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2024-11-15 28:22

第165夜 『鳥取、海辺の自然発生墓地で。』

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放送回:「お盆の鳥取 海辺の墓地で」(2024年10月4日)

サマリー

このエピソードでは、鳥取県に位置する海辺の自然発生墓地と、お盆の時期に関連する風習について語られています。特に、幻想的な夜の光景や地方独自の埋葬習慣に焦点を当て、土地と人々の結びつきを探求しています。第165夜では、鳥取の海辺にある自然発生墓地について考察が行われ、土地の力や死生観、現代的な価値観と伝統的なスピリチュアルが交差する様子が示されています。また、モザイク処理された内容や死出し屋の存続に触れながら、土地と記憶の結びつきについても考慮されています。

鳥取の海辺の自然発生墓地
真夜中、コンビニの駐車場で。このポッドキャストは、1つの場所を72時間にわたって定点観測する、
某、公共放送局のドキュメンタリーを大好きな2人が、番組についての感想や愛を語ります。
今回は、お盆の鳥取、海辺の墓地で。ということで、鳥取県の、本当に海辺の、海っぺりの目の前にある墓地が舞台なんですけれども、
花見型墓地という名前で、自然発生でできた墓地というところなんですけれども、ここにお盆の時期に密着した密家館というところです。
まあね、その土地ならではの風習というか、そういうのも見えて、夜にはね、本当に明かりが灯った幻想的な光景も、まあ見れるというそんな場所だったんですけれども、
今回いかがでしたでしょうか、山口さん。
これはですね、久々のスピ会ですよ。
スピ会、まあどっちだからね、まあ。
そう、久々のスピリチュアル会ですよ。
スピリチュアル会に入るんですかね、これ。
なんか、全てがこう、スピリチュアルって、怪しいみたいな感じもちろんあるんですけど、それだけではなくて、すごく土着的な感じのスピリチュアルだなっていうのが、本質的にパワースポットっていうかはあるなと思ってて、
今回はその、成り立ちが不明の自然発生墓地っていう、なんか言われるじゃないですか、本編で。
自然発生墓地って何?初めて聞くぞ、それみたいなワードじゃないですか。
いや、ワードは初めて聞くんですけど、逆に自然発生じゃない墓地って何なんだろうとも思いましたけどね。
でもそれも寺が管理してここを墓地にするんだって決めてですよ。
これも自然発生じゃない?とか思ったりするんですけど。
それはなんかあると、街作りみたいなマスタープランっていうか、って言うとあれ大げさだけど、そういうのがなんか。
ある気がしてて。
近代墓地との違いですよね。
近代墓地との違いがあって、そこがまず本当にこうなんていうんですかね。
この場所の歴史が知りたくなるなって思ったんですよね。
なんでそもそもここにこんなのができたのか。
で、実際今回の取材の中でも、自然発生がゆえに相当入り組んでるじゃないですか。
入り組んでるし、いろんな宗教がある。
で、クリスチャンもあってみたいな。
不思議な石の墓もあってみたいな。
なんかそういうところはきっと、こういう今回の場所柄も多分あると思うんですけど、鳥取っていう。
そういうところも含めて、すごくこの場所性が現れていて、なおかつこういうちょっとお墓っていうところもあって。
久々にスピカ行きたなっていう嬉しい気持ちでいっぱいです、僕は。
お盆の風習と光景
おそれ山の会とかね。
そういうのとか、あと去年だとね、島根のよもつ平坂っていう場所だったりとか、
そういう一般的な場所というよりはどちらかというと土着的なって本当にその通りの場所で見えてくるものっていうところはあって、
ただその中でもね、時期としてもお盆の時期に密着するっていうのも結構微差だなっていうんですよね。
結構ね、これ僕あれ、いつからやってないんだと思ったんですけど、
お盆で取材してるのって結構ね、2016年の長崎のお盆で花火、爆竹のそれこそっていう、
会員依頼ぐらいじゃないかなって感じで、
意外となんか日本の夏お盆みたいなのってやってなかったんだなーって思ったけど、
当たり前ですけど、お盆の期間って基本的に帰省シーズンだったりもするので、
その時に全く別の県に旅行に行ったりしないわけじゃないですか、あんまりね。
行ったとしても地域のお盆の送り火とかっていうのに相対することもそんなにないので、
赤々でこういうNHKとかが取材してくれないとわからないんですけど、
鳥取にこんな場所あったんだっていうのは非常にびっくりというか、
やっぱり送り火迎え火みたいなのを焚くんですけど、
それをね、本当に墓地の石碑みたいなところにロウソクを焚いて、
それを夜通し焚くっていうのがね、習わしなんで、
本当に夜になったら星空みたいに明かりがね、灯ったのが印象的っていうのもあって、
いやーまだまだこんな場所あったかみたいな、心はびっくりしましたね。
石灯籠っていうか、その中にロウソク灯し続けて、
本当にあの光景が、それこそ室町時代からあるらしいみたいな話途中出てきますけど、
あの時代から本当に変わってないというか、ものなんだろうなっていうのが、
時代性が懐かしいとか古くていいとかでもなくて、
時代性がいい意味では全くない風景なんです。
自然に近い風景っていうか、すごく感じましたし、
だからこそ今本田さんも言ったみたいに星空みたいな、
そういう自然的な感じ、人工物なんだけど自然的な見え方がするっていうのは、
なんかそういうとこなんだなっていうのは本当に思いますね。
当たり前ですけど、僕らが感じ取れる懐かしい古いとかのスケールじゃないんですよね。
昭和とかじゃなくて、だってこれ室町時代からって言われてるんで。
だからもう時代感のスケールも違うし、
自然発生墓地って言ってましたけど、普通はちょっとやっぱりありえないんですよね。
民族学的視点からの考察
海っぺりのここまで近いところに墓があるっていうのは。
やっぱり基本的に計画されたお寺とかがあるところの墓地だと、
どちらかというと高台にあったりと、潜んだきっそりとした場所にあったりするんですけど、
お墓の意外と土地性っていうのも土地柄いろいろあったら面白いんですけど、
ある地方に行くと家の中の敷地に絶対墓地があるとかね、そういうのもあるんですよ。
集団墓地じゃなくて、家の敷地の中に必ず墓地があるような地域とかもあったりして、
実はこういう民族学的にいろいろあるんですけど、
その中でも海に近いっていうのもなかなか珍しいんですよね。
でもよく考えるとそれはそうで、ここが海辺の町だからこそ海の近くに住む。
やっぱり海っていうのがそもそも生と死の境目というところがあるから当たり前で、
だからこそ途中すごいロマンチックな家族で来てましたけど、
おじいちゃん海が好きで常に出かけるのが趣味だからって言って、
だからこそわざわざこの場所を選んだんです。
そのおじいちゃんの奥さんは沖出身なんで、
ここから実はちょっと見れるんですっていうロマンチックなところも含めて、
だからこういう場所にお墓をね、築いたんだなっていうのがよく分かって、
多分それがその方だけじゃなくて、実際に自然発生した時から、
やっぱりそういう海との関わりとかも結構あるんだろうなーって思わせるぐらいには近かったですね。
そうなんですよね。
結構これ本編の話というかこの場所の話になっちゃいますけど、
途中出てきますけど、昭和中期までは土層が一般的だったっていう話するじゃないですか。
お母さん土層して、弟さんは23歳とかで亡くなっちゃったんで、
弟さんを埋める時に掘ってたらちょっと出てきたみたいなね。
お母さん埋める時に掘ってたら弟が出てきたみたいな。
そんなことある。
なおかつでもこの場所って海に近いから別にそこの話が出てくるまでは、
別になんで産骨しないんだろうなって思ってたんですよ。
だって海に産骨っていうのもあるわけじゃないですか。
それでもいいのになって思ってたんだけど、
おそらくここではその土層っていうか多分火葬場がそもそもないんだと思うんですよね。
なかったんだと思ってて、だからこそ多分埋めなきゃいけなくて、
埋める場所っていうのはどこだろうなって思った結果、
こういう広い場所としてあった巣立ちっていうところが選ばれたのかもなみたいな、
すごいこの場所の歴史に思いを馳せさせるような風景も含めて、
すごい魅力があるって言うとあれなんですけど、思いますね。
ほとんど僕らのポッドキャストも文化人類学ポッドキャストみたいになってますよ。
はいはいはい。
すごく民族的なものを見せられていて、
それがこんなにも色濃く残っている場所がまだあるんだっていうところと、
それ一つ一つのパワーが強すぎて、
本当に話してても土地と人の生き方の結びつきに思いを馳せてしまうというか、
それがスピリチュアルじゃスピリチュアルだと思うんですけど、
そこにこんなにも目が行くんだなっていうので、
72時間って本当に階によって全然違うなっていうのが、
この階はめちゃめちゃ他と違うなと思いましたね。
この場所であるさっきの釣りが好きな県庁職員みたいな話もありましたけど、
そういう話の時とかもそうでしたけど、
この場所じゃなきゃいけないみたいな意味がすごく強い場所なんだろうなって思うんですよね。
72時間でいうと樹木層の階がお墓とかだとバッと出てくる階としてはあって、
あれは樹木層っていわゆる木が植わっているところにお墓があるので、
墓石があるわけではなくてその代わりに木があって、
ちょっと公園みたいになっているから、
いろんな人がお墓参りでみんなも服を着て悲しい顔をしていくんじゃなくて、
土地の力とスピリチュアル
公園のように気軽に行けるみたいなことが魅力ですよねみたいなのを、
たぶん僕らのBOTYSの話だと思うんですけど、
今回はとはいえ樹木層って別にそういうギミックは、
究極場所はどこでも行っちゃいいじゃないですか。
わざわざ例えば神奈川県じゃなきゃいけないとか東京のここじゃなきゃいけないんだとか、
茨城のここじゃなきゃいけないんだみたいなのはない気はしてて、
でもこの場所はもうここじゃなきゃダメなんですね花見型墓地は。
っていうその場所の強い力みたいなことと、
この死後の世界とのつながりを想起させる海みたいな、
でもやっぱ生命の源でもあるんですよね。
でもやっぱ生命の源でもある海みたいなことと、
場所の力っていうのはすごく結びついているからこそ、
スピリチュアルというか土地の力というかポテンシャルがすごい感じさせるなっていうのもやっぱ、
スピ界的にはポイントですかね。
スピ界ですから。
でも本当に樹木層との会話はすごく対照的ですよね。
やっぱり樹木層ってすごく僕らもいいなと思うぐらいの、
いわゆる現代的な価値観に基づいて作られた、
死と定の狭間をどうコミュニケーションとっていくかっていう、
生きてる人にとってもさっき言ったように公園でランチをするかのように、
死んだ人と会えるし、これから死に行く人というか、
死ぬって考えた時にこんなところで自分もいるんだなって思えると少し安心するし、
そういうのを宗教、無宗教な日本だからこそ、
現代的な意味というか、ものとして樹木層ってあるなっていうのと、
全くその真逆ですよね。
この場所、実際この地にゆかりがある人のみが一応、
町が管理してるかなんかって今は、そこで申請するみたいな感じなので、
たぶんじゃあ私、この海の目の前でって思ってもたぶん、
何も縁もゆかりもない私はそこにはいけないし、
それぐらいたぶん土地の歴史と生きていく、
あれにすごくひも付いてるからこそ、
山口さんが言った通りここにしかないし、
ここで入りたいなとか入りたくないなとか、
そういうのと全く違うところで、ここで生きていく人たちに、
本当に毎年のお盆の送り日、迎え日をやってる。
半端とやってるっていう感じなのが、
映し出されてる回でもありましたよね。
でもやっぱここ、今まで見た墓地の中で一番僕入りたいですけどね。
入りたくないですか。
ここに入りたいって見てるときずっと思ってましたね、僕は。
え、なんか良さそう、環境が良さそうじゃないですか。
なんかこう海が見えるし。
物件の下見みたいな。
いやいやでも、場所の、
ここでしかない体験っていうのがやっぱ、
僕は割と重要っていうか好きだったりするんで、
そういうところで言うとすごく個性的な場所だなって思うんですよね。
こういう途中話したようなロウソクで3日間灯すとか、
そういうことも含めてだし、
すごく自由な感じがしたんですよね、この場所が。
っていうのは宗教もそうだけれども、
いろんな形の墓石があるわけじゃないですか。
その自由さっていうのが、とはいえさっきの
自由型の今回みたいな自然発生墓地だと、
やっぱりこう、誰からともなく
奪わせてやまみたいな感じで
なってくっていうことだと収集つかないから
とはいえ自社物価っていうのが管理しながら
お墓ってエリアで都市計画上定められてみたいなのが
結局あるんだけど、今回自然発生墓地がゆえに
その辺の自由さ、大らかさも
海と相まっていいなと思ったんですよね。
死生観と現代的価値観
だからなんか入りたいなって思ったんですよね。
すごく言ってることがわかるなあと思いながら
結構ね、僕は真逆です、そこに関して。
そうなんですか。
ここは、本当にこのドキュメント72時間の
この30本通して素晴らしい場所だけど、
その土地に、
そこに息づいていない私が入るべき場所じゃない
ともすごく感じました。
ここにはここの土地が芽吹いて
そして生きて死んでいくのだから
私ここに決めましたとかじゃないなって
ここに生まれたからにはここに眠るみたいな
感じがするので
それこそ別にアイデンティティとかじゃないですけど
私のアイデンティティはそこにはないなって
普通に思いましたけどね。
分かんないです、もしかしてない前世の記憶が
そういうことを模様化させているのかもしれない。
無理やりスピリチュアルに。
でも結構真面目にゆかりのある人しかごまんで借りられないってことじゃないですか。
だから見てて
僕の考えはメジャーだとは思わないけど
ここに入るために移住する人っているんじゃないかなと思う。
正直。
それくらい結構魅力的だし
すごくユニークだし
ここに眠るっていうことがすごく
安らかそうというか
っていうのは本当に思ったんですよね。
演実論的にはありそうですよね。
本当にここで眠りたいと思った人が
移住すれば、正直結構変能墓地とかがあって
最盛期よりは全く土地が余ってる状態の雰囲気もあったんで
それこそ90歳になって移住して
そのまま亡くなれば多分
この墓地には入れるという
テクニック論としてはありそうですよね。
それはすごい思いましたね。
移住のホームページまで見ちゃいましたもんね。
一旦そこまではたどり着いてるんで。
いい悪いとかじゃなくて
この土地の匂いって感じでしたね。
それはすごい。
だから行ってみたいなって思ったんですよね。
別に入る入らないってもちろんあれなんですけど
この土地の空気感を
映像だけだと出ない
別にスピーに無理やり被せるわけじゃないですけど
こういう場所って気配というか
その雰囲気を見に行きたいなっていうのは
すごいありましたね。
途中でしだし屋さんのおばちゃんが何回かよく出てきて
実際にお家にもお伺いしますけど
お家でけえっていうのもありますけど
仏壇もでかかったじゃないですか。
さらにそこに亡くなった弟さんとか旦那さんとか
いろいろな人の写真とともに
おばちゃんのこれまでの生きてきたところと
近しい人たちへの思いみたいなのが残ってる
すごい部屋で素晴らしいなと思ったんですけど
やっぱ思いめちゃめちゃ持ってると思いましたね。
その土地に生きる人間の本当に人生みたいなのが
すごく土着的に乗ってる場所だなっていうのが
そのでかい仏壇を見ながらも結構思いましたね。
今そんな別に大きい仏壇とかって
そもそも住宅みたい住宅環境的に都会とかだとね
難しかったりする部分あるし
だからこそその死みたいなものが遠ざかりすぎてるっていうのも
多分今言われている部分としてあると思うんですよね。
だからこそこうあんまりこう
死みたいなものに対してもっと触れるように
日常的にお盆だったりとか
そういう季節ごと日本の季節も基本的に死者との交流だったり
っていうのが要素として強かったりするので
そういうものはただとはいえ
慣習としてなくなってきちゃって
薄れてきちゃってるからこそ
性に対する思いというかっていうのが
希薄になってきてしまっているって
結構長年かけて言われている課題ではあると思うんですけど
そういう流れの中で
一方でオカルトとかスピリチュアルとかパワースポットみたいな話って
サブカルチャーとしてやっぱり
さっきも別にスピカイっていうことだけに被せるわけじゃないですけど
言われてはいるじゃないですか
でも今回のこういう場所みたいな
サブカルチャーとしてのスピリチュアルじゃなくて
本当に暮らしの中のスピリチュアルみたいなことこそが
本当に実は日本の原風景であるし
日常的なスピリチュアル
それこそ座敷話とかね
ゲゲゲの妖怪的な話ですよね
妖怪ウォッチでもいいんですけど
そういう日常に結びついたスピリチュアルみたいなところの
空気感っていうのはすごい今回からしたし
改めてそういうものも含めて
見に行きたいなっていう熱い思いですよ
すごい熱く語ってるなー
とにかく異常あり得ないっていうのは思いますよ
というのはあり得ないっていうのは
本当に都市計画上あんな場所に自然発生したからといって
多分昔は日本全国にそういうところにあったのかもしれないが
結局いろいろな近代化によって都市整備によって
お寺が管理したりお寺が引き取ったりすることによって
鳥取の海辺の墓地
ああいう墓地ってなくなってきたのが歴史だと思う
それを受けずにあそこにまだあるし
正直自然災害的なものにもなく見舞われず
あんな海っぺりだって別に何ですかね
例えばアイルランドとかの崖の上のところにある墓地とはやっぱ違うわけですよ
本当に目の前海だから
本当に大森海塚とかと同じなんですよね成田地が
そういう海塚とかで
人が集積した結果もちろん人は死ぬのだから
それが集積した結果あの場所にあるってことなんですけど
普通はそれが近代化によって土地が記憶が忘れられていくはずなのに
なぜか残ってるっていうのは正直鳥取とかいう場所じゃないと
起こり得ないかなと思いますね
モザイクと文化
異常というかスピリチュアル的に異常というよりは
成田地というか残ってることの異常さ
今回も途中本田さんもさっき言いましたけど
死出し屋っていう商売自体が今もうないじゃないですか
そこ?あるよ
あるけどでも創業から100年続く死出し屋とか
死出し屋で100年続くっていうのは確かに珍しい
あの場所だけそういう時間を止まってるっていうか
パッケージングしてるっていうか
動いてない感じがすごくしてて
それも含めて歴史が感じられる記憶が残ってるっていうのは
すごく魅力だなと思うんですよね
それで言うとすごいなってやっぱり一番思ったのは
白昼ほぼ唯一ぐらいでモザイクの方が出てくるでしょ
実は本当の親じゃなくて引き上げで帰ってくるときに
もらわれた私子なんですっておっしゃってた方が
モザイクでかかってたんだけど
当然っていうのかな全てにモザイクがかかってるんですよ
最初なんてディレクターのシルエットだけギリギリ
くり抜いてましたけどこの後のこの方のインタビューの
顔とかシルエットとかだけじゃなくて背景全部
モザイクなんですよねそれって何でかっていうと当たり前で
ここの墓地だからあの人ねってすぐなるからですよ
だからあの墓地の場所を移すことによってこの人が何者かというのも
わかってしまうから全てにモザイクがかかってるわけじゃないですか
つまりそういうことでやっぱりその土地っていうのが非常に強く
結びついている場所だからこそもう
モザイクかけてたとしてもこの辺の背景のバックっていうので
どこの人だまでが特定できるような社会でもあると
そこにこういろいろと息苦しさを感じてた人ももちろん
いるっていうところであのオールモザイクですね
72時間の中でもなかなか珍しいというかこの場所は映しできませんっていう
72時間だとある意味ありえないような感じなんですけど
あのオールモザイクに自分はなんかそのいろいろな側面を
感じたっていうのも思いましたね
まあそれあるでしょうね昭和中頃まで塗装でみんなでお墓掘ってみたいな
ねそういうとこだとまあそういう側面も多分大いにある場所なんだろうな
とは思いますよねそれぐらいねそのぼちるとしたらわかるっていう
なんか現代的な感覚からしたらよくわからないところまで
まあでもねやっぱりそこをちゃんとモザイクを全部かけてっていう入るまでして
ところに場所性をすごい感じましたね
いやそうですよねいやでも
でもやっぱり今のとこ入りたいお墓ランキング第1位ということで
はいランキングかまあまあまあ
大変だよ山口さんに近しい人は何の縁もゆかりのない鳥取まで行かなきゃいけない
そうですよ火を炊かないといけないし
樹木草の回を聞いていただいた方わかるんですけど僕樹木草の回の時は三骨派なんで
三骨派としてたぶん喋ってると思うんで海に骨を巻くとか樹木草でいいじゃんみたいな
場所持たなくていいじゃんって言ってるんですけどちょっとやっぱ考え方が変わりましたね
だいぶ迷惑な変わった
まだいろいろ考えられますのでいろいろご検討くださいということで
今回は以上となりますありがとうございました
28:22

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