00:01
スピーカー 2
ダイアログカフェ。筋書きのない対話から新しいアイディアと自分自身に出会う場所。この番組は様々なテーマで楽しみながらお届けします。
今回はですね、ゲストをお呼びしておりますが、私たちの仲良しの高田麻衣子さんです。
スピーカー 1
よろしくお願いします。
スピーカー 2
改めて、麻衣子さんとはですね、私はいつ、初めて会ったのはクラウドワークス。
スピーカー 1
2015年ぐらい?
スピーカー 2
そう、私妊娠してるときでしょ。
スピーカー 3
妊娠してたかも。
スピーカー 1
妊娠してて、もうすぐ私産休なんですみたいなときにお話しましたよね。
セミナーを一緒にね、させていただいて。
2016年ですね。
スピーカー 3
クラウドワークスのエビスでも一回やったし、その前の渋谷の年金事務所の近くみたいな。
スピーカー 2
あのときにも?
スピーカー 1
でも、あそこで打ち合わせだけだったかな。
スピーカー 2
確かにね。
スピーカー 3
麻衣子さんは会社をやってらっしゃって、それがね、ママを支援するというか、
スピーカー 2
ご自分でご説明いただきたいんですけど、マフィスっていうね。
スピーカー 1
マフィスっていう保育園です。もはや保育園。
当時は本当に託児所を併設したシェアオフィスっていうのを2014年に開設して、
今年ちょうど10年目に今入っている。
スピーカー 3
2024年の12月、10周年で何かイベントができるといいなと思ってるんですが、
あっという間の10年で、当時は本当に世田谷の住宅街の一角に一階にトツボほどの宅地スペースと、
スピーカー 1
あと15席ぐらいだけの、15席あったのか、ぐらいのワークスペースがあって、
なんとちょっとみんなで行こえるようなスペースがあるような、
30坪ぐらいの床で保育付きのシェアオフィスっていうのをやってたんですよね。
それを始めた時って、上の子が小学1年生、下の子が3歳だったんですけど、
私自身がちょうど2人を保育園に普通に預けながら、
都心というか港区に通勤するっていうような生活をしていたんですけども、
なんか結構しんどくて。
いろんなしんどさが絡まって最後は、やるぜってなったのが2014年だったんです。
スピーカー 2
それまでは会社員で普通にお勤め、フルタイムで働いてた?
スピーカー 1
フルタイムで働いてた。バリバリの不動産会社で、ボリボリの男社会で。
03:01
スピーカー 1
その中で本当に数少ない女性管理職っていうような立場で仕事させてもらってたんですけど、
スピーカー 3
今考えてみたら、ぶっちゃけ今よりもお給料高かったなとか、
そんなに例もたくさん取らないようにっていうのももちろんあるから、
スピーカー 1
そういう意味ではすごい恵まれていた。いろいろ守られてたし、恵まれてた。
けどやっぱりわかってもらえない煩わしさとかジレンマとか、
欠陥を出すよりも自分の体の拘束時間が長い方が評価がされるとか、
スピーカー 3
まだまだそういう時代で。
スピーカー 1
結構体育会系な会社だったよね。
不動産だから体育会系だったかな。
さかのぼると、もともと私が大学を卒業した後からずっと不動産会社で働いていて、
スピーカー 3
3社転職をしているんですけど、最初の1社目ではリクルート系の会社で、
スピーカー 1
リクルートの江添さんの会社にいたんですけど、江添さんの会社の関西支社で、
スピーカー 3
幼稚の仕入れとか、文庁マンションとかこういうマンションの土地を買うみたいな、
そういう仲介業者さんとか、新宅銀行の不動産部とか、
スピーカー 1
そういったところに営業に行くわけです。
それこそ営業で情報をもらうために、より有利な情報をもらうために、
それこそ新地で毎晩飲み歩くみたいな。
そういう営業のスタイルだったんです。超昭和な感じの営業スタイルで、
みんな平等な情報をもらってくるんですけど、最後にちょっと有利な何かがあるみたいな、
そういうところから一番最初の社会人生活がスタートしてるから、かなり歪んでるんですよね。
スピーカー 3
昼間の仕事もするんだけども、夜もそうやって夜のクラブ活動みたいな、
最後まで3時まで飲んでますみたいな。
スピーカー 2
すごい男社会感がある。
スピーカー 3
そこで5年、ただそういう本当に不動産屋っぽいというかね、
スピーカー 1
その仕事をしてたのは最初の3,4年ぐらいで、
その後は普通にオフィスビルとかサービスアパートメント、
スピーカー 3
家具付きの高級賃貸のリーシングをしたりとかっていうのを東京でやって、
とはいえみんな飲むのも好きだし、とにかくいつも遅いと。
スピーカー 1
そこからそれ5年間やって、一瞬ブライダルの業界に行ったんですけど、
スピーカー 3
ここはここで市場最名称上場社長の会社で、本当にふや上っていう感じで、
06:02
スピーカー 3
みんな12時超えてまで仕事するの当たり前。
スピーカー 1
こんなこと言っちゃダメかもしれないけど。
当たり前みたいな。
昔はね。
これはちょっと体壊すなっていうレベルの会社だった。
3つ目の会社に転職した時に、そろそろ27歳だったんですけど、
スピーカー 3
そろそろやっぱり夜の気合でではなく、
スピーカー 1
昼間の仕事のクオリティだけで勝負ができる仕事をしたいなって思ってたんですね。
3つ目の会社では、最初はまた営業職で内定もらったんですけど、
スピーカー 3
たまたまそこの会社が当時上場したって、今は東証クライムにいるんですけど、
スピーカー 1
当時はまだジャスダックにいて、
20代のお話が上手というかね、人前で話すのが好きな、
後方でIRをやってくれる人材をちょうど探しててって言って、
興味ありますかっていう風に聞かれたので、
それっていいかもってちょっと思って、
スピーカー 3
営業ってなるとまた夜のなんとかみたいな話がまた出てくるなと思ったから、
スピーカー 1
結婚もしたいし、子供も産みたいしって思った時に、
昼間頑張ればいける仕事なんじゃないかと思って、
スピーカー 3
先生に興味があると、ただ私バランスシート読めませんかっていうところから、
財務処分をよく分かりませんみたいな、
スピーカー 1
本当に不動産営業しかしてこなかったから、
スピーカー 2
はい、ありがとうございます。
お茶をね、今日はね、フリーフロー的なね、
スピーカー 1
紅茶屋さんで収録してて、フリーフローなんで、
スピーカー 2
ちょいちょい入ると思います。
お話の途中で。
スピーカー 1
腰を折りました。
それで、そんなんでもいい、一緒に勉強しながらやりましょうということで、
そこの会社では、東製っていう会社があるけど、
経営企画部でIRの仕事からスタートして、
それが27歳の時で、30歳までの間に、
それこそBSの意味もわからない私が、
スピーカー 3
決算説明会で司会をやったりとか、
ワンオワンで二次録書かなきゃいけないとか、
個人投資家対応を電話でやるとか、
スピーカー 1
そういうことを若い頃はやってたんですよね。
超勉強して一生懸命頑張って、
3年でわりとすごい評価をしてもらって、
スピーカー 3
管理職まで上り詰めたというかね、
スピーカー 1
そこまで昇格した直後に妊娠が分かって、
スピーカー 3
残業つかない立場になった瞬間に妊娠したなとか思って、
スピーカー 1
ちょっとタイミングがいいのか悪いのかっていうところもあって、
とにかく大子を出産した後は、
09:02
スピーカー 3
1年休休を取ったんですよね。
スピーカー 1
1年休休を取って戻った時に、
結構いろんなことが起きてて、
スピーカー 3
まず一つはリーマンショックが起きた。
スピーカー 1
リーマンショックが2008年の秋でしたよね。
スピーカー 3
2008年の12月に復帰だったんだけど、
周り自由化がどんどん倒産していって、
同業他社と呼ばれる会社が。
スピーカー 1
私もやばいかな、戻るとこないかなって思ったんだけど、
一応ちゃんと待っててくれて、
スピーカー 3
ただ当時の経営企画の上司が別の部署に移ってたから、
スピーカー 1
そっちに引き抜かれてしまって、
スピーカー 3
IRの担当はちゃんと1年間別の人がやってくれてたから、
そこに戻らなくてもいいだろうみたいな、
スピーカー 1
俺のとこに来いみたいな感じで、
全然違う、同じ会社の違う部署に
配属というか復帰になった時に、
上司は一緒なんだけど、
スピーカー 3
チームメンバーが全然違うから、
スピーカー 1
周りにしてみたら、
スピーカー 3
こっちの会社で初めて育休を取った管理職の女性っていう、
そうだったんだよね。
スピーカー 1
命令って言うと何者がやってくるみたいな感じで、
スピーカー 3
若い女の子たちとかが宣戦協協としてたりとか、
私も残業する気もないし、
子育てで必死だし、
スピーカー 1
やっぱり慣れない環境と慣れない仕事の中で、
スピーカー 3
でも管理職として部下をマネジメントする
みたいなことを求められて、
スピーカー 1
いきなりマネージャーで、
マネージャーでそのままだから、
役職とかくらいは変わらず、
仕事は変わる部下持ちで、
部下持ちマネージャーで、
3、4人だったけど、
スピーカー 3
同じレベルの男性の同僚がいて、
スピーカー 1
彼が奥さんがいて、
子育てしてるから、
いろいろ理解をしてくれて、
サポートもしてくれて、
チームメンバーに恵まれて、
スピーカー 3
なんとか仕事は復帰できたけど、
なんかしんどいよね、子供。
スピーカー 1
思うように100%振り切って、
私頑張るぜみたいな気持ちでいるのに、
やっぱり熱は繰り返し出すし、
なぜかすごい病弱で、
今ではすっかり元気なんだけど、
3歳になるまでの間に、
彼は4回入院をしていて、
一番最初のが、
復帰して2、3週間後に、
うつってきた風邪をこじらせて、
年末年始を挟んで肺炎を起こして、
その肺炎も肺炎ってわかるまで、
スピーカー 3
いろんなことを言われて、
川崎病なんじゃないかとか、
川崎病ってなんだみたいに、
成分好意症があるやつだなとか、
スピーカー 1
大変だなとか思ったりしながら、
年末年始を病院でやって、
スピーカー 3
そのまま中時炎になってくれて、
スピーカー 1
自育課に連れて行って、
スピーカー 3
経緯を説明したら、
12:01
スピーカー 1
子供が肺炎になるまで気づかないなんて、
母親失格ですよって言われて、
スピーカー 3
1時間待たされた自育課で、
そんなに厳しいことを言われて、
まだ仕事も本聴取じゃないのに、
休みがちで、母親としては、
スピーカー 1
そういうきついことを言われたりとか、
ワーキングマザーのスタートが、
スピーカー 3
そんな感じだったっていうところから始まって、
スピーカー 1
ハードモードね。
ハードモードだよね。
でもまだ当時は私も若くて、
スピーカー 3
より頑張らなきゃみたいな、
スピーカー 1
って思ったんだよね。
世代的にそういう世代なんだよ。
スピーカー 2
子供生まれたら、
仕事をペースダウンしようとか、
スピーカー 1
そういう気持ちは全然なかった?
あったあった。
残業する気はなかったから、
スピーカー 3
残業はするつもりはなかったから、
スピーカー 1
そういう意味では私の中では、
相当ペースダウンだったんだけど、
時間内でちゃんと成果を出さなきゃいけない、
成果にこだわるっていうことは、
すごい頑張ったなって。
だからこそ精神的に追い詰められたりとか、
普段だったらやらないようなミスを、
スピーカー 3
子供の風邪とかで気を取られながら、
スピーカー 1
やってしまったり、
今だと絶対そんなこと、
部下が同じことをやったら許さないんだけど、
私しかできないからと思って、
これだけだからっていうのに、
スピーカー 3
メール配信かなんかを、
スピーカー 1
家でやらせてくださいって言って、
スピーカー 3
やらせてもらったら、
スピーカー 1
まんまとミスして、
スピーカー 3
時間を間違えたとか、
スピーカー 1
そういう話だったような気がするんだけど、
こんな自分の中で抱え込んじゃダメなんだな、
スピーカー 3
っていう反省をひどくしたりとか、
スピーカー 1
子供がいる気もそぞろな環境の中で、
仕事って絶対やっちゃダメだなとか、
いろんな学びが当時あって、
っていうようなところから、
子育てしながら仕事をやってて、
ただ仕事が好きなので、
第二子を妊娠した時に、
いろいろ思うことがあって、
上の子で1年だったけど、
スピーカー 3
つまんなくてしょうがなかったから、
スピーカー 1
つまんないって言ったらダメなんだけど、
育休がね、子供はかわいいけど、
早く仕事したい、誰かと会話したい、
大人と会話したいっていうような、
気持ちでいっぱいだったから、
二人目の子は、
スピーカー 3
3ヶ月で復帰するって決めてたの。
スピーカー 1
だから8月の末に生まれて、
2010年の8月末に第二子を産んで、
10年の12月に復帰をしたんだけど、
そしたらその3ヶ月後に、
スピーカー 3
東日本大震災が起きるんですよ。
なるほど。
スピーカー 1
やっぱ第一子の子育て、
子供一人の子育てと、
二人になった時の、
一番目と二番目の関係性とか、
スピーカー 3
私と一番目と二番目の関係性とか、
あとはパートナーとの関係性とか、
スピーカー 1
全然違うものになってくるから、
来るんだけど、
二回目だからうまくできるだろうと思ったら、
スピーカー 3
全然うまくいかないみたいな、
15:01
スピーカー 1
っていうような難しさがある中で、
ただやっぱ保育園に二人とも預けた方が、
上の子が安定したんだよね。
下の子だけを家に置きながら、
上の子だけが保育園に行くっていうのは、
上の子がすごく嫌がって、
それもあって二人とも預けちゃった方が、
私も気が楽、上が落ち着くかなと思って。
スピーカー 3
そしたら大震災が起こるから、
その日は普通に歩いて迎えに行くっていう感じで、
スピーカー 1
迎えに行って、迎えに行った後、
どんどん世の中が不安定っていう感じになったんじゃない?
水がないとか。
水がないとかそういうのもあるし、
あとは原発の事故で、
関東地方の大気汚染とか土壌汚染とか、
砂場で遊んだら、
砂場の放射能濃度を減ったじゃない?
いろんな人から、
スピーカー 3
政府関係者がどんどん九州に逃げてるから、
スピーカー 1
逃げてるから、
舞妓さんもしばらく実家に避難した方がいいよ、
育休中でしょって言われてる、
スピーカー 3
そういうお知らせが次々来て、
いや、実はもう復帰しちゃってんだよねって言って、
スピーカー 1
いや、絶対子供ちっちゃいから、
逃げた方がいいよとかって言われて、
そんななの?みたいな、
スピーカー 3
逃げなきゃいけないほどとかって、
スピーカー 1
思って、
その時に、
でもやっぱり、
もう一回休みを取るっていうことができないじゃない?
もう復帰してるからね。
保育園入れるのも大変だったから、
スピーカー 3
もう一回休ませて、
保育園から退院させて、
休むってなると、
スピーカー 1
やっぱり会社は辞めなきゃいけないし、
スピーカー 3
また預けるとこ見つからなかったらどうしよう?
って考えた時に、
スピーカー 1
いや、それができなかったんだよね。
その時に、
いや、今私やってる仕事って、
そこまでやりたくてやってるのかな?とか、
子供との大事な時間とか、
子供の命とか、
スピーカー 3
健康とか、
スピーカー 1
そういうものをもう少し危険にさらしてるかもしれないけど、
スピーカー 3
それと引き換えにするほど尊い仕事を私はしてるのかとか、
スピーカー 1
子供たちに胸を張った仕事をできているかとか、
結構いろんなことを迷い始めて、
仕事もうまくいってる子供たちも、
スピーカー 3
健康で楽しそうに毎日を過ごしてる時って、
私って全部持ってるみたいな感じのテンションになるんだけど、
スピーカー 1
うまくいかないと、
スピーカー 3
どれもこれも中途半端で、
スピーカー 1
全然ダメなやつ、
スピーカー 3
欲張りなだけでダメなやつだなって思ったりっていう、
スピーカー 1
上がったり下がったりっていうのを、
すごい繰り返しながら、
常に尋問してたのは、
本当に今の仕事は、
子供を保育園に預けながらやるほど、
やりたい仕事なのかばっかりずっと考えてて、
もっと私にできることがないのかとか、
スピーカー 3
やりたいことって何だろうとかっていうのをずっと考えてて、
スピーカー 2
それどれくらいの期間?
スピーカー 1
まずは大震災が起きた後、
本当に数ヶ月の間それを思い続けてて、
とにかく毎日が大変すぎるから、
もうちょっと私が、
18:01
スピーカー 1
私は割と合理的に、
スピーカー 3
例えば住む場所と職場と、
毎日の生活を選んでるつもりでいて、
それこそ駅2分のマンションに住んで、
スピーカー 1
駅ビルの中にある認可保育園に子供を預けて、
スピーカー 3
電車に乗るのは20分くらいかな、
駅から1分のところに自分の会社があるみたいな、
スピーカー 1
だからドアドア30分で全てのこと足りるような、
スピーカー 3
生活なのになぜか会社を出てから1時間半うちに着かない、
スピーカー 1
みたいなことって、
スピーカー 3
よくなかった、小さい時子供が歩きたがるとか、
スピーカー 1
そういうこと、買い物に行かなきゃいけないのがあるじゃない、
スピーカー 3
これだけ合理的な生活スタイルを組み立てたはずなのに、
スピーカー 1
なんでこんな大変なんだろうとか、
スピーカー 3
私がこれだけ大変だからみんなきっと大変なはずだとか、
スピーカー 1
って思って、
ワーキングマザーが、
何かしらもっと楽になるような、
生活が楽になって、
スピーカー 3
やらなくていいことをやらなくていいような、
スピーカー 1
時間を、
その時間を別で子供を育てに、
当てられるような何かがやりたいって思った時に、
いきなりマフィスじゃなかったの、
スピーカー 3
最初にお惣菜屋さんやろうと思ったの、
RFさんみたいな、
スピーカー 1
駅前でキッチンカーとかで、
スピーカー 3
ちょうどまだ再開発で仮学校いっぱいあるんだけど、
どっかでキッチンカーとかできないかな、
ぐらいのことから考えたり、
スピーカー 1
でも全然私とお惣菜屋さんとか全然違うよなとかって、
何からそれ始めたいのかよくわかんないなとかって、
考えながら自分のやってきたこととか、
人脈とか興味とか、
そういうことの中で始まることがないかなって思った時に、
ふっと思ったのが、
家のそばで子ワーキングを作れないかとか、
自分の生かせてる保育園の隣に子ワーキングを作れないかとか、
最初は子ワーキングだけのことを考えてたんだけど、
なかなかそんな都合のいいものが見つからないから、
じゃあ自分が子供を預かるみたいなこととか、
たくじつきというか子連れでいける子ワーキングから始めた時に、
何がまずくてそういうものが存在してないのかなっていうのを
考え始めたのが2011年の夏だったんだね。
震災が起きた半年後ぐらい。
スピーカー 3
そこから、じゃあそれって具体的にどういうビジネスモデルで、
スピーカー 1
どういう収益構造で、
どこにあるとみんなが喜んで、
スピーカー 3
どんな人が使うんだろうとか、
スピーカー 1
それを私がやる意味ってなんだろうとか、
そういうのを本当に真面目に、
スピーカー 3
真面目にいわゆるフレームワークに落とし込んで、
スウォットとかやったり、
いろんなマーケティングの3Cとか4Pとかいろいろあるじゃない?
スピーカー 1
ああいうのに当てはめた時に、
いけるかどうかみたいなのを考えたら、
スピーカー 3
意外といけそうな気がしてくるっていう、
スピーカー 1
いけそうな気がしてくるように自分の思考を持ってってるからなんだけど、
一番最後に必ずつまづくのは、
21:01
スピーカー 1
お金が用意できないというところでつまづくわけですよ。
ちなみにそれを整理って一人でやってたの?
それも誰か家族ですか?
最初は自分で本を見ながら作って、
それをいろんな友達とか、
先に起業してる友人だったり、
コンサルタントをやってる友達だったり、
スピーカー 3
それこそ職場の上司が応援してくれたりとかも見てもらったり、
自分の父親とか夫とかもいろんな人に見てもらって、
あと会計士の先生、会計士とか税理士をやってる友達とか、
割といろんな人が幸いにも周りにいるから、
スピーカー 1
恥ずかし気もなくいろんなところに見てもらって、
スピーカー 3
それぞれの視点でいろんな言葉をもらったり、
スピーカー 1
あとそれこそ本当にニーズってあるのかどうかっていうのを知りたくて、
スピーカー 3
サイバーエージェントとかNTTコミュニケーションとか、
あとヤフーとかの人事の人につないでもらって、
私これから独立してこんなことやりたいんだけど、
スピーカー 1
できたら使ってもらえますかっていうのを聞いてみたら、
スピーカー 3
みんなノーなんだけど、だってこんなところに1個あったってしょうがないから、
スピーカー 1
要するにみんなが平等に使えるものがないといけないんだっていうところから、
でもたくさん作るためには、
要するにこれがビジネスがちゃんと成功するものってあるよっていうものを、
やっぱり示すためには最初の一歩をちゃんとうまくやらなきゃいけない。
スピーカー 2
でもその段階で大企業の人事に行ったってことは、
スピーカー 1
当初想定は社員の人に使ってもらうってことだよね。
そうなの。当初の想定は、
フリーランスっていう存在は自分にとって身近じゃなかったから、
スピーカー 3
フリーランスっていう人が世の中に存在するっていうのは知ってたけど、
スピーカー 1
私の周りは、私自身もやっぱり勤め人だったから、
企業に使ってもらう。
サテライトオフィス的な。
今で言うサテライトオフィス的な。
スピーカー 3
そういうのと、私が当時考えたようなものが実はちょっとだけ存在してるんだったりするんだよね。
スピーカー 1
時代ワークスとかの中に託児がついてるやつとかがあったりするから。
なんだけど当時はそういうのなくて、
頼もうみたいな感じで行ってみて、
それで何かピシッてやられて、
それで何か、最終的にそこに3年くらいかけてるんだよね、実は。
そこに本業っていうか仕事をやりながらでしょ?
スピーカー 3
やりながらちょっと、班級取りながらとか、
スピーカー 1
週末も旦那さんに子供たち見てもらいながら、
スピーカー 3
こっそり会社でそんな作業をしたりとかしてたんだよね。
スピーカー 2
いろいろ自分の働き方に震災とかあって、もやもやがあった。
でも会社、そこで企業ダーニが割とサクッといったの?意識は。
スピーカー 1
いってない、いってない。
スピーカー 3
ずっと会社員としてそのまま行くっていう、もちろんシナリオもあったし、
スピーカー 1
転職っていうのもあるかもしれないとか、
いったんいきなりどでかい会社を作るんじゃなくて、
自分が何かフリーランスとして働けないかとか、
24:02
スピーカー 3
いろいろ考えていたんだよね、ずっと。
スピーカー 1
なんだけど、やっぱり子供2人抱えながら転職ってなると、
スピーカー 3
それまでが相当おいしい条件って言ったら聞かれたくないんだけどね。
スピーカー 1
だからやっぱり今の私の残業内働き方でこれだけの収入があって子供が2人いて、
自分がIRも3年しかやってない。
営業支援的な仕事もウェブマーケットもやったけど、
それもそんなにプロフェッショナルとは言えない。
人事で採用もやったし、いろんなこと営業もやったし、いろんなことやってるんだけど、
スピーカー 3
どれも自分のことを資器用貧乏だと思っていて、
スピーカー 1
何か新しいことをやれるチャンスが来たら割とすぐに形にできるんだけど、
それで自分の会社の例えば肩書がなくて、やれるほどかっていうとそうでもないっていう、
自己分析というか自己評価だったから、
スピーカー 3
フリーランスっていう選択がなかったんだよね。
スピーカー 1
だからどうしようかなってずっと考えながら、
スピーカー 3
企業の構想とか妄想とか、どうやってお金調達するかなとか、
ヨカを使ってそういうことを妄想してたところから始まって、
スピーカー 1
でもだんだんやっぱりどうやったらやれるだろうとか、
私ができるのは箱を作ってそこに魂を入れることだっていうふうに思ってるから、
それが実現するために箱作りを誰かにお手伝いしてもらわないといけないか、
誰かが手伝ってくれる人が見つからないなら自分で飛び込む何かを用意しないといけないと思ったときに、
これもたまたまだったんだけど、
スピーカー 3
うちの息子が2014年の春にいくつかのことが同時に来たんですよ。
スピーカー 1
まずネガティブな話で言うと、息子が小一になって私が小一の壁に当たったっていう、
スピーカー 3
壁って言っても別にキッズベースキャンプの枠は確保して、
スピーカー 1
全然フルタイムで子どもを見てもらえる機能は確保環境は用意したんだけど、
うちの息子が病弱で貧弱で、
風邪こそとか入院とかはしなくなったけど体もとにかく小さくて、
勉強にもなかなかついていけないし、
1年生の4月の終わり頃に家庭訪問があったときに先生に言われたのが、
息子さん授業中に寝てますって言ってもらって、
だからもうちょっと夜早く寝かせてあげてくださいっていうのを言われたときに、
なんかはーってなって、
スピーカー 3
当時はまだフルタイム6時まで仕事をして、
スピーカー 1
7時ぐらいに下の子の保育園を迎えに行って、上の子をその後迎えに行って、
スピーカー 3
家に着いたら7時半で、
スピーカー 1
そこから晩ご飯の支度してお風呂入れてなんとかして、
どうしても10時過ぎちゃうんだよね。
10時を過ぎちゃうから、
これまでずっと保育園だったら、
最後はお昼寝もなかったかもしれないけど、
27:00
スピーカー 1
慣れた環境の中で少ないお友達、
顔見知りの子たちと一緒に先生がきめ細やかにやってくれる環境から、
スピーカー 3
突然35人教室で先生が前に立って、
みんなに背に割って物を言うとか、
スピーカー 1
っていう環境に変わるとか、
スピーカー 3
知っているお友達もいるけど知らない子の方が多いとか、
お家に帰る子もいれば午後から学堂に行って、
スピーカー 1
また違う上級生とかで入り乱れて、
っていう環境が彼の日常に変わった瞬間が、
2014年の4月だったんだよね。
彼の環境の変化に、
私の意識というか、頭の中では理解してたと思うんだけど、
それが息子にとって、
どれぐらい負荷の大きいことかっていうところまで
寄り添ってなかったなっていう感性をすごいしたわけ。
スピーカー 3
で、その時にすっごい今すぐ会社辞めたいぐらいに思って、
スピーカー 1
っていうぐらい子どもと一緒にいたいなっていう気持ちが
スピーカー 3
すごい強まったっていうのが一つあって、
スピーカー 1
ここまで6年間ほったらかして、
勝手に育ってくれたから、
小学校の生活になれるまでの間ぐらいは、
彼のペースに合わせてあげたいなっていう気持ちが
スピーカー 3
すごい強まったっていうのが、
母親としての気持ちが一つあって。
スピーカー 1
で、二つ目の、もう一つネガティブな話として、
スピーカー 3
ガラスの天井があったんですよ。
スピーカー 2
あー、そうなんだ。
スピーカー 1
で、そこまでで、あるそのタイミングね、
スピーカー 3
同じ4月に、私がいた部署に部長と次長のポストが空いてたの。
で、そこに縦兼務で、役員が部長を兼務してたんだけど、
スピーカー 1
ここをそろそろ下に入れなきゃいけないってなったときに、
私よりも圧倒的に下の位にいた男性のマネージャーが
スピーカー 3
ガンって棒抜きで上に行かれてしまったっていうので、
ちょっと心折れたのと、
スピーカー 1
あともう一人、別の部署で、
私と同じぐらいだった独身の女性の子が、
スピーカー 3
そこの部署の次長になったっていう意味で、
要するに女性でもちゃんと身横にして働けば、
成果を出せば昇進できるし、
スピーカー 1
せめて次長ぐらいになりたかったなと思ったんだけど、
スピーカー 3
君、残業してくれないからって本当に言われたの。
スピーカー 1
でも残業してなくても、
ちゃんとこういう評価を出してるし、
スピーカー 3
成果を出してて、こういう評価もいただいていてっていうのを
人事部長とやり取りをしたんだけど、
スピーカー 1
残業しなくてこれだけ成果を出してるんだから、
スピーカー 3
残業したらもっと出せるでしょって言われたときに、
スピーカー 1
ダメだ、こりゃ。って思って。
今の時代だね。
そういう時代だよね。
私もそんな感じだった。
スピーカー 2
でも今でも一般じゃない?
スピーカー 1
あるかもね。
スピーカー 3
男でも。
スピーカー 1
10年前の話だけど、
だからさ、私がもっと仕事中心になれるには、
まだ10年以上先だなと思ったときに、
スピーカー 3
当時ね、36、37歳の私、
スピーカー 1
ここじゃないなって思ったっていうのが1つあったんだよね。
スピーカー 3
これがネガティブというかね、話が2つ。
30:00
スピーカー 1
で、もう2つがポジティブな話で、
ずっとね、粛々とこう、
スピーカー 3
ここだったらできるんじゃないかっていう場所探しはね、
ずっと続けてたわけ。
ここだったら私気持ちよくできるみたいな。
スピーカー 1
ちょうどね、バジ公園の最初の施設に
出会ったタイミングだったんだよね。
ここだったら、そんなに食器投資なく
実験的にできるんじゃないかって思ったのと、
本当に素敵な場所でした。
スピーカー 3
なんかね、バジ公園の真南にあって、
スピーカー 1
だから北側がバジ公園なの。
そしたらなんかね、オフィスからとか子どもたちが預かって、
子どもたちのスペースからね、
スピーカー 3
馬がね、走ってるのが見えるわけ。
スピーカー 1
なんかさ、仕事しながらさ、馬が走ってるのが見えるとかさ、
スピーカー 3
いいなと。
スピーカー 1
おかしくない?すごく素敵なのに、
そのお隣なのに。
で、なんか、もうなんかこう、
スピーカー 3
窓の外は全面緑だし、
スピーカー 1
こんな素敵な場所ないなと思って、
ただね、駅から遠かったから
スピーカー 3
集客できるかなって不安あったけど、
スピーカー 1
賃料も安かったし、
もともと保育園だった場所だったから、
絵本美術館の後に一回保育園が入った場所だったから、
なんかね、保育施設としての要件を結構満たしていて、
そういう意味で、
スピーカー 3
なんかここだったらできるかもって思った場所に
ちょうど出会ってたの。
スピーカー 1
あと最後、極めつけが、
なんかね、突然自分が今まで蓄えてたものが
スピーカー 3
5倍になったみたいな。
スピーカー 1
投資で?
投資で。
スピーカー 3
あー、そう、突然。
スピーカー 1
そうそう、なんか投資というか、
持ち株界ね、リーマンショックの後に
この会社は潰れないなって思ったんだよね。
スピーカー 3
ほんと毎月2万円。
ボーダスの時に10万円。
コツコツコツコツと、
5年間か6年間、
積み立て続けたわけ。
そしたらトータル400万ぐらいの積み立てが、
スピーカー 1
平均取得価格で、
初めた時は1万円だったんだけど、
スピーカー 3
大体3万円いかないのに2万8千円とか
3万円前後だったのが、
突然15万円上がったわけ、株価が。
スピーカー 1
すごい。
黒田総裁が就任した時に
大規模な金融緩和策を発表して、
その時に不動産価格がグワンと上がって、
スピーカー 3
やったー、今だー。
スピーカー 1
私今これお金に買える。
とりあえずお金に買えると思って、
それでそれを全部引き出して、
スピーカー 3
証券口座に出て、すぐに売って。
スピーカー 2
それを企業の資金にしたんだ。
スピーカー 3
それプラス、わずかばかりの退職金と
スピーカー 1
最後の商用と合わせたら、
結構2千万くらいのお金になって、
どうせ服膳にだなと思って、
だからちょっとやりたいこともあるし、
これがあれば、
企業のお金というよりは、
しばらくお給料を自分で取らなくても、
生活ができるなっていう
安心感につながって、
スピーカー 3
じゃあよしやるかっていうのが
2014年の復興があって、
そこからサクサクと退職の手続きをして、
スピーカー 1
息子、夏休みは完全に
スピーカー 3
子どもたちのためだけに使うみたいな感じで、
8月の12日に登記申請をしてから、
33:02
スピーカー 1
承認降りるまで2週間かかる間に
もうハワイに行って、
スピーカー 3
昔の恩師に会いに行ったりとか、
子どもたち連れ回して全国というかな、
スピーカー 1
あちこち行って、
スピーカー 3
9月から本格的に真面目に
スピーカー 1
解消のための準備をし始めたっていうようなのが、
スピーカー 3
最初のマフィスを起こすまでに
スピーカー 1
すっごい時間がかかった。
スピーカー 2
いやいやでもすごい、なるほど。
スピーカー 1
そこから12月まで結構もう何かノンストップで、
だから物件決まってるからさ、
そこからもう本格的に設計して、
スピーカー 3
集客の準備をしてっていう感じで。
スピーカー 2
最初もう一人、完全に一人で始めた?
スピーカー 1
最初の会社の後輩の子が、
スピーカー 3
ちょうどフリーランスフラフラしてて、
ちょっと手伝ってって言ったら
スピーカー 1
手伝ってくれてっていうところで、
なのでマフィスっていう名前も
一緒に手伝ってくれた後輩の子が考えてくれて、
そこから楽しかった。
スピーカー 3
答え合わせ前だからさ、
抵抗する絵しか考えてないぐらいの。
スピーカー 1
怖いよりも楽しい方が楽しかったの?
怖いよ、怖いんだけど。
怖いんだけど、こういう風に集客したら
反響があってとか。
やっぱり楽しかったよね。
嬉しいというか、最初のお客さんというかね、
最初にクラウドファンディングをしたんだよ。
幕開けで。
そこで地元の子がそれに気づいてくれて、
スピーカー 3
いまだに連絡がやり取りし続けてる
スピーカー 1
お客さんもいたりするし、
スピーカー 3
そこからすごいいろんな人の出会いがあって、
スピーカー 1
楽しかったんだけど、
スピーカー 3
思うようにいかないことばっかりだよね。
スピーカー 1
経過?
スピーカー 2
経過。
スピーカー 1
当時、まだまだ世田谷区だと
800人ぐらいの待機場がいた時代だったから、
ものすごいフリーランスの人がたくさん来たんだよね。
スピーカー 3
フリーランスの方がポイント低いからって言って。
ここで初めてフリーランスって本当にいるんだって思って、
スピーカー 1
こういう人たちってたくさんいるんだなっていう気づきもあったし、
スピーカー 3
空中船よりも地上船だなと思ってチラシ巻きまくって。
チラシ握りしめて来てくれる人もたくさんいて。
スピーカー 1
その頃ですよね。
フリーランスに目をつけ始めたっていうか、
スピーカー 2
利用者がいるって話になった時に、
吉田さんの社長のセミナーに行った。
吉田さんがこういう人がいてみたいな、
それでちょっと話してみてみたいなのをつないでもらって、
そういうフリーランスの方が集まる、
シェアオフィスで育てをしながら、
スピーカー 3
宅地署が、それ当時は宅地署でしょ。
スピーカー 1
保育園じゃないでしょ。
認可外保育施設っていう感じだった。
全然まだまだフルで朝から夕方まで預かるには、
36:00
スピーカー 1
すごい高いお金しか取れなかったから、
本当に月40時間とか、
1日に3時間、週に3日みたいな、
スピーカー 3
そういう使い方をする人たちにサービスを提供してたら、
意外となんかいっぱいいるって、
スピーカー 1
そういう働き方してる人たちいっぱいいたっていうところから始まって、
ただやっぱり経営はずっと苦しくて、苦しかったし、
スピーカー 3
4月になるとものすごい人がこぼれ落ちて、
スピーカー 1
みんな認可決まったらそっち行くみたいな感じだったから、
スピーカー 3
すごい頑張って広告費投下して、
スピーカー 1
集客しすぎたらお金がなくなるとか、
このままやってたらあと半年でお金がないみたいな、
キャッシュアウトだみたいなところをずっと繰り返しながら、
スピーカー 3
それこそ、本業で稼げないから私が不動産仲介とかをやりながら、
スピーカー 1
たまに短髪で数百万稼いで、
年に4回ぐらい300万とかもあって、
スピーカー 3
上に毎月200万ぐらいの売り上げがずっと1行目にあって、
そういう経営をボランティアで見てくれてた本社の友達が、
スピーカー 1
まいちゃんさ、これさ、2行目だけでいいんじゃない?
この2行目やるのにまいちゃん何日ぐらい稼働してるの?
年10日ぐらいですかね?とか言ったら、
年10日で1200万稼げるんだったら、そっちだけにしたら?って言われて、
スピーカー 3
そうなんですけど、たぶんこれは私が1行目のこのビジネスをやってるから、
こういう仕事が舞い込んでくるわけで、
なので1行目はやらないことに、2行目はやらないことに、
たぶんできないし、私の心が渇いちゃうから、
スピーカー 1
やりたいんです、1行目やらせてくださいって言って。
なるほどね。いい表現だ。
そうなんですよね。
本当にだからね、当時は先に、
それこそさすかじの和田さんと一緒にさ、日経のさ、
スピーカー 3
なんかWってさ、ページがなかった?
スピーカー 1
女性の、活躍する女性のね、取り上げた記事に載せてもらったり、
それ以外にも本当にメジャーシーにもたくさん出たり、
本当にたくさんPR、メディアに取り上げてもらえたんだけど、
スピーカー 3
もうなんか実態は全然稼げてなかったから、
もうなんかほんとずっとさ、スワンみたいなさ、
スピーカー 1
私してますみたいな感じで、
でもどうやってここを安定させようかばっかりずっと考えながらやってたけど、
あるとき、あるその認可保育園をやってる議事長の方に、
株式会社だったから経営者の方に、
私のやってることっていうのは非常に社会的に意味があるし、
尊いことなんだけれども、
まだまだ福祉っていう観点で言うと、
贅沢品なんですよって言って、
スピーカー 3
贅沢品?
スピーカー 1
贅沢品だって言われて、
社会福祉っていう観点で言うと、
要するにそこにオフィスがついていて、
39:00
スピーカー 1
自由に働き方も自由で、
場所も時間も自由に働ける人たちに提供する保育っていうのは贅沢品だから、
なかなかそこに公的なお金は付きづらいんです。
だから嫌かもしれないけど、
まず嫌かもしれないけど、
認可保育園に挑戦してくださいっていう風に言われたのが、
本当に8年前とかそれぐらいだったんですけど、
認可保育園だともっとね、
ルールも厳しいし、
自由なことはできないかもしれないけど、
スピーカー 3
嫌かもしれないけど、
スピーカー 1
でも今のことを痩せ我慢してやってると、
利用料も高いから、
十分使ってもらえないから、
お客さんたちもつらいでしょう。
従業員に十分な奨用も払ってあげられない、
お給料も十分払ってあげられないっていう意味では、
従業員も我慢してくれている。
そこで高田さんが、
贅沢できてるかって言うと、
スピーカー 3
あなたお給料取れてますかって言われたら、
スピーカー 1
ほとんど取れてませんみたいな。
これ永続しませんよねって言われて、
おっしゃる通りだなと思って、
スピーカー 3
なんとかして補助金を取れるというか、
スピーカー 1
国の公的な資金で運営できるスタイル。
やっぱり保育って安全性を最優先するためには、
公的なお金をしっかり取りに行くっていうか、
取りに行くそういうルールに乗りながら、
自分のやりたい世界観を実現していくっていうところを、
考えなきゃいけないなって思い始めたときに、
ちょうど企業主導型保育っていうのが始まって、
それも今だと名案相当分かれていて、
スピーカー 3
ためになっている施設もたくさんあるんだけど、
スピーカー 1
うちは北三道と元町は企業主導型でやっていて、
でも新規で国はお金をつけないんだけど、
それをなんとか2つやったことで、
今最終的に認可保育園につながる道筋ができたから、
すごい遠回りだったんだけど、
そうやってちょっとずつやれることを広げていくっていうようなところで、
スピーカー 3
今なんとか。
でもその間にコロナが起きたり、
スピーカー 1
本当に予測不可能なことがいっぱい来ると思って。
スピーカー 2
今、拠点は何個あるんですか?
スピーカー 1
今はマフィスで3カ所。
北三道と元町が企業主導型って、
スピーカー 3
認可外なんだけども国の補助金がつく保育施設として、
スピーカー 1
プラスシェアオフィスでやっていて、
あと横浜の博楽、これは横浜市の認可保育園と、
あとそこにシェアオフィスに加えて、
来年度に領域の児童型支援を始めようとして、
スピーカー 3
今ちょうど準備をしているところ。
スピーカー 2
なるほどね。
スピーカー 1
あとはシェアオフィスだけっていうと西武沿線で、
これは西武さんから受託を受けて運営だけをやっている。
これはちょっと変な話だけど、
私たちは運営の受託側だから、
そこまで稼働のリスクっていうのは、
取らなくていいというものではあるんだけど。
42:00
スピーカー 2
なんか軌道に乗ったなみたいになるまでに。
まだない。
まだ?まだないよ。
スピーカー 1
まだないよ。全然だよ。
全然とは言わないけど、
もうダメかもって思ったのはあったの。
もうちょっと私、息できないとか、
私一人じゃ支えきれないってなったのが、
コロナの2年目、2021年。
スピーカー 3
わりと最近じゃん。
スピーカー 1
すごい苦しくて。
スピーカー 2
3年前。
スピーカー 1
ほんとすごい苦しくて、
それまでもずっといろんな意味で苦しかったんだけど、
その時ばっかりは、
会社がダメになっていく時って、
スピーカー 3
こういう感じ。
これ言っていい?
こういう感じなんだ。
スピーカー 1
私の中で、私の手から離れて、
問題はこの辺で、
なんていうの、わーって起きてて、
それを私は手をこまねーって見ている。
どうしよう、何から手をつけたらいいかわからない、
みたいな感じになっていたのが、
実は2021年くらいで。
何が起きていたかというと、
業績というか会社の、
一旦コロナで預け控えがすごいあって、
とはいえ従業員へのお給料も、
スピーカー 3
本当に休ませたら補助金が降りるけど、
スピーカー 1
休ませられない最低限は稼働させないといけないから、
ずっととにかくすごい赤字が続くわけ。
それが苦しい苦しいと思っていると、
本当に人を大事にできなかった時代なんじゃないかな、
と思うんだけど、
本当に離職が続いて、
ちょうど認可が始まったタイミングだったんだけど、
やっぱり大変な時期で、
スピーカー 3
お金も大変な時に初めてのことをやっちゃったから、
スピーカー 1
本当に人はどんどん辞めていくし、
中の人たちも不満がいっぱい積もっていたり、
負担とか責任感のある子たちが、
スピーカー 3
すごく我慢と耐えしのんで、
スピーカー 1
歯食いしばって頑張ってますみたいな、
どうして私みんなを幸せにしようと思って、
スピーカー 3
この会社を作ったはずなのに、
みんなが辛そうにしてるけどどうしようみたいな、
スピーカー 1
そして私も辛いみたいな、
その時にお金のことは、
当時はいろいろ借り入れができたから、
なんとかつながるんだけど、
とりあえず業績を回復するためにも、
一旦は組織を良くしないといけないと思って、
私が最初に着手したのは、
香里さんに実は入ってもらって、
岩田香里さんにね。
岩田香里さんに入ってもらって、
マネジメント層の本音を聞いてもらうというか、
ヒアリングをして、
マネジメント層を教育してもらうというところから、
始めたのと合わせて、
今、うちの不毛者労使法人になった菊池かな子さん。
そのかな子さん自身も、
自分で保育園を経営されている、
不毛者労使法人の代表の方で、
そこにうちの評価制度とキャリアパスの制度の見直しを
お願いしたんだよね。
そんなにお金ないときに、
スピーカー 3
そんなに贅沢というか、
スピーカー 1
普通だったら多分そこって、
もう少しゆとりのあるときにやるんだけど、
ここ絶対やらないと、
現場が収まらないというか、
45:02
スピーカー 1
みんなが安心して働く環境を作ることが、
絶対一番最初に大事だなと思って、
そしてキャリアパスとか評価制度の見直しとか、
ということをやって、
いわゆる支払っている給与の透明性を、
より増すようにしたということと、
あとは自分がどういう働き方をしていきたいか、
というような制度をしっかり作ったというのがあって、
スピーカー 3
もう一つはボイスという意見箱を設置して、
Googleホームなんだけど、
スピーカー 1
それで延長経営だと、
届かない現場の課題を直接吸い上げながら、
一つ一ついきなり、
例えば10来たら10は返せないけど、
10の中で1でも2でも、
これはすぐできること、
これはちょっと時間がかかるから、
時間がかかるよというメッセージを発信するとか、
現場で届いていなかった声を拾って、
ちゃんと答えるみたいなことを、
かなり一つ一つ細かくやっていて、
それでようやく、
低い、多分離職率50%超えてたんじゃないかな、
そしたら人事の子も疲弊するし、
取っても取ってもやめていくって悩んでるから、
やめてもやめてもこんなに取れる採用力がすごいよね、
って言って、
いずれにね、
そう、そう、そう、
言いながらやったけど、
とにかく大変だったと思うんだけど、
そのもぐらたたきじゃなくて、
そのもぐらたたきのもぐらをね、
そもそも出てこないような、
もっと川上の課題を解決するっていうことを、
まだいろいろ残ってるけど、
そういうところから一つずつやっていて、
ようやく、
私もこの会社をもっとちゃんと大きくしたいとか、
もう一回ちゃんとここから無事回復させて、
しっかり成長させたいって、
思えるようになるまで2年かかった。
スピーカー 2
なるほどね。
スピーカー 1
でももう無理って思ったのはほんと一瞬で、
もう無理だけどこれ、
無理って手放した後どうなるんだろうっていうことを
考えたんだよね。
手放したらまずみんながどうなるだろう。
でも保育士のみんなは社会的に守られてるから、
スピーカー 3
いくらでも転職口はある。
スピーカー 1
ただ、突然うちのサービスが止まったときに、
預けてる方々、
要するに利用者の人たちや子どもたちが
スピーカー 3
すごい困るだろうって普通に困るよね。
スピーカー 1
困るだろうから、
そんな無責任なことはできないし、
そんな無責任なことを本当に投げ出しても、
スピーカー 3
それこそ破産管罪人の人が後は全部処理してくれます、
スピーカー 1
みたいなことがあるのかもしれないけど、
そんなことやったら私、
私、社会的に復帰できないなと思って。
スピーカー 3
だからやっぱり自分自身のことも含めてとか、
スピーカー 1
あとそれこそ子どもたちを、
私会社潰れたら子どもたちどうなるんだろうとか思ったり、
48:00
スピーカー 1
でも考えたんだけど、
でも最悪でもここまでかっていうのを一旦ね、
本当に最低最悪のことを考えたら、
最悪はここまでねって思ったら、
そうならないようにするっていう意識になっていくっていうね。
なるほどね。
後は上がるしかない。
後は上がるしかない。
命まで取られないし、私元気だしとか、
ここさえ人に迷惑をかけないようなやり方ができれば別に、
スピーカー 3
宝無いご個人だったら別に稼げるしとか、
スピーカー 1
いろいろ考えれば、
別に日々の生活困ることはないなとか、
思えたらそうじゃなくて、
やりたいことをちゃんとやり続けるために、
何から手を付けていったらいいかなっていうと、
やっぱりみんながちゃんと笑顔で仕事ができるっていうような環境が
スピーカー 3
一番最初だなっていうところに立ち返って、
スピーカー 1
でもそこはまたおがむさらみたいなところで今があるっていう。
スピーカー 2
めっちゃ波乱万丈なこの10年ですね。
スピーカー 1
本当に中小零細企業だからさ、
業績が悪いときってお金貸してもらえないんだよね。
さらに要するにコロナ入試が一通り終わったら、
さらにそこからはなかなか追加の入試は難しいんだけど、
例えば業績の悪い会社が3000万資金調達をするのって、
スピーカー 3
追加で借りるのはすごい大変なんだけど、
返済の条件変更で3000万の返済を止めるっていうのはできるわけよ。
スピーカー 1
だから借り替えをしてしばらく猶予をもらうとか、
しばらく1年間止めてくださいってお願いをするとか、
だからその約束を破るのはダメだけど、
この約束守れないから約束の変更をしてください
っていうお願いをして回るわけ。
スピーカー 3
そうすると純粋に3000万の資金調達ができるだけの余裕ができる。
スピーカー 1
それで時間を稼ぐみたいなことをやったり、
スピーカー 3
賃料を支払いの猶予をしてもらったりとか、
スピーカー 1
結構頭下げにいっぱいいろんなところに行ったんだけど、
本当に優等生気分で約束って守るものっていう姿勢でいると、
スピーカー 3
絶対に心が折れるんだけど、
スピーカー 1
絶対守らなきゃいけないのは、
スピーカー 3
従業員の皆さんへの給料とか、
スピーカー 1
それは絶対止めちゃいけないし、
スピーカー 3
あと仕入れた原材料の支払いとか、
スピーカー 1
事業活動を止めること以外は結構いろいろ試行錯誤すると、
工夫できるっていうのが、
それをカッコつけてたら全然もっと早いタイミングで
ダメにしてたかもしれないけど、
スピーカー 3
そういうわけにはいかないときに、
自分の気持ちっていうか、
スピーカー 1
一つの物事を違う見方をすることで、
スピーカー 3
なんとか気持ちを保ちながらいたみたいな。
スピーカー 2
すごい。サバイブしてる。
スピーカー 1
サバイブってね、
51:01
スピーカー 1
めっちゃ生々しいというかね、リアルな系ですね。
スピーカー 2
めっちゃ波乱万丈の話を聞いたんだけど、
スピーカー 1
これね、経営の話じゃないですか、会社の話じゃないですか、
スピーカー 2
この裏側で、裏側ではないんだけど、
ちょっと次の2本目はね、
スピーカー 1
プライベートの部分も結構いろいろ変化があったっていう、
企業に伴い事業でね、
スピーカー 2
その辺の話を次回はやりたいなというふうに思います。
スピーカー 1
ありがとうございます。