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#140-3 実はあの人も卒業生!歴史学者による歴史を教えないゼミとは【ハードアカデミズムとクローバルヒストリー ゲスト:歴史学者 高山博さん】
2026-08-26 32:36

#140-3 実はあの人も卒業生!歴史学者による歴史を教えないゼミとは【ハードアカデミズムとクローバルヒストリー ゲスト:歴史学者 高山博さん】

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▼内容:
日本とアメリカの大学教育/教養課程の学生に必要な学び/海外メディアを通して現代世界を学ぶ/コンパと合宿/東大生が「ついていけない」と泣き出す授業/障害を乗り越えていく学び

▼出演:
ゲスト
高山博さん(歴史学者、東京大学名誉教授)
東京大学名誉教授 高山博
【高山博チャンネル】緑陰の午後(YouTube)

MC
田中優子(ヴィタリテCOO、元クラウドワークス取締役、ビジネスアドバイザー、社外取締役、アントレプレナーシップ推進大使、1児の母)
産後ケアホテル東京・神奈川 ヴィタリテハウス

岡澤陽子(ブランディングコンサルタント、組織支援アドバイザー、ビジネスメンター、戦略インサイトリサーチャー、2児の母)
MIROS |AI×精密発酵によるハイエンド・ウェルネスブランド


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サマリー

歴史学者の高山博氏は、自身の大学院時代の経験から日本の大学教育に課題を感じ、学生が現代世界を主体的に学ぶためのゼミを立ち上げた。海外メディアを教材とし、厳しい課題と学生同士の交流を促すことで、学生の自発的な学びと成長を支援した。このゼミは、学生が困難を乗り越え、将来設計を考える基礎となる学びを提供し、長年にわたり続けられている。

高山氏の大学院時代の経験と日本の大学教育への問題意識
スピーカー 1
前回の最後の方に、イエールでかなり厳しい指導を受けて、先生もそこに、英語もそうだし、実際その授業の中身っていうところも非常にハードだったというふうに伺ったんですが、そのご経験が、これをご自分も教員として学生に向き合う中で、自分が経験してきたことを
何か、こんな学びを与えた方がいいんじゃないか、みたいな、そんなふうにつながったっていうふうにも聞いているんですが、実際にですね、私たちも
スピーカー 1
先生の教養のゼミでですね、 国際政治経済社会の変容とメディアっていうゼミを受けた、非常に厳しいゼミだったんですけれども、
このゼミを先生が始めようとやろうと思った背景の部分、それから実際にスタートしてどうだったか、みたいなところをお伺いしたいんですけれども。
スピーカー 2
はい、そうですね。
これは私自身のアメリカでの、アメリカの大学院での経験と、それから個人的な思いっていうか、日本の教育、大学教育の制度に対する思いと、
あと偶然っていうのがこう、重なっていると思うんですけど、直接のきっかけはですね、
ひとつ橋に、ひとつ橋大学に就職して、
就職して、教育研究をひとつ橋大学で始めたんですけれど、
その時に翌年の授業として、大学1年生向けのゼミをやってくれないかと頼まれたんですね。
それで、それは1年生、2年生だから、教養の学生向けのゼミ。
じゃあどういうゼミをするかというところで、やっぱり僕のアメリカでの経験、体験と、それから日本の高等教育に対する、ある種批判的な見方っていうのが反映することになるんですけれど、
アメリカの非常に厳しいっていうか、詰め込みも、
すさまじい詰め込み教育。
スピーカー 1
詰め込みなんですね。
スピーカー 2
そうなんですよ。
スピーカー 1
よく日本の教育が詰め込みだと言われますけど、アメリカもなんですね。
スピーカー 2
アメリカはもっとひどい。
スピーカー 1
もっとひどい、なるほど。
スピーカー 2
日本で詰め込みっていうのは、特に高校までですかね、
とにかくいろんな物事を清くしていくっていう、それで詰め込んでいくっていうことで、
その弊害っていうのを、昔から言われてたんですけど、
アメリカとか、特にアメリカですね、アメリカとかヨーロッパ、特にアメリカが
被験に出されて、アメリカでもちょっと個人の能力を伸ばすような教育が行われてるんだと。
だから行くまではそういうイメージだったんですけど、行ってみたら逆と言っていいくらい、大学教育においては。
で、ものすごく課題が多くて、徹底的に勉強させるっていう。
だからそれは、ある意味では記憶っていうのもありますけれど、記憶だけじゃなくて、とにかく物量で。
時間も、それから自分が考える、材料をもらって考えるっていうことも含めて、とにかくいろんなことをさせると。
そしてハードルがあって、
例えばある授業をとって、授業をやっている先生がこの学生はもうダメだと思ったら、それで基本的には退学になるとかいう感じなんですよね。
すごく厳しくて、ハードルがいろいろありまして、大学院生の場合、僕の歴史学の大学院生の場合は、
そうですね、分かりやすいのは語学ですね。語学の試験を受けて、それで最初の学年に最低一つは合格しないと思う、退学。
最終的に2年間の間に、僕の場合3つだったかな、3つの語学の試験を通るっていうのが要求されている。
それから、ゼミとか講義の試験、もしくはレポート、これで成績が悪いと、その時点でやっぱり退学とかね、そういうふうになってますので、
スピーカー 2
どこかに引っかかると、もうその時点でやめなくちゃいけないというのが厳しい。だから学生はそれを入った時からだいたい知っているから、必死でもがいて頑張ると。
だから日本の場合、僕の場合、東大しか知らないんだけれど、東大に入った後はもうほとんどのクラスメイトたちが遊んでいると。
社会勉強だって言って、遊びほうけて、あんまり授業も真面目に聞かないし、それから授業そのものは非常にぬるいというかね、そういうアメリカで、僕がアメリカ大学で受けたような厳しい要求というのはない。
とにかく試験、最後に学期の終わりに試験に通るか、レポートを出せばOK。そんなに出てなくても合格できるような内容のものだったと思うんですけど、だからそういうのを2年間過ごす。
それ、僕がアメリカに行った時にそういう自分のね、東大時代のことを考えるというか相対化するわけですよ、アメリカと比較して、エール大学と比較して、そうするとなんて無駄に時間を過ごしたんだろうという、その思いがすごく強くて。
それであの時もうちょっとこう、こういうのが必要ですよ、こういう勉強しなくちゃいけませんよっていう、それをある程度出してくれて、それでまあリクライメントは入った時は厳しくても耐えられたと思うんですよ。
だからそういうのがあればもっと、研究者としても、研究者卵としても、もうちょっと先に行けたんじゃないかなという、そういう思いを非常に強く抱え込んでしまったんですよ。
そういうこう日本の高等教育の現状に対する批判っていうのを抱えたまま日本に戻ってきたもので、だからそのひとつばしで、1年生、2年生のためのゼミやってくださいって言われた時に真面目に考えたんです。
「国際政治経済社会の変容とメディア」ゼミの設立背景と目的
スピーカー 2
この子たちにとって何が必要か。だからこれも僕の専門の西洋史とか西洋中世史をやるじゃなくて、いろんな分野に進む1年生、2年生、この人たちが後から振り返って、この授業を受けてよかったと、そのこの授業を受けたおかげで自分の将来が広がったとかね。
いろんな問題関心を持つことができたっていうような授業を、僕はもうやる必要があると思ったんですよ。
それでそういう授業、何がいいかなと本当にこれを真面目に考えたんです。一生懸命。
それでね、当時はまだグローバリゼーションという言葉はほとんど使われていなかった。
だけれど、必要なことは、必要なことというか、当時グローバリゼーションの現象そのものはもう進行していたわけですよ。
言葉があんまり使われていなかっただけで。だから、今の世界がどういうふうに変化しているのか。
それを認識するためにはどうすればいいかっていう。これはもう大学に入って1年生になった子たち、それから2年目の子たちにとっておそらく一番大事なテーマじゃないかなと思ったんですよ。
それを学生たちが自覚すれば、僕はあんまり言わなくてもきっと自分で勉強するだろうと。
要するに現状、それからわからないことだらけで、しかも変わっている。
日本社会も、当時は国際化という言葉を使っていたと思うんですけど、国境が開かれて、どんどん開かれて、国際化がどんどん進んで、
これから先どうなるんだろうと、自分の将来どうなるんだろうかという不安は当時の学生も持っていた。
その後も皆さんも含めてみんな持ってきたと思うんですけど。
だからそれをテーマにしようということで、自分の専門とは関係ないけれど、現代世界を勉強する、認識するという、
そのきっかけというか、ある程度のところまでは持ってきたかったけれど、
とにかくそういうことを考えて、自分の勉強というものをしてくれる。そういうゼミにしたいと思ったんですよ。
だから、いろんな仕掛けをしようと思った。
仕掛けというか、ぬるいそれまでの大学の授業じゃなくて、非常に厳しい。
ある意味ではアメリカ型の教育をしようと。しかも要求するだけじゃなくて、本人たちがこれ自分たちにとってすごく大事だと認識してくれる。
しかも大変だけど、自発的にやり続けてくれるという、そういうゼミをどうやったら作れるかということを考えました。
これはもう、授業のやり方とかシステムの話とかテーマですけれど。
ゼミの具体的な運営方法:教材、学習スタイル、人間関係
スピーカー 2
テーマはもう、大体国際政治、経済、社会の変容とメディア。
メディアはすごく大事だと思っていたから。つまり一般の人も学生も含めて、メディアから情報を得て。
だからメディアの限界は、その学生の上限なわけだ。
それが限定されるから、メディアをある程度相対化できるように持っていかなくちゃいけない。
どうしたらいいか。その時に考えたのが、日本のメディアじゃなくて、海外のメディアの出したものを使う。
これを材料にしようと思ったんですね。
だからテーマが決まって、材料が決まって、あとはやり方。
やり方は、とにかく横文字を読ませる。
まずは海外のメディアが出したものを読んで、日本語のもみんな読んでいいけれど、それは宿題ではありません。課題ではありません。
だから結局、横文字の記事とかを理解するためには日本語のものも読まなくちゃいけない。必然的に。
でもそれ自分でやりやすい。
授業では基本的に横文字で書かれたものを材料にしますっていう形を作ったんですよ。
それで、できるだけ自分の個人的な体験を話すようにしました。学生たちが。
それからもう一つは、学生同士が仲良くなりますし、とにかくゼミ生同士が仲良くなれるような環境を作ろうと。
というのはやっぱりすごく厳しく要求するから、一人一人ではみんな耐えられなくなってやめていくんじゃないかなって思ったんですよ。
だからそれを自発的にやめさせないためには、やっぱり仲良くなるってことじゃないかなって。
ここが自分の属している集団だというふうに思えるように。
だからやったのはね、ずっと伝統にやってますけど、コンパはやる。
コンパをやって、それから合宿をやる。
コンパっていうのは、とにかくもう授業のことは考えなくていいから。
スピーカー 2
だから授業に参加している、演習に参加している人たちとお話をしなさい。
そのきっかけを僕が作ってあげるからということでコンパを始めて、それで楽器の終わりにはまたコンパをやって。
楽器の終わりにはうちにも自宅にも読んで、学生たち読んで。
そういうことを始めたんですよ。
でも最初はうまくいきませんでした。
一番最初にコンパ、吉祥寺でコンパをやることにしたんですけれど、
学生たちを連れて一時間やって、僕も学生たちと一緒にその後もいたかったんですけど、
スピーカー 2
それを我慢して、学生たちだけで2時間行かせようと。
それはもうみんなが仲良くなるようにということで、僕はもうそのまま帰って。
当時吉祥寺に住んでたからもうすぐ、そのまま帰って。
その後のゼミの時に学生たちに、あの後どうしたって聞いたら、
あの後みんな帰りました。
スピーカー 1
なるほど。
スピーカー 2
これじゃダメだと思って、もうちょっとやっぱり積極的に僕が変わらなくちゃダメなのかな、最初は。
ということで、その後はゼミが終わった後、喫茶店に連れて行きました。
それを毎週の日課にするっていうかね、ゼミの後は喫茶店に行って、とにかく話す機会を作るっていうことにして。
で、学生と僕ともフランクに話す、学生同士もフランクに話すっていうようなそういう場をとにかく設けてっていうことをやりました。
それである程度はお互いに話せるようにはなるけれど、
なんていうのかな、みんなでタッグを組んで困難な生涯を乗り越えていくとかそんなレベルじゃ全然ない。
そんなレベルじゃないから、やっぱり合宿で2,3日一緒に過ごすってことは必要かなと思って、それで合宿も始めたんですけど。
最初は勉強とか全然せずに、どこだったかな、川口湖かどっか、出雲湖のどっかのところで合宿をして、
遊びの合宿です、本当に仲良くなるための合宿で、そこで2泊3日くらいやって、それで結構仲良くなりました、学生同士が。
スピーカー 2
で、僕とも割と僕の違った面をそこで見て、それまでやっぱり先生との距離ってすごくあったと思うけれど、
そこで一緒に寝泊りして食べて遊んでるわけだから。
学生と僕と、それから学生同士もすごく仲良くなって、いまだにやっぱり続いてるっていうね。
もう彼は55くらいになるけれど。
ゼミの変遷と学生主導の課題設定
スピーカー 2
それが最初でしたよ。途中どんどんこのゼミっていうのは課題が増えていったんですよ。
スピーカー 1
そうなんですか。
スピーカー 2
最初の頃は本当に授業の時だけ、課題の宿題記事を読んで、それについて質問して議論する、それではい終わり。
スピーカー 1
そうでした、私の時はそうでした。
スピーカー 2
まだそうだった。
スピーカー 1
私だって割と初期ですから。
そうかそうか、近いね。
95年入学なんで。
だからそんなに、途中から後に比べたらそんなに大変な授業じゃなかったと思うけど、
スピーカー 2
でも当時にしてはやっぱり他の授業に比べたらそれでも大変ですね。
スピーカー 1
すごく大変。私には大変でした。
スピーカー 2
いやいや、みんな大変だったと思うけど。
それでなんとなく形ができて、だから授業はみんな一応真面目にやってくるようになって、
お互いに話もするようになって、ということで1年生は2年間続けるというので、
ただもうひとつばしで3年目に東大に移ったから、
彼らは2年目、3年目はね、僕の自宅でやりました。
そうなんですね。
もうひとつばしで終わったのかな。
だけど放っておくというか、そのまま終わらせるのはもったいないから、
1年間自宅で、だから週に1回だけ授業を続けました。
だから単位とかないんだよ。
スピーカー 1
単位は最初の半年だけですよね。
そういう感じ。
2単位出ただけですね。
スピーカー 2
そうね。東大でもそう。
ひとつばしでも単位はないから、
自主的な勉強会というので初めて東大に移って、
スピーカー 2
最初の時はひとつばしの人たちと東大の人たちが一緒に合宿をやった。
それが、だから東大に移って続いてきたわけですよ。
最後は30期だったんですかね。
続けてきたわけで、
その過程で課題がどんどん増えていったというのは、
ただ合宿で遊ぶんじゃなくて、せっかくだから合宿で勉強しましょうということになって。
それ分かるよね。
200も300も済んだから真面目な子たちは勉強したいと。
それで最初、じゃあいいよって言って、
僕が考えたのが将来の、自分の将来の職業をとりあえず決めて、
その職に就くためにはどういう道があるか、
何をすればいいかというのをそれぞれ報告するようにしましょうと。
スピーカー 2
それとゼミで、授業でやり残した。
ちょっと時間が足りなかったとかいうので、
やり残したことをやろうかということで、合宿で勉強会が始まった。
その後はどんどん、
本当に自分たちでどんどん厳しくしていった。
学生たちが自分たちに課題を作っていったんだけど、
将来設計といって、どんどんどんどん本格的なものになっていって、
そうなんですよ。
まだ遊びが半分になったところだけど。
スピーカー 1
そうですね。将来の何になりたいかっていうのはありました。
それは私が合宿の時ありました。
ただその後、論文集みたいなものを毎年出すようになりましたよね。
それは私は知らないという。
スピーカー 2
それは半分くらい来てから。
半分くらい来てから。
これは授業でみんなレジュメ作るじゃないですか。
最初はレジュメはレジュメっぽいレジュメだった。
だいたい一枚に、A4一枚に収まるような。
それがどんどんどんどん増えていって、途中から。
スピーカー 2
ひどい時はもう20枚とかね。20ページA4。
やめてくれって僕は言ったんですけど、
でもどんどんどんどんやめてって言ったのに、やめないわけ。
スピーカー 1
すごいですね。
スピーカー 2
だったらね、じゃあこうしようって言って、僕が彼に提案したんです。
報告のレジュメはA4一枚か二枚にして、
あとはもう長いのは書きたきだけ書いていいからって。
だけどレジュメってそういうもんじゃないからって言って、
2種類作るようになったわけよ。
そういうことやってるとね、せっかく書いたんだからもったいないっていう。
気持ちはわかるよね。20枚書いた人がそれで終わりにしたくないっていう。
僕が言い始めたのか学生が言い始めたのかわかんないけど、
たぶん今般席で話したんだと思うけど。
彼らが何とかしたいと言ったのか、論集作りたいと言ったのか、
記憶は定かでないけど。
いずれにしろだったら年末にみんなが書いたものをまとめて論集という形でやろうよということになった。
だけどそれ言い出した学年は出せなかった。
スピーカー 1
そうなんですね。
だけどその次の学年から本当に出し始めた。
スピーカー 2
それが続いてきたっていうことですよ。
スピーカー 1
高山ゼミってどういうゼミかっていうのを少しご説明しておくと、
ゼミの教材とディスカッション形式
ちょっと私の時の話なんで、その後だいぶ変遷していったと思うんですけど、
さっき先生がおっしゃったんですけれども、海外のメディア、主にエコノミストとかそれがほとんどですよね。
スピーカー 1
結構多かったですね。
最初はいろんなの使ってた。
スピーカー 2
ホールスリージャーナルとか、ファイナンシャルタイムズとか。
これは上さんの影響。
僕はアメリカとイギリスで読むものって言ったら、ほとんど上さんが取っている新聞と、それからジャーナル。
貧乏学生ですから。
だから上さんが取っているものって言ったら、ホールスリージャーナルとファイナンシャルタイムズ、新聞が。
それでビジネスウィークとか。
そういったものを、だからビジネス関係がほとんどあったんですよ。
スピーカー 2
だからそれから名残がずっと僕残ってて、日本に帰ってきてからもやっぱりそういうものを読んでた。
彼女も日本でもサブスクライブして読んでたから、うちにある、それを使ってたんですよ。
だから最初の頃はいろんなの結構、手を返しなおかえって感じでやってたけど、
途中からね、圧倒的にエコノミストのクオリティが高いから、いいから。
それでどんどんエコノミストというようになってきたんですよ。
先生が記事を選んで、皆さんに配って、それを読んできてディスカッションというのと、
あともう一つ当番が決まっていて、
スピーカー 1
あれはアメリカとヨーロッパとアジア・アフリカでした?
そういう3グループに分かれていて、それぞれ自分たちで記事を外国語で書かれた。
ほとんどみんな英語のものでしたけど、それを選んでみんなに配って、それもみんな読んでくると。
それについて、それぞれ先生が選んだものを前半、学生が選んできたものを後半という形で、フリーディスカッションですよね。
別に必ずしも結論が出るわけではないんですが、その記事を読んで、考えたこととか、意見を議論する。
それは日本語で行うわけですけれども、それを1・2年生がやるということで、
学生の奮闘と高山氏の教育観
スピーカー 1
私も1年生の時から参加したわけですけど、これがもちろん英語を読むだけでも毎週毎週相当な、
先生の出すやつは大体何ページ?英文で6ページ、7ページとかそれぐらいあったんで、読むだけでも大変ですし、
そもそも多分日本語で書かれててもよくわからないというか、経済のこととか、政治のこととか、
時にはテクノロジーのこととか、非常にテーマが、高校出たばかりの大学生にとってはかなり難しいテーマについて、
用語からわからないところから何か意見を言わなきゃいけないという、これがもう本当に大変で、
私全然最初本当発言ができなくて、毎回何も発言できないまま、1年生と2年生が参加してるから、
2年生はやっぱり先輩たちはすごく活発にディスカッションされていて、なかなか1年生は発言ができず、
毎回、今回も話せなかった、今回も話せなかった、みたいなそういうのをずっと繰り返して、
私も半期で、本当数えるほどしか1年生の前期の時は発言できなかったという記憶があるんですけど、
それがだんだんにやっていくと、なんとなく話せるように不思議なもんですけど、
バカ図なのか、そういうふうになっていくという、当時2年生がすごく活発に話していたところに、
少し自分も近づいていく感じっていうのを経験したんですけど、
先生からかなり負荷を高いものを学生に与えていらっしゃる中で、先生どう感じていらっしゃいました?
学生がすごい頑張ってるなっていうふうに温かい目で見ていらっしゃったのか、こんなもんかな、みたいな。
スピーカー 2
いやいやいや、僕はすごく温かい目で見ていました。
本当ですか?
というのはね、僕は何人もの学生、それから最初の授業の時よく言ってたと思うんだけど、
最初は間違ってもいいし、トンチンカンなこと言ってもいいから、とにかくゼミに出たら一度は発言するということをまず目指しなさいって言ってたと思うんだよね。
それはやっぱり大変だと僕も思ってたから、僕が自分が東大に入ったばっかりでね、
ああいうところをまず僕は落とされたと思うけど、ああいう授業に出て何が喋れたか、ほとんど何も喋れなかったんじゃないかと自分で思うからさ。
だからそれはもうみんな大変だったと思う。
それでね、やっぱりみんなの前では言わないけど、僕に個人的にね、相談というほどでもないけれど、辛いってことを言ってくる子何人もいました。
何人もいて。
ある子はもう非常勤講師控え室に来てもらったんだけど、ボロボロ泣いててね、ついていけませんって言って、本当に悔しいけど、もう先生ダメです、やめますって。
そういう子もいたし。だからもう大変だったと思う。みんな大変だったと思う。
まず日本での教育では多くの人前で話すってこと。整理して。みんなが分かるように話すって訓練を受けていないじゃん、まずは。
それからこういった授業であるテーマに関してちょこっと勉強しただけで、それで議論しなきゃいけないとかね。
こんなの普通に考えても無理なわけよ。
だけどやっぱり、僕は最初に決めたことだから、それをやり続けたけど、みんなが大変だっていうのは本当に分かった。
途中からはっきりしてた。最初のシャーデスに考えてたのは間違いじゃなかったと思ったんだけど、仲良くなるとなかなか辞めなくなった。
スピーカー 1
そうかもしれないですね。
スピーカー 2
ぶどまりが良くなったんだよ。
だけどそうじゃなくて、普通の授業みたいなよそよそしい関係で授業に来るっていうようなこういう時間が続くと、多くの子たちが辞めていく。
それから、中には忘れた子がいて、勉強してこなくて、記事を読んでこないけど、適当に喋る子もいた。
適当に喋るっていうのは、忘れてるからちょっと知識が他の子よりある。
これすごく悪い影響を与える。
だから途中でも更新するじゃない。
その時に辞めてもらった。それでいいと思われたら困るからさ。
スピーカー 2
だから、ちょっと他の人より余計に知識があるだけで、それで住んじゃうっていうような世界じゃない。
そういう授業じゃないんだからっていうことなんだけどね。
だから最初は知識もないのは当然だから。
スピーカー 2
頑張って、自分その子なりに頑張って、障害があるから常に。
障害を一つずつ乗り越えていくっていうね。
それをルーティン化していくっていう。
これはその子の、それから先の勉強の仕方の基礎になるからさ。
僕の言ったことに、あるいは考えていることに従ってほしいとは思わない。
僕が欲しているものっていうのは。
32:36

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