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  2. 第7夜『お地蔵さま、下町とタ..
放送回エピソード:「大都会 お地蔵さまの前で」(2021年6月11日放送)
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真夜中、コンビニの駐車場で。
このポッドキャストは、一つの場所を72時間にわたって定点観測する、某公共放送局のドキュメンタリーを大好きな二人が、番組についての感想や愛を語ります。
ということで、今回はですね、大都会お地蔵様の前でという回の話をしていければと思っております。
この回はどういう回かと言いますと、大都会お地蔵様の前でっていうタイトルの通り、東京の下町と多摩湾が並んでいる津久田っていうエリアがあるんですけども、東側ですね。
ところにあるお地蔵さんが舞台で、本当にビルとビルの隙間みたいなところにあるお地蔵さんなんですよね。
絶対普通に歩いていると気づかないような、細い路地にあるところなんですけど、そのお地蔵さんを日々訪ねている人がいて、それはどんな人なんだろう、みたいなのを3日間迫った話になります。
ということなんですけど、本田さんどうでした、この回は。
この回はそうですね、結構この、やっぱりお地蔵さんということでもちろん、言ってしまえば東京の民間信仰みたいなところの話だったと思うんですね。
300年前から続くっていう感じになって、ただ場所は本当に大都会なわけで、
なんで、単純になんでここだけこんな感じで残ることができるんだろうかっていうこととか、あとはそこに住む人とか通り行く人々のコントラストですよね。
この後またいろいろ話せればと思うんですけど、来る人が結構何というか一筋縄ではいかなそうな人たち。
そういうところのコントラストっていうところが、まああの面白い回だったなぁと思うんですけど、ちょっといかんせん東京のちょっと土地感もあんまり良くないもんですから、そこらへんも含めて、すごいあの今回山口さんいろいろ聞きたいなぁと思ってたところですね。
場所的にはまさに下町とタワーマンが共にあるっていうふうに解説されて、南道がタワーマンションも映るんですけど、これって別に昔から共存してたわけではなく、下町があったところに下町の一部を開発してタワーマンが立つっていう。
で、今ここっていう感じなんですね。だからもしかしたらおいおい自分たちが住んでいるところもタワーマンションに変わるかもしれないっていう、まあそういうエリアではあるわけですよ。
で、下町に住んでいる人とやっぱりタワーマンションに住んでいる人って、価値観がやっぱり違うんですよね。そこの違いが結構ある。
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いろんな人がいる、本当にそれこそお金持ってる人もいれば、謎の社長みたいなの出てくるじゃないですか。
結構出てきてますよね、謎の社長。
謎の社長とか、この人は何をしてるんだろうみたいな人出てくるし、本当にいろいろ言ったじゃないですか。
言いましたね。
あれは津久田っていうか、下町とタワーマンが共存する東側エリアの築島とかその近くだと思うんですけど、その辺のエリアの特徴ですよね。
住んでる人の感じは映像のままかなと思います。本当に。
で、それってその下町エリアの人とタワーマンションの人ってやっぱりどうしても交わることがないんですよね。生きていたい。
で、その交差点がないんだけれども、あのお地蔵さんっていう前であれば交わっているっていうことが、一応今回見るとわかる。
逆に言うと多様性を描けるのはお地蔵様の前でしかないってことなんですよ。東京のあのエリアで多様性を描こうとすると。
あの場所においては。
もちろんコンビニとかはあるけど、そういうところを除くと本当にそういうところしかないんじゃないかなっていうのがありますかね。場所柄って話で言うと。
あの場所ではみんな平等に祈る存在であるっていうこと。
そうですそうです。しかもあれその祈るっていう行為をみんなしているけれども、実はあれって何に祈ったんですかみたいなの聞くと何にも祈ってないみたいなことを言う人が何人かいたじゃないですか。
あれってもう行くことが習慣化してるんですよね。大学生かなんかが途中最後の方かなって出てきて、おじいちゃんからこうずっと通ってたから来てるんですよねみたいなことを言ってる。
お地蔵さんって昔から別にそうだと思うんですけど、それが祈る祈らないとかそういうその信仰の対象というよりもどっちかっていうと習慣としてそこに行くっていう本当に平たい言葉で言うとパワースポットなんですよね。
僕らの生活の中にあるそのパワースポットにふらっと行ってパワーをもらうっていう習慣なんですよ。
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それだけで帰ってくるみたいな。祈る場所ってよりもそういう交差点とか場所パワースポットっていう感じになってるんじゃないかなって思いましたね。
その部分は本当そうですよね。最初に自分が言った民間信仰っていうのは結構そういうニュアンスがあって、いわゆるものすごく日本的な風景なんですよね。
祈るって言ってもそれこそ何に対して祈ってるかわからないし、その作法も人それぞれだし、というよりはそういう縁起物とかも言いますけれども、
そういうふうにパワースポット的なパワーを習慣的にお参りすることで、日々の生活に意味を見出していくというか、ご利益があるかもしれないみたいな形で過ごすことができるっていうような考え方自体が、
本当にこれが300年前からの時代からやってるって話もそうですけど、多分もっとそれ以上前に日本の特徴的な宗教観だと思う。これを宗教と言ってしまっていいかどうかも怪しいぐらいの、そういう宗教観。
風俗観ですよね、どっちかっていうと。文化的には。風習とか風俗に近いですよね。もっとライフスタイル寄りっていうか。
結構このライフスタイル寄りに考えるっていうこと自体がやっぱり日本っぽいと思うんですよね。お地蔵さんに乗るっていうことがそっちによっていくっていう、その曖昧さみたいなところがやっぱり、日本っぽいなっていうふうにすごく思ったっていうのがあって。
これ結構何人かいらっしゃいましたけど、実際はあそこのところって奉納してる人のものじゃないですか。そうですね。
教鎮を入れてない限り正直祈ったって祈る権利、宗教的にすごく四角四面に見ればないわけですね、権利は。そうですね、四角四面に見ればそうですね。でもそういうことじゃないんですよ。
そういう部分が東京のこの大都会のところにもあるんだっていうことに少しほっとしつつ、とはいえやっぱりここと向こうみたいな形の対比もすごくあるので、そこの危うさと、じゃあここってやっぱりいつかなくなってしまうのかなとか、そういうのはすごい思いました。
あとは、物言わぬ存在、お地蔵さんがですよ。だからここを鏡のようになるんじゃないかなっていうのは思っていて、例えば子供がぬいぐるみに話しかけるみたいなのも結局自分が考えるものと話してるみたいなことに近い話だと思うんですけど、
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お地蔵様に祈ることによって、お地蔵様が返してほしいというか、言ってほしい言葉とか、実は自分が祈ってるんだけど、それって鏡のようになっているような気がしたんですよね。何かを言うことが自分に聞かせていること。
ちょっと何のエピソードか忘れちゃったんですけど、でもそういうのは非常に複雑骨折した放育士の人。
収穫中の女性ですよね。
本当に悩みを抱えている人とかは、キリスト教とかで牧師みたいな聞いてくれる人、喋る存在ではなくて何も言わない存在。だからより自分と対峙することができる、向き合うことができるっていうのはある。もしかしたら効果としてあるんじゃないかなっていうのは見てて思いましたね。
なるほど。遠藤修作の沈黙ですね。
そうそう沈黙。
サイレンスですね。
サイレンスです。それは本当に思ったところです。ただですよ。
ただ。
ただ。
ただっていう話していいですか、ここから。
いいですよ、どうぞどうぞ。
ただですよ、この回をドキュメント72時間的に考えると、作られすぎてるんですよ。
なるほど、そこ来ますか。
これはね、作られすぎてるんですよ。
これちょっと良くないとこ出てますよね。
これ良くないとこ出て、欲しがっちゃった感じ出てるんですよね。
欲しがってますよね。エモさを欲しがってますよね。
もうあの開始10秒ぐらいで思いましたもん。
いや本当そうですよね。だって思い立って、だって僕メールしちゃったぐらいですもんね。
そうそう。その時僕まだ見てなくて、そんなやべえのかなと思ってつけたら見た瞬間、やばいと思って。
やったなこれってやつですね。
そう、やりやがったなみたいな。
急なカメラワークですね。
スローモーションとかね。
スローモーション。子供がはしゃいでるやつのスローモーションはちょっと。
あとね、新しい朝が来たラジオ体操映像とかやばいですよ。
あれほんと狙ってますよね。
もうね、そういうんじゃないんだよっていう。
そうなんです。ドキュメント72時間ではそういう演出はあまり求められてない。
そう。あれが例えば単発の30分番組とかでこの感じだったら全然僕はいいと思うし、むしろ結構完成度高いなって思うんですよ。
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だけどこのお地蔵様の前で、ドキュメント72時間という枠の中でやるのであったら物語を作りすぎちゃってるんですよね。
そうですね。
どうしても。
やっぱり我々72時間原理主義者からすれば。
そうなんですよ。ちょっとね、全体としてのストーリーラインを引きすぎてるんですよね。
編集が。
編集が。
これはいくつか要因があると思っていて、それは緊急事態宣言中の取材だから。
緊急事態宣言中にお地蔵様の前で祈るっていうことはきっとこう、何らかの悩み事があるのだろうみたいな。
思い込みでもないんだけれども、そういう風に見てほしいっていう演出はあるわけじゃないですか。
そうです。
でも最初にこれまで前半で語ったように別に習慣化してるだけだし、特に祈ってない人とかもめっちゃいるわけですよ。
そういう多様性こそを見せるのが、このドキュメント72時間という枠なのに、どうしてもその雰囲気というか、雰囲気に飲み込もうとしてる編集が良くないんですよね。
そうですね。本来来てる人たちの集合無意識みたいなものをわざと炙り出さずに、単純に集めることで見えてくる、線が結ばれていく感覚っていうことをやらなきゃいけないのに、もう分かりやすく次こっちです、次こっちですって道が示されているような回。
分かるんですよ、やっぱりこれ最初にこのお地蔵さんなんだって思うんで、説明が必要じゃないですか。
はい。
なんでわざとらしく、ここの場所を端的に説明してくれるおじさんみたいな人が、最初に説明してくれるんですよね。ここはこういう場所でみたいな。
はい。
分かるんですよ、演出上。
はい。
でもまあそれ以降もそれこそスローモーションだとか。
はい。
そういうのはちょっとなんか違うんじゃないのっていうふうにはやっぱ思っちゃうっていうところですよね。
そうなんですよね。これって結構その、あの演出が視野を狭めているような気がしていて。
はい。
あのイチョウの木って300年前が経ってるみたいな橋あったじゃないですか。
うん。
で、この作品は今しか見てないんですよ。
はい。
緊急事態宣言中の今放送する価値っていうことに焦点を置きすぎてるんですよ。
置いてますよね。
うん。
確かに今放送してこの内容は素晴らしいですよ、本当に。
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うん。
メッセージ性も含めて。
うん。
イチョウの木の300年みたいなものを撮るんだったら、ちゃんと後から見ても本当にコロナも開けてもそうだし、逆にコロナよりもっと前の2000年代、ゼロ年代前半とかに見ても、
ああそうだよなって思うぐらいのもの、もう本当は耐え得る場所で育いだったはずなのに、やっぱりこう今起きすぎたっていうことがちょっと気になったところなんですよね。
うん。
確かにそうですね。
もうちょっと広い、広い物語があそこにはあるはずなのに。
そう。
ちょっと焦点を当てすぎかなっていうのは確かにありましたね。
そうなんですよ。
やっぱりでも引き入れで見ても単純になんであれだけ残されるかって結構不思議じゃないですか。
不思議です。
あれって結構知りたいなと思っちゃったんですよね。
なぜあの場所であの木だけは、それは霊源が新たかな木かもしれませんけど、残って。
あの木を避けるように家が建てられるっておかしいですもんね。
そうですよね、なんか。
そんなことあるの?みたいな。
訳ありかなって思っちゃいましたね。
思いもなんかその、まさかどの首塚とかあるじゃないですか。
はいはいはい。そういうイメージ。
そういうのに近い何かが起きると思うわけじゃないですか。
思いました思いました。
実際はね。
だけど、なんかそういうところもあるだろうなとか思うんですよね。
そういうところの何ていうか、無味簡素な描写がないっていうか。
そうなんですよね。
あ、こんな大都会に、でもここだけは生き生きと、みたいな雰囲気だけで撮ってるから。
ちょっとそれらしい的なのかなと思ったりとか。
そうなんですよね。
その下町とタワマンっていうその対比と、こういう緊急事態宣言中で、
こうなんかシャッター外に今お店閉めなきゃいけないかなってますとか。
そうですね。
なんかっていう、もう作った人の意図がもう見えすぎてるんですよね。
こうやって読んでくれ、こうやって見てくれっていうその自我が出すぎてるんですよ。
やっぱりさっきの本田さんのおっしゃってた線をつなぐっていう話がやっぱりつながれすぎちゃってるんですよね。
本当はその僕ら見る側がつないでいく、物語を紡いでいかなきゃいけないもの。
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それによってこう見る人によって多様性。
どこに引っかかったのかと全然違うし、変わっていくのに。
やっぱりあそこまでリミッドされちゃうともちろんわかりやすい。
もうこれは誰がどう見てもこういう話だっていうのはもうわかる。
エモーショナルになっていきますよね。
めちゃくちゃエモい。
だから別の観点から見るとすごく成功しているドキュメンタリーなんですよ。
糸を伝えるっていう面でいくと。
だけどやっぱりその本当に場所の多面性とか、そこに集まる人々っていうものを描きたいのだったら、
あんまりもうちょっと別の方法があったんじゃないかなっていうのは思ったところですかね。
やっぱ気が入っちゃったかな。
緊急事態宣言でなかなかうまく取材もできなくて。
私思うんですよ。
実際行くと胃腸の気がやばすぎるんだと思うんですよ。
そこがそれこそ引き込む力みたいなのが。
本当に霊言が高すぎて、こういうものを作らねばならないみたいな気にさせられちゃうような気がするんです。
なるほど。
だから別にこの作っているスタッフたちもこれが初めてとかじゃないじゃないですか、きっと。
まあそうでしょうね。
これまでやってるだろうにこうなってしまったっていうのは、やっぱり場所の力、それこそもう場所の力なんだよ実は。
あーなるほど。
行って、腸の気、やばすぎるだろここ、みたいになって。
このやばさをできる限り自分が監視体系を伝えなければならないみたいになってしまったんじゃないかなって。
これは別に妄想だから半分。
実はどうかわからないけど。
それだけすごい場所なんだろうなっていうのは、あの違和感を感じる映像から汲み取りましたね。
持ってかれましたね、今回は。
だから実際行くともしかしたら違って見えるのかなって思うかもしれないです。
そうなんですよね、ちょっと行ってみたいですよね。
それは単純に聖地巡礼的な意味ではなく、これって実際はここってどういう場所なんだろうっていうのを確認するみたいな感じで行きたいです。
結構ここの周りも重要じゃないですか。
うん。
これはこのビルとの隙間しか映してないけど、どういう通りなのかとか。
本当おっしゃる通り、Googleマップで検索しましたもん。
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どういう通りなんですか?
いや、わりとタワマンから遠いんだと思いました。
あの引き上げ見る通りでしたけど。
お店とかちょっとごめんなさい、見てないですけど。
これわりとそれこそ築島とかそっちの方に県内で、タワマンのところってそれこそ橋を渡っていく。
こちら側とあちら側ってすごい早期させるような造りになってるなと思いました。
土地の配置的に。
それがそうなんですよね。
開発に取り残されたっていうふうに見る人ももちろんいるかもしれないし、ここだけが下町の暖かみを残しているっていうふうに思う人もいるっていうエリアですよね。
そうですね。
それは表と裏だからどっちが悪いじゃないんだけど。
本当はそういう二面性みたいなところまで描けたら、これはすごい場所で作品になったんじゃないかなと思う。
そうですね、そうかもしれない。
この緊急事態宣言取材じゃなかったらそこまで行けたんじゃないかなっていう。
なるほど、全く別の紙界に昇華していた可能性がある。
本当に開発されゆく街と取り残されるのか残っていくのかわからない下町の人たちっていう新しい変化とそのまま残る人たちの物語として実は描き直すこともできたんじゃないかなと。
そう思ったりもしますね。
なるほど。
非常に場所は魅力的ですよ、本当に。いろんな問題をはらんでいる場所かなと思いました。
なので再録を期待って感じですね。
そうですね、だから最近その後みたいな取材やってるじゃないですか。
その後みたいな取材で劇的に何か10分挟まれただけで究極的に見え方が変わるとかって最高ですよね。
そのアップデートを期待しますよね。
期待しますよ。その後でアップデートしてほしいな。
いいですね、それは。
それを期待します。
期待しつつということで。
はい。
じゃあこのような形でありがとうございました。
ありがとうございました。
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