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Speaker 1
ダイアログカフェ。筋書きのない対話から新しいアイデアと自分自身に出会う場所。この番組は様々なテーマで楽しみながらお届けします。
金松浩介さんをお迎えしているのが2本目なんですけど、金松さんは2003年にエティー・カーニーに新卒で入社して、
別にコンサルにもともと行きたかったわけじゃなくて、どっちかというと外交官とかパブリックセクターの就職を考えてたけど、
なぜかコンサルに来ちゃったみたいな。コンサルの仕事、結局何年いたんですか?
カーニーは8年いました。
カーニーで当時はもちろんサステナビリティのプロジェクトなんて全然なかったと思いますけど、主にどんな仕事をしてました?
Speaker 2
9割型のソーシングですね。調達コスト削減でしたね。
2003年とかはそれが8割ぐらいだったんじゃないかなという記憶があって、会社全体でもそんな感じで、
2003年、2004年はそういうものをやるんだなというところで、社会人の基礎をつけるみたいなところもあったかなと思いますね。
だんだんカーニーも梅澤さんとか田中さんとかもそうですけど、若手をうまく生かすパートナーの方がいらっしゃって、
どんどん新しい戦略系を2005年ぐらいから増やしていたような印象があって、
それが6、7といって、すごい同期とかがキラキラ系のプロジェクトに入っていっているなというのは、
消費財とか、マーケティングをやる人、茶能だけじゃなくうのうも使う人が賢くてできるコンサルタントみたいなカルチャーとか
あったのは間違いなくて、やっぱり梅澤さんとかキラキラしたパートナーに選ばれるっていうのが、
やっぱり同期の中でも、自分は消費財で梅澤さんとか長笹松さんとかが一段かっこいい存在になった時に、
自分はそういうの得意じゃないなというのは直感的にあったのと、
コンサルタントとしてもそんなにパフォーマンスも高くなかったので、
チャレンジするのはすごい怖かったですね。
新しいプロジェクトが増えているのにチャレンジできない自分が嫌で、
でもリシングがないからソーシングとか、
面白かったのはIT系の営業改革みたいなプロジェクトとか、
どちらかというとB2Bで地味な感じ、B2Cでマーケットとかそんなのをやる感じじゃなく、
当時の社長の会長になってたのかな、深澤さんにプロジェクトの取りを話したら、
金松君は結構重たい、昔規制業界だったとこの改革とかをコツコツやるのが合ってるのかねみたいな感じで、
だからそんな感じでしたね。
Speaker 2
周り回って、世銀に行った時に結構役に立つんですけど、
世銀ってベーシックサービスである電力とかトランスポートとか通信とか、
そことの途上国、そういうのを作るインフラ系の仕事が多いんで、
転職の時にそういう系の通信会社、通信ITやってました、物理やってました、電力やってました、
世銀の仕事にフィットしてるじゃんみたいな、後々プラスになったんですけど、
当時はキラキラ系のヘルスケアとかコンスマグッズとかやってる同期とか、
あとは自動車とかやってるのかっこいいな、日本の産業を支えてるみたいな感じで、
そういうのを感じてたのが2005年から2008年くらいのモンモンとした時期でしたかね。
Speaker 1
クラウントはほぼ日本企業ですよね。
Speaker 2
そうですね、日本企業でしたね。国際的な仕事をしたいなっていうところもあったんですけど、
いわゆるビジネスで英語で蝶々走っているまでの英語力なかったんで、
そういうのもチャレンジできないし、チャレンジできない自分がすごい嫌だったんですね、当時は。
2008年、そういうのがあった中で、一度セミナーのお手伝いをしてたんですよ、プロジェクトの合間に。
Speaker 1
パートナーがするセミナーとか。
Speaker 2
そうですね、パートナーがするセミナーの資料準備で、当時のグローバルCEOになってたのかな。
カーニーがEDSという会社から株を買い戻してパートナーシップになる2006年の頭にパートナーシップ制に戻って、
その時のグローバルCEOがポール・ラウデッシナさんという方で、
うちってシンクタンク部門があったじゃないですか、グローバルポリシーカウンセリング。
私はあそこに結構憧れてたんですね。
Speaker 1
そうなんですね。
Speaker 2
ワシントンにあるグローバルビジネスポリシーカウンセリングというシンクタンクをやってて、
それの創業者がグローバルCEOでポール・ラウデッシナさんという方がいらっしゃって、
2006年から7年、8年、毎年各国まわって出てきて、その方と話をするのが楽しかった。
その方は2007年にセミナーを開くということで、当時FRBの議長がグリーンスパンだったじゃないですか。
グリーンスパンってアメリカの後継者を支えたカリスマ・セントラル・バンカーという大文句で、
Speaker 1
ディーマン直前ですね。
Speaker 2
ディーマン直前。
だからあそこで評価が逆転しましたけど、2007年ってスーパースターだったでしょ。
彼を衛星生中継でつないで、当時ZoomとかTeamsもなかったところでつないで、
基調講演はグリーンスパン。
その後にポール・ラウデッシナさんがサステナビリティビジネスみたいなテーマで話をしたんですね。
トゥワードグローバルサステナビリティテーマで。
Speaker 1
それ東京オフィスのために?グローバルのために?
Speaker 2
イベント会社と提携して、CEOセミナーみたいな感じで、
Speaker 1
企業向けにね。
Speaker 2
企業向けに300人くらい人を呼んでやったセミナーなんですけど、
カーニー当時、あの後もそんなのやったことなかったんですけど、
たまたまそういうのをやって、そこで初めてサステナビリティビジネスという概念を
その講演で知りましたと。
その講演資料をポールさんのオーディエンスのために日本語版に訳すっていうのを
梅澤さんと一緒にやってて、なんか面白い概念がありますねっていう感じで
いろいろ訳してて、トリプルボトムラインってどう訳すんだろうねみたいなのを
梅澤さんと話したりしてやっていた。
そこが2007年が自分にとって、この分野面白い。
Speaker 1
その時の主なメッセージは何だったんですか?
Speaker 2
そのセミナーでポールさんが話した。
サステナビリティ環境社会、あとはガバナンスじゃなくて経済だったんですけど、
環境社会経済っていうものを視点に入れて企業を経営しなくちゃいけないと。
Speaker 1
ESGに繋がるようなもの。Gじゃないけど。ESEみたいな。
Speaker 2
それでこれはCOアジェンダなんだと。
コストじゃなくて、コストとかレギュレーション対応じゃなくて
ビジネスとして考えたっていうのは基本メッセージ。
2007年に?
2007年。商品開発とかオペレーションとかでもサステナビリティ観点を入れてとか
あとは気候変動っていうものにどう対応していくか。
Speaker 1
なぜそれはCOアジェンダなんだ、経営アジェンダなんだっていうロジックだったんですか?
その時はそうあるべきだけじゃなくて根拠があったんですか?そのレポートの中には。
Speaker 2
そうですね。
もう今サステナビリティコンサルで言われてるようなことがどんどん散りばめられてるんですよね。
社会課題として電力消費とか水のアベラビリティっていうのが
電力消費がすごく伸びてくる。水の消費量も伸びてくる。
資源が枯渇し得るっていうマクロ的なポイントで。
彼らは何でしょうね。
ポーラー・レシナさんって一言で言うとアメリカ民主党重鎮なんですよ。
そういうことなんですね。
若い時代バイデンさんのリーガルアドバイザーをしてたりとか
シカゴに拠点があるからオバマ夫妻とも仲良くて
オバマが初めて当選した時のグラントパークっていうシカゴの公園で
バンザー相手してるところのほんのすぐそばにいたっていうところで
アメリカ民主党ディベラル的な視点で
企業っていうミクロで見るんじゃなくて
いろんなグローバルな社会とか環境の課題って
グローバル化が90年代進展した中で
いろいろ歪みが出てきてるんじゃないかと。
こういったものを解決するのが他国籍企業のCOの役目だと
みたいな感じでメッセージを出してた。
何が必要だって消費者動向が変わってきてるとかって
アンケートもいろいろ使ってたりとか
株式のインデックスで通常の
インデックスに比べてサステナビティを
プライベート対策をしてる方がアウトパフォームするぞっていう
因果関係はよく分かんないけど
そういうのを示すやつとかもやってたりして
いろんな観点で企業の経営者がやらなくちゃいけない
競争戦略になるぞっていうメッセージを2007年に出してたんですよ。
それも金橋さん的にはめちゃめちゃヒット。
Speaker 1
ヒットした。
Speaker 2
これだと。
それに出会えたのが自分の理想論というかプロトタイプが
その時は自分のキャリアになるとは思わなかったんですけど
これは面白いなっていうのが第一のきっかけです。
Speaker 1
なるほどね。
Speaker 2
そういう出会いがあったカーニーっていうのは感謝してますね。
Speaker 1
それは日本のCEO向けのセミナーだったわけですよね。
その時の聞いた社長さんたちの反応。
Speaker 2
いいポイントですよね。
めっちゃ空振ってましたね。
3人くらいプロジェクトでやってたCEOの方とか外資の存保の社長の方とか
あとは外資の医療機器の方とかに言ったんですけど
お勉強だねみたいな感じで
理想論で実際の企業では役に立たない。
たぶんじゅっちゅうあくそれがその反応だったと思いますね。
私ってチャレンジしたり行動するタイプではなかった同期の他の人を見てて
なんとなくイメージ湧くと思うんですけど
その時あまりにも感動したんで
当時のお客さんに提案したいです。
梅澤さんとか佐藤由紀さんが珍しいこと神松言うなみたいな感じで
でもやってみたらって言って
行ったんですよね。ITサービスの会社に。
うちいろいろCSR活動いっぱいやってますからみたいな感じで
本当に空振り。
自分としては空振ったけどフルスイングしたなっていう感じがあったんで
妙に清々しさは当時ありましたね。
Speaker 1
なるほどね。
そういうクリーンヒットっていうかこれだみたいなものに出会えること自体が
すごい素敵だし素晴らしいし
しかもそれを見逃さないっていうか大事にするっていうか
それは結構重要ですよね。その後の人生によって。
Speaker 2
それはそうですね。あれが28歳、9歳ぐらいで
やっぱ20代で出会えたっていうのは良かったなっていうところ
たまたまプロジェクトの合間でそういう
普通プロジェクトにアサインされてないと焦ったりとか
セミナー修行の役があって雑用オンザビーチみたいな感じですけど
やっぱりそれは夢を変える出会いだったんで
価値ある時間だったなと思いますし
やっぱポールさんはその時本とかも出してて
ジオポリティックスとかもすごい専門性を持ってたり
エクソンかシェルかなんかの調査部にいたのかな
結構マクロ視点持ってる
私結構ミクロよりもマクロ視点持ってる人の話が響くので
同期から言うとポールって上滑ったこと言ってるよねみたいな
結構コンサルってやっぱり企業経営者の参謀になることが目指す姿だから
そんなマクロの話とか時間使ってて無駄だよみたいな
そんなカルチャーで
でも一人感動してる自分がいて
でもそれでも仕事になるっていうと
経営者からの反応も悪いし
パートナーからも感触良くないし
どうしようどうしようか見に行ってもないな
でも外に行ったらあるかっていうとないし
外に飛び出すのも怖いなみたいな
就職氷河期で新卒就職苦労したから
そういうのも怖いなって思ってたんですけど
やっぱり子供が生まれたのと