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スピーカー 2
ダイアログカフェ。筋書きのない対話から新しいアイディアと自分自身に出会う場所。この番組は様々なテーマで楽しみながらお届けします。
今日は私たち高円寺まで来ました。
ビルの一室なんですけど、すごくクリエイティブな匂いのする、オレンジな空間におります。
今日のゲストは古新舜さん。映画監督をやっていらっしゃいます。
オレンジなんですよ。いろんなものが。
入りがオレンジってすごいですね。映像系で何なんだってオレンジだって聞いてる人は何なんだって思いますよね。
でも初めてお会いした時にオレンジのコートを着ていらっしゃって。
いつもオレンジのお洋服を。
スピーカー 1
もちろんです。365日。
スピーカー 2
365日。なぜオレンジなんですか?
スピーカー 1
聞きたくなりますか?
スピーカー 2
なりますよ。
スピーカー 1
皆さん嬉しいな、こんな奇妙なよくわからないおじさんに関心を持っていただいて。
本当にこの質問って、私全国飛び回ると朝から深夜まで必ず聞かれるんですけども。
詳しくは一応私のノートには書いてあるんですけども、実はだから私映画監督をしています。
小さい頃は実はいじめられっ子だったんですね。
幼稚園、小、中、高、大学と毎学年いじめられてたんですよ。
うちの親父が一級建築士だったんですね。とある有名な建設会社、設計会社だったんですけども。
昭和の頃じゃないですか。厳しいんですよ、親父が。
オレンジの言うこと聞けーって言って、深夜まで制作させられたりするわけですよね。
うちの母親もバリキャリーっていうかできる人だったんですよ。
親父も仕事できる、お母んも仕事できる、2人とも貧乏だったんですね。
長男の私が生まれるとどうなるかというと、ご想像つきますよね。
しつけひびしくなるわけじゃないですか。私は4歳から東大目指す人生だったんですよ。
それ明確に言われてたんですか。
そうですね。この子頭が良すぎるから将来は絶対お医者さんとか大臣クラスになるから東大しかないよとか言って。
本当に4歳から10回寄ってたんですよ。できちゃったわけです、勉強が。
いじめられてるんです、学校では。家ではしつけが厳しくて、親父が酒飲んで荒れるみたいな家だったので。
極力早く死にたいんですよね。
スピーカー 2
4歳か。
スピーカー 1
もう人生、一番辛かったのは小学校のことかな。小中高が大変だったかなと思って。
その時に私はサリちゃんとかクリーミーマミとかリボンの騎士とか、ベルバラとか女の子が好きな漫画が好きなんですよ。
昭和の頃って男の子がガンダムとか筋肉マンとか男塾とか戦うじゃないですか。
別に戦わなくてもいいんじゃないかなと思うけど、男の子がやたら喧嘩するじゃないですか。
僕はそれ嫌いなんですよ。別にガンダムが嫌いなわけで、みんなこっちに行くわけです。
そうするといじめられるわけです。お前は男のくせにって言われて。
そうすると男性を見ると親父はスーツが黒とかグレーとか紺とかじゃないですか。
男性ってなんで明るい色着ないのかなってすごく疑問があって。
その幼少期の体験があって、つらかった自分の人生があって、
みんなが男性はこうしなさいとか女性はこうであるべきだみたいなものを取り払いたいというのがベースにあるというのがまず根底にあるんですよ。
長くなっちゃってかいつまむと、私は東大落ちたんですよ。自殺を考えたんですよ。
そこから自分の人生がゴロゴロ変わっていったんですけれども、
とある私の母校にデジタルハリウッドという学校があるんです。知ってます?デジタルハリウッド。
ありがとうございます。うれしいことです。
そのデジタルハリウッドに私は大学院で行こうと思ったんですね。25歳ぐらいの時に。
その杉山さんという学長が面接をしてくださった時にですね、
コリー君、君はめちゃくちゃ優秀に今まで人生歩んできたと思う。
確かにわすら主席で出てるし、本当に偏差値が高いところにいる。
でも君とお話をして私はあることに気づきました。
君は自分の弱さを認めて欠けた部分を認めていない。
だからこの大学院に入る条件は自分の弱さを受け入れて、
欠けた部分を補ってくれる仲間を見つけなさい。
それが私のこの大学院に入る条件ですと言ってくれたんですよ。
なんか泣いちゃいましたね。
泣きましたよね。
スピーカー 2
面接で。
スピーカー 1
いきなりこのインタビューがのけからこういう話が。
スピーカー 2
確かに。
深いところに入ってきた。
スピーカー 1
その母校の色がオレンジだったというのがあって、
私の人生をくすぐらせてくれたというのがあって、
本当にその人がいなかったら傲慢になってたし、
大人になっても威張っている人がいるじゃないですかとか、
そうならずに謙虚になれたのは杉山学長が、
スピーカー 2
そういう入試での条件を出してくれたという感じですかね。
それからオレンジのテーマカラーで洋服だったりアイテムは揃えてくれたり。
スピーカー 1
しかね、そこには行き着かなかったんですよ。
ただ、私は天の川という映画を作ったときに、
分身ロボット織姫があるじゃないですか。
織姫を作っている吉井織君というのが、
私の大学の後輩であって、
織姫君ってご存知の通り黒い白衣をずっと着ているんですよね。
この若者に出会ったときにハッと気づいて、
ハッそうだこんな後輩に負けるとかじゃないですけど、
ちょっとジェラシーがあるわけですよ。
スピーカー 2
こうやってブランディングすげえなと思って。
スピーカー 1
なんだ自分はオレンジ好きなのにオレンジ着てないってことは、
これは自分に嘘ついてるなと思って。
ということで365日オレンジを着ているという感じです。
スピーカー 2
なるほど。
スピーカー 1
これさっきも言ったといわての釜石は震災の時に壊滅状態になって、
うちの家群は千年住んでんで、山の上に家を建てろって家群なんですよ。
だからもう来てるんですよ。村町時代に津波が来てるの知ってるから、
絶対に下に立ったら津波で持ってかれるって知ってるから、
うちの家群はそういう風に建ってるから、本当に山の上に建ってるんですね。
だから無絆です。でも町は全部壊滅状態になるわけじゃないですか。
だから家だけが残ってたとしても町が機能してなかったらこれ生きていけないなっていう風に思って、
で、釜石って場所分かります?だいたい、いわての釜石って。
なんとなく分かります。
結構遠いんですよ。めちゃくちゃ。三陸海岸の上の方なんですね。
行けないんですよね。そのおばあちゃん、祖母がいるんだけれども、
助けに行きたいけど行けないんですよ。その時は。
で、どうしようかな。でも僕はやっぱり東北人としてのアイデンティティがあるから何かしたいと思った時に、
福島の南相馬に行ったんです。もちろんご存じの通り原発があるところじゃないですか。
そこに行って、取材をして原発20キロ圏内に入るわけですよ。
そうすると、ようこそ原子力の町へみたいな看板が掲げられてるじゃないですか。
でももちろん人、誰もいないじゃないですか。避難してて。
でも、牛や馬とか犬や猫とかがのたれじんでたりとかするわけですよ。
これ放射能、あんだけみんなウェルカムとかって言っときながら、
何かがあった時にこうやってみんな逃げて動物たちがのたれじむって、
こんな社会で本当にいいのかなって愕然としたんですよね。
それで、自分は映画監督をなる上で、やっぱり有名な監督になりたいとか、
みんなが知ってくれるようなメジャーな監督になりたいとかって、
若い頃は思ってたんですよ。
でも、そんなものどうでもいいなって思ってます。
自分が映画監督やってる意味ってのはそこじゃなくて、
誰かが困ってる、で、ないがしのされる命がたくさんあって、
誰かが有意になって、誰かが虐げられる。
それって自分自身が学校でいじめを受けていて、
僕の声、私の声を聞いてくれる人がいなかった。
まったく一緒だなって思った時に、
自分が映画監督としてなっている意味ってのは、
そこを描かなかったら全く意味がないなって気づかされたのが、
福島の南相馬だったんですよね。
スピーカー 2
南相馬での体験の後に、
スピーカー 1
その企画の話があってなんですか?
あ、いい質問です。めちゃくちゃそれポイントです。
なぜかというと前だったんですよ。
で、一部撮影を撮ってたんですよ。
春のシーンを。
で、映画の撮影どころじゃもちろんないじゃないですか。
命の自分たちの生活があって。
だからその映画の企画は一回とんざしたんですよ。
で、もうお母さんキャンセルにしましょうってなったんだけど、
私としては取材も始めてたし、撮影も一部撮ってるから、
いやこれもうしょうがないです。
私自分でお金出してもいいからやりたいですってちょっと僕が言ったんです。その人に。
お金かかるんですよ。やっぱり映画って結構。
なんですけども、やっぱり福島の南相馬に2年間ボランティア活動した時に、
人が地面に埋まったまま、ヘドロとかいろんな状態になってて、
原発20キロ圏内を見た時に、マスメディアでは報道しない情報があるわけですよね。
そういう動物たちが大変だっていう情報が届いていない。
だったら映画で伝えるしかないなって思ったんですよね。
スピーカー 2
プロジェクトをもう一回。
スピーカー 1
大変でしたよ、だから。
だって自分の生活も大変な中で映画作るって。
この場合は250万くらい作ったんですけど、
映画って大体数千万かかるので、
本当に手弁当で皆さんには、
手弁当っていうかギャランティーも少ない中でごめんなさいって言って、
これはどうしても私の初監督で作りたくて、こういう意味があってっていうので、
じゃあ数十万円で受けてあげるよみたいな感じで、
スタッフが集まったりとかしてなんとか。
もちろん私は脳ギャラでやりましたしね。
4年かかって作りましたね、これは。
スピーカー 2
なるほど。
それが初めての長編映画っていう形。
一本作ることで、また新たなコニーさんに作ってもらいたいとか、
こういうテーマがあるんだけど、みたいな出会いが増えたりもするんですかね。
スピーカー 1
そうですね、でもやっぱりなんだろう、
すごい250万で作った割には、
いい話だと思いますよ。
自分でも泣けると思います。
その納豆に、本当私運が良くてですね、
この次の作品の天の川を作ろうとした時に、
私にですね、ロボットを作りませんかっていうオファーが来たんですよ。
ロボット?
そう。映画監督にロボットってどういうことですかって言われて、
それ2014年だったんですよ。
その映画が公開したのが、ノーゴジスは2013年公開で、
1年ぐらいいろんなとこ巡業して大阪とかいろんなとこ行って、
もちろん次の企画とか考え出すわけで、
やってた時にふと電話がかかってきて、
コニーさん実は私の会社でロボットを作りたいと思っていて、
コニーさん力を貸してくださいって、
私理系なんです。大学で物理をやってたんですけれども、
コニーさん応用物理学科出身で、しかも映画監督で、
これからロボットの時代が来ると思うんですよって、
2014年に言われていて、もちろん来ると思うんですよね。
今はもちろんあるじゃないですか。
で、まだAIがなかったから、
ロボットの話すセリフを映画監督に監修してもらったらば、
人間味があふれるロボットができるんじゃないか。
今はもちろんGPTがあるから、そんなの簡単なんですけど、
10年前ですから、AIまだそこまで普及してないんで、
シナリオも全部手書きなくて打ち込んで。
その時にさすがにロボットいきなり作るのはちょっとハードル高いから、
誰か身近でロボットを作っている人いないかなって、
私の当時付き合っていた彼女に聞いたんですよ。
そうしたらば、私たちの大学の後輩に、
ヨシユジ君という超今ブレイク仕掛けている青年がいるから、
その青年に会いに行ったらばって言って、
彼の三鷹の事務所に行ったのがきっかけですかね。
でもその時にヨシユジ君が、僕はロボットを作りたいわけよって、
その人がロボットを使わなくても、
自分自身の人生を生きていける社会をしたい。
ロボットは黒子でいいんですって言って。
やっぱさすがだなって。
その彼の言葉がやっぱり刺さって、
こんな素晴らしい後輩がいるんだなって愕然として、
その1時間のプレゼンを聞いた時に、
僕からこれ映画にしたいっていう風に、