みなさん、こんにちは。だれせめ相談室のお時間です。 だれせめ相談室室長で臨床心理師のゆうこさんです。
ケリアコンサルタントのぼーちゃんです。 この番組は、ゆうこさんとぼーちゃん2人が、だれも責めないコミュニケーション
だれせめを使って、お悩み・お困りごとの解決のヒントや、元気になるメッセージをお届けしていきます。
はい、今日のだれせめなんですけれども、
被害者意識、あなたの言葉で傷つきました。
いつものように、ヤフー知恵袋からご相談をピックアップしてまいりました。
2つあるんですね。
被害者意識が強いと言われます。それをなくす、もしくは少なくするのには、どのようにしたらよいでしょうか。
それからもう一つ、職場で傷つく言葉を言われたら、そこでその言葉に、私は傷つきましたと言ったら、どう思いますか。
めんどくさがられますかね。というご相談を2つでした。
まず1個目からですかね。被害者意識が強いと言われます。
この相談者さんは、それをなくす、もしくは少なくしたいと考えている。
ということは、被害者意識を持っていることで、あるいは被害者意識が強いと言われる。
そういうふうに見られることによって、あんまりいいことは起きていないということだから、
それは少なくした方がいいと思います。
被害者意識っていうのは、ここには出てないんですけど。
例えば、この2個目の相談みたいに、相手の言葉とか、相手の行動によって、
私は傷ついたとか、傷つけられたとか、受け身の体験を感じている状態に行くことを、被害者意識っていうふうに。
被害を被ったと、私はあなたのせいで被ったという状態になるのが、たぶん被害者意識といわれることかな。
被害者意識も、何なんだってなるんだけど、やっぱりコミュニケーションってやりとりなので、
この人は、この相談者さんは、自分が例えば被害をこう思った、失礼なことを言われたとか、傷つけられたというふうに、
ラレー体験として感じてるんだけど、相互作用なので、どこが起点かによって、どっちが被害者なんだか加害者なんだかわかんない。
もう一つ言うと、もっと言うと、会話にね、被害も加害もないんですけどね。
そうなんですよね。
でも、こういう意識を持っちゃうってことは、加害者意識とか被害者意識とかね、加害、被害っていう言葉があるんだけども、
それはなんか、そもそも良い悪いとか、善悪のね、善悪の世界、価値観の世界にいると、こういうふうに、世の中の言葉とか、他者の行動とか、自分の行動も含むのかな。
良い悪い、正しい間違い、被害加害っていうふうにね、二言論で捉えちゃうっていうことが、そもそものスタートなんだと思うんですよね。
だから、このどうしたら少なくなる、なくすもしくは少なくできるかっていうことに回答すると、
良いと思われること、悪いと思われること、それぞれに、良いにばっかりでもない、いろいろ考えると、良いにも悪いもないなと。
状況変われば良いは容易に悪いになるし、悪いは容易に良いになるしっていうふうに、
ちょっとね、悪いと思っていることを、待てよと考え直すと、実はいいも悪いもないねってところに行くんだけど、これが難しいのかな。
そうですよね。本当にこれ状況を詳しく書いてないので全くわからないんですけれども、
例えば、一方的にすごく攻められてしまったとか、追い込まれてしまったっていう時に、そういうのだと被害者意識ってならないか。
そう、そうなのよね。だから被害者意識って、実際にパワハラの被害に遭ったとか、あるいは何か違法行為の被害者、まさに法的にね、被害者になったっていう時には、
被害者意識っていう言葉とか概念はないでしょ。被害は被害だから。
被害で終わっちゃいますもんね。
そう、だから被害者意識ってなる時には、そこがまあ誰が悪いのかとか、そもそも誰が悪いとかいう話なのかっていうところが、
ふわっとした状態である個人がそう思っちゃうってことに当てはめる言葉なんだよね、きっと。
そうですね。
だから、それをひっくり返して言うと、絶対的にそれは被害者だとか加害者だっていうふうに言えない、受け止めの問題というのかな、やりとりのすごくアナログな部分の問題。
アナログな部分というか、雰囲気の問題っていうかね、絶対的に法的に間違ってるわけじゃないけど、嫌だなぐらいのことで被害者、加害者っていうふうに人は思っちゃうとか言っちゃうみたいなね、そういうことだね。
そうですね。人間って区別したがる動物でございますから、やはりそうやってカテゴリー分けして、被害者意識の強い人にどう対応しようかっていうふうに考えてしまうのは普通のことですもんね。
そうなんですよね。でもなくしたい、あるいは少なくしたいと思うんであれば、受け取らないことなんですよね。被害に遭ったと感じるときの、相手の加害の言葉あるいは行動を受け取らない。
そうか、変なこと言ってるなーとか、ちょっと何言ってるかわかんないとか、心の中にまで、自分の中にまで入れない。なんか変なこと言ってるなーっていうふうに、とか、あるいは私とは違う考え持ってるなー、違うなーっていうだけで、別にどっちが正しいとかじゃなくて、自分とは違うな、考え方が違うんだな、価値観が違うんだな、ってただそこで留めとけば、被害でも加害でもないところに留まれるっていうかね。
そうですよね。だから、自分事としないようにする努力をするってことですかね。
そうね、そうね。そうなのよね。それが難しいっていうことだとは思うけど。
そうですね。なんかそうね、自分事としないっていうのって、なんか不責任に感じてしまうときもある?
そうね、そうね。ついそう思っちゃう。確かに責任感とか責任の問題っていうふうになっちゃうんだけど、でも本当はそうじゃないんだよね。だって世の中の多くのことは、自分の責任の範疇外じゃない?
そうなんですよね。
しかも発言した人の責任において発言っていうのはあるから、受け取る方が責任は取る、そもそもないので。
そこがなかなかね、難しいと思うんだけどね。
そうですよね。でもそうなってくると、その2つ目の先ほど言った、あなたの言葉で私は傷つきました、みたいなね、発言は受け止めた人にとってはとても重い言葉になっちゃうんですけど、
言った人はそこまで気がついてないってことですか?
気がついてないか、わざと言ったかのどっちかなんだろうけど、でもこれはね、傷つきましたっていう、私は傷ついたぞっていう感じ方っていうのは、それはそれでいいも悪いもないんだけども、
この伝え方だと、あなたは私を傷つけましたって言ってることになるから、この言い方だと角が立って、結果めんどくさがられますよねとこうなりますね、回答からいくと。
めんどくさいですね、こういう人来たら。
られますよね。こういう人いたよね、いるよね、みたいになっちゃうんで、そのことを言うことによって何を伝えたいのかっていうのを、
アサーションっていう言葉はあるんですけど、健全な自己主張として、あなたが悪いわけでもないし、私が悪いわけでもないしっていう立場で、フラットに、ちょっとそういう言い方されると私もちょっと嫌なんで、こういうふうには言わないでよとかね、ちょっと言いやすい、相手も受け取りやすい言い方で、私はそれはやめてほしいっていうことだったらそう言うし、
そんなふうに言わないでっていうことを、ちゃんとね、どっちが悪いとかじゃない言い方で伝えるのが、これがアサーションなんですけど、それをやらないと、傷ついたって言われても、何に、どこに、どこがどうなって傷ついたのってわかんないかもしれない。
そうですよね。いきなり傷つきましたって言われても、なんかそれは、私が全部悪かったのっていうふうに、先ほどの被害者意識じゃないですけど、全部受け取ってしまって、ずれてまたその人が傷ついてしまうってことはとっても多いと思うんですよね。
そうそうそうそう。だから、私は傷ついたわよ、傷つきましたよっていう言葉は、半分だけ言ってて、具体的なことがないので、あなたのせいで私は傷ついたっていう、ちょっとこう、答えとか何がどうなってっていうのを隠したまま、相手を責めてる言葉にもなっちゃうからね。
いろいろ想像しちゃいますよね。言われたほうが。
そうそうそう。だから、どれがいけなかったんだろうとか、どれでこの人は傷ついたんだろうっていうのは、まあまあ当たり前じゃないんでね。人が傷つくワードとか、人が傷つくことって共有されてるわけじゃないので。
まあよっぽどひどいね。言葉を使ったんだったら、そりゃあこれがまかり通るんだけど、そうでもない限りはね、何がどう傷ついたのかっていうのをちょっと吟味して、それをそのまま伝えると相手がどう受け取るかっていうのをちょっとシミュレーションした上で、それでも言うべきだと思ったら言ってもいいんだろうし、そういうとちょっと本位、こちらの伝えたいこととずれちゃうなと思ったら、ちょっと言葉を変えたほうがいいですね。