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#140-1 歴史学者とは何者か【ハードアカデミズムとクローバルヒストリー ゲスト:歴史学者 高山博さん】
2026-08-12 28:50

#140-1 歴史学者とは何者か【ハードアカデミズムとクローバルヒストリー ゲスト:歴史学者 高山博さん】

▼番組のnote:
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▼内容:
歴史学者とは何者か/知に挑戦し続ける人/過去の再構成/解釈の恣意性/だけど僕らは知りたい/”国際水準”の研究とは?

▼出演:
ゲスト
高山博さん(歴史学者、東京大学名誉教授)
東京大学名誉教授 高山博
【高山博チャンネル】緑陰の午後(YouTube)

MC
田中優子(ヴィタリテCOO、元クラウドワークス取締役、ビジネスアドバイザー、社外取締役、アントレプレナーシップ推進大使、1児の母)
産後ケアホテル東京・神奈川 ヴィタリテハウス

岡澤陽子(ブランディングコンサルタント、組織支援アドバイザー、ビジネスメンター、戦略インサイトリサーチャー、2児の母)
MIROS |AI×精密発酵によるハイエンド・ウェルネスブランド


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サマリー

歴史学者の高山博氏は、歴史学とは知りたい欲求に基づき過去を再構成し、新たな解釈を提示する営みであると語る。歴史学者は、蓄積された知を超え、過去の出来事や人間集団の捉え方について、より正確で理解しやすい形での提示を目指す。グローバル化が進む現代においては、柔軟な視点と通時的な変化の同時的な考察が求められる。

歴史学者の定義と学問の世界
スピーカー 1
今回は、夏休み特別版ということで、私の恩師である高山博先生、このDialogue cafeでも、たびたび高山ゼミというキーワードが出てくることがあるんですけれども、
私の大学時代の教養時代に受けていたゼミですね。 このゼミの先生、東京大学名誉教授の高山博先生に、私がインタビューをした内容を音声でお届けしたいというふうに思います。
これは先生が主催されているYouTubeチャンネルがございまして、そのYouTubeチャンネルで配信した内容を再編集したものという形になっております。
動画では結構カットされた先生が西洋史を研究される上で、どういう教授でやっていらっしゃるのか、みたいなところを中心に聞いたお話が個人的にすごく面白かったので、
それをぜひ皆さんに聞いていただきたいなと思って、もう3年も前のインタビューになるんですけれども、いつかお届けしたいと思いつつ、まだ出せていなかったので、ぜひ聞いていただきたいなと思います。
最初にですね、高山先生の役歴をご紹介したいんですけれども、高山博先生は1956年福岡県生まれ、1980年に東京大学文学部西洋史学科をご卒業されて以降、東京大学大学院人文科学研究科、西洋史学修士課程終了、アメリカエール大学大学院で歴史学のPhDを取得されました。
一橋大学女教授、東京大学女教授を経て2004年からは東京大学大学院教授として、中西ヨーロッパ市地中海市の研究をしてこられました。
これまでエール大学大学院最優秀中世史博士論文賞、第15回サントリー学系賞、第17回マルコポーロ賞など、歴史学における権威ある賞を受賞されるなど、世界を代表する歴史学者のお一人です。
2016年には四十法賞を受賞されており、現在は東京大学名誉教授を務められています。
何をやるのが歴史学者の仕事なのか?
スピーカー 2
歴史学者というのは自分の関心のあること、それから知りたいこと、これをいろんな手段を使って何とか知ったり理解したりして
それを公開するというか、一般の人あるいは同業者に自分がやったこと、わかったことを公開していくという、それを職業にしている人なんじゃないかなと思うんですよ。
大学の先生と学者というのを同じと考えている人もいると思うんですけれど、大学の先生というのは歴史的に考えれば教えることでお金をもらっている。
だから研究しなくても教えれば給料をもらえる。他方で、学者の方は教えなくても学者科業というのができる。
研究をして、それを一般の人あるいは同業者含めてですけれど、それに公開していく。
何らかの形で保守を得るということになります。だから大学の先生と学者というのをある程度区別して考えた方が理解しやすいと思うんですよ。
それで、現実には私は大学の先生であるわけだから教育の部分もありますよね。それで研究者の部分、学者の部分だけ捉えると教育はとりあえず省いておいてね。
そうするとどういう構造になっているかというと、学問の世界というのかな、知的な累積とか計測というものが大昔からずっと続いてきていて、
それはわかりやすい例で言うと書かれて、それが次の世代とかずっと先の世代の人に読まれたりするわけですよね。それで継続していく。
スピーカー 1
それは研究されている分野についての過去の研究者の方が書かれた何らかのアウトプットがある。
スピーカー 2
学者というのは過去の人たちのものも読んで、何を考えて何が分かっているか。他方でまだ分かっていないこと、あるいは間違っていること、間違って理解してしまった、間違ったものを公開してしまった。それを修正する。
だから常に、これは違うよという研究者もいるかもしれないけど、僕は結局最終的には僕らが好奇心と呼んでいるもの、知りたい欲求があって、その対象が
例えば人間であったり、あるいは人間の思考であったり、あるいはこの宇宙であったり、いろいろ分かれるんですけれど、それをとにかく知りたいということで知るために活動している人たち。
しかもこれまで蓄積されてきたものを超える。吸収するだけだったらこれは学者ではなくて学んでいるだけだから。教育のことだけがあれば学んで教育することができるから。
だけど学者というのはあくまで私のイメージではそうじゃなくて、やっぱり過去から蓄積されてきたその知、膨大な知があって、自分の専門のところであればその知があって、
それに対して新しいもの、新しい解釈、あるいは本当に近いものとか、そういったものを見つける、あるいは探すという、そういう行為をずっとし続けている人。これが僕が持っている学者のイメージなんです。
何かまだ人類が見つけていないものとか、誰もなかったようなアイデアだったりを見つけたい、思いついたいという、それをこれは正しいよということを広く知らしめるというか。
スピーカー 2
それを仕事にしているというかね。
歴史学における新たな発見と解釈
スピーカー 1
歴史学の場合っていうのは、歴史って過去のものじゃないですか。もちろん知られていること、知られていないことあると思うんですけど、歴史学でいうと、例えばどういうものがあると新しい、これは知らなかったみたいな、そういう風になるんですか。
スピーカー 2
わかりやすい例だと考古学と一緒で、新しいもの、新しい情報が、過去の新しい情報が出てくれば、それによって新しい理解が出てくるわけだから、そういうのを見つけたり、あるいは書かれたものであれば新しい読み方とか、違った読み方、間違った読み方を修正するとかということも当然含まれるけれど、
物がなくても、物がなくてもって言い方変だけれど、文字化されたもの、それを読んで、それを使って過去の世界を再構成するっていうのを歴史家の多くがやっていることで。
それは、本当に、例えば考古学と同じで、あるところ、家を建てようとして、下に昔の建物の跡が残っていたと。
そうすると新しい情報だから、そこで何があったかとか、何が行われたかっていうのがわかるっていうのもあるけれど、そうじゃなくて、これは非常に限定された情報だけれど、多くの場合はやっぱり文字化されている。つまり、過去のある人が見た世界であったり、現実のある側面であったりするんだけど、それをその人なりに理解して、そしてそれを文字化すると。
文字化されたものっていうのは情報量が多いんですよ、非常に。
だから、多くの歴史学者っていうのは、だいたい、そういう文字化されたものを資料として読んだり、探したり。
そして、過去の現実をより正確にって言ったり、あるいはより理解できる形で出すっていう。それが多くの歴史学者がやっていること。
それからもう一つは、それは今言っているのはわりとわかりやすい。過去のある時点のものでしょ。
スピーカー 2
過去のある時点のある場所の社会であったり、人であったり、人間の活動であったり、いろんなものがあるけれど、ある時点を写真で撮るみたいに。
バチッと押さえて、それを再構成する。それだけじゃなくて、過去から現在への変化っていうのはどう変わってきているのか。
これは皆さんも勉強している古代、中世、近現代で勉強している。歴史の流れ、あるいは歴史の変化って呼んでいるもの。
それも歴史学者、歴史研究者が実は作っているわけです。
スピーカー 2
過去の情報を合わせて、そして人間の社会はこういうふうに変化してきているんじゃないかという、その人なりの理解の仕方をして、それを提示するということをやるわけです。
だから、ある意味では、非常に大きな影響力を持つ。多くの人に共有されるような歴史観とか、過去のイメージというものを作っているわけです。
人間集団の捉え方と歴史的変化への異議申し立て
ちょっと先取りしてしまうけど、自分の研究と絡めて言うと、僕が今批判しているものは、そういう歴史の変化って呼んでいるものは、何を一体対象にして変化って呼んでいるの?というのが僕の異議申し立てなわけよ。
スピーカー 2
これまでの研究者たち、例えばヨーロッパの歴史とか日本の歴史とか、いかにもヨーロッパというある種のまとまったものがあって、ヨーロッパ人でもいいや、人間集団があって、それが持続していて、それが変化しているかのごとく説明してきているけれど、実際はそんなことなくて、
ある集団ね、フランス人は?と言っているときの、フランス人というのは一体どこまで?誰を含んでいるの?誰が含まれていないの?ということが非常に曖昧で、よく分からないというか、問題にしてこなかった。
僕は、それじゃあ、何をあなたたちは見ながら変化って言っているの?と言いたくなるわけよ。
まず、やらなくちゃいけないのは、歴史家が対象としている人間集団、それをどうやって導体しているのか。つまり、どうやって補足しているのか。その補足からまずは始まることじゃないかと思っているんですよ。
すごい難しいけどね。難しいけれど、実際はある人間集団があって、それを外から見た人間が何とか族と呼んだり、何とかという国と呼んだりするけれど、実はこれはある時期にはある集団、ある支配者がいて、あるまとまりを持っているけれど、それから10年後、20年後にはなくなってしまっている。分裂したり、消えたり。
こういうことが現実に起きている。だから、現実に起きている人間集団の変化という、アメ版みたいな感じだけど、それを補足しない限りは、変化というのは捉えられないんじゃないですか、というのが僕の今も抱えている問題意識であり、異議申し立てなわけですよ。
だからね、そういうふうに考えるとすごく難しい。実はみんなが共有している過去から現在への歴史的な変化って言っているものは、ある時点である歴史家がイメージして、頭の中で描いた像なわけですよ。
だから、特にね、今グローバリゼーションが進んでいるから、こういう状況であれば、かつてみたいにね、フランスという国がこうやってできました。そのフランスという国が現在に至っています。
というような、それはさっき言ったように、ある時点で誰かが考えたイメージなんだけど、これは全然気のしない。グローバル化が進んだ中ではね。
だから、そうすると過去を見るときも、もうちょっとその集団の捉え方っていうのを、もうちょっと柔軟に考えて、その変化と、だから同時代における変化と、それから通時的な変化っていうのを同時に補足するような歴史像を作らなくちゃしょうがないでしょ。
ということなんですね。
歴史学者の恣意性と知りたいという欲求
スピーカー 2
まあ、だから歴史学者が何をやっているかと言うと、僕に言わせると、それ全部やらなくちゃいけない。
なるほど、壮大な関係ですね。
だから、普段の生活、日常生活の単純な生活であれば、それはもう研究のことで考えるなら、他の人が書いたものを読むとか、残っている過去のデータ、書かれているものを読むっていう、これを繰り返して。
そして、過去のある時点のあるところを再構成するというのは割と単純な作業。すごく難しいけれど、割と単純な作業で。
それが出た途端に、実は今まで我々が描いていた、歴史的変化というものが壊れちゃうわけで。
そうしたら、実際どうだった、どういうふうに捉えればいいのかっていう、そこまで考えていくっていう、両方こうやりながら。
スピーカー 1
先生の著作の中でもね、歴史学者が一定の、今おっしゃったように、何らかの解釈で名前をつけていると言いますが、これは何時代だとか、意味合いを作っていて。
19世紀に国民国家っていう枠組みの中で、今のフランスとかドイツとか、フランスって何なのか、ドイツって何なのか、みたいなことを結構、歴史学者が作ったのか、あるいは政治的な目的で国家が作ったのかっていうのがあると思うんですけど。
それって一定の目的に向かって、枠組みが作られているわけじゃないですか。
こういう目的があると、これは何ていうか、それが結構恣意的に作られる要素って、多かれ少なかれあるったりするのかなと思うんですけど。
そこに対する高山先生としては、その恣意性って歴史学者としてはできるだけ、結構難しいと思うんですけど、排除するというか、そういうものであるべきっていう感じなんですかね。
スピーカー 2
僕としては、その恣意性っていう部分は、特に気になるのは研究者の側の恣意性なんですね。
解釈というのを、その人の恣意的な、その時点での問題意識とか関心とかに引きずられて、それで後から見るとそんな結論先にあるんじゃないというふうに言われるような、そういう恣意性。
現実のものっていうのは本当にわかんないわけじゃん。現実の過去の状況なんてさ。わかんないから、ある人たち、こういうふうに考える人もいるんだけど、最終的にはわかんないから、そんなやめようよって。
わかんないことを探したってしょうがないでしょ。それは間違いだと僕は思っている。やっぱり僕らは知りたいんだよ。どうだったか。わかんなくても。
過去のある時点に焦点を当てた場合、やっぱりその時点での人の動きとかね、決定とかでもいいし、いろんなものがあるけど、それをやっぱり理解したいわけよ。
そういう要求がある限りは、我々は本当のものって最終的な真実、神様の身が知る真実なんてところにたどり着けないだろうけれど、でもやっぱり我々人間はいろんなことを考えて、どうなんだろう、どうだったんだろう、知りたいから、
そういう研究を続けているだけのことで。それは現代世界がどうなっているか知りたいから、いろいろ経済学とかが発達というか展開してきたわけだけれど、それはやっぱり知りたい。
自分が生きている環境にしろ社会にしろ、知りたいから、研究者、学者たちは一生懸命、頭使って、情報というか材料を使って知ろうとしている。
だからその点が共有されていれば僕は学問は生きていると思っている。生きているというのは変化しているけれど、我々にとって意味があるし、それから価値があるというふうに思っている。
それを失った途端に相対主義に陥ってしまって、そんなの誰も分からないし、やったって一緒だよ、というのは僕は賛成できないというか賛同できない。
国際水準の研究を目指す道のり
スピーカー 1
先生がそういう考えに立ったのって、歴史学者というか西洋史の勉強とか研究を始められた頃からそうなんですか。それは何らかそういうふうに思い至るプロセスがあるんですか。
スピーカー 2
やっぱりずっと前から思ってたわけじゃないと思います。一つはね、畑上の時代、あれを書いた時、これを書いた時にいろいろ考えた。
それからその前、これを書くきっかけになったのは、アメリカのエール大学の大学院で勉強したということ、それから自分が国際学会にデビューしたという、要するに英語の論文を書いて、
あるいはもっと遡ると、僕の先生が国際水準とかね、そういうことを言った、そのあたりからかな。そのあたりから学問とは何かとか、それから自分たちがやっていることは何なのかということをかなり真剣にというか真面目に考えて、
自分の行動と振り返るようになったことじゃないかなと思います。だから突然というわけじゃなくて。
スピーカー 1
先生は結構、著作を拝見して、先生のゼミでおっしゃってたこともそうなんですけど、結構国際的なというか、特に西洋史を研究されているからという意味で、日本で閉じるものではないというのは自然なことかなと思うんですけれども、
日本人が西洋史をやって、あなた西洋人じゃないじゃないっていう、結構遠い文化のものを対象とされて、それを研究されていく。それを実際に欧米で、欧米人の方と議論をしていくっていうので、
想像してもハードルが結構ありそうだし、どう受け止められるのかなみたいな。そこから先生が結構、実際には日本人だけれども国際的に認められるようになるまでっていうのは、いろいろご苦労があったのかなと思ったりするんですけど、
まずやっぱり、グローバルなところに欧米に目を向けられた、そこでやらなきゃって思われた経緯だったり、実際にその中でのご経験、大変なご経験みたいなのがあったら、そこの話をぜひ伺いたいなと思うんですけど。
スピーカー 2
はい、これも実は本当に振り返ってみればいろんなことがあったんですけど、最初に川山光一先生、当時の指導教官の先生に卒論を出したときかな、出した後に、それで大学院に合格したときですね。
金の研究室に呼ばれて、そして言われたことがあるんですね。それはその時の卒業論文は、ノルマン支配家のムスリムというタイトルの卒業論文になったんですけれど、
川山先生がおっしゃったのは、シチリアの研究を、日本で中世シチリアですけど、あるいはノルマン支配家のシチリアですけど、やっている人はほとんど日本にはいないし、国際的に見てもそんなに多くはない。
だからその研究するの大変だということは非常によくわかるけれど、だからといって君の研究が国際水準に達しなくていいというわけではないからねっておっしゃった。
それで卒論は一応こういう形で出して、大学院にも合格させたけど、修論はこのレベルでは全然ダメだからとおっしゃったわけですね。
だから修論を書くときには国際的にちゃんと認められるような水準のものを出してくださいって言われる。
それは何のことか僕にはよくわからなかったけど当時は。だけど僕なりに一生懸命考えて、どうしたら国際水準をクリアできるような論文が書けるのかということを、その後ずっと考えながら修論の準備というか勉強したんですよね。
だからその時から本当に何というか、僕の頭の中では国際的な水準とかいうことが意識され始めた。
国際水準ってなんだ?
スピーカー 2
それは当時は私にはやっぱりわからなかった。だから一生懸命考えた。自分なりに。何が国際水準?
28:50

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