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ダイアログカフェ。筋書きのない対話から新しいアイディアと自分自身に出会う場所。この番組は様々なテーマで楽しみながらお届けします。
山下真実さんをお迎えしての第2回でございます。前回は娘ちゃんの中学受験のお話なんかも聞いてきたんですが、今回は真実さんのキャリアといいますか、反省といいますか、伺いたいなと思っております。
さっき少し出ましたけど、出身は京都。京都のどいなかですね。京都市とかじゃないんですよね。
丹波ですか。丹波の方ですね。海の方が近いですね。日本海側が近い。
インペリじゃないんですけど、京都って細長いから、京都市側よりは海の方ですね。結構雪降るところ。雪降ります。そこの出身で。
大学は大阪?京都?神戸。大学は神戸で、就職して東京に行ったんですね。
最初メーカー?NECだ。NECに入社して製造業のSIRって分かります?製造業向けのシステムを構築して提案して売るみたいな。
やってて、思うところあって、アメリカにビジネスの勉強しに会社辞めて留学して。
自分でMBAに行ったん?結構勉強したんですか?
行く前に?いや、しないでしょ。
いやいや、そんなに。
しないと分からないから。
そうですよ。
MBA入学決めて都米したっていうよりは、一旦もう行っちゃったの。アメリカに行って、学部に入って。
そうなんだ。
何歳くらいになった?
25?
早っ。
社会人3年くらい?
2年目の終わりくらいに飛び出して。
あんまりNEC面白くなかったんですか?
そもそもですけど、いつか自分の会社をやるだろうって学生の頃から思ったんですよ。
絶対学生。
思ってたんだけど、超就職氷河期なんですね。
いつか自分でビジネスをやるにしても、お客さんになる人は一般の人っていうんですかね。
一般の人は大抵が会社勤めをしている人たちだろうと思ったときに、会社勤めの経験がなくていいんだっけって思ったんですね。
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親族もサラリーマンっぽい人ってほとんどいないんですよ。
そうなんだ。
みんなビジネスやったりお商売やったりとか?
学者だったりとか、わかりやすいサラリーマンみたいな人がいないので、
これは私は感覚がずれてるかもしれないから、
それってビジネスやるにあたってはちょっとネガティブな要素なんじゃないのっていうことで、
社会勉強的な意味合いが強くて、
日本企業の権限みたいなところに行こうって決めて。
大学生のときに会社をいつか落とそうと思ったのは何かきっかけがあったんですか。
でもやっぱり周り見たときに、働き方って会社に勤めることじゃないっていう、
どっかそういうベースがそういう考え方で生きてきてるから、
自然な選択だったんですよ。
どっちかっていうと勤めになるよりは自分で事業を起こす方が、
私にとってはすごくイメージしやすい自然な選択でしたね。
でもそう言いつつ、企業に入ったらそこにある程度長いものにまかれていく人もたくさんいると思うんだけど、
実際に入ってみて大企業はどうだったんですか。
すごい面白かったですね。
あくまで気持ち的には、これは世の中を知るための時間だっていう気持ちでずっといた?
身近なあだでしたけど、そうなんですよ。
全然パフォーマンスできないと思ったんですよ。
社会人としては、多分不適合者だと思ったんですね。
入る前のこと?
そうです。親からもそういう感じのことをずっと言われてきてるから、
歯車的な立ち位置を担うのには不適合だとずっと思ってた。生きてきてる。
今でもそう思ってますけど。
なので社会人になって、そんなうまくいくはずがないってところがスタートしてるんで。
それは何?人にこうしろって言われてその通り従うのがちょっと納得できないとか、
そういうキャラクターだった?
そういうことなんですよ。
その割にはうまくいったなって。
意外と?
意外といけるわ。最初なんかもうサブゼロから期待値入ってるんで。
絶対無理みたいな。でもちょっとここで見とかないと。
その割にはいけたなっていう感じだったんですけど、
でもなんかやっぱりフツフツと、営業みたいなもんなんですよ。SIRでね。
営業に行ってるとコンペがありますと。
大きいシステムだと必ずコンペみたいになるんで、
コンペでNECじゃない競合の提案が通ったりするのを何回か経験する中で、
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それが結構当時で言うとIBMとかヒューレットバッカードとか、
そういう大使系特にアメリカのシステム企業が多くて、
なんでなんだと。提案内容はそんなに変わらないのに、
なんでこんなバンバンバンバン、あの人たちに負けるんだって思ったら、
もうそれを知りたくなっちゃって、アメリカに乗り込んだと。
へー。
感じですね。
でももうそこで勉強してMBA受かってから行こうじゃなくて、
もう行くの早いぞと。
そうですね。
学部に1年生から入るってこと?
いや、全然途中から入れます。
何年生だったっけな。
何年生って感覚あんまなくて、アメリカの大学。
単位が全部揃ったら卒業みたいな感じになって、
そのジュニアなのか、何年かいる人なのかみたいな違いはあって、
取っている単位数によって取れるクラスが変わるぐらいで、
あんまり何年生って感覚がなかったんですけど、
とりあえず学部に入って、その大学の大学院に、
もうすぐ、わりかし半年行かないぐらい。
簡単に行ける?簡単にっていうか、そんなクイックに変われるもの?
単位さえ取っちゃえばみたいな。
単位はもう日本の大学4年間出てますっていうのが足りてるんで、
あとは他の要件さえ。
そうなんだ。
細かいこと忘れちゃいましたけどね。
それでMBAですか?大学院が。
そういう例もあるんだね。そのほうが入りやすいの?MBAって。
そこにもちろんよりますよ。
名だたる有名校とかじゃなければ入れるし、
座っていれば卒業できますよ。
座っていればいいや、ちゃんと勉強していれば卒業もできます。
行くとき英語はどうだったんですか?
英語はね、幸いにもそこそこ行けました。
それは何か特別な何かをやってたとか、
語学留学したことがあるとか、そういうの。
あるいは仕事で使ってたとか。
高校生のときに、学者だったおじが、
リューク大学っていうアメリカン大学の研究科なんかで
向こうに住んでたときに、中場強引に乗り込んで
夏休みに過ごさせてもらったとか、
そういう短期留学的なのはありますけど、
大学以外はないですね。
結構、洋楽とか洋楽とか好きで、歌ってみて。
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そっかそっか、じゃあ独学というか、
割ともともと英語が好きで、ある程度。
そっか、じゃあそんなに苦労せずに、英語は。
そうですね。
で、Bは2年間?
結局3年半くらいいたんですよね。
学部と合わせて。
卒業して、そこからすぐ日本に帰ってきたんですか?
それとも向こうで?
すぐ帰ってきました。
ビザとか結構厳しいんですよね。
なので、すぐ帰ってきましたね。
MBAはどうでした?
もともと期待してた?
アメリカなんで強いんだみたいな。
そのヒントになるようなことって学べました?
ぶっちゃけ、そんな何か開眼するようなものっていうのは、
やっぱり教室の中でどうこうっていうもんじゃないんですけど、
武器になるようなスキルセットみたいなのは、
たくさんそこで身についたかなと思うし、
一旦全容を見とくっていうのはすごく役に立ったかなと思うんですよね。
後々経営をいろんな場面で関わるようになってきたときに、
例えば自分のちっちゃい会社の経営で、
初めて経営っていうものを捉えると、
ものすごく一部の景色しか見えてない状態になるかなと思うんですけど、
でもMBAで習ったのって、
私が今見えてるところ以外にもいっぱいあったよねみたいな、
ぼんやりと全体像があると、
割と俯瞰して見れてるのかなとは思いますね。
でもおじさんとは、
アメリカで知り合ったんですか?
そう。
MBAで?
夫はエンジニア系の勉強をして、
向こうでエンジニアをしてましたね。
おじさんは大学学部から行ったんでしたっけ?
そう、そのはずです。
高校出てすぐ行ってるんで。
だからもう向こうで10年ぐらいはいたってことでしょ?
そう。
現地人みたいなね。
あっち帰ってきてもしばらく、
本当になんか総理とかなんですかね、
顔は別に大学部っぽくないから、
なんかこう…
挙動?
なんかが日本人っぽくなかったみたいで、
近所のおばあちゃんに身振り手振りでバスの乗り方を教わってたりとか、
これをね、ここにねとか言って、
おばあちゃんが丁寧にうちの夫に教えてくれてたりとかして、
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やっぱ10年も住んでるとね、
挙動が日本人っぽくなった。
じゃあ向こうで知り合って、
でも日本に旦那さんも一緒に帰ってきたの?
時間差ありましたね。
じゃあ旦那さんはアメリカに残り、
先にママさん。
で、結婚するタイミングとかで、
旦那さんいつ日本に帰ってきたんですか?
私が投資銀行1年目の途中から帰ってきたかな…
だと思います。
MBA取って、で投資銀行に行ったんですよね。
外資系の投資銀行に。
確かにMBA特に当時が取って、
投資銀行系か外資コンサルかみたいな人たちが
すごい多かったイメージがあるんですけど、
それはなんで投資銀行に行こう?
それも本当に留学する前は、
ビジネスの勉強をして、
起業してやろうぐらいに思ったんですけど、
必修でいろんなクラス一通り取らなくちゃいけないんですよね。
自分の興味のないようなところも、
導入部分ぐらいだけは全部一通り受けるんですけど、
そんな感じでファイナンス、金融の導入のクラスを取ったんですね。
とにかく評価が厳しいっていう目で、
みんなもうこのクラスはいつ取ろうかなと
後回しにして後回しにしてみたいな教授のクラスで、
私もどうしようかなと思って受けたんですけど、
そのクラスめちゃくちゃ楽しくて、
見えないものを見えるようになったような感覚。
顕微鏡とかあると、
肉眼では見えない大きさのものが、
顕微鏡を通すと見えて、
うわ、こんなことになってたんだとか、
こんなものがいたんだみたいな。
どういう、例えばファイナンスでそういう。
ファイナンスっていうと、
デリバティブっていう、
仕組み祭とか呼ばれてるもののことを知った時に、
うわ、何それ、そんなことできるの?って思って、
もう一気にそこからファイナンス大好きになって、
ファイナンスのクラスばっかりそこから取ったら、
自ずと就職活動の時にファイナンス寄りになって、
ファイナンス方面の投資銀行とかからたくさんオファーをもらって、
そのうちの一つに行ったって感じです。
それは日本の大学に行ってる時は全く触れることがなかった?
日本の大学は学部は何だった?
総合政策学部ってやつです。
なるほど。
あんまりこれの金融とはだいぶ違う感じでしたね。
なるほどね。
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じゃあ、希望して投資銀行になったってことですよね。
銀行ってどんなことやってたんですか?
まさにデリバティブとかを扱う、
クレジットモノと呼ばれる債券の営業部門に入りました。
それ何年?年ぐらい?
2000年になるかな。
リーマン前?
リーマン前。
7年とか8年?
直前ぐらい。
そうですそうです。
リーマンで崩壊した住宅ローン債券をまさに束ねて売っていた。
そうですよね。
形が悪いようでないような。
束ねると強くなるんだみたいな。
すごいロジカルなようでロジカルじゃないような。
それに本当に魅了されてすごい発明だなと思いましたね。
なるほどね。
でも元々の希望は、思いは企業じゃないですか。
投資銀行で。
投資銀行結構ハードワークだと思うんですけどね。
ハードワークですね。
ヒゲが生えそうでしたね。
でもなんかやっぱりすごい楽しくて、
一瞬忘れました、その企業云々は。
それぐらいアドレナリンが出る感じでしたかね。
ぶっちゃけ何か儲かる儲からないにはあんまり私自身は興味なかったんですけど、
とにかく知らないものがわかるようになるみたいな、
そういう感覚が楽しくて、
結構ハマってたんですけど、
家庭のちょっといろいろな事情もあり、実家のほうもね。
投資銀行の激務ではちょっと立ち行かなくなってきたっていうので
転職はしたんですけど、
その後もずっと金融関係の仕事には、
辞めた後も5年ぐらいかな。
そうなんだ。
外資から日本資本の金融機関のリスク管理っていう、
非常に狭い領域なんですけど、
リスク管理を専門にやるサル担当っていうのかな、
そういう仕事をしてます。
外資と日本企業と製造業と金融等みたいな感じで、
だいぶカルチャーの違いを一気にしてますけど、
やっぱり外資って競争も激しいし、
アドレナリンが一方で出る、
安定しないものとか、
常に追い立てられる感じとか、
そういうのって好き嫌いもあるだろうし、
ハードワークだっていうだけじゃなくて、
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そこはプラスに働いてました?
それとも、このストレスが強いなみたいな感じだったか?
仕事に関するストレスとかプレッシャーよりも、
人間関係のストレス・プレッシャーは好きになれなかったんですよね。
もしかしたら新卒からそこにいれば、
そうではなかったかもしれないんですけど、
新卒入ったNECっていうのは、
かなりみんな家族みたいな感覚で、
古き良きって言ったらあれですけど、
日本企業の、
いい人なんです。
上司も先輩も後輩も、
基本みんないい人なんですよ。
だからそこから、
米系の投資銀行に行って、
米系投資銀行の、
しかも法人の使者っていうんですかね、
日本使者っていうんですかね。
日本企業のウェットな部分だけを持ってきて、
そこに外資系企業のドライさをかぶせたような、
どんな味だ?
エモいわれの味なんですよ。
全部ドライならドライで、
そこに日本ならではのウェットさがあるんだ。
そこはかとなく。
ブレンドされているので。
京都人からすると、本当に怖くて。
それはやっぱりちょっと、
最終的にはしんどいなっていう方にはいきます。
うまく立ち回れば全然いいんでしょうけど、
気になっちゃう京都人。
その後転職もしたけど、
いよいよ企業っていうのは、
思い切るきっかけはあったんですか?
思い切るっていう感覚はなかったですね。
娘のこと散々言ってきましたけど、
やらずにはいられない。
天井からぬいぐるみをつり下げずにはいられない
娘の感覚と同じような感じで、
これは私がやるしかないなって、
勝手に思っちゃったんですよね。
企業テーマが見つかったってこと?
そうそうそうそうそう。
それはいつ頃からどんな形で?
それは今、子育て支援の事業なんですけど、
娘が生まれたのが最大の転換点で、
それまでは当時から少子化が大変なんじゃないのとか、
保育園に入りにくいから待機児童がねとか、
ニュースとしては既出のものだったんですけど、
当事者になるまでは、
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どっか自面を追いかけているだけの情報だったのが、
自分が母親になってみると、
ものすごい自分ごとに急になってきて、
それはちょっといかんのじゃないかって思うテーマが増えてきたんですよね。
子育て関係のテーマが。
その中で決定だっていうか、
自分がやらねばいけないと思ったので言うと、
やっぱり子育ての環境が悪いと。
特に都心部は特に悪いですと。
で、なった時に私は個人の努力とか工夫で、
それを何とか跳ね返したりすり抜けたりはできるかもしれない。
けど、そうできない人の方が恐らく圧倒的に多くて、
私もすべてをすり抜けられるわけではない。
で、なってくると、この子育てしづらいなーって
みんなが思っている環境で子育てし続けて、
しづらいなーと思いながら、育て上げられた子どもたちばっかりが、
この後娘のクラスメイトになり、伴侶になり、
上司になりみたいな、
そういう人たちと一緒に生きていくんだよね、と思った時に、
この私の子育てしづらさとか、子育てしづらい環境っていうのは、
私一人の問題では終われないのだと思う。
もう、娘にダイレクトに影響しちゃう課題なんだなって、
ズーンと降りてきて、
いかんいかん、もうこんなことしてる場合じゃない、みたいな感じになったんですよ。
お子さん何歳の時に起こしたんですか?
生まれて結構すぐぐらいにそういう感覚になって、
でもすぐにアクションを起こしたかっていうと、企業までは行かなくて、
その時に、遊びというか、自分のためにやったのが、
宅地付きランチの原型みたいなのをやってて、
個別に個室のあるレストランを押さえて、
レストランのお店にも許可を得て、
個室は食事をするスペースじゃなくて、
子供とシッターさんが入ります。
了承を得て、そこでベッドを手配したシッターさんと子供が過ごしてもらう。
大人は別のダイニングエリアで食事するっていう会を催したことがあって、
それが今のサービスの原型にはなりました。
最初はビジネスというよりは、お知り合いとか?
自分のためですね。
でもそういうところからね、
岩田香里さんとかも最初は友達に自分の子育てメソッドを教えてもらったんですか?
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自分の子育てメソッドを教えるところから始まって、
それがいずれビジネスになっていった。
やっぱりやりたいという気持ちが先に出てます。
企業だとか会社作るとかの前にアクションが先に。
パッションからね。
それが正解かどうかわからないですけどね。
いろいろ整わないと、なかなかアクションに踏み出すのって難しいなって感じる人も多いと思うんだけど、
そんなことより何より、器じゃなくてまずやろうみたいな。
そういうエネルギーがあるっていうのは、きっかけの作り方というかね。
それができる人はやっぱり走っていけるっていう。
あれとでも多いですよね、そういう。
見切れ発車的に。
いやでも、必要じゃない?そういうのがね。
なるほど。
じゃあそれで、そういう身近なところからやってたものを、
これがでも企業につながるって最初は思ってたわけではない?
思ってなかったですね。誰かやってくれよって思ってました。
調整するの本当にめんどくさいんで、レストラン予約して下さん、
それ並行して友達の予定合わせてとかめんどくさいんで、
誰かやってるだろうと思って検索したけど、調べても調べても誰もやってない。
誰かそのうちやってくれるといいなと思って復職したっていう感じですね。
じゃあ一旦、それは育休中で、
一旦復職をして、そこから企業までというとどれくらいの期間?
娘が2歳くらいのときなんで、復職したのあっという間だったんですよ。
娘5ヶ月くらいのときに復職してるから、1年は少なくともあるかな。
じゃあ復職して仕事しながら、企業準備みたいなところと並行して動き始めたんですか?
あんまり精緻に覚えてないんですよね。あんまり準備してないんだと思います。
レストランの宅地セットみたいな、そういうプランでまずそれをビジネスにしようっていう。
そこからいろいろ、今は幼児教育とか他のところにも広がってますけど、
最初のその事業は起動にすぐだったんですか?
事業はね、いまだに起動には乗ってないですけど、おかげさまで起業してすぐ、
創業してすぐ、アワードみたいなのを2年連続パンパンってもらったんで、
それでいろいろ助かったのは事実ですね。
人事の獲得とか。
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ガッチリマンで出たりとか。
でもね、こんなサービスあるんだと思ったらね、ちょっと使ってみたいなとか思いやすい。
割とシーム系っていうかね。
整えるのは大変だと思うんだけど、サービスのデリバリーは大変だと思うんだけど、
お客さん的には、メディアとかにも扱いやすそうだし、
なんかね、利用したいなみたいなのがあるかなって。
でもそこから、今は行事教室っていうのをやってます。
それがいつ頃から始めたんですか?
5年くらい前ですね。
5年くらい前に、本当にひょんなきっかけで、やりたいっていう子がやってきて、
じゃあやろうかみたいな。
本当にざっくり言うとそういう話なんですけど、
卓磁器ランチってそれだけが正解ですと私全然思ってなくて、
お座り環境にいろんなプレイヤーが、それぞれがいろんな機能を
継ぎ足していってくれればいいなって思ってる。
その一つでしかない。
まず私が今すぐできることっていうので、その10年前に卓磁器ランチ、
原型はやってきたしみたいなのでやって、
一生これで食ってきますっていうつもりも当時からそもそもなくて、
これは本当に子育てっていう広いエリアの中のワンシーンですと。
お出かけっていうワンシーンを捉えたサービスだから、
それ以外のシーンを捉えるものをこれからもどんどん足していくんだろうなって
そもそも思ってました。
その中でいうと親子教室で自動的には自分からは思いつかなかったんですけど当時。
やりたいですっていう子が現れて向き合ってみると、
当時やっぱり自分の子供とどう過ごしていいか。
特に赤ちゃんとかだと会話もできないから、日中何していいか分かりませんみたいな
お母さんが結構多くて卓磁器ランチで接すると。
それに対するアンサーみたいな感じで
親子でこういう時間を過ごすといいんじゃないでしょうかっていうのを
具体的に提供できる場として親子教室っていうのはあるかもしれないねっていうことで
やっぱりこれはうちならではの子育て支援の一つのやり方かなっていう位置づけなんですけどね。
会社的には最初にスタートしたサービスっていうのは
卓磁器でレストランで食事ができますよってことだけど
子育て支援っていうのをテーマにやれることをいろいろ広げていこうっていう考え方?
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そうですね。もっと言うと卓磁器ランチって
卓磁器ランチって我々のスタッフが
我々が学校を変わっている間にいろんな保湿器レストランだったり
老舗ホテルだったりのランチを楽しんでくださいっていうサービスなんですけど
もう来月から国が学校を変わり始めるんですよ。
子ども誰でも通縁制度っていうのがトライアルが4月から始まって
2年後には全国つつ裏裏である一定の年齢までなんですけど
子どもは誰でも保育園に通えますっていうそういう世界がやってきますと
そうなってくるとうちが学校を変わる必要ないじゃないですか。ぶっちゃけ。
小学生みたいなのを利用すればそこに預けられちゃうんですね。
そうなんです。なのでその時代時代で学校を変わる主体は
うちみたいなベンチャーだったり伝統的な保育園だったり
誰でも通縁制度だったりでいろいろ変わるけど
うちはその時代に抗うのは何の特策でもないので
誰でも通縁制度が現れた世界ではそれに合ったサービス提供に
自ずと変えていくつもりで保育園と一緒にやっていくっていう方法を今考えてますね。
別にお母さんが働いてなくても預けられる。
それってちょっと前って待機児童みたいな話とかでキャパがないみたいに言ってたけど
今ってかなり環境変わってきてるんですか?
変わってきてます。
この来年度、次の4月からの入園希望者の先報結果みたいなのも出始めてるんですけど
ゼロ歳児クラス半分くらい品川区で言うと定員割れしてるんですよ。
それは子供が減ったから?
減ったからと保育園を一生懸命増やしてたじゃないですか。
当初の予測より子供が減り始めるのが2、3年早かったんですよ。
なのでコロナ禍で加速したっていうのがあって
だからこの制度っていうだけじゃないんですけど
私たちが保育園をあんなに頑張って苦労して復活してた頃とはちょっと温度差はあります。
なるほどね。
都心部はそうは言っても保育園はすっごい余ってるっていう状態にはないんですけど
ちょっと地方行くともう数年前から。
そうなんね。
結構数年単位で変わってくるね、その環境はね。
事業としては親子教室みたいなところの方がどんどんメインの柱になってくる?
そういうわけでもないんですけどね。
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あとは子育てとか学校変わるっていうめちゃめちゃ狭い領域を
10年間定点観測してるっていう変わり者なんで
いろんなディベロッパーさんだったりとか
ペンポを持ってるような企業さんとかに一緒になって空間をつくったり巻きつくったりみたいな
そういうコンサルティングっていうか
コンサルティングプロデュースみたいなのも同時で走ったりとかしてやってる感じですかね。
なるほどね。
でも起業してからの方が楽しいですか?もともとやりたかった?
大変なこともあると思うけど。
そうなんだろうな。
そうですね。
もう一回サラリーマンに戻りますかって言われたら多分戻らないと思うので
そういう意味ではこっちがいいと思ってると思うんですけど
楽しいかって言われると複雑なおももちにはなりますよね。
そうなんだ。
ディズニーランドの夜光みたいな楽しさはなくて
山を乗り越える楽しさみたいな感じなので
頂上から朝日を眺めてる瞬間はむちゃくちゃ楽しいんですけど
その工程の進度差も半端なかったかなみたいな。
でもその頂上から朝日を眺めてる瞬間は楽しいんですけど
でもその頂上からの景色が癖になってまたやるんでしょうけどね。
会社を作って走り始めると社員の方もいらっしゃるし
やっぱ走り続けないとって感じ。
それが苦しいんだと思うけど、なかなか経営者ってね。
りこちゃん、授業、頭の片隅にあったりする?何かやりたいなとか。
私?どうだろう。
自分で起こすっていうのはそこまでよほどの情熱が
身に出せる何かがないとって感じだけれども
でも何か仮に私がまたフルタイムで何かやるんだったら
手触り感のあるものをしたいのね。
アプリ作るとかだとちょっと
私がやらなくてもいいんじゃないかっていう感じがしちゃうから
別にすごい儲かるとかすごい成長するとかっていう
授業じゃなくてもいいから
お客さんの顔が見えるとか
こういう人が使ってこういう風に満足するみたいな
そういうものが得られるようなものの方がいいなって
大きな規模じゃなくてもいいけど
そういうものの方が何かそういう気持ちはある。
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それこそ教育とか
沼にハマりがちのテーマで
私も教室やりたいですみたいな人が乗り込んでくるまでは
手を出してはいけない領域だと思っていて
もうちょっと50代くらいになってからやろうかなって
いつかはやりたいけど早くやりすぎちゃうと
沼って他の授業をちょっと手薄になりそうだから
っていう危険性を感じていた領域なんで
やっぱり早く早く教育をやるだろうなと思ったんですけど
教育とか良さそうですよね
教育やるなら子ども向けもあるけど
前も言ってたんだけど両親学級っていうか
そういうのってないじゃんっていう
黙読の仕方とかじゃない?
そういうんじゃなくて親のメンタルというか
親の心構えみたいなことってすごい大事なんじゃないかな
子どもとどう接するかとか
パートナーシップとか
そういう問題って結構親が狭い世界で
それは中学受験とかも同じだと思うんだけど
壊らねばならんのじゃないかとか
そこから解放するようなものとか
それはもしかしたら男性も含めて
そういうものって世の中に足りてないんだよね
そういうものって世の中に足りてないんじゃないかっていうのは
ちょっと思ったりはする
それで儲かるのかどうかは知らないですよ
そうなのよ
やりたいこととやれることって
合致してる人は幸せだと思うんですけど
私は分断してるんですよ
やれることとやりたいことが
やりたいことはことごとくお金儲かんなくて
サステナブルでありさえすれば
めっちゃ儲かるとかでなくても
全然いいのかなとは思うんだけど
あえて言えばそういうようなことは
すごく関心はあるかな
必要なんじゃないかなと
聞きたい!今回は田中優子さんにお迎えしてみたい
別にそういう関心はない
事業をやるほどの私にあるかは別にしてね
それこそ会社作ってって言ったら
行儀惜しい話になっちゃうじゃない
人雇ってとかお客さん雇って
企業としての責任があったら
ちょっとハードル高いんで
身近なところからやるとかだったら
もしかしたらそれでやれて
これニーズもあるしやれそうだなみたいになったら
そこを法人化するとか
そういうのがあるかもしれないけど
そういうトライはね
あってもいいかも
病院とか乗り込んでコンテンツ作って
病院ね
病心学級
目標とかじゃなくて
確かに目標とかじゃなくてね
そんなのを持ったりしてます
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でもこうやっていろんな場所で
企業としても
でもこうやっていろんなビジネスやってる人がいるから
自分一人でできないけど
子育て周りとか教育周りとかの
いろいろやってるところに
一緒にやるとかさ
コンテンツとして提供するとかさ
そんなところからやってもいいのかなと思ったりもしてるよ
一回やってみるみたいな
企業化としてもさ
あと長くて10年
走ろうと思ったときに走れるのって
長くてはこの先10年なのかなって
結構ふと思ったタイミングがあって
あと10年だとすると
この先5年ぐらいで
少なくともしかかっているものしか
10年以内に走れないってことだなって
時間軸が見えたときに
そういうのがあって
そういうのがあって
走れないってことだなって
時間軸が見えたときに
結構焦ってきて
焦るっていうか
自覚をしたというかね
この時間の使い方に
結構この会社を起こして
10年っていうタイミングで
気は引き締まってるんですよね
もうここからもう一回走って
その先の延長線でしか
もう私はできないんじゃないか
ぐらいの覚悟で
頼もしい
なるほどね
企業家っていうのは
エネルギーがあるね
最近SNS回は
企業家の大変さみたいな
キラキラした側面が
フォーカスされがちだけど
そんなの本当に
人だけらの人だけらで
それ以上の一瞬だけだから
どんだけこの辺か
なるほどね
ためになる話でした
いやいやとんでもないわ
楽しかったお話
すごい楽しかったです
もうちょっと話してきたかったけど
時間が
時間が限られてたんで
今日はここまでということで
家近いからね
またぜひ
近いから
またぜひ遊びに来てください
ここら辺に私たち月に
2、3体いるから
またやつらかぐらい生まれてるからきっと
はいそんな感じで
ありがとうございました
ありがとうございました