はい、みなさん。えー、今日も、今日も、今回もですね。えー、すばるさんに、やばい、ちょっと待って。取り直します。ごめんなさい。ごめんなさい。取り直させて。なんて言えばいいんだろう。
はい、ということでね。
まってまってまってまってまってまってまって。
これ取り直させてっていうところも含めて流したいなっていうふうに思っていて。
ちょっと待って。恥ずかしいわ。これ全部。はい。え、待って。まじで、まじでやんの?このまま。
いいじゃん。いいんじゃない?いいよいいよ。やりましょうよ。
まあ、実際ね、あれから2年が経ちまして。
いや、違う違う違う。
あ、違うか。
盛り上がりすぎて、ちょっともっとすばるさんとね、あのー、いろんなテーマについて話したいっていう思いまして。
はいはいはい。
2本目撮っています。
はい。
という形です。
前回からの続きですね。
前回からの続きで。
前回からの続きでございます。
で、よりね、ちょっと、あのー、深いところというかね。
うんうんうん。
あのー、実際に1歳何ヶ月でしたっけ?お子さん。
1歳8ヶ月ですね。
1歳8ヶ月のお子さんを連れて日本を回って、その後2年間ぐらい世界を回るというところ。
もう、まちづくり、子育てとかね、営みを自分でも運営しながらそういうのに触れていくっていう場面の中で、
まあそういうところを、あのー、どういうね、考え方でやってるのかとか、そういうのを聞きたいって感じ。
教育と子育てを大テーマにして、今の話を聞きたいなと思っております。
はい。
はい。
子育てね。
どっから、どういう切り口?
正解がないから、難しいですよね。
めちゃくちゃ難しいですね、子育てが。
なんかまあ、旅するのも、言って怖い部分ってめちゃくちゃあって、
1歳8ヶ月の子を連れて、
そうだよな。
旅するって、わりとまあ、親の英語だよねっていう気持ちだし、
批判の対象にも全然なるなと思いながら旅してるんで、
そこは甘んじて受けるんですけど。
まあでも、本当に希望としては、子供のためにもちょっと当たったらいいなと思っているし、
逆に難しそうだったらすぐに辞めるっていうのもあるので、
そこはある種実験的にやってみるっていうことをやってる感じですかね。
教育に入る前に、これ素晴らしいなって思っているのが一つあって、
まず大前提として、子育てをするイコール、
親が何かを諦めるみたいなことが前提にあるっていうところのアンチテーゼみたいなところもちょっとある気がしてて、
それこそ奥さんがコロンビアに行きたいっていうところ、
こっさりかに行きたいというところとかも、
要はあんなに大変な思い出産して、やりたいことも、
いや子育てしてるからあと6年は我慢しなさいとか、そういう風潮じゃないですか。
そこでみんなそういうふうに思って束縛されてるからこそ、
そういうふうに自由に動く人に対して批判をするっていうのは、
甘んじて受け入れますって話だったんですけど、
甘んじて受け入れるんですけど、浮き流すことがない。
そうですね、それで変えることはあんまりしないかなと。
逆に言うと、もっとそういう自己実現と子育ての両立みたいなものは、
模索してっていいんじゃないかなっていうのは、
逆に言うとこんだけ豊かに世界がなったからこそできることなんじゃないかなっていうのは思っていて。
めちゃくちゃ勇気づけられますね。ありがとうございます。
いいね、自己実現と子育ての両立ってめちゃ大テーマだと思うのと、
あと純粋にちょっとお聞きしたいのが、奥さんもスバルさんも含めて、
葛藤があったかどうかみたいな、やっていいんだろうかみたいなところが、
当たり前のようにあったのかもうなかったのか、
それはパーソナリティの部分が大きいのか、
今までのいろんな人からの学びとかで自然とそういう価値観が醸成されてたのかというと、
どうですか?
やっていいのだろうかっていうのはその旅を。
旅をとか、結構大社会の子育てされている人とかは、
諦めなきゃみたいな風潮が結構大きいと思うんですよ。
そういう気持ちがあったかどうか。
諦めなきゃいけないっていう気持ちは全くなかったですね。
だろうなぁとは思ってましたね。
むしろ、でも多分妻は最初はそう思っている部分もあったと思うんですけど、
でもだんだんそれが溶けていった部分とかっていうのも、
それこそ周りの人にあって、
例えば子供が心配なさそうな子だねみたいな言われたときに、
それで溶けた部分があるとか、
やっぱり最初緊張している部分ってすごくあるんですけど、
周りのお母さんとかに声をかけてもらって、
その中でこうなのかもしれないなっていうのが結構妻の中にはあったかなっていうのはありますね。
あとは僕市民活動の支援とかしてたんで、
市民活動支援って結構お母さんたちといっぱい知り合うというか、
結構子育てとかって活動の中の課題の一つになりがち、
課題っていうのもあるんですけど、なりがちというのがあるので、
お母さんたちに会うので、
でも結構そういう意味では自己実現しているお母さんたちって結構いっぱいいる。
それを見ているからこそ自分が諦めなきゃいけないみたいなことはあまり思わなかったですね。
むしろ諦めないでいいよねっていうことを思っている人たちがそういう活動をしているので。
なるほどね。
でも大多数は多分そう思っていると思うんですね。
諦めないととか、子供がいるからなかなかできないよねとかってのは思っていると思うんですけど、
僕はあまり思ったことはなくて、
逆に子供ができて可能性が広がったなとさえ思っているところはあります。
感覚的にはシェアハウスに住んでいるじゃないですか、
シェアハウスの住人が1人増えてあげられない感じなんですよね、子供ができると。
そうするとその子の価値観というか、その子がいることによって変わることっていっぱいあって、
それって自分たちの生活だけでは生まれなかったもので、
そういう意味では新しい可能性がどんどん開いていっているっていうようにしかあまり感じていない。
全世界の皆さん聞いてください。
固定概念なんでしょうね。子供ができたら不自由になるっていうのを完全に思い込み。
そうね。自由っていうものへの考え方かなと思っていて、
もちろん例えば子供ができてから飲み会にあまり行かなくなったとか、
サウナに行かなくなったとかって全然あるんですよ。
そこにフォーカスすると自由がなくなったっていう印象になるかなと思うんですけど、
でもそれはそれで、でももっとやりたいこと、子供の顔見たいとかもそうだし、
言うてやろうと思えばちゃんと話せば妻と話して、お互いがやりたいことができるように調整するっていうこともできるし、
なんかっていうのがあるかなと思っていて、
自由っていうのは何でもいつでも自分がやりたいことをやるっていうふうに思っていると、
多分辛くなっちゃうんだと思うんですよね。
逆にでもその所有の条件の中でどう自分がやりたいことをやっていくかとか、
その中で自分の実現、自己実現をやっていくかっていうふうに考えると、
ある種パイが増える感じですね。
自分がやりたいことのパイが増えてるから、そういう意味ではより自由になったっていう感覚もある。
なるほどな。本当に考え方、全ては考え方っていうところになるんでしょうね。
そういう意味ではね、子供がいるからいてやる世界回ることの方が普通に回るよりも
格段に考えなきゃいけないことも多いし、考えることも多いし、
あと子供を比べることができるわけです。自分の子供と他の他国の子供とみたいな。
確かに。
そんなことって普通に一人で旅してたら絶対できないので、そこは全然違う。
そういう意味では子育てみたいな、未来にバトンをつなぐみたいな軸と、
親が成長するみたいな軸、全然別軸であると思っていて、
そういう意味では、親が成長すれば子供には良い影響があるので、
双方向性に良いものなんじゃないかなっていうのは、
子供のために安全にみたいなところを荷重にやったとしても、
親がそれで成長の機会を減らされると、子供の可能性を潰す。
民主主義のあり方もそうですけど、みんなが自由に、自由っていう言葉が楽にっていう方向に今いってる気がしていて、
そこのバランスのところはめちゃくちゃ考える方が多くて、
ある程度全員が楽しようと思えば、別に今から働かなくなって精神病ですって言って、
全員生活保護ですって言っても別にできちゃうわけですよ。
極端な話で社会制度的にはそうなっている中で、
そういうのをどこまで許容するべきかみたいな、
多分普通にプロパガンダしてそういうふうになったら社会主義国家的なものになって、
簡単にできちゃう、成りかねない。
そうならざるを得なくなっていくっていう、理想とかじゃなくて。
成り立つよねっていう風になっていくのが結構経輪としてある中で、
どこまでそれを、つばらさんみたいに、
コーヒーが好きな奥さんとコスタリカ行こうとか、街をサードプレイスにしたいとか、
そういう風に思ってやってらっしゃる方はたくさんいるんですけど、
本当一部だと思っていて、
そうじゃなくて逆に意義とかやりたいこととか見つけられないみたいな人が大半推しの中で、
どこまでそういうものをデザインしていくべきなのかみたいなのはすごく悩んでいて、
結論身の回りの人からだけでしょっていうのが一番安倍なんですけど、
そこを乗り越えるべきなのかみたいなのが結構一つの原因で。
そうっすね。
めっちゃでかいテーマで、すごいAIっていう言葉をめちゃめちゃ今感じたというか、
AIがあるおかげでどんどん楽できちゃう方向になっていっているっていう、
AIとの付き合い方みたいな、ちょっとね議論発散しちゃうかもしれないですけど、
その中でどれくらい自分の意思、自分がやる理由を見つけて、
自分が価値を出したいと思う場所にコミットできるかっていう、
人としての在り方みたいな話になっていく気はしている。
そうね。自分たちがやりたいことをできる範囲でというか、
なんだろうね、難しいな。難しいっすね。難しいですけど。
でもできる範囲のことをやっていくっていうのが多分一番シンプル。
街作りとか考えていると、それこそ社会参加じゃないですけど地域参加みたいなところをどこまで求めるのかに近い。
そうそうそう。まさに今それを考えていて。
自分たちが心地よくできる範囲内でやるっていうのは結構僕も重視しているところで、
全く何でもやらないとそれこそ孤独感も高まっていくし、
何かやりたいなっていう気持ちって結構持っている人は意外といて、
ただその入り口がなかったりとかっていうのは結構あるんですよね。
やってる人は上の方にいるというか、自分の手が届かないところにいて、
自分は見ているだけしかないよねっていうのが現状の中で、
どれだけそこの参加ハードルを立てて、本当に一緒にどうやってやっていきましょうかみたいなことをやっていく。
かつ誰かに幸せがいかないようにちゃんとそこをオーガナイズしていくというか、
自分たちがやりたい、これやりたい、これやりたい、これやりたいっていうのを合わせていって何ができるかっていうところに持っていくっていうのが、
僕がやっていることというか、やりたいことですしやっていることなんですよね。
それで何個かコミュニティを動かしているんですけど、
今のところいい感じに動いているかなと思う部分もあって、
結構みんなコミュニティとかをオンラインサロンみたいな感じで、
上を目指すすぎている感もあって、もっと身近でいいと思うのがいいですよね。
バーを動かす、みんなでバーを運営するみたいなので、
それを誰に知られなくてもいいけど、
ちゃんとプラスアルファぐらいの人が来て、そこがサードプレイスになっていくみたいなので、
結構自己自立にもつながるし、
そういうのをいっぱい作っていくっていうのがいいんじゃないかなと思うんですよね。
今までは結構できる人がやるしかなかったけど、
それこそみんなの力がついてきているし、
AIとかも使えるしってなってくると、
一人一人のスキルが拡張している感はあって、
だからこそ、
なりわいにしなくても、自分たちの活動の範囲内でできることができる。
それがガガガっていっぱい街の中にあれば、
それはそれでいい街なのかなっていう感じがするっていう。
いやー面白いな。
面白いね。
今の話を聞いていると、
街に営みの数がたくさんあればあるほど、
活気づいてていいんじゃないかっていうのと、
その営みに参加するハードルが低ければ低いほど、
いろんな人が参加できて、いろんな営みが生まれていくんじゃないかっていう、
そういう話な気がしてて、
地域の活性化っていうのはそういうことだよねみたいな。
一方でというか、
最近聞いた話で、PTAの話でちょっと面白かったんですけど、
ビジネスマンの人がPTA会議に参加して、
学校の運営というか、祭りとかそういうものの運営に携わったときに、
ママさんとかがめちゃくちゃワーッといろんな参加をしてくれて、
端的に言うとめちゃくちゃ非効率的なこととか、間違ってることとかをどんどん勝手に進んでいくみたいな。
はいはいはい。
で、もう放送が効かなくて。
でもビジネス的にはありえないけど、
でも結局当日なんとかなってるみたいな。
そうなんですよね。それめっちゃ面白いんですよね。
極端な話、江戸時代とかは藩ごとにそういうのがあるわけじゃないですか。
うちが栄えると南蛮国になるやつ。
確かにね。
そのためにみたいなのはあったんでしょうけど、
今の自分の仕事がこの地域の役に立ってるかなんてわからないことが多い地域。
もっと言うと日本のためになってるかどうかもわからないし。
外資経済企業で働いてる人はどうなんだみたいな。
本当にそうだと思います。
難しいですよね。
どこに価値が届いているのかが、距離がどんどん長くなっていっちゃってるっていうのがあるかもしれない。
社会の流れとしてはどちらかというと分散というか、どれだけ自由にできるかみたいな話はありますけど、
その中にどういい意味で枠をつけていくかっていうのが大事かなと思っていて、
地域は地域、不中止は不中止とか、さかみ晴らしはさかみ晴らしみたいなのもあるし、
あと僕がやってるのは同窓会の活動もずっとやっていて、外大の同窓組織の活動やってるんですけど、
そこもある種、一つのコミュニティとして作っていて、
みんなそれぞれ仕事をしているけれども、一つの自分が出た大学っていうのでまとまっていく。
そこに貢献していくっていうのも自分の貢献感につながっていく話でもあるし、
自分がやったことによって良くなっているなっていうのが見えるっていうのを作っていった方がいいだろうなっていう風に思ってるんですよね。
そういう分散型の社会だからこそ、どこに何がつながっているかわからないからこそ、
どこにつながっているかっていうのは一応見える場があった方がいいんじゃないかなっていうのは僕は思ってることなんですよね。
ブロックチェーンとかができてくるとそこら辺が見えやすくなってするのかなとも思うんですけど、
今のところまだイメージが湧かないんで、今の状況としては地域とかそういう枠を空いて作っていくっていうのが一個効果的なものなのかもしれないなと思ってるんですよね。
確かにアイデンティティをタグライン付けしていくみたいな。
タグライン付けの役割として地域はめっちゃでかいですよね。
なりやすいですよね。
なりやすいと思いますね。
何にもとらわれないってすごい理想的というか理想的に見える、ユートピアに見えるんだけど、いざなってみると自分がふわふわしちゃうみたいなところがあるから。
所属感がないというか。
身体制度のギャップみたいなのがある気がする。
かっこ悪いですからね。モンゴル法木民がイギリスでめちゃくちゃ強い強大な舞台で、いつ死ぬかわかんないみたいな、だからもう強くなり続けるみたいな思想になっていたことを考えると。
歴史が証明してくれる。
強くないと移動できないっていう。
略奪しないといけないし、みたいな。
当時はね。一定の場所に留まってる方が穏やかに、濃厚民族の方が弱いけどね。
成長産業が減ってきているみたいなところがある中で、優秀な人であったりとかチャレンジできる人はそういうところで勝負し続けてほしいなと。
逆に勝負している人が地域とかに貢献できているんだなみたいなところを感じられる機会みたいな。
CSRとかCSVの活動がちゃんとその人たちに届けるようになったらいいなとかっていう感じがあって。
確かにね。
優秀な人が育っていく度合いにはそういう地域があったりするので。
なるほどね。
そこは本当に役割分担で、地域が豊かであってその中で育っていった人が優秀なまま行っていく。
だからこそ還元する意味があるっていう、この循環を作っていけるといいなと思っていますね。
まさに。
なんかワクワクしてきた。日本の未来にワクワクしてきた。
全て繋がっているなっていうのはいいなと思う。
逆に今はそういう社会的意義がある人に、ところに優秀な人がどんどん流れてきている傾向はあるなと思う。
それもいい傾向だなっていうふうに思っているけど。
逆にさっきのランダム性のある無意味なことに対してその優秀な人が受け入れられないんじゃないかっていうのもちょっと今浮くと思って。
合理性の塊から降りてきてくると、不合理性の塊のところにこれが本当に意味あるんだろうかみたいなものを実感するみたいなものを
ちゃんと理性駆動で考えられるんだろうか。
そうね、確かに。
むずいね。
でもそれは僕らみたいな地域のコーディネーターの腕のみってところでしょうね。
適材適所で。
そう、だしその人をどううまく入ってもらうかっていうのをやるのは僕らの仕事かなっていう感じがしますね。
本当さっきのクリスマスツリーの話とかもね、やっぱもう主婦とか強いと思うんですよね。
いや本当強いよね。
ちょうど今月の20日に僕の小学校が廃校になるんですけど。
福岡のね。
そこでイベントがあるんですけど、その地域のおばちゃんたちの動きがやばすぎて。
一学年マックス100年ぐらいだった小学校でそんな大きな規模じゃないんですよ。
もう全然そんな団地の中にあるちっちゃい小学校なんですけど、そこが廃校になるっていうだけで張り切っちゃって。
街中の駐車場という駐車場を押さえてるし、実行委員会も膨れ上がってやってて、テレビとかラジオに特集されまくってて。
楽しみだね。
君たち何やろうとしてるのみたいな。世界征服でもしようとしてるのみたいな感じの。
それも最初からプロジェクトマネジメントしてとかそういうのじゃないのはね。
だってよくわかんないけどこの企業から協賛もらいましたみたいな。
雪だるま好きに大きくなってて、最初の要件と全然違うみたいな。
あれはね、すごいなっていう。
それが起こるのは豊かな証拠ですね、地域が。
その地域が好きだったっていうのと、やっぱりそこに自分の子供を育てたとか、いろんな思いが乗って育ってるんだろうなとか思うと。
クラファンとかやってクラファン支援したりしてすごく熱烈のメッセージもらって、実行委員会出てくださいよとか言われてたんですけど、
僕が出たらダメだったんだろうなって思っていて。
そういう意味でランダム性のあることをいかに大切にできるか。
大切にできる社会を継続できるかみたいなのは日本が。
さっきの掃除の話とかも文化度高すぎると思うんですよね。
掃除して楽しいみたいな。
そういうの楽しいんですよ。
文化度高すぎる。
めちゃくちゃ楽しいんですよ、掃除。
ベトナムの人に聞いたらもう意味わかんなくなるじゃないですか。
ゴミめっちゃ溢れてたんで、説教の家に行った時。
そうね。
だからもう掃除で楽しいなんて、どうなってんのみたいな。
文化度高いなっていうのは。
確かに。
それを守れるためにもいい街づくりみたいなものが機能していく。
その利益を、そのメリットをね。
維持したいなって思える人が増えるといいなって気がしますね。
日本のフードとして集団を大事にする、共同体を大事にするみたいなところが結構魂レベルでみんな共通して持っている感じがして。
同じことはアメリカとかでは起こりにくい気がしていて、
日本はその土壌が他の国よりは整っている、やりやすいんだろうなっていうのも感じます。
そうね。
ヨーロッパとかだとね、スクエアっていって、街の交差点みたいなところが広場になってるんだけど、
そこでお祭りやったりとかマルシェやったりとかがあって、
それはそれですごくコミュニティの基点になったらしい。
あ、そうなんだ。
そうそう。だからそこでいろいろあるんですけど、アメリカも結構そういうところがあって。
全然改造とは引っ張ったな。
全然全然。でもね、共同体のあり方みたいなのは結構違うかもしれないですね。
社会の成熟度の問題かなって気はしている。
なるほど。
余剰が生まれないとそういうことにならないから、そもそも。
だから先進国でしか生まれないんじゃないかっていうところと、
逆に言うと原始的であればあるほどそういうのはあるから、
そこの今、中間地点にはいる。
そうですね。逆に屋台がいっぱい出てるところだったら、
ストリートで結構いろんなことやられてたりとかもするんで、
結構それが逆にいいよねっていうのもあったりする。
フィリピンとかも、どこだっけな、インドネシアかな、
ジョグジャカルタとかのストリートとかも結構そういう目で見る人があって、
ある程度面白いんで。
なるほどね。
だって日本で今屋台出そうとできないですもんね。
逆にそれが継続してできてるっていうのは、ある種すごい。