1. デジタル時代の国語教育を語ろう
  2. #042 あえて手書きを取り入れる
2025-05-12 15:39

#042 あえて手書きを取り入れる

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第42回配信です。
今回のテーマは「大福帳」です。皆さん、ご存じですか?
今回は「大福帳」という手書きの振り返りを私が授業で取り入れていることについて話していきます。なぜ今、手書きにこだわるのか?その背景にある理由を深く掘り下げます。
生成AIと教育の関係性、ICT教育の現状、教育現場での紙媒体と手書きの実践例、そして久々の国語教育回です。

参考
向後千春先生のnote
「すべての授業で大福帳を使おう」
https://note.com/kogolab/n/n0878dfb1f531

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サマリー

デジタル教育が進む中で、手書きの大副帳を取り入れる理由が語られます。生成AIの影響を受けた教育環境において、手書きの意味や価値が再評価され、生徒の学びを深める方法が探求されています。手書きを取り入れることで、生徒とのコミュニケーションを深める重要性が述べられています。この実践を通じて、自己表現やフィードバックのプロセスがどのように進化しているかが紹介されます。

手書きの重要性
デジタル時代の国語教育を語ろうにようこそ、パーソナリティーのKasaharaです。
この番組では、ICTを活用した国語の授業実践に関する話題を中心に、
Google for Education認定トレーナーと認定コーチの資格を持つ私、Kasaharaが、教育にまつわる様々な話を配信していきます。
職員室のスタッフ同士で行われる教育談義のようなものだと思って、ゆるっと聞いてください。
あなたは大副帳を知っていますか?
もともとは江戸時代から明治時代、大正時代頃まで使われていた商人の帳簿、顧客データベースみたいなものなのですが、教育の文脈だと別の意味を持っています。
一番有名なのが、神戸治晴先生の大副帳ですね。
すべての授業で大副帳を使おうというノートの記事を読んでいただけると、実物の写真なども見られますので、概要欄にリンクを貼っておきますから、ぜひお読みいただければと思います。
つまり、大副帳って何かというと、授業の振り返り、リアクションペーパーのことです。
1回につき4行ぐらいの書くもので、各授業の振り返りが記入できる様式になっているものですね。
実は自分も5年くらい前までは大副帳をやっていたのですが、勤務校がICTを導入して、できるだけ自分の授業から紙のプリントを排除してきたので、大副帳もしばらく使わないできたのですよね。
大副帳の代わりにパドレットを使って振り返りを書いてもらったり、グーグルクラスルームにコメントをしてもらったりとしていたのですが、今年は久々に紙の大副帳に戻そうと思っています。
自分は以前にもどこかで話しましたが、とにかく手書きが嫌いなので、生徒にも手書きをさせたくないなぁという気持ちはあるのですが、それでも今年は紙の手書きの大副帳にちょっとこだわりを持って戻してみました。
今回はそんな決断をした背景について話をしてみようと思います。久々に国語の話題です。
生成AIの影響
さて、なぜこれだけ普段からICT、ICTと連呼している自分が、わざわざ紙でしかも手書きで大副帳をやらせようとしているのかというようなところから話をしていきましょう。
それはもう一言で言ってしまえばお察しかもしれませんが、生成AIが出てきたからです。
生成AIが出てこなければ紙に回帰するということはおそらくなかったかなというふうに個人的には思っています。
というのも、生成AIのスピード感があまりにも早いということに関して、国語の教員として若干の違和感を感じているところがあるんですね。
もちろん、基本的には生成AIは非常に便利ですし、自分ももう日常的に生成AIに話しかけまくっていて、それこそ人間と話すよりも生成AIと話している時間の方が長いんじゃないかなって。
この前、オードリーの若林さんが生成AIにずっと話しかけているみたいな話もありましたが、まああれもすごいわかるわかるみたいな感じで読んでたんですよ。
まあそのぐらい生成AI自分は使ってはいるんですけれども、ただ一方で子供たちが生成AIを使っていくときに授業のペース感というか、何かフィードバックがすぐ得られるということにメリットを感じながらも、
その即時的なフィードバックというものに対して、これはどうなんだろうっていうふうに疑問に思うというか、違和感を感じる場面が多々あるんですよね。
ただその違和感が何かということに関しては正直なところまだちゃんと言語化はされてはいないです。
少し前の自分のノートにも書いたんですけれども、ある意味で生成AIを使うことによってスピードがアップしているっていうのは、それだけ生徒を勉強することに追い立てることにも繋がっているんじゃないかなっていうところはなんとなく薄ぼんやり思っているところなんですよ。
生徒をずっと勉強させたい、生徒をずっと何か考えさせたいという、そういう授業者としての欲望みたいなものが何か生成AIに強く反映されてしまっているんじゃないかなみたいな感じをすごい感じています。
なのでこれは生徒の学びになるならないという話というよりは、ある意味で自分が子供たちを学ばせたい、ずっと学んでいてほしいみたいなそういう欲望に生成AIを使って借り立てられすぎないようにするためにちょっとスピードダウンが必要なんじゃなかろうかというふうに思っているところが大きいんですね。
なので本当に紙のフィードバックが良いのか、それとも生成AIを使ったフィードバックというものが悪いものなのかみたいなことに関しては、ちゃんとどこかで考えなければいけないなとは思っているんですが、ただ自分の今感じている違和感というかこのスピード感の速さみたいなものに関しては結構注意深く扱っていきたいなということもあって、
今年は一旦紙の大副長で落ち着いて何か自分の言葉を練り上げるという作業をしてほしいなというふうに思ってますし、自分自身も生徒の見取りというものをじっくりと時間をかけなければいけないかなというふうに感じてそういう実践を行っているという感じですね。
生成AIを使っていると自分の考えていることとAIが出力したことの境界線が何となく曖昧になりそうな予感があるんですよね。
国語の授業で子どもたちがそういう曖昧な状態になっていくことというのは、いいのか悪いのか望む望まざるとそういう方向になっていく可能性というのは十分あるとは思うんですけれども、ただ不要意に踏み込んでいいことでもないかなというのはちょっと思ってます。
生徒とのコミュニケーション
過渡期なので、もしかしたらこの後、生成AIがもう社会の中で一般的になってきたら、そういう感覚というもの、文章を書くという行為自体の意味付け自体も変わってくるかもしれないので、この先どうなるかはわからないんですけれども、現時点としてはちょっと保守的な歩み方をしていきたいというふうに思っているので、あえての自分の手書きで書く、自分の言葉で間違いなく書いているという感触を大切にしてほしいかなというふうに思っているところもあったりします。
生成AIのペースの速さというのがやっぱり一番ネックですね。とにかくスピードが速い。そのスピードの速さが非常に便利なので自分も日常を使いしているわけなんですけれども、ただやっぱり自分のペースで考えるということも教育、教室という場面においては大切なんじゃないかなというふうには思ってます。
自分の思考の速度以上では手書きではある意味出力されることはないので、せめて1回1回の授業では自分のペースで思考を振り返るという時間を持つことは、生成AIを普段使いするようになるからこそ重要になるんじゃないかというふうに思ってます。
自分の頭の回転ってどのぐらいなんだろう。自分の頭の動かし方ってどういう手順なんだろうみたいなことをメタ認知していく。そういう場面がやっぱり授業で保障していくことが必要重要になってきてるんじゃないかなというような気はしてます。
なんかこういう話をすると、AIに対してお前はネガティブなのかみたいなことを言われる感じもしますけれども、自分の放送をよく聞かれている方ながらお分かりだと思いますけれども、日常的に自分はもうAI使いまくってますから、そんな自分がたくさん使っているのに生徒に使わせるのは使わせたくないのかみたいな言い方になってしまっているところに、なんとなく自己矛盾というのを感じているのは間違いないんですが、
ただ、AIを使うということと、AIに巻き込まれて使われているみたいなところの違いというのが自分の中ではっきりとうまく定義できない以上は、少しスローダウンする時間をとってもいいんじゃないかなというふうに思ってます。
授業の50分間の中で45分間はもうAI使ってやってもいいけれども、せめて最後の5分間は手書きで自分の頭だけを使ってみるっていうような、そういうような感触の違いみたいなところをトレーニングするタイミングをあえてとってもいいかなみたいなことを思ってたりもしますね。
あと、ライフクチョーに関しては、生成AIの話とは別の狙いとして、やっぱり自分の学びを視覚的に一覧できるということに意味があるなというふうには思ってます。
自分が生徒に渡しているライフクチョーのフォーマットは、5回の授業で1枚分となるような形になっているので、だいたい2週間分ぐらいの振り返りの記録が一覧できるようになっているんですね。
だから生徒もライフクチョーを1枚ザーッと見直してもらうと、2週間の間で自分の考え方だとか、勉強したことだとか、感じていたことの変化っていうのが見つけることができるし、もちろんそのライフクチョーを読んでいる自分の方も見とることができるので、教室の今の状況だとか、単元の進捗具合みたいなところを肌感覚でつかめることができるのは良いことかなというふうに思うんですね。
あとはやっぱり手書きなので、慌てて今日は書いてるなーみたいなことが分かったりすることもあるし、すごいみっちりと今日はちっちゃい字で書いてるから言いたいこといっぱいあったんだなーとかいうのが分かったりだとか、消しゴムで何度も消したり書いたりしているので、ああ今日はすごい迷ってるんだなーっていうのが分かったりするのも面白いところではあるんですよね。
ただまあ、そういう情報を読まれたくないなーっていうのが自分が生徒だった時の気持ちでもあるので、基本的にはそういう情報を見えないようにした方が自分としては好みなところもあるんですけれども、事業者としてはある意味でそういう情報から生徒とのコミュニケーションを始めたいということもあるので、身勝手なものだなーっていうふうに思ったりすることはありますね。
ちなみに、生徒に書いてもらっている大副長ですが、書く内容のこととしては原則として何書いてもいいよというふうに言っています。
手書きの重要性
授業のことを書いてくれたら一番いいんですけれども、とにかく5分間で自分の今頭の中にあることを自由に書いてごらんという話をしています。
4行ぐらいの分量だとツイッターを1回つぶやくぐらいの分量ですから、そのぐらいはやっぱりちゃんと考えてほしいかなというふうに思っています。
実理的なことを言うのであれば、4行ぐらいだとだいたい100字前後ですから、大学入試の記述問題ってそのぐらいの分量なので、もう100字ぐらいはパッと書けるような練習というのは少し練習してもいいよねみたいなことで生徒をつったりするところもあったりはします。
ただまあそういう細かい話は脇に置いておいて、自分の好きなことでもいいので、とにかく文字を書き慣れるということはしておこうねという話をしています。
だから生徒の書いてくる内容、ほとんどの生徒は授業の感想だとかこんなことがわかりましたみたいなことを書いてくれるんですが、時々もう自分の好きなことしかもう徹底して書かないみたいな生徒もいるので、それはそれで個性として面白いかなというふうに思っています。
おそらくいつでも授業のことを書かないつもりなんだなっていうのが伝わってきて、それはそれで面白いかなというふうに思っています。
で集めた大複長なんですけれども、自分は毎回毎回1人ずつ1枚1枚何かしら一言ずつコメントを書いてますね。
だいたい今は260人ぐらい教えているので、週に累計すると250回ぐらいはコメントしていることになるんですね。
まあ恐ろしい感じですね。ただ一クラス15分ぐらいで終わるぐらいのペースでやってます。だからだいたい1枚30秒ぐらいでパパって読んでます。
コメントに関してもいいねとかそうだねとか例えばぐらいしかコメントはしてないです。
もちろん大っ嫌いなんですけれども、手書きで1枚1枚書くようにしてます。生徒に書かせている以上は自分も手書きで返さなきゃなというふうには思っています。
本当はデジタルで大複長を集めればAI使って分析することもできるんですよね。
なので、もしかするとそういうような分析をした方が生徒たちにより良いフィードバックをできるのではないかという気持ちもないわけでは実はないです。
でも生徒自身の飾らない言葉を機械的に処理するのはやっぱりなんとなく気持ち悪いなというような感じはしています。
効率よりも自分の見取りや生徒との関係性を作っていくためにやっていることなので、ここは泥臭くてもいいかなとスマートにやらなくてもいいかなというふうに思っています。
大複長という取り組み自体が別に彼らのスキルを鍛えるためにやっているわけではないので、効率的に何かICTでやろうというふうに考えることはないかななんてことをちょっと今思っています。
実践とコミュニケーション
AIを使うことによってかなりいろんなことが便利にはなっているんですけれども、それに対してなぜかAI推進派であるはずの自分が冷水をぶっかけるようなことを言っているところに自己矛盾があると思われる方はいるかもしれないんですけれども、実践者としての率直な感想だと思っていただければいいかなというふうに思います。
今回の配信はいかがだったでしょうか。実際に4月から大複長を生徒に書いてもらっているのですが、授業時間を毎回5分10日するというのは結構な投資なんですよね。
授業時間の1割ですから、その1割で価値あることにつながっているのかと言われると判断がなかなか難しいところです。
授業を1分1秒も無駄にするべきではないと言われてしまうと、5分も時間をかけて書かせること自体に批判が出るかもしれないです。
自分も授業が忙しくなってくると、生徒にちゃんと5分時間をとってあげることができないで、休み時間に食い込んじゃってごめーんって謝りながら書いてもらうこともあります。
ただ、これは毎回ちゃんと書いていかないといけないだろうと思っているので、何とか毎回の授業で継続するようにしています。
前にやっていた時もそうなのですが、慣れないうちは書くのにすごい時間かかるんですよね。
ただ回数を重ねてくると、ちゃんと5分でまとめられるようになってくるので、継続と反復の力は馬鹿にできません。
大複長の実践をしていると、書きなあれという自由創作エッセイの授業を個人的には思い出します。
書きなあれという実践について説明していると長くなっちゃうので、ググってもらえればと思うんですが、
自分の書いたものが読まれるということは子どもたちにとってはとても嬉しいことなのかもしれないなと思います。
大複長に対して好意的な意見を持ってくれる生徒も意外と多いんですよね。
だから毎回コメントを書くのは結構な時間はまあ実際かかってるんですが、コミュニケーションとして自分も楽しいし、
生徒に対しても意味はあるのかなと思いながら継続していこうと思ってます。
ぜひ大複長の実践にご興味が湧いた場合お問い合わせをください。いろいろと実践のポイントを共有します。
今回の配信を聞いて何か参考になったことがあればいいねを押してもらえると番組作成の励みになります。
またアウトプットの一環としてぜひお気軽にコメント、SNSでのシェアをよろしくお願いします。
概要欄のメールアドレスやGoogleホームに直接感想やご意見をいただいても嬉しいです。
この番組は毎週月曜日に1回配信されます。次回の配信もお楽しみに。
ではまた。
15:39

コメント

デジタルとそれ以外、うまく反復することが大事かなと思います。 やっぱり片方だけだと上手くいかないっていう感じはしますね。 自分の会社でも日報というものを必ず書くというのがあって特に新人の頃は必ず先輩がレビューするという行程がありましたし、自分が受け持ったオンラインの講座でも日報作成&コメント返しはありましたねー。やはりああやって書きなれるとか表現し慣れるというのは重要かなーと。

毎月曜日、楽しみに聞いております。 やはり手書きのよさは確実にありますね。 私も中1に一学期間、毎時間振り返りを書かせていましたが、上達しますね。 その後は、これぞ!というときに振り返りを書かせるようになりました。 手書きとデジタルと、上手に使い分けたいですね~

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