大人は逆に、なんかこの作品のフィードバックすごく多かったなとか、
この作品のことすごい言われたなとかは集中したりします?
うん、今回やっぱりそのパレットの『協奏曲』ってやつが。
あ、そうなんだ。
うん、結構あれが集中してました。
へー、不思議。
子どもたちはどうでした?パレットに行った子は結構いました?
そんなに?
うん、パレットに行く子はやっぱり高学年以降かな。
あ、そうなんだ。
うん、暗いからかな。
なんだろう。
うん、結構ちっちゃい子は彫刻が多いですね。
へー。
特に考えの道っていう、ブロンジで作った迷路みたいなやつ。
あれがなんか楽しいみたいで。
なんか動きがあるものに行くんですかね。
迷路みたいなやつですよね。
スタート地点とゴール地点があるのかないのかみたいなので。
面白い。
指でたどっていくんですよ。
あ、つながってたとか。
まずそういう遊びから入る感じですね。
そこでお子さんたちは絵を描いたり、思い思いの過ごし方をするんですか?
そうですね、まずは自分が展覧会をするにあたって、一番大事なことはこんなことでしたっていうことを伝えて、
それは自分の心を大事にしたんですよっていう話をして、
その心を大事にするっていうのはどういうことかって言ったら、
絵を描くときにみんなの中にも心ってあると思うんだけど、その心ってなんだろうみたいな話をして、
気持ちいいとか、喜怒哀楽とか色々答えてくれるんですけどね。
そういうものを一番大事にして描いたんだよっていう話をしてから、
じゃあみんなも展覧会の中で一番気になる作品を選んでごらんって言って、
じゃあその選ぶときに自分の心をよく見つめてないとどれが気になるかわかんないでしょうみたいな話をして、
それで見つけてもらったら、じゃあその作品の前で何でもいいから好きな絵を描いてごらんっていう形で絵を描いてもらったんですよね。
どんなの出来上がってきました?
結構なんだろう、ちょっと作品を模写みたいに描く子もいれば、
例えばちょっと金の柱にアクリルのキューブがポコって入ってた作品を見て、
パズルみたいっていう風に連想した女の子がいて、
そしたらそのパズルっていうところから自分がジグゾーパズルをやってる場面を絵に描いて、
で最後の一つのパーツがこれですみたいな感じでちょっと分けて、
最後のパーツを別にして描いてる子がいたりとか、
あとはちょっと斜めにシャシャシャって線が入ってる木の板に描いた作品があったんですけど、
その作品を見てガラスに映ってるものが鏡に映り込んでる絵みたいな感想を言ってくれて、
なんかそんな感じの映り込んだ絵を描いてたりする子もいたし。
すごいな。
あとはその『協奏曲』の絵だったら、指揮者を向こうから見た、絵の中からこっちを見た絵みたいな感じで、指揮者をなんかこう描いて風景描いたりした子もいたりとか。
すごいな。
あとそのパレットの色がフルーツに見えちゃって。
甘いものいっぱい描いてる子もいたし。
すごいいいな。いいなあ、それ。楽しみですね。
意外にね、全員ほとんど描いてたかな。
あ、そうなんだ。
あんまり描かないって子は、ちょっとこう紙を折り紙してもいいし、ハサミで切っててもいいよみたいな感じで。
ただなんか手いじってね、なんかいろいろ作ってましたけど。
あの、お子さんたちそういう場面が慣れてきたのかな、展覧会で自由に描くとか。
普段の積み重ねは出てきてるかもしれないですね。
ちょっといきなりだと難しいかもしれないです。
美術の授業でね、いきなりじゃあ展覧会で描いてくださいって結構戸惑う子多いですよね。
なんて戸惑うっていうか、どこまでいいんだろうみたいな。
慣れてないかもな。
慣れてないですよね。正解探しちゃうっていうかさ。
見えたまま描かなきゃ、写さなきゃ怒られるみたいな。
発想があったとしても、これどこまで出していいのかなとかさ、これ出しちゃったら恥ずかしいかなとかさ。
やっぱり見られるかもっていう前提があるから、美術の授業って廊下に張り出したりするし。
そうするとさ、抑制かかるじゃないですか。
抑制なしで、好きなように思ったことをじゃあ紙の上に出すって。
安全だよってわかるまで、それができるかもしない気がするんだよね。
できるかどうかもわかんないけど、練習だからさ、出すって。
だけど、例えばできたとしても出せるかなっていうのがさ、やっぱ。
出していい場所って判断しないと子供たちもやらないじゃない。
やらないですね。
朝比奈さんの展覧会があるたび、例えば朝比奈さんの展覧会じゃないにしても誰かの展覧会とかでも、
やるたびにここ出してもいい、私がここで考えても大丈夫、この妄想を全部出しても平気みたいなさ。
そこまで心の壁みたいな練習が日々の教室でね、アートクラスとか子供のクラスで積み重ねてるっていうのが、
みんなが違うところに自分の好きなところにすぐ行って、
しかもその絵の前で自分が思ったまま描くっていうか、そこに全然ためらいとか。
自分をストップするものがあんまり感じないんだよね。
今のお話しからも、前のお話しからも。
そういう場っていうのはなかなか学校とか習い事っていう場所であんまりどうなんだろう。
あったら幸せだよね。あったら幸せだけど。
まあね、それが認められるというか許される場所っていうのは必要かもしれないですよね。
今回うねうねした絵があって、それが『流転』っていう絵なんですけど、赤くて。
あのうねうねを最初写してる子がいて、でも写してたら急にど真ん中に黒い点を打ちたくなったって言って、
うち、夫が絵を全く描けないって言ってるタイプの人なんですけど、
それこそ小学校、幼稚園の時に真っ黒に塗りつぶしちゃったりするタイプ。
画面。だから、
親が心配してね、先生とね。
行ったらすぐ、自分の息子の絵がすぐわかるとか言って、やっぱりすぐわかるはプラスのわかるじゃないんですよ。
マイナスのわかるにとっちゃってるから、
これダメだったんだって思うじゃん、周りの反応を見て。
だから、すごい苦手って言ってたの、描くのが。
今も描かないよ、描かないんだけど、ただ、
そういう自分には全く無縁だと思ってた美術の世界を妻が持ってくるわけよ。
もう、有無を言わさず、家に掛けまくるわけ。
そうすると、別に抵抗感はないわけ。
家に絵が掛けられてるとか作品があるって、なんならちょっといいと思ってるわけ。
全然抵抗感ない。
だから、嫌いじゃないのよ、美術は。
本当は求めてるんでしょ?
そうそう、本当はこれいいんだろうなって思ってるのよ。
だけど、やっぱり小っちゃい時に否定された記憶があるから、自信がないわけ。
自信ね。
見る、目の。
だから、いいんだと思ったらいいじゃん。
で、私はいいと思ってるものを掛けてるんだけど、
で、それがいいなって思うのはわかるんだよって言うんだけど、本人も。
それ言い出したのは結婚して15年目ぐらいだけどね。
15年目ぐらいに突然、こういうのが家に掛けられてるのっていいよね、みたいな。
そう思うんだなと思って。
何なんだろうな。
何だろうね。
いや、そこがね、みんな安心してできるってなってれば、
アートの現代美術の現状ってこんな悲劇的な状態じゃないと思うんですよね。
やっぱり子ども教育から禍根が残ってるっていうか。
禍根がね。
もちろん好き嫌いもあるしさ、それぞれの好みもあるし。
得意ね、不得意とね。
あと文脈が好きな人もいるじゃない。その後ろ側の文脈。
この作品の背景がどうだったとか、こういう思いがあるからこうなってるとか、
この人の人生がこうだからこういう表現なんだよ、みたいな。
その背景が面白がるのもすごく面白いじゃん。
だけど、本当に見た目の好き嫌いでもいいし、感じ方でも、
そんな何でもいいじゃんって思うけどね。
アートの詳しい人にはいろんな文脈が必要なのかもしれないけど、
私なんかほら、家に掛けるだけだから。
それを自由に選べるっていう気持ちを育てるのに、
やっぱり朝比奈さんがやってる子どもたちとの付き合い方とか、
そういうのがある子は小さい頃からそういうの育めるけど、
そういう機会がないとアートって言われてもっていう感じで迷子になっちゃうっていうか。
自分の心がどう動いてるかっていうセンサーが錆びちゃうっていうかな。
自分が何を望んでるかが分かんなくなってちゃう。
自分が何を望んでるかが分かんなくなるから、
世間でいいと言われてるものをとりあえずやっとけばいいかっていう考えになっちゃう。
それが美術を始める前の自分だったわけなんですけど、
結局価値観がないっていうかね。
自分の心の動きに全く無頓着になっちゃうという状態ですよね。
次回は続きをお送りします。
制作過程はYouTubeやブログで見ることができます。
作品とのいい出会いを。