大人になりたい旅がしたい。このポッドキャストでは、旅行とお酒が好きな荒沢男性2人が、大人だからこそ知りたい、ちょっとディープな国内旅行のモデルコースを紹介しながらお話をしていきます。
内田です。 あるやです。はい。ちょっと今回、これは聞いてる人が気づいてるかどうかわかんないですけど。
なになに? 収録の環境がね、大きく変わりましたね。
たぶん、まあ気づかない気もするんだけど、僕ん家で撮ってますね。そうなんですよ。初めてね。ね。
あの、まあちょっと生々しい話。今まで貸し買い技術を借りてて、ただ、たけえっていう。そうね。毎回お金払うのもちょっと。はい。
ね、もったいないねっていうことで、うちで撮ってますね。はい。ありがとうございます。いやいやいや、むしろ、新幹線で来たんですよ。
今日はね、ちょっと寝坊したんですよ。ああ、なるほどね。あの、小田急線でね、普通に来ようと思ったんだけど、ちょっと寝坊して間に合わないなってなって、新幹線ですね。なるほど。はい。
いや、縁のはるばる。うん。ありがとうございます。いえいえ。静かだけどね、でもね、今のところはそんなに騒音とかは気にならないし、いいおうちですよ。
相変わらず、ここは。うん。ちょっとね、まあやってみてどうかなっていうところもあるんですけど。はい。
まあリラックスできるってことで。そうね。うん。機材とかは別にこれ何も変わってないんでしょ?うん、変わってない変わってない。うん、じゃあ大丈夫だと思うけどね。
私、あの、ケツも気にしなくていいしね。ああ、そうね。ソファに座らせていただいて、ありがたいですよ。
いやいや、あの、時間のケツね。ああ、そっちね。うん。確かに。あの、いつも時間制限があるからね。そうそうそう。はいはいはい。時間で借りてるからね。うんうんうん。
それもないんで。うん。まあゆったりとね、撮れるんじゃないかと。はい。
ということで。うん。また今回からね。うん。新しいコースですけど。うん。
まあなんかちょっとリクエスト祭りみたいな感じですね。そうなんですよね。はい。今回の収録は。はい。
というか、まあ前回のトサから。そうそうそうそう。割とそうなんですけど。うん、でもありがたいですよね、本当にね。で、今回もリクエストに応えるようなコースですね。うん。
今回の紹介する場所はどこでしょう。はい。えー、今回はですね。うん。えー、東京です。はい。はい。あのー、1階の酒呑さんがね。はい。
東京育ちの我々に東京旅行を紹介してほしいっていうね。はい。リクエストがありましたけど。はい。それに応える形ですね。そうですね。
あのー、あとはまあ、これを聞いてくれてる僕のまあ、友達というか知り合いとかからも、同じような声は実は何人かから受け取っていまして。うんうんうん。
まあそこも含めてということですかね。まあやっぱ気にはなるだろうなとは思うけどね。うんうんうんうんうん。
ということで、じゃあ。うん。タイトルはなんですか。はい。えー、タイトルは、えー、種拾いの東京、東西甲子の園地に行こう。
へー、それが東京にあるんだ。
そうなんですよ。まあ余談ですけど、あの細川って言って、今僕話してて思い出したんですけど、このフォントキャストで一人実は登場していて、これがですね、思い出せますか?細川。
一人ね、熊本藩ではないんですけど、同じその細川一族がね、一人登場してるんですね、過去に。
いや、なんかどっかで出たなーって気はしてたんですよ。
ははははは。
本当にね、記憶力がないんだよ。
でも今、俺も自分で話してて思い出した。
ははは。
何でしたっけ?
はい、これね、京都の2日目かな?に、地蔵院っていうね、竹のお寺に行った時に、そこを開いた細川頼之というね、室町時代のまあ武将、政治家。
で、あの全州とかに色々興味があって、最後は自然石1個となって、あの墓を建てずに、あのすごい総理大臣みたいなことやってたんだけど、
最後は、あのもう森の中に自然石1個で隠れて、墓として眠っていったという、まあ武将がいましたけれども、あの人が細川一族ですね。
うん、その系統です。
で、えーと、まあ、このここにあるんだという話、今ありましたけれども、あのこの場所、ここにあの衛生文庫が今このある場所というのは、細川、あの熊本藩の判定の跡なんですよ。
つまり、あの熊本藩、もちろん本拠地は今の熊本城ですよね。
なんだけれども、東京にね、あの参勤交代の関係でいなきゃいけない時期というのも多くありましたから、お殿様も。
で、その東京での滞在、まあ江戸での滞在に使うために、各藩は藩邸というものを設けていたわけですね。
藩邸って字は?
藩はまあ、いわゆる熊本藩の藩。で、邸は邸宅の邸になります。
ああ、なるほど。
藩の大使館と言っていいか、お屋敷と言っていいか、そんなイメージですね。
これは熊本藩に限らずどの藩も持っていました。
で、明治維新があって、熊本藩というのが亡くなった後も、細川家というのはもちろん続いていますので、
その熊本藩の判定の後に、まあ今こうしたその細川ゆかりの博物館が建っているというものになります。
で、まあこの見どころなんですけれども、あくまでもですね、これは美術館です。
なので、実際にはいつ行くかによって、何の展示をやっているかというのは変わります。
ので、ちょっと必ずしもこれが見れるよとは言えづらいんですけれども、
特にやっぱりこの細川家というのは、戦国武将でもあったんですけど、
特にこの細川の熊本藩の藩層と言っていいかな、戦国時代に活躍した細川雄才という人がいたんですけれども、
この人はですね、もう東大随一の文化人として知られた人で、
歴史の教科書にも戦国武将としてではなくて、もうその文化の達人として出てくるような人なんですね。
武将だったんだけど、っていうぐらいの、まあ細川家はその大名の中でも特にこういう文化度のすごく高い一族。
最高峰の文化をもう常に伝統的に持っていた人たちなんですね。
文武両道ですね。
まさにまさに。雄才もね、武将としてもすごい活躍した人ですので。
その子供の忠岡というのも、武将としても活躍して、お父さんとともに茶人としても活躍したすごい人たちですね。
超エリートです、細川家というのは。
さっき室町から続いてるって言ってたよね。
そうですそうです。この辺はね、また話し始めるとあれなんですけど、
まあその細川頼幸の流れから、まあいろいろよう直接はあるんですが、結果としても、
そうですね、だからもう室町の初めから表舞台に出てきて、最後はもう熊本藩として最後明治維新までっていうから、
本史の教科書の何分の一かはこの細川家がね、歴史の表舞台に立ってた時代と合致しますから、すごい一族ですよ、本当に。
さらに言えばこれ総理大臣も出してますから、細川盛博さんっていうね、ちょうど我々が生まれた時にくらいの総理大臣ですけれども、
すごい一族、もう日本史の中に特筆すべき一族です。
そうした人たちのコレクションがあるから、今ホームページ見てますけど、武将ですからね、武具というところで国宝の刀も持っていますし、
一方で茶道具でもすごいものがある。
あとは中国の博覧の美術だったりとか、文学作品もあるいとあらゆる本当に文無量道のものを持ってるんですね。
なのでこういったものがその展示会のテーマによっていろいろ出てくるというだけでもまずすごいんですが、
これですね最近の話なんですけれども、衛星文庫はですね、かなり尖った展示会をやったりするんですよ。
例えばですが、ちょっとこれねコンプラ的にアウトだったら削除してもらっていいんですけど、
最近話題を集めたので言うと春画展。春の画と書いて、包み隠さず言えば昔のエロ本みたいな感じですね。
それを集めた展覧会とかをやったんです。
テーマだけ聞くとなんだそれはっていうふうに思うかもしれないんだけど、
それはある意味人間の本能的な気持ちがすごく反映されたというのは昔も今も変わらないわけであって、
そういったところに日本人の心の持ちようというのを探ってみようというちゃんと意味合いのある展覧会だったわけですよ。
もう文化の一つですからね。
そういうことそういうこと。
当然その春画もすごい画家たちが描いていますので、教科書には載らないけれども、というものがあったりね。
そういうちょっと個性的な展覧会もやるというところで、非常に注目すべき美術館だなと僕は思っています。
今回のテーマで言うとその庭園という話をしてるんですけれども、
ので、僕からしたら本当にね、シンパシーを感じてしまいます、勝手に。
まあ、小田原をこうちょっと盛り上げたってことですね。
そういうことですね。当時にその気持ちがあったかはともかくとしても、小田原が結果的に盛り上がったのは間違いないです。
で、今でもその遺産を受け継いでいます。
で、この人はそういうわけで、政治家とか軍人としてはなかなかそういった悪者みたいに見られちゃう時もあるんですが、
特にこの庭園作りというのはもう尋常じゃないこだわりと知識と技術、技術というかディレクション、センスですよね、持っていて。
あと詩人としてもすごい、歌人としても文学的なその芸術的なセンスっていうのがめちゃくちゃ抜群にすごかった。
で、いわゆる山形有朋が作ったのが山形三名園なんて言われるんですけれども、
一つが小田原にある小木屋、もう一つが京都にまだ減損している無林庵、それでもう一つがこの鎮山荘になります。
山形有朋は西南戦争を陸軍を指揮してね、討伐成功したということで、ご褒美でお金もらって、それでこの鎮山荘の土地を買い占めてですね、
そこにもう自分の超広大な邸宅を作っていくんですね。
自分家ってこと? 自分家です。もともと自分家だったの、このホテルの敷地、自分家だったんですよ。
広大だよね。 うん。当時のこの辺りはまだそんなにね、今のようにまだ電車も当然走ってませんから、まあ土地があったというのもあったでしょう。
そこにだから山形有朋は、自分のもうセンスと神経を注いで、もう夢の庭園を実現しようとしたと。それが鎮山荘だったんです。
もともとね、江戸時代とかから、そういうちょっとまあ庶民の交絡の場所として知られてはいたんですけども、
この山形有朋がやったことで一気にちょっとそのレベルが高まったというか、がまあその由来です。
ところがですね、山形さんが作った庭園というのは残念ながら太平洋戦争の空襲で燃えてしまいまして、現在残っているのはほぼありません。
面影しかもうほぼほぼないという状況です。ただその後もやっぱり山形有朋の意思を受け継いだ人たち、この土地を所有していた人たちが頑張ってその土地、もう一回その鎮山荘の庭園で緑豊かな空間をもう一回復活させようということで、
戦後に庭園の復興に努めて今の景観が保たれていると。
じゃあ当時とはまあちょっと変わってるかもしれないけど、それを再現しようと頑張った結果が今あるってことね。
そういうことです。でまあねもう見どころを話し始めるとこれね本当に広いので、
これあの僕1時間ぐらいしか時間とってませんけど、本当にちゃんといったらこれ、まあアフタヌンティーとかも考えると本当半日ぐらいいても全然おかしくないようなところになってますね。
でまああのね中にはねこれすごいのはこの庭園の中にね、お寺のね三重の塔がね立っていたりするんですよ。
すごいなスケールが。
そうスケールがすごいんですよねこの人ねちょっとね。
あの広島県からね移築してきた、確か室町時代に作られたという、作られたと言われている国のね有形文化祭の三重の塔がねここに立ってるんです。
どうやって移築すんだろうね。
すごいよねしかもその昔のものをね。まあおそらく一度解体してたっていうことだと思うんですけれども、
これもやっぱりその財力とかねそういうのをなせる技になってくるわけですが、もうあったりとか、
まああの本当にいろいろあとね伊藤寂柱っていうまあ江戸時代の有名な画家がいるんですけどその人が彫ったと言われている彫刻も残っていたりとか、
なんかねもうとにかくいろいろすごいんですよ。鎌倉時代の灯籠があります、何時代の何がありますみたいので、
もう日本のその古美術をね、もういろんな凝集したような。
じゃあ庭園だけじゃなくて文化財的な面もあるわけですね。
もちろんです。文化財としてもここはすごいところ。歴史ある文化財としてもすごい庭園なんですけれども、
それをね生かす試みというのも今すごい現代的なセンスで面白い活動をされていまして、
先ほど言ったねその雲海が一つの例ですよね。でこれあれもあえてこの鎮山草の庭園にスモークというかね漂わせて、
まるで雲の上にこの庭園が浮かんでいるかのような、っていう催しだったりとか、
あるいはこれね僕が行ったことあるので言うと、ホタルをね見に行く催しとかもあるんですよ。
本物?
はい。この鎮山草の庭園の中にホタルがいまして、毎年ホタルが光を放ち始めるとそれがお知らせみたいな感じで出てきまして、
それ以降はねその夜にホタルを鑑賞するみたいなイベントもあったりしますので、
本当に季節ごとに、今やっぱりホテルというところでね、いかに観光客、宿泊者の方とかね、
を楽しませるかというのをこの文化財を使っていろいろ考えていらっしゃいますので、
その時々の楽しみ方によっていろいろ調べてもらえるといいのかなと思います。
なんかこう植物もね、結構四季で変わって、季節感をすごい出してる感じはあるね。
そうですね、はい。といった感じになっていますね。
で、これでですね、このいわゆる文京区のあたりの庭園というのを一回見終わったので、
ちょっといよいよ東の方に移動していきたいというふうに思います。
鎮山荘から徒歩10分ほどで例の江戸川橋の駅に戻ります。
なるほど。
この人がろくに仕事しないから。
で妹もいればお母さんもいればで一家養わなきゃいけないわけ。
なるほどね。
っていうストレスからおそらくこの幸福寺で、ちゃんと全集を収めてね。
偉いね。
ででまぁ余談ですけど、ここまで言うと僕はこの勝小吉を非常にバカにしてますが、
あのー、書いただけやっぱ偉いと思うしね、これ面白いんですよこれすごく。
腹ん番上な人生なんだけど、なんか笑えちゃうんだよね。
憎めないんですよこの人すごく。
で同じように、坂口安吾っていう小説家が昭和時代にいるんですけれども、
その人がね書いた安吾史談っていうね人物伝みたいなものがあって、
そこにね、わざわざこの勝小吉、勝無垂ってこれ小吉のことなんですけど、勝無垂っていう章を書いて、
無垂この小吉がいかにバカだったかってことをまた紹介してるんですけれども、
でも安吾が言ってることに僕はすごく思い当たるところがあって、
確かに小吉はバカでしたよ。
あのどうしようもない親父だったけれども、
これよく読んでると、なんかね人助けのために喧嘩してやらかしちゃったりとかってことを結構してて、
なんかね熱い情熱を持った人ではあったんですよね。
で安吾は確かに似ても似つきもしないしょうもない親父と優秀な息子だったんだけれども、
その情熱の分量を持っていたものは親子だったと。
それを何にかけたかだけの違いだったっていう風にして最後結ぶんですよ。
それもまあ一つ捉え方の一つではあるなと思って、
僕はそれでこの勝無垂を大好きでして、
実は小田原の本屋にも自分のやってる本棚にもこの勝小吉の本は置いてあったりします。
なんかちょっと江戸っ子っぽい感じなのかな。
まさにねそれがね言いたかったんです。
この人ねいわゆる江戸っ子っぽいんですよ。
ちょっと人情味があって喧嘩っぱやいみたいな。
で憎めない。酔い腰の金は持たない。
まあそもそも働いてないし。
この人の人生はだからドラマチックではあります。
息子が有志で救われたというのが本音だと思いますよ。
そのおかげで名前も残ったので結果的にこの人の方も。
ということでね、そのどうしようもない親父からのストレスから逃れるために、
この幸福者それを救ったというお寺なので。
勝海州ゆかりのね。
で実際墨田区は勝海州というのはすごい謙称してるので、
墨田区役所の前にも勝海州のゆかりの石碑が立っていたりとかしますし、
なので本当にこのあたりが彼の地元と人格形成に大きな影響を及ぼしたというところですね。
ということで一旦おおむねこの墨田区のあたりの話はしました。
で最後ちょっともうこの辺になってくると夕方になってきたので夜の方に行きたいと思います。
でせっかくですねこの江戸っ子情緒あふれるところに来たので、
ちょっと最後に一つだけ寄りたいのがですね、
幸福寺から徒歩11分ほどのところにことどい橋、バス停があります。
自分が見てきた大人、あるいは自分が過去の世界の中におった昔の江戸子たち、かつ無粋もその一人だったかもしれませんけど、
こいつもしょうもなかったけれども、江戸っ子っぽいっていうイメージがついている。
なぜどっこっぽいイメージって我々は想起できるのかというと、たぶんこの池上翔太郎さんの作品に描かれたキャラクターたちの影響もかなり大きいと思います。
鬼兵もそうですよね。
なのでね、時代に歴史に興味がなくても、例えば僕が好きなのはウイスキーの飲み方一つをとっても、
バーでの振る舞い方とかっていうこともこの人いろいろ書いてるんですよ。流儀、作法とかね。
なのでそういった面で読むと、いろんな読者を獲得できるのかなと。
我々としても入りやすいかなと思いますね。
お酒の飲み方はね、結構参考になりますね。
それはちょっと俺も気になる。
ただ、我々はちょっとできてないですね正直飲み方。
ちゃんと大人っぽく、大人になりたいとか言ってる場合じゃないんですよ。
本当にそういうことを池上翔太郎さんはよくおっしゃってましたね。
なのでね、いろいろとそれましたけれども、もちろん池上翔太郎さんファンは時代小説の面から入ってくださってもいいですし、
居合の品とかね、書斎とかが見れるという話をしましたが、
ここから要はどういうふうな彼の域、ダンディズムというか、ものが形成されていったのかっていうところも含めてですね、
その人となりと彼を育んだ環境にもすごく迫ることのできる、いい資料館になっております。
居合品もね、万年筆、パイプ、帽子、ステッキ、なんか素敵なおじさまって感じだね。
そういうことなんですよ。一言で言えばいい年の取り方をしろっていうことなんですよね。
すみませんでした。
頑張りましょう、我々も。
まあ余談ですけど、これ今着くのが16時45分くらいの想定をしてて、
もう15分しか見れる時間ないんじゃないかとかって思うかもしれないんですけど、
これね、僕が嬉しいのはですね、なんとこれ月から土曜日ね、午後8時までやってるんですね。
珍しいね。
そうなんですよ。僕もこれなので初めて行った時ね、仕事帰りで行きました。
なので4時45分で全然間に合います。土曜日であれば。日曜祝日は5時までなのでご注意ください。
っていうね、これもちょっと面白いところですね。
朝9時から夜8時まですごいね。ほぼ半日巻いてるんだ。
そう。平日の夜とかだからちょっとね、なんでしょうこう、
例えば金曜日とかでもうバカみたいに飲むんじゃなくて、
それはいいんだけれどもこういうところに行くと、
ちょっといい、やっぱ大人にならなきゃダメなんだなという、今しみにもなるかもしれませんが。
そういう平日の夜のいい過ごし方の提案としてもね、一つあります。面白いです。
ネギトロ、ネギマトロステーキは9門900円とかね。
なるほど。
そういった感じです。
ちょっとこれバグりそうだよね。
面白い、そう。
頼み過ぎちゃいそうだねこれ。
そう、酔っ払ってると、あ安いなって。
みたいな。
とんでもないみたいになってる。
早間で言うと36門かみたいな。
ああ。
って言ったら3000円くらいなので結局ね。
なるほどね。
はい。
ああ。
なんでもね、この一品物もすごくおいしくて、
僕もこのネギトロステーキは確かネギマトロステーキかいただいたんですけれども、
まあそうだね。
これおいしかったですね。
なのでお鍋が煮込んで出来上がるまでの間に、そういった一品物。
あと江戸風厚焼き卵なんていう物もね、ありますので。
ああ。
はいはいはい。
あとこの野菜もね、実はね、鍋に入れるお野菜も、これね、あんまり聞かないと思うんですけど、江戸野菜って言われるね。
うーん。
亀戸大根。
へえ。
へえ、知らない。
そう、これを受け継いでいる、すごくもうだから今レアですよね。
農地なんてあんまりないじゃないですか、もう東京にね。
品川で作ってんのかと思うもんね。
そうそう、ただ当時の品川ってね、やっぱりその今みたいな新幹線のビル群とかじゃないですから。
はいはいはい。
はいはいはい。
でも今でも使ってるわけじゃん。
だと思うんですよね。
ちょっとこう実際どこの農園でとかは全く調べられてないので、
はいはいはい。
ブランドを継承してるだけなのかもわからない、ちょっとごめんそれはわからないんですけども。
ただそういったこだわりのね、野菜を使っているのは間違いなくて、やっぱりこのネギ真鍋を筆頭に江戸時代からの文化、東京の郷土料理っていうものをね、ちゃんとあるんですよということを示しているわけです。
はいはい。
で、本店の他に別店もすぐ近くにあるんですけど、この本店に関して言えば、地区およそ70年の古民家ということでね、雰囲気も抜群です。
いい雰囲気ですね。
時代劇のセットのような、そういったイメージで、ちょっと鬼兵気分じゃないですけど、ネギ真鍋をねいただいて扱んでみたいな感じで、雰囲気も抜群なので。
いいですね。
外国の方とかもやっぱりね、すごくここは人気だと思いますよ。
いいかも。
もし海外からのゲストを呼ぶ、お招きして届くときがあれば、それこそ雷門とかもすぐ近くですから。
そうですね。
ここは非常にいいと思いますので、東京の郷土料理というのをご紹介したいと思いました。
なあ。
はい。で、まあ本来であればいつもならここから二軒三下って行くわけなんですけれども、ちょっとあいにく僕がですね、あんまりこの浅草近辺実はそこまで強くない。
この浅草一部も実は仕事のちょっと関係で行ったというところもありまして、その後もう一回プライベートに行ったんですけど、あんまりこの辺のバーとか実はね知らないんですよ正直。
なので、ただね、どこに泊まるかというところも含めて、この後はもう自由解散でいいやいいのかなという気も正直しています。
新宿ならば新宿でもちろんいいものがあるし、東京駅ならば、東京駅の方が近いですね、浅草からならばね。
もちろんご自宅に帰るって選択肢も多分全然あると思いますので。