1. Dialogue cafe
  2. #30-2 必要なものはインストー..

▼内容:
先輩に誘われて入った学生団体「東大ドリームネット」/楽しげな起業家たち/経営を知るために社長のそばで働く/ブラインドタッチもできないのにプログラマーに応募/宮下君を完コピでプログラミング習得/約束通り24歳で起業/起業前に読んだ「倒産の仕方」/東大で得たもの/事業開始1ヶ月でピボット/エンジニアに対する企業ニーズ/バケットリスト実行のためイグジットを決意/「32歳で渡米」のお手本はソニー創業者/上場企業での1年、社内ルールを完コピ習得/MBA、次は英語をインストール?

▼出演:
ゲスト
愛宕翔太さん(起業家、コデアル創業者、寿司大将、サンフランシスコ在住、米国MBA留学中)
成長論 ~いくつになっても人は変われる~(Amazon)

MC
田中優子(元クラウドワークス取締役、ビジネスアドバイザー、社外取締役、1児の母)
岡澤陽子(ブランドコンサルタント、戦略リサーチャー、ビジネスメンター、2児の母)

▼関連エピソード:
#9-3 最強の自己効力感!躊躇なく切り拓く未経験ジャングル
#14-3 オペレーション力が低いからこそ生まれた!戦略思考と「タスカジ」に掛ける情熱
#27-1 成田修造、クラウドワークス卒業後の今とこれから
#27-2 スタートアップと新規事業、その成功条件
#28-1 バリキャリママが苦悩の末に起業!かっこつけてられない超かっこいい怒涛の10年

▼番組への質問・感想はこちらまで

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サマリー

愛宕翔太さんは東大の学生団体に参加したことをきっかけに起業への興味を持っています。その後、東大のOBが立ち上げたベンチャー企業でインターンを経験し、プログラミングのスキルを独学で身につけています。サラリーマン経験も積んだ後、24歳のときに起業しました。アメリカで会社を立ち上げることを考えており、卒業後にする企業で準備をしています。夢が途絶えないように、様々な取り組みを行っています。

学生団体との出会いから起業へ
スピーカー 1
ダイアログカフェ。筋書きのない対話から新しいアイデアと自分自身に出会う場所。この番組は様々なテーマで楽しみながらお届けします。
はい、では前回に引き続きですね、愛宕翔太さんをお迎えして、愛宕さんが前回、受験は容量で東大に入りました。でも、那ちゃんとは付き合えなくて、失意のうちにあるところから、次の目標をどうやって見つけたかということなんですけど、起業っていうのはいつ頃から考え始めたんですか?
スピーカー 2
えっと、その前に、でもやっぱり僕らの年代だといきなり起業するとかって感じはなかったと思っていて、今僕35ですけど、2007年入学とかですかね、1年浪人して、東京大学入っていて。
で、そのまあ、しょげてて、髪の毛もオレンジになってるし、とかなると、なんか1個目の上くらってあるんですよ、1年目の先輩いるじゃないですか。はい、はい、はい。ね、棚井さん、東大なんで分かると思うんですけど。で、なんか頭元気ないなって言われて、あ、元気ないっすって言って。
で、なんか暇じゃないとか言われて、まあ暇ではあったんで、暇なんですよ。ちょっととりあえず辛いし、みたいな。で、その先輩は僕が失礼しちゃって、っていうことも知ってた。で、じゃあなんかやんないかって言われて、その学生団体になるものに誘われたんですよ。
スピーカー 1
サークルみたいな。サークル、サークル。で、これめっちゃ悲しいんですけど、2周年くらい続いてたんですけど、ちょっと去年から新入部員がいなくなってなくなったらしいんですけど、ちょっとめちゃくちゃ恥ずかしいんですけど、じゃあ言いますね、名前を。東大ドリームネットっていう学生団体がある。ドリームネット。
スピーカー 2
ドリームネット。宗教じゃないんですよ。何回もこれ言わなきゃいけない。先輩たちのことに名前つけてくれるってあるんですけど。ドリームネット。っていう学生団体の代表を当時やってた人がいて、そこに誘われて行ったっていうのがまずちょっと一歩目としてあって、ちょっと真面目に何かをやろうと思い始めた。
企業サークルみたいなことだったんですか?いや、全然企業サークルじゃなくて、あのですね、大体主にその東大のOBEの人、いろんな人いるじゃないですか。官僚、まあ田中さんがさっき言ったら官僚の人もいるし、なんか大企業で働いている人もいるし、研究者になっている人もいるし、まあ少ないけど企業家もいるみたいな。
そういうOBE集めてきて、大高生に話をしてもらおうみたいなイベントを企画していた学生団体なんですよ。はい、なるほどね。で、ここでいろんなOBEに会うわけですよ。この活動で。だから別に企業家以外もめちゃくちゃ会ってるっていうのがあって。
で、いろんな人の話を聞く中で、一番なんかこの人たちが一緒に酒飲んで喋った時に楽しそうだなって、なんか感覚的に感じられたのが企業家だったんで、企業家ちょっと面白そうだなってなったっていう、この学生団体のきっかけですね。
スピーカー 3
それはあたごさんが面白いって感じたんですか?それともその会ったその本人たちが面白そうって楽しんでそうな感じだったんですか?
スピーカー 2
なんか楽しそうってしたよ、やっぱ本人って。例えば具体的に言うと、当時相手してもらって今も付き合いがあるのは、ウルシステムズって会社のウルシバラさんとかいらっしゃるんですけど、なんか楽しげなんですよ。プログラムずっと書いてるおじさんっていうか、おじさんって言うと強いんだけど、でもそうなんで。
当時はいらっしゃったのがチームラボの猪子さんとか、とにかくあとは孫さん、孫正義さんの秘書をやってらっしゃったミキさんっていう人がいるんですけど、そういう方もちょっと来てくれたりとかしてて、
なんかこの人たち何やってるか全然わかんないけど、とりあえず楽しそうだなって思ったんですよね。なんか楽しそうに話すんですよ。
スピーカー 1
そこで、いろいろなOBと会う中で、起業してる人は面白そうだなって思って自分もサクッと行ったんですか?そこに。
スピーカー 2
なんかちょっと勇気がなかったんで、次の段階で考えたのは、いきなり社長とかちょっと怖いなって思ったんで、社長の近くで働いて修行するかと思ったんですけど、今はやっぱり趣旨対象になるって決めたときに、趣旨ができる奴の横について修行してから対象になっていくっていうので、なんか真似るっていうのをやるんで。
なので、東大の中にあったベンチャー企業を見つけてきて、そこで無理やりに働かせてもらう機会を得て、社長の近くで仕事するっていう機会を見つけに行ったっていうのが次のステップです。
スピーカー 1
戦略的。その社長はOBの方なんですか?
ベンチャー企業でのインターン経験
スピーカー 2
その人は、同じ和田さんって言うんですよ。和田さんっていう、今も仲良いし、今日もメッセージLINEしてたんですけど、和田社長、元社長なんで和田さん、和田社長って言ってますけど、
彼は別に徳島医じゃない。確か明治だったか。なんですけど、CTO、技術の責任者の人は東大の先生で、清田さんっていう人なんですけど、
その東大のない社長の和田さんと、東大の先生が一緒になって作られたリッテルって会社だったんですけど、そういう会社で働いてましたね。
スピーカー 1
インターンみたいな感じですか?
スピーカー 2
そうですね。最初はインターンで、これも運良かったんですよね。なんか社長がメンタルしてくれたんですよ。たまたま僕だけ。
もともとは、プログラマー募集のバイトだったんですよね、確か。プログラムとかできないんですよ、当時。大学3年生なんですけど。
正直言うと、家に自分のPCもなかったし、携帯もなかったしっていうのが高校時代に来てるんで、ネットスキルとか高くないわけですよ。
だからその状態でプログラマーの募集を見て、なんか面白そうだし、企業家の人たちみんなIT領域で起業してたから、なんかITなんだろうとは思ってたんですよ。
だからプログラマーのバイト募集を見て、しかもちっちゃな会社で東大の中だったら行きやすいから、ここに潜り込めないかなと思って、面談を受けたら社長が出てきて、うまく入り込めたって感じですね。インターン的な感じで。
スピーカー 3
プログラムができないけど、プログラマー募集に取り組んで。
スピーカー 2
行けばなんとかなるかなって。
で、なんとかなったんですよ。本当に申し訳ないんですけど、もう許されてると思うんですけど、24になったら起業するんだよっていうのは言ったんですよ、ちゃんと。
で、言って、ちゃんとしたから、お前言ったからやらないやつばっかだけど、言ってやってるのはいいじゃんって言われて、今も付き合い綺麗。約束守ってるなってことで付き合いが続いてるんですけど。
24までに起業しますって言ったら、当時だから20歳とかですかね。20か21だから3年後に起業しますって感じだから、本気感見えるかなと。
相談行ったり付き合ったりっていうのも本気感伝えるためだから、奈良ちゃんに。私のことに本気感をちゃんと出していかないとと思って。
最初はプログラムとか書けないのは、さすがに書けるって言ったら嘘なんで、それ言いたくないんで。だからめっちゃ普通に平常の時間帯は営業とか何でもやりますと。
スピーカー 2
そのかし、その業務の合間とか隙間とか終わった後に現場のプログラマーの人に質問しながら、僕にちょいプログラムとか教えてもらっていいですかねって言って、
そういう感じだったらいいよっていうので合意を取って働かせてもらえたっていうのがあります。
スピーカー 1
なるほど。そこでプログラムできるようになった。
サラリーマン経験を経て起業へ
スピーカー 2
まずそのプログラムできるようになったっていう前の段階があって、その当時僕ブラインドタッチできなかったんですよ。
これ聞いてもらっていいし、当時の職場の人に僕がいかに何もできなかったかを語ってほしいぐらいなんですけど。
今ではめっちゃ退職が早い。マジかよって思うじゃないですか。やり方と考え方次第に何でもできると思ってるんで。
で、そこから正直すごい仕事できないから恥ずかしいじゃないですか。恥ずかしいし、あんなにできないと思わなかったって普通に言われるわけですよ。
全然言われるから悔しいから、もう何か次の日ぐらいから学校行かずに、
本コマ止めのところに、東大の近くに住んでたんですけど、その近くのマクドナルドでコーヒー一杯だけ頼んで、
ずっとPCの上に座って、ずっとそのなんかPCの作業の本を読んで、ドットキーとかずっと覚えてましたよ。
で、なんか覚えた感じです。それでだいぶ覚えた、基本的なことを。
すごいね。楽しかったです。
スピーカー 1
やるって、でも決めてからやっぱりその集中力とか、でもその時もいかにやり方とか、やっぱり法律的な方法を考える。
スピーカー 2
当時、宮下くんって仲の良かった、プログラムのバイトがちゃんとできる、電台とかのやつでいいやつがいたんですよ。仲いいやつが。
そいつがPCに何をインストールしてて、どこやってるのか全部聞いて、全部真似して、全部同じ感じでやりました。
スピーカー 3
なるほど。
スピーカー 1
すごいね。
スピーカー 2
こういうのサバイバル能力って言うんだなっていう感じが本当にするよね。
スピーカー 1
自分ってさ、全部どうやったらクリアできるか、しかも効率的にっていうのをめっちゃ考えて、すごいね。何でもいい。
スピーカー 3
すごい。あと発想が面白いのが、インストールすれば何とかなるから、インストール前の状態をあまり気にしないっていうか。
スピーカー 2
そうね。
スピーカー 3
必要だったらインストールすればいいでしょっていう。
確かに。
PCだから使えなかったのも、必要なかったから使えなかったんであって、別にそれまでっていうのがすごい面白い。
スピーカー 1
そうだよね。
スピーカー 2
確かに。
スピーカー 1
なるほどね。そしたら、ある程度できるようになっちゃったと。
スピーカー 2
できますね。3ヶ月ぐらい経ったらさすがに毎日やってますから。
スピーカー 1
毎日やってるからね。
スピーカー 2
できるやつを見てやってるから。
スピーカー 1
やってるから、ある程度できるようになっちゃうと。
それで、約束守ってられるようになったっていうことで、でも多くは営業とかをやってたんですか?
スピーカー 2
そうです。何でもやってますよ。
だって最初覚えてますけど、名刺のスキャンとかでも何でもやってたし、なんかとりあえず行きますしか言わないから、よく社長に連れて行ってもらってたんですよ、いろんなところに。
仕事的な内容で言うと、あるメガネのECサイトのリスティング広告の出向と管理みたいなのもやってたし、
あとだんだんそうやって仕事できるようになってくるから、学生バイトの面接も普通にやるようになってたし、
あと新メンバーが入った時のアカウント管理とかもやってますよ。
だんだんできる範囲が広がっていくから、どんどん来るじゃないですか。
じゃあ楽しくやろうみたいな。
スピーカー 1
社長と一緒に働いて、それもね、もともとそこに入ったのは、社長ってどんなことやってるのかとか会社経営を学びたくて、
そのためにプログラムっていう、いろいろこう、でも全部一個一個クリアして、社長の近くで働くってことはできて、
それは結構自分の目的は達成されたんですか?当初、イメージができて起業しようっていうところに。
スピーカー 2
そうですね、当時たぶんまだ20人ぐらいしかいなくて、どんな感じでやるんだろうなってイメージは持てましたし、
20人ぐらい社長になるって言ってたから、普通の他の学生には言わないようなこともやっぱり教えてもらってたと思うので、
お金回りのことだったりとか、信頼してかなり権限を。
だって学生のよくわかんないバイトだった人に、うちのアカウント管理とかさせてていいの?みたいなのあるじゃん。
途中からあと、なんか扶養から外れて、親の扶養から外れて、社員にしてもらってたんですよ、4年生の時は。
スピーカー 1
そうなんだ。
スピーカー 2
みたいなのとかもすごく体験させてもらったんで、よかったなと思ってますね。
スピーカー 1
でも24歳で起業したわけですよね。
大学卒業と同時ぐらいですか?
スピーカー 2
これちょっと正確に言うと、その働いてた会社が買収されたんですよ。
ここで僕初めてM&A体験を、別に株主じゃないけどしたっていうのがあって、
ライフルっていう会社があって、上場してる会社なんですけど、
その会社がビッテルって会社を買うことになったので、そのままもう大学4年生の時社員になったんで、
転職、ライフルにするか、なんか内定もいっぱいもらってると思うから他のとこ行くかどうするかって聞かれたんですよね。
転職してその買われる先の会社、楽しげだから行ってみますって言って、
楽天とかいろんなとこに内定もらってたんですけど断って、
一旦ライフルって会社の所属になってた時間が1年ぐらいあるっていう状態です。
スピーカー 1
なるほど。
スピーカー 2
卒業してから1年後に起業してます、約。
スピーカー 1
じゃあ1年間はサラリーマンやってるんですね。
スピーカー 2
正確に言うと大学4年生の時もサラリーマンだし、そこから1年やってるから、
計3年か3年半ぐらいの結構がっつりした就業経験をした上でやってるところはありますね、起業してるところはあります。
スピーカー 1
でも当初の思い通り起業だと。
サラリーマンになれちゃうとなかなかこれまた思い切りが必要かもしれないけど、そこは迷いはなく起業できたんですか?
スピーカー 2
これもついてるなと思うけど、なんか予感はあるかも日本の新卒の給料低すぎないって話あるじゃないですか。
だから失うものないじゃないですか。
初期の起業と東大での経験
スピーカー 2
独り身だったし、別に給料そんなにいっぱいもらってなくてっていう風になると失うものがないから。
やるって言ったんだし、やった方がいいんじゃないかなっていうので、本当に当時は自腹で好きなガジェットとかも買いまくってたし、
マックもiPhoneもとりあえず試してみようっていうので買ってたんで。
倫理で承認とかいうのが苦手だったので、欲しいものは別に買うわと思って買ってたんで。
あとインドとシリコンバレーを差し越して旅行していくらくらい飛んだんだろう。
百数十万くらいだったんで、なんかあんまりお金はなくなってて、起業した時は。
スピーカー 1
あたこさんはそもそもそういうことを求めて東大に行ったわけではないんだろうけれども、結構東大行っちゃうと、せっかく東大行ったんだから官僚とか、せっかく東大行ったんだから大企業、有名企業とか、
そういう発想になる人多いと思うんですよ。
企業って言ってもいきなりめっちゃ儲かるならあれだけど、捨てるものはあんまりないってあたこさん言ったんだけど、
割と王道を生きてきた感覚からある人って、リスクを犯すことがちょっと怖いし、リスクっていうか、せっかく東大まで行ったんだったら、
世の中的にも認められやすいというか、わかりやすく認められやすい方向に行きたいなって思う人が多いかなって気がするんだけれども、
あたこさんは全くそういうことは、せっかく東大出たんだし、これを学歴利用してやりゃいいじゃんみたいな、だって企業家になっても、そんな学歴あんまり役に立たないじゃないですか。
役に立ったかもしれないけど、なんかそういうことは何も考えなかったです?
スピーカー 2
2個言った方がいいかなって思うことがあって、実際取った事実の報道があるんで、まず企業書立に東3の仕方って本読んだんですよ。
これ大事なことだと思っていて、最悪の場合どうなるのかって分かっていたら、余計な不安とか意味のわからない不安な気持ちに払えるってことはないんで、
無担保無保証の借金なのか、自分が個人保証を入れてする借金の違いがあって、会社を倒産させる時は手続きをすればいいんだ。
まあ最悪ここなんだなっていうことをまず理解したっていうのがあって。
だからリスクって、リスクリスク言うけど、どんなリスクを取ってて、どのぐらいの大きさのリスクを取っているのかをまず理解したっていうことですね。
だから気にしてますよね、リスクを。
2個目は東大ってところなんですけど、結論から言うと、行って起業した時にもめっちゃ役立ったと思ってて、
よく分からない赤い兄ちゃんが来る中で、東大ですって言うと、やっぱり一定信頼してもらえた当時は、
年を重ねるにつれてそこじゃないところで、仕事の事実ベースの成果をより見られるようになるってのも理解してますけど、
駆け出しの時だから良かったし、あとは正直僕が東大を使って官僚とかになってなくても、
友達がいるわけじゃないですか。東大も今もMBA来てるの、友達作りに来てるから、
友達が優秀でみんないっぱい頑張ってたら、自分が別にそこにいなくてもいいやっていう感覚があるんですよね。
スピーカー 1
なるほどね。それは確かにね。東大で得たものって、あたこさんにとっては人脈みたいなところが大きいんですか?
スピーカー 2
人脈って言うと、ちょっと理のために付き合ってる感じで、僕らは友達なんですよ。
絶対良かったあいつみたいな感じで、なんか偉くなってんだなみたいな。
スピーカー 1
なるほどね。
友達だったりコミュニティだったりみたいな、企業っていうところに目を向けるきっかけになったのも大学での出会いといえばそうなんで、
スピーカー 2
そういう刺激を得るっていうところでは、もしね、あのまま奈々ちゃんと仲良い場長崎でいたかもしれないですね。
奈々ちゃんにも感謝ですよ。みんなに感謝なんですよ。基本的に。
スピーカー 1
本当ですね。なるほど。そっか。で、じゃあ起業するぞと。
起業からプログラミング教育への転換
スピーカー 1
で、コデアルを10年経営してたわけですけど、そのコデアルの事業って最初からああいうマッチングプラットフォームですか?
スピーカー 2
いや全くそんなことやってなくて、なんか24年やりますって言っちゃってるから、やっぱり計画とか甘いし、
初めての社長業って感じだったんで、最初はなんかプログラミングを教えるっていうことをやったんですよ。
1ヶ月でやめたんですけど。
スピーカー 1
早い。1ヶ月で。見切りが早い。
スピーカー 2
見切りが早かったんですけど、なんかウェブフォーム作って、プログラム1時間4000で教えますとかっていうページを確か作ったんですよね。
もうそういうことも、なんか簡単なプログラムぐらい書けるようになってたから、その時点では。
なんでサイト作って、そしたらなんか5人ぐらい問い合わせ来たんで、その人たちにまあ教えてみようみたいな感じで起業するみたいな。
スピーカー 1
アタゴさん自身が教える?
スピーカー 2
僕教えてたんですよ。プログラム僕教えてて、日経のよくわかんないこのランガス記事にもちょっとしてもらったことがあって、そのプログラムを教えるっていうので。
スピーカー 1
3ヶ月で、なんか腕込みでやったプログラミングの知識でもう1人教える。まあでもコツをね、知ってるから。
スピーカー 2
教えるっていうのをやったんですけど、5人問い合わせ来てたから、甘いから5人やってくれるのかなと思うんじゃないですか。
でも返信返ってこなくて、結局教えることができたのは1人だったんですよね。
1人だけ最初は。その1人がたまたまITの企業の、IT企業をやってる社長だったんですよ。
スピーカー 1
これまた。
スピーカー 2
それが、その社長の家に行って教えてたんですよ。
上がって、こんにちはとか言いながら。
その社長に教えて1時間4,000円くんもらいながら、でもこれ飯食えねえしさすがに。
当時まだ肝だったんで、今の妻が、当時は彼女だったんですけど、さすがに1時間4,000円で、週10時間教えたとしても4万円とかなんで、きついんで。
家賃も払えないってことで、彼女だった妻が家賃を払ってくれてたんですけど、
なんとかそれで教えてたんですけど、でもそこで気づいたことがあって、なんでプログラムをやりたいんですかってその社長に聞いたんですよ。
その社長の家で。そしたら、あたこさんってプログラマーも採用したいんだよ。
ただプログラマーの人が喋る言葉がわからないし、プログラムって何なのかわからないといい人が採用できると思えなかったんで、
プログラムをちょっと書いてみたいと思って、あたこさんの募集ページを見て応募したんだよって言われて、
じゃあ本当の課題はエンジニア連れてくればいいんだなって気づいて、エンジニアの採用を支援するような事業にだんだんシフトしていったっていう感じになるんです。
スピーカー 1
うーん、なるほどね。それは1ヶ月でも完全にシフトチェンジ。
どうせ1人しかいないからね。
スピーカー 2
1人まだまたないし、それを他の周りにいる人にも聞いたら、プログラムを自分でわざわざ書く放題にはいかないけど、エンジニアを欲しいって言ってる人がいたんで。
スピーカー 1
最初、そうは言ってもエンジニアを集めたりしなきゃいけないし、どんな感じだったんですか、立ち上がりって。
スピーカー 2
そこは実は、もともとこれもあるあるだと思うんですけど、大体学生企業があるあるで、教育系サービス、インターンサービスでやりがち問題っていうのがあると思ってて、
僕も例外なくインターンの募集ができるサイトを自分で作ったんですよ。
サイトぐらい作れるようになったから、もう当時。
だからインターン募集ができるサイトで、しかもプログラムが書けるみたいな学生に特化したインターンサイトを作ったんですよ。
スピーカー 1
バイトみたいな感じね。
スピーカー 2
そうです。時給いくらみたいな形で。
一応作ったんで売ろうと思って、プログラムを教えた人にも当然掲載してもらったし、教えたから載せてくれますよねみたいな。
っていうことをやりながら、ただインターンをやりたい学生を集めなきゃいけないじゃないですか。
なんでそれは、やっぱりこれまでやってきたことっていうのが生きていて、
その学生時代からITの企業で一応バイトをしていたから、
そこにいた、同じ会社にいたインターンしてたバイトの子とかいるじゃないですか。
そこの人たちに登録させて、その周りの人にも登録させてねって言って、地道に登録を集めてやっていったって感じですかね。
コデアルの売却への決断
スピーカー 1
私の記憶では、あたこさんの会社はどれくらいだろう。4、5年くらいにはもうちゃんとしっかり利益も出て、それなりに安定っていうか、会社としては。
あたこさんもちゃんとひもを卒業し、しっかりちゃんと社長も給票を取り、会社も利益を出し、コロナとかもあったけど、
わりと一定の規模になって、社員も採用して雇ってらっしゃったし、順調にやってたなと思うんですけど、
それでも10年やって、クラウドワークスに売却するっていう、ここの決断。
これは私はある程度経緯は知ってるんですけど、実はクラウドワークスはあたこさんに2回コンタクトしてるっていうか、
これ私がM&Aを担当する前に、別の担当者があたこさんの会社に、エンジニアのマッチングするようなサイトなんで、
クラウドワークスって結構事業的な親和性があるんで、それで私が担当する前の担当者があたこさんに1回連絡をしてるんですよね。
買収先を探す中で候補として上がって、その時はあたこさんは全く動きがないって言ったっていう。
まだ自分でやりたいんでって言って、ダメだったってことになってたんですよね。
そしたら私はそこから引き継いで、どうしようというので、リストがいっぱい、過去にコンタクトした会社リストみたいなのとかもあったんだけど、
そこでその前に担当してた人が、違うか、あたこさんから連絡したんでしたっけ?
スピーカー 2
より正確に言うと、その1回目の連絡を前の担当の方、クラウドワークスにいた前の担当の方が僕にしてきた時は、僕はその連絡に当時気づいていなかったです。
スピーカー 1
気づいてなかったんだ。
スピーカー 2
気づいてないんですよ。無視したわけじゃなくて、どういう理由かっていうと、社内でどうなったかわからないけど、
フェイスブックのメッセージが来てたんですよ。ただ、迷惑メッセージが入ってたんじゃないか知らないけど、
入ってるから気づかなかったっていう状態だったんですけど、
スピーカー 1
スルーされちゃったってことと、
スピーカー 2
ただ、これ簡単に要点だけしゃべると、M&Aをするって決めてから、いろんな会社さんにご縁がないかなってアンテナを張り始めたので、
とりあえず連絡先全部見て、迷惑メッセージまで見てみたら、そこにあったんです。迷惑メッセージ入ってるクラウドワークスの前に連絡してるやつが。
だから連絡したんです。
スピーカー 1
なるほど、そういうことなんだ。
なるほど、その前にでも渡辺さん的には売却をしようっていうことは決めたってことだと思うんですけど、
それは何がきっかけだったんですか?どうしてそうしようと思ったんですか?
スピーカー 2
そうですね、一応人生年表じゃないけど、何歳で何したい?
バケットリストってやつがあって、何歳で何やりたい?みたいなことを書いてっていうことを僕はやってるんですけど、
その中にアメリカっての入ってたんですよ。このぐらいの年齢で。僕の計画では32でっていうふうに書いてあったんですけど、
結局いけたのは、僕は35か。3年ビハインドになっちゃってますけど、あったんで。
っていうのがやっぱりどうしてもあるんで、やっぱりやりたいと思ってることやらない。
企業もそうですけど、っていうのは嫌だったんで、このままこの事業をずっとやり続けていて、確かに利益は出てるし、ちゃんと会社っぽくなってるし、
役員給料も取れるけど、あ、これかなわなくね?って思って延長線上で見たときに。
なので、一回会社をしっかりした素晴らしいところに売却をして、行こうっていうふうに思ったっていうのがあって、
M&Aを決めたっていう。で、その上で今まで話してきたような行動を取ったっていう感じですか。
スピーカー 3
そのバケットリスト面白いなと思う。しかも年齢がちゃんとあるのが面白いなと思うんですけど、24歳で企業をする。
32歳でアメリカとか結構具体的じゃないですか。
その32歳でアメリカっていうのはなぜそれが新たなことになったんですか?
スピーカー 2
ありがとうございます。グッドクエストだと思っていて、ありがとうございます。
僕は結局さっきも東大事件の回答を見て理解して数学できるようになればいいじゃんって考え方が原点にあるんで、
僕は結構ソニーの森田明雄さんっていう社長の人生年表をオマージュしてるというか、
森田さん24歳の時にソニーの創業したんだとか、32歳で初めてアメリカ行ったんだ、だから32歳だとか、
今の32歳と当時の32歳、森田明雄さんも1998年から亡くなられてるんで違いますけど、参考にはなるじゃないですか。
それでデザインしてるって感じですかね。
アメリカでの準備
スピーカー 3
面白い。森田さんって人生デザインなんですね。その年齢のキーの。
スピーカー 2
森田さん以外も今の時代に生きてる経営者から、吉田さんに買ってくれた会社の吉田さん社長もそうだし、
他の人からも集めながら、ただやっぱりなんかこの人の人生いいなみたいなのをちょっと参考にしながらやる。
だからゼロから32歳っていうのが急に湧いてきてとかは絶対ないんです。
スピーカー 1
渡辺さんじゃあこの先もそれに従うと何歳で何ってあるってことですよね。
スピーカー 2
アメリカで会社作んなきゃっていうのに、卒業後する企業でいろいろ準備してたりとかもちろんしますし、
来ただけで終わっちゃったら夢途絶えちゃうんで、なんかいろいろこう書き出してますよ。
スピーカー 1
じゃあその自分の計画の中でも32歳でアメリカだからもう逆算したら今もうグジットしなきゃみたいな。
スピーカー 2
3年遅れちゃってるし、こんなに挑戦状にないんだったら何かアクション取らないと変わらないから、
分かんないとか決まるのかなとか言ってもしょうがないから、やるって決めてから決めて、
チームを組画して弁護士の先生、会計士の先生、整理周りの人にだけ伝えてやるってやらないといけないんですよね。
スピーカー 1
なるほどね、そうか。売却をして、でも1年、一応これはクラウドワークスの約束で、
クラウドワークスでの経験
スピーカー 1
社長だったんでね、その事業もあたこさんご自身がやってた部分も大きいから、それを全部ちゃんと遺憾してもらうというか、
引き継ぎをするっていうことを目的として、最低1年間はクラウドワークスのグループで社長を続けてくださいねっていうことでやってたと。
ただもうアメリカにその後行きたいんだっていうのは途中からあたこさん言ってたんで、もうお尻は決まってたんだけど、
1年でもクラウドワークスで上場企業の下でね、やるっていうのってどうでした?
スピーカー 2
いやとても学びが大きかったし感謝していて、最終意思決定していただいた吉田さんにもそうだし、吉田さん以外のまたないさんも当時中にいらっしゃったし、
成田さんも一緒に仕事させていただいた。それ以外にもいっぱいお世話になった人がいるので、本当に心から思っていて。
何が良かったかっていうのを言葉にすると、やっぱり経営というものにおいては結構、我流でやってたところがいっぱいあったなって。
成果が出る、再現性がある形で利益が出るって形容するときに、何を見てどういうふうにやらなきゃいけないのかなっていうのを相当圧縮して教えていただけた1年間だったと思っているので、
実際数字の改善もされているし、事実ベースの解釈だけではなくて、このしゃべり方もクラウドワークスっぽい。
スピーカー 1
そう、このしゃべり方がクラウドワークス流なんですよ。
事実と解釈を分けて話をするとか、あるんですよね。目標実績達成率差分とかね。
スピーカー 2
そういうものが修行できたので、約束でいてくださいって言われてなかったとしても、いたら意味のあった1年間だなとやっぱり本当に思えるので、良かったなと。
そこでやらずにアメリカ行っちゃうっていうのはもったいないなと思うので、もったいなかったなって逆に思うので、本当にそういう感じでしたね。
スピーカー 1
なるほどね。確かに自分で起業するっていうのを目標にしてやってきたけど、でも確かにいろんなベストケースをパクってマスターするっていうやり方をしているあたこさんからすると、
10年自分で全部決めて自分でやるっていう、そこそこはいけたけど、学びがないとか刺激がないっていう、それもおっしゃってましたよね。
やっぱり一人でやってると、このままじゃ中小企業の親父になっちゃうみたいな、そういう感覚があるから、やっぱりもっとチャレンジしたいっていう気持ちがあるって言ってましたよね。
スピーカー 2
あと、よくも悪くもやっぱり、ちゃんと儲かるようにしていかないと、いい人も入ってこれないし、やっぱりそこのところを痛感した感じでしたね。
いろいろと何が自分に欠けていて、できていないのかっていう。
1年ではまだ身につけきれてないことがいっぱいあるのもわかった上で、1年でもすごくそこがわかったっていうのがあるので、改善したいところですね。
次に事業に関わらせていただくっていう時は何をやるにしても。
スピーカー 1
なるほどね。
でもアメリカ行くって決めて、実際に19月で辞めて、その翌年の夏というかからアメリカに行ったわけじゃないですか。
スピーカー 2
はい。
スピーカー 1
だから実質1年もなかったわけですけど、アメリカに行くまで。
英語、あたこさんスタートライン英語全然できないみたいなところから結構勉強を始めたっていう記憶があるんですけど。
スピーカー 2
ちゃんとSNSにもさらしてて。
そうですよね。
60人ぐらいでみたいな、ちゃんとさらしてるんで。東大英語を突破するぐらいは受験英語はやったんだよねって全然正直あるものの。
そうです。聞いたり話したり全然ダメでしたよ。
スピーカー 1
そうですよね。だからNBAって言ったらね、当然。
スピーカー 2
全然いるじゃん。全部受験語です。
スピーカー 1
またあたこさんに新たな目標と。
スピーカー 2
楽しくなってきますよね。
スピーカー 1
新たな攻略すべきものが出てきた。
スピーカー 3
またね、インストールが。
スピーカー 1
そうそう。
スピーカー 3
次のインストールが始まってる感じ。
スピーカー 1
そうなんですよ。ちょっとね、アメリカに行くまでの話と、それと並行して寿司ですよ。寿司。
寿司を始めたかみたいな話をちょっと次回したいなというふうに思います。
スピーカー 3
お願いします。
スピーカー 2
お願いします。
39:01

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