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2024-11-04 17:18

#015 「いまさら聞けないアクティブラーニング(1) 国語科の授業の場合」

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今回から全3回で「いまさら聞けないアクティブラーニング」と題して配信をしていきます。今回はアクティブラーニングの言葉の説明や国語科での自分の捉え方などについて説明しています。

話しているうちに、自分のやろうとしていることが、少し迷走している様子が露呈してしまっていますね。やり方についても悩みが尽きないものです。

配信の中で触れている溝上慎一先生のホームページやご著書は以下の通りです。

「溝上慎一の教育論 (理論)アクティブラーニング論の背景」
http://smizok.net/education/subpages/a00001(haikei).html
※ChromeやEdgeだとアクセスができません。

溝上慎一(2018)『アクティブラーニング型授業の基本形と生徒の身体性 (学びと成長の講話シリーズ)』

次回はICTを活用したアクティブラーニングの実践についてお届けしようと思います。

なお、余談ですが今回の配信からZoomのPodTrakP4を利用して録音するようになりました。


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サマリー

本エピソードでは、国語科におけるアクティブラーニングについて、現行の学習指導要領やICTの活用を交えて考察されています。アクティブラーニングの定義や実践方法が具体的に掘り下げられ、効果的な授業の組み立て方についても言及されています。アクティブラーニングの導入に際して、教育現場での時間の使い方や生徒の自己判断を促す重要性が語られています。また、国語の授業では、生徒のアウトプットの必要性が強調され、授業改善に向けた覚悟が求められています。

アクティブラーニングの基礎
デジタル時代の国語教育を語ろうにようこそ、パーソナリティのKasaharaです。
この番組では、ICTを活用した国語の授業実践に関する話題を中心に、Google for Education認定トレーナーと認定コーチの資格を持つ、私Kasaharaが教育にまつわる様々な話を配信していきます。
職員室のスタッフ同士で行われる教育談議のようなものだと思って、ゆるっと聞いてください。
前回までは雑談会でしたが、今回からは全3回に渡って、今さら聞けないアクティブラーニングと題してお話をしていこうと思います。
リスナーの方々はおそらく教育関係者が多いと思いますので、アクティブラーニングという言葉はなじみがある方が多いのではないかと思います。
周知の通り、学習指導要領からはアクティブラーニングという用語は消えてしまっていて、主体的で対話的な深い学びという言い方になっています。
アクティブラーニングにせよ、主体的で対話的な深い学びにせよ、この言葉が出始めた2016年頃はものすごい勢いで叩かれていましたよね、この言葉。
いや、今でもいまいち消化不良な感じで来てしまっていることもあって、割と嫌いされている節を感じます。
それでも現場の実践としては少しずついわゆるアクティブラーニング的な取り組みが増えてきていますよね。
そろそろ現行の学習指導要領の教科書の改訂も行われる時期になったことを考えると、アクティブラーニングや主体的対話的で深い学びについても振り返ってみてもいいんじゃないかなと思うところです。
そこで、あまり難しい行政文書の話だとかはしたくないので、この番組ではアクティブラーニングとはどんな学びなのかを確認しながら、国語化とICTの実践について話してみたいと思います。
自分のこの数年間の振り返りのようなものになるかと思いますが、ご興味があればお付き合いください。
アクティブラーニングの目的
さて、ここからが本題です。アクティブラーニングのことを今回から考えていこうと思いますが、実はこの言葉自体が結構なプラスチックワード、つまり曖昧なままにみんなが好き勝手使っている言葉なので、言葉の定義をちゃんと揃えておかないと何を話しているかわかんなくなっちゃうんですよね。
だから、今回のシリーズでも一旦アクティブラーニングって何?という話についてはイメージを揃えておきたいと思います。
いろいろな定義・説明はあるのですが、オンラインでアクセスしやすい情報でなおかつ説得力があるものとして、みぞがみしんいち先生がご自身のサイトで説明している定義をここでは参照しますね。
そのサイトのURLは概要欄に貼っておきますのでご確認ください。
みぞがみ先生の説明だと、アクティブラーニングは学校や仕事、社会へのトランジションを背景として教授パラダイムから学習パラダイム、ひいては学習と成長のパラダイムへの転換を促す学習論であると言われています。
カタカナ言葉を増やすなというお叱りが聞こえてきそうな感じがしますね。
ただ個人的にはこの説明がしっくりときます。
自分なりに超解釈、思い切って噛み砕いて解釈して説明するなら、アクティブラーニングは授業の方法だけではなくて、子供の学び方、キャリアの在り方も含めて授業を全体的に考えていくことですよっていうことですかね。
そのための手段や活動の形が話し合いだったりプレゼンテーションだったり考えていることをしっかりとアウトプット、つまり外科、外に化けると書いて外科ですね、していくことになるんですよね。
これは個人的な感想ですが、世の中のアクティブラーニングがうまくいかないという話について、やっぱり聞いてみて思うこととしては形ばかりやらされているからだろうなというふうに思うんですよね。
要するにその学び方のゴールがどこにあるのということに授業をやっている先生方が確信もててないんじゃないかなということを思っています。
そうそう、アクティブラーニングが始まった頃にアクティブラーニングの失敗マンダラなれものがありましたよね。
興味ある人はGoogle へばすぐ出てくると思うので調べてみてください。
一つ一つの失敗分析自体が興味深いですし、逆説的にあれを眺めているとアクティブラーニングのコツみたいなことは見えてくる気がします。
話を戻しましょう。
結局アクティブラーニングについては活動をさせろ、話し合いをさせろというだけの話ではないということを確認しておきたいのです。
もう少しわかりやすく言うならば、卒業後の子どもたちの姿をしっかりと想像しながら一つ一つの授業でどのような力をつけるかを考えて、そのための実践をしっかり授業で行おうというそういう感じじゃないですかね。
でもそれってある意味で国語科の単元学習と同じじゃないかなと個人的には思います。
授業実践の具体策
じゃあ国語科のアクティブラーニングってどういう感じになるのということを考えてみると、そもそも国語の授業でアクティブでないっていうことがあり得るんですかね。
言語活動の充実は2つ前の学習指導要領で言われるようになりましたが、まあそれはそれとしてそもそも言葉を扱う活動がアクティブになってないなんてことはないですよね。
もちろん先に言ったように活動することがアクティブラーニングではないので、言語活動をなんとなくやるだけではおそらく不十分です。
別にアクティブラーニングと言わなくても、国語の授業として言語活動に取り組むのであれば、活動させることが目的になったら表面的な活動になってしまいますよね。
まさに這いずり回る経験主義ってやつです。
教科書の文章を読んで感想を話し合いましょうみたいなことをやってしまうと、なかなかに苦痛だっていう感想はよく聞きますよね。
SNSなどを見ていても、やりたくもない話し合いで恥をかかされたみたいなそういう恨み事っていっぱいありますよね。
だからそういうなんちゃって話し合いみたいなことは国語の先生のプライドにかけてやりたくないところです。
そのためにはきちんとした目標とその目標を実現するための手立てが大切になります。
国語科の授業の難しさは教えることと活動することが重なってしまっている部分にあるとはよく言われますね。
例えば話し合いを教えるみたいなことを目標とするならば、話し合いをするということが学習活動にならざるを得ないので目標と活動がごちゃごちゃになってしまいがちなんですよね。
慣れてないとやっぱりそのあたりをうまく組織することが難しいみたいです。
小学校と違って国語の授業だけを教えている中高の先生でも読むことの授業を中心にやってきていて、生徒の活動をやったことがない場合だとやっぱり戸惑ってしまうみたいなんですよね。
では国語のアクティブラーニングはどこから始めたらよいのか少し考えてみましょう。
ただ活動をさせるだけにならないために重要なこととして、先に紹介した溝上先生は、
個・集団・個で活動すること、つまり個人で考える時間と集団で共有して考える時間というのをちゃんと区別してメリハリつけるのが重要だということをよくお話しされています。
例えば国語の授業であれば、何か文章を読んでいきなり話し合いをさせようというのではなくて、話し合うべきことを目標に合わせてきちんと準備できるように個別のワークを準備してその時間を取ったり、
そしてその準備ができた後に何か目的に合わせて共有する時間をしっかりと取るということですね。
そしてさらに共有した後に投げっぱなしにするのではなく、しっかりとまた個人に戻って振り返りを行う時間を取るというようなそういう流れが大切だって言っています。
こうやってある意味でしっかりと型を決めて取り組むことは、授業を安定させることにつながります。
個人的にはもう型を変えたことをちょっとやりたいなと思っているところもあるので、最近ではこう機械的な型はやらないなーっていうところもあるんですが、
ただ、慣れていない人がアクティブラーニングを導入するという段階では、安定できる型の存在はとても重要です。
授業が安定しているということは生徒にとっても安心感につながるので、特に4月や学期始めの時にはこういう型を丁寧に指導したいものですね。
また活動を行うために必要になることは、アクティブラーニングを行うための身体の使い方にもあるんです。
自分の考えを発信していくことは子供にとっては非常に神経を使うことです。
だからこそ学ぶ子供たち同士の関係性に安心感があってほしいのですが、そういう時に注意したいのがこの体の在り方、身体制です。
これをしっかりと指導できるかというのは非常に重要なんですよね。
例えば説明の時にしっかりと話を聞く姿勢をとらせるとか、一見するとアクティブラーニングと正反対のことを言っているように聞こえるかもしれませんが、
教員が話している時に話を聞く姿勢をしっかりと指導しておくことがグループワークになった時の身体の使い方につながるんですよ。
だから昭和の教室のように高圧的に話を聞けみたいなことをする必要はないですけど、話を聞かせるべき時にはしっかりと話を聞く姿勢として目線や体の向きの使い方を指摘して指導して教えるってとっても大切なんですよね。
グループワークに入っても、例えば机を島にしてグループにする時も、荷物などを間に置いたままにして歪んだ形の島で話し合いをしているって結構ありませんか?
でもそうすると話し合いに入っていけない子供が出てしまうことにもつながりますから、ちゃんと荷物を整理させて話し合いにふさわしい形を作ることが重要なんです。
アクティブラーニングの重要性
基準としては簡単で、初対面の大人同士がやらないようなことは授業でもやらせないようにすればいいんじゃないかなと思います。
距離のある相手とも適切なコミュニケーションが取れるような、そういう身体の使い方をきちんと教える、逐一指導するということが、特にアクティブラーニングに慣れていない先生には非常に重要なんじゃないかと思いますね。
決してアクティブラーニングは放置ではないですし、それは探求活動でも同じですよね。
以上の話は水上先生のご著書などに書かれているセオリー的な話です。
確かにたくさんの授業の観察と分析の成果として出てきているものなので、これらの方法は効果があります。
ただ、自分はそういう介入に対して本当にそれでいいのかなとは最近思うところもあります。
時間はかかるけどもっと子どもたちの自己決定や自己判断を信じてみてもいいんじゃないかなと思うようになっています。
ある意味で放置のようなこともあえて選ぶべきなんじゃないかなと思っている自分もいます。
どうなりたいの?どう自分たちを作りたいの?そしてそれを選ぶなら今はどうしたいの?と問いかけ続けて、
子どもたちが自分で判断できるようになるまで待つ、そういうのが大切なんじゃないかなと思っている自分がいます。
相手のことを考えないでひどいことをしてしまい、お互いの関係が悪化するということ、
時間ばかりが浪費されて何も学びが出てこないということ、そういうことが起こってしまうかもしれない。
でもそれ自体を子どもたちが自分で後から意味付けて成長していく、そういうことも大切なんじゃないかなと迷っていますね。
学校という場所に与えられた時間は非常に限られているので、そんな悠長なことは言ってられないというのも事実なのですが、
それでももっと自分の介入を減らしたいな、覚悟ある放置とでも言うんでしょうか。
ただその場で起こることを見守りつつ、必要とされた時にちゃんと何でも答えられるようにして待つということをしてみたいと思うんですよね。
自分が割と強権で何でも管理できてしまうタイプの教員なので、一層何かを手放さなければいけないと思っています。
極端なことを言えば、もう予習なんてやめて、その場に本だけ持って行って、子どもたちとどう読みたい、どう活動したいとその場で相談するような、そんなことをやってみたいなと思う自分もいます。
まあ、かなり偏ったことを言いましたね。
もし、初任の方やこんなマニアックな番組を聞いている初任の方はいないか、アクティブラーニングに慣れていない方で、これから挑戦したいと思う方は、まずはセオリーが大切だと思います。
アウトプットの必要性
ちゃんと身体の使い方、初歩の初歩は話を聞く、姿勢を甘くしない、妥協しないというところからスタートしてみるのが良いんじゃないかなと思います。
それを徹底するだけでも、かなり色々なものの見通しが良くなりますよ。
今回の配信はいかがだったでしょうか。
アクティブラーニングについては、何はともあれ、まず生徒に活動させてみて、どういうアウトプット、外科がされるのかということを体験しないことには始まりません。
そして、生徒に何かアウトプットをさせるということは、事業者にとっては結構な覚悟が要りますよ。
生徒から出てくるものは、まさに自分の授業の通知表、つまり自分の指導者としての実力が突きつけられているようなものです。
それを生徒のせいではなく、自分の授業の実力なのだと受け止めることには、かなりの弾力が要ります。
受け止めたところからやっと授業改善がスタートするので、その覚悟は何体系なことではないのです。
国語の授業ではアウトプットをせずに評価することは、どう考えても不可能であることを考えると、本来は全てがアクティブラーニングになってくるはずなんですよね。
でも、特に高校は、周りを見渡すと50分の間にどれだけ子どもたちがアウトプットをする時間があるのだろうと、ちょっと思うところがあります。
ただ、こういうアクティブラーニングが重視され、少し世間の教育に対する考え方も変わってきているかいもあって、若い先生方の挑戦も増えてきているなというのは感じます。
アクティブラーニングをやることが必要だという話が一般的になったおかげで、面白い実践に挑戦してくれる先生が増えたのは長期的にプラスだと思いたいですね。
プラスであってほしいなあ。
カタカナ言葉だから愚かみたいな叩き方をしていた時期があったことを考えると、良い実践が増えてきているのは心強いものです。
次回はICTを活用したアクティブラーニングの事例を話していこうと思います。こちらもお楽しみにしてください。
今回の配信を聞いて何か参考になったことがあれば、いいねを押してもらえると番組作成の励みになります。
またアウトプットの一環として、ぜひお気軽にコメント、SNSでのシェアをよろしくお願いします。
概要欄のメールアドレスやGoogleホームに直接感想をいただいても嬉しいです。
この番組は毎週月曜日に1回配信されます。
次回の配信もお楽しみに。ではまた。
17:18

コメント

勉強になりました。現行の学習指導要領やアクティブラーニングについて触れたとき、大村はま先生の単元学習ととても重なると思いました。配信内容を聞いて、ますます再認識。大村先生も「聞く姿勢」をかなり厳しく言われていますし、目標設定の大切さを言われています。今と違うのはICTぐらいでしょうか。やはり教育は再帰性のあるものなのですね。

アクティブラーニングを流行と語る人は多いですが、見方を変えれば不易な部分なのもしれませんね。

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