文学的なその芸術的なセンスっていうのがめちゃくちゃ抜群にすごかった。
で、いわゆる山形有朋が作ったのが山形三名園なんて言われるんですけれども、
一つが小田原にある小木屋、もう一つが京都にまだ減損している無林庵、それでもう一つがこの鎮山荘になります。
山形有朋は西南戦争を陸軍を指揮してね、討伐成功したということで、ご褒美でお金もらって、それでこの鎮山荘の土地を買い占めてですね、
そこにもう自分の超広大な邸宅を作っていくんですね。
自分家ってこと? 自分家です。もともと自分家だったの、このホテルの敷地、自分家だったんですよ。
広大だよね。 うん。当時のこの辺りはまだそんなにね、今のようにまだ電車も当然走ってませんから、まあ土地があったというのもあったでしょう。
そこにだから山形有朋は、自分のもうセンスと神経を注いで、もう夢の庭園を実現しようとしたと。それが鎮山荘だったんです。
もともとね、江戸時代とかから、そういうちょっとまあ庶民の交絡の場所として知られてはいたんですけども、
この山形有朋がやったことで一気にちょっとそのレベルが高まったというか、がまあその由来です。
ところがですね、山形さんが作った庭園というのは残念ながら太平洋戦争の空襲で燃えてしまいまして、現在残っているのはほぼありません。
面影しかもうほぼほぼないという状況です。ただその後もやっぱり山形有朋の意思を受け継いだ人たち、この土地を所有していた人たちが頑張ってその土地、もう一回その鎮山荘の庭園で緑豊かな空間をもう一回復活させようということで、
戦後に庭園の復興に努めて今の景観が保たれていると。
じゃあ当時とはまあちょっと変わってるかもしれないけど、それを再現しようと頑張った結果が今あるってことね。
そういうことです。でまあねもう見どころを話し始めるとこれね本当に広いので、
これあの僕1時間ぐらいしか時間とってませんけど、本当にちゃんといったらこれ、まあアフタヌンティーとかも考えると本当半日ぐらいいても全然おかしくないようなところになってますね。
33:04
でまああのね中にはねこれすごいのはこの庭園の中にね、お寺のね三重の塔がね立っていたりするんですよ。
すごいなスケールが。
そうスケールがすごいんですよねこの人ねちょっとね。
あの広島県からね移築してきた、確か室町時代に作られたという、作られたと言われている国のね有形文化祭の三重の塔がねここに立ってるんです。
どうやって移築すんだろうね。
すごいよねしかもその昔のものをね。まあおそらく一度解体してたっていうことだと思うんですけれども、
これもやっぱりその財力とかねそういうのをなせる技になってくるわけですが、もうあったりとか、
まああの本当にいろいろあとね伊藤寂柱っていうまあ江戸時代の有名な画家がいるんですけどその人が彫ったと言われている彫刻も残っていたりとか、
なんかねもうとにかくいろいろすごいんですよ。鎌倉時代の灯籠があります、何時代の何がありますみたいので、
もう日本のその古美術をね、もういろんな凝集したような。
じゃあ庭園だけじゃなくて文化財的な面もあるわけですね。
もちろんです。文化財としてもここはすごいところ。歴史ある文化財としてもすごい庭園なんですけれども、
それをね生かす試みというのも今すごい現代的なセンスで面白い活動をされていまして、
先ほど言ったねその雲海が一つの例ですよね。でこれあれもあえてこの鎮山草の庭園にスモークというかね漂わせて、
まるで雲の上にこの庭園が浮かんでいるかのような、っていう催しだったりとか、
あるいはこれね僕が行ったことあるので言うと、ホタルをね見に行く催しとかもあるんですよ。
本物?
はい。この鎮山草の庭園の中にホタルがいまして、毎年ホタルが光を放ち始めるとそれがお知らせみたいな感じで出てきまして、
それ以降はねその夜にホタルを鑑賞するみたいなイベントもあったりしますので、
本当に季節ごとに、今やっぱりホテルというところでね、いかに観光客、宿泊者の方とかね、
を楽しませるかというのをこの文化財を使っていろいろ考えていらっしゃいますので、
その時々の楽しみ方によっていろいろ調べてもらえるといいのかなと思います。
なんかこう植物もね、結構四季で変わって、季節感をすごい出してる感じはあるね。
そうですね、はい。といった感じになっていますね。
で、これでですね、このいわゆる文京区のあたりの庭園というのを一回見終わったので、
ちょっといよいよ東の方に移動していきたいというふうに思います。
鎮山荘から徒歩10分ほどで例の江戸川橋の駅に戻ります。
36:00
ここから、これもう東京の時刻表なんてあまり気にしなくていいくらいなんですけど、一応ルートを言っておきますと、
江戸川橋から有楽町線で8分ほど行って、長田町という駅に降ります。
長田町の駅でやはり地下鉄に乗り換えて、半蔵門線ですね。
長田町に乗り換えて、そこから約30分ほど、これだいぶ東の方に行ってるんですけれども、
引き船という駅で泊まっていただきたいと思います。
その引き船から徒歩12分ほどのところにあるですね、ランチの場所ですが、河原の阿部というお店をですね、ちょっと紹介したいと思います。
これですね、天ぷらが名物になるお店なんですね。
ここら辺はやっぱ天ぷらは名物ですよね。
ここね、もうだいぶこういわゆる昔の江戸っぽい感じのね、ところになってきています。
隅田川のちょうど東側にあたる、いわゆる本当にもう江戸時代から、いろんな文化が育まれた、
我々がね、あんまり馴染みの薄い方の東京です。
東側のね、江戸城の東側の、もう本当に昔ながらの街の方です。
なのでやっぱりこういう、いわゆる江戸の料理とかっていうのを味わうに、やっぱりこの東側の方がね、いいかなと思いますので、
こっちに移動したからにはこういうところに行きたいと。
ただですね、この河原の阿部さんは、お店としてはその割と最近にできているお店なんですけれども、
ランチのメニューで言うと、なんといってもやっぱり天丼ですね。
向こう島名物、河原の天丼。これね、すごいんだよ。
はー、結構天ぷらが盛り盛りだね。
はい。かなりボリュームある。がっつり系です。
特にね、この天丼の中身なんですけど、エビとか野菜っていうのはね、イメージはなんとかつくかなと思うんですが、
ホタテだったり、あとね、特筆されるのはね、しんじょ。練り物みたいな、エビしんじょとか言いますけど、あれの天ぷらがですね、乗ってるんです。
へー。それはあんまり見ないね。
ね、あんまり見ないですよね。ただこれがおいしいんですよ、非常に。
いやー、うまそうだね。
ふっくらしてるのとサクサクの衣とでね、包み揚げみたいになっててね、その一番下がそうですね。
あー、これのレンコンと大葉も。まあ、挟み揚げみたいな感じになってますね。
そうそうそうそうそうそう。
あー、うまそうだね、これ。
これおいしくてね、でまあこれだけ見ると食べ切れるかなみたいに思うんですけど。
いや、食っちゃうでしょ、これは。
うん。だし、これね、こう見えて、実は油がね、米油というものを使っていらっしゃるようで、すごく軽やかなんですよね。
うん。なので、量を見たらもちろん多いなって思う。大きくてね、ボリューム満点なんだけど、お腹にはね、意外とね、こう変な負担にはならない。
39:08
へー。
うん。そこの含むところを含めておすすめですね。
あー、いいっすね。
うん。
いやー、天丼いいなー。
うん。
食いたくなってくるなー。
ちょっとね、我々お昼前でね、今ね、やってますからね。
うん。
お腹空いてるんでね。
はい。
うん。で、もう一つ実はこの河原の阿部といったときに、聞いてる方の中には、なんか心当たりがある方もいるのではと思うんですね。
ほうほう。
実はこの店、ただ天丼が美味しいというだけじゃなくて、とあるゆえで今めちゃくちゃ有名なんですよ。
へー。
それがですね、この人ね、YouTuberなんです。
え。
はい。
へー。
開かないチャレンジ。東京都墨田区向島で河原の阿部という天ぷら店をやっています。
へー。
チャンネル登録者数驚異の65万人。
ははは、すごいな。
えー、で、特に人気の動画で見ると、これだけは覚えてほしいボリボリきゅうりの作り方、再生回数662万回。
すげー。
っていうね、驚異的な数字を誇るYouTuberなんですよ、この方。
へー、知らなかった。
これ僕すごくお世話になってまして、特に一人暮らしをね、始めた時とか、これまかないなので、その天丼をこんなに作ろうとかって話じゃなくて、もう全然もっと簡単なメニューなんですよ。
サッとできるやつ。
サッとできるやつ。だって、一番美味い魚肉ソーセージの食べ方を教えますって言って、店主がみぐつから食べてる動画ね、これも275万回。
すげー。
うん。このYouTubeね、すごくわかりやすいんですよ。
ほうほうほう。
はい。
へー、いいな。ちょっと見てみようかな。
うんうん。いろいろありますね。ご自身でね、いろんなお店に行かれて美味しかったグルメレポートみたいのもあるみたいだけど、やっぱメインはね、料理の作り方でしょうね。
うんうん。
なんか興味あるのありますか?
いや、このとんてきもめっちゃうまそうだよな、これ。
これうまそうね。これが下町のステーキだ。絶品とんてきの作り方。
めっちゃうまそう、これ。
うん。
チャーハンも結構あるね、何個か。
そう。僕ね、このチャーハンかなりお世話になりました。
へー。
誰でも簡単。パラパラチャーハンの作り方はですね、もう本当に一人暮らしした当初に見ましたね。
へー。
うん。
しかもね、うまくできるんですよ。これに従ってるとやっぱり。
そうなんだ。
さすがですよ。
簡単なんだね。
簡単です。
へー。
で、それでいて動画時間7分だから、
確かに。
本当にさっと見れる。
うん。
うん。
確かに。
あー、もうピリ辛きゅうりとかもね。
うん。
もうあると助かるみたいなとこあるよね。
これなんかね、最近うちだんもね、お弁当とかを作って、
あー作ってる。
週末に作り置きをするっていうのが結構ルーティーンになってるっていうことでしたけど。
やったね。
うん。
ちょっと、なんか見て作ろうかな。
うん。
結構、漬物とか結構作ってんじゃなかった?
漬物は、まあたまにやりますけど、
うんうん。
まあでも、あのー、エバラの浅漬けとかね。
はいはいはい。
42:00
ちょっと簡単なやつしかやんないですけど。
うんうん。
あとは、あのー、こないだ秋田行ったときに、
うん。
安藤醸造さん入ったじゃないですか。
はいはいはい。
あそこで塩麹を買ったんで。
はいはいはい。
それにきゅうり漬けて、
あーいいっすね。
食べてもらいましたね。
うんうんうんうん。
あれはもう、ほんと漬けとくだけだからさ。
うんうんうんうん。
楽だし、うまいし。
そうだよね。
うんうんうん。
そうなんですよ。
こういうね、あのー、料理系YouTuberでも普通に出てくる。
へー。
だからこれ知らずにこの店のことを見てる人いるんじゃないかと思うんですね。
あーそうだね。
うん。
いやもやしそばうまそう。
これうまいよ。
うまかったこれ。
へー。
あのー、野菜がたっぷりとれてね。
うんうんうん。
しかも安いですから。
そうね。
うーん。
これ見るとまあ、もやしとニラと豚がちょっとあってるかなって感じ。
うんうんうんうん。
そう、すごい庶民的なんですよ。
うんうんうんうん。
このまたあのー、大将がね、いい味出してますよ。
いかにもこう、職人という感じなんだけど面白くてちょっと、ユーモラスでね。
へー。
うーん。
という、であの実際にやっぱりただ行くと、あのいつもは庶民の味方でね、誰でも漬けれるようなものをやってくれるんですけど、
やっぱ行って食べるともうプロのね、もうすごい味ですよやっぱりこれは。
うーん。
いやーいいな。
うーん。
ということでね、最近すごい注目を浴びているお店なので、
まあそのyoutubeぜひ見てから行くと、
ああこれがあの大将なんだと。
はいはいはい。
実物に会えるわけですね。
はい。
ということになります。
いいですね。
で、この河原の安倍の近くはですね、
実は今回のまあもう一つこう東側の庭園が集まっている時代になります。
はいはいはい。
これはですね、地域の名前で言うと向島というところになるんですね。
向う、えーと今から向うねの向うに島と書いて向島。
23区で言いますと墨田区になります。
うんうん。
で、先ほどのね文京区のねやつが結構こう山形有朋さんはじめ明治時代からのね話が多かったのに対して、
ここは江戸時代までのよりちょっと時代を遡った形。
やっぱり江戸幕府があった時にすごく、その時から都会だったというところですね。
はい。
で河原の安倍さんからですね徒歩15分ほど行ったところにある向島百貨園というところに行きたいと思います。
向島は地名の向島で百の花の園と書いて向島百貨園。
はい。
これがですねまあ向島のまあ一つの象徴的な存在と言っていいかなと思うんですが、
あのこれはもう本当に昔から江戸時代の頃からここに作られていた憩いの場庭園ということで、
百の花の園の名が表す通り本当にあの多種多様な季節ごとのお花がここで見られるというね。
はい。
あの公園になっております。
今このページ見てるだけでも梅とかの写真が出てますね。
はい。特にやっぱ梅とかはね特にその中でも有名なものになりますので、
あのいつ行くかによってもちろん見られるお花は違うんですが、
あのこの向島一帯にねまあ文人というかねこの向島ってこうなんていうかねちょっとイメージで言うと、
45:06
当時のその江戸幕府に仕えていた旗本とかの人たちがちょっとこうまあリタイアして殷居するときにここに行こうかなみたいなそういうイメージなんですよ。
だからちょっとしたまあなんていうかな少しこうゆっくりしようかなっていうところにがこの向島っていうイメージがあるんですね。
じゃあ実際行ってみてもこうまあ雰囲気としてはゆったりできそうな。
すごくゆったりしてます。向島というところ自体がですね。
まあそれでいってスカイツリーとかもすぐ近くなんですけれども。
で実際ここね向島百貨店を作ったのもあの佐原貴久さんっていう、これあの江戸時代のね後半に来た人なんですけれども。
難しい人だね。
うん。これねあの要はペンネームです。
あーなるほどね。
この人ねあの骨董商人だった人なんですね。
ほうほうほう。
でそれからあのまあ文化、文人の道にこうもう楽園居と言いますか。
商人としてのキャリア行ったねリタイアして、それでこう悠々時的に暮らそうといったところでまあこういうものを作ったと。
なんでその悠々時的っていうのはこの向島ある意味一番あのフィットするワードかもしれません。
うんうんうんうん。
なのでまあ当時からねやっぱり江戸っていうのはすごいもう世界の中でも有数の人口を抱える都市でしたから。
昔から都会なわけですよこの辺に関してはね東京都のこの辺に関しては昔から都会だったのでその中でちょっとこう隅田川の風流な感じでちょっと川を越えていわゆるもうオフィス当時のオフィス街からはちょっと離れて少しゆったり暮らそうといった方がここに来る。
あーなるほどね。
そのまあまさに象徴的なのが百貨園で実際にこの百貨園でもねあの江戸時代からあのそういった悠々時的な人たちの集まりみたいなサロンみたいなもんね形成されていたようです。
で、まあその向島百貨園からそういった悠々時的文化をねちょっとたどっていきたいと思うわけですが、徒歩12分ほど歩いたところに向島こととい団子というものがあります。
こととい団子というのは言葉、言語の言ですねに問題の問答ということですね。
で団子こととい団子というものでこれも江戸時代から続いているもうシンプル・イズ・ザ・ベストの団子です。
えー。
はい。
やっぱあそこら辺の地域ってこう死に性が多いイメージはやっぱりありますよね。
そういうことです。
まさにそのイメージですね。
逆にそれはこっちのこう西側の方だと、なかなかその江戸時代からというのは珍しいかもしれないですけどね。
であのこととい団子というのはですね、今ちょうどホームページを見て出てきておりますが、由来なんですけれども、
何しようあば、いざこととあん宮小鳥、我が思う人はありやなしやと。
ほう。
これは我々習ってるんです。
え、うそ。
中学3年生か2年生か忘れちゃいましたけど。
48:02
え、習ってないよこれ。
はい。
まああの我々一番だらけていたような時代ですので、これですね、有原の成平という人が読んだと伝わっている歌で、
伊勢物語という古典文学やったはずなんですけれども、これにまああの由来するものなんですね。
なるほど。
で成平っていうのはまあ都京都にいたわけですけれども、まあいろいろあって東京の方になんか来ちゃうわけなんですよ。
でその時にこの墨田川のかかっていた、この墨田川の私でこの都を思い出して、我が思う人はありやなしやというふうにちょっと都を懐かしんで歌ったという、
まあもう有原成平の代表作がここで歌われたということに由来してこのこととい団子のができているわけですね。
なるほど。
でそれで言うともう覚えてるかわからないんだけど、今さ東武鉄道か、半蔵門線って乗り入れてるじゃないですか。
今あの東京スカイツリー駅っていう駅になってると思うんですけど、あれってスカイツリーができるまでは別の名前だったんですけど、
それはねわかんないわ。
我々が中学生の時まだ。
うんそうですよね。
これが成平橋だったんですよ。
あそうなんだ。
いやそっちまでね行ったことなかったからね。
そうだよねまだあの時はね。
実は我々は半蔵門線はね結構ゆかりが深いんですけれども、だからあの案内表示とかでは見てたはずなんですよ当時からね。
なるほどね。
多分目に入ってないんだろうね。
そうねあんまり地域はなかったからね。
そうなんです今でこそスカイツリーという名が変わっちゃったんですけれども、
当時はだからこのことどい団子と同じように有原成平にゆかりのある地として有名な場所だったわけですね。
なるほど。
という感じです。
でまああのことどい団子自体はですね本当にもうシンプルな三色団子でして、
もうこの白、小豆色、黄色というねもう本当に綺麗なQ型のね。
かわいいね。
本当にシンプルなんですけれども美味しいんですよ。
すごくね口当たりが滑らかでですね。
昔からもうもたせにももうあの有名なもうブランドですし、
あの実際ここお店に行くとですねもちろんお土産でもいいんですけど、
あのイートインもできます。
なのでちょっとしたまあ席であのこの3つとお団子のセットとお茶をいただくっていうようなこともできますので。
いいですね。
ちょうどその河原の阿部さんで天丼をいただいた後のデザート代わりとしていいのかなというふうに思いますね。
このおもたせっていうこの箱をさ紐で縛ってこう上に長いのがギョーって。
昔のアニメでよく見た酔っ払いのお父さんがもう帰るみたいな形になってますね。
なかなかこの形状というのもね一つのこうそういった場面すら想起させる形状ですよね。
51:01
なんかねアイコンみたいな。
アイコンになってますよね。
だから本当に昔ながらのね。
こういったのさっきのね100回しかりですけれどもおそらくまあこういった向こう島で悠々時的に何かの集まり歌の会なのか歓月の会なのかねやろうとしたときはこのことどい団子が多分活躍したんだろうと思いますね。
お団子の原点を守りというねキャッチでお団子の確かにこれ以上の限定はないですよこの丸いね。
次にですねだんだんこれ実はの南の方に向かって行ってるんですけれども墨田川沿いにね。
ことどい団子から3分ほど行ったところに幸福寺というお寺があります。
ここはですねまあ禅寺なんですけれども。
あのなんでここをわざとりあげたかというと墨田川七福神というねそういう優位賞があるということももちろんなんですが実はここを作ったプロデュースした人がですね小田原藩なんですね。
ちょっとだいぶ入り込んでしまってる。
だいぶ入り込んで山形有ともしかしそうなんですけれども小田原藩主稲葉正則という人がですねここを作ろうと思った人ですね。
で作る支援をした人。
でその彼が経営していた鉄流禅寺という人がいたんですけれどもこのお坊さんが実際にここの住職で作ったという人で鉄流禅寺もね小田原にもゆかりのスポットがあったりします。
でもこれお寺としてもすごくてですねちょっとこれ我々聞いたことあるかあれなんですけれども我々も禅宗とゆかりが深いというのは過去に何度か話したと思うんですが大漠宗って知ってますか。
いやわからないな。
そう我々はね総統宗道元禅宗のね話はよく知ってますけれどもこれはねそれとはまた別系統の禅宗で江戸時代に中国から大体入ってきたと言われている大漠宗っていうねちょっと字が難しいんですけど黄色いね
幕はこれ何て言うかなこの大幕以外で見たことないんだよな。
壁っていう字の下が木になってる。
ああそうそうそういうことそういうことっていうね宗派なんですよちょっと特殊なね宗派でしてこれがねその禅寺がねここにあって昔から本当にでもねあの江戸時代からすごい厚く推計を受けていた地域の中でも存在感のかなりある寺になっております。
でも江戸時代に入ってきてるっていうのはまあ比べたら結構新しめな感じですよね。
そういうことなんですよそう新しいんです結構でねまあこれ一つ特殊別ちょっと深掘りのポイントとしてはですねこのお寺自体まあ言ってもすごくこう参拝ができて中には確かあんまり入れなかったと思うんですけれども
境内の雰囲気はその風格というのはよく感じることができます。で実はここでこう修行をした人というのが有名な人が一人いましてそれがですね葛階宗なんですね。
54:04
葛階宗といえばですね幕末の頃徳川家に仕えて江戸城無血会場を実現したというあの爆心で坂本龍馬さんの師匠でもあったりとかっていうねあの東京っていろんな出身者の人いますけど東京っぽい江戸っぽい出身者っていうと結構この人筆頭に上がってくるんじゃない。
今の東京戦下から守ったという未来もあってねっていうまあすごい幕末の頃のヒーローの一人ですけれども彼はですねあのすぐこの近くに生まれてるんですよ本庄というところに生まれていて
青年の頃だいたい中高生ぐらいと思うんですけど今で言うとねここで精神修養のための修行をしに来ていた。ここにね参禅しに来てたんですっていうのはね自分が言ってるんですね間違いない事実なんでしょう。
でちょっとですねこれ僕この話をややしたくて向こう島にこじつけた感じがあるんですけど勝海修がなんでそんな精神修養をしなきゃいけなかったのかっていう話なんですがこれですねちょっとかなり歴史オタクの話なんですけど勝海修っていうのは当然有名で誰もがもう教科書で見たことのある人でしょう。
ところがこの人のお父さんって何者だったか知ってますか。
いや全然わかんないよ。
これね僕大好きなんですけど勝小吉っていう人なんですよ。勝さんですからね。
でなんで好きかって言うともうねとんでもない親父だったの。こんな人世の中にいるのかってぐらい変な人だったんです。
ダメ親父。
ダメ親父です。本当にダメ親父だった。あのね勝海修が立派に育ったのは親父を見てたからだと思うんですよ。
反面教師で。
何してもダメなの。すぐ酒飲んで暴れてクビになってまた懲りないでどっか行っちゃってまたそこで喧嘩してなんか怒られてそれでなんか一時期反省するんだけどまた懲りなくてなんかやらかすっていう人生で息子に家族に迷惑をかけ続けた人生だったと。
言うんだけどここまで聞けばただのダメ親父なんだけれども彼はですね憎めないのはすごく可愛いがあるんですよ。あのね反省はしてるんですちゃんと一応。何をやったとき。
毎回ね。
そう怪我またやっちゃうんだっていう人で。
それはダメな気がするけどな。
でねちょっともう今日私持ってきたんですけど。
かつ小吉はですねこのダメ親父だったんだけども著書を持ってるんですね。
タイトルが無粋独言夢に酔う独り言というなんかちょっとまたね大丈夫かっていうタイトルなんだけれども。
あのこれ書いてるんですよ。でこれ現在もね文庫になってます。
でなんでこれをわざわざ持ってきたかっていうのはこれでまさにねその当時かつ小吉が少年だった頃青年だった頃のことも書いてあるわけなんですね。
57:04
でこれね原文今からまま読みますよ。
これ訳文じゃなくて原文ね。原文を最初の冒頭読みますと。
音読させていただきます。
俺ほどの馬鹿なものは世の中にもあんまりあるまいと思う。
ゆえに孫や彦のために話して聞かせるが、よくよく無法者馬鹿者の戒めにするがいいぜ。
っていうところから始めたら。
まあまあもう訳すまでもないと思うけど俺ほどの馬鹿なものは世の中にない。
でもうよくよく反省はして馬鹿だから反省のためにもうここになぜ俺がこんな馬鹿なのかということを書いておくと。
だから自分の子孫たちは俺みたいにならないようにこれを見て反面強者と思ってくれというふうに書いてるんです。
なるほどね。
っていうことを大真面目に書いてる。
なんかね根は腐ってないんだろうなって感じはちょっとあるね。
そう多分悪い人じゃないんですよ全然。
しかもおかしいのが途中にゆえに孫や彦のために話して聞かせるが、これね孫ってのは孫です。
彦ってのはねこれ非孫のことです今で言う。
なぜ孫や彦のために言うのか。
それは子供が優秀すぎて何も言えなかったから。
これ本当の話なの。
しかもなおおかしいのはこれを書いた時に回収に子供は生まれてないから、まだ生まれもしない孫や彦は俺みたいな馬鹿なのになるんじゃないかと思って。
その器具から書いてる。
なるほどね。
子供はあまりにも優秀で俺が何も口出していないから。
回収には言うことない。
言うことない。
だからでも回収の息子はまだ見てないから。
わかんないから。
もしかしたら馬鹿になるんじゃない。
俺の条件ついてる以上。
だからそのもしかしたら馬鹿になるかもしれないから俺が書いといてやろうって思ったらしい。
なるほど。
でこれを書くわけだ。
まあいい人ではあんだな。
そうそうそう。
でまあ書いてある内容もすごい結構長いんですけど。
この人あの、ろくに仕事もしてないんですね。
これちゃんと馬鹿の侍だったんですよ。
この人一応。
だから仕事しなきゃいけなかったのに、なんかめちゃくちゃなことやってるから、全然仕事もしなかったんです。
生涯。
うん。
で、いつもなんか変なことばっかりしてた人なんだけど、その反省記みたいなのが書いてある。
二重の意味のね。
自分の今までの人生と、なぜ俺はこんなに馬鹿になってしまうのかっていうのが書いてある。
なるほどね。
でこういう今みたいなね、我々の知ってる古文とは全然違う交互体で書いてあるので、これ面白いです非常に。
興味ある人は是非無垂独言、すぐ出てきますので、読んでみていただければ。
へえ、仕事もしてないのにそういうのは書くんだ。
暇だから。
趣味みたいな。
時間はあったんですよ。
でしかもこういうことやってないと飲んじゃうから。
でまたなんかやらかしちゃうから。
そうか。
そう。
今しめもある。
今しめのために書いてる。
っていうこと。
でしかも自分の今しめといえず孫彦、生まれもしない孫彦で、もう自分は諦めてたのか知らないんですけど。
でお父さんがいたので、改修はその分頑張んなきゃいけないんですよ。
1:00:00
なるほど。
この人がろくに仕事しないから。
で妹もいればお母さんもいればで一家養わなきゃいけないわけ。
なるほどね。
っていうストレスからおそらくこの幸福寺で、ちゃんと全集を収めてね。
偉いね。
ででまぁ余談ですけど、ここまで言うと僕はこの勝小吉を非常にバカにしてますが、
あのー、書いただけやっぱ偉いと思うしね、これ面白いんですよこれすごく。
腹ん番上な人生なんだけど、なんか笑えちゃうんだよね。
憎めないんですよこの人すごく。
で同じように、坂口安吾っていう小説家が昭和時代にいるんですけれども、
その人がね書いた安吾史談っていうね人物伝みたいなものがあって、
そこにね、わざわざこの勝小吉、勝無垂ってこれ小吉のことなんですけど、勝無垂っていう章を書いて、
無垂この小吉がいかにバカだったかってことをまた紹介してるんですけれども、
でも安吾が言ってることに僕はすごく思い当たるところがあって、
確かに小吉はバカでしたよ。
あのどうしようもない親父だったけれども、
これよく読んでると、なんかね人助けのために喧嘩してやらかしちゃったりとかってことを結構してて、
なんかね熱い情熱を持った人ではあったんですよね。
で安吾は確かに似ても似つきもしないしょうもない親父と優秀な息子だったんだけれども、
その情熱の分量を持っていたものは親子だったと。
それを何にかけたかだけの違いだったっていう風にして最後結ぶんですよ。
それもまあ一つ捉え方の一つではあるなと思って、
僕はそれでこの勝無垂を大好きでして、
実は小田原の本屋にも自分のやってる本棚にもこの勝小吉の本は置いてあったりします。
なんかちょっと江戸っ子っぽい感じなのかな。
まさにねそれがね言いたかったんです。
この人ねいわゆる江戸っ子っぽいんですよ。
ちょっと人情味があって喧嘩っぱやいみたいな。
で憎めない。酔い腰の金は持たない。
まあそもそも働いてないし。
この人の人生はだからドラマチックではあります。
息子が有志で救われたというのが本音だと思いますよ。
そのおかげで名前も残ったので結果的にこの人の方も。
ということでね、そのどうしようもない親父からのストレスから逃れるために、
この幸福者それを救ったというお寺なので。
勝海州ゆかりのね。
で実際墨田区は勝海州というのはすごい謙称してるので、
墨田区役所の前にも勝海州のゆかりの石碑が立っていたりとかしますし、
なので本当にこのあたりが彼の地元と人格形成に大きな影響を及ぼしたというところですね。
ということで一旦おおむねこの墨田区のあたりの話はしました。
で最後ちょっともうこの辺になってくると夕方になってきたので夜の方に行きたいと思います。
でせっかくですねこの江戸っ子情緒あふれるところに来たので、
ちょっと最後に一つだけ寄りたいのがですね、
幸福寺から徒歩11分ほどのところにことどい橋、バス停があります。
1:03:02
でそこから飛ばすに乗って上野公園行きというものに乗ります。
で墨田川を渡るんですね。
で墨田川を渡った先は台東区です。
台東区といえば浅草ですね。
なので区がちょっと変わりました。
でそこにあるイリア2丁目というところで降りていただいてバス停でね。
そこから2分ほどのところに池並正太郎記念文庫というところに観光地としては最後に降りたいと思います。
池並正太郎、名前はご存知かもしれないんですけど。
名前はね聞いたことある。
本当に昭和時代に主に活躍したもう時代小説のもうおそらく日本で一番有名な作家と言ってもいいでしょう。
歴史小説の柴良太郎、時代小説の池並正太郎、藤沢周平、一平二太郎なんていう言葉が生まれたほどの。
もう本当に国民的な知名度を誇った作家ですね。
この人はもう浅草生まれのチャキチャキなんですよ。
だからやっぱり江戸時代の時代小説というのはもう本当に骨身に死に渡った感覚から生まれる本物なんですよ。
代表作で言うと今もドラマでありますけど鬼兵繁華町とかね。
それの原作者ですね。
なので台東区にやっぱり地元にこの人の記念文庫がありまして、もう池並ファンはもうここは必見ですね。
展示物としてはですね、もう池並正太郎が残したもう本当に膨大な本の初版本ですとか、彼の書斎も再現されてまして。
ちょっと不思議な感じなんですけど、ガラスケースの中にその書斎が保存されている。
フプリで保存されているようなイメージですね。
彼が実際に執筆していた部屋とかもイメージはつくわけですね。
すごい本の量だね。
これがないと書けないんだろうね。
そういうことでしょうね。
生前のままに復元しているということですね。
すごいなあ。
ごちゃついてはいるけど、ここで集中して書いてたんだなっていうのが分かりますね。
そうですよね。まさに文豪というか、そんなイメージですよね。
あとはね、時代小説が興味なかったとしてもなんですけれども、池並正太郎さんってファンの方、いろんなファンの方いると思うんですが、
一つポイントとしては、めちゃくちゃグルメ。
もう食通といえばこの人。
料理とかね、男の流儀みたいなところにすごくこだわった人なんですよ。
いわゆる江戸の粋ってやつです。
野暮なことはしない。粋な人生、粋な振る舞いをするっていう。
だからそこもこのタイトークっていうチャキチャキの、いわゆる東京じゃなくて江戸の文化の中に育った人なので、やっぱそれは教育もあったでしょうし、
1:06:06
自分が見てきた大人、あるいは自分が過去の世界の中におった昔の江戸子たち、かつ無粋もその一人だったかもしれませんけど、
こいつもしょうもなかったけれども、江戸っ子っぽいっていうイメージがついている。
なぜどっこっぽいイメージって我々は想起できるのかというと、たぶんこの池上翔太郎さんの作品に描かれたキャラクターたちの影響もかなり大きいと思います。
鬼兵もそうですよね。
なのでね、時代に歴史に興味がなくても、例えば僕が好きなのはウイスキーの飲み方一つをとっても、
バーでの振る舞い方とかっていうこともこの人いろいろ書いてるんですよ。流儀、作法とかね。
なのでそういった面で読むと、いろんな読者を獲得できるのかなと。
我々としても入りやすいかなと思いますね。
お酒の飲み方はね、結構参考になりますね。
それはちょっと俺も気になる。
ただ、我々はちょっとできてないですね正直飲み方。
ちゃんと大人っぽく、大人になりたいとか言ってる場合じゃないんですよ。
本当にそういうことを池上翔太郎さんはよくおっしゃってましたね。
なのでね、いろいろとそれましたけれども、もちろん池上翔太郎さんファンは時代小説の面から入ってくださってもいいですし、
居合の品とかね、書斎とかが見れるという話をしましたが、
ここから要はどういうふうな彼の域、ダンディズムというか、ものが形成されていったのかっていうところも含めてですね、
その人となりと彼を育んだ環境にもすごく迫ることのできる、いい資料館になっております。
居合品もね、万年筆、パイプ、帽子、ステッキ、なんか素敵なおじさまって感じだね。
そういうことなんですよ。一言で言えばいい年の取り方をしろっていうことなんですよね。
すみませんでした。
頑張りましょう、我々も。
まあ余談ですけど、これ今着くのが16時45分くらいの想定をしてて、
もう15分しか見れる時間ないんじゃないかとかって思うかもしれないんですけど、
これね、僕が嬉しいのはですね、なんとこれ月から土曜日ね、午後8時までやってるんですね。
珍しいね。
そうなんですよ。僕もこれなので初めて行った時ね、仕事帰りで行きました。
なので4時45分で全然間に合います。土曜日であれば。日曜祝日は5時までなのでご注意ください。
っていうね、これもちょっと面白いところですね。
朝9時から夜8時まですごいね。ほぼ半日巻いてるんだ。
そう。平日の夜とかだからちょっとね、なんでしょうこう、
例えば金曜日とかでもうバカみたいに飲むんじゃなくて、
それはいいんだけれどもこういうところに行くと、
ちょっといい、やっぱ大人にならなきゃダメなんだなという、今しみにもなるかもしれませんが。
そういう平日の夜のいい過ごし方の提案としてもね、一つあります。面白いです。
1:09:04
午後8時までやってます。
入館無料だし。
そうなんですよ。区の施設なのであくまで。
お待たせしましたというところで、そっからですね、7分ほど歩いたところで、
今日の夜ご飯の場所です。行くのが浅草一門本店さん。
一門というのは、いわゆるお金の単位、一つの文と書いて一門ですね。
浅草一門、これなぜここに来たかというとですね、
ちょっとクイズではないんですけど、
これね、われわれ東京に床になる人結構困るクイズじゃないかと思うんですけど、
例えばじゃあ他の地域から上京してきた人に、
東京の名物グルメって何かない?って言われたとき何て答えますか?
それはね、本当に迷うんですよね。
名物ね。
何だろうね、多分その場所にもよるんだろうけどね。
江戸前寿司とか、さっきの天ぷらとかもそうかなっていう感じだけど、
これっていうのはなんかあんまり思いつかないよね。
僕もこれも同じ気持ちです。
お寿司って言ったらもはや江戸前がもちろん発祥だったとはいえ、
いろいろもうあるじゃないですか。
もう全国どこでもあるからね。
そうそうそう。
だからこういわゆる大阪の粉紋の文化だったりとか、
あるいは仙台の牛タン、博多の明太子、もつ鍋みたいなさ、
いわゆるあそこまでの際立ったものがね。
そう、わかりやすいものがあんまないんだよね。
そうなんだよ。
っていうのに対するアンサーがですね、ここにあるんですね、実は。
この浅草一門に行くと、今度からもしその質問に困ったら、
江戸の東京の郷土料理っていうものが実はあるんですよ、ちゃんと。
しかもめちゃくちゃうまいんです、これ。
ということで、何を食べるかということなんですけれども、
ネギマ鍋。これ聞いたことありますか?
これはね、俺なんかテレビで見たな。
あ、本当に?
これはネギマっていうとね、やっぱり焼き鳥のイメージがありますけど、
ネギマ鍋はネギとマグロなんですよね。
おっしゃる通りです。
これはなんか見たことあるわ。
これがですね、いわゆる江戸時代が続いている江戸の郷土料理なんですね。
もう説明は今内田が言ってくれた通りなんですけれども、
お鍋料理でして、お野菜をね、確か先に入れるんじゃなかったかな、ちょっと忘れちゃったんですけど、
ネギ、青ネギとかをもうふんだんに使って投入して、そこにマグロ、生のマグロを入れて、
ちょっと火を通していただく。野菜と一緒にいただくというね。
シャブシャブみたいな感じ?
そうそうそう。もうちょっと煮込むかな。
ああ、なるほどね。
っていうのがね、ネギとマはマグロですね。
ああ、なるほどね。
1:12:00
それがネギマ鍋っていうものなんですね。
これがですね、この浅草一門さんの名物になっているわけですね。
実際、これすごく美味しくてですね、マグロって言うとどうしても生でね、我々はもう食べるイメージあるんですけど、
これね、江戸時代の時とかはマグロって捨てられてたなんて話もたまに極端な話聞きますけれども、
いわゆる、あの、下道と言ったらちょっと極端ですけれども、あんまりこう、食卓のメジャーどころではなかったんですよ、当時。
まだ保存技術の問題とかもあって。
ああ、なるほどね。
だから、今も港町の近く、小田原町ですこうですけれども、港周辺でしか出回らない魚ってあると思うんですね。
保存状態でもうすぐ食べなきゃいけないとか、値段があんまりつかないとかね。
それ以外マグロは当時それだったわけですよ。
なるほど。
だから江戸の人たちは、マグロをね、仕入れたはいいけれども、マグロかよってなってた時に、でも捨てるのもったいないってことで、
火を通して、ちゃんと臭みとかもうまくこう薬草とかで消したら、煮込んだらじゃあうまいじゃんってことで、このネギ真鍋ができたと言われてる。
なるほどね。
うん。ちょっと今の感覚からするとね、不思議な気もするんですけれども。
確かにね。
うん。
この鍋のお出汁はどういう感じなんですか?
醤油ベースですね、もう完全にね。
なるほど。
うん。
まあ割り下ってわけじゃないけど、そういう感じか。
そういうことになりますね。
まああのネギ真鍋もね、もうここの浅草一門さんが非常に有名ですけど、他にも食べれるお店はあるので、
うん。
うんうん。まあこの多分いろいろ、名台とかってちょっとどこまでがね、ネギ真鍋の中の名台とかあるのかもしれないんだけれども、
そういった意味合いもありますので、多分そこは各店舗によってちょっと違うかもしれませんが。
うんうん。
うん。だからどっちかというとこう、深く甘い感じの煮込んだ醤油みたいなイメージが僕は持っていますね。
うんうん。
上品な感じの。
うんうん。
まあ東京のだしって感じですね。
そういうことですそういうことです。
うん。で、なのでね、あの一門さんに行ったら、まあぜひ、まあちょっとねお鍋なので2人以上の方がいいかなとは思っているんですけれども、
ああそうですね。
うん。あのこのネギ真鍋を食べていただくというのが、東京の郷土料理のアンサー。
なるほどね。
うん。これは本当に東京の料理です。江戸の料理です。
そうか。
うん。
これはちょっと覚えておこうかな。
うん。かつまだあまり全国にはね、そんなに広がってないと思われますので、えーというところを実はご紹介したかったと。
なるほど。
うん。
これメニュー見てるとさ、
そう、はい。
金額のところがモンになってるね。
はい、まあお気づきになりましたかということで、まあ面白いですよね。
へえ。
お決まり、一門イコール100円。
なるほど。
でもあくまでもモンなんですよ。
へえ。
メニューがすべて。
この今、江戸ネギマ鍋が48門って書いてあるけど、
はい。
ってことは4800円。
そういうことです。
ってことなんですね。
二人前4800円と書いてありますね。
なるほど。
へえ。
なので雑炊セットは10門なので1000円。
はいはい。
1:15:00
ネギトロ、ネギマトロステーキは9門900円とかね。
なるほど。
そういった感じです。
ちょっとこれバグりそうだよね。
面白い、そう。
頼み過ぎちゃいそうだねこれ。
そう、酔っ払ってると、あ安いなって。
みたいな。
とんでもないみたいになってる。
早間で言うと36門かみたいな。
ああ。
って言ったら3000円くらいなので結局ね。
なるほどね。
はい。
ああ。
なんでもね、この一品物もすごくおいしくて、
僕もこのネギトロステーキは確かネギマトロステーキかいただいたんですけれども、
まあそうだね。
これおいしかったですね。
なのでお鍋が煮込んで出来上がるまでの間に、そういった一品物。
あと江戸風厚焼き卵なんていう物もね、ありますので。
ああ。
はいはいはい。
あとこの野菜もね、実はね、鍋に入れるお野菜も、これね、あんまり聞かないと思うんですけど、江戸野菜って言われるね。
うーん。
亀戸大根。
へえ。
へえ、知らない。
そう、これを受け継いでいる、すごくもうだから今レアですよね。
農地なんてあんまりないじゃないですか、もう東京にね。
品川で作ってんのかと思うもんね。
そうそう、ただ当時の品川ってね、やっぱりその今みたいな新幹線のビル群とかじゃないですから。
はいはいはい。
はいはいはい。
でも今でも使ってるわけじゃん。
だと思うんですよね。
ちょっとこう実際どこの農園でとかは全く調べられてないので、
はいはいはい。
ブランドを継承してるだけなのかもわからない、ちょっとごめんそれはわからないんですけども。
ただそういったこだわりのね、野菜を使っているのは間違いなくて、やっぱりこのネギ真鍋を筆頭に江戸時代からの文化、東京の郷土料理っていうものをね、ちゃんとあるんですよということを示しているわけです。
はいはい。
で、本店の他に別店もすぐ近くにあるんですけど、この本店に関して言えば、地区およそ70年の古民家ということでね、雰囲気も抜群です。
いい雰囲気ですね。
時代劇のセットのような、そういったイメージで、ちょっと鬼兵気分じゃないですけど、ネギ真鍋をねいただいて扱んでみたいな感じで、雰囲気も抜群なので。
いいですね。
外国の方とかもやっぱりね、すごくここは人気だと思いますよ。
いいかも。
もし海外からのゲストを呼ぶ、お招きして届くときがあれば、それこそ雷門とかもすぐ近くですから。
そうですね。
ここは非常にいいと思いますので、東京の郷土料理というのをご紹介したいと思いました。
なあ。
はい。で、まあ本来であればいつもならここから二軒三下って行くわけなんですけれども、ちょっとあいにく僕がですね、あんまりこの浅草近辺実はそこまで強くない。
この浅草一部も実は仕事のちょっと関係で行ったというところもありまして、その後もう一回プライベートに行ったんですけど、あんまりこの辺のバーとか実はね知らないんですよ正直。
なので、ただね、どこに泊まるかというところも含めて、この後はもう自由解散でいいやいいのかなという気も正直しています。
新宿ならば新宿でもちろんいいものがあるし、東京駅ならば、東京駅の方が近いですね、浅草からならばね。
もちろんご自宅に帰るって選択肢も多分全然あると思いますので。
1:18:01
一応言うと浅草一問は、本店さんは筑波エクスプレスの浅草駅、浅草駅って結構離れて二つありますからね、ご注意ください。
筑波エクスプレスの浅草駅です、あくまでも。
から徒歩3分くらいなので、それで筑波エクスプレスから乗って各自のホテルあるいはご自宅へというところで本日の行動を終えたいと思っております。
じゃあ1日目を振り返っていきましょう。
まずスタートは東京メトロ有楽町線の江戸川橋駅ですね。
ここを10時に出発するというスタートです。
そこから徒歩15分、衛星文庫、長い青い文庫ですね。
ここが熊本藩主の細川家にまつわる文化財とかが展示されてる。
そしてあと春画展とかちょっと特殊な企画展もあるということなので、今行きたいときに何やってるのかとかを1回チェックしてもらってね、行くといいと思います。
そこから徒歩10分、東京カテドラル聖マリア大聖堂。
ここはもう外観はすごく近代的なかっこいい建物なんですけど、中入ると石の壁の神秘的な教会ということですね。
教会ですから、入れるかどうかはちょっと確認が必要かもしれないですけど、外観だけ見るだけでも楽しめると思いますので。
そこから徒歩5分、沈山荘ですね。
ここはもう名門ホテルですけど、お庭もものすごく広くて、植物もたくさんあって、お庭だけでも見どころがたくさんあると思います。
そこから徒歩10分で江戸川橋駅に戻って、そこから有楽町線で永田町駅。
ここで半蔵門線に乗り換えて、引き船駅ですね。
そこから徒歩12分、河原の阿部さんでお昼と。
天丼ですね。すごく天ぷらが大振りで、盛りだくさんの天丼ですね。
ここでお昼を食べて、そこから徒歩15分、向島百貨園ですね。
お花がわりとメインの庭園っていう感じですかね。
そこから徒歩12分、向島こととい団子ですね。
もうシンプルイズベストな3色団子ですね。
ここでイートインできるし、テイクアウトできるので、お土産でもいいかもしれないですね。
1:21:00
まさに池上翔太郎さんとかもここはすごく愛したという江戸っ子の誇るお団子ですね。
ここでちょっとおやつって感じですね。
そこから徒歩3分、幸福寺ですね。ここは何州だっけ?
大漠州。
大漠州。ちょっと珍しい全州ですけど、それのお寺ですね。
葛藩州がここで精神修行をしたというお寺ですね。
ダメオヤジのお寺。
っていうお寺ですね。
そこから徒歩11分、こととい橋のバス停ですね。
そこから戸バス、戸バスちょっといろいろ系統が複雑で、
なんでちょっと間違えないようにね、上野公園行きに乗っていただければ。
確かね、本数もそんなに多くなかったと思うんです、この系統。
なのでちょっと時間とかは要注意かもしれません。
できれば調べておいてもらってね。
そこでこととい橋から9分ほどですね。
入谷2丁目のバス停でおります。
そこから徒歩2分ほど、池並正太郎記念文庫ですね。
ここは池並正太郎の記念館ですね。
約700冊の書版本とか、あとは書斎とかですね。
とか居合の品、品とかが展示されてるということですね。
そこから徒歩7分、浅草一門本店さんですね。
ここで晩御飯。
東京の郷土料理、あんまりこうパッと思いつかないかもしれないですけど、
ネギまなべっていうのが東京の郷土料理ということなので、
それをいただくと。
そこから最寄りの駅が徒歩3分ほど、
筑波エクスプレスの浅草駅ですので、
そこから各自それぞれのホテルとかご自宅とかに帰っていただくと。
自分の好きなお店とかもあるでしょうから、
それを2軒目、3軒目に行くのも全然いいと思います。
という感じで1日目が終了ということですね。
この番組ではお便りを募集しています。
番組の感想、質問、リクエスト、旅の情報、不増他など何でも結構です。
番組概要欄に記載しているお便りフォームのURLから投稿をお願いします。
またYouTubeのチャンネル登録、高評価、コメント、
それからポッドキャストのフォロー、レビュー、
そして我々の関連SNSアカウントのフォローなどよろしくお願いいたします。
1:24:01
そして感想をつぶやく際は、
ぜひハッシュタグおとたびポッドキャストをつけて投稿していただけると嬉しいです。
これ結構俺の知らない東京という感じだね。
我々あまりこの辺りないんですよね。
なんとなくのイメージはね、
浅草の戦争時の周りとか、スカイツリーの周りとかはなんとなくイメージあるんだけど、
こういう庭園とかはやっぱりあまり行かない。
そうですよね。
なので今回ね、東京のコースということで僕こういう風にしましたけれども、
例えば地方から東京で行って、やっぱ王道のところも行きたいなってなったならば、
向島のところちょっと途中で切り上げたりして、スカイツリーとかすぐなので。
あとは浅草もね、池上翔太郎さんのほう今回行ってますけど、
戦争時から全然行けますので、そういったの回ってもいいかもしれません。
そうですね。この1日で回るとしたらそこら辺だよね。
引き船駅の近くはスカイツリーが。
そうだね、まあまあそうだね。
引き船に行く前に押し上げて降りればいいのかな。
そうか。
スカイツリー目の前ですもんね。
とかね。
あとまあ夕方以降は浅草に近づいて行きますから。
パーフェクトデイズ聖地巡りも。
僕ね迷ったんですよ。
浅草一門さんにするか、役職王子さんが力で食べてた居酒屋あれあるんですよ。
あそこにするか迷ったんだけど、
池上翔太郎さん記念文庫から役職王子のやつは遠すぎるので、
今回は浅草一門にしました。
東京は割とカスタマイズしやすい。
しやすい、もういくらでもね。
お好きに巡っていただければ。
リクエストに応えられていればいいんですけどね。
ご納得いただけると嬉しいですね。
2日目はどんな東京が出てくるのかっていうことですね。
2日目はそうですね、割と我々に馴染みの深い方にシフトしたい。
そうか、東西の今回は東の方ですね。
東と、主に甲をね。
甲子の甲ね。
なので2日目はまた違う東京が出てくるということですね。
ということでお楽しみに。
それではこの辺でありがとうございました。
01:26:36

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