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  2. #78-1 保護犬、難病、若者の孤..
2025-02-26 33:06

#78-1 保護犬、難病、若者の孤立・・・社会の隅に光射す映画づくり【いま問いかけるのは誰だ? ゲスト:映画監督 古新舜さん】

▼番組のnote:
Dialogue cafe | note

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▼内容:
なぜ365日オレンジの服を着るのか/ご先祖様は安倍晴明⁈/いまダンスをするのは誰だ?/取材を通して心がときめく主題/250万円で作った初長編映画/映画監督にロボット制作の依頼⁈/公開未決定のインディペンデント映画/映画製作プロセスがサービスになる/演技経験のない人の起用で起きること/企画者の想いを引き継いで

▼出演:
ゲスト
古新舜さん(映画監督、コスモボックス代表取締役、北陸先端科学技術大学院大学博士後期課程)
古新舜オフィシャルHP
いまダンスをするのは誰だ?

MC
田中優子(元クラウドワークス取締役、ビジネスアドバイザー、社外取締役、1児の母)
岡澤陽子(ブランドコンサルタント、戦略リサーチャー、ビジネスメンター、2児の母)


▼関連エピソード:
#31-1 未来への感度を磨け!飾りじゃないのよサステナは
#46-1 それは新しい資本主義?ファイナンスの力で社会を変えよう
#60-2 迷いだらけで、だけど楽しい!私たちの子育て修行は続く
#63-1 中学受験もイシューからはじめよ!こじれた親子関係、ロジカル解決法
#77-1 孤立する10代のために何ができるか?雑談が入口になるやわらかな居場所

サマリー

映画監督の古新舜さんは、保護犬や難病、若者の孤立といったテーマを通じて、社会の中の人々の苦しみや希望に光を当てる映画を制作しています。彼の過去の経験や生い立ちは、映画に込めるメッセージに深く影響を与えています。また、福島の南相馬での体験は、彼の創作活動に大きな影響を及ぼし、社会問題を描くことの重要性について考察しています。古新舜さんは、インクルーシブな社会の実現を目指し、リアルな体験に基づいたキャスティングや表現方法を通じて観客とつながる重要性を強調しています。さらに、古新舜さんは、亡くなった松野さんの思いを引き継ぎ、資金調達を通じて映画制作の重要性について語っています。

映画監督の背景
スピーカー 2
ダイアログカフェ。筋書きのない対話から新しいアイディアと自分自身に出会う場所。この番組は様々なテーマで楽しみながらお届けします。
今日は私たち高円寺まで来ました。
ビルの一室なんですけど、すごくクリエイティブな匂いのする、オレンジな空間におります。
今日のゲストは古新舜さん。映画監督をやっていらっしゃいます。
オレンジなんですよ。いろんなものが。
入りがオレンジってすごいですね。映像系で何なんだってオレンジだって聞いてる人は何なんだって思いますよね。
でも初めてお会いした時にオレンジのコートを着ていらっしゃって。
いつもオレンジのお洋服を。
スピーカー 1
もちろんです。365日。
スピーカー 2
365日。なぜオレンジなんですか?
スピーカー 1
聞きたくなりますか?
スピーカー 2
なりますよ。
スピーカー 1
皆さん嬉しいな、こんな奇妙なよくわからないおじさんに関心を持っていただいて。
本当にこの質問って、私全国飛び回ると朝から深夜まで必ず聞かれるんですけども。
詳しくは一応私のノートには書いてあるんですけども、実はだから私映画監督をしています。
小さい頃は実はいじめられっ子だったんですね。
幼稚園、小、中、高、大学と毎学年いじめられてたんですよ。
うちの親父が一級建築士だったんですね。とある有名な建設会社、設計会社だったんですけども。
昭和の頃じゃないですか。厳しいんですよ、親父が。
オレンジの言うこと聞けーって言って、深夜まで制作させられたりするわけですよね。
うちの母親もバリキャリーっていうかできる人だったんですよ。
親父も仕事できる、お母んも仕事できる、2人とも貧乏だったんですね。
長男の私が生まれるとどうなるかというと、ご想像つきますよね。
しつけひびしくなるわけじゃないですか。私は4歳から東大目指す人生だったんですよ。
それ明確に言われてたんですか。
そうですね。この子頭が良すぎるから将来は絶対お医者さんとか大臣クラスになるから東大しかないよとか言って。
本当に4歳から10回寄ってたんですよ。できちゃったわけです、勉強が。
いじめられてるんです、学校では。家ではしつけが厳しくて、親父が酒飲んで荒れるみたいな家だったので。
極力早く死にたいんですよね。
スピーカー 2
4歳か。
スピーカー 1
もう人生、一番辛かったのは小学校のことかな。小中高が大変だったかなと思って。
その時に私はサリちゃんとかクリーミーマミとかリボンの騎士とか、ベルバラとか女の子が好きな漫画が好きなんですよ。
昭和の頃って男の子がガンダムとか筋肉マンとか男塾とか戦うじゃないですか。
別に戦わなくてもいいんじゃないかなと思うけど、男の子がやたら喧嘩するじゃないですか。
僕はそれ嫌いなんですよ。別にガンダムが嫌いなわけで、みんなこっちに行くわけです。
そうするといじめられるわけです。お前は男のくせにって言われて。
そうすると男性を見ると親父はスーツが黒とかグレーとか紺とかじゃないですか。
男性ってなんで明るい色着ないのかなってすごく疑問があって。
その幼少期の体験があって、つらかった自分の人生があって、
みんなが男性はこうしなさいとか女性はこうであるべきだみたいなものを取り払いたいというのがベースにあるというのがまず根底にあるんですよ。
長くなっちゃってかいつまむと、私は東大落ちたんですよ。自殺を考えたんですよ。
そこから自分の人生がゴロゴロ変わっていったんですけれども、
とある私の母校にデジタルハリウッドという学校があるんです。知ってます?デジタルハリウッド。
ありがとうございます。うれしいことです。
そのデジタルハリウッドに私は大学院で行こうと思ったんですね。25歳ぐらいの時に。
その杉山さんという学長が面接をしてくださった時にですね、
コリー君、君はめちゃくちゃ優秀に今まで人生歩んできたと思う。
確かにわすら主席で出てるし、本当に偏差値が高いところにいる。
でも君とお話をして私はあることに気づきました。
君は自分の弱さを認めて欠けた部分を認めていない。
だからこの大学院に入る条件は自分の弱さを受け入れて、
欠けた部分を補ってくれる仲間を見つけなさい。
それが私のこの大学院に入る条件ですと言ってくれたんですよ。
なんか泣いちゃいましたね。
泣きましたよね。
スピーカー 2
面接で。
スピーカー 1
いきなりこのインタビューがのけからこういう話が。
スピーカー 2
確かに。
深いところに入ってきた。
スピーカー 1
その母校の色がオレンジだったというのがあって、
私の人生をくすぐらせてくれたというのがあって、
本当にその人がいなかったら傲慢になってたし、
大人になっても威張っている人がいるじゃないですかとか、
そうならずに謙虚になれたのは杉山学長が、
スピーカー 2
そういう入試での条件を出してくれたという感じですかね。
それからオレンジのテーマカラーで洋服だったりアイテムは揃えてくれたり。
スピーカー 1
しかね、そこには行き着かなかったんですよ。
ただ、私は天の川という映画を作ったときに、
分身ロボット織姫があるじゃないですか。
織姫を作っている吉井織君というのが、
私の大学の後輩であって、
織姫君ってご存知の通り黒い白衣をずっと着ているんですよね。
この若者に出会ったときにハッと気づいて、
ハッそうだこんな後輩に負けるとかじゃないですけど、
ちょっとジェラシーがあるわけですよ。
スピーカー 2
こうやってブランディングすげえなと思って。
スピーカー 1
なんだ自分はオレンジ好きなのにオレンジ着てないってことは、
これは自分に嘘ついてるなと思って。
ということで365日オレンジを着ているという感じです。
スピーカー 2
なるほど。
映画制作のテーマ
スピーカー 2
前回私たちのポッドキャスターも出てくれた今井さん、
前野里明さんDPの活動をプレゼンする、
みんなで聞く会だったんですけど、
そこにそれを映画化する準備を今している映画監督の方も来るんだよって聞いてて、
明らかに映画監督っていうかクリエイティブな何かを主張している、
表現する方だなっていう方がいらっしゃるので、
あの方だなってすぐ分かりました。
もう一つ、そんなとこいじんだよっていう感じかもしれないですけど、
コニーさんっていうのはこれ本名なんですよね。
最初コニーさんっていうのもなんか芸名っていうか、
クリエイターとしての名前かなって、
カタカナかなと思ったんですけど、
苗字で古い、新しいでコニー。珍しい苗字ですね。
スピーカー 1
そうですね。全国で80名ぐらいしか。
そうなんですか。
リスナーさんもいらっしゃるからですけど、古いに新しいでコニーと読むんですけれども、
だいたいコシンさんとかウルアラタさんとか、
可愛いとこだったらコアラさん。
可愛いのか。
スピーカー 2
コアラさん、確かに。
スピーカー 1
絶対ほとんど、今まで私も10万人ぐらいお会いしてきてますけれども、
読めたのは1人ぐらいかな。
1人ですかね。たった1人ですね。
スピーカー 2
すごい素敵な名前だなって。
スピーカー 1
ありがとうございます。
スピーカー 2
ここの地域の由来とかってあるんですか?
スピーカー 1
私は出身は岩手の釜石なんですけれども、
ご先祖様が安倍政明なんですよ。
安倍政明が安倍家、東北に上がってきて、
安倍家が近藤家になってコニーになってるんですけれども、
実はずっと東北でそういう感じで、1000年ぐらいですかね。
御苗字な感じなんですか。
見えないものが見えてしまうというね。
特殊能力が。
2人の目が一斉に向かって同時にシンクロすることを聞くだけで見えてる。
綺麗でしたね。
スピーカー 2
長いからね。
通じ合うものがね。
シンクロしちゃったね。
シンクロしちゃいました。
そうなんですね。
そんなね、コニーさん。
すごいいろんなエピソードを抱えてらっしゃる感じですけど、
今、映画を作ってらっしゃると。
あとで今井さんの活動の準備のお話も、
映画の準備のことも聞きたいんですけど、
1個前の作品ですかね、
今、ダンスをするのは誰だという、
若年性パーキンソン病の主人公が病気になってから再起していく、
そういう映画を撮られていて、
実は私の母が昨年ですね、パーキンソン病っていう、
もう70代なんで、
若年性っていうわけではないんですけれども、
ちょっとずつ調子悪いなみたいなことを言っていて、
いろいろ調べていくとパーキンソン病だっていうことが分かって、
薬を飲んで、少し改善もしているし元気にはしてるんですけど、
やっぱり当然落ち込むじゃないですか。
もうやっぱり治らない病気だし、
どれだけ進行をゆっくりできるかっていう、
穏やかな今の生活をどれだけ続けていけるかってことが大事なわけですけど、
そういう母に、ちょっと母を励まそうかなっていうのもあって、
年末にコニーさんの映画のDVDを買って、
母に見せて、母にプレゼントしたんですけど、
コニーさんがテーマにされてきた作品って、
結構社会的には弱い立場というか苦しい立場とか、
生けづらさとか、
そういうことがある方にスポットライトが出るというか、
そういうテーマの映画が作品を作ってらっしゃるのかなっていう感じがするんですけど、
これまでのテーマを選んでこられた背景だったりとか、
どういうバックグラウンドからそういうマインドになっているのか教えていただけますか?
教育とアイデンティティ
スピーカー 1
ありがとうございます。
さっき言った通り、私はいじめられっ子で、東大落ちて自治を考えたんですね。
受験勉強が失敗したから自治を考えるって、どんな日本の教育だって思いません?
っていうところから始まってですよね。
もちろん東大が悪いとかっていうわけじゃないですよ。
東大行って、私の友人もたくさんいますし、
やっぱり東大行ったから幸せにはもちろんならないわけじゃないですか。
でもやっぱり日本の教育って単純に近視眼的に東大ワスラ慶応とか並べて上の学校を目指しましょう。
何のためにっていうことを伝えられる先生との教育が本当にないわけですよね。
だからその部分で私はやっぱり自分の心とかアイデンティティを見失ってしまったっていうのがあって、
そこから運命の出会いがあって映画の道に行くようになったので、
すごい昔から僕は芸能界に行きたかったんです。
小学校とかで芸能界に行く生き方を教えてくれる先生って中高でもいないじゃないですか。
いないですよね。みんなお医者さんなりなさい、先生なりなさいとか弁護士とかってのがあるけど、
芸能界、普通にやっててどうやって行くかわかんないみたいな。
で東大に行こうと思ってたんですけど、
僕はやっぱり小さい頃から田村雅香さんとか好きなんですよね。
昭和の頃の俳優さんとか大好きでね。
だからそれをやりたかった小さい頃の夢が叶ったわけなんですよね。
福島の経験と映画の意義
スピーカー 1
これさっきも言ったといわての釜石は震災の時に壊滅状態になって、
うちの家群は千年住んでんで、山の上に家を建てろって家群なんですよ。
だからもう来てるんですよ。村町時代に津波が来てるの知ってるから、
絶対に下に立ったら津波で持ってかれるって知ってるから、
うちの家群はそういう風に建ってるから、本当に山の上に建ってるんですね。
だから無絆です。でも町は全部壊滅状態になるわけじゃないですか。
だから家だけが残ってたとしても町が機能してなかったらこれ生きていけないなっていう風に思って、
で、釜石って場所分かります?だいたい、いわての釜石って。
なんとなく分かります。
結構遠いんですよ。めちゃくちゃ。三陸海岸の上の方なんですね。
行けないんですよね。そのおばあちゃん、祖母がいるんだけれども、
助けに行きたいけど行けないんですよ。その時は。
で、どうしようかな。でも僕はやっぱり東北人としてのアイデンティティがあるから何かしたいと思った時に、
福島の南相馬に行ったんです。もちろんご存じの通り原発があるところじゃないですか。
そこに行って、取材をして原発20キロ圏内に入るわけですよ。
そうすると、ようこそ原子力の町へみたいな看板が掲げられてるじゃないですか。
でももちろん人、誰もいないじゃないですか。避難してて。
でも、牛や馬とか犬や猫とかがのたれじんでたりとかするわけですよ。
これ放射能、あんだけみんなウェルカムとかって言っときながら、
何かがあった時にこうやってみんな逃げて動物たちがのたれじむって、
こんな社会で本当にいいのかなって愕然としたんですよね。
それで、自分は映画監督をなる上で、やっぱり有名な監督になりたいとか、
みんなが知ってくれるようなメジャーな監督になりたいとかって、
若い頃は思ってたんですよ。
でも、そんなものどうでもいいなって思ってます。
自分が映画監督やってる意味ってのはそこじゃなくて、
誰かが困ってる、で、ないがしのされる命がたくさんあって、
誰かが有意になって、誰かが虐げられる。
それって自分自身が学校でいじめを受けていて、
僕の声、私の声を聞いてくれる人がいなかった。
まったく一緒だなって思った時に、
自分が映画監督としてなっている意味ってのは、
そこを描かなかったら全く意味がないなって気づかされたのが、
福島の南相馬だったんですよね。
映画制作の動機
スピーカー 2
それ以前に作ろうとしていたものから大きく変わったってことですか?
スピーカー 1
変わりました。だってここも、
べしょてつやさんがやっているショートショットフィルムフェスティバルっていうのが
もう30年くらいあるんですけれども、
そこでたくさんノミネートをいただいたり、
いろんな映画祭で賞をいただいて、
その頃はピュアでしたね。
好きな男の子がいて亡くなっちゃってみたいな、
淡い感じのラブストーリーを。
ラブストーリーは都市伝説の世界ですからね。
101回目のコロンボーツの時代ですからね。
同じような世代。
スピーカー 2
同じ世代のまま、世代が分かっちゃうというね。
スピーカー 1
そういう世代だからこそ、やっぱり描きたいのは、
やっぱりそういう人のすれ違いとか、
そういう掛け合いみたいなのを、
若い頃はチャレンジしてたんですけど、
もっと深い部分があるなって。
そんな人ってついたり離れたりっていう
浅い部分じゃないところの根底にある
憎しみとか悲しみとか、
恨みとかもちろんあるでしょうし、
みたいなところを、
ワンチャンネコちゃんたちの命の問題を扱って、
ノーボイスを作って、
天の川はネタ切りの方がロボットで社会に参画できる。
そしてパーキンソン病にかかった自分はどういう風に人生を歩んでいくか
みたいな形でどんどん深まっていった感じですよね。
スピーカー 2
そうですよね。
いろんなテーマにする題材って、
出会うことあると思うんですけど、
何か特に、
体が不自由で、
それがロボットでっていう、
何でテーマ、
これをテーマに映画を撮ろうっていう?
スピーカー 1
全部本当にご縁でしかなくて、
みんな悲しいことに企画者がなくなってるんですよね。
ノーボイスの時も、
僕の経営者仲間の宮内さんって方がいきなり電話かかってきて、
コニ君、犬猫の映画を企画してる人がいるんだけど、
興味ないかって言われて、
私、いろんな映画でデビューをしようと思ってたんですよ。
長編映画。
やっぱり映画監督って劇場に描ける映画で長編デビューって言われてるので、
やっぱりいろんな映画の企画をプレゼンするわけですよ、いろんな方に。
お金がないと作れないから、
これに対してどうですかって投げてたんだけど、
いろんな企画がとんざしてたんですよね。
この企画があった時に私断ったんですよ。
なぜかというと、南極物語とか八甲物語とかって、
お涙ちょうだいじゃないですか。
別に作品がどうというか、
泣けるのわかるじゃないですか。
ワンチャンネコちゃん愛おしい、かわいいっていう。
それってちょっとあざといなと思って。
犬猫買ったことがないから、
ちょっとこのテーマを私じゃなくて、
犬猫好きな人に撮ってもらったらいいんじゃないですかってことがあったんですよ。
そしたらこの映画は、
ペットショップで飼われたワンチャンが捨てられたりとかしていって、
シェルターに持っていかれる、
捨て犬捨て猫の保護活動の話なんだよっていう風に言われた時に、
取材をしたらば、
あ、ペットショップじゃなくてこんなところで譲渡会があるんだなって気づいたっていうのがきっかけ。
アマノガもそうですね。
私の早稲田の後輩の吉祥寺くんがこういうような活動をしている。
結構みなさんたまたま出会うご縁の中から、
これ映画にしたいなって心がときめくみたいな感覚ですね。
へー。
スピーカー 2
なるほど。
スピーカー 1
ノーホイスの企画の話があった時っていうのは、
ロボットと今後の展望
スピーカー 2
南相馬での体験の後に、
スピーカー 1
その企画の話があってなんですか?
あ、いい質問です。めちゃくちゃそれポイントです。
なぜかというと前だったんですよ。
で、一部撮影を撮ってたんですよ。
春のシーンを。
で、映画の撮影どころじゃもちろんないじゃないですか。
命の自分たちの生活があって。
だからその映画の企画は一回とんざしたんですよ。
で、もうお母さんキャンセルにしましょうってなったんだけど、
私としては取材も始めてたし、撮影も一部撮ってるから、
いやこれもうしょうがないです。
私自分でお金出してもいいからやりたいですってちょっと僕が言ったんです。その人に。
お金かかるんですよ。やっぱり映画って結構。
なんですけども、やっぱり福島の南相馬に2年間ボランティア活動した時に、
人が地面に埋まったまま、ヘドロとかいろんな状態になってて、
原発20キロ圏内を見た時に、マスメディアでは報道しない情報があるわけですよね。
そういう動物たちが大変だっていう情報が届いていない。
だったら映画で伝えるしかないなって思ったんですよね。
スピーカー 2
プロジェクトをもう一回。
スピーカー 1
大変でしたよ、だから。
だって自分の生活も大変な中で映画作るって。
この場合は250万くらい作ったんですけど、
映画って大体数千万かかるので、
本当に手弁当で皆さんには、
手弁当っていうかギャランティーも少ない中でごめんなさいって言って、
これはどうしても私の初監督で作りたくて、こういう意味があってっていうので、
じゃあ数十万円で受けてあげるよみたいな感じで、
スタッフが集まったりとかしてなんとか。
もちろん私は脳ギャラでやりましたしね。
4年かかって作りましたね、これは。
スピーカー 2
なるほど。
それが初めての長編映画っていう形。
一本作ることで、また新たなコニーさんに作ってもらいたいとか、
こういうテーマがあるんだけど、みたいな出会いが増えたりもするんですかね。
スピーカー 1
そうですね、でもやっぱりなんだろう、
すごい250万で作った割には、
いい話だと思いますよ。
自分でも泣けると思います。
その納豆に、本当私運が良くてですね、
この次の作品の天の川を作ろうとした時に、
私にですね、ロボットを作りませんかっていうオファーが来たんですよ。
ロボット?
そう。映画監督にロボットってどういうことですかって言われて、
それ2014年だったんですよ。
その映画が公開したのが、ノーゴジスは2013年公開で、
1年ぐらいいろんなとこ巡業して大阪とかいろんなとこ行って、
もちろん次の企画とか考え出すわけで、
やってた時にふと電話がかかってきて、
コニーさん実は私の会社でロボットを作りたいと思っていて、
コニーさん力を貸してくださいって、
私理系なんです。大学で物理をやってたんですけれども、
コニーさん応用物理学科出身で、しかも映画監督で、
これからロボットの時代が来ると思うんですよって、
2014年に言われていて、もちろん来ると思うんですよね。
今はもちろんあるじゃないですか。
で、まだAIがなかったから、
ロボットの話すセリフを映画監督に監修してもらったらば、
人間味があふれるロボットができるんじゃないか。
今はもちろんGPTがあるから、そんなの簡単なんですけど、
10年前ですから、AIまだそこまで普及してないんで、
シナリオも全部手書きなくて打ち込んで。
その時にさすがにロボットいきなり作るのはちょっとハードル高いから、
誰か身近でロボットを作っている人いないかなって、
私の当時付き合っていた彼女に聞いたんですよ。
そうしたらば、私たちの大学の後輩に、
ヨシユジ君という超今ブレイク仕掛けている青年がいるから、
その青年に会いに行ったらばって言って、
彼の三鷹の事務所に行ったのがきっかけですかね。
でもその時にヨシユジ君が、僕はロボットを作りたいわけよって、
その人がロボットを使わなくても、
自分自身の人生を生きていける社会をしたい。
ロボットは黒子でいいんですって言って。
やっぱさすがだなって。
その彼の言葉がやっぱり刺さって、
こんな素晴らしい後輩がいるんだなって愕然として、
その1時間のプレゼンを聞いた時に、
僕からこれ映画にしたいっていう風に、
インディペンデント映画の制作
スピーカー 1
自分から天のがある場合は頼んだ感じですかね。
スピーカー 2
なるほど。
予算も限られている中で、
協力してくださる俳優さんでも、
皆さんがご存知のような有名な方とかも、
出てらっしゃったりすると思うんですけど、
コニーさんがお願いしたら、
テーマに共感することによって、
出演するよっていう形で承諾いただくっていう、
そういう感じなんですか。
スピーカー 1
そもそも私がやっているのは、
インディペンデント映画と呼ばれる独立系なんですよね。
皆さん結構映画って言うと、
独自のキャスティングプロセス
スピーカー 1
メジャー映画、働く細胞とかもそうですけど、
ああいうイメージがあるから、
お金があって企画があって、
映画って崩壊することが前提で決まっているような感覚なんですけど、
私たちのやっているインディペンデント映画というのは、
崩壊することも決まっていないし、
ゼロから、ゼロへの発信するから、
結構泥臭く作っている感じですかね。
スピーカー 2
先に企画があって、
キャストとかも企画を持ってくどいていくと言いたいですけれども、
スタッフとかキャストとか集めていくんですか。
スピーカー 1
そうですね。企画も自分で作るんですけど、
こういう感じでインタビューを取材していただいているじゃないですか。
私も徹底的に社会的な問題を扱っているから、
現地に赴いて調査をするわけですよね。
そうするとその人たちがネタ切りの状況でも、
こうやってロボットで参加できて、仕事がもらえるとか、
ああなるほど、こんなことまだ知られていないよなということを、
ひたすらフィールドワークをするんですね。
そうなったら、シノポシストというあらしづじをまず書いていくわけですね。
企画書を書いていくわけです。
こういうコンセプトがあって、こういうことをやりたいみたいなのをやっていって、
一社一社ずつ社長さんにプレゼンしていったりする感じですかね。
並行してやってきますよ、私の場合は。
大瀬さんだとお金があるので、
キャスティングをしていくんですけど、
たとえば、にわとりとたまごみたいな感じで、
福知桃子さんも当時はまだ無名というか、ブレイクする前だったので、
今はCMとか大河ドラマとかにも出ていますけど、
やっぱり、たとえば、相川翔さんの娘さんということもあって、
鹿児島出身なんですよね。
天野川は鹿児島、薬島がロケ地なんですけど、
やっぱりこの福知桃子さんが出るってことが決まると、
鹿児島の人たちは、ああ、相川翔さんの娘さん、
そうしたら応援するよってなっていくから、
その部分ってセオリーがないわけです。
もしかしたら違う女優さんだったらば、
鹿児島関係ない女優さんは興味ないよっていう。
そこの部分をいかに自分の中で見たって感じですね。
スピーカー 2
なるほど。
じゃあ結構、実際の制作に入るまでのプロセスが、
かなり監督の仕事としては大きいですね。
スピーカー 1
本当私監督兼プロデューサーなので、
ちょっと普通の映画監督は違うと思うんですよ。
自分で資金調達もするし、
自分でこうやって交渉もするので、
実は私は今白紙家庭に行って、
それを白紙家庭の研究テーマにしてるんです。
今おっしゃった、映画のプロセスがサービスになるっていうのは、
研究論文を書いてるんですよね。
映画のプロセスがサービスになる。
作品をお客さんって、完成した時に見るじゃないですか。
でも、例えばクラファなんかわかりやすいですよね。
その途中で、こんな企画応援したいとか。
で、亀友みたいにブレイクしたら、
ああ、私この時応援したのよって、
後からなるけど、そのエンゲージメント、
愛着心って、プロセスで一緒に参加してるから、
まだ作品を見てないのに、
ああ、私一緒に作ってるみたいな。
スピーカー 2
なるほどね。
スピーカー 1
ってことを考えたら、
実はそこはサービスだっていうようなことを
私が定義をして、
今それを独自制でロンドンで書いております。
スピーカー 2
なるほど。
すごく映画を完成したものを見るっていうよりも、
参加するというような、
また新しい関わり方の感じがしますね。
確かに。
スピーカー 1
ありがとうございます。
スピーカー 2
なるほどね。
そうか。
一作目前もそうですし、
今準備中のものもそうなのかなと思うんですけど、
奥様が出演されてますよね。
はい。
奥様は、もともと別に女優さんとかではないんですよね。
スピーカー 1
はい。社会保険労働士。
社会保険労働士。
スピーカー 2
社労士さんなんですよね。
スピーカー 1
謎ですね。社労士で女優って書いてないですよ。
社労士は普通仲間で何かやるんじゃないのって言って。
スピーカー 2
前回お会いした時に、
必ずあまり経験がない方に出演いただくっていうことを
毎度しているみたいなことをおっしゃっていて、
映画を作られる時にも、
プロの俳優さんばっかりで作るんじゃなくて、
そういうテーマに共感される方だったりとか、
巻き込んでいく中で、
もうあなたにも出てよみたいな、
そういう関わり方みたいなものも
発生してるっていうことなんですかね。
スピーカー 1
そうですね。
結構私の活動のテーマが、
障害を抱えた方が主体性を帯びるみたいな、
インクルーシブの社会っていうものが
結構テーマで講演会も、
これからもずっと今してるんですけど、
インクルーシブって中で、
さっきのプロセスの中で、
見えないんですよね。
ブラックボックスなんですよ、
映画業界って。
今はさっきも問題になってるんですが、
ああいうのも結局隠しちゃうっていう文化。
まさにそうじゃないですか。
僕それ嫌いなんですよ。
閉じてるから。
開かれたものってすごく大事だなっていう。
その開かれた中の一つとして、
そういうキャスティングがぶっ飛んだ
ようなキャスティングがあると、
その人がインクルーさんだったりとか、
パーキンソン病をテーマにした作品
スピーカー 1
その人が実はめちゃくちゃ
すごいキーパーソンになったりとか
するわけなんですよね。
今回のパーキンソン病の映画も、
演技初情勢の樋口良一さんが
主役を迎えるというね、
もう私でしかできないキャスティングなんですよ。
スピーカー 2
そうですよね。
実際に主演のミュージシャンの方ですよね。
サラリーマンの役で
出てくるんだけれども。
実際にご病気?
そうなんですよね。
ご自身がパーキンソン病を患っていらっしゃって、
やりませんかって
スピーカー 1
コニーさんから
スピーカー 2
どういう反応でした?
スピーカー 1
びっくりしてて、
何かの間違いでしょって。
僕歌手だけどって。
スピーカー 2
全く演技もやったことないし、
でもそういう中で、
じゃあやってみようっていうのになるのって
何かこう、
スピーカー 1
口説きを落とすようなところがあったんですか?
でもやっぱりテーマがパーキンソン病で、
樋口良一さんもパーキンソン病当事者の歌手ということで、
開示されているわけですよ、自分の病気を。
で、なんだろうな、
やっぱり彼しかないな、
他の皆さんがよく知っているような
方が出てくるわけですよ、キャスティングの。
で、そういうやっぱり、
あ、えぬじまさんが出てる映画とかってなったりすると
見たくなると思うんですよ。
でも今回ってそこを狙っていってもあんまり
僕はモチベーションが上がらないなと思って。
で、彼が病気の当事者だから
生々しいリアルなものも出せるだろうし、
たまたまうちの前、
もう今いないんですけど、
いたスタッフが熊本出身なんですよ。
彼も熊本出身なんですよ。
で、たまたま熊本で、
いや、小西さん、実はうちの父が
生成高っていう有名子があるんですけども、
生成高出身で、
その生成高の後輩に樋口良一っていう人がいて、
その人がパーキンスの病なんですよって。
えーって。
いきなりうちのスタッフから話があって、
え、じゃあもうこの人しかないじゃんみたいな話になって
オファーしたんですね。
スピーカー 2
彼、樋口さんが引き受けるよってなるのに
どれくらい、結構すぐだったんですか、期間は。
スピーカー 1
本人的には1回目持ち帰っていただいたけど、
でも1週間くらいじゃないですかね。
もうやりますって言ってくれて。
映画ってスピード感も大事だから、
そこで1ヶ月待ってると、
さっき言ったように資金調査とか動かない。
他のキャスティングの方で決まったら
じゃあエルジマさんですね、
有名だからお金出しますよってなるかもしれないし、
そうすると映画が進んでいくけど、
やっぱりそのスピード感で、
でも彼も自分でしかできないとか、
このチャンスを逃したら、
人生で絶対オファーないなって思ったらしいんですよね。
それでもこのチャンスを活かせるかどうかは自分次第だって思って
スピーカー 2
速決したらしいですね。
前作、今ダンスをするのは誰だ?は、
もともとの企画も、
ご自身がパーキンソン病の方から
お話があって始まったものっていうふうに
伺ったんですけれども、
趣旨としては、
パーキンソン病になっても諦める必要ないんだとか、
そういうことを伝えたいっていうことだったんですか?
スピーカー 1
どうなんだろうな。
松本さんという方は大手証券会社、
皆さんがよく知っているのは証券会社だったんですけど、
50代で発祥しちゃったんですよね。
手が震えてしまうっていう心酸とか、
足がね、筋肉が固まってしまう個宿とか、
いろんな症状があるんですけど、
彼自身もやっぱりバリバリのエリートサラリーマンだったのに、
ダブルブッキングしちゃうとか、
手が震えてパソコンが打てなくなっちゃうとかということで、
仕事のミスを連発したらしいんですよね。
で、ご想像に硬くないと思うんですけど、
大手証券会社。
もうバリバリ年収もたぶんめちゃくちゃ稼いでたんでしょうけど、
仕事できなくなったらどうなるか。
お荷物状態になってしまって、
窓際族に追いやられて、
年末の忘年会も、
彼だけ誘われなかったらしいです。
そういう苦しみの現状で、
難病とその影響
スピーカー 1
上司が分かってくれたら嬉しかったなっていうところを、
やっぱり知ってもらいたいっていうのが本当だったんですよね。
なるほど。
スピーカー 2
その病気であることを、
気づかない状態でそういう症状が持ってったんですか?
スピーカー 1
それとももう病気であることは分かっていて、
スピーカー 2
周りもその病気のことは知っていたけれども、
スピーカー 1
仕事ができる、できないということと、
スピーカー 2
病気が繋がっていなかったというか、
どういう状態で苦しい?
スピーカー 1
いいですね。
さっきからいい質問を連発していますね。
いやでも本当にそうで、
パーキンソン病って、
やっぱり疲れとか成人病とか、
やっぱりあるじゃないですか、
パーキンソン病の診断がつかないんですよ、すぐに。
2年くらい彼もつかなくて、
長い人だと5年間パーキンソン病の診断がつかないんです。
だから皆さん言っていたのは、
お化けと向き合っているようなものだと言って、
症状は分かるけど、
この症状がパーキンソン病って分からないから、
張り治療したりとか、
いろんな治療するけど、
治らないんですよね。
それでようやくパーキンソン病って気づくけど、
その間はやっぱり症状が隠しちゃう。
人に言えないんですって。
私はこういう症状を今苦しんでいるって。
スピーカー 2
そこが一番辛かったらしいですね。
確かにちょっとダブルブッキングしちゃうとか、
スピーカー 1
先ほどの話とかも、
それがすぐに病気が何か潜んでいるって、
スピーカー 2
気づかないんですよね。
あれですよね、松野さん。
もともとこの企画が生まれる発端になった、
起点になった松野さんって、
公開されるタイミングでは、
もうお亡くなりになっていたんですよね。
スピーカー 1
そうですね。撮影の前ですね。
撮影の前だったんですね。
だから本人はすごい。
いやぁ、2022年の3月なんですけど、
やっぱりびっくりします。
僕はさっき見えないものが見えるって言ったんですけど、
分かってたんですよ、実は。
もう亡くなっちゃうな。
だから本人的にはちょっと残念だって思いはあるんでしょうけど、
でも託されたなって思いましたね。
さっきも言った通り、
お金も自分で集めるわけですよね。
彼が途中まで集めてくれたんですけど、
結構な金額集めるわけですよ。
数千万円。
それで亡くなったって言ったら、
誰が集めるかって言ったら、
私しかいないわけですよね。
その思いを伝えるわけですよ。
この松野さん本当にやりたかったんですけど、
亡くなってしまって、
でもこれは伝えなきゃいけないと思ってますっていうことを、
こうやって社長さんとかいろんな方にプレゼンすると、
分かりました、100万出しますっていう形で、
それは積み重ねていった感じですね。
スピーカー 2
なるほど。
いろんな企業の経営者の方とかが、
映画制作の経緯
スピーカー 2
結構スポンサーになってくれることが多いっていうことですか?
スピーカー 1
お知らせの通りでホームページ見ていただくと、
会社の英財さんとか、サンウェルズさんとか、
やっぱりこういうようなテーマに関心ある企業さん。
私の場合結構特殊で、自分経営者だから、
やっぱり経営者の仲間がいっぱいいる全国。
そこが結構強み。
普通の映画監督だと、
だいたい経営者と会うってないんですよ、ほとんどは。
映画業界で。
私は自分で経営者もやりながら、
全国で講演会も回ってるんで、
やっぱり企業の研修とかで、
社長さんとワンオンで喋ることが結構多いので。
スピーカー 2
なるほど。
2本目はですね、
いろいろコニーさんの映画監督になられた経緯とか、
そのあたりも非常に興味があるんですけど、
まず今準備中の、
今井さんのDPの活動をプロジェクトとして、
まさに資金調達しているということなので、
そのあたりを少し、
どんな映画を作ろうと思っているのかっていう話を
お伺いしたいと思います。
スピーカー 1
お願いします。
33:06

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