1. Dialogue cafe
  2. #80-2 グローバルトップエリー..

▼番組のnote:
Dialogue cafe | note

▼番組への質問・感想・メッセージ募集中!こちらまで

▼内容:
チャレンジが怖かったコンサル時代/2007年、運命を変える出会い/直感が導いたアメリカ/コロンビア大学国際公共政策大学院/グローバルトップエリートたちの熾烈なポジション競争/世界銀行で目撃した歴史的転換点/世界はちゃんと進んでいる/40代のキャリアと子育ては日本で

▼出演:
ゲスト
兼松浩介さん(サステナブルファイナンス・イノベーター、ERM日本株式会社パートナー、1児の父)

MC
田中優子(元クラウドワークス取締役、ビジネスアドバイザー、社外取締役、1児の母)
岡澤陽子(ブランドコンサルタント、戦略リサーチャー、ビジネスメンター、2児の母)


▼関連エピソード:
#30-3 寿司を握ってセレブに会える⁉ゼロになってつかめアメリカン・ドリーム
#42-3 社長の仕事は信じ続けること!排泄の悩みなき世界をきっと現実に
#53-3 遠慮をしない、対立を生まない、冷静と情熱のリーダーシップ
#75-2 もしも全人類が家族なら。世界平和は「めんどくさい」対話の先にある
#77-2 イラクで武装組織の人質になった彼が、なぜ今、若者を支援するのか

Summary

このエピソードでは、金松浩介さんが自己のキャリアとサステナビリティビジネスの重要性について語ります。特に、カーニーでの経験を通じて得た教訓や、サステナビリティを戦略に取り入れる必要性について考察します。国際的な視点からサステナビリティの重要性と世界銀行の役割について深く掘り下げる中で、兼松浩介さんは、コロンビア大学での学びやキャリアを通じて得た経験に基づき、国益や私利を超えた活動の大切さについて語ります。また、サステナブルファイナンスの専門家として、世界銀行での経験やサステナビリティに関する洞察を述べ、アメリカと日本の教育についても触れながら、個人の価値観や家族の選択がどのように影響するかが論じられています。

キャリアの出発点とコンサルタントとしての経験
Speaker 1
ダイアログカフェ。筋書きのない対話から新しいアイデアと自分自身に出会う場所。この番組は様々なテーマで楽しみながらお届けします。
金松浩介さんをお迎えしているのが2本目なんですけど、金松さんは2003年にエティー・カーニーに新卒で入社して、
別にコンサルにもともと行きたかったわけじゃなくて、どっちかというと外交官とかパブリックセクターの就職を考えてたけど、
なぜかコンサルに来ちゃったみたいな。コンサルの仕事、結局何年いたんですか?
カーニーは8年いました。
カーニーで当時はもちろんサステナビリティのプロジェクトなんて全然なかったと思いますけど、主にどんな仕事をしてました?
Speaker 2
9割型のソーシングですね。調達コスト削減でしたね。
2003年とかはそれが8割ぐらいだったんじゃないかなという記憶があって、会社全体でもそんな感じで、
2003年、2004年はそういうものをやるんだなというところで、社会人の基礎をつけるみたいなところもあったかなと思いますね。
だんだんカーニーも梅澤さんとか田中さんとかもそうですけど、若手をうまく生かすパートナーの方がいらっしゃって、
どんどん新しい戦略系を2005年ぐらいから増やしていたような印象があって、
それが6、7といって、すごい同期とかがキラキラ系のプロジェクトに入っていっているなというのは、
消費財とか、マーケティングをやる人、茶能だけじゃなくうのうも使う人が賢くてできるコンサルタントみたいなカルチャーとか
あったのは間違いなくて、やっぱり梅澤さんとかキラキラしたパートナーに選ばれるっていうのが、
やっぱり同期の中でも、自分は消費財で梅澤さんとか長笹松さんとかが一段かっこいい存在になった時に、
自分はそういうの得意じゃないなというのは直感的にあったのと、
コンサルタントとしてもそんなにパフォーマンスも高くなかったので、
チャレンジするのはすごい怖かったですね。
新しいプロジェクトが増えているのにチャレンジできない自分が嫌で、
でもリシングがないからソーシングとか、
面白かったのはIT系の営業改革みたいなプロジェクトとか、
どちらかというとB2Bで地味な感じ、B2Cでマーケットとかそんなのをやる感じじゃなく、
当時の社長の会長になってたのかな、深澤さんにプロジェクトの取りを話したら、
金松君は結構重たい、昔規制業界だったとこの改革とかをコツコツやるのが合ってるのかねみたいな感じで、
だからそんな感じでしたね。
サステナビリティビジネスとの出会い
Speaker 2
周り回って、世銀に行った時に結構役に立つんですけど、
世銀ってベーシックサービスである電力とかトランスポートとか通信とか、
そことの途上国、そういうのを作るインフラ系の仕事が多いんで、
転職の時にそういう系の通信会社、通信ITやってました、物理やってました、電力やってました、
世銀の仕事にフィットしてるじゃんみたいな、後々プラスになったんですけど、
当時はキラキラ系のヘルスケアとかコンスマグッズとかやってる同期とか、
あとは自動車とかやってるのかっこいいな、日本の産業を支えてるみたいな感じで、
そういうのを感じてたのが2005年から2008年くらいのモンモンとした時期でしたかね。
Speaker 1
クラウントはほぼ日本企業ですよね。
Speaker 2
そうですね、日本企業でしたね。国際的な仕事をしたいなっていうところもあったんですけど、
いわゆるビジネスで英語で蝶々走っているまでの英語力なかったんで、
そういうのもチャレンジできないし、チャレンジできない自分がすごい嫌だったんですね、当時は。
2008年、そういうのがあった中で、一度セミナーのお手伝いをしてたんですよ、プロジェクトの合間に。
Speaker 1
パートナーがするセミナーとか。
Speaker 2
そうですね、パートナーがするセミナーの資料準備で、当時のグローバルCEOになってたのかな。
カーニーがEDSという会社から株を買い戻してパートナーシップになる2006年の頭にパートナーシップ制に戻って、
その時のグローバルCEOがポール・ラウデッシナさんという方で、
うちってシンクタンク部門があったじゃないですか、グローバルポリシーカウンセリング。
私はあそこに結構憧れてたんですね。
Speaker 1
そうなんですね。
Speaker 2
ワシントンにあるグローバルビジネスポリシーカウンセリングというシンクタンクをやってて、
それの創業者がグローバルCEOでポール・ラウデッシナさんという方がいらっしゃって、
2006年から7年、8年、毎年各国まわって出てきて、その方と話をするのが楽しかった。
その方は2007年にセミナーを開くということで、当時FRBの議長がグリーンスパンだったじゃないですか。
グリーンスパンってアメリカの後継者を支えたカリスマ・セントラル・バンカーという大文句で、
Speaker 1
ディーマン直前ですね。
Speaker 2
ディーマン直前。
だからあそこで評価が逆転しましたけど、2007年ってスーパースターだったでしょ。
彼を衛星生中継でつないで、当時ZoomとかTeamsもなかったところでつないで、
基調講演はグリーンスパン。
その後にポール・ラウデッシナさんがサステナビリティビジネスみたいなテーマで話をしたんですね。
トゥワードグローバルサステナビリティテーマで。
Speaker 1
それ東京オフィスのために?グローバルのために?
Speaker 2
イベント会社と提携して、CEOセミナーみたいな感じで、
Speaker 1
企業向けにね。
Speaker 2
企業向けに300人くらい人を呼んでやったセミナーなんですけど、
カーニー当時、あの後もそんなのやったことなかったんですけど、
たまたまそういうのをやって、そこで初めてサステナビリティビジネスという概念を
その講演で知りましたと。
その講演資料をポールさんのオーディエンスのために日本語版に訳すっていうのを
梅澤さんと一緒にやってて、なんか面白い概念がありますねっていう感じで
いろいろ訳してて、トリプルボトムラインってどう訳すんだろうねみたいなのを
梅澤さんと話したりしてやっていた。
そこが2007年が自分にとって、この分野面白い。
Speaker 1
その時の主なメッセージは何だったんですか?
新たな挑戦と企業の反応
Speaker 2
そのセミナーでポールさんが話した。
サステナビリティ環境社会、あとはガバナンスじゃなくて経済だったんですけど、
環境社会経済っていうものを視点に入れて企業を経営しなくちゃいけないと。
Speaker 1
ESGに繋がるようなもの。Gじゃないけど。ESEみたいな。
Speaker 2
それでこれはCOアジェンダなんだと。
コストじゃなくて、コストとかレギュレーション対応じゃなくて
ビジネスとして考えたっていうのは基本メッセージ。
2007年に?
2007年。商品開発とかオペレーションとかでもサステナビリティ観点を入れてとか
あとは気候変動っていうものにどう対応していくか。
Speaker 1
なぜそれはCOアジェンダなんだ、経営アジェンダなんだっていうロジックだったんですか?
その時はそうあるべきだけじゃなくて根拠があったんですか?そのレポートの中には。
Speaker 2
そうですね。
もう今サステナビリティコンサルで言われてるようなことがどんどん散りばめられてるんですよね。
社会課題として電力消費とか水のアベラビリティっていうのが
電力消費がすごく伸びてくる。水の消費量も伸びてくる。
資源が枯渇し得るっていうマクロ的なポイントで。
彼らは何でしょうね。
ポーラー・レシナさんって一言で言うとアメリカ民主党重鎮なんですよ。
そういうことなんですね。
若い時代バイデンさんのリーガルアドバイザーをしてたりとか
シカゴに拠点があるからオバマ夫妻とも仲良くて
オバマが初めて当選した時のグラントパークっていうシカゴの公園で
バンザー相手してるところのほんのすぐそばにいたっていうところで
アメリカ民主党ディベラル的な視点で
企業っていうミクロで見るんじゃなくて
いろんなグローバルな社会とか環境の課題って
グローバル化が90年代進展した中で
いろいろ歪みが出てきてるんじゃないかと。
こういったものを解決するのが他国籍企業のCOの役目だと
みたいな感じでメッセージを出してた。
何が必要だって消費者動向が変わってきてるとかって
アンケートもいろいろ使ってたりとか
株式のインデックスで通常の
インデックスに比べてサステナビティを
プライベート対策をしてる方がアウトパフォームするぞっていう
因果関係はよく分かんないけど
そういうのを示すやつとかもやってたりして
いろんな観点で企業の経営者がやらなくちゃいけない
競争戦略になるぞっていうメッセージを2007年に出してたんですよ。
それも金橋さん的にはめちゃめちゃヒット。
Speaker 1
ヒットした。
Speaker 2
これだと。
それに出会えたのが自分の理想論というかプロトタイプが
その時は自分のキャリアになるとは思わなかったんですけど
これは面白いなっていうのが第一のきっかけです。
Speaker 1
なるほどね。
Speaker 2
そういう出会いがあったカーニーっていうのは感謝してますね。
Speaker 1
それは日本のCEO向けのセミナーだったわけですよね。
その時の聞いた社長さんたちの反応。
Speaker 2
いいポイントですよね。
めっちゃ空振ってましたね。
3人くらいプロジェクトでやってたCEOの方とか外資の存保の社長の方とか
あとは外資の医療機器の方とかに言ったんですけど
お勉強だねみたいな感じで
理想論で実際の企業では役に立たない。
たぶんじゅっちゅうあくそれがその反応だったと思いますね。
私ってチャレンジしたり行動するタイプではなかった同期の他の人を見てて
なんとなくイメージ湧くと思うんですけど
その時あまりにも感動したんで
当時のお客さんに提案したいです。
梅澤さんとか佐藤由紀さんが珍しいこと神松言うなみたいな感じで
でもやってみたらって言って
行ったんですよね。ITサービスの会社に。
うちいろいろCSR活動いっぱいやってますからみたいな感じで
本当に空振り。
自分としては空振ったけどフルスイングしたなっていう感じがあったんで
妙に清々しさは当時ありましたね。
Speaker 1
なるほどね。
そういうクリーンヒットっていうかこれだみたいなものに出会えること自体が
すごい素敵だし素晴らしいし
しかもそれを見逃さないっていうか大事にするっていうか
それは結構重要ですよね。その後の人生によって。
Speaker 2
それはそうですね。あれが28歳、9歳ぐらいで
やっぱ20代で出会えたっていうのは良かったなっていうところ
たまたまプロジェクトの合間でそういう
普通プロジェクトにアサインされてないと焦ったりとか
セミナー修行の役があって雑用オンザビーチみたいな感じですけど
やっぱりそれは夢を変える出会いだったんで
価値ある時間だったなと思いますし
やっぱポールさんはその時本とかも出してて
ジオポリティックスとかもすごい専門性を持ってたり
エクソンかシェルかなんかの調査部にいたのかな
結構マクロ視点持ってる
私結構ミクロよりもマクロ視点持ってる人の話が響くので
同期から言うとポールって上滑ったこと言ってるよねみたいな
結構コンサルってやっぱり企業経営者の参謀になることが目指す姿だから
そんなマクロの話とか時間使ってて無駄だよみたいな
そんなカルチャーで
でも一人感動してる自分がいて
でもそれでも仕事になるっていうと
経営者からの反応も悪いし
パートナーからも感触良くないし
どうしようどうしようか見に行ってもないな
でも外に行ったらあるかっていうとないし
外に飛び出すのも怖いなみたいな
就職氷河期で新卒就職苦労したから
そういうのも怖いなって思ってたんですけど
やっぱり子供が生まれたのと
ワシントンDCへの憧れ
Speaker 2
やっぱオバマが誕生した2009年に
アメリカに行けば何かあるかも
何かできるかもみたいなのが2009年に
通勤の南北線に乗ってる間も
オバマの演説を何度も聞いて
自分がいるのはこの場所じゃないみたいな感じで思ってた
2010年にたまたま父は仕事で
ワシントンDC行くからみたいなこと言って
来るっていうことで行ったんですよねその時に
ただもうワシントンDCという町に魅了されて
1分1秒が楽しくて楽しくてみたいな感じで
やっぱりオバマがいるワシントンDCに行こう
もうそれしかない
仕事が具体的な仕事
素敵ですからね
無計画でしかないんですけど
こういう仕事があるから
それに転職しようじゃなくて
こんなサステナビリティで
ビジネスをやるっていうものが何だかあるけど
ものはないけどアメリカに今行けば
何か出会えるっていう
それで2010年旅行から帰ってきたら
コロンビア大学のマスターにアプライして
世銀と共同プログラムがあるとかっていうのを書いてて
しかも1年のマスターだから
安く早く取れて
世銀に行けるかな
2年とかいうよりもみたいな感じで
もう1ヶ月でトーフル受けてアプリケーション出して
3ヶ月後には入学のアドミッションレターもらってましたね
早い
もう感動したね
それを昔の自分だったら
アプリケーションデッドラインが
1ヶ月半後くらいだったんで
来年でいいかなみたいな風に思うんですけど
これは一瞬でも無駄にしたくないっていう感じで
バンって出して
推薦状とかも大学の先生からもあったりして
すぐ出しましたね
3、4ヶ月後にはコロンビア大学行けるって決まって
じゃあカーニー辞めようってことで
Speaker 1
辞めたって感じですね
Speaker 2
本能につきそうな感じですよね
そういう感じですね
Speaker 2
論理的にカチッとした答えというよりも
直感とか情熱とかインスティンクト
それに従って動いてた感じですね
面白い
Speaker 1
実際行かれてみてめっちゃ楽しかったですね
Speaker 2
めっちゃ楽しかったですね
やっぱりあの時33で結婚してて子供が2歳で
普通30代になって留学するっていうのも
おかしいって言われてた時代だし
B.A.とか行くんだったら20代でしょとか
年齢もそうだし
子供って四肥留学みたいな感じで
Speaker 1
入浴だしね
Speaker 2
入浴だし
すごいうがった目をしていろいろ見られてた
カーニーの同期とかは
温かく送別会を開いてくれて
関永くんがすごい企画して
あったかいアットホームな会をして送り出して
すごい励まされたんですけど
そうじゃない人は年齢で
今更留学みたいな
帰ってきた頃には旬を過ぎて
転職先なくなっちゃうよみたいなこととか
子供がいて海外に駐在とかなら
私も四肥留学なんて大丈夫?みたいな
そんな感じでしたね
でも行ったら
ポロミア大学のアメリカの人とか
いろんな国から20代30代40代の人が
集まるミッドキャリアプログラムだったんですけど
本当に年齢国籍関係なく
新しいことにチャレンジするんだみたいな
いいねみたいな
その空気感がすごい好きでしたね
その空気感が自分好きなんだ
みたいな感覚とか
がやっぱり世銀っていう
いろんな国のいろんなバックグラウンドの人と
切磋琢磨していろいろやっていくっていうのも
大変なことばっかりでしたけど
楽しかったなって思いますね
そういう意味で
日本の就職とか日本企業とか
川にすごい良い会社で
今でもエッセンシャルライトネスとか
思って仕事できてる
さっきのようなポールさんの出会いとかもあるんですけど
でもやっぱり自分が一番輝くのは
いろんな国際的なバックグラウンドの
国益企業益にとらわれない
場所だなっていうのは
あそこで見つけましたね
コロンビア大学のプログラム
Speaker 1
そのコロンビア大学のプログラムは何人ぐらいの?
Speaker 2
30人前後ですね
Speaker 1
じゃあもう30人とかだと
Speaker 2
かなり
そうですね
Speaker 1
みんな結構志というか
テーマはやっぱりサスナビリティに関係するような
個人的なアジェンダを持ってる人たちが多いんですか?
Speaker 2
そうですね
基本的にコロンビア大学の
CIPAっていう
インターナショナルファブリックアドミニステーション
国際公共経営大学院みたいなところで
国際的なことに関心がある人が集まってますし
その30人のプログラムは
その中でもミッドキャリアで
もともと20年前
当時の20年前か今だと
30何年前かできた時は
補助国の財務官僚とか
中央銀行の人を教育するプログラムとして
世銀と共同運営してるんですよ
だんだんそうじゃない
民間の人とかも入れてるんですけど
だからミニ世銀みたいな空間を作っているところがあったので
そういうところの面白さがありました
Speaker 1
国籍もかなり多様だったんですか
Speaker 2
そうですね
アフリカのコートジボワールとかセネガルとか
アフリカから15人くらい来てたんですから
ラティアメリカからも5人から
あとヨーロッパも来てましたし
アルメニアとか中アジアの人も
キルギスの人とかもいたし
30人の国籍はほぼ全員違いましたね
日本人が4,5人いたっていうところもありますけど
それも中央銀行とか総務省とか
パブリックセクターみたいな
そういう意味でパブリックセクターに
少し足を踏み入れたなっていうところもありましたね
世銀での経験と思い
Speaker 1
普段と違う感覚
そのカリキュラムというか
何かユニークなものとかあるんですか
Speaker 2
そうですね
途上国のセントラルバンカーとか財務省の人たちに
経済分析とか政治経済学的に
政策をそういう組織の中で実行するには
みたいなところだったんで
マクロ経済学の勉強にもなったし
企業のコンサルと
政府でのコンサルというか仕事って
結構似てるんだなっていう
ディシジョンメーカーに運っていってもらうところで
どういった準備をするか
そういった2つが結構勉強できたのは面白かったですね
プログラムのリーダーが
ギレルモ・カルボっていう人で
マクロ経済学の重鎮みたいな人でもあって
通貨危機とかの研究をずっとやってる
何で通貨危機が起こるのかみたいなことで
そういうマクロ経済政策の
いろいろ実務と理論みたいなのを繋げる
面白い人でしたし
あとはチリの財務大臣
グローバルファイネンシャルクライスが起きたときの
チリの財務大臣だった人が
コースとして教えていただいて
いかにしてチリは
グローバルファイネンシャルクライスのときに
通貨危機を回避できたのか
どのように大胆なフィスカルパッケージ
スティミュラスパッケージを実行したのか
みたいな体験談を話してくれたりとか
そういうのは面白かったですね
本当に見たことのない世界
企業コンサルから世議員のような
途上国、国のコンサルみたいなのが映る
いろんな方法論とか
実務、参考例みたいなのを学べた
内容的にも有意義だったかなと思います
1年間のプログラム
そうですね、1年間のプログラムで
そこでサマーインターン
当時は国際機関とかで
サマーインターンをすることが卒業要件になっていたんですよ
それがハードル厳しいのでなくなったんですけど
そこで卒業と同時に
2ヶ月半世議員で
半分バイトですよ、夏のバイトで入って
そこでマクロ経済の部署とかで
仕事をしようという感じで入って
本当に非正規雇用で
2、3年食いつないだって感じですね
今から振り返って
マクロ経済面白いな
マクロテキスト的な仕事をしたいなって当時思っていて
今も思っているんですけど
マクロ経済的なものが好きなので
当時それなりに定量分析得意だから
いい仕事をしていたら
フルタイムのポジションとかを得られるんじゃないかなと思って
ずっと頑張っていたんですけど
全く兆候がないんですね
首とか契約とかもしょっちゅう切られたので
でもよく考えてみると
世銀のマクロエコノミストになる要件って
経済PhDがあることなんですよ
だからもう学歴で足切りだったんですよ
私学歴結構いい方かなと思ってたんですけど
学歴でオポチュニティを得られないっていうのは
やっぱり後々ショックだったのと
そこからのテイクアウェイは
これって世銀に行く前に知ってたら
その時点でチャレンジしなかったなっていうこともあるので
Speaker 1
無知であったことはすごく良かったなとは思いますね
Speaker 2
バイトとか短期契約、非正規契約でも
やれた仕事はすごいダイナミックだし
今でも自分の仕事のバックボーンになっているので
Speaker 1
なかなか世銀でそういう仕事をやっていた日本人
そんなにいないから
そうやって相当ユニークなキャリアが作れますよね
結構出向多いですよね
Speaker 2
出向は多いですね
出向とかで政府とか
あとはJICA、JBICの人とかいたりしますし
あとは日本政府が補助というか人権費持つからということで
雇ってもらうプログラムがいくつかあるんですよ
なんかいろいろあるんですよ
制度とか
日本人職員のかなりの数はそういうので
エントリーの時は使っていると思いますね
そこで良い成果を出した人はそのまま残っていくんですけど
私は諸事情でそういう制度を使わなかったので
いろいろあって
本当ガチンコで日本人以外の人と1個のポジションを
すごい同じような学歴経歴それ以上の人と
数百人で1ポジション争ってました
そこはすごく大変だったなという気もしますけど
6年間も仕事できたし
最後3年間はフルタイムでやったし
クライムチェンジのテーマの仕事できたんで
得られたものはすごく多かったですよね
しかもその時期に世銀で仕事してたので
すごい自分にとって良かったのは
2012年から18年って真ん中は2015年なんですよ
2015年ってこの開発サスティアビティ業界も
すごいほんと正月じゃないですけど
Speaker 1
SDG採択とパリ協定採択なんですよ
Speaker 2
それをバチバチのアメリカの
ワシントンの世銀のヘッドクォーターで
下働きだろうが体験したっていうのは
これは得られないですね
その時期にあそこにいないと
そこを日本人で体験したっていうのは
ほんとごくわずかなと思いますね
そこが今日本に戻ってきても
サスティナビリティをビジネスとしている人は
いっぱい増えてきましたけど
感覚として本質論ってここだよねみたいなところで
一個一個のイベントに一気に中止しないのは
厳重を見たっていう体験とそこの素晴らしさというか
パリ協定の目標を実現していこう
いけるよねみたいなものを本気で思っている
世銀での経験とその影響
Speaker 2
世銀の仲間とか人がいるんで
なんかちょっとトランプができたから
もうちょっと卒業しますとか
退院しておりますみたいな発想はないですね
SDGsも日本だと
バッジつけてみたいな
結構シミカルに見られますけど
やっぱあれが出来上がった意味合いとかっていうのを
あの場で感じていると
いろいろポリティックスあるんですけど
でも大事なことだよねっていう感覚があるし
本当にあれを意味ある形で実現するには
どうしたらいいかっていうのを
ブレイクダウンして
一個一個世銀の人の仕事が成り立ってくるので
自分はサスティナファイナンスで
どういうことを貢献できるのかって
常に自問している
あの場であの時期にいたっていうのが
自分の財産ですよね
すごい運命を感じますよね
本当に一個一個の出会いですよね
だからコールさん2007年と
なんか知らんけど2015年に
あの場にいたみたいな
Speaker 1
あと夫様のワシントンですね
Speaker 2
ワシントンに出張に行くとこ
しかも面白いのは
オバマに憧れて
ホワイトハウスの近くに住んだら
次トランプになったということで
トランプの4年は
クライマックスチェンジグループ体験したっていうのは
一家制の過去かなと思ったら
また今日的な課題になってきたので
アメリカの共和党と民主党が
どういうサスティナビリティとかのテーマで
触れているのかっていうのが見えるので
この1年とはこの4年とかじゃないんですよね
約々と続いている20年というのは見えるし
そのうちのコアな6年
ニューヨークへ行ったら7年ですね
やっぱりいたから
アメリカ政治とかで世界がどう動くとか
サスティナビリティの世界はどう動くとかっていう
深い洞察はやっぱりあると思いますね
そういうのも得られた期間だったかなと思いますね
家族と教育の選択
Speaker 1
確かにね
普通に元に戻ったわけじゃないってことですよね
Speaker 2
この20年間でちゃんと進んでるってことですよね
進んでる
Speaker 1
今の動きというのが
エトモスと本当に目の前のことに
すごく囚われる
たしかに衝撃も大きいし
かもしれないけど
もっと大きな流れの中で見たら
Speaker 2
ちょっともっとドンと構えられるというか
みたいなところがあるかもしれないですね
そうですね
そういうのを見ていく
Speaker 1
そこで世銀で6年働いて
その後日本に戻ってきた
Speaker 2
そうですね
28年に戻ってきました
Speaker 1
それは日本に戻ろうと思って戻ってたんですか
戻らざるを得ないみたいな感じで戻ったんですか
Speaker 2
戻ろうと思いましたね
世銀でまだ契約2年乗ってたし
別に普通にやってたら更新されてたし
間延期的に世銀には残れたと思いますね
でも40代を迎えて
本当にフルタイムジョブといっても
結構底辺ポジションで入ったんですよ
世銀って普通にやっても
20年勤めてたら1回プロモーションするかどうかみたいな
厳しい2回あればいい方だよという中で
入り方も良くなかったなという風に思ってきて
だんだん子どもが小学校高学になっていくと
この国で良い教育を受け入れさせられることができるのかなと
お金の面ですよね
やっぱりカーブリックエデュケーションも良いところがあるから
そこでというところで
生活の面での不安と
あとは自分の40歳っていう
キャリアのプライムタイムを
楽しいっちゃ楽しいけど
過ごしていいのかなというところで
コンサルとか日本とか
いろいろ選択肢を考えないと
半分言い訳になっちゃいますけど
子どもの教育ですよね
子どもの教育を軸に自分は住む場所を決めて
行ってるっていう自負があるので
小学校4年生くらいまでは
2歳か3歳くらいかニューヨークワシントンで
だいぶ英語も慣れてきて
英語できるな
でも周りに聞くと
小4、小5、小6くらい日本に帰ってないと漢字読めないよとか
ダメになるよっていうのをいろいろ聞いてたんで
それも可哀想だなみたいな
それも彼のポテンシャル的にもったいないなって
家族とか奥さんにそういうアドバイスを受けたわけじゃないですけど
勝手に自分の中で子どもの教育のためにも
日本に帰るのがいいし
40代でここまでアメリカ制限で頑張ってきたけど
もっとシニアポジションとかでやりたいことをやれるようになる
そういうのをつかめるのがやっぱり日本のビジネスコミュニティかな
サステナビリティとはクライマットも別に
パブリックセクターでは国際間の1000倍特許じゃなくなってきて
民間でも広がるから
こっちのほうがポジションが大きいなって
Speaker 1
そういうので2018年帰ろうというふうに
なるほどね
Speaker 2
奥様はお仕事はもう占業主婦?
Speaker 1
もう占業主婦ですね
Speaker 2
パーニング?
エグゼクティブサーチですけど
そういう意味で職場結婚ですね
本当にうちの妻は子育てを大事にというか
それをやりたいという思いが強かったので
今でもそうですけど
子供のために結構時間を使ってたところがありますね
そういう意味でアメリカの生活すごい楽しかった
奥さんにとっても楽しかったみたいで
子育て大変だったけど
学校でいろんな国の子供たちの保護者と交流できて
楽しかったみたいな感じで
教育はアメリカでは妻任せでしたね
Speaker 1
日本に戻ろうと思われた時
Speaker 2
奥さんの反応はどういう反応だったんですか?
急に決めるなよ、嫌だっていうのが
ファーストリアクションでしたね
やっぱアメリカの生活は楽しかったし
別に日本に行ったからといって
子供がハッピーになるとは限らないし
一回見たら子供、うちの子って
なんだろうな
周りに会わせるとすごい疲れるのに
学校では行儀よくしなくちゃみたいな
思いが強悪観念的なのが強い子で
アメリカの学校でも行ったらぐったりして
帰ってくるんですよ
帰ってきたらゲームずっとやってるって感じで
一回したらアメリカの学校会ってないのかな
みたいな感じで
日本語が通じる日本だったらいいんじゃないかな
Speaker 1
奥さんの教育の話になったんで
金松さんに必ずこの話までしたいっていう
テーマがありまして
それがまさに教育の話なんですね
帰国史上だし
かつそこから中学受験もした
中学受験して
そこからの、今高校生なんだけれども
かなりドラマがあったというのを
私はSNSで
金松さんのSNSで見て
この話は効かねばって思ってたので
もう一つの目的を今日果たしたいんです
3本目の話をしたいなというふうに思っております
36:52

Comments

Scroll