1. ART×ROOM ー作品のある部屋の裏側ー
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2025-06-23 14:25

#15 子どもの持つ破壊的な要素、建設的な要素

【内容】

子どもアートクラスの在り方/表現することが許される場/子どもの持つ破壊的な要素、建設的な要素/心の運動感覚/見えているものの背後にある動き/10年後の計画をたてちゃった


朝比奈賢 個展

「彫刻と絵画の声」


動画

⁠⁠https://youtu.be/KEXzmjF4FD0⁠⁠

詳細

⁠⁠https://de-art-de-art.com/asahinaken-exhibition-2025-japan/⁠⁠

搬入

⁠⁠https://youtu.be/PVj4la0Obts⁠⁠


【作家】

朝比奈賢

⁠⁠⁠https://de-art-de-art.com/artistken-asahina-japan/⁠⁠⁠

【聴き手】

DEアート:木村由美子


【制作】

DEアート

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サマリー

このエピソードでは、子どもたちの破壊的な要素と建設的な要素について考察し、アートを通じた表現の重要性が強調されています。心の声を表現することが子どもたちの自己理解や創造力にどのように寄与するかが語られています。また、子どもたちの感情や表現方法がどのように作品に影響を与えるのかに焦点が当てられています。

アートクラスの意義
ART×ROOMへようこそ。この番組では、部屋に掛けたいアートを紹介している、DE アートの活動の一つとして、作家紹介や展覧会情報をお届けしています。
前回からの続きをお送りします。
アーティストトークの時にも質問があったでしょ?お子さんがいる、ね、保護者の方から。
はいはいはい。
朝比奈さんもよく子どものアートクラスとかで、どんなことを教えてるんですか?とか、どんなクラスなんですか?っていう時に、
教えるっていうよりは、一緒に作ってて、どちらかというと子どもたちに教えられるんですよね、みたいな話をされてて、
さっき言ってた、何をしたいのかな?とか、価値観とか、そういうのって絵だけじゃなくて、
お仕事とか、これから何をして生きていくかっていう時に、絶対必要になってくるから、
なりますなります。
それが、別に美術だけじゃなくて、いろんなことに関係してくるじゃない?
そうです。
アートクラスの子どもたちに伝えたいのは、どうやって生きるか、みたいな。
心の問題と表現
生きるためには表現するっていうことがとても重要、みたいな話をされてて、それ大事だよなって思った。
自分の心が何を望んでいるかを知ることっていうのは、自分の仕事にもおっしゃる通り関わってくるし、それが生き方になってくるわけだから、
やっぱりそこに蓋をしちゃって、世間でこれをやっとけばステータスが高いだろうとか、
外基準になっちゃうと、見せかけのものは鎧みたいな感じでね、防御できるんだけど、
やっぱり外から作るものって無理が来ちゃうから、
やっぱり自分の心本身は必ずそこで満足されないと思うので、どう考えても満足には行き着かないから、
矛盾が生じてきてしまう。
その矛盾が鬱だったりとか、鬱っていうのはやっぱり心がブレーキをかけちゃうってことだと思うんで、
エネルギーがやっぱりやりたいことに向かって巡回してないから、滞っちゃうわけですよね。
エネルギーがどんどんどんどん減ってって動きたくないとか、ブレーキがかけられちゃうわけですよね。
そういう心の問題とか、全部今、社会問題になるぐらい繋がっちゃってるじゃないですか。
表現をね、朝比奈さんの絵の模写に黒い点を描いたり、バツを描いたりするっていうことを、
この場では許されてるって思ってその子もできて、表現するっていうことがダメなことはなくて、
とりあえず自分の思ったことは表現できる、表現している子の表情っていうのはやっぱりどんな感じなんだろうなと思って。
なんかね、分かってもらえたっていう安堵感みたいなのがあって、
うん、それそれみたいなね、そうなんだよみたいな、ちょっとこう誇らしい感じと、
あと自信とね、あとなんかこう、ちょっと掴んだっていうような感じかな。
これでいいんだっていうか、やっちゃっていいんだみたいなものを掴んで、
これなら俺でもできるよみたいな。
そこを一回掴むと、あとはね、他の人に何を言われようが、
その体験が一回あれば、それが許される場所がこの世の中のどっかに一つあるって思っていれば、
あとはもう安心だと思うんですよね。
世の中でどんだけ否定されようが、逃げ場所があるって分かっているから。
分かってくれている人がいるよっていうのが安心感になるのかな。
そういう体験も安心感になるのかな。
そうすると表現したり、何か話したり、自分から思っていることを外に出すっていうのがそんなに怖くなくなるのかな。
うん、そうだと思います。
で、その掴んだっていう感覚がその子にそこで得られたことで、
エネルギーが暴力的な方向にも向かわなくなると思うんですよ。
結構それがうまく表現できないから、癇癪を起こして何か壊したりとか、
建設的なことができない子ってやっぱり心の逃げ道を持ってないっていうかね。
それが爆発しちゃうってことだと思うので、
そのやっぱり逃げ道としてもそこを持っておけば、
ネガティブな感情の表現
その後は建設的な方向に進んでいけると思うんですよ。
だからその子に関しては掴んだかなっていう感じがしました。
そうなんだ。
なんか破壊的な要素も子どもたちって持ってるから、
破壊的な要素と建設的な要素って結構いつもせめぎ合ってると思うんだけど、
大人になっていく上で建設的な要素の第一歩に入れたのかなっていう印象でしたよ。
結構決定的な瞬間だったんじゃないかな。
そっか。
思ったことをそこ表現するって結構勇気いるもんね。
やっぱそこで否定されたらもう一生傷つきますから。
そうだよね。しかもそれが思ったことがすごく世間で言われるきれいなことで、
それ描いたらみんなが喜ぶってなんとなくわかるようなことだったら、
そんなに自分を押さえつけなくても描けるかもしれないけど、
例えばバツを描くとか、黒い丸で塗りつぶしたりする行為って、
はたから見たらもしかしたら否定されかねない行為だとわかっちゃうと、
それをじゃあそこに描いたらどういう反応されるかとか考えちゃうと、
もうちょっと描けない。
余計勇気いるっていうか。
出てこなくなっちゃうね。
だけどその考えは別に表現という形で出していいんだって思っておけば、
一応出せるわけじゃん。
出せないっていうのは結構苦しいしさ、思っちゃうことをね。
それが本当に困らせることにつながるようなことを出すっていうのはちょっと大変かもしれないけど、
ただ表現として出すっていう分には疑似体験じゃないけど、
本当にみんなが困っちゃうようなことを行動するっていうことじゃなくて、
表現としてこういうちょっと否定的に思えるようなこともできるっていう、
そっちにエネルギーが流れれば発散ができるかなと。
まあね、本当にそこをやっぱり子どもたちの心を自分で救ってもらいたいと思ってるから、
こういう表現の手段を何か一個持ってくださいっていうことを言ってるんで。
やっぱりネガティブな感情っていくらでもあって、
それを表現に、昇華ってよく僕は呼んでるんですけど、
飛躍させるっていうか、そうすることでその気持ちっていうのが人に伝わりやすくなるから、
悲しみとかね、苦しみを直接ぶつけちゃうと、
ぶつけられた本人にとっても辛い話になっちゃうから、
負の連鎖じゃないんだけど、みんな落ち込んでっちゃうみたいなことになっちゃうけど、
その表現にすれば、そんな悲しみがあるんだねって他の人が受け止められるものになるんで、
やっぱりそういう状態に、まず自分が一人で持ってけるっていう体制を自分が持っていれば、
本当に建設的な方向に人と歩んでいけるんじゃないかなって思うんですよ。
全然展覧会から離れちゃった。
でも一体なんですよね。子供の表現と自分の表現と一続きだから。
それが生活でもあるし、自分にとっては。
朝比奈さんの作品の特性もあるかもしれないけど、
この心の声とか対話っていうところに重きを置いてるから、
ついつい表現っていう方に行っちゃうね。
質問がどうしても表面的なことじゃなくて、
ちょっとその奥になんかあるよなーとか、
立ち現れてる表現の美しさとか、
例えば技術的なこととかもあるんだけど、
子どもの内面の探求
ついつい気になって話すことは違っちゃうね。
でも伝えたいのはそういうことなんですよね。
そうか。
やっぱり表面のテクニックとか素材の美しさじゃなくて、
その奥にある心の動きみたいなこと。
今回見に来てくださった方ですごく感じてくださってた方は、
一回帰ったんですけど、ちょっと家族がお買い物してるからって言って戻ってきてくれて、
グレー・オブ・グレーの三者の対話の絵をもう本当にじっくり見てくださって、
やっぱりじっくり感じてくださっている方の見方って、
方から見ててもわかるんですけれど、
こちらも話しやすくなるし、
白と黒とグレーが自分の心の中では組み替わったり、
前後に飛び出したり引っ込んだりっていう、
動いてるんですよみたいな話をして、
それを絵に封じ込めたんですって伝え方をしたら、
その方も動いて見えるっておっしゃったんですよね。
カチャカチャって白と黒とグレーが組み替えみたいなところがあるんです。
自分の中の心の運動感覚みたいなものが、
作品を通して伝えられたっていうことがすごく大きくて、
それはテクニックとかそういうことじゃなくて、
表面的な処理とかそういうことじゃない、
自分の心の深い部分の蠢くようなリズムと動きみたいなことが伝えられたんだったら、
その方一人がそういう受け止め方をしてくれたってことで、
展覧会は大成功って言えるんじゃないかなって思いました。
創造性の表現
だから背後なんですよね。
見えてるものの裏にある動きっていうのが本当に伝えたいことなんです。
展覧会を通して見てくださっている方の反応を見ても、
割と手応えが結構あったっていう感じですかね。
一番今までである感じはありましたよね。
そうなんだ。
いやーでもそうだよな。
一点一点がかなり印象に残る作品な感じだった。
そうですか。ありがとうございます。
やはりそこを伝えたいと思ってやってるから、
実際に伝わったってわかると最高ですよね。
そっか、それが伝わってるっていうのは嬉しいですね。
じゃあまた個展をするっていう時には、
体力大変かもしれない、精神的には。
ちょっと震え立たせなきゃいけないかもしれないけど、楽しみではありますかね。
そうですね。
終わった印象で、今自分は50歳なんですけど、
25年前に絵を描き始めて、
その25年間のキャリアを総括できたっていうか、
その前の25年はやっぱり良い子ちゃんしちゃってて、
自分の心に全然忠実じゃなかったっていう人生があって、
そこを否定したくて美術始めたんですけど、
その前の25歳までと50歳までっていうのが、
今回一つなぎになった感じがあって、
生産が終わったような気がしたんで、
なんかね、急に身軽になって、
今度10年後のプラン立てちゃったんですよね。
楽しみすぎる。
何やってもいいんやって思えちゃって。
なんか新たな感じになって、なんか人から向けちゃったんですね。
そうです。生まれ変わって、本当に身軽になっちゃった感じがしますよね。
いい感覚。
10年計画で今、いろいろやりたいなと。
それは楽しみだ。
個展後の心境をお聴きしようと思って、
いろいろお話をしたんですけども、
作品の話じゃなくなってきちゃって、
だんだんなんかいろいろ派生して、
起こったこといろいろ話すようになってしまった回になりました。
でもそれも全部作品につながっているんだなっていうのは、
よくわかったなと思います。
話の中で朝比奈さんも言ってたんですけど、
50歳になって、25年分の思いを昇華したので、
これから本当スタート地点に立って、
何ができるかすごい楽しみっていうふうにおっしゃってたので、
私もこれから朝比奈さんが作る作品、
ますます楽しみだなと思いながら聴いてました。
また作品が見られる機会や、
展覧会情報はDEアートのインスタグラムやブログの方でお知らせしますので、
よかったら会場で作品をご覧いただきたいと思います。
ではまたお機会に。
最後まで聞いていただきありがとうございました。
作品とのいい出会いを。
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