親の年齢に追いつく
- こんにちは。今回はですね、あなたが共有してくださったブログ、プチメタ3.0の記事、これをいくつか掘り下げていきたいなと思います。
テーマは、自分の子供の頃に見ていた親、いますよね。その親と同じ年齢になった時に感じる不思議な感覚とか発見についてです。
- ああ、なるほど。
- 子供の頃って、親はもう何でも知ってて、何でもできて、すごい頼もしい大人って見えませんでした?
- ええ、見えましたね。完璧というか。
- ですよね。でも、いざ自分がその年齢になってみると、あれ?みたいな、ちょっと違う景色が見えてくるようで、
これらの記事を通して、多くの人が経験するかもしれない、大人になることの視点の変化みたいなものを探っていけたらなと。
- 非常に共感しやすいテーマですよね。
いただいた記事は、個人の内省を通して、世代間の認識のずれとか、あるいは自分自身の変化、そして親に対する新しい理解、みたいなものが描かれているなと。
子供時代の理想化された親のイメージと、自分がその立場になった時の現実とのギャップ、これはいろいろと考えさせられますね。
- そうですね。まず2019年の記事から見ていきましょうか。
30歳や40歳になると、子供の頃の親の年齢に追いつく、と。
当時は両親はあらゆることを知っていて、仕事もできて、生活に困らないだけのお金を持っている、そんなふうに見ていたということですね。
- そうですね。でも現実は違った、と。
筆者が自分がその年齢になってみると、知らないことはたくさんあるし、失敗とか間違いも普通にするし、
あと経済的な不安も一向に減ってないぞっていう、そういう現実に気づくんですね。
- リアルですね。
- その結果、世間で親と呼ばれているものがこんなにも普通で、ある意味頼りない存在だったのかと、これは結構大きな認識の変化ですよね。
- すごくわかります、それ。
その自分も意外と普通じゃん、みたいな感覚が、2023年の記事で語られている違和感にも何か繋がってきそうですね。
- 筆者が高校生の頃、お父様が46歳だったと。
ご自身が46歳になった今、父は出会った時から父だと、最初からちゃんとした大人だったって、そう感じていたけど、どうも自分は違うぞ、と。
- 具体的に書かれてますよね。家を買おうと思うと、なんかとてつもない覚悟がいる気がするとか、子供を育てる責任感、これには耐えられないだろうとか、
仕事がうまくできるか、毎日ヒヤヒヤしているとか、かなり率直な心情が、かつて見ていたお父さんのイメージと今の自分との間に、すごく大きなギャップを感じている。
大人になることの再発見
さらに面白いのが、精神的な感覚は20代とほとんど変わっていない、とも書かれてるんですね。
これって単なり未熟さなのか、それとも結構みんなそう感じていることなのかな、とか。
- 確かにちゃんとした大人を必死で維持しているみたいな感覚って、もしかしたら多くの人がうちに秘めているものかもしれないですよね。
- そうかもしれませんね。
- 一方で少し時間を遡って、2011年の記事。ここではまたちょっと違う側面が見えてくるんですよね。
子供の頃、毎日働く両親を見て、ものすごく大変そうで難しそうなイメージがあった仕事。
それがいざ大人になると、意外と普通にできるようになっていた、という気づき。これはちょっとホッとするような感覚ですかね。
- そうですね。ここで面白いのは、仕事に対する見方の二面性というか、子供時代の大変そうだなっていう不安が、大人になって、あれ意外とできるじゃんっていう感覚に変わる。
その一方で、いい大人なのに仕事ができない人もいることも分かったっていう、もっと現実的な観察感も加わってくるわけですね。
- なるほど。
- つまり、大人イコール有能みたいな、そういう単純な図式ではないんだっていう多角的な理解が生まれてきている。
- うーん、なるほどな。これらの記事を並べて読んでみるとですね、子供時代の自分が作り上げてた完璧な大人像っていうのは、
実はある種のフィルター越しに見てただけなのかもしれないなって、親もいろいろ試行錯誤してたのかもしれないなって。
- まさにおっしゃる通りだと思います。その気づきが単になんだっていう厳密じゃなくて、むしろ親への新たな尊敬の念につながっているっていう点がすごく重要だなと。
- あー、確かに。
- 2019年の記事の最後には、そんな状態で家を建て子供を育てていたことを考えると、改めて尊敬すると、親はいろいろな不安の中で頑張ってくれていたのだっていうふうに締めくくられてるんですね。
自分と同じような未熟さとか不安を抱えながらも、親としての役割を果たそうとしていた。その姿への理解と感謝が生まれているわけですね。
- なるほど。自分が親と同じステージに立って、初めて親もまた自分と同じように悩み、迷いながら生きていた一人の人間だったんだなって踏み落ちるというか、それは自分自身の不完全さを受け入れると同時に、親への目覚ましがより温かく深いものになる、そういう瞬間なのかもしれないですね。
- そうですね。子供時代の理想化っていうフィルターがパッと外れて、等身大の親の姿が見えてくる。そして同時に等身大の自分自身の姿も見えてくる。これらの記事が描いて出しているのって、そういう普遍的な心の動きなんでしょうね。
- 大人になるっていうのは、完璧さを手に入れることじゃなくて、むしろ自分の不完全さとか不安とどう向き合って共に歩んでいくか、その術を学ぶ過程なのかなと。それは親を人生の先輩としただけじゃなく、同じ課題に取り組む、同級生として再発見するような、そんな経験にも似ているかもしれませんね。
- なるほど、同級生ですか。面白い見方ですね。さて、これらの話を伺って、あなたご自身の経験を振り返ってみるといかがでしょうか。子供の頃に見ていたあの大人たちの姿と、今のあなた自身、そこにどんな違いとかあるいは意外な共通点なんかを見つけたりしますか。少しご自身のことに思いを巡らせてみるのも面白いかもしれませんね。