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スピーカー 2
ダイアログカフェ。筋書きのない対話から新しいアイディアと自分自身に出会う場所。この番組は様々なテーマで楽しみながらお届けします。
大澤あつみさんをお迎えしての2本目です。
トヨタで13年頑張ってきて、でも何かに気づいてしまったというか、目覚めてしまって、自分が何をやりたいのかというのが、
これまでは人に期待されるというか他人軸みたいなことで、それに合わせて頑張ってパフォーマンスを出すということをむしろ心地良いと思っていたのに、
自分がやりたいことに気づいちゃったみたいなところから、トヨタを辞めて、フリーランスになるぞって決めたわけですよね。
スピーカー 1
そうなんですけど、結局辞めた時には何をするか決めていなかった。
スピーカー 2
転職活動とかも?
スピーカー 1
何もしていなくて、辞めることしか決めていなかった。
スピーカー 2
それは多分すごく聞かれると思うんですけど、不安だったりとか怖かったりとかそういうのなかったですか?
スピーカー 1
めちゃくちゃありましたし、辞める前にすごいそれがあって、本当に辞めていいのだろうか、この安定を手放したら死んじゃうんじゃないか。
スピーカー 2
思うよね。副業とかも何もしてなかった?
スピーカー 1
全く何もしないで。仕事の当てとかも本当になくて。
自分への言い訳というか安心材料としては、一回辞めたら失業手当がもらえると。
しばらくは3、4ヶ月くらいはそれで生きてはいけない。ギリギリっていうか、貯金がないわけでもないし、
あるって言ってもそんなない。具体なずっと生き続けられるとかじゃないんですけど、当面は死にはしないだろうっていうのと、
あとこの13年会社員生活で頑張ってきたから、頑張りすぎて仕事しかしてなかったから、
一回自分の夏休みみたいな、人生の夏休みを取ろう、休もうみたいな。
せめて1年はもう何もしないで入れるようにっていう、自分への言い訳。
言い訳しないと自分のこと納得できないから。大丈夫?みたいな。
自分の中でもあるわけですよね。本当に大丈夫?会社辞めて、生きていけるの?仕事どうすんの?っていうのは、
みんなが思うのと同じことを自分でも思うわけなんで。
なんですけどさっきの失業手当が最悪あるみたいなこととかで、ダメだったらまた会社に戻ればいいみたいな。
多少の空白があるかもしれないけど、さすがにトヨタで13年働いてたらどっかは雇ってくれるだろうって思ってたんで、
最悪はなんとかなるっていう算段は一応つけて飛び出ったみたいな。
ただフリーランスっていうのもイメージが全然具体的に尽きてなかったんで、
なんとなくそれもいいなと思っていたが、自分がフリーランスになるとは確信は持っててなくて、
そういう転職も考えたんですけど、考えたって言っても、また違う会社に入って一から人格を作るんだったら、
だったら今の会社辞めない方がいいじゃんっていう風になるし、日経の会社に行くんだったらそんなどうせ変わらないだろうなとしたら、
絶対心地のいいし働き心地もいい、トヨタは我々の方がいいじゃんとかいうのは全然ありましたけど、
結局自分は安定を一回手放してみるっていうのをやるっていうので、
本当泣く泣くっていうか怖くてしょうがなかったんですけど、
考えすぎてて3ヶ月ぐらい経っちゃったんですよ。
スピーカー 1
まあでもなるんだろうなって感じですかね。
実際どうなるのか。
会社員にはせっかくここまで思い切って辞めたから、
そんなすぐには褒めりたくないなって思ったんですけど。
なるほどね。
スピーカー 2
すごい。
あと何とかなるかなっていうのと、
あと一旦悪くないから、今いる現状が。
言おうと思ったら本当に言えちゃうから、
一旦態度立たないと決められない、動けないみたいな感覚が私もあった気がする。
洋子ちゃんもノープランでやったって。
ノープランでやめて、でも何とかなるかなっていうのと、
やめないと動かない感じがしたんだよね。
スピーカー 1
だから一旦レールを強制的に通行止めにしてみようみたいな。
その結果、私がずっと一本しかないと思ってたところから降りたら、
真っ逆さまに落ちるっていうイメージしかなかったんですけど、
全然落ちるでもなんでもなくて、ただただ横にいろんな線路が複数広がってたってだけで、
次どこに行くかっていうのが無数にあるやつを私は見れてなかったし、
見れたとしてもたぶん乗り換えてはなかったと思うんですけど、
落ちてなくて隣にただただ違うレールがあったみたいな。
スピーカー 2
なるほどね。
スピーカー 1
っていうのがやめたときの感想で、
やめた人がみんな何とかなるよとか言うけど、絶対嘘だろって思ってる。
だけどやめて1年経ったら何とかなるよって自分が言ってるっていうのは、
これもやめないとわかんないんだろうって思った。
スピーカー 2
例えばその時に、私コーチングとかメンターとかもするんだけど、
不安がありながらもやもやっとしてる人に、
1回自分のスキルの棚下ろしっていうかタグ付けみたいな、
資産を名分化するっていうか、みたいなことを結構お勧めしたりもするんだけれども、
そういうことをしたりはしたの。
13年一生懸命やってきたから大丈夫だろうっていう、
大丈夫の回像をあげるっていうか。
スピーカー 1
その時はそんなにしてなかったと思います。
今の方が勉強会とかでやったりしてるけど、
その時はやってないけども、たぶん漠然と13年働き切った。
というかとしたら13年ってまだまだ、
私何も成し遂げてないぐらいの年代だったと思うんですけど、
13年同じ部門にずっといたっていう、何にもなってないわけではない。
会社員になったらどっか勤まるだろう、みたいなのはあったと思いますね。
スピーカー 2
最後困ればまた就職すればいいんだし、みたいな感じでね。
スピーカー 1
それは本当そのぐらいの回像です。
今は何も考えてないので、それよりも旅がしたいみたいな。
スピーカー 2
もともと旅はしてたんですか?
スピーカー 1
コロナ前ぐらいに海外欲が出てきたのも、
それこそ自分の本音と向き合ってた時に新しいとこ行ってみるとか、
知らないところに行くみたいなのやってみるっていうので、
スピーカー 2
コロナのちょうど前に月一で海外行くっていうのを会社員でやってて。
スピーカー 1
プライベートで?
その時ぐらいから海外へのハードルが下がっていって、
土日と金曜日、月曜日に一日挟んだりとか、
たまに二日とか三日とかくっつけたりするやつなんですけど、
言うて当時お金は一応あったし、
お金は使っていいから自分の中で、この一年はお金は使っていいから、
とにかくいろんな体験をしようみたいなのをやって、
月一で海外行くっていうことをやって、弾丸で行ったりとかした時に、
行かないより弾丸だけでも行った方が絶対いいっていうのが、
自分の体験としてはあったから、
割と体験価値を大事にするというか、経験したいタイプなんだなって思って。
海外はやっぱり行くと非日常というか、
分かりやすく何者でもない自分になれるっていうのが、
私にとっては当時心地よかったんですよ。
仕事頑張らなきゃいけない、こうあらねばならない、
そういうのから解放される、自分にとってのリフレッシュだったんですけど、
それはそれで好きだったんで、
コロナでちょうど行けなくなって、そろそろ行きたいなみたいな。
会社辞めて、とりあえず3ヶ月フラフラと、
あっち先を本当に1、2カ所だけ決めて、
もうその日ホテル通るとか、次の日の飛行機その日に通るとか、
そういうのをやって過ごしてて、
ノマドニアに1ヶ月だけ行って、
スピーカー 2
学生自体はそういうのやってなかった?
スピーカー 1
学生でお金なかったし、海外には全然行ってなかったし、
留学とかもできるならしたかったな、みたいな感じなんですよ。
それも結局、いろんな手段を考えたら、
今思うと、奨学金頑張るとか、誰かにクラファンしてもらうとか、
やれば、本当にやりたかったらできたかもしれないけど、
当時の子供の脳だと、そこまで考えられなかったりとか、
お金がないから行けないんだ、みたいなのがわかりやすくなっちゃう。
スピーカー 2
だから、そういう悔しい思いみたいなのがあるから、
スピーカー 1
なおさら今は、お金がなくてできないとかじゃなくて、
知ってる知ってないの差だったりするわけじゃないですか。
お金がなくても奨学金のことを知っていたらとか、
頼れる大人を知っていたらとか、
本当に知ってる知らないの差が生む格差みたいなところが、
自分にとっては人生のテーマ的に持ってて、
会社員しか知らないこともあるし、フリーランスか知らないこともあるし、
やっぱり架け橋として両方知ってる人だったりとか、
それがコミュニティ的にみんながつながっていれば、