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2025-02-03 13:59

#028 生成AIと「書くこと」を考える授業

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今回は、生成AIを活用した国語の授業を行うにあたり、生徒に「書くこと」の意味を考えさせる授業を計画していることについて話します。
AIと人間の対話、AIが人間の友人になれるのか、といった問いを投げかけながら授業を進めたいと考えていますが、なかなか思い通りに進まないで悩んでいるところです。

実践途中の授業についての悩みをこうやって配信することで、今後の誰かの実践の何か参考になれば…と思っています。

授業で扱ったCommon Sense Educationのレッスンプラン
https://www.commonsense.org/education/digital-citizenship/lesson/ai-chatbots-friendship

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サマリー

このエピソードでは、Kasahara氏が生成AIを活用した国語教育の実践について話しています。生徒と共に「書くこと」の意味を考え、生成AIの登場による教育の変化に関する悩みや研究内容が紹介されています。また、生成AIが友人関係や国語教育に与える影響についても考察されています。特に、テクノロジーとの関係を深めることが現代の教育において重要であるという視点が示されています。

デジタル時代の教育
デジタル時代の国語教育を語ろうにようこそ、パーソナリティのKasaharaです。
この番組では、ICTを活用した国語の授業実践に関する話題を中心に、
Google for Education認定トレーナーと認定コーチの資格を持つ私、Kasaharaが、
教育にまつわる様々な話を配信していきます。
職員室のスタッフ同士で行われる教育談義のようなものだと思ってゆるっと聞いてください。
気づけば早いもので2月になりましたね。
つい最近に新年の挨拶や抱負を語っていたような気もするのですが、あっという間に12分の1が終わりました。
1月は勤務校の入試シーズンなので、もう文字通り暴殺されたような気がします。
一方で、3学期については、個人的には色々と来年度に向けて伏せきを打ちたいなと思っている時期でもあるので、
授業としては挑戦的なことをやってみようと思っています。
自分に来る依頼として今一番多いものは、やはり生成AIに関する内容であるので、
授業としても少し新しいものを挑戦してみたいと考えています。
だから、年末から色々と考えていたわけですが、
あまり使ってみて色々なことができて嬉しいみたいなことをやっていても、
もう仕方ないかなという気持ちがあるので、ちょっと授業に迷っています。
もちろん、たくさん使ってみないとわからないことも多いので、授業の中で色々使ってみることは大切です。
ただ一方で、使ってこんなことができました、ということの見本一みたいになることは、
そろそろ乗り越えていかなければいけないなと個人的に思っています。
日常的に使うテクノロジーになる可能性があるからこそ、
じゃあそのテクノロジーとどう向き合っていくのか、ある面で言えば、
デジタルスタジオ教育の観点からどうしようみたいなことを思うのですよね。
今回は自分が今やっている単元の話を少し紹介してみようと思います。
詳細な話はどこかで文章に書いてまとめようかなと思っているので、
まあ今回はざっくりとした感想を聞いてもらえれば、悩みを聞いてもらえればと思っています。
生成AIの授業実践
さてここからが本題です。
生成AIの活用について授業で今取り組んでいるわけですが、
単元のゴールを定めきれないまま実はスタートしています。
一応校内の研究授業みたいな形で指導案も書いて、校内の先生には指導案をお送りしてたりするんですけれども、
授業をやりながらその指導案通りにはなかなか進まないなっていうのを結構悩んでいるところです。
実際今3時間目ぐらいまで授業が進んできてるんですけれども、
指導案に書いてないことをもう投げ込みでやり始めたりみたいな形であって、
やっぱり自分の中で少し迷っているところがあるなというふうに思っています。
この単元をやろうかなというふうに思った理由ってどこにあるかというと、
生成AIの何でも文章を書いて出してしまうっていうところに色々と感じることがあるからなんですよね。
この単元でやりたいなと思っていることとしては、
人間が書かなくても良い時代になりつつあるからこそ書くことの意味とはということを生徒と一緒に考えてみたいなって思ってるんです。
書くことは面倒で、奥空で、気持ちが重くなることって多くありますよね。
決して先生方も文章を書くのが得意な人ばかりでは多分ないはずです。
自分も国語の先生をやっていますけれども、やっぱりまとまった文章を書こうと思うと気は重くなります。
だけど書くことに対してハードルがあるとしても、
自分が書かなければいけない文章ってなんかあるような気はするんですよね。
身近なところであれば、例えばラブレターを生成AIに書かせて誰かに出すみたいなことって、
多分この先の時代もあんまりやらないんじゃないかなっていうふうに思うんですよ。
どうかな?やっちゃう人もいるのかな?
推考ぐらいはお願いしてもいいのかな?
でもやっぱり生成AIには書いてほしくない文章、書かせたくない文章っていうのがあるはずだと思いたいですし、
じゃあ自分が書かなければいけないものってどういうことなんだろう?
自分が書くとはどういうことなんだろう?ということを生徒と話し合いたいなというふうに思ってるんですよ。
それをどういう形で表現してもらうかが結構今悩んでいるところですね。
今回の単元をやるにあたって教科書の素材としては、
勤務校は賛成堂の教科書を利用していますので、
その教科書の中にある人間がアンドロイドとして蘇る社会という文章を扱っています。
この文章はアンドロイドとして死んでしまっている人個人を生き返らせて、
いろいろな話を聞いたりする体験について、
良い面や悪い面があるよね、賛否両論があるよね、みたいな形で論じている文章です。
結構ざっくりとまとめちゃったので、
詳しい本当の内容に関しては賛成堂の教科書を見ていただければと思うんですけれども、
この話って物体のあるアンドロイドと物体を持たない生成AIでちょっと違いはあるんですけれども、
ここにいない誰かが対話の相手として出てくるという意味では、
よく似ている構造なんじゃないかなというふうに思って、
生徒に趣向の補助線としてこの教科書の文章を読んでもらっているんですよ。
だから生成AIもそうですし、アンドロイドもそうなんですけれども、
人間ならざるものが人間に近づいてきた時に、
さあ人間ってどうやって考えられるんだろう、みたいなことを生徒と考えたいなと思っているんです。
教育の未来についての考察
うーん、自分の問題意識はどこにあるんだろうなっていうのは、
ちょっとまだ迷っているところでもあります。
教職研修という雑誌があるんですけれども、
その2025年の1月号に寄稿させていただいたんですが、
その記事の中で自分は対話についての提案をさせていただいたんですね。
その中に書いた内容としては、対話の相手として誰を選びますかということなんですよ。
雑誌で今発売中のものなので詳細については語れないんですけれども、
AIと話していれば良いって考え方もあり得る時代が今来てますよね、
みたいなことを問題提起させていただいたんですよ。
わざわざ校内で自分の意見に反論してくる人と壁打ちするよりも、
自分に対して嫌なことを言ってこないAIと話していれば、
自分の仕事としては済んでしまうんじゃないか、
みたいなことはかなり最近になって感じることです。
ただそうやって自分に対して何も引っかかりのない相手を対話の相手に選び続けることって、
本当にそれでいいのかなっていうところも悩むところなんですよね。
もちろん生成AIプロンプト次第なので、
自分の意見に対して批判的な意見を返してみたいなことを言うと、
ちゃんと批判的な回答も返してくれるので、
必ずしもイエスマンということだけでもないんですよ。
なので自分が傷つかない形でも、
ちゃんと多面的な比較検討みたいなことができる生成AIの時代に、
わざわざ傷ついたり嫌な思いをしたりして、
対話の相手として人を選ぶことって本当に続けるのかな、
みたいなことはすごくこの後どうなるか気がかりなんですよね。
どっちが正しいかということについては、
今のところ自分の中に答えがない状態です。
だからこそ子どもたちとも聞いてみたいなと思って、
この単元をやろうと思っています。
この観点でよく似ている実はレッスンプランがあって、
それがデジタルレッスンシップ教育ではおなじみの、
コモンセンスエデュケーションのレッスンプランなんですよ。
ちょうどコモンセンスエデュケーションのレッスンプランの中に、
AIチャットボット&フレンドシップという授業案があって、
チャットボットは人間の友人の代わりになるかどうかということを、
ジレンマのあるシナリオを読んで話し合うことによって、
理解を深めるというそういうレッスンプランが実はあります。
概要欄にリンクを貼っておきますので、
コモンセンスのレッスンプランに関してはご覧いただけると、
イメージがつかめるんじゃないかなというふうに思います。
ざっくりとした概要を紹介するのであれば、
引っ越してきて友達のできない子どもが、
生成AIのチャットボットと会話をすることによって、
寂しさを紛らわせたりするんだけれども、
それっていいことなの?どうなの?だとか、
生成AIは友達の代わりになるのだろうか?みたいなことを議論する、
そういうような内容となっていますね。
レッスンプランの一番最後の本質的な問いとしては、
生成AIと友情の影響
AIチャットボットが私たちが理想とする友人関係に何か影響を与えるだろうか、
みたいなことを考える、そういうレッスンプランになっていますね。
このレッスンプランやってみるとやっぱり面白かったですね。
子どもたちの立場も想像以上にバラバラです。
賛成と反対の立場はもちろん両方いるんですけれども、
今ざっと見た感じだと、まだ反対の子どものほうが多いなという印象ですね。
AIだと友達の代わりにはならないんじゃないかという意見のほうが多いです。
ただこれ賛成派の意見というところ、反対派の意見というところ、
これ実はテクノロジーの話だけでは全然正としないんですよね。
現体験として友情関係に関して何を持っているのかというところのほうが
影響としてかなり大きいんですよ。
あんまり細かいことを言うとちょっとナイーブなテーマなので、
子どもたちのプライバシーに触れちゃうところがあるので紹介しづらいんですけれども、
友人関係でちょっと嫌なことを経験として持っている生徒の場合だと、
その生成AIのストレスなく相手をしてくれるということの魅力って
やっぱり大きく移るみたいなことがあるんですよね。
こういう観点から考えていくと、テクノロジーというものが
どれだけ子どもたちの生活や普段のリアリティに関わっているのか
っていうのを改めて感じさせられますね。
テクノロジーをテクノロジーが良い?悪い?みたいなことだけで議論させていると、
なんだか上滑りしてうまくいかないなっていう感じる理由というのが
実はこういうところにあるんじゃないかなというふうに思うんですね。
要するにテクノロジーを何か生活と切り離して、
これは良い?これは悪い?なんていう考え方普段してないんですよね、きっと私たち。
生活の中で自然な形でテクノロジーが入り込んできて、
そのテクノロジーによって影響を受けながら
普段の生活というものが成り立っている以上、
普段の生活で何を大切にしているのか、
普段の生活でテクノロジーをどうやって使いたいと思っているのか
みたいなことをちゃんと見つめないと考えが深まらないんだなっていうのは思っています。
自分とテクノロジー、自分と社会の立ち位置だとか、
いろんな要素が複雑に絡み合っていると思うんですよ。
でもそういう複雑に絡み合った要素を一つ一つ自覚しながら語り直すことって
国語教育の新たな視点
とっても国語らしい国語の授業なんじゃないかなっていうふうに思うんですね。
特に自分が今担当しているのは高校生ですから、
いよいよ本当に社会に接続していくっていうのはそういう講習なわけですから、
国語の授業で自分と社会の関係を見つめながら、
その中でこれから自分が一生付き合っていくテクノロジーに関して考えていくって
現代の国語がやらなきゃいけない仕事だなっていうふうにすごい思っています。
生成AIについて語り直すということは、
実は国語家にとっては文章が簡単に出てしまうということ以上に意味があることなんじゃないかなと、
重要な課題として向き合わなければいけないことなんじゃないかな、
そんなことをちょっと今ぼんやりと考えています。
今回の配信はいかがだったでしょうか。
生成AIの使い方の事例についてはかなり増えてきた印象もあり、
自分としてもそういう事例を参考にしながら、
授業でどんどん便利に使っています。
ただ、今回の配信でお話ししたような、
そもそもAIとどう付き合いたいのということについて、
ちゃんと授業で向き合って考えるということが、
あまり見えてきていないなということに、
なんとなく違和感みたいなものを覚えているんですよね。
これは生成AIに対して、
たかがツールだと言って軽視するということでもなければ、
課題に生成AIが人間を変えてしまうみたいな不安を煽るみたいなことを
言いたいわけでもないんです。
どうしても生成AIのインパクトが強いせいか、
心臓的に訴えるものも強いせいか、
議論していると心臓的道徳的な話し合いにお尻がきちなんですけど、
そういう何だか上滑りしやすい議論を教室にいきなり持ち込んでも、
どうかなと自分は感じています。
一方で、楽観的にツールとして使えばいいんだ、
そんなに影響はないなということも言いがたいなと、
何か自分の中で引っかかってもやもやしている状況です。
まだテクノロジーとの距離感や役割の理解の仕方が荒いんだろうなというふうに
自分の不勉強を思います。
これからもう少し使い込んでいくことで何かできないかなと
模索の日々が続いています。
今回の配信を聞いて、
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またアウトプットの一環として、
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この番組は毎週月曜日に1回配信されます。
次回の配信もお楽しみに。
ではまた。
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AIを友だちと思うかどうか、普段どういう聞き方をしているかにも寄ってきそうですね。質問を主として使っているのかどうか、質問するとしたらどういう聞き方か、プロフィール設定など前提条件としてどんな文章を設定しているかなど、どう書いているかだけでも応答が大きく変わります。 現行のAIツールの多くはコンテキストを保有していないことを理解しているかどうかも、AIの印象に影響するかもしれません。

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