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2025-07-31 06:11

マヨネーズが嫌いだと世の中が生きづらい

飲食店に行って何か注文したときに
予想外にマヨネーズやドレッシングがかかっていることが多く、
しかもそれが周囲の食材にまで接触していたりする。
そうなるとせっかく注文したのに食べられない。
そういった生きづらさがなかなか理解されなくて困る。

https://mclover.hateblo.jp/entry/20200129/1580268600

サマリー

今回のエピソードでは、マヨネーズが苦手な人々が直面する日常生活の困難について掘り下げています。特に、外食やコンビニでの隠れマヨネーズとの戦いによるストレスが、多くの人々には理解されにくいという実態が描かれています。

マヨネーズの苦手意識と日常生活の影響
今回はですね、多くの方にはすごく身近な調味料、マヨネーズ。これがどうしても苦手だっていう方が日々直面する生きづらさ、これについて共有いただいたブログ記事をもとに、ちょっと深く見ていきたいなと思ってます。
個人の体験がかなりキツキツと綴らなてるんですよね。小学校の給食のちょっと苦い経験から始まって、
外食での困難とか、あとはなんか隠れマヨネーズとの戦いみたいな話まで。あなたにとってマヨネーズってどうでしょう?まずはこの方がどんな壁にぶつかってきたのか、具体的に見ていきましょうか。
そうですね。非常に一般的などこにでもある食材だからこそ、それを強く避けなきゃいけないとなると、日常生活の選択肢が想像以上に狭まってしまう。
で、それがストレスにもつながるっていう、その実態って案外見過ごされがちかもしれないですよね。
どういった状況で困難を感じるのか、ちょっと紐解いてみましょうか。
はい。記事によると、そもそものきっかけは小学校の給食だそうです。
ああ、給食ですか。サラダにかかったマヨネーズがもうどうしても食べられなくて、胃残りさせられた。野菜そのものは別にいいのに、マヨネーズが絡むとダメ。
なるほど。
で、タルタルソースとか、あといわゆる不透明なドレッシング、あれも同じように苦手だそうですね。
ここでちょっと興味深いのは、単に味の好き嫌いっていうレベルじゃなくて、特定の状態ですよね。マヨネーズが付着しているっていうこと自体がダメっていう。
ええ。しかも関連するソース類にも広がるから、避けなきゃいけないものが結構広範囲になる。これはかなり厄介ですよね。
そうなんです。で、その厄介さが特にはっきり出るのが外食の場面だと。
ああ、外食。注文した料理に、え、これに?みたいに予期せずマヨネーズが使われてたり、ドレッシングがかかってたり。
めっすりで他の、例えばお肉とかにまで付いちゃうと、もう、ああ、食べられない。ってなる経験が何度もあったって書かれてますね。
ありますよね。ハンバーガーとかたこ焼き、お好み焼きなんかだと普通に使われてますけど、料理名にマヨネーズ使用って書いてないことも多いですし、
さらに注文の時にマヨ抜きでお願いしますって言っても、それがちゃんと伝わらない、徹底されないケースが多いっていう指摘。これはすごく重要ですね。
そう、まさにそこがこの方がすごく嘆いてる点なんですよ。周りからは抜いてもらえばいいじゃんって。
まあ軽く言われるけど、そのマヨ抜きっていう一個一個の対応が思った以上に難しい現実があるんだと。これ経験しないとなかなか分からない感覚かもしれませんね。
そうでしょうね。特に効率化とか作業がマニュアル化されている厨房だと、イレギュラーなリクエストってどうしても抜け落ちやすくなるっていう構造的な問題があるのかもしれないです。
これって単にマヨネーズに限った話じゃなくて、なんていうか食品業界だけじゃなく、アレルギー対応とか他のマイノリティのニーズがいかに標準化されたシステムの中で見過ごされがちかっていう、そういう普遍的な問題をちょっと移しているのかなと思いますね。
個人のニーズと効率化されたシステム、その間に生まれる見過ごされがちな摩擦みたいな。
食文化と提供システムの見直し
なるほど。システムとの摩擦ですか。確かに。外食だけじゃなくてもっと身近な、例えば昼食、コンビニとかでもこんなんはあるみたいで。それが隠れマヨネーズの問題?
隠れマヨネーズ。ポテトサラダとかサンドイッチみたいに、もう明らかにマヨネーズが主役ですっていうのは最初から避けるんでしょうけど、問題はもっと巧妙なケースですよね。ソースの隠し味に入ってたりとか、あとコンビニの焼きそばパンの底に塗ってあったり。
うわ、それは気づかないかも。ソーセージパンの上に洗浄にかかってたりとか、原材料表示をちゃんと見ないと全然気づけないレベルで使われてる。
アレルギーじゃないんだけど、匂いだけでも気分が悪くなるっていうぐらい強い嫌悪感がある方にとっては、こういう良きせぬ遭遇って本当に大きなストレスですよね。
そうですね。
しかもアレルギーじゃないからこそ、わがままとか好き嫌いが激しいだけみたいに見られちゃって、その生きづらさ自体がなかなか周りにわかってもらえないっていう悩みも書かれてました。
その苦悩が結局、記事の最後の提案につながってるわけですね。
はい。
全てのトッピング類は、もう最初からかけちゃうんじゃなくて、食べる人が後からテーブルで自分でかけられるようにしてほしいと。
これって単なる個人的なわがままとかじゃなくて、一人一人の選択肢とか、その快適さみたいなものを尊重する、もっと柔軟な食の提供システムってどうなんだろうっていう問いかけとも取れますよね。
今回はマヨネーズっていう、たった一つの食材ですけど、それに対する強い拒否感が、外食とか昼食、あと人との関係における理解とか、日常生活の本当にいろんな場面で具体的な困難を生み出してるんだなっていう実態を、ブログ記事を通して深く見てきました。
これもっと大きく見ると、社会のいわゆる標準とされる好みとか感覚から、ちょっとだけ外れた特性を持つ人が、日々どんな見えにくい壁に直面してるのかっていう、そういう話でもあると思うんですね。
あなたの身の回りにも、もしかしたら特定の食べ物とか状況に、すごく強いこだわりとか苦手意識を持ってる方、いらっしゃいませんか?
では、この話って結局、私たちに何を問い立ててるんでしょうかね?
マヨネーズの話に限らず、普段私たちが当たり前だと思って受け入れてる食文化とか、提供の仕組み、その中にもしかしたら意図せず、誰かの負担とか息づらさを生んじゃってる部分ってないんだろうか?
そして、誰もがもっと気持ちよくというか、心地よく食卓を囲めるようにするために、私たちにできる工夫って何なのか?
そんなことをちょっと考えてみるきっかけになったら嬉しいなと思います。
今回の探究はここまでです。
06:11

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