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2025-08-03 06:09

引きこもりの子供に親が味方するともう解決できない

学生に逃げ癖があり、保護者がそれを許すようだと
教員や周囲の人間はまったく手が出せない。
いくら反対したところで本人も親も聞く耳を持たないので、
教員だけが批判者のようになるのだ。

https://mclover.hateblo.jp/entry/4523/

サマリー

引きこもりの問題について、カーペファイデムの厳しい指摘とIKUSHIMAさんの共感を掘り下げ、親の責任について考察します。特に教育現場での経験から、甘さが子供を危険に晒すリスクが強調されています。

親の責任と引きこもり
今回はですね、不登校や引きこもりにおける親の責任という、少し重いテーマに切り込んでいきたいと思います。
出元にあるのは、カーペファイデムLLCという支援団体のサイトのQ&A記事と、それに対するDIKUSHIMAさん、
IKUSHIMAさんと読みますね。この方のブログ、プチメタ3.0での感想です。
今回の深掘りでは、あくまでこのIKUSHIMAさんの感想に焦点を当てて、彼がこの記事をどう読んだのか、そこを探っていきましょう。
なるほど。
まず、元のカーペファイデムの記事なんですが、これは特に長期化、高齢化したケースに関するQ&Aは、まあ、かなりストレートというか。
そうですね。かなり厳しい言葉が並んでますね。
30過ぎの引きこもりだが、やればできると思うという質問に、やればできる子は30過ぎて引きこもったりしません、と。
うーん、手びるしい。
家の金が尽きたら、引きこもりは潔く死ぬ。それなら誰も何も言いません、みたいな。読む人によってはかなり過激に聞こえるような表現もありますよね。
ええ、ありますね。
そんな記事を読んで、IKUSHIMAさんはブログでゾクゾクする、素晴らしいとまで言ってるんです。
ほう。
特に、おそらくはこれが真実で、それを隠さないところに誠意を感じる、って書いてるんですね。この親烈さの中に、なぜ彼は誠意とか真実を感じたんでしょうか。
うーん、IKUSHIMAさんが真実と感じたのは、やっぱりこの記事が、特に30歳を超えた引きこもりの現実ですよね。
はい。
社会復帰がいかに難しくなるか、そしてその長期化に親の関与がいかに大きいかっていう点を容赦なく指摘しているからじゃないでしょうか。
ああ、なるほど。
記事の中に出てくる、積むっていう言葉。
えー、生技の。
そうです、生技の積み。もう後がない。自分の力で生きていくのが事実上不可能になるっていう、その状態への強い危機感が、たぶんIKUSHIMAさんの共感を読んだんだと思いますね。
積む、取り返しがつかない状況。IKUSHIMAさん自身、教育者としての経験から、学生に逃げ癖があって、保護者がそれを許しちゃうと、もう周りは手が出せないんだとも書いてますね。
えー、書いてますね。
これって、元の記事が指摘している、優しいことの何が悪いんですか、みたいな親の疑問とか、あるいは子供の逃げ癖をある種許容してしまう姿勢と、なんか根っこでつながっている感じがしますね。
まさにそうだと思います。元の記事では、これ以上は絶対認めないっていう、親のその強い線引きの重要性とか、あるいは対話とか、傾聴だけじゃ特に30歳過ぎたらもう効果は薄いよと、具体的な行動とか、時にはまあ強制力みたいなものも必要になるんだっていうふうに説いてるんですね。
福島さんはこういう決断の時期を先延ばしにしないで、厳しい現実をちゃんと子供に見せること、それこそが本当の愛情なんだっていう、元の記事の主張に強く同意しているように見えますね。
IKUSHIMAさんの共感
元の記事では、手遅れ系家族会なんていう言葉も出てきますね。国の支援ばかり求めたり、責任転嫁しちゃうような一部の親の会への継承というか。
そうですね。
これも、福島さんが評価する真実を隠さない誠意の一部というふうに捉えてるんでしょうか。彼、普通の社会人なら長期間ブランクがあったらどう評価されるか想像つくはずだとも言ってますし。
おっしゃる通りだと思います。福島さんの視点からすれば、キャーペフィデムの記事の厳しさっていうのは、単に過激なんじゃなくて、問題の本質から目を反らさせないためのある種の誠実さとして受け止められたんでしょうね。
なるほど。
特に、親が甘さからその決断を先延ばしにしてしまうことが、結果的に子どもを罪に追いやってしまうリスクを高めるんだという指摘。ここにご自身の経験も重ねて強く共感されたんじゃないでしょうか。
教育現場での、いくら言っても本人も親も聞く耳持たなくて、結局教員だけが悪者になっちゃうみたいな経験が、もしかしたら、元の記事の甘えを許さない姿勢への素晴らしいって評価につながってるのかもしれませんね。
それはあるかもしれませんね。
ただ、この記事の厳しさって、例えば、働かざる者空べからずを徹底するとか、家を提供されてるだけでありがたく思えみたいなスタンスまで含めて、生島さんは肯定的に見てるんでしょうかね。
ブログの論調を見る限りでは、そういう厳しい言葉の裏にあるメッセージ、つまり、現実に向き合わせることこそが最終的には救いにつながるんだという部分を強く読み取っているように感じます。
なるほど。
表面的なその耳障りのいい優しさじゃなくて、時には痛みを伴っても自立への道を促す厳しさ、それこそが彼にとっては愛情の形として見えているのかもしれません。
なるほどな。耳に痛い言葉でも、それが現実なんだと。そして、その現実から目をそけさせないことが親の責任なんだと。生島さんの感想を通してみると、また元の記事の意図が違った角度から見えてくる気がしますね。
今回こうして見てくると、生島さんは、Kアルファイデムの記事の辛辣ともいえる言葉の中に、引きこもり問題の非常に厳しい現実とそれに対する親の責任という真実を見出して、その率直さを誠意として高く評価している。問題を先送りしないで厳しい現実にも向き合うことの重要性をご自身の経験も踏まえつつ痛感しているんでしょうね。
積むという状況を下げるために、あえて厳しい現実を直視させると。生島さんの感想は、なんだかこう、ある種の覚悟を迫るような問いかけにも聞こえますね。
そうですね。
さて、あなたはこのカールペフィデムの厳しい指摘、そしてそれに対する生島さんの共感をどう受け止めましたか。子供に対する愛情と、時に必要とされるかもしれない厳しさ、その境界線はどこにあるとあなたは考えますか。今回の探究があなた自身の考えを深める何かきっかけになれば嬉しいです。
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