-
-
スピーカー 1
何がその国際主義をクリアした指標になるのか、何を持ってそう言えるのか、分かんなかった。
それで、ずっと分かんなかった。その後、論文を書いた後だってまだ分かんなかったけれど、まあ僕なりに一生懸命考えて
一つは、当時思ったのは、まあ論争しているところを選ぼうと。
論争すれば
えー、なんて言いますかね、議論に参加できるわけだから、一応その国際水準というところに
こう近づくんじゃないかって。そうじゃなくて、ただ、こう
スピーカー 1
論争がないところだと、分からない。
ね、今から考えれば、いや別に、よく知っていればね、研究状況を知っていれば、論争がないところでも全く新しいものを出すということがあり得るということは
分かるけれど、当時の学生だった僕にはそんなことは分からなくて、とにかく議論されているところにも参加するということぐらいしか思い浮かばなくて。
だから、そのノルマシチリアを研究で一番論争が激しいところ
いろんな研究者が、いろんな見解を出しているところを
やることにしました。
スピーカー 2
ノルマシチリアの研究の中でも、テーマとして論争があるところ。
それが財務行政機構だったんですか?
スピーカー 1
そう、それが財務行政機構だったんですよ。 だからそれはもう、1世紀以上も論争が続いていたっていうような。
そういうところで、しかもね
スピーカー 1
僕自身は異文化交流とかね、そういうことをやりたいじゃん。
この論争の中核にあるのは、アラビア語とギリシャ語とラテン語のテクニカルタームというか、資料に出てくる言葉とか役人だったわけよ。
だから、僕が関心を持っているところと、ある意味では重なっているじゃん。
重なってなおかつ論争がされているというところで、そのテーマを修論のテーマとして選んだんですよ。
スピーカー 2
先生の著作を拝見した中でも、シチリアって、さっきのノルマン人が王様で治めていたけれども、そこに住んでいる人たちはイスラム教徒がすごく多かったので
文化、そこに住んでいる人たちの文化はアラブな感じだし、言葉も結構アラビア語で書かれていたりすると。
スピーカー 2
でも治めている人はノルマン人で、ギリシャ語を使われていたりラテン語を使われていたりみたいなので、結構あれなんですね。
スピーカー 1
その同じものの、一つの文章の中に同じことが別の言葉で書かれているみたいなのが残っているということを感じて
スピーカー 2
そう面白いなと思ったんですけど。
スピーカー 1
その通りでね、これもやっぱり論争をまず整理するという作業をやるわけでね、そうしたらね、なかなか整理が難しい。
だからしょうがないから、本当にテクニカルタームと言えるような、研究の中にいっぱい出てくるキータームね。
それを特に集めて、それを整理して、それで多様関係をまず見ようと、アラビア語とギリシャ語とラテン語の多様関係を整理してみようというところから始めた。
そうしないと頭の中がぐちゃぐちゃになってさ。
で、多様関係が当時はまだそんなはっきりはきちっと整理されてなかったんだよ。
スピーカー 1
それで議論がどんどんどんどん先に進んでいってるから、やっぱりちょっと議論がねじれたりよじれたりしてるっていう。
スピーカー 2
逆に、先生のアプローチってすごく、確かにそうだなって思うんですけど、結構論争が起きていてそれを研究している人がいる割に、そういうアプローチを取る方がいらっしゃらなかったんですか?
スピーカー 1
それはね、後で理由はわかったんだけど、まず多くの研究者たちがアラビア語を読めなかった。
ほとんどの学者たち、研究者たちは基本的にラテン語でやってた。
ラテン語の資料を読んでて、そして、ギリシャ語ができる人も多少はいて。
アラビア語ができる人は全く別で、それはアラビストで。
だからね、一人の研究者がその3つの言語を並べて、それに対応関係なんていう、まあ発想はしたかもしれないけど、実質的にはできなかったわけよ。
で、僕の場合は一応、勉強してから、普通に並べて対応関係とかいう発想になって、それ実際に。
スピーカー 2
勉強してたっていうのは、それをやるためには、そういう語学をいろいろやらないとダメだっていうふうに思ったから勉強された?
スピーカー 1
そうそう、その通り、その通り。
スピーカー 2
それでも、そういう研究が、さっきもね、西洋の方が考えるのでも、日本人だとさらにちょっと遠い感じもするんですけど、え?って思いませんでした?こんな大変なことって。
スピーカー 1
いや大変だけどさ、一旦始めたのはっていう、泥沼っていうかさ、泥沼に足を取られるっていう感じで、
どんどんどんどん足枠を深い方に入ってしまって、抜け出せないっていうような状況で、
いや、やっぱ数ヶ月間苦しみましたよ、それで。もう何が何だか全然わかんないっていう。
そこでチャレンジしようと思われたのは、それは知りたかったんですか?それとも、やっぱり国際的に認められる?
スピーカー 1
国際的に認められるなんてことはまず考えてない。
スピーカー 2
知りたいみたいな気持ちなんですか?
スピーカー 1
実際どうだった?いやこれでも追い詰められてたんだよ。
スピーカー 2
追い詰められてた。
スピーカー 1
終論を出さなくちゃいけないし、先生はああいうふうに言って釘を刺してるから、なんとかちゃんと論争をして、結論を出すっていうようなことをしないとダメだろうっていう、そういうプレッシャーがずっと来てるわけだから。
だからそこで苦しんで、本当にのた打ちもあるという感じでやって、
当時はパソコンないから、全部紙のカードで、カードをいっぱい作って並べ直したりして、
それで自分なりに工夫して整理をしていくっていう、要するに情報の整理っていうね、情報整理して、
一応合理的にどういうふうに考えればいいかということをやるということで、
やっぱりずっとわけがわからないところに入ってる、はまり込んでるっていう。
だから夢でもずっと見て考えてるしさ、本当に24時間よ。
夢でもそうだし、風呂に入ってる時、トイレに行ってる時も考えてるし、あれどうなってんだ、すぐ忘れたはずなのにまた蘇ってくるっていう感じで。
スピーカー 1
それがもう混乱した状態が数ヶ月続いて、これも書いたことあるんだけど、風呂に入ったときに突然解けたっていうか、
こういうふうに考えれば話が通るっていうか、筋が通るということで、定説は間違ってるっていうね。
定説というか通説が間違ってる。本当はこうだったんだっていうのが風呂の中で思い浮かんだ。
スピーカー 2
その時の定説っていうのはすごくシチリアの財務行政機構っていうのはすごく進んでいると。
結構複雑なものが定説だったと。それが先生はそうじゃないと。
そうじゃないんだと、もっとシンプルなんだみたいな。シンプルあるいは変遷してきてるみたいな。
スピーカー 1
両方ね。
そういうこと。でもそれって結構あれですよね、パクトを並べるだけでも見つからないような気もするし、結論が出てしまえばシンプルなことなんだけども、
スピーカー 1
思い込みみたいなものがあるとそこに転換するのって結構大変。
だからやっぱりあれが海の苦しみなんだろうなと思って。
だからやっぱり自分が持っている材料っていうのは、その後はよく思うんですけど、
自分で考えていると思いながら、実はほとんどがもらった概念とかグミを使って分かった気になってるっていうね。
それを相対化してそれを脇に置くっていうか、すごく難しくて実は。
もう言語そのものが我々に染み付いてるじゃない。
だからその概念っていうのも言語なんだから。
それを組み替えたり違う概念っていうかね、それを操作するってすごく実は難しい。
だからそういう逆境というかある課題を与えられて、
もう必死に考えて苦しんでいる中でそういうことができるっていう。
だから考えずに苦しまずに研究者たちが出したものを読んで、
スピーカー 1
そしてああこうだったのかって言って終わればできない。
スピーカー 2
コンテキストの部分から都合いいように当てはめて、
そこにはおそらくボコロビがどこか出てきて違和感に気付くのかもしれないんですけど、
スピーカー 2
そのコンテキストの部分からちょっと疑って語るみたいな、
それってさっきのね、当初その学者がやること、歴史学者がやることっていう風に先生が考えに至ったところともすごく繋がるなと思って。
スピーカー 1
そうですね。だからやっぱりこうリンクしてるよね。
スピーカー 2
なるほど。
スピーカー 1
だからすごく苦しい作業で、でも僕はそれをね、やったおかげでその後が変わった。
つまりさ、これ誰かが言ってたんだけども、誰が言ったか覚えてないけど、
修論がその人の研究者のクオリティーを決めちゃうっていう。
スピーカー 1
だから修論でどこまでやれるかって、それがね、その人のその後の学者人生の基準になるからっていうのを
誰か先生だったと思う。それはなるほどなと思うよ。
スピーカー 2
それでも25歳、45歳の時のことですよね。
スピーカー 1
22歳で大学に入るのかな。修論は24歳くらい。
だからその時に苦しんで、ある底を見るっていうかさ、自分の限界のところまで行った人は、それがその後の自分の論文の基準になるわけよ。
スピーカー 2
先生その論文を英語にして国際的な歴史雑誌に投稿されたっていう。そこはそれでまたある。
スピーカー 1
もういい?そこはそれでまた苦労するんですけれど。
それは川上先生が英語にして投稿しなさいということで投稿したんですけど。
最初はね、リジェクトされて。その前にすごく褒められたっていう。
スピーカー 1
すごい先生にすごく褒められたからもう絶対通ると思ったのに、実際に投稿したら落とされたっていう。
アメリカの雑誌ですよね。
その後だけど、そのレフェリーだと思うんだけれども、正確なことはわかんないけど、レフェリーがすごくいいコメントを書いてくれて、
リジェクトした雑誌のエディターに、もしおたかと採用しないんだったら、こっちが採用するからこっちを送るように本人に伝えてくれって言ったっていう。
それでリジェクトした雑誌のエディターから僕に手紙が来て、そういう経緯を。
スピーカー 2
それは内容的には結構高く評価をされて、海外の著名な歴史学者の方に認められる内容だったにもかかわらず、リジェクトされたっていうのは載せてもらえなかったっていうのは、それどうしてなんですか?
スピーカー 1
よくあることだと僕は思うけど、今から考えればね。
当時は思ってなくて、やっぱり権威ある雑誌だし、ちゃんとチェックしてそれでリジェクトするんだからと一方で思いながら、おかしいんじゃない?すごく悔しい思いを抱いたんですけどね。
スピーカー 1
結果的にはね、そのエディターが勝手にやっちゃったのね。レフェリーからの結果が出る前にもリジェクトしてしまってるっていう。
まあ要するにエディターがすごい権限を持ってるから、あんまり待ってもっていうか、あるいは僕が大学院の学生だってことを知ってて落としたのかもしれないけど、それはエディターがそういうふうに判断したってことで。
スピーカー 2
あるいは日本人だとか?
スピーカー 1
分からない。最終的には分からないけれど、僕の送り方っていうか、それもやっぱりあんまり良くなかったと思う。
まずはね、すごくいいコメントをくれた著名な先生の手紙を同付するべきだった、まずは。それ同付してたらもう全然変わってたはずな、今から考える。
だけど僕は何にも分かってなかったから、こんなすごい偉い先生が絶賛してるんだから、何も問題なく採用されると思っちゃったんですよ。だから単純に僕の手紙と原稿を送ったということです。
そういうことですね。
スピーカー 2
例えばビジネスの世界だったら、言ってることは正しくても、どういう根回しといいますか、そういうものがあるかないかで実現するかどうかとかあると思うんですけど、学者の世界にもそういう要素があったってことですかね。
まあそういうのって人間社会ですから、どこでもあると思いますね。だからある程度信用できるというか、特に論文そのものが非常に難しい論文だから、テクニカルで。だからそれを評価できる人もそんなにいないだろうし、そうするとエディターとしてもすごく困ったんじゃないかな。
アラビア語も入ってた。アペンディクスにアラビア語の資料まで載っけて。で僕は完璧だと思ってたんだけれど、じゃあ誰が評価するのかということを考えたらね、それはやっぱり非常に難しくて。
スピーカー 1
本当に少なくとも僕はコメントをちゃんと同封してたら変わってたと思う。それは僕が未熟だったのかもしれない。でも現実でそういうことがいっぱい起きてると思います。
そうですね。結構そのネットワークっていうか、そういう権威がサポートしてくれるとか。それは当然。そういうネットワークに入るみたいなことも重要なのかもしれないですよね。
スピーカー 2
そういう意味ではイエールに行こうというふうに、それは東大の修士が終わって、博士の3年目に、これはアメリカに行こうと思われたのは?
スピーカー 1
これは僕の指導教官というかね。先生が、さっき挙げた香山先生と木戸武先生。二人が高山君がやってるのはアメリカがいいよ。
やっぱりヨーロッパの場合は、中世であってもナショナリズムが邪魔する可能性があるから、君がやってるような異文化にまたがるようなもの、それから国を超えるようなものっていうのは、ヨーロッパの、例えばイタリアじゃなくて、アメリカの方がいいんじゃない?
スピーカー 2
そういうのなんですね。
スピーカー 1
アメリカにとって、ヨーロッパ氏も外国氏じゃない。
本場って言われる現地に行くよりも、そうじゃない第三の国の方がいいんですね。
スピーカー 1
クオリティもやっぱりそういうところがある。研究の質も。やっぱりアメリカはすごいって僕は思ったけど。
当時のね、特にすごかったのは、スペイン研究ね。
イベリー半島の中世の研究、すごい研究者っていうのはほとんどアメリカにいたんだよね。
スピーカー 1
アメリカにスペイン語ができる研究者が多かったっていうのもあるかもしれないけど、でもやっぱりスペインよりもアメリカの方に圧倒的にすごい研究者がいたっていうような状況があったし。
その中でもイエールっていう方?
イエールっていうのはね、当時ね、ハーバードとイエールとプリンストンとユーシェリエットを受けたんだよ。
受けて、それはまださっきの英語の論文が出る前の段階でアプライするわけね。
それで途中で、あるいはアプライした後に2つ目に送ったビアトールっていうところが採用通知が来たんだけれど、
その前にアプライしてて、それでハーバードまず蹴られてさ、それからプリンストンも蹴られたんだよね。
だから残っているのはイエールとユーシェリエットだったわけ。
これも僕がしくじったところがあるんだけど、ハーバードの場合は、僕の知り合い先生がいたんだよね。
彼の名前を出せたらよかったんだ。彼が後でそう言ったんだけど、僕に。
どうして僕の名前を出せなかったんだって、アプライするときに。
東大の大学院の成績って甘いじゃない?だから善友だったんだよ。
スピーカー 1
善友で東大じゃない?だから通るんじゃないって思ってた。
それで普通にやって、当時は呼び子もないし。
だから全部手探りで自分でやって、エッセイとかも自分で書いて出したら、
ハーバードすごく早かったと思うんだけど、落とされて。
プリンストンから落とされた段階でちょっと焦り始めて。
もう一つあったんだ。同時にハーバードエンジンの奨学金も出してたんだよ。
ハーバードエンジンの奨学金は僕の機動先生からの紹介で出してて、
ハーバードエンジンの奨学金が降りるのは決まっててさ。
ハーバードかエールかプリンストン、ユーシェイレンも入ってたと思う。
それぐらいだったんだよ。他のところはダメなんだよ。
奨学金が出ない。
スピーカー 1
通ったとして、通ったとしてって言い方変だけど、大学には個別にアプライするんだよ。
で、エンジンにも個別にアプライする。これリンクしてないわけ全然。
スピーカー 1
全く別の作業なわけよ。
だけどエンジンの方の奨学金は彼らが指定しているところ以外には出さない。
だからそのどこかに通らないといけないという状況でしたので、
2つ落とされてすごく焦って。
それで今やれることは何かって言ったら、さっきのビアトールに通った合格通知。
アクセプトの通知が。これぐらいしか当時思いつくもなくて。
それを追加の情報として送ったんだよ。
そしたらエールもユーシェイレンもすぐ返事が返ってきて、奨学金付きで。
ということでエールに決まりました。
スピーカー 2
なるほど。それに早く気づいて。
スピーカー 1
でも結果としては良かったんだけどね。
つまりその後ハーバードに行ったら悲惨だった。
中世史がいなくなったんだよ。先生が。
だから当時はエールが圧倒的に強くて、いい先生とも巡り合えたから、
そういう意味では結果としてはすごくラッキーだった。
それも運命だよね。
スピーカー 1
そうそう。じゃないかなという気がする。