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岡大徳
ありがとうございます。先ほど話にありましたアクティブリスニングということなんですけども、アクティブリスニングっていうのはどういったことをされるんですか。
畑中伸枝
アクティブリスニングっていうのは、本当にその人が感じていること、考えていることをそのまま受け止めるというものです。
人の話を聞くとどうしてもそれに対して自分はどう感じるかっていうことで、会話が生まれるために聞きながら何かを言わなきゃいけないとか何か言った方がいいんじゃないかっていう思考が働きやすいですけれども、
まずはそういった自分の考えや気持ちを気に置いて、目の前の人が何を話したくて、何を考えていて、どんなことを感じているのかをまずは聞く。
そこからスタートして、その方が悩んでいる問題にたどり着き、本人も気づいている、まだ気づいていない問題解決の方法を一緒に探していくっていう、そんなものだというふうに捉えています。
岡大徳
ありがとうございます。アクティブリスニングって、今定義、お話、アクティブリスニングについてお聞きしたんですけど、親子関係でいうアクティブリスニングっていうのは具体的にどういう感じになるんですか?
畑中伸枝
ありがとうございます。このアクティブリスニングを一緒にやりたいなっていう仲間を増やしていく中で、親子関係でこの話を聞くっていうのが非常に難しいよねっていうのが話題に上がるんですけれども、
子どもに対しては本当に親は良かれと思っていろんなことを言いがちなんですけれども、一択で子どもに対してのアクティブリスニングは質問しないこと、そしてとにかく黙って子どもの話を聞くと。
で、例えば子どもの話を聞きましょうっていう話だと、たとえば帰ってきた子どもに、今日学校で何があったの?とこっちが聞く。そうすると話を聞いているようなんですけど、それは私が聞きたいことを話させているだけで、相手が話したいことを聞いているわけではないんですよね。
なので、とにかく相手が話したいことを話してもらうためには、質問をしない方がアクティブリスニングに沿った話を聞く行動になっていきます。
岡大徳
ありがとうございます。親子で子どもに対してのアクティブリスニングっていうのをされていて、その時間を大切にするって親子のクオリティタイムをされているという感じかなと思いました。
親子のクオリティタイムに取り組んだきっかけ、畑中さんが主体的にそういった取り組みとしてされるようになったきっかけっていうのは何かありますか?
畑中伸枝
はい。きっかけは、本当に2021年に赤羽さんと、今一緒に対談させていただいている岡さんと出会って、アクティブリスニングっていうものを知り、親子のクオリティタイムというものを知った。それで始めたっていうのが本当にきっかけです。
岡大徳
知ったっていうところから、取り組みとして畑中さんが主体的に発信をするようになったきっかけはいつ頃ですか?
畑中伸枝
2021年からノートのブログでアクティブリスニングができるようになって、それを広げていきたいということでノートブログを始めました。
冒頭でも自己紹介でもお話しした通り、10年以上子育て迷子でどういうふうに子育てをしていったらいいのかがわからずに、いろいろ迷ってたんですけど、赤羽さんのアクティブリスニングの話を聞いたときに、絶対これだなっていうのにビビビッと来たんですよね。
やはりいろんな迷いとかどういうふうにやったらいいのかなっていうのをずっとゴールが見えたというか、これだなっていうところに私の中であったので、
常々実践してこんな変化があったよとか、こういうふうにやったらこんないいことがあったよっていう経験がたくさん出てきて、きっと同じようなことで困っている方もいるのかなということで、自分の経験をブログに一個一個残していったというところです。
岡大徳
ありがとうございます。
今、赤羽さんのアクティブリスニングと出会ったっていうことなんですけども、アクティブリスニングっていろんなアクティブリスニングがあると思うんですけど、赤羽さんのアクティブリスニングっていうのは何か他のアクティブリスニングと親子の関係で違うところって何かありますか?
畑中伸枝
大きく親子関係でいうと本当に違うなと思うのは、子どもの教育的視点を持たないっていうふうに思うんですよ。
私、赤羽さんのアクティブリスニングに出会うまでは、話を聞くっていうことはもちろん大切なことって言っていますし、やっていたんですよね。
例えば、子どもが何か買って買ってって言うときに、買ってほしいんだねっていう気持ちは聞くし、買ってってもダメよっていう言い方は特にしていなかったんですけど、
十分聞いた後に、これは買ったばかりだから我慢しようねとか、出かける前にも約束したから今日は我慢しようとか、
最後の我慢しようっていうふうに、親が子どもに望むこととか学ばせたいことを、それが余計な一言だったなっていうことに気づいたんですよ。
子ども自身がどうするかをまず我慢しようねっていうのは、結局こっちが子どもに我慢をすべきだよっていうふうに子どもの行動を指示しているんですよね。