電車での出会いの不思議
さて、今回掘り下げるのは、DIKUSHIMAさんがですね、2025年8月22日に、プチメタ3.0っていうブログで書かれた記事です。
電車で祝わした乗客ともう二度と会うことはないと思うと感慨深い。
これですね。
はい。リスナーのあなたも、例えば、旅行先とか出張先とか、普段乗らない電車の中で、周りの人を見て、ふと、
あ、この人たちとはもう一生会わないんだろうなーって、なんかこう、特別な気持ちになったことありませんか?
あー、ありますね。なんか、ちょっとしんめりするというか。
ですよね。この記事が捉えているのって、まさにそういう見知らぬ他人との一騎一鋭ですよね。
その儚さとか不思議さ、今日はこの感覚について、ちょっと深く考えていきたいなと。
えー、面白そうなテーマですね。
まず、記事の中心的なところなんですけど、筆者の生嶋さんは、特に普段行かない場所、旅先とか出張先の電車に乗った時の、あの独特の感覚について書いてるんですよね。
そうですね。同じ車両に、こう、乗り合わせた人々を見て、あー、もうこの人たちと二度と会うことはないんだなーと、ふと、そう思う瞬間があると。
で、これが普段使っている、まあ地元の電車、生活圏が重なっている人が乗っているかもしれない電車とは、全然違う感覚なんだっていう指摘も、これ面白いですよね。
えー、地元だとね、偶然見かけた人でも、なんか後日、別のスーパーとかでバッタリ会ったりとか、可能性ゼロじゃないですもんね。
でも、全然知らない土地で、たまたま同じ電車に乗っただけの人と、また会う確率って、これはもう限りなくゼロに近いだろうと。
この再会のあり得なさが、多分感覚の違いを生む大きなポイントなんだろうなと、筆者は考えているみたいですね。
その結果、筆者は、なんだかすごく不思議な気分になるって表現してるんですね。
この不思議な気分、これもう少し分解してみると、どういう要素から来てるんでしょうかね。
そうですね、いくつか絡み合ってると思うんですけど、まず一つは、その出会いの偶発性ってやつですかね。
偶発性?
ええ、今この車両に一緒にいるのって、本当にただの偶然なんだなと、何の必然性もないっていう。
たまたま同じ時間の電車を選んだだけですもんね。
まさに。で、二つ目が相互の匿名性。お互いに名前も知らない、どこから来てどこ行くのかも、どんな人生なのか、その素情、素情も全く分からない。
ああ、顔は見てるのに。
そうなんです。顔は見える、物理的にはすぐそこにいるのに、相手のことは何も知らないっていう、この状態ですよね。
ネットの匿名性とはまた違いますよね、それは。
ええ、違いますね。その物理的な近さとのギャップが、またなんか不思議さを増してるのかもしれない。
非日常性と感慨深さ
なるほど。
そして三つ目が、さっきも出ましたけど、再会の不可能性。この関係って、電車降りたらもうほぼ終わりなんだろうなと、また会いたいって思ってももう無理だろうなっていう、なんか確信に近いものがある。
偶発性、匿名性、そして再会の不可能性、この三つですか?
ええ、それが組み合わさって、あの独特の不思議な気分になるんじゃないかなと。
ここでちょっと面白いなと思うのは、この感覚って、ある種の非日常性から来てるのかなって。
非日常性ですか?
はい。普段の生活って、ある程度予測できる人間関係の中でやってますよね。家族とか友人、同僚とか。継続的な関係があったり、また会う可能性のある人たちが中心じゃないですか。
確かに、日常で知らない人を見ても、なんか近所の人かなとか、同じ駅使う人かなとか、完全な一回きりって感じじゃないことの方が多いかも。
ええ、でも旅先日帯な非日常の空間だと、そのいつもの関係性の網から完全に切り離されるわけですよね。
そこで出会う人たちって、自分の日常とは全く接点がない。もう完全に独立した存在として、こう目の前に現れる。
物理的にはすぐ隣に、もしかしたら肩が触れるくらいの距離にいるのに、社会的、時間的にはものすごく隔たってる。この強烈なコントラスト。
コントラストね。
相反するものが同時に存在しているっていうこと自体が、不思議さの核心部分なのかもしれないですね。
なるほどな。物理的には近いのに、社会的には遠いっていう。
そうですね。たまなまだけ存在する、完全な他者同士が、ただ物理的に隣り合ってるだけの空間。
その得意性みたいなものが、あの感慨深いって気持ちに繋がるんじゃないかなって。
リスナーのあなたはどうですかね。電車だけじゃなくてバスとか飛行機とか、旅先のカフェとかでもいいんですけど、こういう感覚、味わったことありますか?
見知らぬ人たちとほんの短い時間だけ偶然一緒になる、あの感じ。
そういう時、心にどんな思いがよぎりますかね。
生島さんみたいに感慨深いって感じるのか、それともなんかちょっと切ないとか、寂しい気持ちになる人もいるかもしれないし。
逆にもう風景の一部として、特に何も感じないって人もいるでしょうね。
通勤電車と旅先のローカル線じゃまた器用かもしれないし。
うーん、それは状況とかその時の気分にもよりそうですよね。