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2025-05-24 34:19

#90-3 母親譲りの直感派!宝塚に入団した娘とステージママの日々【いつものカフェでまちあわせ ゲスト:キャリアメンター 四方結花さん】

▼番組のnote:
Dialogue cafe | note

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▼内容:
おしゃべりって楽しい/今日の服も習い事も学校も、全部自分で決める一人娘/ザッツ・エンタテインメント!宝塚歌劇の魅力/「ママ、私はこの舞台に立つことにした」/競争率20倍!超難関音楽学校受験/運命が導く世界/タカラジェンヌを影で支える日々/千秋楽の夜/写真家になりたい/インスピレーションでベルリンへ移住/親の想像の外/勝手をやってきた自分が子どもの人生に何も言えない/どんな人生でも自分で決めれば後悔がない/信じることが親の力

▼出演:
ゲスト
四方結花さん(株式会社conconcom代表取締役、Treffpunkt KOBE カフェオーナー、キャリアメンター)
@treffpunkt_kobe(カフェのInstagram)

MC
田中優子(元クラウドワークス取締役、ビジネスアドバイザー、社外取締役、1児の母)
岡澤陽子(ブランドコンサルタント、戦略リサーチャー、ビジネスメンター、2児の母)


▼関連エピソード:
#21-1 東大卒、元劇団四季、そしてゲイ!薫ちゃんが薫ちゃんを認めるまで
#22-1 バイオリンの街クレモナのリサさん
#24-1 夢のワーホリ移住!ベルリンで展開するキャリアとライフ
#46-3 探究心がすべての礎!元物理学者志望のファッションディレクター
#85-1 「お手本」に向けて走ってきた。その花はまだ咲き場所を知らない

サマリー

このエピソードでは、四方結花さんが娘の教育についてお話しされており、直感派の母親としての育児方針や宝塚への思いを共有されています。また、娘さんの自主性やバレエ、絵画に対する情熱についても触れられています。母親譲りの直感を活かし、宝塚音楽学校への入団を目指す娘さんとその母親の日々が描かれており、競争率の高い受験を経て、母親はサポートしながら娘さんの成長を見守っています。このエピソードでは、母親譲りの直感を持つ親が、娘さんが宝塚に入団する過程を見守る日々について語られ、親の心配やサポートとともに、子供が自由に選択することの重要性も強調されています。

母娘の楽しい会話
スピーカー 2
ダイアログカフェ。筋書きのない対話から新しいアイディアと自分自身に出会う場所。
この番組は様々なテーマで楽しみながらお届けします。
では四方結花さんをお迎えしての第3回です。
はい。楽しいね。
ねえ。
スピーカー 1
うん、楽しい。
スピーカー 2
お喋り楽しいですね。
スピーカー 1
楽しいです。
スピーカー 2
ねえ。
なんか喋っていれば生きていける感じしますよね。
スピーカー 1
ほんと、ほんと。
スピーカー 2
ねえ。
ほんとに。
死ぬまで喋ってるね、きっとね。
うん、そうなの。
スピーカー 1
そうよ。体動かなくても口は動くよね。
口が動く、ほんと。
スピーカー 2
ほんとに口動いてますよね。
スピーカー 1
動きます、動きます。
スピーカー 2
いやー、そんな素敵な結花さんですけれども、娘さんがお一人いらっしゃって、今はベルリンに。
今はね、ベルリンに9年ぐらいいたんだけど、去年の末に日本に帰ってきて、今は長野県の松本にいます。
松本。あれ、全然また関係ない場所に。
スピーカー 1
関係はね、あるの。
娘の夫の実家が長野県。
スピーカー 2
長野県だから。
スピーカー 1
そこの近くなんですね。
スピーカー 2
そうなんですね。娘さんは生まれて、そろそろ一歩目の悲しみまで戻ればならんで、
おばあちゃんとおじいちゃんに育ててもらい。
娘の自主性と受験
スピーカー 2
4歳までは育ててもらい。
スピーカー 1
で、神戸に移ってきて、4歳の時にこんな生活は嫌だと言って、
私が会社を辞め、幼稚園に行き、そのまま地元の小学校に行き、
自分で中学受験をするわって。
スピーカー 2
塾も探してきて。
スピーカー 1
5年ぐらいの時に私が戻り、だから受験なんて何も私してないんですよ。
じゃあ娘さんが。
勝手に塾行って勉強して受験した。
スピーカー 2
志望校とかも自分で。
そうです。
ここ行きたいって言って。
なんで中学受験したいって言ったんですか、そもそも。
スピーカー 1
なんでだろう。男子が嫌いとか言ってた。
スピーカー 2
男子が嫌い。
その時の公立小学校の。女子校に行きたかったんですか。
スピーカー 1
女子校に行きたくて。
スピーカー 2
でもどうですか。神戸だと、もちろん私立に行く子もいると思うんですけど、
でも一般的な東京とかに比べると中学受験率って低いんですか。
スピーカー 1
低いのかな。
スピーカー 2
そこまで多くはない。それもあんまり知らないお母さん。
私、あんまり知らないお母さんで。
スピーカー 1
当時だからね。
何か行きたいって言って。
スピーカー 2
神戸ってあんまり教学なくって。
スピーカー 1
女子校か男子校でね。
一番女の子の神戸女学院。
スピーカー 2
うちの子は神戸、改正女子学院って言ったんだけど。
スピーカー 1
あとは何かいくつかあるのね、その辺にね。
どこ行きたいのかなと思って。
いくつか行くじゃん、学校の見学。
行って、自分で決めたみたい。
改正っていうのはちょっとこじんまりしていて、
カトリックなんだけど、校舎がちょっとフランスチックなの。
フランス語も取れるみたいな。
神戸女学院ってもうちょっとアメリカンな感じ。
すごい綺麗なところなんだけど、なんとなくね。
こっちでもあれなんだけど、
スピーカー 2
私はこっちの方がしっくり来るって言って、こっち行った。
すごい自立してる。
ね。
手向さん、学校見学とかは一緒に行ったんですかね、さすがに。
スピーカー 1
一緒に行った、一緒に行った。
でも四国校は自分で選んだね。
スピーカー 2
塾も選んで。
スピーカー 1
塾もだいたい自分で選んで。
スピーカー 2
でも自分で勉強して、自分で受験して。
スピーカー 1
家ではあんまり勉強してなかった。
塾で正確にして。
スピーカー 2
結構勉強してる気配ありました?
スピーカー 1
いやー、私も働いてたからね。
分かんない。
スピーカー 2
母親としてはどっちでもいいわみたいな。
スピーカー 1
行きたいって。
だって中学だから、別に地元の中学もあるし。
スピーカー 2
だから別にプレッシャーをかけるところは全くなく。
スピーカー 1
全くない、全くないし。
自分で勉強するって言ってやってるわけだから、
私はお弁当を作るぐらい。
だから塾に持って行くお弁当を、
会社近いからちょっと帰ってきて、
夕方にパパッと作って置いておくと、
それを持って行くみたいな。
スピーカー 2
その娘さんのはっきりした意思みたいなのは、
スピーカー 1
もっとちっちゃい子だから。
ちっちゃいとかあったんじゃないかな。
よく分かんないけど。
本当に、なんていうのかな。
例えば、お洋服を買いに行って、
すんごいかわいいピンクのこんなのがあって、
かわいいじゃんって言って買おうとしたら、
ジダンド踏んで床に寝転がって嫌がるんですよ。
こんなの着たくないんだって言って。
いうぐらい好みがはっきりしてたから。
だからちっちゃい時も、
お洋服着る時に朝起きてね、
みんなお母さんが今日はこれねって、
用意すると思うんだけど、
私は自分で決める。
スピーカー 2
そう、かなりもう保育園時代から。
スピーカー 1
もう幼稚園。
だから柄に柄みたいな。
でもなんかこう、
これ着なさいとかってあんまり言ったことなくって。
だからお買い物も自分でどれがいいのって
選ばせないとお金の無駄になるから。
うちの娘もそう。
そうでしょ。
スピーカー 2
絶対着ない。
スピーカー 1
着ない。
かわいいと思って、
良かると思って買ったのに着ないっていうのがあるから。
気に入ったのを買わないともったいないから。
スピーカー 2
そんな感じ。
スピーカー 1
だから全部自分で、
割とはっきりはしてたかな。
好き嫌いとかやりたいやりたくないっていうのが。
それは、
スピーカー 2
家族とかの会話とかそういう環境の中から
培ったものを持って生まれた性質。
スピーカー 1
持って生まれたのもあると思うけど、
私たちがあんまりある程度、
ある意味のほったらかしてたんやけど、
自主性尊重?
え?
スピーカー 2
自主性尊重。
スピーカー 1
尊重してたから、ある意味。
私ね、
自分がさ、
ずっと戻るけど、
勝手に自己報告って言ってたでしょ?
大学行かないって決めたのも、
結婚するってアメリカ行っちゃうって言ったのも、
全部自己報告で、
それをさ、
全部してくださってきたわけで。
容認してくれたわけですよ。
だから子供にね、
言えないの。
こうしろああしろって。
そうして自分が大きくなってきたのに、
自分だけ子供にこうしたらああしたらって、
言えないなっていうのがずっとあって、
だから同じようにしようと思って、
やってきたっていうのもあるし、
で、もともとそういう、
はっきりしてたっていうのもあったかもしれない。
スピーカー 2
母親として娘に勧めたものとか、
これやったらとか、
例えば習い事とか。
スピーカー 1
でも一番ちっちゃいとき、
幼稚園入ったときは、
やっと習い事ができるわけよね。
私も暇になったから。
だからいくつか選択肢を与えて、
みんなはスイミングとか行くのよね。
でも絶対嫌だって言って、
みんなピアノも習うんだよね。
やってたくないって言って。
で、唯一あの子が選んだのがバレエと絵だったの。
でもそれが今思えば関係してるの。
スピーカー 2
確かに。
スピーカー 1
本当に。
今写真家もやってるし、
その舞台に出てたっていうのもあるけど、
なんかやっぱりあるんだなと。
三つ子の魂じゃないんだけど。
本当ですね。
それはずっと続いてて、
今も松本に戻ってきて、
みんなバレエを習ってるんだって。
だから好きっていう意味では、
だーっと続けられることなんだよね。
で、絵を描いたりっていうのも、
今の創作活動にもつながってるから、
好きなものってあるから、
それを自分で選ばせて、
だからみんなと同じのいかなくていいから、
自分がやりたいなと思うのだけやったらいいよ、
っていうスタンスだったから、私も。
スピーカー 2
そしたらその二つしかなかった。
バレエと絵は、
宝塚への道
スピーカー 2
塾に行ったりしてる期間もずっと続けてたんですか?
スピーカー 1
絵の方は宝塚に行くって決めて、
宝塚も受験スクールみたいなのがあるんでね、
そっちに行くって決めたんですよ、彼女がね。
なので忙しくなるから、絵は待ってくれるから
そこでやめるって言って一旦やめた。
でもバレエは宝塚は関係しますもんね。
関係あるから、やってたかな?やってたかな?
スピーカー 2
もうやってたかどうか忘れてたけど。
宝塚は、神戸だと、
ちょっと放課後に行けるっていう距離だとは思いますけど、
宝塚は、ゆかさんも好きだったんですか?
スピーカー 1
私は本当に幼少期、3歳4歳の頃に、
母の実家が大阪だった。
その時は東京にいてた。
実家に帰るたびに、おじいちゃんが
3つか4つの私を連れて行ってたんだって。
それがなんとなく覚えてる。
赤い絨毯に金色の。
そんなの覚えてて、その頃は
かっこいいなと思ったスターさんもいたりして、
東京に帰って、宝塚がねって言っても、
みんな何それ?みたいな。
でもそこから、私宝塚に住んでた時もあるんだけど、
全く行かなかった。40年間。
スピーカー 2
娘さん連れて行ったりとかもなかった?
なかった。
でも、私子供の頃関西に住んでて、
テレビでやってましたよね。
私それも見てなかった。
スピーカー 1
ベルバラも見てないもん。
スピーカー 2
本当ですか?
一回見たことないの宝塚。
スピーカー 1
リアルで?
リアル見たことないの。
スピーカー 2
いいよ。
スピーカー 1
いい?
スピーカー 2
いいよっていうかね、
割と最近、去年ぐらいに
人に誘ってもらって、
久々に、子供時代以来ぐらいで見たら、
これはエンターテイメントだなっていう。
スピーカー 1
私も40年ぶりぐらいにね、
まだ仕事してる時にね、
年始が東京始まりっていうのがあったのね。
撮影なんかでスタジオに行かなきゃいけなかったんだけど、
娘も冬休みだから、
その前にちょっとディズニーランドでも行って、
ママの仕事でも見に来るとか言いながら、
東京行ったの。
その時にバレーかボリスショーか来てたの。
撮ろうと思ったんだけど、撮れなくて、
ないなーと思ってたら、
あ、そういえばあって、
ふっとまたポンと来て、
東京にも宝塚劇場ってあったなと思って、
それがなんか撮れたの。
日比谷のところ?
ほう、日比谷のチケットが。
撮れたわけ。
それ行こうか。
もう40年ぶりだけどと思って行ったのが初めてで、
その時娘は中学2年ぐらいだったかな。
初めて見たのが。
その時の反応は、
あ、こういう世界もあるんだな、
でも私には関係ないわって感じだったのね。
で、あ、そうだよねって思って、
私は40年ぶり見て、
あ、なかなかいいじゃんと思って、
で、帰ってからその本拠地の方に、
1公演1回ぐらい見に行くようになった。
で、そのうちの3回に1回ぐらい一緒に行ったりとか、
するようになったっていう時に、
ある時に、なんかポコってハマった。
スピーカー 2
娘さんが。
スピーカー 1
行くかって。
スピーカー 2
行くかって。
娘さん中3?高1?高5?
スピーカー 1
中2。
スピーカー 2
あ、じゃあ最初に見てからそんなでも立ってないって。
スピーカー 1
立ってない立ってない。
でも私みたいにちょこちょこ行くようになったんじゃなくて、
たまに都合が合えば一緒に行くぐらいの感じだったのね。
だからそんなにさ、興味もないのかなと思ってたら、
ある日突然、割と前の方の席だったんだけど、
終わって、みんな帰るじゃない。
でも動かないんだよ。
で、帰ろうって言ったら、
前に銀鏡っていうのがあるよね。
あのエプロンステーキみたいなのがね。
まあ私はこの舞台に立つことにしたっていうから、
え、すげーって。
かっこいい。
で、今誰もいないから立てるよとか言って。
そういうことじゃなくて。
自分のあれで立つんだって。
宝塚音楽学校への道
スピーカー 1
え?って思って。
え?って思ったけど、そんな簡単に入るとこじゃないから。
ほっといたわけ。別に。
ほっといたら、自分でそういう事件スクールを探してきて、
あれって親と一緒に行かなきゃいけないんだよ、面接みたいな。
だから土曜日、まあ仕事してるから、
この土曜日とこの土曜日行ってほしいみたいな感じで。
で、ついて行って、3つぐらい行ったかな。
で、1つ目決めて、で行くようになった。
それ中学3年の時だよね。
で、あそこって中3卒業から高卒まで4回チャンスがあるんだよね。
人生のうちで。
で、私はでも中高一環だったから、
高校受験ないからまあいいかとか思いながら、
でも中学では、あ、高校行ってほしかったのちょっと。
だから中卒で受けるのは、ちょっと1年我慢してねって言ってたの。
そしたら周りの稽古してるみんな受ける受験モードなのに、
自分だけ受験できないっていうのはちょっとこう、
なんていうのかな、嫌だったのかもしれないけど、
先生から、絶対受からないと思うから受けさせてやってくれって言われて、
そうだ、絶対受からないですよ。
大丈夫、多分受かりませんみたいな。
で、まあ受けたの。
まあまあ、受からなかったんだけど、
それでどうするのかなと思ったら、
あと1年だけやるって言って、
あと1年やって、だめだったらもう、
大学受験に向けて勉強するからって言うから、
まあいいんじゃないと思う。
それで納得いけばと思って、
で、まあそこ続けて1年間。
で、高一が卒業した2回目のチャレンジで、
よかったです。びっくり。
スピーカー 2
あの、その宝塚向けの予備校ってどんなことするんですか?
スピーカー 1
もともと行ってらっしゃったおじいさんがされてた学校なんだけど、
もちろん歌とかバレエとか、日風とかもあったかな。
あと面接の練習とか、
全部受験に向けてのことを教えてくれる。
スピーカー 2
宝塚音楽学校って競争率ってどれくらいなんですか?
スピーカー 1
あの頃の時は、20倍くらいじゃないかな。
調味20倍だけど、
男役さんと娘役っていうのがあって、
うちの子はちっちゃいのね。
160ないぐらいだから、
まあどっちにしろ娘役なんだけど、
背の高い女の子ってそんなに受験生の中の半々じゃない。
スピーカー 2
だから娘役の方がどっちかというと競争率。
スピーカー 1
それでも高くなる。
うちの子ピアノもやってなかったでしょ。
スピーカー 2
受験科目はピアノもあるんですか?
スピーカー 1
ピアノはないんですけど、
面接とバレエと歌。
歌も交流文芸みたいなのをその場で渡されて歌うみたいな。
1年間で音符読めるようになったんですよ。
どれが出てくるかわからないんだけど、
これパッてやったら、
それをその場で歌わない。
音符の師匠といって歌わなきゃいけなかったりとか、
前でお姉さんたちがやるバレエを見て踊るみたいな。
スピーカー 2
先生方の前での面接だったと思う。
なんか独特じゃないですか。
結構発声の仕方とか。
あれは学校に行って、
実際音楽学校入ってから身につけるものもあるんでしょうけど、
たぶん受験する段階でも、
ある程度それっぽい子っていうか。
スピーカー 1
そうそう。
スピーカー 2
それっぽくなかった。
本当ですか。
でも姿勢がね、
音楽学校の子ってものすごく姿勢が良くて、
なんかもう佇まいが違う感じじゃないですか。
スピーカー 1
空気が違う。
スピーカー 2
まとってる空気が。
全然違いますよね。
スピーカー 1
どんだけ私たち穢れてるんだろう。
スピーカー 2
澄んでる。
スピーカー 1
厳しそう。厳しいですよね。
スピーカー 2
厳しかったよ。
スピーカー 1
寮に全員入るんですか。
寮にほとんど入るんですけど、
うちは近かったから、見かけだから、
通えるから、家から通ったのね。
それが寮外生って言うんだけど、
スピーカー 2
そういう子たちが5人くらいいたかな。
スピーカー 1
あとはみんないろんなところから来てるから、
みんな寮暮らし。
もちろん厳しいことはいっぱいあったけど、
やっぱりあの人数が舞台に出て、
お客さんに対して感動を与えるって、
ある意味のプロフェッショナルだし、
エンターテイメントの形だから、
普通の社会とはちょっと違うっていうのは分かるから、
スポーツでもしかり、歌舞伎とか、
そういうのでもあると思うんだよね。
そこの差事加減なのかなと思うけど、
やっぱりいろんな、なんでこんなことしなきゃいけないの
っていうことの中に必ず意味があった、私はそう思う。
入ってから、だからこういうことをやってたんだっていうのは
スピーカー 2
必ずあった。
スピーカー 1
やっぱり危険を防止するためだったりとか、
ファンの人を大切にするためだったりとか、
そのための練習を学校でやるっていうのが
スピーカー 2
あったんだなっていうのは、後から分かった。
宝塚音楽学校、受験は4回チャンスがあって、
15歳から何歳までいるんですか?
スピーカー 1
中学。
15歳から18歳?
18歳まで。
だから同じ時に、同じ期の人でも、
4つ違う子がいるわけ。
スピーカー 2
何年間なんですか?カリキュラムは。
2年。
4日と5日。
早い子は17歳で、劇団に入れる。
それも全員入れるわけじゃないんですか?
大体入る。
スピーカー 1
大体入れるけど。
スピーカー 2
そしたら、日本の高校卒業みたいなのはない?
スピーカー 1
ないですよ。
だからうちの子は高校1年で辞めたんやん。
そしたら中卒になるわけだけど、
でも宝塚でも、今時中卒ってあれだから、
通信制の高校と提携してくれてて、
学校が終わった後に勉強したり。
だから高校卒業の資格は持ってる。
あと希望者はね。
希望者はそれもできるっていうのはあった。
スピーカー 2
でも基本は学校で教えるのは、
スピーカー 1
芸語とだけなんですね。
勉強っぽいのは音楽の音楽史とか、
そういうのはあったかもしれないけど、
スピーカー 2
数学とかそういうのはあんまなかったんじゃない?
基本はお嬢さんの自主性に任せるっていうのが、
ポリシーでもあるから、
とはいえ、その世界行っちゃったら、
基本も高校も普通の高校を卒業するわけでもないし、
大学に行くってわけでもないし、
それなりに、しかも宝塚舞台立っても、
それで一生やっていける人って一部じゃないですか。
っていう中で、本人がやりたいならやりなさいみたいな感じですか。
迷いとか心配とか。
スピーカー 1
まず、そんな簡単に受からないっていうのがあったから。
受かっちゃったって。
どうしようみたいな。
でもそれってすごいことじゃないですか。
だからこの子は運命だなと思った。
運命で選ばれたんだなと思ったから、
もちろんすごく行きたくて頑張ってたわけだから、
それをやっぱりやめときなさいということは言えなかったし、
私も全然知らない世界だからチンポンカンポンだけど、
へーって二人こそ波に流されるような感じでいたかな。
でもそのおかげで、いろんな人とも、
だからお母さんたちとか、
全国ずつ裏々からみんな来てる、
同じような娘を持った人たちとの関係性とかもできたし、
それも今でもつながってるし、いろんな経験ができた。
ステージママっていうのもそんなに大したこともないんだけど、
ちょっとサポートはしなきゃいけないけど、
それも今まで全然自分と関係なかった世界で、
スピーカー 2
何かと関われるのが楽しいっていうのがあった。
スピーカー 1
知らない世界。
だからいろんな意味で、
スピーカー 2
そんな娘の将来とかあんまり考えてなかったね。
娘の成長と卒業
スピーカー 1
受かったら辞退しますってありえないんじゃないかなと思う状況だから、
スピーカー 2
みんな行くじゃん。
行きたくて受けてるからね。
2年間行って、入団テストじゃないけど、
スピーカー 1
入団テストみたいなのがある?
最後の学校のテストがあって、それがあったら歌劇団に入団するって感じ。
スピーカー 2
舞台に立たれて、どれくらいの期間現役でやってらっしゃったんですか?
5年。
18から?
スピーカー 1
18から22、23くらいでやってて、
私が会社辞めるのと同じくらいの時間で対談した。
だからめちゃくちゃ忙しかった。
スピーカー 2
劇団に入ってからもいろいろサポートが必要だったんですか?
スピーカー 1
大したサポートはしてないと思うんですけど、
家が近いというのもあるし、
最初は色々やることもいっぱいあって、
疲れて帰ってきたりとかして、
だから私、宝塚にいたんだけど、
家は神戸なんだけど、
車で40分、50分くらいかかるのかな。
どうせ帰ってくるの遅いから、
会社終わったら宝塚の家に行って、
ご飯作って待ってて、
帰ってきたらとりあえずお風呂入れて寝せるんだけど、
洗うものとかがあるわけよ。
下着だったりパフだったり。
それをやって、朝早く出て行くから送り出して、
新たな道を歩む
スピーカー 1
会社神戸まで行くみたいなことをやってたような気がするけど、
その時忙しすぎて忘れちゃってる。
どんだけ忙しかったか。
スピーカー 2
すごい。
でも娘さんも疲れますよね。
スピーカー 1
でも自分も好きなことをやってるわけだからね。
それはそれでいいんじゃない?
いいんじゃないかなと思う。
スピーカー 2
でも娘さんも大変だけど、
娘さんも仕事もまあまあハードなわけじゃないですか。
スピーカー 1
そうそう。
だからどうやってたのかが覚えてない。
もしだったらサボってたのかもしれない。
スピーカー 2
いやいやいや。
あんまり考えずに走ってたじゃないですか。
スピーカー 1
その日その日だね。
その日クリアを続けてきたって感じかな。
スピーカー 2
今日1日ね。
スピーカー 1
あんまり先のこと考えてないと思う。
スピーカー 2
22、23で卒業対談を決めるって結構早い方ですね。
早い早い。
スピーカー 1
かなり早いですよね。
同じ期では3、4名ぐらいだったから早い方。
スピーカー 2
それは何かきっかけというか。
スピーカー 1
よく分かんないけど、なんとなく分かったから。
東京が選手楽なんだよね。
宝塚で1回振り返って東京で1回振り返ったら
東京の選手とか見に行ったときに
舞台からこうやって見てたときに
何か感じたの。
スピーカー 2
さすが母。
スピーカー 1
それが終わってからご飯食べたのね。
スピーカー 2
ご飯食べたら何か思ってなかったって言ったら
スピーカー 1
分かった?
次で辞めようと思うって言うから
その時にお疲れさんでしたって。
それしか言えない。
頑張ってたの分かるし自分で決めて
いろいろ考えて決めたんだろうから
スピーカー 2
じゃあ最後まで頑張ろうねっていう感じだったかな。
何かご本人としては何か一区切り。
スピーカー 1
もう次の方にも気持ちが向いてたような感じ。
スピーカー 2
次もう何をやりたいがあったってことですか。
それは何をしたい。
スピーカー 1
それは写真をやりたい。
珍しいんだけどね。
スピーカー 2
何か普通大工学科辞めても芸能の方向に行く人が
スピーカー 1
そっちというよりも撮るっていうか
写真家になりたいみたいなのがあって
辞めてとりあえず専門学校みたいなのちょっと行って
ベーシックな勉強してそこからやり始めてて
しばらく東京とか行きながらやってたけど
海外に行きたいってなって
まずはイギリスに行って
半年くらい行ってたのかな
そっちの芸大みたいなところもちょっと行ったりとかして
帰ってきてしばらくやってたけどまた行きたいになって
結局ベルリンに行っちゃって
そこでフリーランスでベルリンに行っちゃって
9年間いた
スピーカー 2
それがね海外をいろいろ回ってる中で
いろんな都市に行って
ベルリンに行ったら私ここにいるって思ったんだって
母親の直感とサポート
スピーカー 1
すごく動物的な直感で動いてる部分もあるんだなって思うけど
なんとなくそれがふっと来たみたいで
全然知り合いもいないし
ドイツ語もできないし
英語もそこそこっていうのに行っちゃったんだ
それは
スピーカー 2
そもそもね写真やりたい
写真やりたいはわかるんですけど
でもやってないわけでしょそれまでは
スピーカー 1
全くゼロでしょ
スピーカー 2
っていうところでどっから始めるみたいなところで
いきなりまず海外だったんですか
スピーカー 1
日本でもやってた
スピーカー 2
でもやっぱり海外だった
イギリスでもそれも学校に行った
それも学校に行ってた
その後
スピーカー 1
ワーキングホリデーってあるじゃん
あれでロンドンだかな
イギリスに行きたかったんだけど
スピーカー 2
今もそうなのかな
スピーカー 1
抽選なんだよね
民間選任とか
3回ぐらい落ちて
でもやっぱり海外でやりたいっていうのがあって
いろいろ調べた結果
ドイツならアプライしたら
1年間ワーフリー取れるっていうのを
わかったのと
アムステルダムかな
オランダもワーフリーじゃないんだけど
働くことができるっていうのがあったから
ロンドンにいる間に
両方のところをポンポンって行ってみたら
ここだみたいになって決めたんです
スピーカー 2
その時点では
写真家としてプロだったというところまで
までは行ってないよね
とりあえず学校行って
とりあえず掘りで
スピーカー 1
だからさ
写真撮ってるし
いろんなところでちょっと展示とかしてたけれども
それで生活ができるレベルではないと思うけど
行ったじゃない
そんな時に
自分の作品を持って
誰も知らないところに
トントントントン行きながら
見てください見てくださいって言って
そこのどっかの本屋さんかなんかで
飾ってみたらみたいに言われて
ちょっと展示させてもらったりしながら
ドイツの割と有名なカメラマンさんの
バイトでアシスタントもしながら
なんか自分でいろんなことを
あんまりわかんないんだよ
何をしてたかわかんないんだけど
やってたから
スピーカー 2
写真って言ってもね
カメラマンって言っても
いろんな方がいるじゃないですか
スピーカー 1
アートな系だけど
それでやるのは割と難しいから
商業写真とまた別だから
でもいろんな意味で
いろんな仕事も多分してるんだと思うけど
向こうで9年間やって
その間に結婚もして
スピーカー 2
子供も産んでみたいな
結婚は日本人の方?
スピーカー 1
日本人の方が
最初にベルリンに行った時に
いた彼氏なんだけど
東京に置いていたわけ
でもその彼も
1年で帰ってこないなと思ったのか
どうか分かんないんだけど
僕も辞めていきますみたいなって
言っちゃって
向こうで2人で暮らし始めて
彼は彼で
飲食とかもやってたから
そういうとこで働きながら
また彼もアーティストだから
いろんなことやりながら
2年くらい一緒に暮らして
結婚した
スピーカー 2
向こうでお子さんもできて
スピーカー 1
コロナの前の日に
ロックダウンの前の日に生まれて
スピーカー 2
なるほど
で日本に帰って来られたのは?
去年の末
それ何かまたインスピレーションが?
スピーカー 1
インスピレーション
もうそろそろ日本でやって
でもまただからといって
ずっといるとは限らないなと
私は思ってた
今は日本なんだなみたいな
すごい
スピーカー 2
それをずっと見守ってらっしゃるし
その軽やかさというか自由さ
心配だよだから
スピーカー 1
まあね
スピーカー 2
どんだけ
スピーカー 1
だってさ親って
自分の想像できる範囲内に
子供がいてくれたら
まあ安心だけど
必ずそこの外を行くわけ
あの人
スピーカー 2
だから
スピーカー 1
えーってなるんだけど
でもさ
自分もやってきたっていうのが
本当あるのよ
元を正せばそこなの
自分も勝手やってきたなって
いうのがとてもあるから
言えないじゃんそんな
親はそしたら私の時なんか
時代も時代だし
子供の自由な選択
スピーカー 1
どんだけ心配だったと
確かに
思うよ
今はまだLINEとかあるから
離れていても
まあ様子わかるよね
それだけでもマシじゃんって
思うとさ
私はやっぱり
いたらとか日本にいたら
どうなのとか
やっぱ言えないし
言うべきじゃないと思った
それは自分の人生に対して
今満足してるから
後悔がないから
それをやってきたことに
だからどんな人生であれ
自分で決めてやることに
後悔がないっていうことは
一緒じゃん
スピーカー 2
娘にとっても
スピーカー 1
やりたいことが違うだけで
スピーカー 2
たぶん
でもちゃんと手助けもされて
するする
スピーカー 1
だからやるって言ったことには
できる限りのサポートはするけれども
スピーカー 2
何をやりたいかは
もうその後の人生
スピーカー 1
面白いですね
スピーカー 2
でもお子さんが
本当にちっちゃい時は
言ったら自由にやらせてもらったわけじゃないですか
ご自分は
で話せるようになって
意思が出てきたら
こんなのやだって
言ったみたいな
なんか盛り上がってきたけど
カフェが閉店感が
残念だ
スピーカー 1
ちょっとでも
でもそんな感じ
スピーカー 2
なんか
この番組
3,40代の方が多くて
聞いてくれてる人が
子供がいらっしゃる人も
すごく多いんですけど
やっぱなんか
心配だから
いろいろ手を出したくなる
口を出したくなるっていうのが
すごくある中で
ちょっとこうね
自分を振り返る
私もなんだけど
振り返るね
きっかけになる
ゆかさんを
ゆかさん自身を見てもそうだし
ゆかさんの話とかを聞いてても
スピーカー 1
信じて
スピーカー 2
信じる
で見守る
スピーカー 1
信じて
目は離してないんだけど
手は出さないっていうのが
それが一番難しいと思う
スピーカー 2
そうね
スピーカー 1
でも信じる
そんなことだったって
って思わなくて
きっとできるんだっていう
ベースと信じる力
何を選んだと
スピーカー 2
何をやりたいって
意思がある子供だったら
それを信じて
見守るっていうスタンスになるけど
いつまで経っても
何もやらない子供とかだったら
スピーカー 1
来る
スピーカー 2
それも信じる
スピーカー 1
信じる
今じゃないけど来る
スピーカー 2
親力イコール信じる
スピーカー 1
信じること
信じて
手はかけないんだけど
それは見放すことではなくて
ちゃんと見てる
見てるのは見てるんだけど
絶対手はなるべく出さない
難しい
スピーカー 2
難しい
スピーカー 1
訓練だ
スピーカー 2
そうだね
そしてまだまだ話せるけど
閉店の時間
閉店ガラガラ
時間なので
ゆかさんともっとお話ししたい人は
神戸のカフェまで
スピーカー 1
ぜひぜひ
スピーカー 2
カフェに来てください
スピーカー 1
トレフプンクと神戸とも
スピーカー 2
清水橋駅のすぐ近くにあります
番組の概要欄にリンクを貼りますので
スピーカー 1
リンク貼っておいてください
皆さんにお会いできるの楽しみにしてます
ありがとうございました
34:19

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