1. Dialogue cafe
  2. #31-3 挑戦とライフ、パッショ..

▼内容:
日本じゃ高卒⁉アメリカに「何か」を探して/ラジオ英会話は神/勉強漬けの大学生活/流されるままに外資系医療機器メーカーに就職/虎の穴のコンサルへ/定時19時で時短勤務⁉/提案書作りで足腰を鍛える/結婚・出産・転職・フリーランス、右往左往するキャリア/「挑戦」と「ライフ」のバランス/理由はない、ただ越えたい/キャリアを支える英語スキル/フリーランス7年から正社員に戻った訳/組織で働くメリット/これからの朝子のパッション

▼出演:
ゲスト
松江朝子さん(株式会社I-ne 執行役員 経営戦略本部本部長 CSuO=Chief Sustainability Officer、3児の母)
株式会社I-ne(アイ・エヌ・イー)

MC
田中優子(元クラウドワークス取締役、ビジネスアドバイザー、社外取締役、1児の母)
岡澤陽子(ブランドコンサルタント、戦略リサーチャー、ビジネスメンター、2児の母)

▼関連エピソード:
#2-1 トヨタで学び、戦コンで修行
#16-1 ジェンダーバイアスが奪う成長機会
#16-4 女性リーダーが生まれるとき
#19-1 米国女性100年の歴史!キャリアと家庭の両立を獲得するための長い旅
#28-1 バリキャリママが苦悩の末に起業!かっこつけてられない超かっこいい怒涛の10年

▼番組への質問・感想はこちらまで

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00:01
スピーカー 2
【Dialogue cafe 筋書きのない対話から新しいアイディアと自分自身に出会う場所】
この番組は様々なテーマで楽しみながらお届けします。
では、松江朝子さんをお迎えしたいのが第3回でございます。
かなり盛り上がって、いろんなお話ができて、すごい楽しいんですけど、
今回は松江朝子さんのキャリアだったり、ライフだったりみたいな部分も聞いていきたいなと思うんですけど、
さっき1回目の時にちょっとお話しましたけど、
まず大学でアメリカに留学されて、外資に就職って感じなんだけど、
そもそもアメリカに留学しようって、別に高校までは普通の日本の学校ですよね。
スピーカー 1
そうですね。私、神奈川県生まれ育ちで、18まで神奈川だから育って、神奈川県の県立高校に行ってて、
そこから高3で卒業して、アメリカの、最初はカリフォルニアの大学だったんですけど、
その後、オレゴンの就立大にトランスファーして、そこ卒業してるんですけど、
なんでアメリカに留学したの?って聞かれますよね。
今から25年前とか、今でこそアメリカの大学というか海外の大学に高校卒業してから行くのって、
いいことみたいな感じのね、言われてるじゃないですか。
当時は、日本で大学に行けなかったから行く、と思われると思えって親にも言われましたし、
日本では高卒だからって言われて、
それで、そんなものを突っ跳ねるような若さがあったんで、別にそんなの関係ないからって言って行ったんですけど、
行きたかったですね。
でもなんでって振り返ると、ただ跳ね返りだったんじゃないかって気もしますけど、
自分は、まず父親が海外出張がめちゃくちゃ多かったんですよ。
自分の物心ついた時からは、出張が多くて、メーカーだったんですけど、
海外いろんなところに行ってましたと。
だからっていうのもあって、休みの時は家でゆっくり過ごしたいということで、
海外に自分が行くことは、16歳の時に高1で、
姉妹校に高校生を送るっていうやつに応募して、初めて自分が海外に行けたんですけど、
もうそれまで本当に海外に行ってみたくて、
これはどこから来てるかはもう分からないですけど、
行ってみたいって言っても全然連れてってくれないから、
スピーカー 2
もうなんとかしてこの姉妹校提携のやつの選抜に潜り込むしか私の方法はなくて、
スピーカー 1
もうこれコンサルになるっていう時ぐらいの馬力を出して、
ここに入らなきゃで、そこでなんとか行って、
03:04
スピーカー 1
メリーランド州に2,3週間ぐらいホームステイするっていうのができたんですけど、
でもその時は別に留学とかも考えてなくて、
普通に帰ってきたんですけど、
それが高1の春の終わりで、
公認になって、
でも公認の後半ぐらいからだんだん受験みたいなモードになってくるじゃないですか、
でもそれは何でしょうね、
当時自分がまずなりたいって思える職業がなかったんですよね。
なりたいって思える職業もなかったし、
そもそも職業のイメージもほとんどついてないんですよ。
今でこそ学生にも色々な職業機会を見せようみたいなキッザニアに始まりありますけど、
そんなの何にもない中、
だから幼少中高の先生と身近な人で言えば、
習い事の先生と、
あと親、親戚ぐらいしかない中で何にも描けなくて、
でも日本って学部を基本的には決めなきゃいけないじゃないですか、
どこを受けるのか、
せめて文系理系とかも決めなきゃいけないしっていうのに、
全くわからないけど、
でも一応そこそこ新学校だからみんなより上を目指して、
みんな必死に勉強してるじゃないですか、
でも自分には何を目指してるかわからないのに、
ガリガリ勉強することができないっていうのがあって、
みんな普通に法学部行くわとか経済学部とか言うんですけど、
どうやって決めていいの?みたいな感覚だったんですよね。
すごい悩んでて、
高2の後半ぐらいからは、
もう学校は行ってましたけど、
結構遅刻相対みたいなのも多くて、
なんか居場所がない感があったんですけど、
その最中に何で思いついたか突然、
もうアメリカの大学に行こうって思いついたっていうのはあります。
だから何で閃いたかわからないですけど、
でもそうしようっていうのを高3の春ぐらいに決めてましたね。
スピーカー 2
それなんかアメリカで何がしたかったっていうよりは、
スピーカー 1
行けば何かあるんじゃないかっていう。
ここが自分の居場所じゃない感じ。
あとはアメリカの場合だと、
入学時に学部を決めなくていいっていうのが基本的にはあるんで、
行ってから決められるってことと、
あと最低限英語はちょっとはできるようになるだろうみたいなことと、
あとは親元を離れたっていう3つあたりのところで留学するって決めましたね。
スピーカー 3
当時インターネットとかもないし。
スピーカー 1
ないですよね。
スピーカー 3
情報収集も全部自分でやって。
スピーカー 1
でも情報収集の方法とかも、
新宿にある留学センターみたいなところに行って、
06:01
スピーカー 1
ものすごい分厚い大学のこういうのをめくってところなんですけど、
でももうほとんど高3のとこにぼーっとしてたんで、
よくわかってないんですよ。
別にどこがいいとか悪いとか判断基準もないから。
なのでやや適当に言ってたんですけど、
親がサンディエゴによく出張に行ってたんで、
サンディエゴの近辺っていうので、
結果カリフォルニアのロスからちょっと南の方に行くとロングビーチっていうところなんですけど、
そこのそこに適当に決めたみたいな感じですよね。
そこに行ってみようみたいな感じに決めましたよね。
でも本当にあれがやっぱり自分の最初のターニングポイントっていうかね、
ターニングポイントだったなって思いますね。
スピーカー 2
そっか。英語はその段階ではそこまでできたことないでしょ?
スピーカー 1
全然ですね。普通に県立高校。
スピーカー 2
ハードルはそんな高くなかったんですか?
スピーカー 1
高3のときからは英語というか留学するための準備をしてましたという中、
そもそも今だと海外というかアメリカの大学に行くっていうと、
学部からIBDクリーンとかすごく志が高いじゃないですか。
そもそももう日本だと高卒でいいっていうぐらいのレベルで行こうとしてるから、
そこまでのトップティアに行こうっていう気がないんですよね。
そうすると基本トフルとあと学校の内進だけで行けるから、
トフルの点さえクリアしてれば4年生の大学に行けるみたいな感じだったんですけど、
高校3年のだから春からトフルを勉強しつつ、
私が誰にでもお勧めしてる英語勉強法はラジオ英会話で、
ラジオ英会話が神、今でも神のはずなんですけど、
あれのスキットを前半期すれば、
誰でもこれ1年ぐらいやるとちょっとしゃべれるようになると思うんですけど、
なかなか難しいですよね。
でもそんなことしてやってました。
スピーカー 2
転校してるじゃないですか、アメリカ行って。
行ってどうだったのかっていうのと、
スピーカー 1
なんで転校しようって思ったのかっていう。
これはですね、留学するときのかなり唯一に近い条件が、
向こうで車を運転しないだったんですよ。
親との約束が向こうで車を運転しない。
アメリカで。
今もペーパードライバーなんですけど、
カリフォルニアのロングビーチの周辺で、
車を運転しない。
寮に住んでたんですけど、アメリカのキャンパス内の。
とはいえ寮で3食寮のご飯が出るとはいえ、
ちょっとターゲットとかに行きたいじゃないですか。
スピーカー 1
それで自転車を買って、
09:02
スピーカー 1
ターゲットはギリ行けるんですけど、
スピーカー 3
ギリギリのターゲット以外は全く行けないですよね。
スピーカー 1
無理だと思う。
無理。ほとんど無理なんですよ。
っていうあまりの不便さっていうのと、
あとカリフォルニアステートユニバーシティの一つなんですけど、
UCもそうですし、
カリフォルニアステートユニバーシティのCSUっていうのも、
大きいんですよね、一個一個が。
もう3、4万人くらいいて、
キャンパスもめちゃくちゃ広いんですけど、
だから逆に友達ができにくいみたいな。
両の友達はいるんですけど、
あんまりここなじみにくいなみたいな感じがあって、
ここに行く直前に行ってた語学学校に、
同じ地元出身の日本人の子が、
なぜかルームメイトになって、
その人がオレゴンに行ってたんですよ。
オレゴンの私が行った大学とは別のところなんですけど、
行ってたから、
その子が長期休みの時に遊びにおいでよって言って、
そこのオレゴンに行ってみたら、
オレゴンがまあ田舎で、
すごい自然豊かで、
アットホーム感があるんですよね。
田舎得意。
ここいいわと思って、
もうユニバーシティ・オブ・オレゴンがあるというので、
電話して、
トランスファーできますかって連絡したっていう感じですね。
スピーカー 2
アメリカだと結構、
スピーカー 1
あ、そうなんですか。
簡単に入れることがある。
転入できることが結構多くて、
なんだろう。
ただ、
カリフォルニアのUCだと、
コミュニティ・カレッジと呼ばれる、
短大からじゃないと、
なかなか転入しにくいというのがあるんですけど、
なんかそことこ、
トランスファーと呼ばれる転入みたいなのは、
あるんじゃないかな。
スピーカー 2
アメリカに行って、
何かを見つけられたんですか。
スピーカー 1
アメリカに行って、
見つけられたか。
スピーカー 2
やりたいこととか。
スピーカー 1
やりたいことは全然見つかってないですよね。
アメリカに行ったと言われてみたら。
見つけようともしてなかったかも。
日々。
スピーカー 3
楽しかった?
スピーカー 1
いやもう単位を取るのに必死で。
スピーカー 2
そうなんだ。
スピーカー 1
なんか、やっぱり今の、
今からアメリカに留学しようってことだったら、
もうちょっとちゃんと色々な、
勉強してから行くとか、
勉強する手段もあったのかもしれないですけど、
私トフルゼミナールの出版した本を、
本屋で買ってきて勉強するので、
ラジオ英会話しかないかったから、
行ってゼロベースじゃないですけど、
そこからやってるんで、
どうなんだろう。
金曜の夜以外は勉強してるみたいな感じだったんですよ。
1年目とかは。
スピーカー 3
学部は結局何された?
スピーカー 1
学部は結局経済学なんですよ。
だから普通じゃっていう話なんですけど、
自分はいろんなものを最初の年に取ってて、
アントロポロジー、人類学みたいなのもめっちゃ面白いなと思ったし、
ソーシャルスタディも面白いなって思ったものの、
エコノミクス101を取った時に、
これすごいと思って、
12:00
スピーカー 1
これを勉強しようと思って、
エコノミクスに納得感を持ってやれたのが良かったなと思います。
スピーカー 2
でももう4年いただけで、
日本に帰ってきちゃったんですか、卒業で。
スピーカー 1
残る人もいなくもないですけど、
当時もアメリカはすでにマスターまで行くことが前提ぐらいの感じで、
経済学部でしたけど、
自分がマスターになるにはそもそも数学とのダブルメジャーがほとんどで、
数学とダブルメジャーして、
経済学でマスター行く頭はないなって思ったし、
あとパッションもなかった。
かといって、このエコノミクスの学部から、
ノンネイティブで就職する道も見当たらずに帰りましたね。
やっぱり残ってた人は、
ドクターまで行こうっていう人、
日本人でもドクターまで行こうっていうので、
ドクターに行く道を描きながら、
オレゴン大から、例えばワシントン大とかに行って、
そこから道を開く人か、
あともう国連とかも、
国際機関で働くっていうのが元々の夢みたいな人とかは、
やっぱりその辺通過点になってくるから、
残ってそういう道を探ったりとか。
スピーカー 2
じゃあ就職は、
別にアメリカでするって選択肢は最初から?
スピーカー 1
あんまなかったですね。
自分より何個か上の人、
特に日本人とかがいて、
その人たちの就活とかも見てるじゃないですか。
っていうのを見る限り、無理だなぁみたいな。
スピーカー 2
でも日本で就職したけど、
外資だったってことですよね?
スピーカー 1
そうですね。
当時日本企業が留学生を取ることっていうのが、
ごく限られてて、
ボストンキャリアフェアに、
トヨタさんは出年しましたけど、
ホンダさんは確実にいたと思う。
だから電泊、トヨタ、ホンダみたいな、
ソニーとかパナソニックとか、
そういう大手企業はあったものの、
たぶん半分くらい、
例えば日本企業だったら半分くらい、
もともと外資が採用してたから、
採用の可能性が外資が多かったんじゃないですかね。
周りも外資にいっぱい勤めてましたね。
スピーカー 2
でも解像度は低く、
あまり何をしたいとかもなく、
スピーカー 1
なんとなく。
なんとなくですね。
全然わからないけど、
学部を決めなきゃいけないように、
多少フォーカスを決めなきゃいけないじゃないですか。
結構、
ふらふらっといろんな会社と話をしてたら、
医療系が特にMRを中心に、
すごい人を採用してたのか、
医療系行くと引っかかりがいいな、
15:02
スピーカー 1
みたいなことがあって、
これは医療系を行ってみるかっていうのをしてたら、
私が勤めてた会社のところにも、
そこのブースのところに行ってみたところ、
もともとMR職っていうか、
営業職がどうもマグチが広らしいと思って、
営業職でありますかねって言ったら、
うちは女性は営業をとってませんって言われたんですよ。
それもまた当時のびっくり話ですけど、
私が勤めてた会社が、
大きな医療機器を夜中に緊急時に搬送しなきゃいけないから、
女の子は危ないし、
寝たいよねみたいなところで、
本当に女性ゼロだったんですよ。
だけど、マーケは採用してますよって言われて、
マーケも1ミリもわからない状態の中、
わかりました、じゃあそっちで。
面接を受けて受かったっていう。
スピーカー 2
そこまでのキャリア感ってさ、
スピーカー 1
割と流されるままじゃ?
スピーカー 2
そう、流されるまま。
なんとなくじゃ?
3年働いたけど、そっからなんでコンサルという、
スピーカー 1
シュラのところに行くかっていうと、
実は最後、エドワーズライフサイエンスという会社と、
もう一社めちゃくちゃ迷って、
行かなかったのがヒタチなんですよ。
ヒタチ製作。
全然違うじゃないですか。
でも、すごい迷ったけど、
最終的に行った会社の方の人事の駆動機の方が激しかったのと、
親が小さい会社の方が全体見れていいんじゃないかって言われて、
日本だと300人ぐらい。
全世界でも5000人ぐらいっていう会社だったんで、
そっちに行ってみたんですけど、
公表してるのは、
プロダクトマネージャー3年ちょっとやってたんですけど、
2年目に担当になったのが、
心臓の家庭テルって言われるもので、
これがすごい会社がそこの市場に入ってて、
どう考えてもうちに勝ち目はないなと。
なぜかというとまずOEMだったんですよ。
クオリティも良くなくて、
どう考えても勝ち目ないなっていうまま、
でもトワイで担当だからどうしたら売れるかとか、
営業資料とかを作ったりとか、
反則のキャンペーン何やりますかとか、
カタログ作ったりとか、
展示会出て先生に説明したりとか、
北海道から鹿児島のいろいろな機関病院に営業の人と行って、
5時間ぐらい手術が終わるのを待って、
3分先生に説明するとかっていうのをやってたんですけど、
その過程の中では、
まだ23歳ぐらいのぺいぺいですけど、
これあんまり意味ないでしょって思ってるわけですよ。
どう考えても根本的に勝てないでしょっていうのを漠然と思ってたら、
18:02
スピーカー 1
その事業はなくなったんですよ、その翌年。
やっぱりみたいな。
でもこれ分かってたようにやらないからみたいなのが、
すごい悶々としてて、
でもそれを何て言うんですかね、
分析したいなとも思ってたんですけど、
何をどうしていいかも分からないんですよ。
売り上げと利益とか薄々プロタクトが分かってたり、
あと顧客リストが分かってるけど、
何も分析したり、今で言う視察。
でも当時視察ってことも分かってないから、
手を込まないで終わったっていう感覚があって、
そうした時にどうしたらそれができるようになるだろうか、
からのコンサルでもあるし、
でも実は最初の上司だった人が元マフ金税の人。
その会社の社長も今もマフ金税だったんですよ。
マフ金税のアンバサダリみたいな状態で何人かいらしてて、
外資なんですけど薄々マフ金税カルチャーというか、
その風が吹いてた。本当たまたまですね。
っていうところからコンサルって思ったんですけど、
でもマフ金税は一番身近じゃないですか、
資格をプルダウンするところがあってホームページで、
そこに会計士弁護士とかって書いてあって、
私当時赴面もなかったんで、
ドライブ運転の方だから、
誰もできないと思って、
怖くなって応募するのやめた。
あの時応募すればよかったって本当に後から思ったんですけど、
もう応募せずに。
アンダーシンですかね、アンダーシンかどこか、
今の四大のどこかなんかがすごいホームページがあって、
コンサルタントを10人以上評価してたんですけど、
そこがまた経歴が怖いみたいな。
東大から厚労省でみたいな人たちがバーって乗ってて、
怖いって思って、
これ無理ってまた思った。
スピーカー 2
そしたらカーニーがたまたまお二人しか乗ってなくて、
スピーカー 1
ワセダからパナソニックみたいな感じの人が乗ってたんで、
もうちょっと怖くないって思った。
間違いなんですけど、
入って間違いだったことは後から知るんですけど、
ここならフレンドリーかもしれないと思って。
申し込んだら普通にトラの方だったっていう。
それでカーニーに縁があって、
何年勤めたんですか?
カーニーは最初でも2年半くらいだと思いますね。
そんなもんか。みんなが一回辞めてるんですよ。
カーニー2年半勤めて、
当時のApple JapanでiPhone出る前のAppleなんですけど、
1年ちょっとくらい勤めて、
またカーニーに戻って、
そこで結婚して2回出産して、
21:00
スピーカー 1
当時時短が全然なくて、
時短を自分が作るって言ったら変ですけど、
時短制度を入れつつ、それでも働けないから、
2人目出産した後辞めて、
今もう上場してるIT系のスタートアップに
また1年くらいいたんですけど、
ここも全くワークライフバランスが取れなくて、
辞めてフリーで7年くらいやってからの今。
そういう世界観なんですけど。
スピーカー 2
カーニーでね、私時短してるんですよ。
コンサルタントで時短取れるんだって。
定時が7時とか、それ時短じゃない。
スピーカー 1
今だとね、多分何かちょっと危ない。
危ないよね。
時短7時で給料カットされてますからね。
危ないんじゃない?
7時まで働いて給料をカットって。
自分のことだけどね、時効っていうことで。
スピーカー 2
今は違うと思いますよ。
時短だっていう風になった時、
プロジェクトにチャージできない、
お客さんにこの人はお金を取りますよっていう形で
入るのはダメって言われた。
なんで?
フルコミットできないから。
だから深夜労働ができない人は、
クライアントワークに入れられないって言って。
だからリサーチとか、提案書作りとか、
サポート系の仕事しかやらせてもらえないってことだって。
スピーカー 1
それが嫌だって言ってなかった?
それも嫌でしたね。
嫌だったと田中さんに言ってたかもしれないですけど、
全部を記憶はしてないけど、
あれが今思えばめっちゃ財産ではあるんですよね。
パートナーとかの提案書を作るのをずっとやってたんで、
誰よりも提案書を作ってましたし、
めちゃくちゃ提案書を作るために、
一社一社とはいえリサーチとか分析とかするじゃないですか。
60社くらいやってて、
覚えてない何かの脳内にある引き出しは、
あの時に作られてるっていうのがあるんですよね。
その端的な部分が当時は嫌なのもあるし、
普通に考えてキャリアが開けないですよね、そこから。
それだけをやるのかみたいな。
スピーカー 2
確かに。それだって送信もできないでしょ。
スピーカー 1
送信もできないですしね。
今だったらもうちょっとうまく別にやれたんじゃないかと思いつつ、
当時は8時までにどうにかして仕事を終わらせるっていう方法も分からなかったですし、
クライアントだったり上に説明する方法も分からなかったなって思うと、
あそこでパフォームして残って昇進するっていうのは全くイメージが分からなかったっていうのが事実ですよね。
24:05
スピーカー 2
あと社内研修とか。
スピーカー 1
やってましたね。社内研修をしてましたね。
スピーカー 2
社内研修のコンテンツ作ったり。
スピーカー 1
やってましたね。
スピーカー 3
新卒の子たちの。
スピーカー 1
2回目に戻ってからですね。
これはもう今度やめてフリーになってからも他人からこれらを受けて、
研修をさせていただいたりとかってしてましたね。
あれもだから全てを振り返るとあれも良かったなって感じにはなりますけどね。
結婚して30の時に出産してるんで、
ある種子供がいなくて自由に仕事してるのが9年くらいあるじゃないですか。
で今もう子供が13歳なんで、
子供がいて働いてる期間の方がね、
私も長くなったなぁみたいな感じですけど。
でも自分としてはこの前メッセージでもちょっとお伝えしましたけど、
今まで自分のキャリアをなかなか肯定できなかったんですよ。
何だろうな、カーニーも入社して、
でも2年半くらいで辞めて、
でまた戻ったりしてるし、
AppleとかITのスタートアップとかも1年ちょっとくらいで辞めて、
もう右往左往じゃんみたいな何してんだろうなぁみたいな感じですし、
やりたいこともなんかよくわからない。
仕事は、ちなみに仕事はすごく好きなんですよ。
で仕事が好きっていうのは1社目でわかったことなんですよ。
スピーカー 2
そうなんだ、そんな流れで入った会社。
スピーカー 1
そう、流れで入った会社だけど、仕事ってめっちゃ面白いなって思って、
なんかこれ今でこそサステナビリティをやってますけど、
仕事ってマジでもお金じゃないですか。
めちゃくちゃわかりやすいじゃないですか。
とりあえずお金を稼いだ。利益を残した方が勝ちっていう。
わかりやすいわっていう。
スピーカー 2
そうなんだよ。ちょっと話がまたそれちゃうけど。
そのわかりやすさが多分、みんなそこに安直にいっちゃうんだなって自分でも思う。
スピーカー 1
その時の方がなんかシンプルだもん。
シンプルですもんね。サステナビリティっていうか人権があって。
スピーカー 2
何が答えかわかんない。
スピーカー 1
そうですよね。だから仕事は楽しいっていうのはあって、
でも逆にだからその1社目のところで自分のプロタクトがもう自業無くなった時に
悶々ともするし、これをどうにか自分で解決できるようになりたいって思うから
何か婚債になろうって何か突然思い立つみたいなとこもあるし、
なんですけど、多分根本的にはキャリアアンカーの8つの軸の中で
挑戦したいっていうのがどうしても正確にあるんだと思うんですよね。
だからアメリカも言ってるのかもしれないですけど、
自分にできないかもしれないことをやってみたいっていう欲が根源的にあって、
27:02
スピーカー 1
それを軽々とこなせたらいいんですけど、すぐ自分のキャパより超えたところをやりたいってなるから
キャパ超えしちゃってるじゃないですか。
ってことはやっぱりそこでいろいろ悲しんだり苦しんだり挫折したりとかっていうのが
つきものなんですよね。なので挑戦したい、だけどめそめそするっていうのを繰り返して
今に至ってるみたいな感じなんだなーってすごく思ったら
これは私が挑戦とライフバランスを取ろうとして格闘してきた歴史だから
これはこれでいいんだっていうのをつい最近思えたっていう。
スピーカー 3
最近なんですか?
スピーカー 1
これはキャリアアンカーっていう概念をある方から教えてもらって
何軸かっていうのを一つの軸じゃなくて、二つとかの軸で考えるみたいなことを知ったのと
直接じゃないんですけど、ストレングスファインダーとかも1位から7位まであった時に
1個じゃないと、その上位っていう概念と下位って概念と
あと真ん中みたいなもので考えるみたいなことを聞いた時に
何でしょうね、挑戦っていう軸だけだと
なんで挑戦し続けられないんだろうっていうか
その右往左往してしまうんだろうっていう
あと普通に子育てと仕事の関東みたいなことを受けるんだろうって思ってたんですけど
挑戦したいって気持ちと健やかに暮らしたいっていう気持ちが両方あるから
これで心理的にも葛藤するし
実態としても挑戦しすぎて引っ込んだり
でもまた挑戦したくてっていうのをやり続けてるっていう感じなんだなって思うと
これはこれでいいんじゃないかなっていう気持ちに慣れてるのが最近ですね
スピーカー 3
ものすごいストレッチしてるんだと思う
スピーカー 1
さっき自分のキャパを超えたところに行っちゃってって話じゃないですか
自分でもやっぱり大して英語ができないので留学しちゃったりね
日本でエリート的に過ごしてきたわけでもないのに突然外国に行ってしまうみたいなのって
キャパ超えっていうか無鉄砲っていうか部分がありますし
かといってそこから突然辞めてフリーになる
起業するフリーになるっていうのも当時
なんだろうどういうことみたいな感じでもあったりするんで
キャパ超えしてるからいいと思ってるわけじゃなくて
自分はやりたいやれるんじゃないかって思ってるからやるだけなんですけど
結果的にその辺のそこをコンサバに読まないんでしょうね
30:00
スピーカー 1
ここだったら安全パイみたいなところでいかないから
大西読み間違えてキャパ超えするっていうのが私が何度も同じ鉄を踏んでるのかな
スピーカー 2
それは頑張ったらやれるかもと思うからいくの?それともそれも何にも
スピーカー 1
いやー考えてないじゃないですかね
基本でもやりたいやってみたいっていう欲じゃないですかね
スピーカー 2
それでさ実際に転職とかアメリカ行くとか
飛び込んでみてアメリカではめっちゃ勉強してた人で
会員自体もめっちゃ働いてたじゃないですか
それはその入って挑戦してからのその先の頑張りっていうのは
何をモチベーションにできるようになりたいっていうことなんですか
スピーカー 1
それに近いんじゃないですかね
だからなんか挑戦したいっていう欲と
あと負けたくないっていう欲があるから
誰にってわけじゃないんですけど
なんかその組織にキャッチアップしたいみたいなのはあるんじゃないですかね
どうなんだろう
でも今の歳だともうやれなくてもやれるようにならなくてもいいって
スピーカー 2
諦めてることがたくさんあるので
スピーカー 1
それですごく楽になってるんですけど人生は
スピーカー 2
わかるわかる
でも私も似たようなもんかもしれないって気がする
なんかコンサル行ってね仕事がすごい面白いかって
面白い要素もあるけど
でもどっちかっていうと何かクリアしたいっていう
それなんかもう受験勉強もそうだったかもしれないし
理由はないみたいな
ただできるようになりたい
スピーカー 3
何のためとか言われても
スピーカー 1
いやできないのが嫌だから
スピーカー 2
なんか別にもうパーパスとか全然ない
スピーカー 1
そこには確かにない
スピーカー 2
短期的な彼しかない
でもなんかそういうそれは年齢なのか
何なのかわからないんだけど
時代と年齢
なんかもういいもんみたいな感じがするし
だけど松江さんが言ったみたいに
その時特にゴールがあったわけじゃないけど
わーってやってた結果そのアセットで
今余裕があるっていうのも間違いない
スピーカー 1
そうなんですよね
結局私のキャリアを根本に支えてるのは英語で
なんか本当恐ろしいなと思うんですけど
なんかそれを本当に職業に近くしてる
同級生っていうかもういるんですよね
留学してた人で
通訳になる翻訳になるとか
あともうほぼ100パー何ですかね
外資度が高くて
業務全てが英語ですみたいな
仕事してる人もいるんですけど
そういう人に比べたら全然使ってないんですけど
カーニーで最初全然パフォーマンスできなくて
苦しんでる時にも
カーニーの中で翻訳したりとか
インドと連絡できたりするっていうのに
33:02
スピーカー 1
価値発揮ができたから
生き残れたと思ってて
いやいやいやそうだよね
そうやって芸は身を助ける
でもそうやっていろんなプロジェクトに
一番の下っ端の時に見させてもらうと
なんかね目が越えていったりとか
学びが得られたりするわけじゃないですか
だからその時の英語が
意味があったなーっていうのと
あと最悪それを使えばどうにかなるって
心のどこかで思ってる
最近やっとこの5年ぐらいとか
日本人でも英語できる人がすごく増えてきたから
そこまでじゃないなと思いつつ
なんか特に20代の頃は
それがよりどころだったような気もしますし
でもコンサルに行ったことによって
得られたポータブルスキルの方が
難しいですよね表現が
そこで何を得たのかなっていう
スピーカー 3
言語化しにくい
スピーカー 1
言語化しにくい
なんかよくほら気合とか
あそこで学んだものは気合と根性みたいな
スピーカー 2
いやいやいや
スピーカー 1
言い方する人は多い
それもあるけど
スピーカー 2
それプラス何か学んでるはずで
スピーカー 3
まあね確かにね
7年フリーランスだったね
スピーカー 1
それは意思を持ってフリーランスになったんですか?
意思をまず辞めたのは
このそこの当時の会社の状況で
勤めてられないと思って辞めましたと
最初は何か起業するとかもあるかなって思って
試行錯誤してるんですけど
結局のところ
自分が今すぐお金を作ろうっていう時に
一番単価が高そうなのは
自分がコンサルをやることだと思って
そこからコンサルを受託するみたいな方に
振ったら何か口コミで
いろいろな方からいろいろなお仕事をいただいて
意思を持ってたかっていうと
基本的には意思ではありますね
当時子供の上の子2人が小学校受験してたっていうのも相まって
相まってたのと
あとその7年間の間では
うちに勤めませんかっていう
正社員としてご連絡も
おりに触れてありがたいことにあったんですけど
子供のことだけではなく
勤めようとは思わなかった
それは何だろう
総合的な判断だったんじゃないかなと思いますね
普通に転職活動する時にも
この会社には勤めないとかであるじゃないですか
っていう感じでたまたまお声掛けいただいたところは
お仕事としては受けさせていただいたけど
自分が正社員としてそこで勤めるかっていうと
ノーだなっていうので
ノーって言ってきたみたいな感じですかね
スピーカー 2
でもねフリーランスって自由だし
子供もいる中で
しかもね3人目をフリーランス中に産んだでしょ
36:01
スピーカー 2
でそこから正社員に戻るっていう
もうブランク7年あったよ
もう私今から組織って
ちょっとうーんって思っちゃうんだけど
よくその決断っていうか
あんまりレアケースでしょ
スピーカー 1
一回フリーランスで
スピーカー 2
そんな長くフリーランスやらせたり
スピーカー 1
だから実はなんかコンサルからフリーになる以上に
それを戻るっていう方がレアケースだった
という話でもあるんですけど
なんかコロナとでも第三死と
自分で潮時だと思ってた
ってこの3つが戻った理由で
コロナの正社員として
INに入社するって決めたのが
20年の夏から秋ぐらいなんですけど
当時多くの人は忘れてるかもしれないですけど
本当に会社にも全く行けない
人とも全く設定を持てないぐらいの
なんか世の中で
なんかフリーランスでこの先
営業ってことじゃなくても
どうやって新しいお客さんと
会っていくのかみたいなことは
イメージがつけなかった時期ではあるんですよ
っていうのが一つと
あと
3人目を出産するにあたって
やっぱりフリーで
自分の会社作ってましたけど
国保で国民保険で
なんか心もとないなと思っていた
なんか大企業じゃなくても
サラリーマンに属してると
やっぱり守られてる感ってあると思っていて
っていうことからすると
なんか安定みたいなものちょっとは
必要なんじゃないかと思ったということと
あとは
7年間の間で
18年ぐらいからですかね
17、18年ぐらいから
フリーのコンサルが急増してったんですよね
なんかこれは
コンサル界隈の人数が増えたからなんじゃないかな
と思うんですけど
突然月いくらの案件紹介します
みたいな会社ができたりとか
普通のことになっていったと思う
A社はいくらの案件紹介できる
B社はいくらの案件紹介できる
っていうような状態ってことは
そこが
ある意味レッドオーシャン的になってる
スピーカー 2
感覚があって
クライアントは事業会社じゃなくて
コンサル会社ですか
スピーカー 1
クライアントは
最後は事業会社じゃなくて
コンサル会社に業務委託されて
そこからまたさらにクライアントに
それが増えたんだよね
それが多分増えたんですよね
スピーカー 2
パークセンチャーの人とかに聞いても
昔はプロパーというか
社員だけでやってたけど
案件がさばききれないから
フリーランスとの
業務委託で
プロジェクトを編成するみたいなのが
一般化してきた
スピーカー 1
なるほど
39:00
スピーカー 1
でもその時に
自分の
何かのアセットが
なくなっていく感が
あったんですよ
レッドオーシャンみたいなのもあるし
何かの引き出しを使い果たしてるんじゃないか
みたいな感覚があって
なんかもうちょっと
ためないと
当時40くらいじゃないですか
ここから20年くらい働こうとした時に
リスキリングじゃないんですけど
もう一回何か
学ばないと難しそうだな
っていう感覚は
18、9くらいから
あって
でもなんだろうなというか
どうしようかな
みたいな感じは
結構あった
結構
ありましたね
だからその辺が重なったことで
なんか
重なって
当時INE以外にも
オファーいただいたところとかもあるんですけど
とにかくどこかに入社して
何かのポジションになると
そのことを絶対学ばなきゃいけないじゃないですか
それが必要かなって
思ったっていう
感じはありますね
スピーカー 2
なるほどね
スピーカー 1
だからフリーでずっとされてる方って
すごいな
どうやって
インプットをし続けるかっていうのが
あれかもしれない
自由だと
会社を
自分で作り
自分で営業して
本当に何しても自由じゃないですか
それと定めにくくて
何をしたいかみたいな
何をインプットするか
世の中に
ある種興味深いことって
めちゃくちゃいろんなことあるじゃないですか
実際的に知るのは
知るのだと密度が高まらない
みたいな感覚があって
軸を決めたい
みたいな感じ
ですかね
スピーカー 2
なるほどね
それはやっぱりね
スピーカー 1
組織の中でミッションがある方が
強制力が働くじゃないですか
確かに確かに
仕事だったら
その枠の中でやれるんじゃないかって
スピーカー 2
そうだね
実際にアウトプットして
うまくいけば自分自身の成果になるしね
なるほど
それで今
I&Eで
サステナビリティの担当
新しいミッション
っていう感じになって
さらに自分自身も
この先
また
正社員もいずれは
卒業してまた
もっと違うことをやりたいなみたいなフェーズが
いずれ来るかもしれない
みたいな感じですよね
スピーカー 1
最近私も
メンター4でメンタリングを受けてる
受けてるんですか
受けてる中で結構最初の時に
10年後何してたいですかって聞かれて
42:00
スピーカー 1
一つは
今の延長線上に
昨今の流れだから女性の社会取りになりたいな
ってことと
もう一つは
本当に最近
気づいた話なんですけど
子供が好きで
だから子供さんにいるんですけど
昔は幼稚園の先生になりたかったんですよ
でもハッと気づいた時
幼稚園の先生じゃなくて
ビジネスマンをやっていた
あの夢はどこ行っちゃったのかなって
思ってたんですけど
働いてる中で
養子っていうかもっとさらに
里親になるってのは難しいじゃないですか
家も狭いし
それも難しそうだなって
した時には最終的に
子供を支援してるNPOで働こう
スピーカー 2
っていうのに
スピーカー 1
最近なったんですよね
そう思うと
今やってることの
全てに意味があるなって思って
NPOと
少しずつうちの会社の
パーティアンビーティーの関係で
接点を持ったりもしますけど
無数にある
パッションがあったりも
するけど
そこからがいきなり
実務みたいな
部分は
元ビジネスマンが入ってたりすると
結構整えられてたりするけど
そうじゃないと
アレッジのような状況にあるし
後継者不足とかもあるし
あと
元は60になったら
近所の
町内会の掲示板で
しょっちゅう
アルバイトをしませんか
高齢者か
これに行こうと思ってたんですけど
なんか
それに行くのもいいなと思いつつ
そこで
たかが知れてるじゃないですか
やれることが
接点を持つにはいいかもしれないけど
子供のために
っていうことであれば
もっと自分が今まで
やってきたことを
もうちょっと活かした方が
より
より大きなインパクトを
残せる可能性があるかもしれないなと思って
なので55くらいになったら
それをやりたいなと
55か分かんないですけど
息子が3歳だから
一応なんか
仮に中学受験したら
10年後とかじゃないですか
今45なんで
だから55くらいになったら
中高の息子なんて絶対ママなんてそこにいない方がいいんだから
自由にさせてもらって
その時も娘たち社会人だから
55くらいから
スピーカー 2
本当に自由に
スピーカー 1
暮らせるんじゃないかなっていう
気持ちの中の
10年してそういうことやれたら
やると結構
仕事のモチベーションがないわけじゃないんですけど
つながっていく感
みたいなのを持てるなって
スピーカー 3
あったっけクボちゃんだっけ
アナウンサーの人
45:00
スピーカー 1
アメリカで幼稚園の先生かな
やりましたよね
スピーカー 3
確かにね
スピーカー 2
わかるわかる
そういう
もはやもう
キャリアアップとか
そんなね
よりどうだっていう
そういう働き方じゃなくて
本当にやりたかったことに立ち返るっていうのは
スピーカー 3
すごいわかる
人生の有限さっていうか
スピーカー 1
そうなんですよ
スピーカー 3
意識し始めてくると
よりそっちの思考もすごく強くなるし
あと自分の体力とか
含めて
スピーカー 2
みんなそうなればいいんじゃない
こんな人生100年時代でさ
ちょっとね
少し話足りない感じもしますけど
我々
まだね
サスティナビリティ
ジェンダー問題あたりはね
これからもいろいろ勉強していきたいんで
また呼んでください
アップデートできればというふうに思います
また来てください
スピーカー 3
今日はどうもありがとうございました
スピーカー 1
ありがとうございました
46:06

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